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  • 0903 しづたまき数にもあらぬ身にはあれ千年にもがと思ほゆるかも 去ル神亀二年ニ作メリ。但類ヲ以テノ故ニ更ニ茲ニ載ス      天平五年六月の丙申(ひのえさる)の朔(つきたち)三日(みかのひ)戊戌(つちのえいぬ)作めり。 男子(をのこ)名は古日(ふるひ)を恋ふる歌三首…
    52キロバイト (10,574 語) - 2021年4月24日 (土) 20:15
  • )鉄炮(てつぱう)にてせめたゝかふといへ共。終(つゐ)に敵(てき)みかた。一人はだへをあはせず。然所に其夜(よ)の戦(たゝか)ひに。敵には家康(いえやす)公家中(かちう)。井伊兵部少輔(ゐいのひやうぶのせうゆう)。城中には。山角(かど)上野(かうづけ)守。父子(ふし)三人。万士(ばんし)にぬきんで合…
    161バイト (13,821 語) - 2023年11月20日 (月) 01:56
  • )を放火(はうくわ)し。亡国(ばうこく)となし。兵略術(ひやうりやくじゆつ)をつくし。昼夜(ちうや)をわかず。合戦すべし。其上越(えつ)国の軍勢(ぐんぜい)。千里にをよび。運粮(うんらう)かなふべからず。味方(みかた)勝利(せうり)あらん事。案(あん)の内にありと云て。定正終に。上州へ出馬(しゆつば…
    198バイト (16,389 語) - 2023年11月19日 (日) 23:47
  • かども、摂政(せつしやう)と申て、天皇とは号したてまつらざるにや。此みかどは正位(しやうゐ)につき給にけるにこそ。即(すなはち)厩戸の皇子を皇太子として万機(ばんき)の政(まつりこと)をまかせ給。摂政と申き。太子の監(けん)国と云こともあれ
    373キロバイト (76,412 語) - 2023年8月17日 (木) 14:28
  • 、通夜は勿論、きょうの葬式にも施主(せしゅ)側と一緒になっていろいろの手伝いをした。平七は庄五郎と同職で、しかも従弟(いとこ)同士であるので、無論に昼夜詰め切りで働いた。 庄五郎は二十八歳を一期(いちご)として世を去ったが、従弟の平七のほかに是ぞという親戚はなかった。お国も浅草にひとりの叔母をもって…
    40キロバイト (8,088 語) - 2019年2月27日 (水) 14:48
  • 早雲観喜(くわんき)浅(あさ)からず。此両上杉をほろぼさんと。昼夜(ちうや)思量(しりやう)をめぐらさるといへ共。上杉殿は。さがみ武蔵(むさし)下総(しもふさ)。常陸(ひたち)。下野(しもつけ)。上野(かうづけ)。越後(ゑちご)佐渡(さ)。出羽(では)。奥州(おうしう)までもことごとく。彼(かの)…
    206バイト (13,023 語) - 2023年11月20日 (月) 00:36
  • げん)したると。見る人聞人。をそれざるはなかりけり。御門(みかど)此よしきこしめし。下野(しもつけ)​(の)国の住人。俵藤太(たはらとうだ)藤原秀郷(ふじはらのひでさと)は。無双(ぶさう)のつはもの。多勢(たぜい)の者也とて。将門(まさかど)が討手(うつて)を仰付られたり。又翌(よく)年参議(さん…
    190バイト (13,994 語) - 2023年12月6日 (水) 14:44
  • )づゝ。奉行(ぶぎやう)衆八州の掟(をきて)を。沙汰(さた)せらるゝ寄合(よりあい)人々。伊勢(いせ)備中守(びつちうのかみ)。大和(やまと)兵部少輔(ひやうぶのせうゆう)。小笠原(をがさはら)播摩(はりま)​(の)守。松田(まつだ)尾張(をはり)​(の)守。同肥後(ひご)守。山角(かど
    199バイト (16,402 語) - 2023年11月20日 (月) 00:31
  • は、元和四年戊午の年也。大川なればとて、何中へ両方より石垣(いしがき)をつき出しかけ給ふ。敷板の上三十七間四尺五寸、広さ四間二尺五寸也。此橋に於ては昼夜二六時中(にろくじちう)諸人群をなし、くびすをついで往還たゆる事なし。されば天理と云て一つの理体(りたい)あり。此理体を人間たもたぬは一人もなし。是…
    438バイト (15,562 語) - 2024年2月1日 (木) 14:10
  • )の合戦(かつせん)に勝利(せうり)をえ。世にひいでたる大将のほまれをあらはす。憲政(のりまさ)を。ほろぼし其上は。古河(こが)様を追討(ついたう)仕り。をのれ公方(くばう)にもならん望(のぞ)みたなこゝろに。にぎるかとおばへ候。此度御馬出さるゝにをいては。東西南北に。敵(てき)共味方(みか
    198バイト (21,098 語) - 2023年11月20日 (月) 00:09
  • 高野山にをゐて扶持方五百人、其外諸事可㆑入其々之具、不㆑残注文を以下行有しかは、氏直并供之人々も、思之外なる君思かなと、昼夜此言の葉の露、一山をうるほすのみか、日域に満溢れ、今此楮上に残りにけり、時節に随ひ小袖かたひらなと、恩賜中々申もおろかにそ覚えけるとなり、かくて天正十九年弁十一月十…
    75バイト (15,908 語) - 2024年3月25日 (月) 14:33
  • ならべ、町は軒をならべ家居(いへゐ)ゆたかに烟立ち、民のかまはにぎはへり。見渡せる旧跡(きうせき)には、浅草に観音、湯島に天神、神田に大明神、貝塚(かひづか)に山王権現、桜田山に愛宕、何も〳〵あらたにましませば、まうでの袖(そで)、昼夜共に貴賤くんじゆをなせり。又諸宗(しうしう)寺々の古跡には、…
    438バイト (15,045 語) - 2024年2月1日 (木) 14:12
  • 「好き好きしきさまなれ、思し出でさせたまふ折はべらば」 など、御けしき賜はる。いみじうものをあはれと思して、所々うち赤みたまへる御まみのわたりなど、言はむかたなく見えたまふ。 「思ひ捨てがたき筋もあめれば、今いととく見直したまひてむ。ただこの住みかこそ見捨てがたけれ。いかがすべき」とて、…
    56キロバイト (12,117 語) - 2022年12月1日 (木) 08:11
  • 響いたので、西両国の橋番小屋から橋番のおやじが提灯をつけて出た。両国橋は天保(てんぽう)十年四月に架け換えたのであるが、何分にも九十六間の長い橋で、昼夜の往来も繁(はげ)しい所であるから、十七年目の安政二年には所々におびただしい破損が出来て、人馬の通行にも危険を感じるようになったので、ことしの三月か…
    67キロバイト (13,441 語) - 2019年2月27日 (水) 14:51
  • かさ申ははや死したるに其まゝ置給へといふ、さて又むかさ与一郎が少手を負たれば志村殊の外迷惑に存知かねて宿をかすなれば、猶以てむかさ与一郎をつれだちて昼夜離れず養生仕りながら、各傍輩衆に、志村金​(ノ)介申すは、むかさ此手にて果られば、志村金​(ノ)介もともに腹を破りて死なんと、金打(ちやう)を仕候へ…
    297バイト (16,873 語) - 2024年2月2日 (金) 18:14
  • NDLJP:29】即ち考中披見これあり、上問に達せられける。公方つく〴〵御覧じて、翌日人々を召して仰せられけるは、在地人等、近年家業の利を失ひ、飢渇に及ぶの由尤不便なり。其士農工商は、昼夜心骨を刻みて、上を育み、上は又下の豊(ゆたか)ならん事を、日々に改めて安全を守る。然りと雖、当世は衰乱せしかば、政道も亦なきが如し。それに付けて徳政…
    3キロバイト (60,610 語) - 2024年2月3日 (土) 11:07
  • 、後には御位にまし〳〵けるこそ、いみじけれ。およそ延喜天暦のみかどをこそ、聖代とも申つたへ侍れ、土御門院はそれにもなほまさらせたまふと思ひたてまつる。かゝるかしこき御ふるまひ、わがてうにためしなき御事也。その御むくいいみじくて、此みかどの御ながれすゑ〴〵まで御位をふませ給ふとぞ。又よしときが事を…
    3キロバイト (53,374 語) - 2024年1月31日 (水) 13:56
  • みか、砲台は破壊され、市街は焼かれ、今すこしで占領の憂(う)き目を見るところであったことは、下の関の戦いが実際にそれを証拠立てていた。  連合艦隊出動のことが江戸に聞こえると、江戸城の留守をあずかる大老や老中は捨て置くべき場合でないとして、昼夜
    648キロバイト (123,779 語) - 2019年9月29日 (日) 05:04
  • 親房が神皇正統記をあらわした その頃、東国の武士はたいてい賊に味方していたので、親房は陸奥に進むことが出来ず、常陸の関城(せきじょう)で賊兵に囲まれた。親房は、昼夜 賊を討つ謀をめぐらしながら、そのひまひまに、神皇正統記(じんのうしょうとうき)をあらわし、「天照大神から後村上天皇に至るまでの御血統の由来を述べて…
    52キロバイト (16,129 語) - 2023年9月17日 (日) 12:48
  • 作者:大久保忠教 編者:国民文庫刊行会 大正元年 1912年 姉妹プロジェクト:Wikipediaの記事, Commonsギャラリ, データ項目 『三河物語』(みかわものがたり)は、元和8年(1622)に成立した徳川将軍家旗本・大久保忠教の著作である。 底本: 国民文庫刊行会 編『雑史集』,国民文庫刊行会,1912…
    3キロバイト (99,010 語) - 2024年1月30日 (火) 14:25
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