名人傳 (草稿)

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本文[編集]

(述而不作品と孔夫子は言ふ。私もその顰みに倣はうと思ふ。創意無しとの批難は甘んじて受けよう。たゞ、この話の眞實なことだけは信じて頂きたい。)
〔趙の國に隱れもない〕弓の名手・紀昌が其の妙技を公開するといふ。それを見ようものと、邯鄲の町の・とある廣場〔に〕は、黑山のやうなひとだかりである。的の代りに〔楊〕柳の枝を選び、百步を隔てて其の葉を射落すのだ。烏號の弓に基衞の矢を番へ、きりゝと引絞つて眸を凝らせば、衆人は水を打つた〔るが如く〕やうに鳴りをしづめ、かたづを吞んで紀昌の動きを見守る。矢が弦を離れる。弦を離れた矢は、謬たず細い柳の葉を射切る。葉柄も殘さず、さて又、枝には釐毫の傷をもつけぬ。最期の矢が未だ柳葉に達せぬ中に、早くも第二の矢は弦を離れ〔てゐ〕る。第三第四第五と息つく暇も無く續いて放たれる矢は、それ〲〔次々に〕細かい柳の葉をあやまりなく一つづつ丹念に落して行く。瞬く間に柳の枝は裸になつた。〔しかも〕その枝には依然些かの〔何の〕傷もつ〔いてをらぬ〕かぬ。群集の喝采が雷の如くに起つた。
喝采の聲がやゝ鎭つた頃、人々の背後から、傍若無人な高笑の聲が響〔いた〕っく。一齊に振返つた衆人の目は、〔瘦せた丈〕長身瘦軀、粗服をまとうた蓬髮の男〔の傲然たる顏付(を見出した)〕の上に集まる。「井蛙大海ヲ語ルベカラズ」と高らかに言放つと、その男は又も嘲る如き笑ひ聲を立て〔た〕る。紀昌〔が〕は怫然として色を作したことは〔いふ迄もない〕勿論である。〔見知らぬ〕長身蓬髮の男〔は〕が早速人垣の中に呼〔込〕入れられ、腕比べを挑まれたことは〔も、之又〕言ふ迄もない。見知らぬ男は欣然として挑戰に應〔じた〕ずる。紀昌に渡された弓を手に〔し〕するや同じく柳の葉の的に立向うたが、何を思つたか、傍の者に一椀の水を所望した。緣迄水を湛へた椀が運ばれた時、彼の男はそれを〔受取つて〕己が右肱に載せさせた。さて、さうした姿勢で彼は剛弓を引き始める。柳葉を射切る確かさは紀昌に劣らず、續け樣にい射放つ其の速さに至つては遥かに之を超えてゐる。しかも、肱の上の椀の水は微動だもしない。柳の枝を丸坊主にし終ると、その男は肱の上の椀をとり、一滴もこぼざぬ〔こと〕しるしを紀昌に示した。紀昌は色を失つたまゝ、默然として一語も發せぬ。「さらば、今ひとつ」と、男は再び弓を取上げる。柳葉を退け尋常の的を立てさせると、百本餘りの矢を手許に〔置いて、〕用意し〔て、〕た。と思ふと、忽ち、目にも止らぬ超人的な速射が始まる。第一矢が的にあたれば、つゞいて飛來した第二矢は、あやまたず第一矢の括(やはず)に當つて突きさゝ〔り、〕る。更に第三〔の〕矢は第二〔次〕矢の括に〔突き刺さる〕くひこむ。矢々(しし)相屬し、發々相及んで、後矢の鏃は必ず前矢の括に當り絕えて落ちることがない。群集はたゞ〔風〕疾風の〔走る〕如き音を聞き、〔射手の〕弓〔から〕と的〔に至る〕との間をタエズ走ル〔一本の線の影を〕黑き影ノ如キモノヲ見たに過ぎぬ。瞬く中に百本の矢を射終へた時、人々は始めて、そこに成とげられた奇蹟ヲ見テ思はずアツと聲を立てた。といふのは、〔良く見れば、〕驚くべし、良くみれば百本の矢が悉く一本の矢の如くに連なり、的から一直線につゞいて引かれたその最後の矢の括は猶弓の弦を銜〔んで〕むが如く〔であつた〕に見えたからである。
紀昌は、まだ弓を手にした其の男の前に〔出て〕行つて素直に叩頭し〔て、〕師弟の禮をとらんことを懇ろに乞うた。


長身蓬髮の其の男は、飛衞とて隣國燕の國に聞えた弓の上手であ〔つた〕る。
飛衞の門に入つた紀昌は、先づ「瞬かざることを學へ[# 1]」と言渡された。瞬くことは、視覺の中斷であるのみならず、又、精神〔集注〕統一を此の上無く妨げるものだからである。紀昌は家に歸ると、妻の機織臺の下に潛り込んで、そこに仰向けにひつくり返つた。眼〔前一寸と隔らない所を〕とすれに機躡(まねき)が忙しく上下往來するのをじつと瞬かず見詰めてゐようといふ工夫である。理由をしらない妻は大いに驚いた。第一、妙な姿勢を妙な角度から夫に覗かれ〔るの〕ては〔敵はない。〕困るといふ〔のである〕。いやがる妻を、しかし、紀昌は無理に叱りつけて機を織り續けさせた。來る日も來る日も彼はこの可笑しな恰好で、まばたきせざる習練を〔積〕重ねる。二年の後には、遽だしく往返する牽挺が睫毛を掠めても絕えて瞬きすることがなくなつた。彼は漸く機の下から匍出す。早速銳利な錐の先を以て己が瞼を突か〔せ〕れても、まばたきをせぬ迄になつてゐた。不意に火の粉が目に飛入らうとも、目前に突然灰神樂が立たうとも、彼は決して目をパチつかせない。彼の瞼は、もはやそれを閉ぢ〔方〕るべき筋肉の使用法を忘れ果て〔たやうである。といふのは、その頃になると既に、夜睡る時でも紀昌の眼は閉ぢることが〕、夜睡つてゐる時も、紀昌の目はクワツと大きく見開かれたまゝである。境に彼の目の睫毛と睫毛との間に小さな一匹の蜘蛛が巢をかけるに及んで、彼は漸く自信を得て、師の〔許〔へ〕に〕飛衞に之を吿げた。
飛衞が(それを聞いて)言ふ。瞬か〔ざるのみ〕ないだけでは、未だ射を言ふに足りぬ。〔ついで〕次は視ることを學〔ぶがよい。〕〔ばねばならぬ。〕べ。視ることに熟して、さて、小を視ること大の如く、微を見ること著の如くなつたならば、來つて我に吿げるが良いと。
紀昌は再び家に戾り、肌着の縫目から虱を一匹探し出して、之を己が髮の毛を以て繫いだ。さうして〔之〕それを南向きの牗にかけて、終日睨み暮すことにした。來日も彼は窓にぶら下つた虱を見つめる。初め、勿論それは一匹の虱に過ぎない。二三日たつても、依然として、虱である。所が十日餘り過ぎると、氣のせゐか、どうやらそれがほんの少しながら大きく見えて來たやうに思はれる。二月目の終りには、明らかに蠶ほどの大きさに見えて來た。虱を吊した窓の外の風〔物〕景は次第に移り變る。煕々として照つてゐた春の陽が何時か烈しい夏の陽に變り、澄んだ秋の空を高く雁が渡つて行つたかと思ふと、はや、〔霙降る〕寒々とした灰色の〔寒〕空〔に〕から霙が落ちかかる。紀宣ママは根氣よく毛髮の先にぶら下つた有吻類催痒性の小節足動物を見續けた。その虱も何百匹となく取換へられて行く中に、早くも、春風秋雨三年の月日が流れた。或日不圖氣がつくと、窓の虱が馬の樣な大きさに見え〔てゐ〕た。占めたと紀昌は膝を打ち、表へ出て見る。紀昌は我が目を疑つた。人は高塔〔の如く〕であ〔る〕つた。馬は山であ〔る〕つた。〔犬〕豚は丘の如く、〔猫〕雞は〔家〕城樓と見え〔た〕る。雀躍して家にとつて返した紀昌は、再び窓際の虱に立對ひ、燕角の弧(ゆみ)に朔蓬の簳(やがら)をつがへて之を射れば、矢は見事虱の芯の贓を貫いて、しかも虱を繫いだ毛さへ斷(き)れぬ。
紀昌は〔直ちに〕早速師の許に赴いて之を報〔じた〕ずる。〔之〔それ〕をきくや〕飛衞は高蹈して膺を拊ち、はじめて、「出かしたぞ」と襃めた。さうして、直ちに射術の奧〔術〕儀祕傳を剩す所なく紀昌に授け〔た〕始め〔る〕た。目の基礎訓練に〔は〕五ヶ年を〔要したが、〕かけただけの甲斐があつて、技術の上の奧儀傳授には〔三日〕一月も〔いらぬ〕かゝらぬ。
紀昌の腕前の上達〔に〕驚く〔べきものがあ〔つた。〕る。〕程速い。
〔さて、〕最早師から學び取るべき何ものも無くなつた紀昌は、或日ふと良からぬ考へを起した。(冒頭に述而不作などと宣言して了つた手前、いやでも古書の本文通りに記述せねばならぬ羽目に陷つた。さもなくば、寓話作者の・〔勝手な〕自由な裁量によつて此の項を削り去り、以て名人紀昌の道德的純潔を保證したいのは山々なのだが。)〔といふのは、その時〕さて、紀昌が〔祕かに〕獨りつくと考へるには、當今弓を以て己に敵するべき者は、師の飛をおいて外に無い。天下第一の名人となるためには、どうあつても飛衞を除かねばならぬと。潛かにその機會を窺つてゐる中に一日偶ぐ々郊野に於て、向ふから唯一人步み來る飛衞に〔會し〕出逢つた。突嗟に意を決し〔て〕た紀昌が矢を取つて狙ひをつければ、その氣配を察して飛衞も亦弓をとつて相應〔じ〕ずる。二人交々射れば、矢はその度に中道に相當り共に地に墜ちた。地におちた矢が輕塵をも揚げなかつたのは、兩人の技が共に神に入つてゐたからであらう。さて、(矢が紀昌に與したものか、)飛衞の矢が盡きた時、紀昌の方はなほ一矢を餘してゐた。得たりと勢込んで紀昌が此の矢を放てば、飛衞は突嗟に傍に生えてゐた野茨の〔棘〕枝を折りとり、その棘の先端を以て、ハツシと鏃を叩き落した。境に〔野〕非望のとげられないことを悟つた紀昌の心に、成功したならば決して生じ〔覺え〕なかつたに違ひない道德的慚愧の念が、此の時忽然として、湧起つた。(之が、師の技倆に對する純粹な感嘆と結びついて彼(紀昌)の目に不思議な淚を泛べさせた。)(飛衞の方では、又、危機を脱し得た安堵と、己が腕前についての滿足とが、敵に對する憎みをすつかり忘れさせた。二人は互ひに駈寄ると、野原の眞中に相抱いて、しばし美しい師弟愛の淚にかきくれた。〔と、古い書物には、さう記されてゐる。但し〕(凡て之等を、今日の道義〔感〕觀を以て見るべきでないことは勿論である。美食家の齊の桓公が、己の未だ味はつたことのない美味を求めた時、宰の易牙が己が息子を蒸燒にして之をすゝめた。十六歲の少年秦の始皇帝は父が死んだその晚、父の寵姬を三度襲うて、つひに之を犯した。すべてそのやうな時代の話である。と思つて頂きたい)
淚にくれて相擁しながらも、再び紀昌がかかる企みを〔藏する〕抱くやうなことがあつては甚だ危いと〔考へ〕思つた飛衞は、紀昌に新たな目標を與へてその氣を轉ずるに如くはないと考へた。彼は此の危險な弟子に向つて言つた。「最早傳ふべき程のことは悉く傳へた〔故、〕。儞がもし之以上斯の充ちの蘊奧を極めたいと望むならば、ゆいて西の方大行の嶮に攀ぢ、霍山の頂を極めよ。そこには、甘蠅老師とて〔齡百歲を超える〕古今を曠しうする斯道の大家がをられる筈。〔今は儞に〕老〔甘蠅〕師の技に比べれば、我々の業の如きは兒戲に類する。儞の師と〔して仕ふ〕恃むべき〔人〕は、今は甘蠅師の外にあるまいと。
紀昌は直ぐに西に向つて旅立つ〔た〕。その人の前に出ては我々の技の如き兒戲に類するといつた飛衞の言葉が彼の自尊心にこたへた。兒戲に類するかどうか、兎にも角にも早くその人と會[# 2]つて腕を比べたいと焦りつゝ、彼はひたすらに道を急〔いだ〕ぐ。足裏を破り脛を傷つけ、危巖を攀ぢ棧道を渡つて、一月の後に、彼は漸く目指す山巓に辿りつ〔いた〕く。きおひ立つ紀昌を迎へたのは、羊のやうな柔和な目をした・しかし酷くよぼの爺さんである。年齡は百歲をも超えてゐやう。腰の曲つてゐるせゐもあつて、白髯は步く時も地に曳きずつてゐ〔た〕る。相手がつんぼかもしれぬと大聲に、據ママだしく紀昌〔が〕は來意を吿げる〔のを甘蠅老人は穩かな笑〔聲〕顏を以て聞いてゐる〕。焦〔りにあせつた〕り立つた紀昌は、〔己が技の程を見て貰っひたい旨を述べると、〕相手の返事もまたず、いきなり、背に負うた楊幹麻筋の弓を外して手にとつた。さうして石碣の矢を蹯ママへてきりゝと引絞ると、折から空の高く〔渡り連れだつ〕とび過ぎて行く渡り鳥の群に向つて、狙ひを定め〔た〕る。一箭、忽ち三羽の大鳥が鮮やかに碧空を切つて落ちて來る。〔如何と〕「一通り出來るやうぢやな」と老人が穩やかな笑を含みながら云ふ。「だが、それは、所詮、射之射(しやのしや)といふもの。好漢未だ不射の射を知らぬと見える」
ムツとした紀昌を導いて、老穩者は其處から二百步ばかり隔たつた絕壁の上迄つれてくる。足下は文字通りのべママうぶの如き影立千仭、遥か眞下に絲のやうな細さに見える溪流を一寸覗いたゞけで忽ち眩暈を感ずる程の高さである。その斷崖〔の上に半ば〕から宙に乘出した危石〔を指して〕の上につかと老人〔がいふ。〕は駈上り、ふり返つて紀昌にい〔つた〕ふ。「どうぢや、この石の上で、先刻の業を今一度繰返して見せぬか」今更引込もなら〔ず、〕ぬ。老人と入替りに紀昌がその石の上にのつた時、石はかすかにグラと搖つた。〔それでも〕强ひて氣をはげまして〔弓〕矢をつうがへようと〔した時〕すると、丁度崖の端から小石が一つ轉り落ちた。その行方を目で追うた時覺えず紀昌は石上に伏した。脚はワナと慄へ、汗は流れて踵に迄至つた。老人は笑ひ乍ら手を差のべて彼を石から下し、自ら代つて之にのると「それでは己が代つて射といふものをお目にかけよう」と紀昌に言つた。まだ動悸が定まらず蒼ざめた顏をしてゐたが、紀昌は直ぐに氣がついて言つた。
「しかし、弓はどうなさる?弓矢は。」老人は素手〔で石の上〕だつたのである。「弓?」と老人は笑〔つた〕ふ。
「不射之射にはな、烏漆の弓も、肅愼の矢も要らぬ〔のぢや〕。弓矢のいる中はまだ射之射ぢや。」丁度彼等の眞上、空の極めて高い所を一羽の鳶が悠々と輪を畫いてゐた。その胡麻粒ほどに小さく見える姿をしばらく見上げてゐた甘蠅〔は〕が、やがて、見えざる矢を無形の弓につがへ、滿月の如くに引絞つて、ひようと放てば、見よ、鳶は中空から、羽ばたきもせず石の如くに落ちて來〔た〕る〔ではないか〕。紀昌は〔茫〕慄然とした。今始めて藝道の深淵を覗き得て、先程の絕壁を覗いた時の戰慄を再び新たにしたのである。
九年の間紀昌は此の老名人の許に留まつた。その間、如何なる修業を積んだものやら、それは誰にも判らぬ。
九年たつて山を降りて來た時、人々は紀昌の變つたのに驚いた。昔の〔精氣に溢れた面構へが〕不敵な、精悍な氣魄は何處かに影をひそめ、何の表情もない・木偶の如く愚者の如き容貌に變つてゐた。久しぶりに舊師の飛衞を訪ねた時、しかし、飛衞はこの顏付を一見〔して〕すると感嘆して叫んだ。之でこそ始めて天下の名人だ。我儕の如き、足下に及ぶものでないと。趙の邯鄲の都は、天下の名人となつて歸つて來た紀昌を迎へて、やがて眼前に示されるに違ひない其の妙技への期待で湧返つた。所が紀昌が一向にその要望に應へようとしない。いや、弓さへ絕えて手に取ら〔ないのである〕うとしない。山に入る時にへて行つた楊幹麻筋の弓さへ何處かへ棄てゝ來た樣子である。そのわけを訊ねた一人にこたへて紀昌は懶げに云つた。「至爲ハ爲スナ〔シ〕ク、至言ハ言ヲ去リ至射ハ射ルコトナシ」と。成程と、至極物分りのいい邯鄲の都人士は直ぐに合點した。〔その後當分の間、此の都では、畫家は繪筆を捨て樂人は瑟を鼓することを恥ぢや。〕弓を執らざる弓の名人は彼等の誇となつた。紀昌が弓に觸れなければ觸れない程、彼の無敵の評判は愈々宣傳された。種々〔の〕な噂󠄀が人々の口から口へと傳はる。〔何でも}每夜、〔三更を過ぎる頃、〕人々の寐靜まつたあとで、紀昌の家の〔上空で、〕屋根の上〔で〕に、何者の立てるとも知れぬ弓弦の音がする。名人の內に宿る射術の神が、主人公の眠つてゐる間に體內を脱出し、〔夜〕妖魔を拂ふべく徹宵屋上で守護に當つてゐるのだといふ。彼の家の近くに住む一商人は或夜、紀昌の家の上の空〔で、〕の雲の上で、〔久しぶりに〕めづらしくも弓を手にした紀昌あ、古の名人羿と養由基の二人〔と〕を相手に腕比べをしてゐるのを、たしかに見たと言出した。その時三名人の放つた矢はそれ夜空高く靑白い光茫ママを後に曳きつゝ參宿と天狼星との間に消去つたと。紀昌の家に忍び入らうとした所、塀に〔手〕足をかけた途端に一道の殺氣がしんかんとした家の中から奔り出て、まともに額をうつたので覺えず外に顚落したと白狀した盜賊もある。〔彼の家の上を飛ぶ鳥共は、何者かの氣にあてられて忽ち地に墜ちる〔といふ。〕さうな。〕邪心を抱く者共は、彼の住居の十町四方を避けて〔通るやうになつた。〕𢌞り道をし、賢い渡り鳥共は彼の住居の上空を〔避けて〕通らなくなつた。
雲と立罩める名聲の只中に、名人は次第に老いて行つた。下山以來、既に早く射を離れた彼の心は、益々枯淡虛靜の域にはひつて行つたやうである。天下第一の名人を目指して〔奪ひ〕ゐた頃のウツボツたる悌ママは何處に求めようもない。木偶の如き彼の顏は〔益々〕更に表情を〔なくし〕失ひ、語ることも稀となり、つひには呼吸の有無すら疑はれるに至つた。「すでに我と彼との別、是と非との分を知ら〔ず〕ぬ。〔之〕眼は耳の如く、耳は鼻の如く、鼻は口の如〔し〕く思はれる。」といふのが、老名人の〔最後の〕晚年の感懷であ〔つた〕る。
〔斯くて、〕甘繩師の許を辭してから四十年の〔間、絕えて〔弓〕射を口にすることが、〕後、名人紀昌は、〔まことに〕靜かに、誠に煙の如く靜かに世を去つた。その四十年の間彼は絕えて射を口にすることがなかつたのである。勿論、寓話作者としては、最後にああたつて此の老名人に驚天動地の大活躍をさせ以て、名人の眞に名人たる所を示さ〔なければ、〕せたいのは山々ながら、〔どうも物語の結構としても甚だまづいのだが、〕何としても事實をまげるわけには行かぬ。實際、老後の〔彼は〕紀昌については、たゞ、無爲にして化したとばかりで、〔たゞ〕次の樣な妙な話〔が〕の外には、何一つ、射に關する話〔は〕が傳はつてゐないのだから[# 3]
その話といふのは、彼の死ぬ一二年前のことらしい。或る日、老いたる紀昌〔は〕が知人の許に招かれて行つた〔が〕ところ、その家〔の〕で一つの器具を見〔(付け)〕た。確かに昔自分の知つてゐる筈の道具だが、どうしてもその名が思出せぬし、その用途も思ひ當らない。老人はその家の主人に訊ねた。その物は何といふ名のもので、又何に用ひるのかを?〔相手〕主人は〔紀昌〕客が冗談を言つてゐるとのみ思つて、それに應ずるべくニヤリととぼけた笑ひ方をした。老紀昌は眞劔になつて再びたづねた。それでも相手はアイマイな笑をうかべて、何と返事をしたものか考へてゐる樣子である。三度、紀昌がまじめな顏をして聞いた時、始めて主人の顏に〔狼狽の〕驚愕の色が現れた。彼は客の眼を凝乎と見つめた。〔(さうして、)〕相手が冗談をいつてゐるのでもなく、氣が狂つてゐるのでもなく、又自分が間違ひをしてゐるのでもないことを確かめると、彼は殆ど恐怖に近い狼狽を示し〔ながら、大聲で、〕て吃りながら叫んだ。
「あゝ、〔貴方〕夫子が、――〔弓〕古今無雙の射の名人たる貴方が、弓を忘れ〔たのですか。〔るなんて。〕弓を。〕果てられたのか。弓の名も弓の使ひ途も[# 4]。」
その後當分、邯鄲の都では、畫家は繪筆を隱し、樂人は瑟の弦を斷〔つたといふことであり、〕ち、工匠は規矩を手にすることを恥ぢたといふことである。

注釈[編集]

  1. 欄外に「爾先學不瞬而後可言射矣」
  2. 欄外に「六弓四弩八矢之法 桃弦棘矢 桑弦蓬矢 肅愼矢、石碣矢、屈盧由美、烏漆弓 楊幹麻筋之弓秦弓 盧弓 楛弓(尺八) 挹婁弓(四尺)」
  3. 欄外に「晚年の彼については次のやうな話しか傳はつてをらぬ。」
  4. 別行に「果てられたとや?あゝ、弓の名も弓の用途も悉く忘れられたとや、あゝ、古今無雙の名人が、あゝ、」
    「「あゝ、すつかり?〔忘れ果てる〕あゝ?」何としたことだ!これは。」


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