かめれおん日記

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本文[編集]

虫有蚘者。一身両口、争相齕也。遂相食、因自殺。
―韓非子―

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博物教室から職員室へと引揚げて来る時、途中の廊下で背後うしろから「先生」と呼びとめられた。
振り返ると、生徒の一人―顔は確かに知つてゐるが、名前が咄嗟とつさには浮んでこない―が、私の前に来て、何かよく聞きとれない事を言ひながら、五寸角位の・ふたの無い・菓子箱のやうなものを差出した。箱の中には綿が敷かれ、其の上に青黒い蜥蜴とかげのやうな妙な形のものがつてゐる。
「何?え?カメレオン?え?カメレオンぢやないか。生きてるの?」
思ひ掛けないものの出現に面喰めんくらつて、私が矢継早やつぎばやに聞くと、生徒は「ええ」とうなづいて顔をあからめながら説明した。親戚の船員のものがカイロか何処かで買つて来たのだが、珍しいものだから学校へ持つて行つては、と云ふので、博物の教師である私の所へ持つて来たのだといふ。
「ほう、そりや、どうも」有難ありがたうとも言はないで、私は其の箱を受取り、竜に似た小さな怪物を眺めた。蜥蜴よりもずつと立体的な感じで、頭が大きく、尾が長く捲き、寒さで元気が無いらしいが、それでも、真蒼まつさをな前肢で、しかつめらしく綿をふんまへてゐる。
生徒は私にカメレオンを渡して了ふと、それ以上私の前に立つてゐるのをはづかしがるやうに、ぴよこんと頭を下げてから行つてしまつた。
職員室へ持つて行つてから、始めて、飼育の困難に気がついた。学校には温室がない。取敢とりあへず火鉢の側の鉢植のほほの木の枝にとまらせた。はじめはジッと動かなかつたが、その中に、傍の火の温かみで元気が出たと見え、少しづつ動き出した。眼窩がんくわはかなり大きいのだが、眼玉が外を覗くあなは極めて小さく、その小さな穴をぐるぐる方々に向けて廻しながら、その奥から見慣れぬ風景を探つてゐるらしい。朴の枝から葉の方へひ出しては、身体の重みで滑りさうになり、葉の縁を趾指あしゆびつかんで支へようとするが、到頭落ちてしまふ。何度も鉢の土だの床だのの上に落ちた。落ちる度に、自分の失策を嘲笑わらはれて腹を立てた子供のやうに真剣な顔付で起上つて(背中に立つてゐる装飾風なギザギザが、ものものしい真面目な外観を与へてゐる)めくらめつぽうに歩き出す。
職員達はみんな珍しがつて見にやつて来た。大抵は、何ですか、と不思議さうに訊ねる。国漢の老教師は、どう勘違ひしたか、「それは何でも花柳病の薬になるやつでせうがな。陰干かげぼしにして、せんじてな」などと言ひ出した。
誰かが何処からかはへをつかまへて来て、片翅をもいでから掌にのせて前に出した。カメレオンの口からサッとうす朱色の肉の棒が繰出された。舌の先端に生えがくつつくと同時に、もう口は閉ぢられえゐる。
結局この生物いきものをどう扱はうかと、他の博物の教師達と相談する。どうせ長くは生きないだらうが、カナリヤの箱のやうなものでも作つて、なるべく暖い所へ置いて、このまま学校で飼つて見よう。餌は、生徒等に季節外れの蠅でも探して持つて来させれば、どうにかなるだらう、といふことになる。しかし、とにかく其の簡単な設備が出来る迄は、夜の寒さと猫などにおそはれる心配のために、私が預かつてアパアトで養ふことにした。


其の夜、私は部屋の小型ストーヴに何時もよりも多量の石炭を入れた。此の間死んだ鸚鵡あうむの丸籠を下して、その中に綿を敷き、そこへカメレオンを入れた。水を飲むものかどうか知らないが、兎に角、鳥の水入も中に置いてやつた。
滑稽なことに、私は少からず悦ばされ、興奮させられてゐた。寒さなどのためにやがては死なせねばなるまいとの考へだけが私を暗くした。どうせ永く持たないのなら、学校で飼はないで、自分の処へ置き度いと思つた。動物園へ寄贈すれば、とも思つたが、何かしら手離すのが惜しい。まるで私個人が貰つたものであるかのやうに、私は感じてゐるのであつた。
久しく私の中に眠つてゐたエクゾティシズムが、この珍奇な小動物の思ひがけない出現と共に、再び目覚めて来た。かつて小笠原に遊んだ時の海の色。熱帯樹の厚い葉のつや。油ぎつたまぶしい空。原色的な鮮麗な色彩と、燃上る光と熱。珍奇な異国的なものへの、若々しい感興が急に潑剌はつらつと動き出した。外はみぞれもよひの空だといふのに、私は久しぶりで胸のふくれる思ひであつた。
ストーヴの近くに籠を置き、室の隅にあつたゴムの木と谷渡りの鉢をその傍に並べた。私は籠の入口をあけておいた。どうせ部屋から出る心配はなし、時には木にとまりくならうかと思つたからである。

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朝起きて見ると、カメレオンはゴムの木などには止らずに、机の下に滑り落ちた書物の上に乗って、小さな眼孔から此方こちらを見てゐた。思つたより元気らしい。もつとも昨夕はかなり部屋を暖めたので、乾きすぎたせゐか私の方が少々咽喉のどを痛めた。カメレオンの乗つてゐた書物はショペンハウエルのパレルガ・ウント・パラリポメナ。
勤めの無い日なのだが、カメレオンのことで午後学校へ行く。昨晩考へたやうに、設備が無いのなら学校へ置いても同じことだから、私の処で飼はせて貰はうと思つたのである。まさか学校でも一匹のカメレオンの為に温室をこしらへてはくれまい。
学校へ行つて其の許可を求めると、校長をはじめ他の職員達は、もう殆ど昨日のことを忘れてゐたかのやうな口吻こうふんだつた。「ああ、あの昨日の虫ですか!」といふ。私一人が此の小爬虫類せうはちうるゐの出現に狂気してゐただけだつたのだ。
生徒達の所へ行つて、昨日頼んでおいた蠅を貰ふ。思ひの外、蠅は生残つてゐるものだ。マッチ箱に一杯集まつた。之でニ三日分の餌には足りるだらう。
蠅を持つて帰らうとしてゐると、後から国語の教師の吉田が追ひかけて来て、丁度自分も帰るからとて一緒に歩き出す。何か話し度くてたまらぬことがあるらしい。M・ベエカリイに寄つて茶を飲みながら一時間程話す。
私とほぼ同年だが、全く此の男程精力絶倫で、思ひ切り実用向きで、恥も外聞もなく物質的で、懐疑、羞恥、「てれる」などといふ気持と縁の遠い人間を私は知らない。疲れる事を知らぬ働き手。有能な事務家。方法論の大家(本質論など悪魔に喰はれてしまへ!)常に勇気凛凛りんりんたる偏見に充ち満ちて、あらゆる事に勇往邁進ゆうわうまいしんする男。運動会、展覧会、学芸会、校友会雑誌の編輯へんしふ、その他何でも彼が一人で片附けてしまふ。抽象とは彼にとつて無意味と同義である。今年の正月のこと、何処かの級のクラス会で、生徒が三四人、蜜柑みかん煎餅せんべいを買出しに行つた。学校の前は山手から降りて来る坂になつてゐるのだが、その坂の中途迄、風呂敷包をぶら下げた買出し係の生徒等が上つて来た時、一人の持つてゐた風呂敷が解けて、中から蜜柑がこぼれた。二つ、三つ、四つ、・・・・・・七つ、八つ、かなり急な坂とて、鮮かな色をした蜜柑が続続ところがり出した。その生徒は思はぬ失策に、ひどく顔を赭らめ、風呂敷を結び直すのがやつとで、転がる蜜柑を追ひかけるどころではなかつた。学校以外の人々の往来も相当にあるので、一寸羞づかしかつたのであらう。丁度其の時坂の上に立つてゐた吉田は、之を見るや猛烈な勢でり始めた。小石を蹴とばし、砂利で滑りさうになり、つんのめりさうになり、途中に立つ生徒を突き飛ばして、短軀の彼は背中を丸くして、蜜柑を追ひかけた。一度転んだが直ぐ起上り、砂も払はずに又駈け出し、到頭十五六の蜜柑をことごとく拾ひ上げ、坂の片側の溝に転げ落ちることを防いだのである。生徒等も通行人等も呆気あつけにとられて立止り、彼の猛烈な勢に見とれてゐた。吉田は蜜柑を手に持ち、ポケットにも入れ、「みんなボヤーッと見とつちや駄目じやないか」と生徒等に叱言こごとを言ひながら、又登つて来た。彼の顔が赧くなつてゐたのは、単に走つたからなのであつて、決して、彼がてれてゐたためではない。正に、この男こそ、私の、以て模範とすべき人物だと其の時、私はしみじみ思つた。此の男は何時も、人間は―或ひは、生物は――斯か{{{2}}}く生くべし、と、私に教へて呉れるのだ。高等小学生的人物と彼を評した者がゐる。小学生の高等科の生徒といふものは中学生のやうな小生意気さが無く、実に良く働いて、中学生などよりどれ程役に立つかわからないといふのである。影の薄い大学生よりも、潑剌たる高等小学生の方が遥かに立派だと、私も思ふ。


話をしながら、吉田は、内ポケットから一枚の紙を取出して私の前にひろげた。私がそれを見せられるのは今日で二度目である。それは此の学校の全職員の棒給表で、(私立学校で、職員録には明示されない)彼が何処からか聞き出して丹念に書並べたものだ。なほ、前年度のボーナスの推定額迄、書入れてある。彼はかういふ事を探り出すことが実に上手じやうずで、又それを自ら得意としてゐる。自分と交際のある凡ての人間に就いて、彼は、一々、興信所的な方法で身許調査を行つてゐるもののやうだ。殊に自分が反感をもつ人間に対しては、執拗な程徹底的に調べ上げて、彼等のきずを探し出すのである。この棒給表の中、彼よりも不当に棒給の多い教師の名前の横には、赤鉛筆で棒が引いてある。彼はそれを誰彼に示しては、関西弁で縷々るるとして不平をべるのである。
割烹かつぽうのTな、女のくせに僕よりたんと取りよるんや。はじめの交渉の仕方一つで、どうにもなるんで、決つた標準は無いのやでなあ。目茶や、まるで。」
この前に一度この表を見せた時も、同じやうな言葉で、Tといふ割烹の教師のことを言つてゐた。今見ると、Tの名前の上だけは、赤鉛筆に副へて青鉛筆でも濃く何本か棒が引かれてゐる。
「それで、あんまり目茶やから、僕、校長の所へ言ひに行つたんですよ。とにかく此方こつちは教育を受けた年限も長いんやから、心臓が強いと云はれるかも知らんけど、なんぼでもよいからTさんより上にして下さい言うたんですよ。さうしたら、成程、もつともだから、では、Tさんより三円だけ多くしませう、いうて。三円やで。たつた。それでも今よりは、まあ良いけど。」
吉田は其の棒給表を前に拡げたまま、つづいて、職員一人々々に就いて其の経歴やら家庭的な事情やらを話し出した。女教師の中、誰と誰とは女高師を出たといふ触込ふれこみで来てゐるが、実は臨時教員養成所を出ただけであること。国語の主任をしてゐるNが月給を二月分前借してゐること。図画の老教師Hが表具屋、絵具屋等と生徒との間でえらくサヤを取つてゐること。英語のSが音楽の女教師と近頃よく連立つて歩いてゐるといふ噂のこと。他人の秘密を知つてゐることが吉田にとつて此の上なく満足なやうな話しぶりである。彼の話によると、彼は今日、主任のNと何か口論したらしく、又別に、体操科の教師とも渡り合つたらしい。之は何でも先月行はれた運動会のプログラムの進行に関して、吉田と体操の教師達との間に、当時、意見の衝突があり、それが未だこじれてゐるものの由である。吉田といふ男は、事務に追はれてゐないと、胃酸過多の胃が消化すべきものを有たない時の上体みたいになつて、とにかく他人ひととの間に摩擦を起すやうだ。
一時間ばかり彼の話を聞いてから、余り愉快ではない気持になつて、蠅のつまるつたマッチ箱を持つて帰る。


夜、外へ出て何気なく東の空を仰いだ時、私は思はず「アア」と声を出した。裸になつたえのきの大樹の枝々を透して、春以来、半年ぶりでオリオンの昇つて来るのを見付けたからである。青い小さな蜜柑が出始めると、三つ星さまが見え出すんだよ、と幼い頃祖母によく言はれたことが記憶によみがへつた。オリオンの上には馭者座カペラだの、紅いアルデバランだの、玻璃器に凍りついた水滴のやうなすばるだのが、はつきり姿を見せてゐる。恒星達ばかりではない。南の空に高く、左から順にほぼ同じ位の間隔をおいて並んでゐるのは、土星ザトウルン木星ユウピテル火星マルスとであらう。殊に木星の白い輝きの明るさは、燦々さんさんと、まことに四辺あたりを払ふばかりである。
かなり冷えるけれども、風の無い静かな晩であつた。三つの惑星を見上げながら、私は、「詩と真実デイヒトウンク・ウント・ワアルハイト」の冒頭を思ひ出してゐた。其処には、この詩人が誕生した日の・瑞象に充ちた星座の配置が、自己の偉大さへの自信に溢れた筆つきで記されてゐる。高等学校の理科三年の時、第二外国語の教科書として此の書物が使はれ、この冒頭の所の訳読が私にあたつたので、はつきり覚えてゐるのである。急に、教科書に使つた其の本の緑色の表紙、それを金色で抜いた標題の文字、それを始めて手にした時の印刷インクの匂ひなど、又、独乙語ドイツごの教師の風貌や、その声つき、それから当時の級友達のこと迄が、あざやかに頭の中に浮かんで来た。
青春への郷愁に胸をかれるやうな思ひをしながら、私は部屋に帰つて来た。本棚や本箱をひつくり返して、まだ残つてゐる筈の・昔使つた「詩と真実デイヒトウンク・ウント・ワアルハイト」を探して見たが、見付からなかつた。取散らされた書物の間で、暫くは、若さへの愛情と、友情への飢渇きかつとに、ぢつとしてはゐられないやうな・遣瀬やるせないとでもいふより言ひやうのない気持であつた。
二三日前にもこんなことがあつた。或る文字を引かうとして英和辞典をパラパラとりながら、偶然開かれたページのoperaといふ文字に目がとまつた時、私は、瞬間ハッと何か明るい華やかな若々しいものが前を過ぎたやうな気がした。田舎の暗い田圃道たんぼみちから、土手の上を通つて行く明るい夜汽車の窓々を見送る時に似て、今迄すつかり忘れてゐた華やかな夢の一片が、遠い世界からやつて来て、チラリと前を通り過ぎて行つたやうな気がした。私がまだ学生の頃、当時は映画館でなかつた帝劇に、毎年三月頃になると、ロシヤとイタリイから歌劇団が来演した。カルメンやリゴレットやラ・ボエームやボリス・ゴドノフなど、私は金銭かねの許す限り其等を見に行つた。明るい照明の中で、女優達の豊かな肩や白い胸に生毛うぶげが光り、金髪が揺れ、頰が紅潮し、肉感的な・若々しい声が快く顫へて、私を酔はせた。偶然目にしたoperaといふ、たつた五文字が、失はれた・遠い・華やかな世界のかぐはしい空気をちらと匂はせ、しばし私を混乱させた。所要の文字を探すことも忘れて、私はoperaといふ字を見詰めたまま、ぼんやりしてゐた。


回顧的になるのは身体が衰弱してゐるからだらうと人はいふ。自分もさうは思ふ。しかし何といつても、現在身を打込める仕事を(或ひは、生活を)つてゐないことが一番大きな原因に違ひない。
実際、近頃の自分の生き方の、みじめさ、情なさ。うじうじと、内攻し、くすぶり、我と我が身を嚙み、いぢけ果て、それで猶、うすつぺらな犬儒主義シニシズムだけは残してゐる。こんな筈ではなかつたのだが、一体、どうして、又、何時頃から、こんな風になつて了つたのだらう?兎に角、気が付いた時には、既にこんなヘンなものになつて了つてゐたのだ。いい、悪い、ではない。強ひて云へば困るのである。ともかくも、自分は周囲の健康な人々と同じでない。勿論、矜持きようぢを以ていふのではない。その反対だ。不安と焦燥とを似ていふのである。ものの感じ方、心の向ひ方が、どうも違ふ。みんなは現実の中に生きてゐる。俺はさうぢやない。かえるの卵のやうに寒天の中にくるまつてゐる。現実と自分との間を、寒天質の視力を屈折させるものが隔ててゐる。直接そとのものに触れ感じることが出来ない。はじめはそれを知的装飾と考へて、困りながらも自惚うぬぼれてゐたことがある。しかし、どうもさうではないらしい。もつと根本的な・先天的な・或る能力の欠如によるものらしい。それも一つの能力でなく、幾つかの能力の欠如である。例へば、個人を個人たらしめる・最も普遍的な意味に於ての・功利主義が私には欠けてゐるやうだ。又、ものを一つの系列―或る目的へと向つて排列された一つの順序―として理解する能力が私には無い。一つ一つをそれぞれ独立したものとして取上げて了ふ。一日なら一日を、将来の或る計画のために一日として考へることが出来ない。それ自身の独立した価値をもつた一日でなければ承知できないのだ。それから又、ものごと(自分自身をも含めて)の内側に直接はひつて行くことが出来ず、先づ外から、それに対して位置測定を試みる。全体に於ける其の位置、大きなものと対比した其の価値等を測つて見るだけで失望して了ひ、直接そのものの中にはひつて行けないのだ。sub specie aeternitatisに見る、といつたつて、別に哲人がる訳ではない。それ所か最も平凡な無常観を以て見る―つまり、何事をも(身の程知らずにも)永遠と対比して考へるために、先づその無意味さを感じて了ふのである。実際的な対処法を講ずる前に、そのことの究極の無意味さを考へて(本当は感ずるのだ。理屈ではなく、アアツアラナイナアといふ腹の底からの感じ)一切の努力を抛棄して了ふのだ。
考へて見れば、大体、今迄の生き方が、まあ何といふ無意味な生き方だつたか。精神の統一集注を妨げることにばかり費やされた半生といつてもいい。とにかく私は自分を眠らせ、自分の持つてゐるものを打消すことばかり力を尽くして来たやうなものだ。
かつて自分にも多少は感覚の良さがあつた時分には、私はそれにのみはしることをおそれて、自分の欲しもしない・無味な概念のかたまりを考へることによつて感覚を鈍くしようとつとめた。さうして、結局凡ての概念が灰色だと知つた時、又、自分が苦心の結果取除くことに成功したところのものが、如何に黄金なす緑色をなしてゐたかを悟つた時には、すでにそれを取返すすべを失つてゐるのだ。私が曾てかなり確かな記憶力を有つてゐた頃、私は之を軽蔑した。記憶力しか有つてゐないにんげんは、足し算しか出来ない人間と同じだと云ひ、自分のこの力を撲滅しようとした。之は随分無理なことだつた。で、少くとも、之を利用することだけは避けるやうにした。さて、人間生活の多くの貴い部分が、最も基礎的な意味に於て、精神の此の能力に負うてゐることを、身を以て悟るやうになつた今となつては、はや(種々な薬品の過度の吸入や服用その他によつて)自分にはそれが失はれてゐるのだ。
今でもさうだが、以前から私は、夜、床に就いてから容易に睡れない。之は主に、この十年間一晩として服用しないでは済まない喘息ぜんそくの鎮静剤のせゐなのだが、結局睡眠の時間は二時間や三時間位のもので、かえつて、昼間は一日中ボウッとしてゐる。床に就いてから眼が冴えてくるのに、私はそれでも無理に眠らなければいけないと考へて、恐らく私の一日中で一番頭のはつきりしてゐるに違ひない数時間を、眠らうとする消極的な下らぬ努力のために費して了ふ。本当はさういふ時こそ、色々な思想の萌芽といつてもいいやうなものが、どんどん湧いて来るやうな気がするのだ。しかし、そんなものに就いて思考を集注し出したら一晩中興奮のために眠れないぞ。さうすると又、明日は発作だぞ、と、私は躍起やくきになつて、さうした断片的な思惟しゐの芽をみ消して行く。全く私はどれ程の多くの思索を種子を寝床の闇の中でむざむざとにじつぶして了つたことか。勿論、私は思想家でも科学者でもないから、私のひよいひよいと浮んで来る思ひつきや断片的な考へが皆優れたものだつたらうなどといふのではない。けれども初めはく詰まらないものであつても、後の発展によつては、案外面白いものとなり得ることがあるのは、物質界でも精神界でも屡々しばしば見られるものだ。闇の中で私に惨殺された無数の思ひつき(それらは、高く風に飛ぶ無数の蒲公英たんぽぽの種子のやうに、闇の中に舞ひ散つて、再び帰つて来ない)の中には、さうした類のものだつて多少は交じつてゐたらうと考へるのは、自惚に過ぎるだらうか?
さて、数年の間うして、私の精神が潑剌はつらつとして来ようとする時には、それを眠らせようと力め、それが眠く朦朧としてゐる時にのみ、それを働かせようとした。いや、精神をば全然働かせまいと力めたのだ。(何の為に?身体のために。それで身体はよくなつたか?どうして、どうして。少しもよくなんかなりはしない。)私はこの馬鹿げた企てに成功した。本当の睡眠も本当の覚醒も私からは失はれた。私の精神はもはや再び働く力を失ひ、完全に眠り・沈み・腐つた。精神の罐詰、木乃伊ミイラ、化石。
之異常完全な輝かしい成功があらうか。

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昨夜就寝する頃から少し胸苦しかつたが、夜半果して例の発作に襲はれて、起上る。アドレナリン一本をうち、朝迄床上に坐つてゐる。呼吸困難は稍々ややをさまつたが、頭痛甚だし。朝になつて未だ不安なので、エフェドリン八錠服用。朝食はらず。息苦しきため横臥する能はず。終始椅子に掛け机にり、カメレオンの籠を前に、頬杖をついて眺める。
カメレオンも元気なし。鳥の止り木にとまり、小さな眼孔からぢつとこちらを見てゐる。動かず。瞑想者の風あり。尾のき方が面白い。木をつかんでゐるゆびは、前三本、後二本。体色は余り変化しないやうだ。全く異つた環境に連れ込まれたために、之に応ずる色素の準備がないのか?
眺めてゐるうちに、ものが段々と、sub specie chameleonis に見えて来さうだ。人間としては常識として通つてゐることが、一つ一つ不可思議な疑がはしいことに思はれて来る。頭痛は依然止まず。おほむね鈍痛だが、時にヅキヅキとはげしくなる。


頭痛の合間にきさぎさにうかぶ断想。
俺といふものは、俺が考へてゐる程、俺ではない。俺の代わりに習慣や環境やが行動してゐるのだ。之に、遺伝とか、人類といふ生物の一般的習性とかいふことを考へると、俺といふ特殊なものはなくなつて了ひさうだ。之は云ふ迄もないことなのだが、しかし普通、没我的に行動する場合、こんな事を意識してゐる者は無い。所が、私のやうに、全力を傾注する仕事を有たない人間には、この事が何時も意識されて仕方がない。しまひには何が何やら解らなくなつて来る。


俺といふものは、俺を組立ててゐる物質的な要素(諸道具立)と、それをあやつるあるものとで出来上つてゐる器械人形のやうに考へられて仕方がない。この間、欠伸あくびをしかけて、ふと、この動作も、俺のあやつり手の操作のやうに感じ、ギョッとして伸ばしかけた手を下した。
一月程前、自分の体内の諸器関の一つ一つに就いて、(身体模型図や、動物解剖の時のことなどを思ひ浮かべながら)その所在のあたりを押して見ては、其の大きさ、形、色、湿り工合、柔かさ、などを、目をつぶつて想像して見た。以前だつて斯ういふ経験が無いわけではなかつたが、それは併し、いはば、内臓一般、胃一般、腸一般を自分の身体のあるべき場所に想像して見ただけであつて、すこぶる抽象的な想像の仕方だつた。しかし此の時は、何といふか、直接に、私といふ個人を形成してゐ・私の胃、私の腸、私の肺(いはば個性をもつた其等の器関)を、はつきりと其の色、うるほひ、触感を以て、その働いてゐる姿のままに考へて見た。(灰色のぶよぶよとゆるんだ袋や、醜い管や、グロテスクなポンプなど。)それも今迄になく、かなり長い間―殆ど半日―続けた。すると、私といふ人間の肉体を組立ててゐる各部分に注意が行き亘るにつれ、次第に、私といふ人間の所在が判らなくなつて来た。俺は一体何処にある?之は何も、私が大脳の生理に詳しくないから、又、自意識に就いての考察を知らないから、こんな幼稚な疑問が出て来た訳ではなからう。もつと遥かに肉体的な(全身的な)疑問なのだ。
その日以来こんな想像にふけるやうになり、それが癖になつて、何かにまぎれてゐる時のほかは、自分の体内の器関共の存在を生々しく意識するやうになつて来た。どうも不健康な習慣だと思ふが、どうにもならない。一体、医者は斯ういふ経験を有つだらうか?彼等は自分達の肉体に就いても、患者等のそれと同様に考げてゐるだけであつて、自分の個性の形成にあづかる所の自分の胃を、自分の肺を、何時も自分の皮膚の下に意識してゐる訳ではないのではなからうか。


身体を二つに切断されると、直ぐに、切られた各々の部分が互ひに闘争を始める虫があるさうだが、自分もそんな虫になつたやうな気がする。といふよりも、未だ切られない中から、身体中が幾つもに分れて争ひを始めるのだ。外に向つて行く対象が無い時には、我と自らをみ、さいなむより、仕方がないのだ。
私が何事かに就いて予想する時には、何時も最悪の場合を考へる。それには、実際の結果が予想よりよかつた時に、ホッとして卑小な嬉しさを感じようといふ、極めて小心な策略もあるにはあるやうだ。私が人を訪ねようとすると、私は先づ彼が留守である場合を考へ、留守でも落胆しないやうにと自分に言ひきかせる。それから、在宅であつても、何か取込中だとか、他に来客がある場合のこと、又、彼が何かの理由で(仮令たとえ、どんなに考へられない理由にしろ)自分に対して好い顔を見せないであらう場合、その他色々な思はしくない場合を想定して、さういふ場合の方が好都合な場合よりも多くあり得ることに思ひ込み、さうして、さういふ場合でも決して落胆せぬやうに自分を納得させてから、出掛けるのである。
何事に就いても之と同様で、つひには、失望しないために、初めから希望を有つまいと決心するやうになつた。落胆しないために初めから欲望をもたず、成功しないであらうとの予見から、てんで努力をしようともせず、はずかしめを受けたり気まづい思ひをしくないために、人中へ出まいとし、自分が頼まれた場合の困惑を誇大して類推しては、自分から他人にものを依頼することが全然できなくなつて了つた。外へ向つて展かれた器関を凡て閉ぢ、まるで掘上げられた冬の球根類のやうにならうとした。それに触れると、どのやうな外からの愛情も、途端に冷たい水滴となつて凍りつくやうな・石とならうと、私は思つた。


我はもはや石とならむず 石となりて  つめたき海を沈み行かばや
氷雨ひさめ降り狐日燃えむ 冬の夜に われ石となる黒き小石に
眼瞑めとづれば 氷の上を風が吹く われ石となりてまろび行くを
腐れたる魚のまなこは 光なし 石となる日を待ちて吾がいる
たまきはる いのち寂しく見つめけり つめたき星の上に独りゐて


今迄全然和歌を作つたことのない私が、こんな妙なものを書散らしては、自ら球根のうたわらふのである。


金魚鉢の中の金魚
自分の位置を知り、自己及び自己の世界の下らなき・狭さを知悉ちしつしてゐる絶望的な金魚。
絶望しながらも、自己及び狭い自己の世界を愛せずにはゐられない金魚。


幼い頃、私は、世界は自分を除く他みんな狐が化けてゐるのではないかと疑つたことがある。父も母も含めて、世界凡てが自分をだますために出来てゐるのではないかと。そして、何時かは何かの途端とたんに此の魔術の解かれる瞬間が来るのではないかと。
今でもさう考へられないことはない。それを常にさう考へさせないものが、つまり常識とか習慣とかいふものだらう。が、其等も、私のやうな世間から引込んでゐる者には、もはや、さう強い力をもつてゐない。照明の変化と共に舞台の感じがまるで一変するやうに、世界はほんのスヰッチ一ひねりで、さういふ幸福な(?)世界ともなり得るし、又、同じ一ひねりで、荒冷たる救ひのないものともなる。私にとつて其のスヰッチが往々にして、呼吸困難の有無であり、塩酸コカインやヂウレチンのききめ加減、天候の晴雨、昔の友人からの来信の有無等である。


大きな―時に不可解な―ものの中に(組織、慣習、秩序)晏如あんじよと身を置いてゐる気易さ。
さういふものから、すつかり離れてゐる自由な人間の苦しさ。
さういふ自由人は、自己の中で人類発展の歴史をもう一度繰返して見なければならぬ。普通人は慣習に無反省に従ふ。特殊な自由人は、慣習を点検して見て、それが成立するに至つた必然性を実感しない限り、それに従はうとしない。いはば、彼は、人間が其の慣習を形作るに至つた何百年かの過程を、一応自己の中に心理的に経験して見ないことには気が済まないのである。
私自身の性情も、傾向としては、それに似たものを有つてゐるやうだ。さういふ特殊な人達に往々見られる優れた独創的な思考力だけは欠いて。


友人一人が「遠交近攻の策」と評した一人の傾向。一生懸命になつて巴里パリの地図をこしらへたりして頭の中では未知の巴里の地理に一かど精通してゐるくせに、もう二年も住んでゐる此の港町の著名な競馬場へも、ひとりでは行けない。博物の教師のくせに博物のことはろくに知らず、古い語学を嚙じつて見たり、哲学に近いものをあさつて見たりする。それでゐて、何一つ本当には自分のものにしてゐないらだしなさ。全くの所、私のものの見方といつたつて、どれだけ自分のほんものがあらうか。いそつぷの話に出て来るお洒落しゃれからす。レヲバルディの羽を少し。ショペンハウエルの羽を少し。ルクレティウスの羽を少し。荘子や列子の羽を少し。モンテエニュの羽を少し。何といふ醜怪な鳥だ。
(考へて見れば、元々世界に対して甘い考へ方をしてゐた人間でなければ、厭世観を抱くわけもないし、自惚やか、自己を甘やかしてゐる人間でなければ、さう何時も「自己への省察」「自己苛責」を繰返くりかえす訳がない。だから、俺みたいに常にこの悪癖に耽るものは、大甘々おおあまあま自惚やの見本なのだらう。実際それに違ひない。全く、、と、どれだけがえらいんだ。そんなに、しよつちゆうのことを考へてるなんて。)

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今日も勤めのない日。火、水、木、と三日、休みが続くのである。昨夜は稍々やや眠れた。発作への懸念(ほとんど恐怖といつてもいい)も先づ無くなる。特薬の麻杏甘石湯まきやうかんせきたうの分量を少し増す位で済みさうである。鈍い頭痛が依然去らない。午前中嘔気はきけ少々。
カメレオンは一昨日から蠅を十二三匹しか喰べてゐない。止り木から下りて、綿の上にうずくまつてゐる。寒いのであらう。之では長くもつまいと思ふ。いよいよ仕方がなければ動物園へ持つて行くことにしよう。後肢のつけねに小さい黒褐色の傷痕がついてゐる。学校で床へ落ちた時に傷めたのだらうか。背中のギザギザはハンド・バックの口に使ふチャックに似てゐる。


今日も午前中ずつと小爬虫類を前に、ぼんやり頬杖をついてゐた。少し眠い。前の晩に全然眠れなかつた日より、なまじ一・二時間眠れた次の日の方が眠いのである。うとうとしかけてハッと気がついた瞬間、目の前のカメレオンの顔が、ルヰ・ジュウベェ扮する所の中世の生臭坊主に見えた。カメレオンと蓑虫との対話といふレヲバルディ風のものを書いて見度くなる。蓑虫の形而上学的疑惑、カメレオンの享楽家的逆説、・・・・・・等々・・・・・・。但し、勿論本当に書きはしない。書くといふことは、どうも苦手だ。字を一つ一つつづつてゐる時間のまどろつこしさ。その間に、今浮んだ思ひつきの大部分は消えてしまひ、頭をかすめた中の最もくだらない残滓かすが紙の上に残るだけなのだ。


午後、不図ふと頁をくつた或る本の中に、自分の精神のあり方を此の上なく適切に説明してくれる表現を見つけた。
――人間の分際といふものの不承認。そこから来る無気力。ねた理想の郷愁。気を悪くした自尊心。無限を垣間見かいまみ、夢みて、それと比較するために、自分をも事物をも本気にしない・・・・・・。自己の無力の感じ。周囲の事情を打破る力も、いる力も、按排あんばいする力も無く、事情が自分の欲するやうになつてゐない時には、手を出すまいとする。自分で一つの目的を定め、希望をもち、闘つて行くといふ事は、不可能な、途方もない事のやうに思はれる。――
私は本を閉ぢた。之は恐ろしい本だ。何と明確に私を説明して呉れてゐることか!


何とかしなければならぬ。これではどうにも仕様がない。このままでは、生きながらの立消たちぎえだ。次第に俺といふ個人性を稀薄にして行つて、しまひには、俺といふ個人がなくなつて、人間一般に帰して了ひさうだぞ。冗談ぢやない。もっと我執をもて!我慾を!排他的エクスクルーシヴリイに一つの事に迷ひ込むことが唯一の救だ。アミエルの乾物ひものになるな。自分で自分のあり方を客観的に見ようなどといふ・自然にもとつた不遜な真似は止めろ。無反省に、づうづうしく(それが自然への恭順だ)粗野な常識をたふとび、盲目的な生命の意志にだけ従へ。


夕方、吉田が訪ねて来る。大変激曹昂した様子である。以前から彼との間にいざこざの絶えなかつた体操の教師が、今日「一寸顔を貸して呉れ」と、吉田を雨天体操場の控室に呼び込んで、乱暴な言葉で彼をなじり、脅迫的な態度に出たといふ。憤慨した吉田が直ぐに校長の所へ話を持つて行つた所、校長も勿論体操教師の乱暴を非難しはしたが、それでも、あんに、喧嘩両成敗けんくわりやうせいばいといつた考へをほのめかしたとかで、彼は非常に不満なのだ。「めてもええのんや」と繰返していふ。たしか、以前まえにも二・三回、彼は斯うした事から「辞める」と騒ぎ出し、職員全部にそれをふれて廻つたが、結局辞めなかつた。あとになるとケロリとしてゐる。ただもうカッとなると、皆の所へ行つて騒ぎ立て、繰返し繰返し愚痴を聞かせ、自己の正当と相手の不当を認めて貰はなければ、気が済まないのである。しかし、彼はいくら腹を立てた時でも、決して自分の損になること(殴り合ひをしたり、思ひ切つて辞職したり)はしない。今日とて、唯、私のアパアトが学校の近くにある為に、帰りに立寄つて、それ程親しくもない私ではあるが、それでも一人でも多くの者に、自分の正当さを認めて貰はうとしただけなのだ。辞める心配は絶対に無い。余り騒ぐとと後で引込がつかなくなり、てれ臭い思ひをせねばなるまい、との心配も彼にはない。てれるなどといふ事を彼は知らないからである。ただ、どんな場合にでも、目に見えた損だけはしないやうに振舞ふるまつてゐるのは、彼の身についた本能なのであらう。
一通り憤慨がすむと、まづ気が済んだといふていで、今度は、昨日、或る先輩から紹介されて、県の学務部長に会ひに行つた時の話を始めた。学務部長は非常に歓待くわんたいしてくれて、又遊びに来給へ、と肩を叩かんばかりにして呉れたこと、だから、これからも時々うかがはうと思つてゐること、この学務部長さん(彼はさんをつけ、このやうな高官に衷心ちゆうしんからの尊敬を抱かないやうな人間の存在は、想像することも出来ない様子である。)は従×位、勲×等で、まだ若いからもつと大いに出世されるであらうこと、この人の夫人の父君が内閣の某高官であることなど、恐懼きようくに堪へないやうな語り口で話した。全く、先刻の悲憤をまるで忘れて了つたやうな幸福げな面持である。


吉田が帰つてから、幸福といふことを一寸考へて見る。躍起となつて騒ぎ立て、他人に自分の立場を諒解して貰ふことが、彼にとつての幸福であり、役人と近づきになることが彼の最大の愉悦なのだ。それをわらふ資格は私には無い。嗤つたとしても、それでは、私にどんな幸福があるといふのだ。「衆人煕々キキトシテ大牢をクルガ如ク、春、台ニ登ルが如シ。我独リ怕兮トシテ、嬰児ノ未ダワラハザルガ如ク、ツカレテ帰スル所ナキガ如シ。俗人昭々トシテ、我独リクラキガ如ク、俗人察察トシテ我独リ悶々タリ。・・・・・・」
学務部長に随喜の涙を流す吉田の姿が、急に、皮肉でも反語でもなく、誠に此の上無く羨ましいものに思はれて来た。


夜、床に就いてから、先刻の吉田の、脅迫云々の言葉を思ひ出し、向ふつ気が頗る強いが腕力の無い吉田が、其の時どんな態度をとつたのか、と考へて見たら、をかしくなつて来た。自分だつたらどうするだらうと、考へて見た。
まことに意気地の無い話だが、私は、暴力―腕力に対して、まるで対処すべき途を知らぬ。勿論、それに屈服して相手の要求を容れるなどといふ事は意地からでもしないけれども、たとへば、殴られたやうな場合、どんな態度に出ればいいのだらう。此の方に腕力が無いから殴り返す訳には行かぬ。口で先方の非を鳴らす?さういふ時自分の置かれた立場のみじめさ、その女のやうな哀れな饒舌が厭なのである。その位ならいつそ超然と相手を黙殺した方がましだ。併し其の場合にもなお、負惜しみ的な弱者の強がりが、(傍人に見えるのは差支へないとして)自分に意識されて立派とは思へない。といふよりも、私は、他人との間に暴力的な関係に陥つたといふ・その事だけで、既に、心中の大変な擾乱ぜうらん・動揺を免れない。暴力行使者への軽蔑とか、そんな議論は此の際三文の値打もなく、私の身体はふるへ、私の心は只もう訳もなくベソをかいて了ふのである。暴力の侵害(腕力ばかりでなく、思ひがけない野卑な悪意、誤解なども之に入れていい)に打克うちかつだけの力を備へてゐるのは結構に違ひないが、相手に対抗し得る腕力・権力を有たないでゐて、(或ひは有つてゐても、それを用ひずに)唯、精神的な力だけで悠揚と立派に対処し得る人があれば、尊敬しても宜いと思ふ。それはどんな方法によるか、私には想像もつかない。色々な有名な人物を考へて見ても、その社会的な背景を剥ぎ去つて、暴力の前にさらした場合に立派に対処できさうな人は中々思ひ当らないやうだ。

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カメレオンは愈々いよいよ弱つて来たやうで、後肢のつけ根の所の傷も、気のせゐか昨日より拡がつたやうに思はれる。胴が鮒などよりも薄い位で、細い肋骨ろつこつの列が外から見え、時々咽喉のどの辺をふくらませるのも、何か寒さうで痛々しい。矢張動物園へ持つて行かうと決心する。動物園は好きな場所だが、寄附する、とか、預ける、とかいふ話になると、いづれ東京市のお役人が出て来て、届けを書かせたりするのではないか。役人と役所の手続き程、やり切れないものはない。実際は簡単だと人の言ふものでも、役所への届とか手続きとかとなると、私は頭から煩瑣はんさなものに感じて、まるで考へて見る気もしなくなるのである。仕方がないから、東京から通つてゐる地理の教師のY君に頼んで上野へ持つて行つて貰はうと思ふ。学校の方では、もうこんな虫のことなんか忘れてゐるだらうから、断るにも及ぶまい。元のやうに、綿を敷いた箱に入れ、箱のふたに息抜きの穴をあけて、学校へ持つて行く。金曜だから、勤めのある日だ。
Y君に会つて、訳を話して頼む。承知して呉れる。今日帰りに真直に上野迄行かうと言ふ。


昼休に、食事を済ませてから暫く職員室にゐると、廊下で何か生徒等が騒ぎ始めたと思つたら、やがて扉があいて、去年の春結婚のために辞めた音楽の教師が、赤ん坊を抱いて、はひつて来た。「アラッ」と、それを見た女教師達は一斉に声を挙げた。関西にとついで行つてゐるのだが、主人が上京するのについて来たついでに寄つたのだといふ。さて、それからの、此の遠来の客に対する彼女達の――殊に未婚の老嬢達の挙動、表情、つまり外観に迄現れる彼女等の心理的動揺は、まことに興味深きものであつた。「赤と黒」の作者の筆を以てしても、恐らくは猶その描写に困難を覚えようと思はれた。羨望、嫉視、自己の前途への不安、酸つぱい葡萄ぶだう式の悲しい矜持きようぢ、要するに之等の凡てを一緒にした漠然たる胸騒ぎ。彼女等は口々に赤ん坊(全く、色が白く、可愛く肥つてゐた)の可愛らしさを讃めながら、男性をとこには想像も出来ない貪婪どんらんな眼付きを以て、幸福さうな若い母を、一年前とはすつかり変つて了つた髪かたちを、見違へる程派手になつた其の服装を、(学校に勤めてゐた時は洋服だつたのに、今日は和服である)――さうして、其等凡てから読み取らるべき生活の秘密をむさぼるやうに探らうとする。赤ん坊を抱き取つて、あやしながら其の顔に見入る眼差に至つては、子供一般に対して婦人のつ愛情とは全く別な激しさを以て爛々と燃え、複製を通じて原画を想像しようとする画家の眼といへども、到底この熱烈さには及ぶまい。
三十分ばかり話してから帰つて行つた此の若い母親と色白の男の赤ん坊とは、老嬢達の上に通り魔のやうな不思議な作用はたらきを残して行つた。午後を通じて、ずつと、独身の女教師達の落着きの無さは、兎角かうした事に気のつかない私のやうな者にも明らかに看取された。人間の心理的動揺が気圧に何かの影響を及ぼすものだとしたら、午後の職員室の此のモヤモヤしたものは、確かに晴雨計の上に大きな変化を与へてゐるに違ひないと思はれた。老襄達は数年前から同じ職員室の同じ机の前に腰掛け、同じ教室で同じ事柄を生徒に説き聞かせてゐる。来年も更来年も、恐らくは又その次の年も、神々の属性の一つである「絶対の不変性」を以て之を繰返すであらう。そのうちに彼女等の中に在つた、ほんの僅かの貴いものも次第に石化して行き、つひに、男とも女とも付かない――男の悪い所と女の悪い所とを兼ね備へた怪物、しかも自分では、男の良い所と女の良い所とを両ふたつながら有つてゐると自惚れてゐる怪物に成上つ了ふ。
今日職員室を訪れた若い母親――先の音楽の教師は、去年私がこの学校へ来てから一月程して職を辞したのである。其の頃の先生としての彼女と、今日の母親としての彼女とを比べて見る時、――音楽の先生といふものは、他の学課と違つて遥かに自由な、派手な、教師臭くないものではあるが――それでも、今日の方が一年前より如何いかに楽しげに、明るく、若々しく見えたことだらう。
教師といふ職業不知不識しらずしらずの間に身をつけさせる固さ。ボロを出さないことを最高善と信じる習慣から生れる卑屈な倫理観。進歩的なものに対する不感症。さういふものが水垢みずあかのやうに何時の間にか溜つて来るのだ。「学校の先生が、生徒でない一人前の大人おとなと話する時には、リリパットから帰つて来たガリヴァのやうに、理解力の標準を換算するのに骨が折れる」と、ラムは言ふ。理解力だけだつたら、こんな幸ひな事はない。

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カメレオンの籠には、もうカメレオンはゐない。綿が元の儘に敷かれ、止り木も元の儘にかかつてゐる。
去年の春から、一年半ばかりの間に、この籠に三種の動物が住んだ。最初は、黒い眼の周囲を白く縁取つた・見るからにいたづらつ児らしい黄牡丹きぼたんインコのつがいである。これは一年近くゐたが、一羽が病気(?)で死んだので、残った方も人にやつて了つた。次は、翼があゐで胸の真紅な大きな鸚鵡あうむ。之はかなり立派で、止り木にとまつたまま、うつらうつらとうたた寝するところなど、仲々に渋いものがあり、娼婦の衣裳をまとうた哲学者だ、などと喜んでゐたのだが、到頭餌のやり忘れで死なせて了つた。寂しいといふ程ではないが、余り愉しい気持ではない。


授業の無い日だが、Y君に昨日の様子を聞くために学校へ行く。Yの話によると、動物園でも大変喜んで受けて呉れた由。「大変大きいカメレオンですね。うちに今ゐる奴は殆どこの半分位しかありませんよ」と言つてゐたさうだ。尚、死んだ場合には剥製用として学校の方へ送つて貰ふ約束にして来たといふ。Y君に礼を云つて、帰らうとすると、「夕方から南京町ナンキンまちでK君のために祝ひの会をすることになつてゐるから、出て呉れませんか」と言はれた。出席する旨返事して、学校を出る。
K君は二週間程前、英語の高等教員検定試験に合格したのである。この間カメレオンを貰つた日に、K君の受持のクラスの生徒が二三人、おせつかいにも次の様な話を私に告げて呉れた。何でも其の前々日かの昼休の時、K君が受持の級へ行つて、「昨日の○○新聞の神奈川版に少し見たい所があるんだが、君達の中で誰かうちにそれがあつたら持つて来て呉れませんか」と言つたのださうだ。それで級の者が何人か家からその日附の神奈川版を持つて来て見たところ、其処には、小さくではあつたが「Y女学校のK教諭見事高検にパス」と出てゐたのだといふ。「それをわざわざ私達に知らせる為に持つて来させたのよ。いやんなつちやうわ。ほんとに」と生徒の一人は、生意気な口をきいた。いくら若くても、まさか、とは思ふが、さういへば、そんな莫迦ばかげた真似もやりかねない程の、K君の有頂天うちやうてんぶり(得意気に試験の模様を皆にふれ廻つたり、急に女学校の教師なんか詰まらないと言出して見たり)であつた。
人間は何時迄たつても仲々成人おとなにならないものだと思ふ。といふより、ひげが生えてもしわが寄つても、結局、幼稚さといふ点では何時迄も子供なのであつて、唯、しかめつらしい顔をしたり勿体をつけたり、幼稚な動機に大層な理由附を施してみたり、さういふ事を覚えたに過ぎないのではないか。誰もめて呉れないといつてべそをかいたり、友達に無意味な意地悪をして見たり、狡猾ずるをしようとしてつかまつたり、みんな子供の言葉に飜訳できる事ばかりだ。だからK君の愛すべき自己宣伝なども、かへつて正直でいいのだと思ふ。
帰途山手の丘を廻つて見る。
まだ十時ごろ。極く薄い霧がずうつと立罩たちこめて、太陽は空に懸つてゐるのだが、見詰めても左程まぶしくない。磨硝子すりガラスめく明るい霧の底に、四方の風景が白つぽく淀んでゐる。昨夕から引続いて、風は少しも無い。四辺の白さの底に、何か暖かいほんのりしたものさへ感じられる。
ポケットが重いので手をやつて見ると本がはひつてゐる。出して見るとルクレティウスである。今朝着て来た上着は久しく使はなかつた奴だから、この本も何時ポケットに入れて持ち歩いたものやら、記憶がない。
基督教会クライスト・チヤアチつたが葉を大方落し、つるだけが静脈のやうに壁の面に浮いて見える。コスモスが二輪、柵に沿って、ちぢれながら咲残つてゐる。海はもやではつきりしないが、おおきな汽船ふね達の影だけは直ぐに判る。時々ボーボーと汽笛が響いて来る。
代官坂の下から、黒衣をかづいた天主教の尼さんが、ゆつくり上つて来る。近附いた時に見ると、眼鏡をかけた・鼻の無闇に大きな・醜い女だつた。
外人墓地にかかる。白い十字架や墓碑のむらがつた傾斜の向ふに、増徳院の二本銀杏いちやうが見える。冬になると、裸の梢々が渋い紫褐色にそそけ立つて、ユウゴウか誰か古い仏蘭西フランス人の頰髯をさかさまにした様に見えるのだが、今はまだ葉も、ほんの少し残つてゐるので、其の趣は見られない。
入口の印度人の門番に一寸会釈して、墓地の中にはひる。勝手を知つた小径々々こみちこみちを暫くぶらつき、ヂョーヂ・スィドモア氏の碑の手前に腰を下ろす。ポケットからルクレティウスを取出す。別に読まうといふ訳でもなく、膝に置いた儘、下に拡がる薄霧の中の街や港に目をやる。
去年の丁度今頃、矢張霧のかかつた朝、こんも同じ場所に坐つて街や港を見下したことがあつた。私は今それを思ひ出した。それが何だが二三日前のことのやうな気がした。といふより、今も其の時から続いて同じ風景を眺めてゐるやうな変な気がした。私の心に時々浮かんでくる想像――一生の終りに臨んで必ず感じるであらう・自分の一生の短かさ果敢はかなさの感じ(本当に肉体的な、その感覚)を直接ぢかに想像して見る癖が、私にはある―が、又ふつと心をかすめた。一年前が現在とまるで区別できないやうに思はれる今の感じが、死ぬ時のそれに似たものではないかと思はれたからである。坂道を駈降る人のやうに、停れば倒れるので、止むを得ず走り続けて行く。さういふのが人間の生涯だ、と云つたのは誰に言葉だつたらう。
少し隔たつた処に極く小さい十字架が立つてゐて、前に鉢植のヂェラニウムが鉢ごとけられてゐる。十字架の下の、書物を開いた恰好の白い石に、 TAKE THY REST と刻まれ、生後五ヶ月といふ幼児の名が記されてゐる。南傾斜の暖かさでヂェラニウスはまだあざやかな紅い花を着けてゐる。
ういふ綺麗な墓場へ来ると却つて死といふものの暗さは考へにくい。墓碑、碑銘、花束、祈禱、哀歌など、死の形式的な半面だけが、美しく哀しい舞台の上のことのやうに、浮かび上つてくるのである。
エウリピデスの作品の中の一節。ヒポリュトスの継母のファイドラが不倫の愛情に苦しんでせつてゐる傍で、彼女の乳母が、まだ其の理由を知らないながらに、彼女を慰めてゐる。
「人間の生活といふものは、苦しみで一杯でございます。その不幸に休みといふものがございません。しかし、し人間にこの生活よりもつと快いものが仮りにあるとしても、闇がそれを取囲み、我我の眼から隠し了つてゐます。それに此の地上の存在といふものはかがやかしいやうに見えますので、私共は狂人のやうにそれに執着するのでございます。何故と申しまして、私共は他の生活を存じませんし、地下で行はれてゐることに就いては何も知る所がございませんから。」
こんな言葉を思出しながら、周囲の墓々を見廻すと、死者達の哀しい執着が――「{{r|願望|ねがひ}]はあれど希望のぞみなき」彼等の吐息が、幾百とも知れぬ墓処の隅々から、白い靄となつて立昇り、さうして立罩めてゐるやうに思はれる。


ルクレティウスをつひに開かれないままに、私は腰を上げる。海の上のけむつた灰色の中から、汽笛がしきりに聞えてくる。傾斜した小径を私はそろそろ下り始める。


 

注釈[編集]

この著作物は、1942年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)50年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。


この著作物はアメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。