.巻第五
雑歌
太宰帥大伴の卿の凶問に報へたまふ歌一首、また序
禍故重畳り、凶問累りに集まる。永に心を崩す悲しみを懐き、独り腸を断つ泣を流す。但両君の大助に依りて傾命纔に継ぐのみ。筆言を尽さず。古今歎く所なり。
0793 世の中は空しきものと知る時しいよよますます悲しかりけり
神亀五年六月の二十三日。
筑前守山上臣憶良が亡れる妻を悲傷しめる詩一首、また序
盖し聞く、四生の起滅は、夢に方りて皆空なり。三界の漂流は、環の息まざるに喩ふ。所以に維摩大士は方丈に在りて、疾に染む患を懐くこと有り。釋迦能仁は双林に坐し、泥オンの苦を免るること無しと。故に知る、二聖至極すら、力負の尋ぎて至るを払ふこと能はず。三千世界、誰か能く黒闇の捜り来たるを逃れむ。二鼠競ひ走りて、目を度る鳥旦に飛び、四蛇争ひ侵して、隙を過ぐる駒夕に走る。嗟乎痛きかな。紅顏三従と共に長逝し、素質四徳と与に永滅す。何そ図らむ、偕老要期に違ひ、独飛半路に生ぜむとは。蘭室の屏風徒らに張り、断腸の哀しみ弥よ痛し。枕頭の明鏡空しく懸かり、染ヰンの涙逾よ落つ。泉門一掩すれば、再見に由無し。嗚呼哀しきかな。
愛河の波浪已く先づ滅び
苦海の煩悩また結ぶこと無し
従来此の穢土を厭離す
本願生を彼の浄刹に託せむ
日本挽歌一首、また短歌
0794 大王の 遠の朝廷と しらぬひ 筑紫の国に
泣く子なす 慕ひ来まして 息だにも いまだ休めず
年月も 幾だもあらねば 心ゆも 思はぬ間に
打ち靡き 臥やしぬれ 言はむすべ 為むすべ知らに
岩木をも 問ひ放け知らず 家ならば 形はあらむを
恨めしき 妹の命の 吾をばも いかにせよとか
にほ鳥の 二人並び居 語らひし 心背きて 家離りいます
反し歌
0795 家に行きて如何にか吾がせむ枕付く妻屋寂しく思ほゆべしも
0796 愛しきよしかくのみからに慕ひ来し妹が心のすべもすべ無さ
0797 悔しかもかく知らませば青丹よし国内ことごと見せましものを
0798 妹が見し楝の花は散りぬべし我が泣く涙いまだ干なくに
0799 大野山霧立ち渡る我が嘆く息嘯の風に霧立ち渡る
神亀五年七月の二十一日、筑前国の守
山上憶良上る。
惑へる情を反さしむる歌一首、また序
或る人、父母敬はずして、侍養を忘れ、妻子を顧みざること脱履よりも軽し。自ら異俗先生と称る。意気青雲の上に揚がると雖も、身体は猶塵俗の中に在り。未だ修行得道の聖を験らず。蓋し是山沢に亡命する民なり。所以三綱を指示して、更に五教を開く。遣るに歌を以て、其の惑ひを反さしむ。その歌に曰く、
0800 父母を 見れば貴し 妻子見れば めぐし愛し
遁ろえぬ 兄弟親族 遁ろえぬ 老いみ幼み
朋友の 言問ひ交はす 世の中は かくぞことわり
もち鳥の かからはしもよ 早川の ゆくへ知らねば
穿沓を 脱き棄るごとく 踏み脱きて 行くちふ人は
石木より 成りてし人か 汝が名告らさね
天へ行かば 汝がまにまに 地ならば 大王います
この照らす 日月の下は 天雲の 向伏す極み
蟾蜍の さ渡る極み 聞こし食す 国のまほらぞ
かにかくに 欲しきまにまに しかにはあらじか
反し歌
0801 久かたの天道は遠し黙々に家に帰りて業を為まさに
子等を思ふ歌一首、また序
釋迦如来金口正に説きたまへらく、等しく衆生を思ふこと、羅ゴ羅の如しとのたまへり。又説きたまへらく、愛は子に過ぐること無しとのたまへり。至極の大聖すら、子を愛しむ心有り。況乎世間の蒼生、誰か子を愛まざる。
0802 瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ
いづくより 来りしものぞ 眼交に もとなかかりて
安眠し寝さぬ
反し歌
0803 銀も金も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも
世間の住り難きを哀しめる歌一首、また序
集め易く排し難し、八大辛苦。遂げ難く尽し易し、百年の賞楽。古人の歎きし所、今また及ぶ。所以因一章の歌を作みて、以て二毛の歎きを撥く。其の歌に曰く、
0804 世間の すべなきものは 年月は 流るるごとし
取り続き 追ひ来るものは 百種に 迫め寄り来たる
娘子らが 娘子さびすと 唐玉を 手本に巻かし
白妙の 袖振り交はし 紅の 赤裳裾引き
よち子らと 手携はりて 遊びけむ 時の盛りを
留みかね 過ぐしやりつれ 蜷の腸 か黒き髪に
いつの間か 霜の降りけむ 丹の秀なす 面の上に
いづくゆか 皺か来たりし ますらをの 男さびすと
剣太刀 腰に取り佩き さつ弓を 手握り持ちて
赤駒に 倭文鞍うち置き 這ひ乗りて 遊び歩きし
世間や 常にありける 娘子らが 閉鳴す板戸を
押し開き い辿り寄りて 真玉手の 玉手さし交へ
さ寝し夜の いくだもあらねば 手束杖 腰に束ねて
か行けば 人に厭はえ かく行けば 人に憎まえ
老よし男は かくのみならし 玉きはる 命惜しけど 為むすべもなし
反し歌
0805 常磐なすかくしもがもと思へども世の事なれば留みかねつも
神亀五年七月の二十一日、嘉摩の郡にて撰定ぶ。
筑前国守山上憶良。
太宰帥大伴の卿の相聞歌二首
〔脱文〕
歌詞両首 太宰帥大伴卿
0806 龍の馬も今も得てしか青丹よし奈良の都に行きて来むため
0807 うつつには逢ふよしも無しぬば玉の夜の夢にを継ぎて見えこそ
大伴淡等謹状。
官氏報ふる歌二首
伏して来書を辱くす。具に芳旨を承る。忽ち漢を隔つる恋を成し、復た梁を抱く意を傷む。唯羨しくは、去留恙無く、遂に雲を披かむことを待つのみ。
答ふる歌二首
0808 龍の馬を吾は求めむ青丹よし奈良の都に来む人の為
0809 直に逢はずあらくも多し敷細の枕去らずて夢にし見えむ
姓名謹状。
帥大伴の卿の梧桐の日本琴を中衛大将藤原の卿に贈りたまへる歌二首
梧桐の日本琴一面 對馬ノ結石山ノ孫枝ナリ
此の琴、夢に娘子に化りて曰けらく、「余根を遥島の崇巒に託せ、幹を九陽の休光に晞す。長く烟霞を帯びて、山川の阿に逍遥す。遠く風波を望みて、雁木の間に出入りす。唯百年の後、空しく溝壑に朽ちなむことを恐れき。偶ま長匠に遭ひて、散りて小琴と為りき。質麁く音少きを顧みず、恒に君子の左琴とならむことを希ふ」といひて、即ち歌ひけらく、
0810 いかにあらむ日の時にかも声知らむ人の膝の上吾が枕かむ
僕その詩詠に報へけらく、
0811 言問はぬ木にはありとも美しき君が手馴れの琴にしあるべし
琴の娘子が答曰へらく、「敬みて徳音を奉はる。幸甚幸甚」といへり。片時にして覚めたり。即ち夢の言に感け、慨然として黙止り得ず。故公使に附けて、聊か進御るのみ。 謹状不具
天平元年十月の七日、使に附けて進上る。
謹みて中衛高明閤下に通る 謹空。
中衛大将藤原の卿の報へたまふ歌一首
跪きて芳音を承はる。嘉懽交深し。乃ち龍門の恩復た蓬身の上に厚きことを知りぬ。恋望殊念、常心に百倍す。謹みて白雲の什に和へて、野鄙の歌を奏る。房前謹状。
0812 言問はぬ木にもありとも我が背子が手馴れの御琴地に置かめやも
十一月八日、還る使大監に附けて、
謹みて尊門記室に通る。
山上臣憶良が鎮懐石を詠める歌一首、また短歌
筑前国怡土郡深江村子負原、海に臨ひたる丘の上に二の石有り。大きなるは長さ一尺二寸六分、囲き一尺八寸六分、重さ十八斤五両。小さきは長さ一尺一寸、囲き一尺八寸、重さ十六斤十両。並皆楕円にして状鶏の子の如し。其の美好きこと、勝へて論ふべからず。所謂径尺璧これなり 或は云く、此の二の石は肥前国彼杵郡平敷の石にして、占に当りて取ると。深江の駅家を去ること二十許里、近く路頭在り。公私の往来、馬より下りて跪拝まざるは莫し。古老相伝へて曰く、往者息長足日女の命、新羅の国を征討たまひし時、茲の両の石を用て御袖の中に挿著みたまひて、以て鎮懐と為したまふと 実はこれ御裳の中なり。所以行人此の石を敬拝すといへり。乃ち歌よみすらく、
0813 かけまくは あやに畏し 足日女 神の命
韓国を 向け平らげて 御心を 鎮めたまふと
い取らして 斎ひたまひし 真玉なす 二つの石を
世の人に 示したまひて 万代に 言ひ継ぐがねと
海の底 沖つ深江の 海上の 子負の原に
御手づから 置かしたまひて 神ながら 神さびいます
奇御魂 今の現に 貴きろかも
0814 天地のともに久しく言ひ継げとこの奇御魂敷かしけらしも
右ノ事伝ヘ言フハ、那珂郡伊知郷蓑島ノ人、
建部牛麻呂ナリ。
太宰帥大伴の卿の宅に宴してよめる梅の花の歌三十二首、また序
天平二年正月の十三日、帥の老の宅に萃ひて、宴会を申ぶ。時に初春の令月、気淑く風和ぐ。梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす。加以曙は嶺に雲を移し、松は羅を掛けて盖を傾け、夕岫に霧を結び、鳥はうすものに封りて林に迷ふ。庭には舞ふ新蝶あり、空には帰る故雁あり。是に天を盖にし地を坐にして、膝を促して觴を飛ばし、言を一室の裏に忘れ、衿を煙霞の外に開き、淡然として自放に、快然として自ら足れり。若し翰苑にあらずは、何を以てか情をのべむ。請ひて落梅の篇を紀さむと。古今それ何ぞ異ならむ。園梅を賦し、聊か短詠を成むべし。
0815 正月立ち春の来らばかくしこそ梅を折りつつ楽しき終へめ 大弐紀卿
0816 梅の花今咲けるごと散り過ぎず我が家の園にありこせぬかも 少弐小野大夫
0817 梅の花咲きたる園の青柳は縵にすべく成りにけらずや 少弐粟田大夫
0818 春さればまづ咲く屋戸の梅の花独り見つつや春日暮らさむ 筑前守山上大夫
0819 世の中は恋繁しゑやかくしあらば梅の花にも成らましものを 豊後守大伴大夫
0820 梅の花今盛りなり思ふどち挿頭にしてな今盛りなり 筑後守葛井大夫
0821 青柳梅との花を折り挿頭し飲みての後は散りぬともよし 某官笠氏沙弥
0822 我が園に梅の花散る久かたの天より雪の流れ来るかも 主人
0823 梅の花散らくはいづくしかすがにこの城の山に雪は降りつつ 大監大伴氏百代
0824 梅の花散らまく惜しみ我が園の竹の林に鴬鳴くも 少監阿氏奥島
0825 梅の花咲きたる園の青柳を縵にしつつ遊び暮らさな 少監土氏百村
0826 打ち靡く春の柳と我が屋戸の梅の花とをいかにか分かむ 大典史氏大原
0827 春されば木末隠りて鴬ぞ鳴きて去ぬなる梅が下枝に 少典山氏若麻呂
0828 人ごとに折り挿頭しつつ遊べどもいやめづらしき梅の花かも 大判事舟氏麻呂
0829 梅の花咲きて散りなば桜花継ぎて咲くべく成りにてあらずや 薬師張氏福子
0830 万代に年は来経とも梅の花絶ゆることなく咲きわたるべし 筑前介佐氏子首
0831 春なればうべも咲きたる梅の花君を思ふと夜寐も寝なくに 壹岐守板氏安麻呂
0832 梅の花折りて挿頭せる諸人は今日の間は楽しくあるべし 神司荒氏稲布
0833 年のはに春の来らばかくしこそ梅を挿頭して楽しく飲まめ 大令史野氏宿奈麻呂
0834 梅の花今盛りなり百鳥の声の恋しき春来たるらし 少令史田氏肥人
0835 春さらば逢はむと思ひし梅の花今日の遊びに相見つるかも 薬師高氏義通
0836 梅の花手折り挿頭して遊べども飽き足らぬ日は今日にしありけり 陰陽師磯氏法麻呂
0837 春の野に鳴くや鴬なつけむと我が家の園に梅が花咲く 算師志氏大道
0838 梅の花散り乱ひたる岡びには鴬鳴くも春かたまけて 大隅目榎氏鉢麻呂
0839 春の野に霧立ちわたり降る雪と人の見るまで梅の花散る 筑前目田氏眞人
0840 春柳かづらに折りし梅の花誰か浮かべし酒坏の上に 壹岐目村氏彼方
0841 鴬の音聞くなべに梅の花我ぎ家の園に咲きて知る見ゆ 對馬目高氏老
0842 我が屋戸の梅の下枝に遊びつつ鴬鳴くも散らまく惜しみ 薩摩目高氏海人
0843 梅の花折り挿頭しつつ諸人の遊ぶを見れば都しぞ思ふ 土師氏御通
0844 妹が家に雪かも降ると見るまでにここだも乱ふ梅の花かも 小野氏国堅
0845 鴬の待ちかてにせし梅が花散らずありこそ思ふ子が為 筑前拯門氏石足
0846 霞立つ長き春日を挿頭せれどいやなつかしき梅の花かも 小野氏淡理
員外故郷思ふ歌両首
0847 我が盛りいたく降ちぬ雲に飛ぶ薬食むともまた変若めやも
0848 雲に飛ぶ薬食むよは都見ばいやしき吾が身また変若ぬべし
後に追ひて和める梅の歌四首
0849 残りたる雪に交れる梅の花早くな散りそ雪は消ぬとも
0850 雪の色を奪ひて咲ける梅の花今盛りなり見む人もがも
0851 我が屋戸に盛りに咲ける梅の花散るべくなりぬ見む人もがも
0852 梅の花夢に語らく風流たる花と吾思ふ酒に浮かべこそ
松浦河に遊びて贈り答ふる歌八首、また序
余暫く松浦県に往きて逍遥し、玉島の潭に臨みて遊覧するに、忽ち魚釣る女子等に値へり。花容双び無く、光儀匹ひ無し。柳葉を眉中に開き、桃花を頬上に発く。意気雲を凌ぎ、風流世に絶えたり。僕問ひけらく、「誰が郷誰が家の児等ぞ。若疑神仙ならむか」。娘等皆咲みて答へけらく、「児等は漁夫の舎の児、草菴の微しき者、郷も無く家も無し。なぞも称を云るに足らむ。唯性水に便り、復た心に山を楽しぶ。或は洛浦に臨みて、徒に王魚を羨しみ、乍は巫峡に臥して空しく烟霞を望む。今邂逅に貴客に相遇ひ、感応に勝へず、輙ち款曲を陳ぶ。今より後、豈に偕老ならざるべけむや」。下官対ひて曰く、「唯々、敬みて芳命を奉はりき」。時に日は山西に落ち、驪馬去なむとす。遂に懐抱を申べ、因て詠みて贈れる歌に曰く、
0853 漁りする海人の子どもと人は言へど見るに知らえぬ貴人の子と
答ふる詩に曰く、
0854 玉島のこの川上に家はあれど君を恥しみ顕はさずありき
蓬客等また贈れる歌三首
0855 松浦川川の瀬光り鮎釣ると立たせる妹が裳の裾濡れぬ
0856 松浦なる玉島川に鮎釣ると立たせる子らが家道知らずも
0857 遠つ人松浦の川に若鮎釣る妹が手本を我こそ巻かめ
娘等また報ふる歌三首
0858 若鮎釣る松浦の川の川波の並にし思はば我恋ひめやも
0859 春されば我家の里の川門には鮎子さ走る君待ちがてに
0860 松浦川七瀬の淀は淀むとも我は淀まず君をし待たむ
後れたる人の追ひて和める詩三首 都帥老
0861 松浦川川の瀬早み紅の裳の裾濡れて鮎か釣るらむ
0862 人皆の見らむ松浦の玉島を見ずてや我は恋ひつつ居らむ
0863 松浦川玉島の浦に若鮎釣る妹らを見らむ人の羨しさ
吉田連宜が答ふる歌四首
宜啓す。伏して四月の六日の賜書を奉り、跪きて封函を開き、芳藻を拝読するに、心神の開朗たること、泰初が月を懐きしに似たり。鄙懐の除こること、樂廣が天を披きしが若し。至若、辺域に羇旅し、古旧を懐ひて志を傷ましむ。年矢停まらず、平生を憶ひて涙を落す。但達人は排に安みし、君子は悶り無し。伏して冀くは、朝に雉を懐くる化を宣べ、暮に亀を放つ術を存ち、張趙を百代に架し、松喬を千齢に追はむのみ。兼ねて垂示を奉はる、梅苑の芳席、群英藻をのべ、松浦の玉潭、仙媛の贈答、杏壇各言の作に類へ、衡皐税駕の篇に疑ふ。耽読吟諷し、感謝歓怡す。宜主を恋ふ誠、誠に犬馬に逾ゆ。徳を仰ぐ心、心葵カクに同じ。而るに碧海地を分ち、白雲天を隔て、徒に傾延を積む。何も労緒を慰めむ。孟秋膺節、伏して願はくは万祐日新たむことを。今相撲部領使に因りて、謹みて片紙を付く。宜謹みて啓す。不次。
諸人の梅の花の歌に和へ奉る一首
0864 後れ居て長恋せずは御苑生の梅の花にも成らましものを
松浦仙媛の歌に和ふる一首
0865 君を待つ松浦の浦の娘子らは常世の国の海人娘子かも
君を思ふこと未だ尽きずてまた題せる二首
0866 はろばろに思ほゆるかも白雲の千重に隔てる筑紫の国は
0867 君が行日長くなりぬ奈良道なる山斎の木立も神さびにけり
天平二年七月の十日。
山上臣憶良が松浦の歌三首
憶良誠惶頓首謹啓す。憶良聞く、方岳の諸侯、都督の刺使、並典法に依りて部下を巡行し、其の風俗を察る。意内端多く、口外出し難し。謹みて三首の鄙歌を以て、五蔵の欝結を写さむとす。其の歌に曰く、
0868 松浦県佐用姫の子が領巾振りし山の名のみや聞きつつ居らむ
0869 足姫神の命の魚釣らすとみ立たしせりし石を誰見き
0870 百日しも行かぬ松浦道今日行きて明日は来なむを何か障れる
天平二年七月の十一日、筑前国司山上憶良謹みて上る。
領巾麾の嶺を詠める歌一首
大伴佐提比古の良子、特朝命を被ふり、藩国に奉使けらる。艤棹して帰き、稍蒼波を赴む。その妾松浦佐用嬪面、此の別れの易きを嗟き、彼の会ひの難きを嘆く。即ち高山の嶺に登りて遥かに離り去く船を望む。悵然として腸を断ち、黯然として魂を銷つ。遂に領巾を脱きて麾る。傍者流涕まざるはなかりき。因此の山を領巾麾の嶺と曰くといへり。乃ち作歌すらく、
0871 遠つ人松浦佐用姫夫恋に領巾振りしより負へる山の名
後の人が追ひて和ふる歌一首
0872 山の名と言ひ継げとかも佐用姫がこの山の上に領巾を振りけむ
最後の人が追ひて和ふる歌一首
0873 万代に語り継げとしこの岳に領巾振りけらし松浦佐用姫
最最後の人が追ひて和ふる歌二首
0874 海原の沖行く船を帰れとか領巾振らしけむ松浦佐用姫
0875 ゆく船を振り留みかね如何ばかり恋しくありけむ松浦佐用姫
書殿に餞酒せる日の倭歌四首
0876 天飛ぶや鳥にもがもや都まで送り申して飛び帰るもの
0877 人皆のうらぶれ居るに立田山御馬近づかば忘らしなむか
0878 言ひつつも後こそ知らめ暫しくも寂しけめやも君いまさずして
0879 万代にいまし給ひて天の下奏し給はね朝廷去らずて
敢へて私懐を布ぶる歌三首
0880 天ざかる夷に五年住まひつつ都の風俗忘らえにけり
0881 かくのみや息づき居らむあら玉の来経ゆく年の限り知らずて
0882 吾が主の御霊賜ひて春さらば奈良の都に召上げ賜はね
天平二年十二月の六日、筑前国司山上憶良、
謹みて上る。
三島王の後に追ひて和へたまへる松浦佐用嬪面の歌一首
0883 音に聞き目にはいまだ見ず佐用姫が領巾振りきとふ君松浦山
大典麻田連陽春が大伴君熊凝に為りて志を述ぶる歌二首
0884 国遠き道の長手をおほほしく恋ふや過ぎなむ言問もなく
0885 朝露の消やすき吾が身他国に過ぎかてぬかも親の目を欲り
筑前の国司守山上憶良が、熊凝に為りて其の志を述ぶる歌に敬みて和ふるうた六首、また序
大伴君熊凝は、肥後国益城郡の人なり。年十八歳。天平三年六月の十七日を以て、相撲使某の国の司官位姓名の従人と為り、京都に参向る。天為るかも不幸、路に在りて疾を獲、即ち安藝国佐伯郡高庭の駅家にて、身故りぬ。臨終らむとする時、長歎息きて曰く、「伝へ聞く、仮合の身滅び易く、泡沫の命駐め難し。所以に千聖已く去り、百賢留まらず。况乎凡愚の微しき者、何ぞも能く逃れ避らむ。但我が老親、並菴室に在りて、我を侍つこと日を過ぐし、自ら心を傷む恨み有らむ。我を望むこと時を違へり。必ず明を喪ふ泣を致さむ。哀しき哉我が父、痛き哉我が母。一身死に向かふ途を患へず、唯二親在生の苦を悲しむ。今日長く別れ、何れの世かも観ることを得む」。乃ち歌六首を作みて死りぬ。其の歌に曰く、
0886 打日さす 宮へ上ると たらちしの 母が手離れ
常知らぬ 国の奥処を 百重山 越えて過ぎゆき
いつしかも 都を見むと 思ひつつ 語らひ居れど
おのが身し 労はしければ 玉ほこの 道の隈廻に
草手折り 柴取り敷きて 床じもの うち臥い伏して
思ひつつ 嘆き伏せらく 国にあらば 父とり見まし
家にあらば 母とり見まし 世間は かくのみならし
犬じもの 道に伏してや 命過ぎなむ
0887 たらちしの母が目見ずておほほしくいづち向きてか吾が別るらむ
0888 常知らぬ道の長手を暗々といかにか行かむ糧は無しに
0889 家にありて母が取り見ば慰むる心はあらまし死なば死ぬとも
0890 出でてゆきし日を数へつつ今日今日と吾を待たすらむ父母らはも
0891 一世には二遍見えぬ父母を置きてや長く吾が別れなむ
貧窮問答の歌一首、また短歌
0892 風雑り 雨降る夜の 雨雑り 雪降る夜は
すべもなく 寒くしあれば 堅塩を 取りつづしろひ
糟湯酒 うち啜ろひて 咳かひ 鼻びしびしに
しかとあらぬ 髭掻き撫でて 吾をおきて 人はあらじと
誇ろへど 寒くしあれば 麻衾 引き被り
布肩衣 ありのことごと 着襲へども 寒き夜すらを
我よりも 貧しき人の 父母は 飢ゑ寒からむ
妻子どもは 乞ひて泣くらむ この時は いかにしつつか 汝が世は渡る
天地は 広しといへど 吾が為は 狭くやなりぬる
日月は 明しといへど 吾が為は 照りやたまはぬ
人皆か 吾のみやしかる わくらばに 人とはあるを
人並に 吾も作るを 綿も無き 布肩衣の
海松のごと 乱け垂れる かかふのみ 肩に打ち掛け
伏廬の 曲廬の内に 直土に 藁解き敷きて
父母は 枕の方に 妻子どもは 足の方に
囲み居て 憂へ吟ひ 竈には 火気吹き立てず
甑には 蜘蛛の巣かきて 飯炊く ことも忘れて
ぬえ鳥の のどよび居るに いとのきて 短き物を
端切ると 云へるが如く 笞杖執る 里長が声は
寝屋処まで 来立ち呼ばひぬ かくばかり すべなきものか 世間の道
0893 世間を憂しと恥しと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば
0900 富人の家の子どもの着る身なみ腐し捨つらむ絹綿らはも
0901 荒布の布衣をだに着せかてにかくや嘆かむ為むすべを無み
山上憶良頓首謹みて上る。
好去好来の歌一首、また短歌
0894 神代より 言ひ伝て来らく そらみつ 倭の国は
皇神の 厳しき国 言霊の 幸はふ国と
語り継ぎ 言ひ継がひけり 今の世の 人もことごと
目の前に 見たり知りたり 人さはに 満ちてはあれども
高光る 日の朝廷 神ながら 愛での盛りに
天の下 奏したまひし 家の子と 選びたまひて
大御言 反云、大命 戴き持ちて 唐の 遠き境に
遣はされ 罷りいませ 海原の 辺にも沖にも
神づまり 領きいます 諸々の 大御神たち
船の舳に 反云、フナノヘニ 導きまをし 天地の 大御神たち
倭の 大国御魂 久かたの 天のみ空ゆ
天翔り 見渡したまひ 事終り 帰らむ日には
又更に 大御神たち 船の舳に 御手うち掛けて
墨縄を 延へたるごとく 阿庭可遠志 値嘉の崎より
大伴の 御津の浜びに 直泊てに 御船は泊てむ
障みなく 幸くいまして 早帰りませ
反し歌
0895 大伴の御津の松原かき掃きて我立ち待たむ早帰りませ
0896 難波津に御船泊てぬと聞こえ来ば紐解き放けて立ち走りせむ
天平五年三月の一日 良宅対面、献ルハ三日ナリ。山上憶良 謹みて上る。
大唐大使の卿の記室。
沈痾自哀文 山上憶良作
竊かに以るに、朝夕山野に佃食する者すら、猶災害無くして世を度ることを得 謂ふは、常に弓箭を執りて六斎を避けず、値ふところの禽獣、大小を論はず、孕めるとまた孕まざると、並皆殺し食らふ。此を以て業と為す者をいへり。昼夜河海に釣漁する者すら、尚慶福有りて俗を経ることを全くす 謂ふは、漁夫潜女各勤むるところ有り。男は手に竹竿を把りて、能く波浪の上に釣り、女は腰に鑿と籠を帯び、潜きて深潭の底に採る者をいへり。况乎我胎生より今日に至るまで、自ら修善の志有り、曽て作悪の心無し 謂ふは、諸悪莫作、諸善奉行の教へを聞くことをいへり。所以に三宝を礼拝し、日として勤まざるは無く 毎日誦経、発露、懺悔せり、百神を敬重し、夜として欠けたること鮮し 謂ふは、天地諸神等を敬拝するをいへり。嗟乎恥しきかも、我何なる罪を犯してか此の重疾に遭へる 謂ふは、未だ過去に造りし罪か、若しは是現前に犯せる過なるかを知らず、罪過を犯すこと無くは、何ぞ此の病を獲むやといへり。初めて痾ひに沈みしより已来、年月稍多し 謂ふは、十余年を経たるをいへり。是の時年七十有四、鬢髪斑白にして、筋力汪羸。但に年老いるのみにあらず、復た斯の病を加へたり。諺に曰く、「痛き瘡は塩を灌ぎ、短き材は端を截る」といふは、此の謂なり。四支動かず、百節皆疼み、身体太だ重きこと、猶鈞石を負へるがごとし 二十四銖を一両と為し、十六両を一斤を為し、卅斤を一鈞と為し、四鈞を一石と為す、合せて一百廿斤なり。布を懸けて立たむとすれば、翼折れたる鳥の如く、杖に倚りて歩まむとすれば、跛足の驢に比ふ。吾、身已く俗を穿ち、心も亦塵に累がるるを以て、禍の伏す所、祟の隠るる所を知らむと欲ひ、亀卜の門、巫祝の室に、徃きて問はずといふこと無し。若しは実なれ、若しは妄なれ、其の教ふる所に隋ひ、幣帛を奉り、祈祷せずといふこと無し。然れども弥よ苦を増す有り、曽て減差ゆること無し。吾聞く、前代に多く良医有りて、蒼生の病患を救療す。楡柎、扁鵲、華他、秦の和、緩、葛稚川、陶隠居、張仲景等のごときに至りては、皆是世に在りし良医にして、除愈せずといふこと無しと 扁鵲、姓は秦、字は越人、勃海郡の人なり。胸を割きて心腸を採りて之を置き、投るるに神薬を以てすれば、即ち寤めて平の如し。華他、字は元化、沛国のセフの人なり。若し病結積れ沈重れる者有らば、内に在る者は腸を刳きて病を取る。縫ひ復して膏を摩れば、四五日にして差ゆ。件の医を追ひ望むとも、敢へて及ぶ所にあらじ。若し聖医神薬に逢はば、仰ぎ願はくは五蔵を割刳きて百病を抄採り、尋ねて膏盲の奥処に達り 盲は鬲なり。心の下を膏とす。之を改むること可からず。之に達れども及ばず、薬至らず、二竪の逃れ匿りたるを顕さむと欲 謂ふは、晉の景公疾み、秦の医緩視て還りしは、鬼の為に殺さると謂ふべしといへり。命根既く尽き、其の天年を終りてすら、なほ哀しと為す 聖人賢者一切含霊、誰か此の道を免れむ。何ぞ况んや、生録未だ半ばならずして、鬼に枉殺せられ、顏色壮年にして、病に横困せらる者をや。世に在るの大患、孰れか此より甚だしからむ 志恠記に云く、「廣平の前の大守、北海の徐玄方の女、年十八歳にして死ぬ。其の霊、馮馬子に謂ひて曰く、『我が生録を案ふるに、寿八十余歳なるべし。今妖鬼の為に枉殺されて、已に四年を経たり』と。此に馮馬子に遇ひて、乃ち更活ることを得たり」といふは是なり。内教に云く、「瞻浮州の人は寿百二十歳なり」と。謹みて此の数を案ふるに、必も此を過ぐること得ずといふに非ず。故に寿延経に云はく、「比丘有り、名を難逹と曰ふ。命終の時に臨み、仏に詣でて寿を請ひ、則ち十八年を延べたり」といふ。但善を為す者のみ、天地と相畢はる。其の寿夭は、業報の招く所にして、其の脩短に隋ひて半ばと為る。未だ斯の算に盈たずしてすみやかに死去す。故に未だ半ばならずと曰ふ。任徴君曰く、「病は口より入る。故に君子は其の飲食を節む」と。斯に由りて言はば、人の疾病に遇ふは必も妖鬼にあらず。それ医方諸家の広説、飲食禁忌の厚訓、知ること易く行ふこと難き鈍情の、三つは目に盈ち耳に満つこと由来久し。抱朴子に曰く、「人は但其の当に死なむ日を知らず、故に憂へざるのみ。若し誠に、羽カク期を延ぶること得べき者を知らば、必ず之を為さむ」と。此を以て観れば、乃ち知りぬ、我が病は盖しこれ飲食の招く所にして、自ら治むること能はぬものか。帛公略説に曰く、「伏して思ひ自ら励むに、斯の長生を以てす。生は貪るべし、死は畏るべし」と。天地の大徳を生と曰ふ。故に死人は生鼠に及かず。王侯為りと雖も、一日気を絶たば、金を積むこと山の如くありとも、誰か富と為む。威勢海の如くありとも、誰か貴しと為む。遊仙窟に曰く、「九泉下の人、一銭にだに直せず」と。孔子の曰く、「天に受けて、変易すべからぬものは形なり、命に受けて請益すべからぬものは寿なり」と 鬼谷先生の相人書に見ゆ。故に生の極りて貴く、命の至りて重きことを知る。言はむと欲へば言窮まる。何を以てか言はむ。慮らむと欲へば慮り絶ゆ、何に由りてか慮らむ。惟以みれば、人賢愚と無く、世古今と無く、咸く悉嗟歎く。歳月競ひ流れ、昼夜息はず 曾子曰く、「往きて反らぬものは年なり」と。宣尼の川に臨む歎きも亦是なり。老疾相催し、朝夕侵し動ぐ。一代の歓楽、未だ席前に尽きずして 魏文の時賢を惜しむ詩に曰く、「未だ西花の夜を尽さず、劇に北芒の塵となる」と。千年の愁苦、更に坐後を継ぐ 古詩に云く、「人生百に満たず、何ぞ千年の憂を懐かむ」。若夫群生品類、皆尽くること有る身を以て、並に窮り無き命を求めずといふこと莫し。所以に道人方士の自ら丹経を負ひ、名山に入りて合薬する者は、性を養ひ神を怡び、以て長生を求む。抱朴子に曰く、「神農云く、『百病愈えずは、安ぞ長生を得む』」と。帛公又曰く、「生は好き物なり。死は悪しき物なり」と。若し不幸にして長生を得ずは、猶生涯病患無き者を以て福大と為さむか。今吾病を為し悩を見、臥坐を得ず。東に向かひ西に向かひ、為す所知ること莫し。福無きこと至りて甚しき、すべて我に集まる。人願へば天従ふ。如し実有らば、仰ぎ願はくは、頓に此の病を除き、頼に平の如くあるを得む。鼠を以て喩とす、豈に愧ぢざらむや 已に上に見ゆ。
俗道仮合即離、去り易く留まり難きを悲歎する詩一首、また序
竊に以るに、釋慈の示教 釋氏慈氏を謂へり、先に三帰 仏法僧に帰依するを謂へり、五戒 謂ふは、一に不殺生、二に不偸盗、三に不邪婬、四に不妄語、五に不飲酒をいへりを開きて遍く法界を化け、周孔の垂訓は、前に三綱 謂ふは、君臣・父子・夫婦をいへり、五教謂ふは、父義・母慈・兄友・弟順・子孝をいへりを張りて、斉しく邦国を済ふ。故に知る、引導は二ありと雖も、悟を得たるは惟一なりと。但以れば世に恒質無し、所以に陵谷更に変る。人に定期無し、所以に寿夭同じからず。撃目の間、百齢已に尽き、申臂の頃、千代亦空し。旦には席上の主となり、夕には泉下の客となる。白馬走り来るとも、黄泉は何にか及ばむ。隴上の青松、空しく信釼を懸け、野中の白楊、但悲風に吹かる。是に知る、世俗本より隠遁の室無く、原野唯長夜の台のみ有り。先聖已に去り、後賢留まらず。如し贖ひて免るべきこと有らば、古人誰か価金無からむ。未だ独り存へて遂に世の終を見る者を聞かず、所以に維摩大士は玉体を方丈に疾み、釋迦能仁は金容を双樹に掩へり。内教に曰く、「黒闇の後に来らむを欲せずは、徳天の先に至るに入ること莫かれ」と 徳天は生なり。黒闇は死なり。故に知る、生必ず死有り、死若し欲はざらむは、生まれぬには如かず。况乎縦ひ始終の恒数を覚るとも、何にぞ存亡の大期を慮らむ。
俗道の変化は撃目の如く
人事の経紀は申臂の如し
空しく浮雲と大虚を行き
心力共に尽きて寄る所無し
老身重病年を経て辛苦しみ、また児等を思ふ歌五首 長一首、短四首
0897 玉きはる 現の限りは 平らけく 安くもあらむを
事もなく 喪なくもあらむを 世間の 憂けく辛けく
いとのきて 痛き瘡には 辛塩を 灌ぐちふごとく
ますますも 重き馬荷に 表荷打つと いふことのごと
老いにてある 吾が身の上に 病をら 加へてしあれば
昼はも 嘆かひ暮らし 夜はも 息づき明かし
年長く 病みしわたれば 月重ね 憂へさまよひ
ことことは 死ななと思へど 五月蝿なす 騒く子どもを
棄てては 死には知らず 見つつあれば 心は燃えぬ
かにかくに 思ひ煩ひ 音のみし泣かゆ
反し歌
0898 慰むる心は無しに雲隠れ鳴きゆく鳥の音のみし泣かゆ
0899 すべもなく苦しくあれば出で走り去ななと思へど子等に障りぬ
0902 水沫なす脆き命も栲縄の千尋にもがと願ひ暮らしつ
0903 しづたまき数にもあらぬ身にはあれど千年にもがと思ほゆるかも 去ル神亀二年ニ作メリ。但類ヲ以テノ故ニ更ニ茲ニ載ス
天平五年六月の丙申の朔三日戊戌作めり。
男子名は古日を恋ふる歌三首 長一首、短二首
0904 世の人の 貴み願ふ 七種の 宝も吾は
何せむに 願ひ欲せむ 我が中の 生れ出でたる
白玉の 我が子古日は 明星の 明くる朝は
敷細の 床の辺去らず 立てれども 居れども共に
掻き撫でて 言問ひ戯れ 夕星の 夕べになれば
いざ寝よと 手を携はり 父母も うへはな離り
三枝の 中にを寝むと 愛しく しが語らへば
いつしかも 人と成り出でて 悪しけくも 吉けくも見むと
大船の 思ひ頼むに 思はぬに 横様風の
にはかにも 覆ひ来たれば 為むすべの たどきを知らに
白妙の たすきを掛け 真澄鏡 手に取り持ちて
天つ神 仰ぎ祈ひ祷み 国つ神 伏して額づき
かからずも かかりもよしゑ 天地の 神のまにまと
立ちあざり 我が祈ひ祷めど しましくも 吉けくはなしに
漸々に かたちつくほり 朝な朝な 言ふことやみ
玉きはる 命絶えぬれ 立ち躍り 足すり叫び
伏し仰ぎ 胸打ち嘆き 手に持たる 吾が子飛ばしつ 世間の道
反し歌
0905 若ければ道行き知らじ賄はせむ下方の使負ひて通らせ
0906 布施置きて吾は祈ひ祷む欺かず直に率行きて天道知らしめ