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万葉集 (鹿持雅澄訓訂)/巻第五

提供:Wikisource

.巻第五いつまきにあたるまき


雑歌くさぐさのうた


太宰帥おほみこともちのかみ大伴のまへつきみの凶問に報へたまふ歌一首ひとつ、また序

禍故重畳かさなり、凶問しきりに集まる。ひたぶるに心を崩す悲しみを懐き、独り腸を断つなみだを流す。但両君の大助に依りて傾命わづかに継ぐのみ。筆言を尽さず。古今歎く所なり。

0793 世の中は空しきものと知る時しいよよますます悲しかりけり

     神亀じむき五年いつとせといふとし六月みなつき二十三日はつかまりみかのひ


筑前守つくしのみちのくちのかみ山上臣憶良やまのへのおみおくらみまかれる悲傷かなしめるからうた一首、また序

盖し聞く、四生の起滅は、夢にあたりて皆空なり。三界の漂流は、環の息まざるに喩ふ。所以に維摩大士は方丈に在りて、疾に染むうれひを懐くこと有り。釋迦能仁は双林に坐し、ないオンの苦を免るること無しと。故に知る、二聖至極すら、力負のぎて至るを払ふこと能はず。三千世界、誰か能く黒闇の捜り来たるを逃れむ。二鼠にそ競ひ走りて、目をわたる鳥あしたに飛び、四蛇争ひ侵して、隙を過ぐる駒夕に走る。嗟乎ああ痛きかな。紅顏三従と共に長逝し、素質四徳とともに永滅す。何そ図らむ、偕老要期に違ひ、独飛半路に生ぜむとは。蘭室の屏風徒らに張り、断腸の哀しみ弥よ痛し。枕頭の明鏡空しく懸かり、染ヰンの涙逾よ落つ。泉門一掩すれば、再見に由無し。嗚呼哀しきかな。

   愛河の波浪已く先づ滅び

   苦海の煩悩また結ぶこと無し

   従来此の穢土を厭離す

   本願生を彼の浄刹に託せむ


日本挽歌かなしみのやまとうた一首、また短歌みじかうた

0794 大王おほきみの 遠の朝廷みかどと しらぬひ 筑紫つくしの国に

   泣く子なす 慕ひ来まして 息だにも いまだ休めず

   年月も 幾だもあらねば 心ゆも 思はぬ間に

   打ち靡き やしぬれ 言はむすべ 為むすべ知らに

   岩木をも 問ひ放け知らず 家ならば 形はあらむを

   恨めしき 妹の命の あれをばも いかにせよとか

   にほ鳥の 二人並び居 語らひし 心背きて 家ざかりいます

反し歌

0795 家に行きて如何にかがせむ枕付く妻屋さぶしく思ほゆべしも

0796 しきよしかくのみからに慕ひし妹が心のすべもすべ無さ

0797 悔しかもかく知らませば青丹よし国内くぬちことごと見せましものを

0798 妹が見しあふちの花は散りぬべし我が泣く涙いまだなくに

0799 大野山おほぬやま霧立ち渡る我が嘆く息嘯おきその風に霧立ち渡る

     神亀五年七月ふみつき二十一日はつかまりひとひ筑前国つくしのみちのくちのくにかみ

     山上憶良たてまつる。


惑へるこころかへさしむる歌一首、また序

或る人、父母敬はずして、侍養を忘れ、妻子を顧みざること脱履よりも軽し。自ら異俗先生せむじやうと称る。意気青雲の上に揚がると雖も、身体は猶塵俗の中に在り。未だ修行得道の聖をらず。蓋し是山沢に亡命する民なり。所以かれ三綱を指示しめして、更に五教を開く。遣るに歌を以て、其の惑ひを反さしむ。その歌に曰く、

0800 父母を 見れば貴し 妻子めこ見れば めぐしうつく

   遁ろえぬ 兄弟はらから親族うがら 遁ろえぬ 老いみいとけ

   朋友ともかきの 言問ひ交はす 世の中は かくぞことわり

   もち鳥の かからはしもよ 早川の ゆくへ知らねば

   穿沓うけぐつを 脱きるごとく  踏み脱きて 行くちふ人は

   石木いはきより 成りてし人か が名らさね

   あめへ行かば 汝がまにまに つちならば 大王おほきみいます

   この照らす 日月の下は 天雲の 向伏す極み

   蟾蜍たにぐくの さ渡る極み 聞こしす 国のまほらぞ

   かにかくに 欲しきまにまに しかにはあらじか

反し歌

0801 久かたの天道あまぢは遠し黙々なほなほに家に帰りてなりを為まさに


子等をしぬふ歌一首、また序

釋迦如来金口こんく正に説きたまへらく、等しく衆生を思ふこと、羅ゴ羅の如しとのたまへり。又説きたまへらく、愛は子に過ぐること無しとのたまへり。至極の大聖すら、子をうつくしむ心有り。況乎まして世間の蒼生あをひとぐさ、誰か子を愛まざる。

0802 瓜めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ

   いづくより 来りしものぞ 眼交まなかひに もとなかかりて

   安眠やすいさぬ

反し歌

0803 しろかねくがねも玉も何せむにまされる宝子にしかめやも


世間よのなかとどまり難きを哀しめる歌一首、また序

集め易く排し難し、八大辛苦。遂げ難く尽し易し、百年の賞楽。古人の歎きし所、今また及ぶ。所以因かれ一章の歌を作みて、以て二毛の歎きをのぞく。其の歌に曰く、

0804 世間よのなかの すべなきものは 年月は 流るるごとし

   取り続き 追ひ来るものは 百種ももくさに 迫め寄り来たる

   娘子をとめらが 娘子さびすと 唐玉を 手本に巻かし

   白妙の 袖振り交はし 紅の 赤裳裾引き

   よち子らと 手携はりて 遊びけむ 時の盛りを

   留みかね 過ぐしやりつれ みなわた か黒き髪に

   いつの間か 霜の降りけむ なす おもての上に

   いづくゆか 皺か来たりし ますらをの 男さびすと

   剣太刀 腰に取り佩き さつ弓を 握り持ちて

   赤駒に 倭文鞍しつくらうち置き 這ひ乗りて 遊び歩きし

   世間や 常にありける 娘子らが 閉鳴さなす板戸を

   押し開き い辿り寄りて 真玉手の 玉手さし交へ

   さ寝し夜の いくだもあらねば 手束杖たつかづえ 腰にたがねて

   か行けば 人に厭はえ かく行けば 人に憎まえ

   老よし男は かくのみならし 玉きはる 命惜しけど 為むすべもなし

反し歌

0805 常磐なすかくしもがもと思へども世の事なれば留みかねつも

     神亀五年七月の二十一日、嘉摩かまの郡にて撰定えらぶ。

     筑前国守山上憶良。


太宰帥大伴の卿の相聞歌したしみうた二首

〔脱文〕

歌詞両首 太宰帥大伴卿

0806 龍のも今も得てしか青丹よし奈良の都に行きて来むため

0807 うつつには逢ふよしも無しぬば玉の夜のいめにを継ぎて見えこそ

     大伴淡等たびと謹状。


官氏報ふる歌二首

伏して来書をかたじけなくす。つぶさに芳旨を承る。忽ち漢を隔つる恋を成し、復た梁を抱く意を傷む。唯ともしくは、去留恙無く、遂に雲をひらかむことを待つのみ。

答ふる歌二首

0808 龍の馬をあれは求めむ青丹よし奈良の都に来む人のたに

0809 直に逢はずあらくも多し敷細しきたへの枕去らずて夢にし見えむ

     姓名謹状。


かみ大伴の卿の梧桐きり日本琴やまとこと中衛大将なかのまもりのつかさのかみ藤原の卿に贈りたまへる歌二首

梧桐の日本琴一面ひとつ 對馬ノ結石山ノ孫枝ナリ

此の琴、夢に娘子にりて曰けらく、「われ根を遥島の崇巒すうれむせ、から九陽くやうの休光にさらす。長く烟霞を帯びて、山川のくまに逍遥す。遠く風波を望みて、雁木の間に出入りす。唯百年の後、空しく溝壑こうがくに朽ちなむことを恐れき。たまたま長匠に遭ひて、散りて小琴と為りき。質あらく音少きを顧みず、恒に君子うまひとの左琴とならむことを希ふ」といひて、即ち歌ひけらく、

0810 いかにあらむ日の時にかも声知らむ人の膝のが枕かむ

われその詩詠うたこたへけらく、

0811 言問はぬ木にはありともうるはしき君が馴れの琴にしあるべし

琴の娘子が答曰へらく、「敬みて徳音をうけたまはる。幸甚幸甚」といへり。片時にして覚めたり。即ち夢の言にかまけ、慨然として黙止もだり得ず。かれ公使おほやけつかひに附けて、聊か進御たてまつるのみ。 謹状不具

     天平てんびやう元年十月の七日、使に附けて進上たてまつる。

     謹みて中衛高明閤下にたてまつる 謹空。


中衛大将藤原の卿の報へたまふ歌一首

跪きて芳音を承はる。嘉懽こもごも深し。乃ち龍門の恩復た蓬身の上に厚きことを知りぬ。恋望殊念、常心に百倍す。謹みて白雲の什に和へて、野鄙の歌をたてまつる。房前謹状。

0812 言問はぬ木にもありとも我が背子が手馴れの御琴つちに置かめやも

     十一月八日、還る使大監おほきまつりごとひとに附けて、

     謹みて尊門記室にたてまつる。


山上臣憶良が鎮懐石を詠める歌一首、また短歌

筑前国怡土郡いとのこほり深江村ふかえのむら子負原こふのはら、海にひたる丘の上に二の石有り。大きなるは長さ一尺ひとさかまり二寸ふたき六分むきだうだき一尺八寸やき六分、重さ十八斤とをまりむはかり五両いつころ。小さきは長さ一尺一寸、囲き一尺八寸、重さ十六斤十両。並皆みな楕円にして状鶏の子の如し。其の美好うるはしきこと、へて論ふべからず。所謂径尺璧これなり 或は云く、此の二の石は肥前国彼杵郡平敷の石にして、占に当りて取ると。深江の駅家を去ること二十許里はたさとばかり、近く路頭在り。公私の往来、馬より下りて跪拝をろがまざるは莫し。古老相伝へて曰く、往者いにしへ息長足日女おきながたらしひめの命、新羅の国を征討ことむけたまひし時、茲の両の石をもちて御袖の中に挿著さしはさみたまひて、以て鎮懐と為したまふと 実はこれ御裳の中なり。所以かれ行人みちゆきひと此の石を敬拝すといへり。乃ち歌よみすらく、

0813 かけまくは あやに畏し 足日女たらしひめ 神の命

   韓国からくにを 向け平らげて 御心を 鎮めたまふと

   い取らして いはひたまひし 真玉なす 二つの石を

   世の人に 示したまひて 万代に 言ひ継ぐがねと

   わたの底 沖つ深江の 海上うなかみの 子負の原に

   御手づから 置かしたまひて 神ながら 神さびいます

   奇御魂くしみたま 今のをつつに 貴きろかも

0814 天地のともに久しく言ひ継げとこの奇御魂敷かしけらしも

     右ノ事伝ヘ言フハ、那珂郡伊知郷蓑島ノ人、

     建部牛麻呂タテベノウシマロナリ。


太宰帥大伴の卿の宅に宴してよめる梅の花の歌三十二首みそぢまりふたつ、また序

天平二年ふたとせといふとし正月むつき十三日とをかまりみかのひかみおきないへつどひて、宴会をぶ。時に初春の令月、気淑く風和ぐ。梅は鏡前の粉をひらき、蘭は珮後の香を薫らす。加以しかのみにあらず曙は嶺に雲を移し、松はうすきぬを掛けてきぬかさを傾け、夕岫せきしふに霧を結び、鳥はうすものにこもりて林に迷ふ。庭には舞ふ新蝶あり、空には帰る故雁あり。是に天を盖にし地をしきゐにして、膝を促してさかづきを飛ばし、言を一室のうちに忘れ、衿を煙霞の外に開き、淡然として自放に、快然として自ら足れり。若し翰苑にあらずは、何を以てかこころをのべむ。請ひて落梅の篇をしるさむと。古今それ何ぞ異ならむ。園梅を賦し、聊か短詠みじかうたむべし。

0815 正月立ち春の来らばかくしこそ梅を折りつつ楽しき終へめ 大弐おほきすけ紀卿

0816 梅の花今咲けるごと散り過ぎず我がの園にありこせぬかも 少弐すなきすけ小野大夫

0817 梅の花咲きたる園の青柳はかづらにすべく成りにけらずや 少弐粟田大夫

0818 春さればまづ咲く屋戸の梅の花独り見つつや春日暮らさむ 筑前守山上大夫

0819 世の中は恋繁しゑやかくしあらば梅の花にも成らましものを 豊後守とよくにのみちのしりのかみ大伴大夫

0820 梅の花今盛りなり思ふどち挿頭かざしにしてな今盛りなり 筑後守つくしのみちのしりのかみ葛井大夫

0821 青柳梅との花を折り挿頭かざし飲みての後は散りぬともよし 某官笠氏沙弥

0822 我が園に梅の花散る久かたの天より雪の流れ来るかも 主人あるじ

0823 梅の花散らくはいづくしかすがにこのの山に雪は降りつつ 大監大伴氏百代

0824 梅の花散らまく惜しみ我が園の竹の林に鴬鳴くも 少監すなきまつりごとひと阿氏奥島

0825 梅の花咲きたる園の青柳を縵にしつつ遊び暮らさな 少監土氏百村

0826 打ち靡く春の柳と我が屋戸の梅の花とをいかにか分かむ 大典おほきふみひと史氏大原

0827 春されば木末こぬれがくりて鴬ぞ鳴きて去ぬなる梅が下枝しづえ少典すなきふみひと山氏若麻呂

0828 人ごとに折り挿頭しつつ遊べどもいやめづらしき梅の花かも 大判事おほきことわるつかさ舟氏麻呂

0829 梅の花咲きて散りなば桜花継ぎて咲くべく成りにてあらずや 薬師くすりし張氏福子さきこ

0830 万代に年は来経きふとも梅の花絶ゆることなく咲きわたるべし 筑前介佐氏子首こびと

0831 春なればうべも咲きたる梅の花君を思ふと夜寐よいも寝なくに 壹岐守いきのかみ板氏安麻呂

0832 梅の花折りて挿頭せる諸人は今日の間は楽しくあるべし 神司かむつかさ荒氏稲布いなふ

0833 年のはに春の来らばかくしこそ梅を挿頭して楽しく飲まめ 大令おほきふみひと史野氏宿奈麻呂

0834 梅の花今盛りなり百鳥の声のこほしき春来たるらし 少令すなきふみひと史田氏肥人うまひと

0835 春さらば逢はむとひし梅の花今日の遊びに相見つるかも 薬師高氏義通

0836 梅の花手折り挿頭して遊べども飽き足らぬ日は今日にしありけり 陰陽師うらのし磯氏法麻呂

0837 春の野に鳴くや鴬なつけむと我がの園に梅が花咲く 算師かぞへのし志氏大道

0838 梅の花散りまがひたる岡びには鴬鳴くも春かたまけて 大隅目おほすみのふみひと榎氏鉢麻呂もひまろ

0839 春のに霧立ちわたり降る雪と人の見るまで梅の花散る 筑前目田氏眞人

0840 春柳かづらに折りし梅の花誰か浮かべし酒坏のに 壹岐目村氏彼方をちかた

0841 鴬の音聞くなべに梅の花我ぎ家の園に咲きて知る見ゆ 對馬目高氏老

0842 我が屋戸の梅の下枝に遊びつつ鴬鳴くも散らまく惜しみ 薩摩目高氏海人

0843 梅の花折り挿頭しつつ諸人の遊ぶを見れば都しぞ思ふ 土師氏御通

0844 妹がに雪かも降ると見るまでにここだもまがふ梅の花かも 小野氏国堅

0845 鴬の待ちかてにせし梅が花散らずありこそ思ふ子が為 筑前拯まつりごとひと門氏石足

0846 霞立つ長き春日を挿頭せれどいやなつかしき梅の花かも 小野氏淡理


員外かずよりほか故郷くにしぬふ歌両首ふたつ

0847 我が盛りいたくくだちぬ雲に飛ぶ薬むともまた変若をちめやも

0848 雲に飛ぶ薬食むよは都見ばいやしきが身また変若ぬべし


後に追ひてめるうめのはなの歌四首

0849 残りたる雪に交れる梅の花早くな散りそ雪はぬとも

0850 雪の色を奪ひて咲ける梅の花今盛りなり見む人もがも

0851 我が屋戸に盛りに咲ける梅の花散るべくなりぬ見む人もがも

0852 梅の花夢に語らく風流みやびたる花とあれふ酒に浮かべこそ


松浦河まつらがはに遊びて贈り答ふる歌八首、また序

われ暫く松浦県まつらがたに往きて逍遥し、玉島の潭に臨みて遊覧するに、忽ち魚釣る女子等にへり。花容双び無く、光儀匹ひ無し。柳葉を眉中に開き、桃花を頬上にひらく。意気雲を凌ぎ、風流世に絶えたり。われ問ひけらく、「誰が郷誰が家の児等ぞ。若疑けだし神仙ならむか」。をとめ等皆咲みて答へけらく、「児等は漁夫のいへの児、草菴のいやしき者、郷も無く家も無し。なぞもるに足らむ。唯性水に便り、復た心に山を楽しぶ。或は洛浦に臨みて、徒に王魚をともしみ、あるいは巫峡に臥して空しく烟霞を望む。今邂逅わくらば貴客うまひと相遇ひ、感応に勝へず、輙ち款曲を陳ぶ。今より後、豈に偕老ならざるべけむや」。下官おのれ対ひて曰く、「唯々をを、敬みて芳命をうけたまはりき」。時に日は山西に落ち、驪馬りば去なむとす。遂に懐抱をべ、因て詠みて贈れる歌に曰く、

0853 漁りする海人の子どもと人は言へど見るに知らえぬ貴人うまひとの子と

答ふるうたに曰く、

0854 玉島のこの川上に家はあれど君をやさしみ顕はさずありき

蓬客等をのれまた贈れる歌三首

0855 松浦川川の瀬光り鮎釣ると立たせる妹が裳の裾濡れぬ

0856 松浦なる玉島川に鮎釣ると立たせる子らが家道知らずも

0857 遠つ人松浦の川に若鮎わかゆ釣る妹が手本を我こそ巻かめ

娘等をとめらまた報ふる歌三首

0858 若鮎釣る松浦の川の川波の並にしはば我恋ひめやも

0859 春されば我家わぎへの里の川門かはどには鮎子さ走る君待ちがてに

0860 松浦川七瀬の淀は淀むとも我は淀まず君をし待たむ

後れたる人の追ひてめるうた三首 都帥老

0861 松浦川川の瀬早み紅の裳の裾濡れて鮎か釣るらむ

0862 人皆の見らむ松浦の玉島を見ずてや我は恋ひつつ居らむ

0863 松浦川玉島の浦に若鮎釣る妹らを見らむ人のともしさ


吉田連宜よしだのむらじよろしが答ふる歌四首

よろしまをす。伏して四月の六日の賜書をうけたまはり、跪きて封函を開き、芳藻を拝読するに、心神の開朗たること、泰初が月をうだきしに似たり。鄙懐の除こること、樂廣が天をひらきしが若し。至若しかのみにあらず、辺域に羇旅し、古旧を懐ひて志を傷ましむ。年矢停まらず、平生を憶ひて涙をながす。但達人は排に安みし、君子は悶り無し。伏してこひねがはくは、朝にきぎしなつくる化を宣べ、暮に亀を放つ術をたもち、張趙を百代に架し、松喬を千齢に追はむのみ。兼ねて垂示を奉はる、梅苑の芳席、群英藻をのべ、松浦の玉潭、仙媛の贈答、杏壇各言の作にたぐへ、衡皐税駕の篇になぞらふ。耽読吟諷し、感謝歓怡す。よろし主をしぬふ誠、誠に犬馬に逾ゆ。徳を仰ぐ心、心葵きつカクに同じ。而るに碧海地を分ち、白雲天を隔て、徒に傾延を積む。なぞも労緒を慰めむ。孟秋膺節、伏して願はくは万祐日新たむことを。今相撲部領使すまひことりつかひに因りて、謹みて片紙を付く。宜謹みて啓す。不次。

諸人の梅の花の歌になぞらまつ一首ひとうた

0864 後れ居て長恋せずは御苑生みそのふの梅の花にも成らましものを

松浦仙媛まつらをとめの歌に和ふる一首

0865 君を待つ松浦の浦の娘子らは常世の国の海人娘子かも

君を思ふこと未だ尽きずてまたしるせる二首うたふたつ

0866 はろばろに思ほゆるかも白雲の千重に隔てる筑紫の国は

0867 君がゆき長くなりぬ奈良道なる山斎しまの木立も神さびにけり

     天平二年ふたとせといふとし七月の十日とをかのひ


山上臣憶良が松浦の歌三首みつ

憶良誠惶頓首謹啓す。憶良聞く、方岳の諸侯、都督の刺使、みな典法に依りて部下を巡行し、其の風俗をる。意内端多く、口外出し難し。謹みて三首の鄙歌を以て、五蔵の欝結を写さむとす。其の歌に曰く、

0868 松浦がた佐用姫さよひめの子が領巾ひれ振りし山の名のみや聞きつつ居らむ

0869 足姫たらしひめ神の命の釣らすとみ立たしせりし石を誰見き

0870 百日ももかしも行かぬ松浦道今日行きて明日はなむを何かさやれる

     天平二年七月の十一日、筑前国司山上憶良謹みてたてまつる。


領巾麾ひれふりを詠める歌一首

大伴佐提比古さでひこ良子いらつこひとり朝命おほみことかがふり、藩国みやつこくに奉使けらる。艤棹ふなよそひしてき、稍蒼波をあつむ。その松浦佐用嬪面さよひめ、此の別れの易きをなげき、の会ひの難きを嘆く。即ち高山の嶺に登りて遥かにさかく船を望む。悵然として腸を断ち、黯然としてたまつ。遂に領巾を脱きてる。傍者流涕かなしまざるはなかりき。かれ此の山を領巾麾の嶺となづくといへり。乃ち作歌うたよみすらく、

0871 遠つ人松浦佐用姫夫恋つまこひに領巾振りしより負へる山の名

後の人が追ひてなぞらふる歌一首

0872 山の名と言ひ継げとかも佐用姫がこの山のに領巾を振りけむ

いと後の人が追ひて和ふる歌一首

0873 万代に語り継げとしこのたけに領巾振りけらし松浦佐用姫

最最いといと後の人が追ひて和ふる歌二首

0874 海原うなはらの沖行く船を帰れとか領巾振らしけむ松浦佐用姫

0875 ゆく船を振り留みかね如何ばかりこほしくありけむ松浦佐用姫


書殿ふみとの餞酒うまのはなむけせる日の倭歌やまとうた四首

0876 あま飛ぶや鳥にもがもや都まで送り申して飛び帰るもの

0877 人皆のうらぶれ居るに立田山御馬みま近づかば忘らしなむか

0878 言ひつつも後こそ知らめしましくもさぶしけめやも君いまさずして

0879 万代にいまし給ひて天の下奏まをし給はね朝廷みかど去らずて

敢へて私おもひぶる歌三首

0880 天ざかるひな五年いつとせ住まひつつ都の風俗てぶり忘らえにけり

0881 かくのみや息づき居らむあら玉の来経きへゆく年の限り知らずて

0882 が主の御霊みたま賜ひて春さらば奈良の都に召上めさげ賜はね

     天平二年十二月しはす六日むかのひ、筑前国司山上憶良、

     謹みてたてまつる。


三島王の後に追ひてなぞらへたまへる松浦佐用嬪面の歌一首

0883 音に聞き目にはいまだ見ず佐用姫が領巾振りきとふ君松浦山


大典おほきふみひと麻田連陽春あさたのむらじやすが大伴君熊凝くまこりかはりて志を述ぶる歌二首

0884 国遠き道の長手をおほほしくふや過ぎなむ言問ことどひもなく

0885 朝露のやすきが身他国ひとくにに過ぎかてぬかも親の目を欲り

筑前の国司守みこともちのかみ山上憶良が、熊凝にかはりて其の志を述ぶる歌に敬みてなぞらふるうた六首、また序

大伴君熊凝は、肥後国ひのみちのしりのくに益城郡ましきのこほりの人なり。年十八歳とをまりやつ。天平三年みとせといふとし六月みなつき十七日とをかまりなぬかのひを以て、相撲使すまひのつかひ某の国のみこともち官位姓名の従人ともびとと為り、京都みやこ参向まゐのぼる。天為るかも不幸、路に在りて疾を獲、即ち安藝国佐伯郡さいきのこほり高庭たかには駅家うまやにて、身故みまかりぬ。臨終まからむとする時、長歎息なげきて曰く、「伝へ聞く、仮合の身滅び易く、泡沫の命駐め難し。所以に千聖已く去り、百賢留まらず。况乎まして凡愚の微しき者、何ぞも能く逃れ避らむ。但我が老親、みな菴室に在りて、我を侍つこと日を過ぐし、自ら心を傷む恨み有らむ。我を望むこと時を違へり。必ず明を喪ふなみだを致さむ。哀しき哉我が父、痛き哉我が母。一身死に向かふ途をうれへず、唯二親在生の苦を悲しむ。今日長く別れ、何れの世かも観ることを得む」。乃ち歌六首むつみてみまかりぬ。其の歌に曰く、

0886 打日さす 宮へ上ると たらちしの 母が手離れ

   常知らぬ 国の奥処おくかを 百重山 越えて過ぎゆき

   いつしかも 都を見むと 思ひつつ 語らひ居れど

   おのが身し いたはしければ 玉ほこの 道の隈廻くまみ

   草手折り 柴取り敷きて 床じもの うちい伏して

   思ひつつ 嘆き伏せらく 国にあらば 父とり見まし

   家にあらば 母とり見まし 世間よのなかは かくのみならし

   犬じもの 道に伏してや 命過ぎなむ

0887 たらちしの母が目見ずておほほしくいづち向きてかが別るらむ

0888 常知らぬ道の長手を暗々くれくれといかにか行かむかりては無しに

0889 家にありて母が取り見ば慰むる心はあらまし死なば死ぬとも

0890 出でてゆきし日を数へつつ今日今日とを待たすらむ父母らはも

0891 一世には二遍ふたたび見えぬ父母を置きてや長くが別れなむ


貧窮問答の歌一首、また短歌

0892 風まじり 雨降るの 雨雑り 雪降る夜は

   すべもなく 寒くしあれば 堅塩を 取りつづしろひ

   糟湯酒かすゆさけ うちすすろひて しはぶかひ 鼻びしびしに

   しかとあらぬ 髭掻き撫でて あれをおきて 人はあらじと

   誇ろへど 寒くしあれば 麻衾あさふすま 引きかがふ

   布肩衣ぬのかたきぬ ありのことごと 着へども 寒き夜すらを

   我よりも 貧しき人の 父母は 飢ゑ寒からむ

   妻子めこどもは 乞ひて泣くらむ この時は いかにしつつか が世は渡る

   天地は 広しといへど が為は くやなりぬる

   日月は あかしといへど が為は 照りやたまはぬ

   人皆か のみやしかる わくらばに 人とはあるを

   人並に あれも作るを 綿も無き 布肩衣の

   海松みるのごと わわさがれる かかふのみ 肩に打ち掛け

   伏廬ふせいほの 曲廬まげいほの内に 直土ひたつちに 藁解き敷きて

   父母は 枕の方に 妻子どもは あとの方に

   囲み居て 憂へさまよひ 竈には 火気けぶり吹き立てず

   こしきには 蜘蛛の巣かきて いひかしく ことも忘れて

   ぬえ鳥の のどよび居るに いとのきて 短き物を

   端切ると 云へるが如く 笞杖しもと執る 里長さとをさが声は

   寝屋処ねやどまで 来立ち呼ばひぬ かくばかり すべなきものか 世間よのなかの道

0893 世間を憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば

0900 富人の家の子どもの着る身なみくたし捨つらむ絹綿らはも

0901 荒布あらたへの布衣をだに着せかてにかくや嘆かむ為むすべを無み

     山上憶良頓首謹みて上る。


好去好来の歌一首、また短歌

0894 神代より 言ひ伝てらく そらみつ やまとの国は

   皇神すめかみの いつくしき国 言霊ことたまの さきはふ国と

   語り継ぎ 言ひ継がひけり 今の世の 人もことごと

   目の前に 見たり知りたり 人さはに 満ちてはあれども

   高光る 日の朝廷みかど 神ながら 愛での盛りに

   天の下 まをしたまひし 家の子と 選びたまひて

   大御言 反云、大命オホミコト 戴き持ちて もろこしの 遠き境に

   遣はされ 罷りいませ 海原の にも沖にも

   神づまり うしはきいます 諸々の 大御神たち

   船の舳に 反云、フナノヘニ 導きまをし 天地の 大御神たち

   倭の 大国御魂みたま 久かたの あまのみ空ゆ

   天翔あまかけり 見渡したまひ 事終り 帰らむ日には

   又更に 大御神たち 船の舳に 御手うち掛けて

   墨縄を へたるごとく 阿庭可遠志 値嘉ちかの崎より

   大伴の 御津の浜びに ただてに 御船は泊てむ

   つつみなく 幸くいまして 早帰りませ

反し歌

0895 大伴の御津の松原かき掃きて我立ち待たむ早帰りませ

0896 難波津に御船泊てぬと聞こえ来ば紐解き放けて立ち走りせむ

     天平五年三月の一日 良宅対面、献ルハ三日ナリ。山上憶良 謹みて上る。

     大唐大使もろこしにつかはすつかひのかみの卿の記室。


沈痾自哀文 山上憶良作

ひそかにおもひみるに、朝夕山野に佃食する者すら、猶災害無くして世を度ることを得 謂ふは、常に弓箭を執りて六斎を避けず、値ふところの禽獣、大小を論はず、孕めるとまた孕まざると、並皆みな殺し食らふ。此を以て業と為す者をいへり。昼夜河海に釣漁する者すら、尚慶福有りて俗を経ることを全くす 謂ふは、漁夫潜女各勤むるところ有り。男は手に竹竿を把りて、能く波浪の上に釣り、女は腰に鑿と籠を帯び、潜きて深潭の底に採る者をいへり。况乎まして我胎生より今日に至るまで、自ら修善の志有り、曽て作悪の心無し 謂ふは、諸悪莫作、諸善奉行の教へを聞くことをいへり。所以に三宝を礼拝し、日として勤まざるは無く 毎日誦経、発露、懺悔せり、百神を敬重し、夜として欠けたることし 謂ふは、天地諸神等を敬拝するをいへり。嗟乎ああやさしきかも、我いかなる罪を犯してか此の重疾に遭へる 謂ふは、未だ過去に造りし罪か、若しは是現前に犯せる過なるかを知らず、罪過を犯すこと無くは、何ぞ此の病を獲むやといへり。初めて痾ひに沈みしより已来このかた、年月稍多し 謂ふは、十余年を経たるをいへり。是の時年七十有四、鬢髪斑白にして、筋力汪羸わうるい。但に年老いるのみにあらず、復た斯の病を加へたり。諺に曰く、「痛き瘡は塩を灌ぎ、短き材は端を截る」といふは、此の謂なり。四支動かず、百節皆疼み、身体太だ重きこと、猶鈞石を負へるがごとし 二十四銖を一両と為し、十六両を一斤を為し、卅斤を一鈞と為し、四鈞を一石と為す、合せて一百廿斤なり。布を懸けて立たむとすれば、翼折れたる鳥の如く、杖に倚りて歩まむとすれば、跛足あしなへうさぎうまたぐふ。吾、身已く俗を穿ち、心も亦塵につながるるを以て、禍の伏す所、祟の隠るる所を知らむと欲ひ、亀卜の門、巫祝の室に、徃きて問はずといふこと無し。若しは実なれ、若しはいつはりなれ、其の教ふる所に隋ひ、幣帛を奉り、祈祷せずといふこと無し。然れども弥よ苦を増す有り、曽て減差ゆること無し。吾聞く、前代に多く良医有りて、蒼生の病患を救療す。楡柎、扁鵲、華他、秦の和、緩、葛稚川、陶隠居、張仲景等のごときに至りては、皆是世に在りし良医にして、除愈せずといふこと無しと 扁鵲、姓は秦、字は越人、勃海郡の人なり。胸を割きて心腸を採りて之を置き、るるに神薬を以てすれば、即ち寤めて平の如し。華他、字は元化、沛国のセフの人なり。若し病結積むすぼ沈重おもれる者有らば、内に在る者は腸を刳きて病を取る。縫ひ復して膏を摩れば、四五日にしてゆ。件のくすしを追ひ望むとも、敢へて及ぶ所にあらじ。若し聖医神薬に逢はば、仰ぎ願はくは五蔵を割刳きて百病を抄採さぐり、尋ねて膏盲の奥処あうしよいたり 盲は鬲なり。心の下を膏とす。之を改むることからず。之に達れども及ばず、薬至らず、二竪の逃れ匿りたるを顕さむと 謂ふは、晉の景公疾み、秦のくすし緩視て還りしは、鬼の為に殺さると謂ふべしといへり。命根既く尽き、其の天年を終りてすら、なほ哀しと為す 聖人賢者一切含霊、誰か此の道を免れむ。何ぞ况んや、生録未だ半ばならずして、鬼に枉殺せられ、顏色壮年にして、病に横困せらる者をや。世に在るの大患、孰れか此より甚だしからむ 志恠記に云く、「廣平の前の大守、北海の徐玄方の女、年十八歳にして死ぬ。其の霊、馮馬子に謂ひて曰く、『我が生録を案ふるに、寿よはひ八十余歳なるべし。今妖鬼の為に枉殺されて、已に四年を経たり』と。此に馮馬子に遇ひて、乃ち更活よみがへることを得たり」といふは是なり。内教に云く、「瞻浮州の人は寿百二十歳なり」と。謹みて此の数を案ふるに、うたがたも此を過ぐること得ずといふに非ず。故に寿延経に云はく、「比丘有り、名を難逹と曰ふ。命終の時に臨み、仏に詣でて寿を請ひ、則ち十八年を延べたり」といふ。但善を為す者のみ、天地と相畢はる。其の寿夭は、業報の招く所にして、其の脩短に隋ひて半ばと為る。未だ斯の算に盈たずしてすみやかに死去す。故に未だ半ばならずと曰ふ。任徴君曰く、「病は口より入る。故に君子は其の飲食をつつしむ」と。斯に由りて言はば、人の疾病に遇ふは必も妖鬼にあらず。それ医方諸家の広説、飲食禁忌の厚訓、知ること易く行ふこと難き鈍情の、三つは目に盈ち耳に満つこと由来久し。抱朴子に曰く、「人は但其のまさに死なむ日を知らず、故に憂へざるのみ。若し誠に、羽カク期を延ぶること得べき者を知らば、必ず之を為さむ」と。此を以て観れば、乃ち知りぬ、我が病は盖しこれ飲食の招く所にして、自ら治むること能はぬものか。帛公略説に曰く、「伏して思ひ自ら励むに、斯の長生を以てす。生は貪るべし、死はおそるべし」と。天地の大徳を生と曰ふ。故に死人は生鼠に及かず。王侯為りと雖も、一日気を絶たば、金を積むこと山の如くありとも、誰か富とむ。威勢海の如くありとも、誰か貴しと為む。遊仙窟に曰く、「九泉下の人、一銭にだにあたひせず」と。孔子の曰く、「天に受けて、変易すべからぬものは形なり、命に受けて請益すべからぬものは寿いのちなり」と 鬼谷先生の相人書に見ゆ。故に生の極りて貴く、命の至りて重きことを知る。言はむと欲へば言窮まる。何を以てか言はむ。おもひはからむと欲へばおもひはかり絶ゆ、何にりてか慮らむ。惟以おもひみれば、人賢愚と無く、世古今と無く、ことごとみな嗟歎なげく。歳月競ひ流れ、昼夜いこはず 曾子曰く、「往きて反らぬものは年なり」と。宣尼の川に臨む歎きも亦是なり。老疾相催し、朝夕侵しさはぐ。一代の歓楽、未だ席前に尽きずして 魏文の時賢を惜しむ詩に曰く、「未だ西花の夜を尽さず、たちまちに北芒の塵となる」と。千年の愁苦、更に坐後を継ぐ 古詩に云く、「人生百に満たず、何ぞ千年の憂を懐かむ」。若夫それ群生品類、皆尽くること有る身を以て、ともに窮り無き命を求めずといふこと莫し。所以に道人方士の自ら丹経を負ひ、名山に入りて合薬する者は、性を養ひ神をよろこび、以て長生を求む。抱朴子に曰く、「神農云く、『百病愈えずは、いかにぞ長生を得む』」と。帛公又曰く、「生は好き物なり。死は悪しき物なり」と。若し不幸にして長生を得ずは、猶生涯病患無き者を以て福大と為さむか。今吾病を為し悩を見、臥坐を得ず。東に向かひ西に向かひ、為す所知ること莫し。福無きこと至りて甚しき、すべて我に集まる。人願へば天従ふ。如し実有らば、仰ぎ願はくは、たちまちに此の病を除き、さきはひに平の如くあるを得む。鼠を以て喩とす、豈に愧ぢざらむや 已に上に見ゆ。


俗道仮合即離、去り易く留まり難きを悲歎する詩一首、また序

竊におもひみるに、釋慈の示教 釋氏慈氏を謂へり、先に三帰 仏法僧に帰依するを謂へり、五戒 謂ふは、一に不殺生、二に不偸盗、三に不邪婬、四に不妄語、五に不飲酒をいへりを開きて遍く法界をおもむけ、周孔の垂訓は、前に三綱 謂ふは、君臣・父子・夫婦をいへり、五教謂ふは、父義・母慈・兄友・弟順・子孝をいへりを張りて、斉しく邦国をすくふ。故に知る、引導は二ありと雖も、悟を得たるは惟一なりと。但おもひみれば世に恒質無し、所以に陵谷更に変る。人に定期無し、所以に寿夭同じからず。撃目の間、百齢已に尽き、申臂しんぴけい千代せんだい亦空し。旦には席上の主となり、夕には泉下の客となる。白馬走り来るとも、黄泉くわうせんは何にか及ばむ。隴上の青松、空しく信釼を懸け、野中の白楊、但悲風に吹かる。是に知る、世俗本より隠遁の室無く、原野唯長夜のうてなのみ有り。先聖已に去り、後賢留まらず。如し贖ひて免るべきこと有らば、古人誰か価金無からむ。未だ独りながらへて遂に世の終を見る者を聞かず、所以に維摩大士は玉体を方丈に疾み、釋迦能仁は金容を双樹に掩へり。内教に曰く、「黒闇の後に来らむを欲せずは、徳天の先に至るに入ること莫かれ」と 徳天は生なり。黒闇は死なり。故に知る、生必ず死有り、死若しねがはざらむは、生まれぬには如かず。况乎まして縦ひ始終の恒数を覚るとも、何にぞ存亡の大期をおもひはからむ。

   俗道の変化は撃目の如く

   人事の経紀は申臂の如し

   空しく浮雲と大虚を行き

   心力共に尽きて寄る所無し


老身重病年を経て辛苦くるしみ、また児等を思ふ歌五首 長一首、短四首

0897 玉きはる うちの限りは 平らけく 安くもあらむを

   事もなく 喪なくもあらむを 世間よのなかの 憂けく辛けく

   いとのきて 痛ききずには 辛塩を 灌ぐちふごとく

   ますますも 重き馬荷に 表荷うはに打つと いふことのごと

   老いにてある が身の上に 病をら 加へてしあれば

   昼はも 嘆かひ暮らし 夜はも 息づき明かし

   年長く 病みしわたれば 月重ね 憂へさまよひ

   ことことは 死ななとへど 五月蝿さばへなす 騒く子どもを

   うつてては 死には知らず 見つつあれば 心は燃えぬ

   かにかくに 思ひ煩ひ 音のみし泣かゆ

反し歌

0898 慰むる心は無しに雲隠れ鳴きゆく鳥の音のみし泣かゆ

0899 すべもなく苦しくあれば出で走りななとへど子等にさやりぬ

0902 水沫みなわなす脆き命も栲縄たくなはの千尋にもがと願ひ暮らしつ

0903 しづたまき数にもあらぬ身にはあれど千年にもがと思ほゆるかも 去ル神亀二年ニ作メリ。但類ヲ以テノ故ニ更ニ茲ニ載ス

     天平五年六月の丙申ひのえさるつきたち三日みかのひ戊戌つちのえいぬ作めり。


男子をのこ名は古日ふるひを恋ふる歌三首 長一首、短二首

0904 世の人の 貴み願ふ 七くさの 宝もあれ

   何せむに 願ひほりせむ 我が中の 生れ出でたる

   白玉の 我が子古日は 明星あかぼしの 明くるあした

   敷細しきたへの 床の辺去らず 立てれども 居れども共に

   掻き撫でて 言問ひたはれ 夕星ゆふづつの 夕べになれば

   いざ寝よと 手を携はり 父母も うへはなさか

   三枝さきくさの 中にを寝むと うるはしく しが語らへば

   いつしかも 人と成り出でて 悪しけくも 吉けくも見むと

   大船の 思ひ頼むに 思はぬに 横様よこしま風の

   にはかにも 覆ひ来たれば 為むすべの たどきを知らに

   白妙の たすきを掛け 真澄鏡 手に取り持ちて

   天つ神 あふみ 国つ神 伏して額づき

   かからずも かかりもよしゑ 天地の 神のまにまと

   立ちあざり 我が祈ひ祷めど しましくも 吉けくはなしに

   漸々やうやうに かたちつくほり 朝なな 言ふことやみ

   玉きはる 命絶えぬれ 立ち躍り 足すり叫び

   伏し仰ぎ 胸打ち嘆き 手に持たる が子飛ばしつ 世間の道

反し歌

0905 若ければ道行き知らじまひはせむ下方したへの使負ひて通らせ

0906 布施置きてあれは祈ひ祷む欺かずただ行きて天道知らしめ