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- 北条氏綱公御書置 作者:北条氏綱 1541年 1541年(天文十年)5月21日に、日本の戦国大名である北条氏綱が嫡子氏康へ書き残した遺訓。 氏綱公御書置、氏綱公の遺訓、あるいは単に遺訓などとも称される。 其方儀、万事我等より生れ勝り給ひぬと見付候得は、不謂事なから、古人の金言名句は聞給ひても失念之…7キロバイト (1,549 語) - 2023年8月17日 (木) 10:36
- 巻第一 → 北条五代記 序・解題・総目録 作者:三浦茂正 編者:博文館編輯局 明治三十二年 1899年 姉妹プロジェクト:Wikipediaの記事, データ項目 『北条五代記』(ほうじょうごだいき)は、戦国大名・後北条氏に仕えた三浦茂正(三浦浄心)が江戸初期に著した後北条氏…2キロバイト (1,571 語) - 2024年3月24日 (日) 14:02
- NDLJP:469】 北条五代記巻第三 一 北条氏康と上杉憲政一戦の事 聞しは。昔(むかし)北条(ほうでう)左京大夫平(たいらの)氏康(うぢやす)は。弓矢(ゆみや)をとりて関(くわん)八州(しう)にまういをふるひ。名大将(めいだいしやう)のほまれをえ給へり。亡父(ぼうふ)氏綱…198バイト (21,098 語) - 2023年11月20日 (月) 00:09
- NDLJP:454】 北条五代記巻第二 一 北条氏綱と上杉朝定合戦の事 聞しは昔(むかし)。管領(くわんれい)上杉修理(しゆり)(の)太夫藤原(ふぢはら)の朝興(ともおき)公は。むさしの国主(こくしゆ)として。江戸の舘(たち)をきよじやうとす。扨又北条左京(さきやう)大夫平(たひら)の氏綱…198バイト (16,389 語) - 2023年11月19日 (日) 23:47
- ← 巻第六 巻第八 → 北条五代記 巻第七 作者:三浦茂正 編者:博文館編輯局 明治三十二年 1899年 姉妹プロジェクト:Wikipediaの記事 『北条五代記』(ほうじょうごだいき)は、戦国大名・後北条氏に仕えた三浦茂正(三浦浄心)が江戸初期に著した後北条氏…206バイト (13,023 語) - 2023年11月20日 (月) 00:36
- 序・解題・総目録 巻第二 → 北条五代記 巻第一 作者:三浦茂正 編者:博文館編輯局 明治三十二年 1899年 姉妹プロジェクト:Wikipediaの記事 『北条五代記』(ほうじょうごだいき)は、戦国大名・後北条氏に仕えた三浦茂正(三浦浄心)が江戸初期に著した後北条氏…5キロバイト (14,955 語) - 2024年3月24日 (日) 14:03
- 謙信公の事 一、謙信公成立の事 二、村上義清頼み来るに因り、武田信玄と敵対の事 三、上杉憲政頼み来るに因り、北条氏康と敵対の事 四、関東の諸士、謙信公に属す事 五、氏康より和睦、謙信公北条三郎を以て養子に為し給ふ事 六、今川氏真より頼るゝと雖も、謙信公同心なきの事 七、謙信上洛参内并公方義輝公に謁…3キロバイト (1,872 語) - 2024年3月24日 (日) 13:30
- ← 巻第四 巻第六 → 北条五代記 巻第五 作者:三浦茂正 編者:博文館編輯局 明治三十二年 1899年 姉妹プロジェクト:Wikipediaの記事 『北条五代記』(ほうじょうごだいき)は、戦国大名・後北条氏に仕えた三浦茂正(三浦浄心)が江戸初期に著した後北条氏…214バイト (18,263 語) - 2023年11月20日 (月) 00:21
- ← 巻第三 巻第五 → 北条五代記 巻第四 作者:三浦茂正 編者:博文館編輯局 明治三十二年 1899年 姉妹プロジェクト:Wikipediaの記事 『北条五代記』(ほうじょうごだいき)は、戦国大名・後北条氏に仕えた三浦茂正(三浦浄心)が江戸初期に著した後北条氏…190バイト (13,994 語) - 2023年12月6日 (水) 14:44
- 北条早雲上杉朝興合戦上杉憲房死去 小弓御所御発向の事 義弘合戦の事 里見義弘鎌倉へ押寄す 府中軍の事 北条氏康上杉朝興合戦朝興敗軍 外郎が事 河越城攻むる事 上杉朝興死去北条氏綱上杉朝定を攻む 小弓義明と合戦の事 北条氏綱足利義明合戦足利基頼戦死足利義明戦死 八幡宮建立の事 氏綱連歌の事 氏綱逝去の事…3キロバイト (70,791 語) - 2024年2月3日 (土) 11:08
- 北条氏綱、相州をも過半切靡け、武威を輝し給ふを以て、為成、我が後楯の為めに、里見義尭へ、房州の内、切取つて持ちたる所を差上げて、随心仕り加勢を乞ひ、又は加勢を遣し、三浦に住して北条と敵対す。氏綱死去、義尭も死去の後、北条氏…283バイト (23,605 語) - 2023年12月2日 (土) 18:38
- ← 巻第五 巻第七 → 北条五代記 巻第六 作者:三浦茂正 編者:博文館編輯局 明治三十二年 1899年 姉妹プロジェクト:Wikipediaの記事 『北条五代記』(ほうじょうごだいき)は、戦国大名・後北条氏に仕えた三浦茂正(三浦浄心)が江戸初期に著した後北条氏…199バイト (16,402 語) - 2023年11月20日 (月) 00:31
- ← 巻第七 巻第九 → 北条五代記 巻第八 作者:三浦茂正 編者:博文館編輯局 明治三十二年 1899年 姉妹プロジェクト:Wikipediaの記事 『北条五代記』(ほうじょうごだいき)は、戦国大名・後北条氏に仕えた三浦茂正(三浦浄心)が江戸初期に著した後北条氏…198バイト (14,134 語) - 2023年11月20日 (月) 01:50
- 鴻台後記 相摸国北条氏康ト安房ノ国里見義弘合戦アリ然ルニ太田美濃守武州岩槻ニ在テ謀反ヲ企テ義弘ト一味スルニヨツテ義弘義高父子下総国ヘ発向シ高野台近辺ニ陣ヲ張ル此ノ高野台古文ニハ国府台小府代鴻岱トモ書タリ今所ノ者ニ問ヘニ高野台ト書クト云フ見レハ字面ニ合タル高キ台也武州江戸ヨリ北条…44バイト (2,925 語) - 2024年4月19日 (金) 07:06
- 伝に曰、氏康は平重盛十八代の後胤、北条氏綱が嫡子、左京大夫正五位下相模守と号す。長氏入道早雲が孫なり。享禄元年鎌倉扇が谷の上杉朝興、武州小沢原へ出張して、小田原へ押寄せんと議す。氏綱之を聞きて、其の身は小田原の城に、要害稠しく楯籠り居て、嫡男氏康を大将として発向せしむ。時に氏康十六歳なり。朝興と数〻戦ひ、北条…3キロバイト (55,944 語) - 2024年2月3日 (土) 11:09
- 本浦に在り。当寺は久遠山大悲院と号し、浄土宗にて、京都智恩院の末寺なり。北条五代記に見ゆる犬也入道朝倉能登守は当寺の開基なりと伝ふ。犬也入道の諱は景隆、北条氏綱の臣にして、頗る馬術に達す。北条氏歿落の後結城秀康に仕ふ、その伝記は詳ならざれども、夫人大悲院(法誉良心)は天正十一年六月…18キロバイト (3,331 語) - 2023年8月19日 (土) 08:47
- ヒテ御心中ニ思召ケルヤウハ丸ニムカツテ弓矢ヲトル者アルヘカラスハタシテハ関東ノ将軍ニナラン事何ノ疑ヒアルヘシト思召ルヽ処ニ爰ニ北条ノ新九郎氏綱ト申テ当世ノ弓矢取ナリカノ氏綱心中ニオモハレケルヤウハ扨モ父ニテ候者関東ヘ乱入相州ニ旗ヲアケ自ニムカツテ申サレケルヤウハイツカ関東ヲ討滅ホシ九郎ニ官ヲスヽメ…44バイト (4,501 語) - 2024年4月19日 (金) 07:05
- この項目では、西郷隆盛の遺訓について説明しています。北条氏綱の遺訓については「北条氏綱公御書置」をご覧ください。 遺訓 作者:西郷隆盛 1890年 書誌情報 姉妹プロジェクト:Wikipediaの記事 書誌情報の詳細は議論ページをご覧ください。 一 廟堂に立ちて大政を爲すは天道を行ふものなれば、些…37キロバイト (6,429 語) - 2019年9月29日 (日) 05:31
- 政は、上州平井の城を指して落逃れぬ。是より両上杉衰微して、関八州悉く氏康に属す。北条家より古河晴氏を妹婿に取つて、北条家諸事支配す。甲州武田晴信功に誇り、信州の小笠原長時・越後の村上義清を攻伏するなり。十月七日、北条氏康、下総の国小弓御所足利義明を攻めて、国府台にて合戦、義明朝臣一戦にて亡ぶ。…3キロバイト (34,518 語) - 2024年2月3日 (土) 11:10
- 【北条氏康父祖噂の事】 一、氏康は、父を氏綱といひ、氏綱の親を伊勢新九郎氏茂と号す。伊勢氏の庶子にして、平姓なり。氏茂事、駿河国今川氏親の扶助を受け、駿河国興国寺辺に居住しけるが、時節を得て、伊豆一国を切り治め、次第に武威盛になり、北条氏と改め、剃髪して早雲と号す。伊勢・北条…3キロバイト (30,964 語) - 2024年3月24日 (日) 13:39