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  • 高野山引導院原本で校訂した国史研究会の刊行物を底本とする。 底本: 慶尼 著『慶尼の記』合刻,『武田三代軍記』2,黒川真道 編,国史研究会,大正5. 国立国会図書館デジタルコレクション:info:ndljp/pid/948812 挿絵: 慶尼『慶尼の記』,和泉屋金右衛門…
    49キロバイト (8,892 語) - 2024年5月4日 (土) 18:06
  • 靑山ダモハルカニ遠シ。其中ニ眺望末ニアタリテ。幽ニ高野山ミユ。山門寺中ノコトナムドモオモヒヤラレテ。アハレニオボエテ。舟中ノ人々ニアスヨリハ高野ノミユル所ハ有間敷歟ト問バ。淡路山中ニ入候ナバ高野ノミユル所ハヨモ候ハジトイフヲ聞テ。  はなれくる高野の山の霞をもけふはかりやはなかめ暮さん…
    389バイト (4,005 語) - 2024年7月4日 (木) 12:27
  • 長禄記 編者:近藤瓶城 明治35年 1902年 『長禄記』(ちょうろくき) - “畠山義就河内の岳山籠城の事、及ひ落城の後、高野吉野の奥に潜むの事を記せり、末に阿州若江寺右筆主祐全、文明十四年仲春下旬之比如㆑本写㆑之畢とあり” -『改定史籍集覧総目解題』より 底本: 近藤瓶城 編『史籍集覧』第13冊…
    44バイト (7,747 語) - 2024年4月19日 (金) 06:19
  • 巻八。巻九。巻十。巻十一。巻十二。巻十三。巻十四。巻十五。巻十六。巻十七。巻十八。巻十九。巻二十。 目次   太閤記 巻十六 ○吉野花御見物之事 ○高野詣之事 ○於㆓大坂㆒新謡御能之事 ○利家亭御成之事 ○秀吉公有馬御湯治之事 ○呂尊(ルスン)より渡る壺之事 ○雍州之伏見殿下居城に御定之事 ○醍醐之花見…
    75バイト (10,950 語) - 2024年3月25日 (月) 14:33
  • 書アツメミルニ涙ノ袖ヌルヽ過行人ト身ヲモヲモヘハ          佐久間常關 今トテモ手ニ取テ見ルイニシヘハナカレトマレルクキノアト      春  之 性 物理人情自可明  何甞慼々向平世  卷舒在我有成算  用捨隨時無定名  滿目雲山倶是樂  一毫榮辱不須驚  侯門見説深如海  三十年前掉臂行…
    8キロバイト (1,648 語) - 2019年1月19日 (土) 01:40
  • 寄、様々の御立願有と聞て、偏執の心を挿ける故也。抑為釈門徒者は、以柔和宗とし以忍辱衣とする事にてこそあるに、根来と高野と、依何事是程迄に霍執の心をば結ぶぞと、事の起りを尋ぬれば、中比高野伝法院に、覚鑁とて一人の上人御坐けり。一度三密瑜伽の道場に入しより、永四曼不離の行業に不懈、観法座闌して薫修年久し…
    75キロバイト (18,383 語) - 2022年12月1日 (木) 08:02
  • しめたまふ、又山崎宗鑑が書きし廿一代集、尊応准后・飛鳥井栄雅両人が奥書せし定家卿真蹟の古今集、逍遥院・称名院両筆の三代集及び伊勢物語、又高野大師真蹟の般若心経、佐・行成の真蹟なども、同じくめづらかなるものなりとて、例の人々に見せしめたまひしとなり、〈駿府記、〉…
    91バイト (8,877 語) - 2024年5月10日 (金) 03:54
  • 正不破万作雑賀虎山田三十郎山本主殿助志水善三郎此外隆西堂等御供いとわびしかりけり、其夜は奈良中坊井上源五所を旅舘としましましけるか、方々よりの御見廻飛脚なとにてにきはひける事を、秀次公憚おぼされ、高野山へ見廻之儀一切御停止なさるゝ旨、駒井中務少輔益田少将方より触可㆑申にて即廻文に及ひき、又高野
    75バイト (9,214 語) - 2024年3月25日 (月) 14:34
  • 高野山(かうやさん)へ忍ばせ給ひて、連々(れん〳〵)以て御野心(ごやしん)なき通りを、仰(おほ)せ開かれ候へと申しければ、関白御輿(おんこし)を立てゝ、是れ迄出づるよりして其覚悟(かくご)なれば、今更(いまさら)驚くべきにあらず。聚楽にありながら御
    6キロバイト (31,392 語) - 2024年1月29日 (月) 16:47
  • こそあらまほしく。」と宣し、維盛卿の心中、誠と被思知たる。且くも懸る霊地に逗留して、猶も憂身の汚れを濯度思はれけれ共、軍旅に趣給ふ事なれば不協して、高野より紀伊の路に懸り、千里の浜を打過て、田辺の宿に逗留し、渡海の舟を汰へ給に、熊野の新宮別当湛誉・湯浅入道定仏・山本判官・東四郎・西四郎以下の熊野人共…
    37キロバイト (9,173 語) - 2022年12月1日 (木) 08:00
  • 筑前守頼家、申㆓請御袈裟㆒、随㆑身赴㆑任。邪病之人以㆓此袈裟㆒置㆓于枕上㆒。邪気即顕、又更不㆑発云々。 親王於㆓高野㆒百ヶ日修㆓尊勝法㆒。結願已訖還㆑宿。政所散位伊綱通㆑籍申云、一宿御儲万事尽㆑美、入㆑夜伊綱申云、最愛女子〈五歳〉夭亡、不㆑堪㆓哀傷㆒、欲㆑蒙㆓護持…
    129バイト (14,862 語) - 2024年2月10日 (土) 09:32
  • 仕り早々引上ぐべし。又附城をつけ、重ねて手間を得ざる様に仕り引取可申と、色々を尽し申しければ、景勝も尤と同じ、福原常陸を召して今度最上の武者奉行を命じ、三の手組を定めらるゝ。一番春日右衛門大夫、二番苧川修理、三番上泉主、都合一万余騎、直江山城守旗下後備八千余騎、其の勢都合二万騎にて、出羽山形・最上へこそは押寄せけれ。…
    177バイト (12,156 語) - 2024年2月3日 (土) 17:28
  • 有て、大師御入定の室の戸を開かせ給へば、嶺松含風顕踰伽上乗之、山花篭雲秘赤肉中台之相。前仏の化縁は過ぬれ共、五時の説今耳に有かと覚え、慈尊の出世は遥なれ共、三会の粧已に眼に如遮。三日まで奥院に御通夜有て暁立出させ給に一首の御製あり。高野山迷の夢も覚るやと其暁を待ぬ夜ぞなき安居の間は、御心閑に此山…
    60キロバイト (14,840 語) - 2022年12月1日 (木) 07:59
  • 高野大師安胎蔵界七百余尊守金輪宝祚。西寺には南都の周敏僧都金剛界五百余尊を顕して、被祈玉体長久。斯りし処に、桓武御宇延暦二十三年春比、弘法大師為求法御渡唐有けり。其間周敏僧都一人奉近竜顔被致朝夕加持ける。或時御門御手水を被召けるが、
    57キロバイト (13,747 語) - 2022年12月1日 (木) 08:02
  • て引にけり、永禄七年の春、元就の勢よりは河をこし富田の町を破らんと心さし、城方之勢は、こさせしと防き戦ひしにも、甚次郎は衆を離れ進み出、高野監物と鑓を合せ、終に高野を討てけり、七年之籠城のうち、敵川を越んとせし事あまたゝひにて有しか共、味方にも名をおしみ義を重んする兵共多かりし故、得もこさす、度々の…
    75バイト (8,089 語) - 2024年3月25日 (月) 14:34
  • 此の外にも追善の詩歌数多ありし也。誠に会者定離の習ひ、哀別離苦のり頼みなしとかや。   前田志摩の事   前田志摩は尊霊別して御念頃に被成けるに、思ひの外御早世ありければ、御いとをしみ深く、世の中物うく思はれ、さまをかへ高野山に引籠り、尊霊の御菩提のみ心に懸、朝夕灯明をかゝげ給ひ、則ち法名了…
    177バイト (13,936 語) - 2024年2月3日 (土) 17:30
  • にて讃岐國よりのぼり給ひて比叡の山へのぼり給ひき。はゝは弘法大師の御めいなり。同九年十一月十二日に弘法大師高雄より高野へかへり居給ふべきよし申し給ひしかば、太上天皇弘福寺たまはせき。高野より都に通ひ給はむ道のやどり所にしたまへとぞの給はせし。弘福寺は天武天皇の御願なり。同十年二月廿八日に御門位を御甥…
    398バイト (39,874 語) - 2022年6月6日 (月) 19:09
  • たはらへよけんとせしを、馬かた是を見、いたづら者にて馬に鞭をはたとあつる。此馬おどろきはねければ、どろを此人に思ふまゝにぞあびせたる。のりごはなる上下も泥染となり、打しをれみともなき有様は、高野証空上人(かうやしようくうしやうにん)の京へのぼる道にて馬の日引たる男に行逢うて、堀へおとされ腹あしく…
    438バイト (15,356 語) - 2024年2月1日 (木) 14:11
  • 一日。氏政(まさ)は秀吉(ひでよし)公のために切腹(せつぷく)し。氏直(なを)は高野山(かうやさん)に入。文禄(ぶんろく)元年十一月四日卒逝(そつせい)す。関白(くわんぱく)秀次(ひでつぐ)公は。文禄四年七月十五日。高野山にをいて。大閤(たいかう)のために切腹し。義昭(としあき)公は慶長(けいちやう…
    198バイト (10,786 語) - 2023年11月20日 (月) 01:53
  • すがに叶はせ給はで、恐懼の中に月日を送らせ給ける。結句竹原入道が子共さへ、父が命を背て、宮を討奉らんとする企在と聞しかば、宮潛に十津河も出させ給て、高野の方へぞ趣かせ給ひける。其路、小原・芋瀬・中津河と云敵陣の難所を経て通る路なれば、中々敵を打憑て見ばやと被思召、先芋瀬の庄司が許へ入せ給ひけり。芋瀬…
    32キロバイト (7,961 語) - 2022年12月1日 (木) 08:01
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