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  • 宇治拾遺物語 姉妹プロジェクト:Wikipediaの記事, データ項目 底本は、明治三十四年十二月廿四日發行「國史大系」第十七卷としている。其の本曰く「流布印本を原本にして、「宇治拾遺物語私註」及び本社所蔵一本によって増補をした」とされる。 *の前の平仮名は、現在一般的に使用されている仮名とは別の字体のものである。…
    49キロバイト (10,902 語) - 2020年12月30日 (水) 13:38
  • 年女㆒、被㆔招㆓寄於閑所㆒、已有㆓定所㆒。宇治殿聞㆑之、侍所雑仕女中、択㆘有㆓顔色㆒之者㆖令㆑汲㆑。相誠云、先汲㆑之後、若有㆓招引㆒者、其後棄㆓水桶㆒可㆓帰参㆒云々。果如㆑所㆑案。後日右府、被㆑参㆓宇治殿㆒之次、公事言談之間、宇治殿仰云、彼先日侍所水桶、今者可㆓返給㆒云々。相府迷惑頳面無㆑所㆑申止。…
    129バイト (10,264 語) - 2024年2月10日 (土) 09:31
  • 旨御意にて、神谷信濃いだきおこし奉り、勘十郎貝にてを上げ奉り、御膳を上げ、納めかやとて御前様の御なげき余所の袂をしほりけり。今井左太夫・脇田主水も御上げ奉る。片山伊賀は御次の間【 NDLJP:61】に在りて望み申上げければ、御免を蒙り奥へ通り御上げ奉る。いか成る事か有之けん、御逝去の八日目に片…
    177バイト (12,156 語) - 2024年2月3日 (土) 17:28
  • 其時高房朝臣宅也。〈大炊御門南方里小路東也。〉同十七日御葬送。〈神楽園南也。〉源中納言資綱奉㆑懸㆓御骨㆒云々。」宇治殿御出家之後、御㆓坐于宇治㆒之間、後三条院崩御之由聞き給ひて、止㆑食立㆑箸而歎息。是末代之賢也。依㆓本朝運拙㆒、早以崩御也云々。後三条院宇治殿辺、於㆑事殊無㆓挙容㆒。然而猶所㆓歎息給㆒也。…
    129バイト (11,731 語) - 2024年2月10日 (土) 09:32
  • 儘十九(〈康平三〉)にて、大臣になり給ひにけり。宇治殿(〈頼通〉)、感じ給ひけり。又しげ岡の川人が勘文に、貞観以後壬午の年(〈長久三〉)、聖人生るべしといへり。此年大殿生れ給へり。白川院此由を聞召して、件の勘文に、平地九丈の大出づべしといへる年、其出でず。信じ難き事なりとぞ仰せられける。…
    174バイト (8,442 語) - 2024年2月10日 (土) 09:45
  • りし分野也。十月二日六波羅の北方、常葉駿河守範貞、三千余騎にて路を警固仕て、上を宇治の平等院へ成し奉る。其日関東の両大将京へは不入して、すぐに宇治へ参向て、竜顔に謁奉り、先三種の神器を渡し給て、持明院新帝可進由を奏聞す。上藤房を以て被仰出けるは、「三種神器は、自古継体君、位を天に受させ給ふ時、自…
    39キロバイト (9,304 語) - 2022年12月1日 (木) 07:59
  • 続古事談 第二     臣節   宇治殿、白河殿にて子日し給ひけるに、義忠朝臣、かなの序書きたりける。殿、御衣をかづけ給ふ。東宮大夫取伝へ給へり。此の日四条中納言祭主輔親、参らざりけり。殿より始めて、口惜しきことに人々思へりけり。各家風を伝へたる人なればなり。 宇治殿、南面の紅梅に、雪の積れるを御覧じて、人を召して折らせ給ふ。…
    174バイト (6,163 語) - 2024年2月10日 (土) 09:44
  • [詞書]建久七年入道前関白太政大臣宇治にて人々に哥よませ侍けるに 前大納言隆房 うれしさやかたしく袖につゝむらんけふまちえたるうちのはしひめ うれしさや-かたしくそてに-つつむらむ-けふまちえたる-うちのはしひめ 00743 [詞書]嘉応元年入道前関白太政大臣宇治にて河水久澄といふ事を人々によませ侍けるに…
    15キロバイト (3,043 語) - 2023年9月3日 (日) 00:53
  • Webブラウザ上でキーワード検索しやすくするために、「龍」を除く旧字を新字に変換し、いくつかの異体字を常用漢字に変換している。 目次 畠山義就都落至㆓若江城㆒事交野業平事宇治十貼義就軍兵四十二人并若党等七十二人討死事聖徳太子法隆寺建立事義就於㆓岳山㆒籠城事壬子四月十日於㆓金胎寺㆒諸国軍兵責寄事十五日金胎寺籠㆓勢於蔵山㆒被…
    44バイト (7,747 語) - 2024年4月19日 (金) 06:19
  • 時棟列㆓宇治殿蔵人所㆒之日、雅康為㆓右衛門権佐㆒、来りて問㆓文字㆒。時棟不㆑答。傍なる範国朝臣云、時棟課試及㆓第三ヶ度㆒也。今始問㆓文字㆒極白物也云々。 有国与㆓保胤㆒争㆓文道㆒、常不和云々。保胤をば、有国はあらめのと号しけり。有国問㆓本文事㆒之時、不㆓覚悟㆒…
    129バイト (8,617 語) - 2024年2月10日 (土) 09:36
  • 宇治・勢多の橋を引てや相待つ。不然ば先西国の方へ引退て、四国・九州の勢を付て、却て敵をや攻べきと異議まち/\に分て、評定未落居せざりけるに、越後守師泰且く思案して申されけるは、「古より今に至まで、都へ敵の寄来る時、宇治
    43キロバイト (10,297 語) - 2022年12月1日 (木) 08:02
  • 宇治方香者当世之嫌物候歟 とあるのと香名大方は一致し、即ち宇治、薬殿、山陰、沼、無名、〈新札の方は新無名〉名越、林鐘、初秋、神楽、逍遥、手枕、端黒、疎柳、江桂、菖蒲、忍、艾(蓬)、香粉風、蘭奢待、伽羅木等は両方に共通に出て居るが、之を遊学往来、異制庭訓往来に対比すると、僅かに宇治
    74バイト (7,986 語) - 2024年6月10日 (月) 01:38
  • 事と申は、先正月には、平旦に天地四方拝・屠蘇白散・群臣の朝賀・小朝拝・七曜の御暦・腹赤の御贄・氷様・式兵二省内外官の補任帳を進る。立春の日は、主水司立春のを献る。子日の若菜・卯日の御杖・視告朔の礼・中春両宮の御拝賀。五日東寺の国忌・叙位の議白。七日兵部省御弓の奏。同日白馬節会。八日大極殿の御斉会…
    55キロバイト (12,804 語) - 2022年12月1日 (木) 08:01
  • の綾、所も折もかなへる御のりの庭なるべし。三年十月十五日には宇治の平等院にみゆきありて、おほきおとゞ二三年かれにのみおはしましゝかば、わざとのみゆき侍りて、見奉らせ給ふとぞうけたまはりし。うちはしの遙かなるに舟より樂人參り向ひて、宇治
    398バイト (106,040 語) - 2022年10月18日 (火) 09:02
  • NDLJP:91】不㆑可㆑疑㆓思食㆒云々。依㆑之被㆔仰㆓合明快座主㆒、被㆔造㆓立丈六仏㆒。件仏安㆓置天台護仏院㆒云々。 宇治殿令㆔建㆓立平等院㆒給之時、地形事など為㆑被㆓示合㆒、相㆓伴土御門右府㆒給。宇治殿被㆑仰云、大門之便宜、非㆓北向者㆒無㆓他之便宜㆒。北向有㆓大門㆒之寺侍乎云々。右府被㆑申㆘不㆓覚悟㆒之由㆖…
    129バイト (7,499 語) - 2024年2月10日 (土) 09:35
  • ノ仰ニヨリテ。本山ヘ指上置ナリ。今時本山ノ御文庫ニ有之。寺内ノ広サ東西百六間南北百三十二間。此坪数合七千四百九十四坪ナリ。元和年中ニ。本山ヨリ池尾主水ト申奉行御下シ被成。検地ニ而。四方ニ溝堀ヲ極メ。地子ヲ定メ給フノヨシ。寛文九年ノ帳。ナラヒニ延宝六年ノ絵図ノコトシ。…
    147キロバイト (24,775 語) - 2024年4月5日 (金) 18:19
  • 宇治へ忍びておはしまさむことをのみ思しめぐらす。この内記は、望むことありて、夜昼、いかで御心に入らむと思ふころ、例よりはなつかしう召し使ひて、 「いと難きことなりとも、わが言はむことは、たばかりてむや」 などのたまふ。かしこまりてさぶらふ。 「いと便なきことなれど、かの宇治
    100キロバイト (21,494 語) - 2022年12月1日 (木) 08:11
  • NDLJP:209】化して相戦へば、春向軒父子叶はず、尾上を指して引退く。上坂の人々上坂掃部助・同八郎右衛門・同主水正・同殿助・同十郎三郎、是に恥しめられ、取つて返して相戦ひ、上坂掃部助は、赤尾孫三郎と鑓を合せて討死す。上坂八郎右衛門は、海北善右衛門と相戦ひしが、相…
    3キロバイト (34,518 語) - 2024年2月3日 (土) 11:10
  • 、玄宗皇帝自ら蜀の国へ落させ給しに、六軍翠花に随て、剣閣の雲に迷しに異ならず。爰に信濃国の住人に勅使川原丹三郎は、大渡の手に向たりけるが、宇治も山崎も破れて、上早何地共なく東を差て落させ給ひぬと披露有ければ、「見危致命臣の義也。我何の顔有てか、亡朝の臣として、不義の逆臣に順はんや。」と云て、三条…
    74キロバイト (17,423 語) - 2022年12月1日 (木) 08:02
  • 宇治といふ所に、よしある山里持たまへりけるに渡りたまふ。思ひ捨てたまへる世なれども、今はと住み離れなむをあはれに思さる。 網代のけはひ近く、耳かしかましき川のわたりにて、静かなる思ひにかなはぬ方もあれど、いかがはせむ。花紅葉、
    53キロバイト (11,512 語) - 2022年12月1日 (木) 08:11
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