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  • ては、大御所の思召もいかゞなり、切腹仰付けられむも計り難し、本多佐渡守正信に、汝いそぎ住【 NDLJP:2-11】吉の御陣へ参り、よきに御気色とれ、直孝が家長一両人腹切らせ申すべきかと伺へと仰せらるれば、正信御陣に参りしに、君御覧じて、佐渡は何の用ありて来りたるぞ、定めて今朝の直孝が陣替に鉄炮打ちし…
    91バイト (7,505 語) - 2024年5月10日 (金) 03:50
  • 。脇坂淡路守兵ヲ率鐡炮セリ合而。依上意軍ヲアク。明石城ニ入。此ニエツタカ城ニハ。秀賴ノ將薄田隼人楯籠アイタ。大樹ノ御旗本ヲシテ。可被攻ト。廿五日。兩公亦天王寺ニ御出馬。本多佐渡守正信申上テ曰。御近習ノ衆勇進トイヘトモ。敵ノ剛弱多少場所ナト。武功者ヲ以被見分可然カト。正信申所尤被思召。佐久間備前
    8キロバイト (1,648 語) - 2019年1月19日 (土) 01:40
  • をしめりと聞きたり、かの家は今に謙信の遺風存せりとて、御称歎ましましけるとぞ、〈岩淵夜話別集、紀伊国物語、紀州根来由緒書、砕玉話、〉 【本多正信の謀議】本多佐渡守正信は帷幄の謀臣たり、君また正信を見給ふ事、朋友のごとくにて、台徳院殿には長者をもて優待せさせ給ふ、正信常に君をよびたてまつりて大殿と【…
    91バイト (6,522 語) - 2024年5月10日 (金) 03:53
  • 宣勝、故ありてよく扶助して、終りをとりしとなり、 【家康諸将と世子を議す】関原の役既に終りて、大久保治部大輔忠隣・本多佐渡守正信・井伊兵部少輔直政・本多中務大輔忠勝・平岩主計頭親吉の人々を召し、我男子あまたもてるが、いづれに家国を譲るべき、汝等思ふ所をつゝまず申せとの仰なり、正信は、三河
    91バイト (7,367 語) - 2024年5月10日 (金) 03:46
  • 本多佐渡守指図申すと聞えたり。牧野父子の働を秀忠公被聞召、御感に入り、無程御赦免被成けり。爰に本多中務娘を真田伊豆に嫁して、依田の城に居す。伊豆の妻女つく〴〵と思ふ様は、親にても安房居城を子の身として攻めける間、家来共心変ずる事あらんと思案して、伊豆出陣にて後も【…
    177バイト (12,156 語) - 2024年2月3日 (土) 17:28
  • 本多佐渡守・榊原式部大輔・大久保相模・酒井右兵衛・日根野筑後・石川玄蕃頭・仙石越前及び安房と、嫡子真田伊豆等、三万八千余にて御発向、御手間入り上方へ御遅延故、関ヶ原御一戦後御上洛なり。関ヶ原以後真田安房、上田城を開き、二男左衛門佐と父子ともに剃髪、黒衣になりて高野山へ登る。嫡男伊豆
    248バイト (17,421 語) - 2023年12月2日 (土) 18:51
  • 佐渡それがしは、徳川家の御内なる、本多佐渡守正信と年ごろ親しければ、彼により徳川殿を頼み進らせむ、徳川殿はさるたのもしき人にておはせば、人の危急を見ながら、よも見捨たまふ事はあるまじといふ、忠興、われもとより内府と親しからねば、頼むべき便なし、汝よきにはからへといふ、松井、本多
    91バイト (11,257 語) - 2024年5月10日 (金) 03:51
  • 、徳川には、よくも壮士のある事よといはれしとか、又石川伯耆数正が、岡崎を退去せし後、この城誰にらせむと老臣に議せらる、【本多重次岡崎を守る】本多佐渡守正信いふ、己が妻子を殺してもこ、の城と生死をともにせむもの然るべしと申す、しからば本多作左衛門重次に過ぎたるはあらじと宣ふ、即重次をめし、岡崎は…
    91バイト (10,216 語) - 2024年5月10日 (金) 03:52
  • 本多正信進み出で、御父子の御中に、さる事あげつらひ給ふもいかゞなり、古法によらせらるべしといふ、古法はいかにと御尋あれば、正信が承りしは、味方少しにても敵地に近くあるを先陣と定む、将軍家既に伏見におはしませば、元よりの御先手にましますと申せば、佐渡
    91バイト (9,796 語) - 2024年5月10日 (金) 03:51
  • して、酒井左衛門尉家次を駿府へ遣さる、家次見参の所、折烏帽子の下に綿帽子かぶりしが、いかゞしけむ、烏帽子脱げて綿帽子あらはれしかば、御気色悪しく、本多佐渡などは老年といひ、且もとよりおどけたる者なれば、綿帽子かぶる事もあれ、左衛門等が若年にて、その真似する事やは【…
    91バイト (5,593 語) - 2024年5月10日 (金) 03:50
  • 若干被討。佐久間大學多力ナリ。大長刀ヲ持。兵ヲハケマシ自身敵ニアタル。松平甚三郎。筧又藏。本多彌八郎進先登。大學盛重捕討。本多正信ハ膝䯊ヲキラレ。塀下ニ落。ソノ疵ニテチンハナリ。長命ニシテ將軍家爲家老號佐渡守。此外ウタルヽモノ多。盛重雖振猛威。信長公ノ御事ヲアンシ。城ニ放火。燒死體ヲ敵ニ見セ御跡ヲシタフ。…
    3キロバイト (493 語) - 2022年1月7日 (金) 03:24
  • てられ候へば、其儘敵崩れ申し候との御咄なり、 一、本多佐渡守仰付けらるゝは、飛騨殿は、西国筋の儀は申すに及ばず、既に高麗まで御渡海に候、先日本多下総殿に御遭ひ候て、今度仰付けられ候長柄の事、散々悪しく御談じ候由、承り候、夫に就き、存じ当り候、本多平八常々申したるは、一切武道具は、有る無しの物なり…
    5キロバイト (62,219 語) - 2024年4月21日 (日) 09:37
  • 山と名乗り、入道して畠山入庵と申す。弥三郎は、畠山左近と申し、後に長門と号す。 一、天正十七年、三十五歳、昔より佐渡国は、下尾佐渡守諸家・本間山城利忠・羽茂参河守高持・佐原与左衛門利国、六人の領分なり。下尾佐渡守・本間山城は、天正十五年七月、謙信に亡され、天正十七年、沢根・片上・羽持・佐原、…
    3キロバイト (18,944 語) - 2024年3月24日 (日) 14:42
  • せむ事難し、願はくは関東より御助援ありて重建せば、殿下の遺志も空しからず、いとめでたかるべしとのことなれば、御【 NDLJP:2-88】台所より本多佐渡守正信もて伺はれしに、淀殿は婦人の儀なり、将軍はいまだ年若き事なれば、ふかき思慮もおはすまじ、汝は年頃老職をも勤めながら、かゝるえうなき事を、我所…
    91バイト (9,187 語) - 2024年5月10日 (金) 03:54
  • ヲ城外ニ出サシム元和七年十月廿五日山城ニ於テ死ス〉 知貞 〈左門 後忠兵衛ト改ム 生国山城 慶長十七年西丸ニ於テ 東照宮及 台徳院殿ニ拝謁シ奉ル本多佐渡守言上シテ 台徳院殿ニ仕ヘ奉ラシムル時 東照ノ仰ニ知貞祖父伝助信虎ニ仕ルトキ数度功アリ信虎死シテ後高野山ニ登ヿ後関東ニ趣ク時我三州ニトヽムトイヘ…
    44バイト (5,013 語) - 2024年4月19日 (金) 06:35
  • さら誅せられむにも忍びたまはねば、駿河へ還御の後、阿茶の局もて御けしきとらせ給ひしかども、何の御答もましまさず、かくてはいかゞせむとおぼし召し、本多佐渡守正信を御使につかはさる、正信駿府に参り謁見して、こたび若殿には青山・内藤の両人を誅して、御怒を休められむと宣ふ、正信などもかく老年に及び、彼等が…
    91バイト (5,825 語) - 2024年5月10日 (金) 03:56
  • 上野安中にて三万石下さるゝなり。掃部頭、冬の御陣には廿五歳なり。然るに、其頃本多佐渡守は、老体にて、執権人の随一にて、威勢甚だ盛なる故、国主・高家も、膝を曲げ手を屈むる所に、二条御城にて大小名列座の時、掃部頭登城して、佐渡守の座上に居直り、其威儀具りたる様子を、大小名見て、掃部頭、若輩にて殊に昨今迄大番頭仕り、一【…
    283バイト (27,286 語) - 2023年12月2日 (土) 18:35
  • はりし者は一人もなかりしとぞ、〈板坂卜斎配、〉 【 NDLJP:2-79】【江戸城】江戸御遷のはじめ、御玄関の階は船板にて、あまり見苦しければ、本多佐渡守正信改作らむと申せしに、いらぬりつぱだてをするとて聞かせ給はず、其後府城造営ありしにも、目につくばかりの金具はなかりし、台徳院殿、和田倉辺の櫓の…
    91バイト (4,802 語) - 2024年5月10日 (金) 03:53
  • 長三年攻め給へ共落去せず。其の後太閤能く築かせ給ふ儘、中々一旦に攻め難し、我に任せ被申よと上意にて、唯討やめて日を送り、本多佐渡守を召して汝計らへと御諚あり。佐渡守畏り、京極若狭に申談ず。京極は織田有楽へ内意申遣すに、城中も次第に戦労す、和睦にもなれかしと願ふ人々も有りけるにや、秀頼公御母公の御妹…
    177バイト (10,384 語) - 2024年2月3日 (土) 17:28
  • れば故なくして家臣を殺さしむる、惜しむべき事ならずやと仰せられしとか、後年筒井伊賀定次、罪ありて所領収公せられし時、そが居城伊賀上野の城受取のため、本多中務大輔忠勝・松平摂津忠政始め数人遣さる、其折の仰に、伊賀は江戸にあり、上野の城は家人等のみ守り居れば、かく多人衆を遣すに及ばざれども、事の…
    91バイト (7,573 語) - 2024年5月10日 (金) 03:39
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