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慶長見聞集/巻之八

目次
 

 
 
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巻之八
 
 
 
見しは今、江戸町に寿庵と云はやりくすし有り。此医師くすしみやくを試みては、煩已前わづらひいぜんの事、当今のいたみ、以後に有るべき事まで委しくいふに、十に七つ八つは誠に有る故に、寿庵の薬を願ひ用ひていき薬師やくしかと諸人信敬しんきやうす。是誠に不思議也。今は天下の名医江戸に数多ありといへども、脉を取つて寿庵の如く奇特きとくを云ふ人なしといへば、かたへなる人聞きて、此寿庵おひ立ちより今迄の事を我よく知つたり。此人は文字計を漸く書き覚えたり。もとより医学はなし。されば世々色々の術治じゆつぢありて、けぼうがしら、うしろほとけなどと云ふ物を持ちぬれば、奇特きとくを云ふとかや。又かきはんを見ては其身の一代をかんが陰陽師おんやうしとて吉凶きつきようを占する事、唐国にては邵公節せうこうせつ、日本にては清明せいめい、是らの人の道を伝へて深秘しんぴの義有り。此道をよく学びたる博士は何事もたなごころににぎるがごとし。然共末代に至て知る人まれなるべし。扨又名医と聞えしは天竺てんぢくにては耆婆ぎば、大唐にては扁鵲へんじやく、日本にては清麿きよまろなどの流を汲みてくすしと号す。故に人の近付くべきは、いしや、智者、福者と古人もいへり。くすし脉をこゝろ見て病源びやうげんを知る仔細有り。されども脉中に過現未くわげんみ、明らかに顕るゝ事はおぼつかなし。其上くすしは人の死生しせいうけおひ給ふ事大事にてあらずや。病者よりも医の心やすかるまじ。安かる人は医たるべからず。病を治せざればいしや人をころす。是に過ぎたる人間の一大事何か世に有るべきぞや。医といつぱ意也とこそ申されしに、医学なき人の薬あたふるは、ばくちうちのさいをなぐるがごとし。寒熱かんねつの二つのおこりまさに知がたし。寒にひえを重ね、ねつに熱を重ねんはあやふき事なれば、医学なき人の薬は中々のまぬにはおとり成るべきか。くすり人を殺さず、いしや人をころすと古人もいへり。其上そのうへ下医かいは薬を毒とし、ちう医は薬を薬とつかひ、上医は毒を薬に用ふるとかや。智者の作る罪は大にして地獄におちず、愚者の作る罪は小にして、必地獄につといへるがごとし。然に病をりやうする良医りやういは脉の虚実きよじつをよくこゝろみて、しかうしてのち薬方やくはうをあたふるが故に、病いえずといふ事なし。敗鞁はいこの皮までも用ふる事医師くすしりやう也といへり。扨又常さまの人も養治をしらではいたづら事成るべし。病は必口より入るとなれば、禁好物合食禁をしらんがため也。たとひどくやくも知つてふくすれば毒にならずと、あるくすしの申されけるとぞ。耳にとどまりていみじくおぼえ侍れ。食は人の命也。よく味ひ調へぬれば大徳とす。故に世俗せぞくにも命は食に有りといへり。良薬は口ににがくしてしかも病に理有り。忠言は耳にさかひてしかもこうをせり。医学なき寿庵の薬用ひて益なかるべし。扨又典薬てんやくとは御門みかどの御医師を名付たり。当時そのかみ良医を施薬院せやくいんと名付くるいはれ有り。天下に不肖ふせうの者多し。大病を受けて大医の薬を望め共叶はず。其為に上代には天子より医料いれうとて別に知行を下されて、薬代やくだいなしに彼無力者むりよくしやに薬をあオープンアクセス NDLJP:347たへらるゝ所を以て施薬院とは申す也。万民をあはれみ給ふ君の御慈悲じひ浅からず。今の時代迄其名有りといへども、題号だいがうのしるしなし。不肖者大病不便の次第也。たゞひとへに仏神を祈るより外有るべからず。
 
 
聞しは今、杉木宗順と云ふ京の人、江戸へ下り云ける様は、関東は聞きしよりも見ていよ下国にて、万いやしかりき。人形ひとがたかたくなに言葉なまりて、なでふことなきよろこぼひてなどと、かた言計をいへるにより、理きこえがたし。拾遺に、東にてやしなはれたる人の子は、舌だみてこそ物はいひけれと詠ぜり。扨又宗碩そうせきかたつ田舎ゐなかはとはるゝもうしと前句をせられしに、何とかはだみたる声のこたへせんと宗長付くる。宗長は生国関東の人なれば也。都人とふもはづかし、舌だみてうきことわりを何とこたへんとよみしも実にことわりなり。取分べいといひべらと云ふこそをかしけれ。是に付てもわが住みなれし九重こゝのへの都さすが面白境地おもしろきやうちなり。人王五十代桓武天皇の御宇十三年甲戌十月廿一日に、山城の国をたぎの郡に都を遷されたり。男女のそだちじんじやうに、言葉やさしく有りけりといふ。関東衆くわんとうしゆ是を聞き、おろかなる都人の云事ぞや、国に入つては俗をとひ、門に入つてはいみ名をとふ。是皆定まれる礼也。しらぬ国に入り其国の言葉をしらずんば、とはぬはひが事也。孔子は生れながら物をしれる智者なり。孔子も大廟たいべうに入つて祭にあづかられたる時に、事毎ことごとにとはれしとかや。舜も大智の聖人にてましませども、万に物を人にきかしめ給ふ。知つたる上にもとふが智者の心也。然るに関東の諸侍昔が今に至る迄仁義礼智信を専とし、文武の二道をたしなみ給へり。民百姓に至るまで筆道ひつだうを学び、文字にあたらざる詞をばあからさまにもとなへず。此宗順は文字はんや〔はんにやカ〕に暗ければ、義はんやにくらくして、却つて他をなんぜり。文字は貫道の器也。器なくしてよく此道に達すると云ふ事、あにそれしからんや。されば伊勢物語によろこぼひてと書かれしはよろこびてなり。なでふことなきとはさせることなきといへる事也。べいは可くの字也。言葉の続きにより、べしともべらともいへり。古今集に、秋の夜の月の光の清ければ暗部くらぶの山もこえつべらなりと詠ぜり。そのうへ知つて問ふは礼也とこそ、古人も申されし。ましてやしらずして他を難ずるは、ひが事なりといへり。
 
 
見しは今、世念せねんと云ふ知人常に後世ごせを願ひ給へり。或時愚老をいさめて云く、其方後生の道を知給はぬ事のうたてさよ。御寺へ参り仏の有難き教を聞き給へ。能化のうけ様のきのふの御説法ごせつぽふに、朱に近付く者は赤く、墨に近付く者は黒くなる。仏道に近づく者はかならず仏になると教へ給ふこそ有がたく思ひはべれ。其方は物を書き常に双紙さうしをよみ給へるが、其双紙さうしに無常のことわりは候はずや。我物をば書かざれども謡舞うたひまひなどの浮世のあだなる事を聞くに付けても、よその事とは思はず、たゞ身のうへと心細く、なみだながれ袖をぬらすといふ。愚老聞きて、誠に有りがたき世念のいさめ成るぞや、或夜のねオープンアクセス NDLJP:348ざめに、世間の移り変れる事ども思ひ出づれば、往事わうじべうばうとして凡て〈[#「凡」は底本では「几」]〉夢に似たり。楽天らくてんが詩に、老眼らうがん早く覚めて、常に夜を残すといへるもことわり也。世念我を諫めて、双紙に無常むじやうことわりはなきかと問ひつる事のはづかしさよ。実に前大僧正慈円ぜんだいそうじやうじゑんの歌に、皆人のしりがほにしてしらぬ哉かならずしぬる習ひありとはと詠ぜり。思へば過ぎにしかたの恋しさのみぞせんかたなし。いにしへ見なれし人達ひとたちの先立るのうらめしさに、指を折つて数ふるによみ尽しがたし。されば、思ひ出づる一つ二つの涙かはと宗碩そうせき前句をせられしに、指を折つても跡はおぼえずと宗長付給ひしも身にしられたり。つら是を案ずるに、金剛不懐こんがうふくわい経文きやうもんに、一切有為いつさいうゐの法は夢幻むげんと説かれたり。夢や夢うつゝや夢とわかぬかないかなる世にかさめんとすらん。是維摩経ゆゐまきやうに、此身夢のごとしといへる心を赤染衛門あかぞめゑもんは詠ぜり。万事は夢の中のあだし身なりと打さめて、こよひが早くあけよかし、もとゆひきりてさまをかへ、衣を墨に染なして、世を厭はんと思へども、其夜が明けぬれば、見る事にふれ聞く事にしふぢやくして、旧縁のつなぐ所はなれがたく、六ぢん妄境現まうきやうげんじ、いたづらに煩悩業ぼんなうごふをつくり、其中三あくなんのよしなき所を見出して、恐れくるしみて日を暮す計也。古き歌に、いく度か身のうき時は人毎に末もとほらぬ世をいとふらんと詠じしもいとはづかし。天竺てんぢくの北にあたつて雪山と云ふ川に寒苦鳥かんくてうと云ふ鳥あり。此鳥巣をもたずして、よるはこほりに羽を閉られて苦しみ、明けなば巣作らんとよすがらなく。夜も明けぬれば出づる日に氷のとくるを悦びて、羽をのべ身をあたゝめてくるしみを忘れ、又日暮るればくるしみを得て一世を送るとなり。さあれば我と此鳥とはすがたはかはれども、心のおろかなる事は只一生にて有りけるぞや。心ひとしき心成けりと云前句に、先の世の深きえにしの生れきてと心前しんぜん付け給へるもよそならずと、過去くわこ因果いんぐわをかなしび、さぞな当来たうらい生所しやうしよも同じむくいにてぞ有らんとなげく所に、或禅師の云、もつとも寒苦鳥かんくてうよる鳴く事治定ぢゞやう、扨又此鳥昼になれば今日死をしらず、明日の死をしらぬ身の、何故に栖を作りて無常むじやうの身を安穏あんをんにせんやとなく。是皆経文きやうもんなり。後京極摂政ごきやうごくせつしやうの歌に、あさなあさな雪の深山みやまになく鳥の声に驚く人のなき哉と詠ぜり。扨又我朝に仏法僧ぶつほふそうと云ふ鳥有り。古歌に、わが国はみのりの道の広ければ鳥もうたふに仏法僧ぶつほふそうかなとよめり。鳥類てうるゐさへかくのごとし。有為無常うゐむじやうの有様朝露てうろにおなじ。人間まよふが故に爰を常住じやうぢうと思ひ、をよろこびをうれふ、是おろかなり。死をば生の時かなしび、をばの時うれふべし。まよふときんば方寸はうすん千里の外、さとるときんば十ぽう世界せかいにあまねし。流転生死るてんしやうじ愛欲あいよく根本こんぽんとせり。新古今に、あるはなくなきはかずそふ世の中にあはれいづれの日までなげかんと、小町は女なれども生死しやうじのことわりをわきまへてかく詠ぜり。本来ほんらいもつの法に至りてはもとむべき道理もなく、はらふべきぢんあいもなし。大海にしてちりをえらばず、有情非情うじやうひじやう同時成道どうじじやうだうとひつそくして仏意にそむかず、直指ぢきしたんでんのりにかなふ。一処明しよめいのとき万処空ばんしよくうたり。三世了時ぜれうじ世同ぜどうなりといへり是を聞くに、誠に修正甚深しうせいじんしんなるけうげぞや。
 
 
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見しは今、正学坊しやうがくばうといふ抖擻とそう行人ぎやうにん当秋たうしうの頃江戸町をめぐりしが、口のうちに火をたきて見する。是を見んとこなたかなたより伊勢御はらひを持出て渡せば、それに火を付て口のうちにてたきしは、みるもあやふく不思議に有りつるなり。扨立行りつぎやうをせんとて、本伝馬町佐久間が家のよこ町にて、水桶をいたゞき家にあがり、けふの八つ時より明日の八つ時まで立つべしといふ。折節をりふし其夜大雨大風しきりにしてしやぢくをながし、家をも吹きころばすほどの大風なり。寸善尺魔ずんぜんしやくまとて、天魔破旬てんまはじゆんもかゝる所をこそうかがふものならめと、皆人公ひし処に、又いたづらなる若き者共此行人ぎやうにんを見おどさんと、むかうの家の戸をひらき窓をあけて見ゐたりしに、此行人風にもころばず水桶をいたゞきて立つたり。夜明けて見れば、大きなる御幣をそばに立ておきしが、雨にもぬれず風にもそんせず其儘也。行力ぎやうりきつよきにはかゝる不思議ある物かと皆人云ふ。老人云く、我も人も三諸仏の功徳くどくそなはらざるはなしといへ共、妄想不浄まうざうふじやうちりにまじはりて着心ぢやくしんをなし、生死しやうじのきづなはなれがたし。仏は此塵を払つて前生ぜんしやう智恵ちゑをみがけり。ぐわんは是智恵の劔、よく煩悩のきづなをきる。ぎやうは是前生ぜんしやうの火、たちまちに生死のさかひをやきうしなふ。などか奇特なからんといへり。

 
 
見しは今、能玄法印といひて宏才わうさいなる人有り。此者云ひけるは、それ世界において胎卵湿化たいらんしつけ四生様様ししやうさまざま有る中に、人間にますはなし。然間、一切生類しやうるゐ人におそれずと云ふ事なし。故に人はいき物の頂上とす。されば人の身の内よりしらみと云ふ虫わき出で、其虫又人の肉をくらつて一世を送る。是因果いんぐわの道理有るが故也。昔しん桓蘊かんをんと云ふ貴人有り。王猛わうまうと云ふ者に逢うて当世たうせいの事を語る。猛、虱をひねり語りたり。然るを傍若無人ばうじやくぶじんと云ふ詞是より始まる。異名いみやう半風はんぷうとす。古句に、窓前そうぜんに半風を摂と云々。えん雅の詩に、しらみは湯のわくを聞きてなは血食けつしよくすといへり。扨又のみ人を食うて夏をどる共書けり。是に付て思ひ出せり。天竺てんぢく獅子しゝと云ふは獣の王也。獅子すでに死すといへども、百獣猶じうなおをおそれて其肉をくふ事あたはず。身の中に虫を生じみづから其肉をくらふ。是を獅子身中しゝしんちうの虫と云ふ。人のみづから其身をそんざすにたとふ。人王にんわうきやうに委しく見えたり。人間にんげん獅子しゝかたちかはるといへ共、心性しんせい威徳ゐとくはことならず。過去くわこ因縁いんえんしりがたし。然るに今生のえいえうは夢なりと我悟つて無常のことわりを忘れず、後世ごせの事のみ明暮あけくれ心にかけ、其上のみしらみころす事、五ぎやく第一の罪業ざいごふ成る故、一代ころす事なしといふ。愚老聞きて、是は如何なる仔細ぞととへば、能玄のうげんいはく、それいきとしいける物ながきはみじかきをのみ、大きなるはちひさきをくらふといへども、いづれか人をおそれざるべき。然るにのみしらみ人のしゝむらをくらつて、一生涯をたもつ事おぼつかなき故、過去くわこ因果経いんぐわきやうをおもん見るに、昔鬼むかしおにと人との戦ひ有り。人の心たけきが故、鬼をことくほろぼせり。それ玉しひは三こんはくとて数おほしと聞えたり。鬼にはこんはくしやくとて三つの玉しひあり。こんはめいどにおもむけば、赤白の二渧はしやばにとゞまる。赤はのみとなり白はしらみと成りて人間の肉を喰ふ。是因果の道理オープンアクセス NDLJP:350なり。扨又のみしらみをころすが故、人また地ごくにて鬼にくらはるゝ。是のみならず、一切衆生さいしゆじやうの有さま我人をうしなへば、かれ又我をがいす。経にも一切衆生六道に輪廻りんゑする事車輪のごとしと説れたり。のみしらみをころす人、生々しやう世々せゝ因果遁れがたしといふ。皆人聞きて、蚤虱のみしらみの仔細能化のをしへをもいまだ聞かず。然共法印の物語道理至極せり。有難しと云けるに、老人有しが聞きて、愚なる法印の云事ぞや。人間の肉をくらふ虫蚤虱のみしらみに限るべからず。□虫と云ひて皮肉の間にあり。しやくしゆ寸白すんばくなどと云て色々様々の虫有り。髪に住む虫は黒し。土中に住む虫は土をくらひ、木に付く虫は木をかみ、かやにつく虫はかやをくらふと云ひければ、法印返答につまり、利口ほどもなく却て赤面し給へり。
 
 
聞きしは今、七月の事成に、皆人連座れんざして地獄よりしやうりやう来れる事をとりに沙汰せらるゝ。七月十四日の暮には、地ごくの罪人ども罪ゆるされしやばへ来り、親類えんるゐどものもてなしにあひよろこびあへる事治定ぢゞやうなり。一年招月ながされ給ひての年の七月十四日に、中々に無身なりせば古郷へ帰らんものをけふの暮かたとよみければ、此歌を御門みかど聞召しおよばれ、不便なりとて罪ゆるされ帰国し給へり。扨又しゆんざうすといへる名智識めいちしき、山城の瓜となすびをそのまゝに手向たむけになすぞ賀茂川の水とよみて、しやうりやうに手向給ひければ、云はるゝこそ道理至極なれ。われも人も見ぬものがたりせしと申されし。
 
 
見しは今、江戸寺町てらまちの近所に円心斎ゑんしんさいといひてうとく成る人有り。此者云やう、我えせたるあたりに居住し、よるひる鐘太鼓の音しやうみやうの声、聞くも耳かしましや。此円心は銭金の沙汰こそきかまほしけれと、明暮願ひ事するにより、人あだなを付けて金願ひの円心と云慣はす。されば思ひあはする事有り。いかにいひてかおどろかすべきと云前句に、罪有りやのりの声をもいとふらんと兼載付給へるは、未来をよくかんがへ見て、是等これらの人のうはさをいへる成るべし。然に浄土坊主じやうどばうず円心にけうげ申されけるは、其方縦欲じうよくにふけり他にほどこす心ざしなし。人ざいををしむ。財宝は菩提のさはり也。仏は身三しんさん口四くし意三いさんとて十のいましめを立てられたり。爰を或る能化のうけの歌に、十悪のたちならびたる其中に欲にまされるせいたかはなしといましめ給ひて、人間の金たくはふるを欲心と云ひて第一に嫌はれたり。左伝に象歯あればもつて其身をやく、宝あれば也といへり。富貴の家をば鬼是をねたむ。報命つくる時其福身にしたがふ事なし。福多ければ罪もまたおほきがゆゑに、来生らいせにはかならず地獄に入る事うたがひなし。昔天竺てんぢく仏阿難ぶつあなんをぐして道を通り給ふに、草村の中に穴有り。其中に金有り。是を仏御らんじて毒蛇どくじや有りとのたまふ。阿難是をさとりて大毒蛇也とうけがひ給ひぬ。或人是を見れば、蛇にあらず金有りければ悦びて是を取る。此事おほやけ聞召されければ、力なく参らする。猶も残りてぞ有らんとて責をかうぶる時にこそ、仏の毒蛇とのたまひしを思ひあはせたれ。金がほしくば後世を願ひオープンアクセス NDLJP:351給へ。西方極楽さいはうごくらくまゐり給はゞ、望みのまゝの金をえ、永くたのしむべし。小利大損なる事何ごとか是にしかん。故に歌人は、後の世の永き宝と成る物は仏にみがく金なりけりと、よみたりと申されければ、円心聞きておろかなる御僧おそうのけうげや、此欲界よくかいへ生れたる凡夫ぼんぷを欲心をはなれよとはひがこと也。三賢十聖の菩薩ぼさつさへもつて法欲いまだ尽きざる故、妙覚めうがくの大智あらはれず。春日大明神の御たくせんに、他国よりわが国、他の人よりわが氏子と、神仏さへ欲心はかくの如し。如何にいはんや薄智底下はくちていかの人間をや。其上仏は衆生を一子と説き給へば、人間の苦をのがれたのしみを請ふ事は仏の大慈大悲也。然るを人間の福をもとむるを制する事は何の故ぞや。円心よりも浄土坊主こそ欲ふかき人達なれ。それいかにとなれば、十方仏土の中にも、金は西をつかさどると聞きて、四方極楽へ生れこがね仏とならばやと、かねを耳かしましうたゝいて、明暮願ひ給ふ。誠に是こそ妄念まうねんくさき念仏、目にも見えぬ十万億土の願ひ、千中無一万不一生とは爰を善導もいへる成るべし。扨又阿弥陀は六十万億なゆだごふがしやゆじゆんの金色の如来にてましますと聞き、猶其上にもくうでんろうかくこがねを以てこんりふし、七宝しつぽうの植木庭の真砂地迄もこがねをしきもてあそび、阿弥陀こそ縦欲じうよくにふけり給へり。かるがゆゑにといていはく、こがねは後世のさはり、いかなるか是金色こんじき如来坊主によらいばうず。答へて、蛇は是鉄をきらふ但尾にけんあり。又問うて云く、夫は蛇身是は仏身。答へて、毒薬変じて薬と成ると申されければ、円心聞きてかうべを傾け、御法門ごほふもん有難といふ。其時坊主又いはく、其方此年月金をほしと思ひつる悪業あくごふはしゆみよりも高く、善心はみぢんほどのたくはへもせず。然りといへ共、一念善心をおこせば無量むりやうのざいしやうもせうめつし、一度菩提心ぼだいしんをおこせば、三世の諸仏ずゐきし給ふといへば、御教化ごけうげいよ有難しと、夫より円心後世ごせを願ひ出、後生ごしやうまいに身をなせり。物かならず先づ朽ちて後に虫生ずと、東坡とうばの云へるごとく、はじめは金ねがひの円心と云しが、今は後世ごしやう願ひの円心といはれ給ふの有難さよ。大疑たいぎの下に必大悟有りと、先哲せんてつの云置きしも思ひしられたり。扨又えんなき衆生をば悪より善に引導せよと説けり。又維摩経ゆゐまきやうに、欲のつりばりをもて引きて仏道に入ると也。誠に悪に強き人は善にもつよしといへるは円心の事なるべしと、皆人沙汰さたせり。
 
 
見しは今、あきつ洲国々の名所旧跡きうせき其数をしらず多しといへ共、中にも須磨すま明石あかし難波なには住吉すみよしちかの塩がま、松島、小じまの詠こそ猶も面白けれ。定家卿の歌に、春よいかに花鶯の山よりも霞ばかりのしほがまの浦と詠ぜり。又松島やをじまいかにと人とはば其まゝかたることのはもがなと、西行法師よめり。され共江戸海辺の眺望に是をくらぶれば、千分にして余は其一つにもあたはず。然ば江戸の堺地海上まんとして碧浪へきらう天をひたせり。朝には漁舟けぶりを払つて出で、夕には満舟こゝろようして帰る。其外旅の波路なみぢを分け出づる舟入る舟数をしらず。東坡が詩に、一葉万里の路たゞ一ぱんの風にまかすといへるも面白し。へいたる野のかたへに蘆分小舟あしわけをぶねさをさして、尾花の波にうかぶこそ、オープンアクセス NDLJP:352秋はえならぬながめなれ。武蔵野や草葉みながらおく露に末はるかなる月を見る哉と、千載集に見えたり。玄仍げんじよう、豊島の海原うなばら見渡して、青海やつゞく武蔵野春の草とせられたり。又兼如けんによ江戸の川辺を見て、みるがうちに蘆辺あしべつのぐむ干潟ひがた哉と云るも又をかし。此河の水上を尋ぬるに、阿武隈川あぶくまがは、おもひ河、渡瀬わたらせ川、きぬ川、とね河、此五つの大河栗橋くりはしの上にて落合ひ、一つに成て武蔵と下総のさかひ角田川すみだがはをながれて、此江戸湊川へ落つ。のぼればくだる小舟の棹のいとまぞなかりける。扨御城は西にあたり、石垣おびたゞしく、御殿は南向に立給ふ。大木古木ならぶ木の間よりも、高やぐら角やぐらあらはれ、殿主てんしゆは雲ゐにそびえ松風はおのづから万歳をよばふかとあやしまる。又郭外には諸大名高広たる屋形作やかたづくりむねをならべ、町は軒をならべ家居いへゐゆたかに烟立ち、民のかまどはにぎはへり。見渡せる旧跡きうせきには、浅草に観音、湯島に天神、神田に大明神、貝塚かひづかに山王権現、桜田山に愛宕、何もあらたにましませば、まうでのそで、昼夜共に貴賤くんじゆをなせり。又諸宗しうしう寺々の古跡には、増上寺ぞうじやうじ吉祥寺きちじやうじ広徳寺くわうとくじ弥勒寺みろくじ東光院とうくわうゐん常楽寺じやうらくじ本願寺ほんぐわんじ、此外寺町と号し、寺院僧坊は東西南北に門をならべ、時々の鐘鼓しやうこおこたらず。見仏聞法けんぶつもんほふ袖を連ねくびすをついで人跡絶えず。是なんてう四百八十寺の遠景ゑんけいにもすぐれ、大湖三万六千けいにもこえたり。されば慶宗といふ旅人当所はじめて一見し、江戸の景風おのづから時をえたり。桜田清水又尤奇也。紅楓の山色、士峰の雪、春夏秋冬四つながら猶よろしと書きて、愚老に見せられたり。実に面白き客僧の言葉かな。清水が門に立て夏かと思へば、時しらぬふじの雪を見、桜田に有て長閑のどけき春かと思へば、紅葉山を詠め、四時かはらぬ眺望委細を是にしるさば、車にのすともあげてかぞふべからず。言語を絶するむさしの江戸の境地さかひちを、心有る人に見せばやとぞ思ひ侍る。
 
 
聞きしは今、唐国にて鯨鯢と云魚は長さ数千里あり。波をたゝいて雷をなし、沫をはきて雨霧をなす。舟をものむと也。四足の魚と古記に見えたり。扨又日本に鯨と云魚有り。けいのたぐひと知られたり。長さ三十ひろ五十ひろ有り。日本に是に過ぎたる生類しやうるゐなし。愚老若きころ関東海にて鯨取る事なし。死したる鯨東海へ流れよるを、人集つて肉を切取り、皮をば煎じて油をとる事度々に及ぶ。然ば昔貞応ぢやうおう二年五月鎌倉近辺の浦々へ、名をも知ぬ大魚死て浪に浮び、三浦崎みうらさき六浦むつらの海辺へ流れよる。鎌倉中にじうまんす。人こぞつて是を買取り、家々に是をせんじて油を取る。異香りよかうに満てり。士女是を旱魃かんばつきざしと云ふ。此魚の名知らず。先規せんきになし。是たゞ事ならずと文に記せり。貞応の比まで関東海に鯨有る事を人知らざる也。今は鯨江戸浦まで来て、うしほを空へ吹上ぐるを見れば、海上にやく塩屋しほやの烟かとうたがはる。是は息をする魚にて、海底に計は居られぬと知られたり。古歌に、うしほ吹く鯨の息と見ゆる哉沖に一村夕立の雲、是はつのゝ浦によめり。江戸浦にては、沖に幾村立雲とこそ詠じ侍らめ。鯨をもりにてつくに鯨とるといふ。鰹は鉤にてつるなるを鰹とるといふ。是海士等あまどものそゞろごとゝ思ひしに、八雲抄やくもせうに鯨とる鰹とるとよめり。鯨大魚なれ共、伊勢尾張両国にてつく事有オープンアクセス NDLJP:353り。是より東の国の海士あまは、つく事を知らず。然に文禄の比ほひ、間瀬助兵衛と云ひて、尾州にて鯨つきの名人相模三浦へ来りたりしが、東海に鯨多有るを見て、願ふに幸哉ともり網を用意し、鯨をつくを見しに、鯨、子を深く思ふ魚也。故に親をばつかずして子をつきとめいかしおく。二つの親子をおのが腹の下にかくし、おのが身を水の上に浮べ、劔にて肉を切りさくをわきまへず親子共に殺さるゝ、哀なりける事共也。心有る人は二目共見ず。殺生せつしやうこのむ人は慈悲の心なき故世のあはれをも知らず、罪のむくいをもわきまへざるのおろかさよ。そとの浜にうたふと云ふ鳥は、砂のなかに子をうみてかくす。猟師れふし母鳥のまねをしてうたふとよべば、子はやすかたと鳴きてはひ出づるをとる。其時母空にこなたかなたへつきあるき、鳴く涙血の雨とふりかゝり、身を損ざす。故に蓑笠みのかさを著てとるとかや。古歌に、子を思ふ涙の雨の笠の上にかゝるもわびしやすかたの鳥とよめり。かく子を悲む鳥類も有りけり。ただつれなきは猟師のこゝろなり。此助兵衛鯨つくを見しより、関東諸浦の海士迄もり網を仕度し、鯨をつく故に、一手に百二百づつ毎年つく。はや二十四五年此方このかたつきつくし、今は鯨も絶えはて、一年にやう四つ五つつくと見えたり。今より後の世鯨たえ果てぬべし。かくのごときの大殺生だいせつしやう天竺てんぢく諸越もろこしにも聞き及ばず。一寸の虫に五分の魂有りと俗にいへるなれば、五十ひろ百ひろ有る鯨の魂いかばかりならん。梵網経ぼんまうきやうに、われ一切万物に随つて生を請ずと云ふ事なし。故に六だう衆生しゆじやうは皆是わが父母也。然るを殺し食するは、父母を殺してくらふと説かれたり。一生の身をたすけんとて多生たしやうの苦を思はず、ほしいまゝなる生死妄業しやうじまうごふに着し、流転るてんのさかひをはなれざるは愚痴ぐちの至也。故に非を知つてあらたむるを賢き人といへり。いきとしいける物、命を惜む事大山より重し。仏は十悪罪のはじめに、殺生を出せり。五戒も殺生戒せつしやうかいを第一とす。此殺生の根源こんげんを尋ぬるに、慈悲心なく欲よりおこる。三どくと云と、ふも貪欲どんよくを第一とせり。鯨殺す人生死しやうじの海にちんりんし、六だうしやうごふをのがれがたしといへり。
 
 
見しは昔、江戸に大火事出来して、慶長六年霜月しもつき二日の四どき也。駿河町かうのじやうと云ふ者の家より火を出し、折節をりふし風に飛火とびひして、爰彼処よりやけ立つ。烟塵は目鼻口に入て前後をわきまへず。老人女人をさなき者は皆やけ死にたり。去程に家蔵財宝いへくらざいはう焼捨皆人やきすてみなひとから手をふつて、わがつらも人のつらも灰に打よごれ、居所もなく立ちわづらひ、袖寒くして余の物うさに、命さへあれば海月くらげも骨にあふとかや。わが恋は海の月をぞ待ちわぶる海月くらげも骨にあふ世有りやと、古歌を思出て慰み事のみ云ひたりし。能き事もあしき事も六十年には必廻りくると俗にいへば、若き人達は聞覚え置くべき事也といへば、老人云、建久二年辛亥三月三日鎌倉鶴岡の宮においてりんじの祭りおこなはる。頼朝公御社参に依て御所中しよちうへ諸侍参集す。江間殿えまどの越前守、伊豆守、小山左衛門尉、同七郎、三浦介、畠山次郎、和田左衛門尉、伊藤四郎、葛西兵衛尉以下いげ宿老しゆくらう共侍所に候ずる其中に、広田次郎邦房くにふさと云者有。傍輩はうばい共に語て云、明日鎌倉に大なる火災出来、若宮幕府わかみやばくふ其外の諸家はとんど一字も其難まぬかるべからずらいふ。是は大和守維オープンアクセス NDLJP:354業が息男そくなん也。各此由を聞きて沙汰し給ひけるは、其家葉かえふをつぎ内典外典ないてんげてんを学し、天下に其名有りと云共天眼てんげんはえがたからんか、更に以て誠しからずと云て、是をおどろかず、却てわらふ人多し。然に明くれば四日丑の刻に至て、小町大路辺に火事出来折節をりふし南風しきりに吹出で飛散し、江間殿、相模守、村上判官代、比企左衛門尉殿ひきさゑもんのじようどの、佐々木三郎昌寛、仁田四郎以下諸侍の屋形一宇も残らず、其よえん若宮の馬場本の塔婆たふばにうつり、此間に幕府も同じく失火す。若宮の神殿、廻廊くわいらう、経所、供僧、宿坊悉以て此災をのがれず。是によつて近国の御家人馳来て群集くんじゆす。二品若宮火災にたんそくし給ふ。二品寅の刻に藤九郎甘縄の宅に入御じゆぎよし給ふ。炎上の事によつて也。およそ邦房くにふさが言葉たなごころをさすがごとしと諸人申しあへり。若宮火災の事、幕下ことにたんそくし給ふ。鶴岡にまゐりわづかに礎石ををがみ御ていきふと云々。然に今江戸には名をうるはかせ多し。それ陰陽頭おんやうのかみは天地和合さうこくさうじやうようしよくをわが物にしる人也。此等の人に近付、常に聞置くべき事也と申されし。扨又江戸の火事其日の事なりしに、下総の国ぎやうとくと云在所有り。此所にて日中に空を見れば、黒烟の中より何共しらず長一丈余りなる生物一つ飛さがる。行徳ぎやうとくの者共肝をけしあらおそろしき物かなとて、家の内へにげ入りしに、海道へ落つるをみれば、七尺の屏風也。爰に善福斎と云江戸の人、此所に有合ひ、此屏風を見て云けるは、是は江戸とほり町に片倉新右衛門と云人の屏風也。絵にはかぶきをどりを書き慥に見しりたりと云ふ。行徳の者共聞きて、実に武蔵の江戸にあたり大火事見えたり。ほくそ飛びてこくうに散乱し、たゞくれなゐの大雪ふるがごとし。火の息はつよきものかな、七尺の六枚屏風はるかの国を隔て、飛事世にも奇特きとく有りと云。善福江戸へ帰り、屏風下総の行徳へ飛びたる事、治定ぢゞやう我見たりと人毎に語る。聞人まことしからずと云て笑ふ。善福腹をたて、七尺の屏風も火事にはなどか飛ざらんと云て、是をあらそふ。かたへなる人の云く、世に語りつたふる事誠はあいなきにや、おほくは皆きよごん也。され共権者ごんじや化人けにんのたゞにあらざる物の伝記共不思議多かるべし。扨又下さまの人の物語は耳おどろく事のみあり。よき人はあやしき事をば語らず。故にまことしき虚言をば語るとも、いつはりがましき誠をば語りて益なしといさめられたり。此詞尤信用すべし。其後われ此びやうぶの事を行徳の里人に聞きつれば誠也と云。然どもきよごんがましき事なれば、当時善福人のあざけりとなる。是鏡なり。縦治定の事なりとも、せんなき事をば語りて益なかるべし。
 
 
見しは今、江戸とほり町或人のもとに思ふどち六人さしあつまり、世上の事身の上までも心に残さず語る処に、村岡茂兵衛と云人云けるは、世に貧程つらき物はなし。いかにと云に、去々年りやうがへ町の理助武左衛門両人へさる客の相伴に行きもてなしにあひたり。此両人福祐ふくいうたるにより、大きに書院を立てたゝみ屏風美々敷、庭に植木有つて深山を見るがごとし。扨美膳の次第料理のこる所なし。其上茶つぼの口をきり極上をたてられたり。世にあらば誰もかくこそあらまほしけれ。われ果報つたなオープンアクセス NDLJP:355き故願ひてかひなし。然れども人のもてなしにあひて、それを報ぜざれば心にかゝる。愚不肖なれば、住居はわびても苦しからず。第一わん折敷をしきもたず万足よろづたらざる事のみ多し。其上われ料理かたをしらず。去去年より心計にて打過る事無念口惜といふ。権左衛門といふ人聞て、三年心がかりのいたましさよ。ただ二人也、よび給へ。それがし椀折敷わんをしきをばかすべしと云ふ。又一人われ酒作り也。上々の□酒を三升徳利一つ合力すべしといふ。又一人われさかな町に有り。何時なりともあたらしき肴つかはすべしと云ふ。愚老聞て、此程旦那だんな坊主ばうず能茶のうちや一袋くれられたり、則其茶を持参すべしといへば、又一人料理をば某にまかせ給へ、縦何なしともしほらしく仕立出すべし。其上われ能きみそを持合せたり。古人云、味噌は百味のおや雑掌に尤第一なりと云々。およそみそといふ事を香といふ、仔細有り。源氏にいはく、香づくしにひぐらしといふ香の名有り。又公卿殿上人くぎやうてんじやうびとはみそをひぐらしとのたまふ也。雑人中人のことばにみそを虫と云ふ。是はひぐらしといふ名をもて、香といひ虫といふ也。源氏の香づくしの中にひぐらしと云香は、匂ひもすぐれてしみ入りたる香也。物に移りて匂ひもふかし。其心を取てひぐらしと名付たり。日ぐらしは虫の名也。始は蝉也。きぬをぬいて後を日ぐらしといふ也。是によつて、蝉は夏の季也。日晩ひぐらしは秋の也。去程に連歌に、蝉と日ぐらしは同じ物哉。故に折のうちをきらひ、懐紙くわいしをかへて用る。竹林抄に、秋くるからに袖はぬれけりと云ふ前句に、日ぐらしのなけば空蝉うつせみ音をたえてと能阿法印付給ひぬ。ほとんどみそは一切の物に染て匂ひ吉く味ひよき故に香と名付たり。みそはやさしく、源氏物語にもしるされたり。我みそを持参すべしと云ふ。茂兵衛聞きて、あら嬉しや仕度せんと宿に帰り家を見れば、悲しき哉や、おのづから朽ち残りたる門柱わが家いかで立て直すべきと詠る古歌も、身の上と思ひ出で侍りぬ。草屋の片はしを四畳敷、よし垣にしつらひ、壁のくづれを所々ぬり直し、ほごにて腰ばりし、あたりのすゝを払ひ、天井てんじやう見苦しとてよしをあみて上をかくし、ぬれえん長さ一間横二尺、青竹にてすのこをかき、ちひさう庭を萩にて垣こめ、草花を植置き、秋の暮つ方端かたはしして月を詠れば、土かべのぬり残したる窓までももらさずやどる秋のよの月とよみし歌も、哀に思出けり。大かた座敷出来ぬと、両人へ三日以前に来明々十五日の晩御食申べしと、使札をつかはす。両人忝候来十五日の晩必参るべしと返札有り。茂兵衛よろこびこの催し昼夜心がくるに隙なかりけり。はや十五日にも成りければ、五人の友達衆約束たがはず皆みな来り集りて取持給へり。扨料理も出来日も八つ時分也。はや御出候へ、御時分よく候と人を遺す。理介返事に、昨晩も御念入られ御使今朝より御時分待ちかね申たり。只今参るといふ。茂兵衛聞きて理介殿御時分待兼候とは満足也。はや御出成るべし。やれとくしるなべかけよ、なますをあへよ、料理のかげんよかるべし。此理介殿をばりつぎの助とこそ申すべけれとほむる所に、使又云ふやう、武左衛門殿は今朝いづくへか御出で行先もしらず。定めて知人の所にて例の酒宴して酔にまどひ、夜に入帰り給ふべしと、内の者共申す由を云ふ。茂兵衛聞きて肝をけし、こはそも何事ぞ、夫は誠か、昨晩使の返事にも、必明晩参るべしと申つるが、但失オープンアクセス NDLJP:356念したるか、扨もほれ者かな、うつけ者哉。此武左衛門は誠の不届ふとゞき左衛門也。やれ不届が行衛を早々行きて尋ねよと腹立所へ、理介来りたり。茂兵衛弥心いられ、理介殿は御出也。不届左衛門が行衛をいそぎ行きて尋よと、重々使を立れ共行方ゆきがたしらず、待つ所に、はや日は七つさがり也。不届左衛門来て云ふやう、今ばんの御食はたと失念し、神田町知人の所へ行きけるに、酒宴の場へふみかゝり、今朝より暮まで数盃たべよひ候へ共、参りたると云。茂兵衛気をそんざし、火をともし膳を出す。不届左衛門は膳に向ひはしを取りたるが柱に打かゝりいねぶり、片箸をばたゝみにおとし、片はしをば膳に散し、時々大いびきかき目をさましては、ひとりくりごといふ。漸食過ぎ理介云けるは、万御念入よろづごねんいりのこる処なき御もてなし故、御食よくたべたり。武左衛門殿は御酒気、御亭主は下戸にてましませば、大盃にて一盞にくださるべしと、汁椀にて一つのみ、はや湯を御出し候へといふ所に、不届左衛門目をさまし、食をばたべず共、酒においては理介におとるべからずと云もあへず打臥し、前後もわきまへず。友だち衆是を見て、茂兵衛殿腹立理はらだちことわり也。人をもてなさんには高きも賤きも心安からず。其上客おそく来る時は誰とても心いられ気をそんざす物也。前車のくつがへるは後車のいましめとかや。われ人わきまふべき事なりといへり。
 
 
見しは今、雲蔵くもざうと云若き者、江戸町に有りけるが、神田町の真行寺しんぎやうじと云寺へ行き、住持に逢て云けるは、それがし親こんかきにて身上かたのごとく送りしが、三年已前いぜんに死にわかれ、家跡職請取いへあとしきうけとりこんやを仕り候が、いやしきしよくにて手にのり付、染物に身をよごし、冬は水づかひに手足ひえ、彼是いやなるわざにて心にそまず。させる得もなし。中々あそびたるがましなどと云うて月日を暮らし、今われまづしくなり、親ゆづりの家屋敷けんぞくをも皆売尽し、妻をもさり、たゞひとり身となり、一衣きたる計にてさむく候へば、古紙衣ふるかみこを一つたまはつて風をふせぎ、御寺の沙弥しやみに成り候べしと云ふ。老そう聞きて思ひよらざる申事哉。悪弟をたくはふる者は師弟地ごくにだす。よき弟子を養ふ者は、師弟仏果に至る。禍福くわふくは門なし、唯人の招所にあり。其上紺搔こんかきはいやしきしよくにあらず、目出度めでたき仔細あり。こんかきのおこりを語つて聞かせん。是は奥州信夫あうしうしのぶといふより始る。彼しのぶと云所に、一人のさぶらひ有り、都へのぼり大宅おほやけの事につかふまつるに依て、いとまを得ず、年月を送る程に、古郷へ下る事かき絶えたり。彼が妻の女遠き都の住居を思ひやり、男を恋ひてひめもすと泣暮し、夜もすがら泣明す。其涙次第にこらへてくれなゐに成りてこぼれける。白き袷小袖にかゝりて染色そめいろになる。又へいしゆのごとし。是を其国の人見移し、賢き者有りてすりと云事に成し、人多く着てんげり。次第にする程に、信夫ずりと云て都へ上る。是を御門へさゝげ奉る。みちのくのしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにし我ならなくにとよめる歌是也。其後世の人かしこく成り、すりと云よりたよりて紺と云事になし、又紋と云物をしぼり出したり。前はあゐ計にて着る物染しが、後は染殿そめどのというて紅なんどにて染るオープンアクセス NDLJP:357也。あやおりと云ふ事又出来、いしやうの紋を織付たり。然に帝の御衣にもんを織る仔細あり。正月より十二月に至て三十六重の御衣を織る、一月に三あてにくばつて三十六也。是を十日づつめす也。正月一日より十日迄めさるゝ御衣をば、の日の御衣とて小松を織り青色也。中旬ちうじゆんにめす御衣は、若菜の御衣とて七草なゝくさを織り、小袖むらさき也。下旬げじゆんには霞の衣とて空色そらいろに織り白し。かくのごとく十二月を注るし織る也。扨又后の御衣のこと、月に一つづつ一年に都合十二重也。爰を以て十二一重ひとへと申す也。惣じていしやうに紋を出す事、紺かき綾おり目出度ものなり。然処に、汝人間の一大事家職をおろそかに思ふが故、今其姿に成り果てたり。けちえんに因果のことわりを語りて聞かせん。夫三世流転ぜるてん二十五の有様、山野のけだ物恒河のうろくづ、生としいける物はじめもなくをはりもなく、生々世々しやうせゝ車のめぐるが如く、六趣四生しゆしゝやうを出やらず苦みをうくる処に、いかなる宿善しゆくぜんやもよほしけん、今、人と生る事多生たしやうの善因深きに依て也。あふぎても猶余り有りぬべし。提謂経に、人間のしやうを受くることたとへをとる時、天の間に針を立おき、天より糸をくだして、大風の吹く時彼針の耳の穴に、糸を入る事は有れども、人身にんしんを受くる事猶かたしと説き給ふ処に、請けがたき人と生れ、まづしうしていけるかひなし。仏は人間を一子の如くあはれみかなしみ思召し、現世無非楽後生善所げんせむひらくごしやうぜんしよとまもりたまへる所に、不如意すれば、仏の御恵みにもはづれたり。妙楽大師めうがくだいし人間に八ヶの大事をあげられたり。一日の大事は食物しよくもつ、一年の大事は衣服、一の大事は住所ぢうしよ、男子の大事は敵人てきじん女人によにんの大事は難産なんざん、百姓の大事は地頭ぢとう、財宝の大事は盗賊、後生の大事は地獄といへり。汝是ほど目出度住所に有りといへども、身のわきまへをず、いたづらに数日を送る事いふに絶えたり。すべて身上の大事といふは家職なり。それ座頭ざとうは平家を語つて世を送り、大夫は舞をまひてきやうがいをやしなひ、此ぼうずは経をよくよみ、此大寺の主たり。其方おやは家のわざをよくなしたる故富みたり。汝は家のしよくを忘るゝ故に其姿に成りたり。今生こんじやうまづしければ後生ごしやう又しか也。かるが故に、仏は未来の果をしらんとほつせば、現在の因を見よと説かれたり。むざんや汝生々世々くるしみを請くべしと仰せければ、雲蔵なく門外へいでこつじきして世を送る。左伝に其父薪をさく、其子おひになふ事あたはずといへり。是は子として父の跡をつぐ事あたはざる者をいふ也。此句をもつて父の跡師匠の跡をよく伝ふるを負荷ふかといへり。生れおとれる子はあはれなりといふ前句に、此世より後の世や猶うからましと宗養そうやう付給ひぬ。皆人雲蔵乞食くもざうこつじきを見て、これこそわれ人の子供の鏡なれと云うて、子供せつかんには雲蔵と異名をよぶ。扨又人の子の不届をみても雲蔵とあだなをよぶ。当世のはやりことばなり。是に依てかしこき子供は、雲蔵と名をよばれじとつゝしみをなすと見えたり。
 
 
見しは今、知人多し。此等の人江戸はんじやうの町に有て目出度さかえ、死期しごに至て若き子供に家屋敷いへやしき財宝ざいはうをさしそへゆづり卒去す。其子供家財を請取といへども、たゞいたづらに年月を送り、五年三年のオープンアクセス NDLJP:358内に財宝皆々つかひつくし、あまつさへ借金有て、家屋敷を売りすてちくてんするも有り、或は人につかはれ、或は乞食するも有り。是如何なれば、今はくわれいの時代なれば世の風俗をことゝし、分際ぶんざいに過ぎたる振舞なせるが故也。われ是を見て涙をながし、誰が身の向後もかくこそあらめ。論語にいはく之を愛し能く労する事なからんやと云々。これは孔子の語也。子をあいするともをしへよとの義なり。我も人も子をあはれむ計にてをしへもなく、おのが心にまかせそだつる故、仁義孝弟の道をもしらず。身の向後をもわきまへざる故也。右の金言を思ふにつけても、愚息一人有り。幼少なればいさむるとてもかひ有るまじとなげき思ふ余りに、言の葉を一首つらね、是かれと物によそへて百首よみぬ。是人の為にあらず、みづからが心をなぐさむる筆のすさみに書き加へ侍る。愚老卒して後、もし思ひ出でやせんとなり。
 
 

おさなきはたゞ何事もうちおきてよみ書のみの手習ひをせよ

わらはべのとはず語りに口きゝて戯れするはにくしうるさし

をさなきがやうじつかはず爪きらず髪をもゆはぬさまはつたなし

稚きは立居たちゐあるきをしとやかに言葉すくなにやさしかれとよ

善悪のなにはのことも稚きはをしへを聞くぞかしこかりける

いやしきに伴ひぬればおのづから姿すがたことばもともにいやしし

主親へあふぎはなかみわたすともいだす法あり人にたづねよ

おろかなる身なりと思ひくたすなよ道を学ぶは根気にぞよる

かりそめもそらごとなせばくせとなり誠をいへど偽りになる

道しれるひとりの下でよくまなべ後は数多のかたをこゆべし

心えぬことをばはぢず人にとへしりたりとてもとふは礼なり

我ための一けいあらば心がけあまたの道をおもひばしすな

よき事を心にかけてくせにせよ後思のちおもはねどくせはわすれず

友人としたしみありてかたるとも心のおくはいひ残すべし

色かたち見て何かせんその人の言葉ことばを聞きてよしあしをしれ

道をよくまなびいさめを聞くとても後思はねばきかず学ばず

いやしくも道有る人をあがむべし名高きとても無知はいやしし

国に入り門に入るにも礼義れいぎありしらずば入にとひておこなへ

我身をばいやしみことを軽くせよ人をば重くあがむるぞよき

友人の誠有るにはしたひよれいつはりあらば遠ざかるべし

オープンアクセス NDLJP:359なす事のなくてあそびを好みなば後乞食のちこつじきのわざをなすべし

やみもせぬまへのりやうぢをゆだんすな油断ゆだんてきにかつくすりなし

ゑせものふは其日そのひのけがとしりことをとがめずそこを立ちのけ

かたき持曲れる人とたんりよなる人にはかりの道づれもすな

衣装をばよきをこのまで見苦しくなくさへあらばおほかたにせよ

みゝきまなこにたる色声いろこゑはらにあぢはひむねにをさめよ

富るともおごりばしすな栄ゆるはおとろふる世の習ならずや

一日の身のいとなみを安からずおもはゞやすく年をへぬべし

なすわざはよきにもとづき世を送れ死るきは迄身を離れねば

たからをばふかくかくしてみするなよぬすみをするはまなこなりけり

神仏かみほとけゐますがごとくをがみせば二ねがひはむなしかるまじ

知るしらず人の憂ひを聞くならばともになげくぞ仁の道なり

人の上しりがほすれど身の程をしらぬ者こそ世にはおほけれ

身の程の振舞するぞ見てもよし過ぐれば人のそしりあるべし

やぶれをばすこしきときにこしらへようちおきぬればおほぞんとなる

ことわらん事をとゞけずうちおけばのち災の有るべしとしれ

人あまたまじはるならば何事も他に任するをよしとしるべし

まことしきうそはかたると見聞みきくともいつはりげなるまことかたるな

一言に心のうちのしらるればものいひいだすまへをつゝしめ

さきの世のちぎりあはれめきみと臣またのちのもめぐりあはめや

ばくちうち喧嘩を好みきよごんいふ人をば隔て睦ぶべからず

よきとも智者ちしやいしや福者老者ふくしやらうじやにはちかくよりそひ親しみをなせ

よきにつきあしきに付て親子をばおもひ他人は思はぬとしれ

世のなかの人を親子と思ふにぞにくしとひとりすつる者なし

養生やうじやうをよくするたびにわすれずはわれとくすしで病有るまじ

よき事を内のものにはして見せよ上をまなぶはしものならひぞ

家主は朝とくおきて内そとを見めぐりてのち身のかまへせよ

くれなば用心ようじんをいひつけよ下部しもべの者のゆだんがちなる

ものごとに下女は当意たういをあがなひて後のわざはひ思はぬとしれ

老いたるを敬ひしもをあはれみてかりにも人に無礼ばしすな

オープンアクセス NDLJP:360我家へ人きたりなばこゝろよく言葉ことばをかはしむつましくせよ

よき事もあしき事をもかゞみぞと人を見わけて我身をはしれ

わが妻をば常にいさめよともすればねたき心のねざし出るに

身におはぬ福は願ふとかひあらじ世は皆さきのむくいとをしれ

いのるともいのらずとても直なるひとをばかみのまもるとぞきく

ひとりある女のきはと二人居て語るあたりへよらぬことなり

日々にわが身の上をのみかへりみて人をおろかに思ひばしすな

しるをしり知らずはしらず有るやうにかたる人にぞ睦び易けれ

わざをかろく思ひておこたらばおもきなげきに長く逢ふべし

よき事と思ひて人のなすげいをわがきらひとて誹りばしすな

大きなる事をなすにはものごとのすこしき事は打ちすてゝおけ

つゝしみもなくて言葉ことばをもらす人のちのやぶれをまねく成るべし

我人によくあたりなば人われに其ほどこしをせではおくまじ

ひとにわろくいはれずわれ一よくさかゆるはかうだい

一銭をかろく思はでたくはへよちりつもりては山とならずや

よそ事をわろく云ひなす其人は我身の上もいふとしるべし

ともかくも人の諫めを聞くぞよきはかりがたきはわが心なり

ことたらぬをななげきそ独思ひとりおもふやうなる人しなければ

なすわざもわろくば品をかへてまし是をかしこき人といふ也

物しらぬ人こそ世には多からめ笑ふはおのれしらぬなりけり

たかからぬくらゐなげきそわが智恵のひろからざるをふかかなしめ

古郷ふるさともあしくばよそへとくかへよ一のだいじ住処なり

よしあしの人の心は物いはず目に見ぬとても友にしらるゝ

家作いへづくりつかひ道具だうぐのほどにしおきたるこそこゝろにくけれ

なすわざのいとまのあらば願はくは和歌わかまなびて心なぐさめ

ふうふなかよきは他人たにんゆかしへだてのるはきくもいたまし

かきみゝそらまなこのありとかやかくすことをばふかくつゝしめ

堪忍かんにんの一つによりてさし出づる百のいかりはしづまりぬべし

のなかに鬼神おにがみよりもおそるべき物は道理だうりをしらぬ人なり

物毎に仁義作法さはふの有るなればしらずば人のまじはりなせそ

オープンアクセス NDLJP:361善事よきことを人にほどこし身にうくることをじするをみちとしれ

まづしきは願ひすくなし富みぬれば望み多くて身をぞ苦しむ

ひとりして美食びしよくこのむはつたなしやあまたともなひ味ひをなせ

かほもちを常によくせよあしければ海道かいだうにても人の目にたつ

老いたるを笑ひばしすな年よればかつは好味かうみの有る物ぞかし

上を見て世をなうらみそわれよりも下をあいして心なぐさめ

よひにねてとらにおくれば一にちのさいはひはおほく有るべし

辻路次つじろじで人にあふとものがさず礼義れいぎをなして行き別るべし

我為になす善根ぜんこんはつみと成りにほどこすは大くどくなり

よき人の中にまじはれためざるにまがる心もすなほ成るべし

思はずもけふさいはひに逢ふならばるすわざはひの有るべしとしれ

何事もそのと計にこゝろえず一つによりて百をしるべし

人の物ほしくおもはゞ我物を人ほしがるを思ひあはせよ

養生やうじやうをつねにこゝろを安くせよよはひのぶるにます薬なし

香花を親に手向はいけるごとつかふまつりてかうをせよ

げいのうは有りとなし共人はたゞ心ひとつをよくをさむべし

生は死と兼てさとればにはかなるにいたりても驚きはなし

いたづらにあかくらさじ月花にこゝろをよせてのあはれしれ

のちにぢごくのりときくなればいけるあひだに用心ようじんをせよ

何事なにごとも上をおそれて大切たいせつをつゝしみて一さかえよ