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北条五代記/巻第八

北条五代記巻第八 目次

 
 
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オープンアクセス NDLJP:539
 
北条五代記巻第八
 
 
 
聞しは昔。ある老士らうし物語せられしは。われ小田原北条に有て。数度すどいくさにあひたり。然ばてき味方みかた対陣たいぢんの時に至て。物見にさゝるゝ人はまづもつて。馬に鍜練たんれんし。其所の案内あんないをしり。功者こうしやもつぱらとす。物見の武者むしや。さかひ目へ乗出のりいだし。其日の気色けしき見合みあはせ。さかひをこへ。たかき所へ乗上のりあげてき軍旗ぐんきをはかり。いそ帰陣きぢんす。されば大将軍しやうぐん出馬しゆつばし。対陣たいぢんをはる時は。てきもみかたも。前手さきてやくとして。夜に入ば。足軽あしがる共。さかひ目へゆき。草にふして。てきをうかゞひ。あかつきには帰る。是を草共しのび共名付なづけたり。夜るの草ひるまで残る事有是を知ず。物見の武者むしや。さかひ目を過る時。かの草おこつて。帰路きろを取きりうたんとす。其節に至ては。馬達者たつしやちからとし。へも山へも乗上のりあげ。はせ過る事。かねあんうちになくてはかなひがたし。ぢん取の事たとひてきとをく。水づかひよく共。太山のふもと。くぼみの地。大のはた。もりかげうしろの。節所せつしよをきらひ。魚鱗ぎよりん鶴翼くわくよくに陣をはる。かやうの義は。武者奉行むさHぶぎやう下知すといへ共。なをも物見の了簡れうけんによる事也。一夜のぢんにも壁塁へきるいをもつぱらとす。是すなはちかつべきは。たゝかひ。勝まじきには。たゝかはざるのてだてなり。天オープンアクセス NDLJP:540正十三年の秋。佐竹義宣さたけよしのぶと。北条氏直うぢなを下野しもつけの国にをいて。対陣をはり。東西とうざいはたをなびかす。氏直はたもとより。物見を五さしつかはさる。さかひ目へのり出し。てき軍旗ぐんきをはかる所に。其内に山かみ三右衛門尉。賀彦十郎二は。其所の案内あんないをよくぞんずる故にや。さかひを一町ほど乗過のりすごし。高き所へのり上る。てきくさ是を見。はちのごとくおこつて。二武者むしやを取まきぬれば。あみにかゝるうをのごとし。三右衛門尉あとをば取きられ。敵地たりといへ共。北方ほつはうをさしむちうて。稀有けうに其をのがれ。野原のはらをはせすぐる所に。草苅くさかり共にげゆくを。をひたをし。とんでおり。くび一ツ取。敵あまたをひかくるといへ共。馬達者むまたつしやなる故。大山へのり上。みねを下りみかたの地にはせ付たり。彦十郎は敵にかごまれ。おちべきかたなく。敵陣てきぢんまぢかくのり入。つゝみづたひに。みち有を兼てしり。それよりみなみをはるかに。こまにむちうち。落行おちゆきを。陣中ぢんちうより騎馬きばおほくのり出し。前後左右ぜんごさう取切とりきりあるひのりかけうたんとすれば。むちにあふみをもみそへ。二間三間馬をとばせ。或はよつてくまんとすれば。馬にこゑをかけてはせすぎ。数度すどあやうく見えしが。つゐにうたれずして。大のり入馬をおよがせ。こなたのきしに付ぬ。氏なを両人のはたらきの次第をきこしめし。御感ぎよかんなゝめならず。諸侍しよさふらひかんたんせずと云事なし。やがて両人を御前にめされ。おほせ出さるゝをもむき。山上三右衛門尉。てきあまたにかごまれ。戦場せんぢやうをはせすぐるのみならず。敵一人討捕うつとり太山たいさんをこへ。帰陣きぢんする事。心かうにして馬も達者たつしやたる故。軍中ぐんちうのほまれ。比類ひるいなき高名かうみやうなり。扨又波賀はが彦十郎。敵に取こめられ。よん所なきが故。敵ぢんへ馬をのり入。つゝみづたひの順路じゆんろを知て。南をさしてはせすぎ。其上又陣中ぢんちうより。あまたの騎馬きばに出あひ。数度すど難義なんぎにをよぶところに。樊会はんくわいをふるひ。かれらにも討れず。大河へ乗入。てきみかたの目をおどろかし。こなたの峯に。はせ付事。前代未聞ぜんだいみもん剛者がうのもの也。ていればくびを取たる三右衛門が武勇ぶゆう。いづれをとり。まさり有べからず。此度のけんしやうと有て。たかくろといふ名馬めいば。是は信州しんしう高井ごほりより出たり。扨又多胡河原毛たごかはらげがうす。是は上州多胡郡より出たり。此二疋の名馬めいばに。くらをかせ引立。御前にをいて。当時たうじの御ほうびと有て。両人相ならんで。一度に是を拝領はいりやうす。諸侍しよさふらひ是をかんじ。前登せんとうにのぞむ者。むま鍛練たんれんなくしてかなふべからずと。いよ弓馬きうばのみちを。たしなみ給へり
 
 
聞しはむかし。北条氏康天正十四年。上すぎ憲政のりまさを。追討ついたうせられしよりこのかた。関八州にをふるひ給ひぬ。然に上杉は。ゑちごの景虎かげとらをたのむによて。おなじき十五年のなつ。景虎上州沼田ぬまた発向はつかうすといへ共。氏康出馬しゆつばゆへ。其かひなくゑちごへ帰陣きぢんす。その時節じせつ落書らくしよ

かげとらは越後かたびらながふきて。沼田ぬまたに入て。足ぬきもせず

とよみたり。太田おほた美濃守みのゝかみ岩付いはつきしろに有て。景虎かげとらたのむといへどもかなはずして城を開退あけのき落書らくしよオープンアクセス NDLJP:541

すぎを。きりたをされてみのゝ守が。たのみしもりの。かげとらもなし

とぞよみたる。上杉追討ついたう以後いご上野かうづけ下野しもつけ武蔵むさし信濃しなのにをいて。一じやうもちある武士ぶしみな降人かうにんなつて。氏康幕下ばつかに付しか共。上杉ゑちごへ落ゆき給ひし故。関東さふらひ共一たび旧君きうくん。上州へ帰国きこくねがひ。其内に侫人ねいじんひとり有て。叛逆はんぎやくをくわだて。ふみをめぐらせば。皆それに付したがひて。ある時は景虎かげとらに属し。或時は信玄しんげんにくみする故。其いきほひに。永禄ゑいろく三年の比ほひ景虎かげとら相州さうしういそまでをし入。同十二年に。信支小田原の近所きんじよ酒匂さかは〈[#「酒匂」は底本では「酒勾」]〉までをしこむといへ共。一城せめおとす。てだてもなく。一時さゝゆる事もなし。たゞ一時雨しぐれくもを。さはがしてふりとなり。あとはれたるがごとく。何のゑきもなふして。我国へ引かへす。かの両しやう小田原へはたらく事は。関東さふらひ共一し。氏やす野心やしんあるがゆへなり。され共かれらがをば。一ゑんさたせず。我一人手柄てがらのやうにいひなせる故。聞人奇特きどくにおもへり。其ころやす輝虎てるとら信玄しんげん此三人の大将は。むまじやうけなげに有て。猛強まうがうの大将たり然其弓矢ゆみやの取やう各別かくべつ也輝虎は合戦かつせん度毎たびごとに。やりをつ取て。真先まつさきにすゝみ。郎従らうじうあとにつゞけと下知し。物見をもわれとせられたり。これ小勇せうゆうのふるまひ。大しやうには不覚ふかくのはたらきなり。信玄しんげん強盛がうじやうちやくするがゆへ。戦場せんぢやうむかつては。みかたのつよみばかりを。郎従下知げちし。てきのてだてをはからず。無理むりにつよく。うんぜうじて。片意地かだいぢ弓矢ゆみやを。取給ひぬ。此両将は。をごりをむねとし。武威ぶいほかにあらはし。さきをおもひて。のちのかへりみなく。血気けつき勇者ゆうしやのふるまひせん一也。氏やす智仁勇ちじんゆうとく有て。両将弓矢ゆみやのかたぎをかねはかりしつて。てきをごれ共さはがず武略ぶりやくを内におさめて。人の国を切てとらんと。智謀ちぼうあるゆへ。はたして関八州を。永久ゑいきうおさめ給ひたり。其上せつのぞんでは。自身じゝんやりを取。太刀討たちうちし。故に身にケ所の太刀きず〈[#「疵」は底本では「底」]〉有て。まう大将のほまれあり。此三しやうくにをあらそひ。いどみたゝかふといへ共。信玄しんげん輝虎てるとら強勢がうせいにまかせ。雅意がいに有て。政道せいだうみだりがわしき故たみふくせず。氏やす慈悲じひもつぱらとし。たみをなづるとく有て。諸人しよにんおもひよる。文武ぶんぶ智謀ちぼうかねそなはりしたつ人にて。てきをあなどる事なかれと。兼て士卒しそつをいさめ。無事なる時。諸国さかひ目の城々しろに。人数にんじゆをこめをき。敵にはかにきをひ来るといへ共。あへてもておどろかず。はたして万人にかつ事をはかる。大ゆうなり。かうしん。の逆臣ぎやくしんの侍共。一度は景虎かげとら信玄しんげんしよくすといへ共。以後いごかれらくいかなしみ降参かうさんす。氏やす先非せんびをたゞさず。ゆるさるゝ。此をんかんじ。帰降きかう諸侍しよさふらひ二心なく。ひとへにいのちをすて。忠をいたさんとす。むかし大国に大わう有。武勇ぶゆう臣下しんかおほし。其中にちやうしと云臣下をめして。仰けるは。ちんかくらに。七ちん万宝まんぽう一ツとして不そくなる事なし。然ばならびの国のいちに。たからをうるよし聞。なんぢゆきてわがくらになからんたからを。かい取て来るべしとて。おほくのたからをもたせつかはさる。ちやうしかの市にゆきて見るに。一ツとしてもれたる物なし。され共王宮わうぐう善根ぜんこんなし。是をかいとらんと。かの国の貧人ひんにんオープンアクセス NDLJP:542あつめて。たからをことく。ほどこしをむなしくして帰りぬ。大わうかい取所の珍宝ちんぽうを見んとのたまふ。ちやうしこたへて。御実蔵ほうざうほかの珍宝一ツもなし。然共王宮わうぐう善根ぜんごんなかりしかば。かの国の貧人ひんにんをあつめて。もち所のたからをとらせ。番根を買取かいとりよしを申。大王不思儀ふしぎにおぼしめしけれ共。賢人けんじんのはからひ。あしからじと。すぐし給ふ。其比国のえびすおこり。大わう合戦討負うちまけ。ならひの国ににげ行給ふ。其時千人の臣下しんか君恩しんをんすてみなにげうせぬ。わう一人になつて。すでに自害じがいせんとし給ふ時。ちやうしが云。しばらく待給へ。此国のいちにて。買置かいをき善根ぜんごん此度たづねて見むとて行。其たからをえたりし貧人の中に。しばうといふ。武勇ぶゆうの者。善根の心ざしをかんじて。おほくのつはものをかたらひ。此わうのために城郭じやうくわくをこしらへ。引こめ奉りぬ。はたして運をひらき。二たび国へ帰り給ふ事。これひとへにちやうしが。買をきたる。善ごんの故なりと。国王こくわうかんじ給ふ。一人当千たうぜんといふ事。此時よりはじまれり。其時もとにげうせし千人の臣下しんか。又出てつかへんといふ。大わういはく。又事出来いできなばにげべし。別臣べつしんをつふべしとのたまふ。ちやうしが云。別臣は心しりがたし。たゞもとの。にげうせし。旧臣きうしん召仕めしつかひ給へ。二たびのおんわすれんやと云。大王ことわりを聞召きこしめして。もとの臣下をたづね出し。ことく召つかふ時に。又国大きにみだれおこつて。王宮わうぐうをかたぶく時。かの帰り来る所の臣下しんか二度のおんをはぢて。身命しんみやうかろじ。ふせぎたゝかふ。されば。かつ事を。千ほかにえ。くらゐ永久えいきうおさめ給ふ。氏やすのはかりごとも。又是におなし。故に年をゝひ。国をしたがへ。武蔵むさし下総しもふさ上総かづさ下野しもつけ常陸ひたち。八ケ国を治め。信濃しなの。するがの国のかたはしを切て取。近国の逆徒ぎやくとうちたいらげ。其うへ京都きやうとへせめ上り。天下に旗をあげんと。其いきほひのいかめしかりしが。氏康は。元亀げんき元年庚午かのへむま。十月三日。病死びやうし也。氏まさなを時代まで。東西南北とうざいなんぼくに。敵有て。合戦すといへども。関八州静謐せいひつおさめ。氏直時代に至て。安房あは里見さとみ義頼よしより和睦くわぼくし。小田原へ証人せうにんを渡し。幕下ばつかに付。甲州かうしう武田勝頼たけだかつより。常しう佐竹義宣さたけよしのぶてきたるにより。たゝかひやむ事なし然に勝頼かつよりは天正十年三月十一日。信長のぶなが公のためにほろび。其いきほひに。たき左近将監さこんしやうげん西にししうに打入。前橋まへばししろに有て。近辺きんへん城主しろぬし共を。我幕下ばつかになし下知げちする所に。信長公同年六月二日。明智あけちうたれ給ひぬ。是によて。氏直。上州へ発向はつかうし。同月十八日たき川と合戦かつせんし。氏直うちかつて。滝川を追討ついたうし。関八しう静謐せいひつおさまりしが。北条武運ぶうん末になり。天正年中秀吉ひでよし公の武威ぶいはなはだしきにより。関八州の軍兵ぐんびやう。小田原に籠城ろうじやうす然といへ共。城中堅固けんごに有て。おつまじかりしにあつかい有て。さうとうの三ケ国にをいては。前々ぜんのごとく。氏直修領しゆりやうせらるべきよし。老将らうしやう謀計ぼうけいにおとされ。氏直卒爾そつじに。出城しゆつじやうの事。天うんつくる故也といへば。かたへなる人のいはく。氏直関八州のぐん兵を。小田原へあつむるといへ共。一合戦かつせんもせず滅亡めつばうする事。後代こうだい耻辱ちゞよくたりと云。老人聞て。をろかなるいひ事哉。それ君子くんし武略ぶりやくをもつて。てきをほろぼし。国をおさむといへども。天災てんざいのがれがたし。うんせうじてあだをくだくときんは。善悪ぜんあくともに善なり。運オープンアクセス NDLJP:543つくる時に至ては。善悪共に悪也。むかし平氏へいじの大将軍しやうぐん。小松少将惟盛朝臣せうしやうこれもりあそんそつし。るがの国にはせくだり富士ふじ川を前にをきぢんをはる。其ぬまにをりゐる所の鳥水みづとりむらがりてたつ。其羽音はをとひとへに軍勢ぐんぜいの。よそほひをなす。夜中の事なれば。平氏へいじおどろき。さはぎ天のあけぼのをまたず。よろひをすて兵ぐをおとし。とる物も取あへず。敗北はいぼくにげのぼるうんの末には。異国本朝いこくほんてうためしなきにあらず。相国清盛公しやうこくきよもりこう。世をおさめ。廿余年。然に東国とうごく源氏げんじ発向はつかうに至て。軍兵ぐんびやうたてこもるべき。城郭じやうくわくなきがゆへ。平家へいけの一門ことみやこさつて。西海さいかいのみくづと成給ひぬ平泰衡たいらのやすひらは。出羽では陸奥みちのく官領くわんれいたり。頼朝よりとも奥州おうしう出馬しゆつばに至て。あつかし山に城壁しやうへきをかまふといへ共。廿日の内に滅亡めつばうす。信長のぶなが公天下にをふるひしか共。関西くわんさいにをいて。一じやうなきが故人の日向守ひうがのかみに。暫時ざんじの間にがいせられぬ。然に氏直は。めぐり五の大じやうこうじ関八州の。たみ百姓までもこめをき。天下を引請ひきうけ。百余ケ日せむるといへ共。つゐ落城らくじやうせず然所にあつかひ有て。小田原没落ぼつらくす。翌年よくねんわれ京都へのぼりしに。駿河するが府中ふちう。町はづれに。大なるほりふしんあり。是はいかなる事ぞととへば。するがは中村式部少輔なかむらしきぶのせうゆう領国りやうごくなり。其年小田原のしろそうがまへ有によて落城らくじやうせず。是目前もくぜんかゞみなりとて。府中の城に総がまへの堀を。ほらしめ給ふと云。それより京まで。海道の城。みな総がまへのほりぶしんありつるを見たり。今もつてなをしか也。一身一代の出世しゆつせも。天のまもりなくしてはかたし。頼朝よりとも公三代も。四十年につくる。それ北条は。早雲さううん氏茂うぢしげ延徳えんとく年中ねんぢう伊豆いづの国へ打入しよりこのかた。氏直まで五代。百余ケ年。関八州を静謐せいひつおさめ。希代きたい武家ぶけなり。ていればよき事をば。すゑ迄もまなぶならひ。馬の鞍の手がた有事。平治へいぢ合戦かつせんよりはじまる。悪源太あくげんだ鎌田かまだに。をしへけるとかや。扨又小田原総がまへ。前代未聞ぜんだいみもん後世こうせい亀鑑きかんたり。智慧ちゑ才覚さいかくありといへ共。運命うんめいつきければ。こうをなさず。此しらざる人他を難せり。たゞ人は。盛者必衰じやうしやひつすいのことはりを。分明ぶんみやうすべし。古今こきんつねことはり也。其理方寸りはうすんに有て。万物ばんもつみな我にそなはれり。是真実しんじつ道理だうりなり。扨又運命うんめいのがれがたき事。思ひあはせり。むかしかまくらの将軍しやうぐん頼家公よしいへこうは。御舎弟しやてい実朝さねともために。滅亡めつばうし給ひぬ。頼家に二人の若君わかぎみあり。長君ちやうくんがいせられ。をと君をば。尼御台所あまみだいところ出家しゆつけになし。公胤僧正貞暁くいんそうじやうていげうの御弟子でしとなし。阿闍梨公暁あじやりくげうがうす。成人せいじんし給ふの後。二禅尼ぜんに公暁くげうをよびくだし。鶴岡つるがをか別当職べつらうしよくに。ほせらるゝの後はじめ神拝じんぱいあり。阿闍梨あじやり云。宿願しゆくぐわんの儀によて。一千日参籠さんろうせしめ給ふべきと云々。然に将軍家しやうぐんけじんにんぜらる。是によつ建保けんぽ七年己卯つちのとのう正月廿七日。右大臣拝賀はいがのため。鶴岡つるがをかの八幡宮まんぐう。御社参しやさんとりこく御出有べしとの御もよほしによつて。御とも群集ぐんしゆす。此時にあたつて。怪異けい一ツならず。さきぜん入道覚阿かくあ。御まへ何候しかうす。申て云覚同成人せいじんの後いまだなんだのおもてにうかぶ事をしらず。然に今。昵近ぢつきんし奉る所に。落涙らくるいきんじがたし。是たゞ事にあらず。さだめ子細しさい有べきか。先年せんねんとう供養くやうの日。将軍しやうぐんの御出のれいにまかせ。御そくたいの下に。腹巻はらまきちやくせしめ給ふべしと申。文章ぶんしやう博士はかせオープンアクセス NDLJP:544仲章朝臣なかあきらのあそんが云。大じんしやうに。のぼる人のいまだ其しき。あらずと申に。よつて此儀をやめらるゝ。つぎ宮内くない兵衛尉公氏きんうぢびんに候するの所に。右大臣みづから御びんのかみ。一すぢをぬき。形見かたみとしやうじ給はる。次ににはむめを御らんじて。和歌わかゑいじ給ふ

出ていなば。ぬしなき宿やどと成ぬとも。のきはのむめよ。はるをわするな

次に南門なんもんを御出の時。霊鳩れいきうしきりに鳴さへずる。右大じんくるまより下給ふのきざみ雄釼ゆうけんつき折らるゝと云々。将軍しやうぐん宮寺ぐうじの。楼門ろうもんに入しめ給ふの時。右京兆義時きやうでうよしとき。御けんもちともす。にはか心神違例しんじにれい有て。御釼ぎよけん仲章なかあきらに。ゆづり渡し退出たいしゆつす。神宮寺じんぐうじにをいて。御神拝じんぱい。事をはり。夜陰やいんにをよび。退出たいじゆつせしめ給ふの所に。当宮たうぐう別当阿闍梨べつたうあじやり石階いしばしのきはにうかゞひ来て。右大臣を。をかしたてまつる。其くびをひつさげ。うしろの山に入給ふ。其後随兵ずいびやう共はせ参じ。阿闍梨あじやりがいす。次の日御しがいを。勝長寿院しようちやうじゆゐんのかたはらにをいて。はうふりたてまつる。去夜さぬるよの御くびのあり所をしらず。五たい不具ふぐなり。よて其はゞかり有べし。昨日きのふ公氏きんうぢに給る御びんのかみすぢを。 御首に用て。くはんに入奉ると語る所に。皆人聞てじんひとり御身の上に。様々の怪異けい有事。ふしぎ哉と沙汰さたして云々。大ぜん覚阿かくあ落涙らくるい。是いかなる悪妖あくようぞ。はかりがたし。それ二位尼ゐあまは。頼朝よりとも後室こうしつ。北条時政ときまさがむすめ也。頼朝よりとも卒去そつきよし給ひてのち頼経よりつねまで四代の間。いかばかり謀叛むほんさふらひ有て。国をみだす事。あげてかぞふべからず。二位禅尼ゐのぜんに乱逆らんげきを。ことくしづめ。承久せうきう三年。官軍くわんぐんをたいらげ。後鳥羽院ごとばのゐん土御門つちみかど順徳院じゆんとくゐんをはじめ奉り。しまへながし。天下のみだれをしづめたるは此人なり。天地開闢かいびやくこのかた。女しやうの中に。比類ひるいなき智女ちゞよ。日本図をたなごゝろに。にぎれる人なり。然に実朝さねともは。阿闍梨あじやりおやのかたき。是を一所へまねかれたる。尼公にこう一代是一ツのあやまちなりと云人あり。扨又阿闍梨あじやり宿願しゆくゞわんといひて一千日の参籠さんろう。すこぶるかしこきはかりごとなりと云もあり。義時よしときにはか違例いれいし。仲章なかあきらに。御釼ぎよけんをゆづりたるも。運命うんめいつよきさいはひなりといふもあり。右大ぢん門出かどでにびんのかみ一すぢぬき。公氏きぬぢにかたみに出し。後其すぢくびになりたるも希有けうなり。実朝さねともは。歌の名人めいじん。二十一代集だいしうの内にをほくもつて。鎌倉かまくら右大じんとのせられたるは。実朝公の名也。梅の詠歌ゑいか殊勝しゆしようとやいはん。御気ちがひとや申さんなどゝ色々沙汰さたする所に。其中に老人らうじん有て云けるは。此儀批判ひはんすべからず。是天道てんだうのしめす所にて人。心のをよぶ所にあらず。運命うんめいに至ては。是非ぜひろんずべからずといへり

 
 
見しはむかし。関東の諸侍しよさふらひ由来ゆらいなくして国郡くにこほりもちがたし。去程につね広言くわうげんにも。右大将頼朝公よりともこうこのかた。おやおほぢまで。譜代ふだい相伝さうでん分領ぶんりやう。一所懸命しよけんめいのわが安堵あんどを。誰人か望みをかけん。人の所領しよりやうもほしからず。越境おつきやう違乱いらん未練みれんの義なりと。たゞわが領知の。かまへ斗をせられしなり。さオープンアクセス NDLJP:545れ共少のさかひをあらそひては。敵味方てきみかたとわかつて。わたくしの弓矢をとり。在々所々に城郭じやうくわくをかまへ。たゝかひあり。然間武こうをはげまし。身をまつたうして。先祖せんぞまつりり。子孫繁昌しそんはんじやうまもり。旧功きうこうの上下を。撫育ぶいくせんと。文武ぶんぶを専とし給ふ。上に義あれば。下又不義ならず。いのちを塵芥ぢんかいよりもかろし。先によする時は。人をしやうし。のちによする時は。人にしやうせしなど云。本文ほんもん有にやといひて。勇気ゆうきをはげまし。義をまもり。せつをたもつ。忠貞ちうてい有難かりける人々也。田畠たはたをたがへすにも。くろあぜに。やり立置たてをき。やゝもすれば。さかひろんじ出し。弓鑓長刀を。引さけはしり出れば。さふらひたる人は。頼朝よりとも以来このかたいへつたはる。ふるはらまきの。やぶれたるを。取てかたに打かけ。馬にむちうつて。ましぐらに。入みだれ。うつつ。うたれつ。火花をちらしたゝかふ。隣国隣単りんごくりんたんに有て。知しらるゝ中。たがひの恥辱ちじよく。のがれがたし。名のり合て。おもてもふらず。一あしもひかず。名をおしみ。をあらそひ。しのぎをけづり。つばをわり。つきふせ。切ふせ。くびを取つ。とられつ。けぶりを出してたゝかふ事。国々東西南北とうざいなんぼくにをいて。北条氏やす時代じだいまでやむ事なしとかたれば。もしき人聞て。むかしのいくさは。さもこそあらめ。いかにいへにつたはればとて。古鎧ふるよろひを誰が今ちやくすべき。当世たうせい新造しんざうの鎧こそ。びゝしけれといふ。老人らうじん聞て。ふるよろひを着する事。わらひ給ひぞ。是に付ておもひ出せり。鎌倉将軍かまくらしやうぐん時代じだい承久せうきう元年八月八日。放生会ほうじやうゑせつ。御出の時申さゝはるともがらあり。相州さうしう武州ぶしう広元ひろもと朝臣あそん参会さんくわいして其沙汰有所に。あるひけいぶく。あるひは病痾びやうあと云々。然に随兵ずいひやうの中に。吾妻あづま四郎助光すけみつ。其故なくして参らず。行家ゆきいへをもつて仰られていはく。助光はさせる大みやうにあらずといへ共。しやう累家るいけ勇士ゆうしのために是を召加めしくわへられをはんぬ事。面目めんぼくぞんぜざるか。其のぞみて。参らざる事。所存いかんと。ていれば。助光すけみつしやし申ていはくはれの義たるによて。よう意する所のよろひねづみのためにそんをいたすの間。うしなひ申さゝはると云々。かさねて仰にいはく。はれの義によて。用意しようずる事は。もし新造しんざうよろひか。はなはだ然べからず。随兵ずいひやうは。行粧ぎやうさうをかざるべからず。たゞ警衛けいゑいのためなり。是によて右大将軍しやうぐんの御時より。譜代ふだい武士ぶしは。かうしてもて。やくすべき由。さだめらるゝ所也。武勇ぶゆうともがらかねて鎧一りやうたいせざらん。世上せじやう狼唳らうれいは。軽色けいしよく新物しんもつを用ゆべけんや。かつは累祖るいその鐙とう相伝さうでんせんなきにたり。中について。恒例ごうれい神事じんじ也。まい新造しんざうせしむるにをいては。倹約けんやくの義にそむく者か。向後きやうこう諸人しよにん此義を守べきと。ていれば。助光すけみつ出仕しゆつしをやめらるる所なり。然に同年十二月三日ゆき飛散ひさんす。今は御所の御酒宴しゆゑん相州さうしう官令くわんれいとうこうぜらる。其間青鷺あをさぎ一羽。しんでんの上にやゝひさしく将軍家しやうぐんけつゝしみ思召によて。くだんとりとゞむべきのよし。是を仰出さるゝ所に。祈節然るべき射手いて。御所中にかうせず相州さうしう申されて云。吾妻あづま四郎助光御気色きしよくをかうふり。事をうれへ申さんために。当時たうじ御所の近辺きんぺんにあるが。是をめさるべしと云々。よて御使つかひをつかはさるゝの間。助光すけみつ衣を点じて参上す。蟇目ひきめさしはさみ。はしがくしのかげより。うかゞひよて。をはなつ。かのオープンアクセス NDLJP:546矢鳥やとりにあたらざるやうに。見ゆるといへ共。さぎてい上におつ。助光是を進覧しんらんひだりまなこより。いさゝか出。すべきのきずにあらず。此たかにて。ばいだりと申とりの目をひきて。とをると云々。助光すけみつかねて相はかる所に。たがひなし。いきながら是をとゞむる事。御かんことにはなはだし。もとのごとく。昵近ぢつきんし奉るべきの由。仰出さるゝのみにあらず。御釼ぎよけんを下し給はる所なり。此義をおもふに。ch古鎧ふるよろひちやくするは。いよもて武士ぶし名誉めいよなり。扨又今は天下泰平たいへい弓矢ゆみやおさまつて。永久ゑいきうまことに。けいへんがま朽てほたるむなしくさる。かんこ苔ふかふして。鳥おどろかぬ御ともいひつべし。かく天下無異ぶいしよくす。上詩歌うへしいか朝廷公家ちやうていくげのもてあそぶ処。武道弓馬ぶだうきうばは。武家ぶけのたしなむ道也。ひでりには舟をそなへん事を思ふ。ねつにはかは衣をせん事をおもふ是名言めいごん也。史記しきに天下泰平たいへいたりと云とも。たゝかひをわするゝときんば。あやうしといへり。故に文武ぶんぶまなびを。もつぱらとせり。淮南子わいなんしに一目のあみはとりべからず。なきのつりばりは。うをを得べからず。すぐるに礼なくんば。けんを得べからずと云々。けんに任せ。治世ちせい久しからん事をはかるときんば。もとめずといへ共。無量みりやう珍宝ちんぽう。其中にあり。利をもつぱらとし。義を外にする時は。無数むじゆ残害ざんがい。其中にあり。是によつて。しよみやう。今智仁勇ちじんゆうの。三ツの徳をかねて。善道ぜんだうまも武士ぶしを。たづね給ふ古歌に

山より。出てやきみにつかへまし。四ツのおきなの。今もありせば

とよみしをも今おもひ出けり。然に三十年以前。関東くわんとう兵乱ひやうらん時節じせつ金石きんせきよりもかたく。いのちを一ぢんよりもかろし。万死ばんしを出て。一しやうをのがれし。一人当千たうせんの。大がう武士ものゝふおほかりけり。年は六十七十にをよぶといへども。しよみやう召出めしいだされ知行ちぎやう拝領はいりやうし。おひ今生こんじやう面目めんぼくをはどこし。後代こうだい名誉めいよをとゞめ其こう子孫しそんにをよぶとかや。まこと有難ありがた武士ものゝふ威徳いとく。此人々に。あやからばやと。当代たうだい若侍衆わかさふらひしゆ朝暮ちやうぼねがひ給ふと見えたり

 
 
見しはむかし。北条氏政うぢまさと。里見義高さとみよしたかたゝかひ有。相摸さがみ武蔵むさし下総しもふさは。氏まさ領国りやうごく安房あは上総かづさは。義高よしたか持国ぢこくなり。此五ケ国の内に。東西とうざいながき入うみ有て。てき味方みかたの。せん渡海とかいちかし。三うら走水崎はしりみづさきと。上総かづさ富津ふつゝ洲崎すさきの間。わづか一有。しほ満干みちひはやき事。るがごとし。去程にのぼり下りの舟共。御所に来て。しほざかひをまちて。舟をのる。たがひに軍船ぐんせんおほく有て。船いくさやむ事なし。氏政の兵船ひやうせんは。三うらさきに。ことく舟をかけをく。義高よしたか海賊かいぞくある時は一そう二艘にて。夜中に渡海とかいし。浜辺はまべ在所ざいしよを。さはがし或時は。数船すせんをもよほし。にはかに来て。浦里うらさとをやく。此よし三さきへつけ来る。舟を出すといへ共。わたりちかければ。やがて帰海す。是によて。山々みねに。たきゞをつみをき。貝鐘かいかねをつるし人まもるて。てきふね来るを見付。オープンアクセス NDLJP:547たて貝鐘かいかねをならせば山みねにを立つゞけ。即時そくじに三さきへ聞へ。ふねを乗いだす。是を夜るは。かゞりと名付。ひるはのろしといふ。此三国にかぎらず。関東諸国しよこくにもあり。兼日けんじつのろし所をさだめをき万の約束やくそくにも。相図あひづに立る事あり。おほかみ毛糞もうふんもとめをき。是を日中には。少火中に入るとき。けぶりそらへ高くあがる。褒姒ほうじ狐狼野干こらうやかんと。なりたる子細しさいによる狼煙らうゑんかきて。のろしとよむなれば。おほかみ子細しさい有べき事也。扨又烽火ほうくわかきて。かゞりとも。とぶ火ともよめり。むかし大国に此義あり、朝敵ちやうてきをほろぼさんと。軍兵ぐんびやうめす時は。かならず烽火ほうくわあぐる大なる明松たいまつを付。たかみねに。さゝげともせば。烽火ほうくわつかさの人是を見て。四方嵩々だけ嶺々みねに。ともしつゞけ。一月に行着道ゆきつくみちも。一日の内に聞へ。軍兵ぐんびやうはせ来る是をすいていの。烽火とぶひといへり又我朝わがちやうにも。異国いこくれいを。もちひ給ひけるにや。奈良なら御門みかどの御時。ひんがしよりいくさおこらんとせしかば。春日野かすがのに。とぶを立はじめて。其火をまもる人を。をかれたり是によつて。春日野を。とぶ火野ひのと名付。古今集こきんしう

春日野かすがのの。とぶひの野守のもり出て見よ。いまいくかありて。若菜わかなつみてん

ゑいぜり。老人らうじん聞て舟の上にもとぶ火あり。須摩すま淡路あはぢの間を。かよふふね飛火とぶひを立る。それを見て。たがひにとも舟かよはす是をしるしのけぶりといふ。われ聞て。今も此義あり。先年予乗よのりたる舟。三浦崎うらざきより。伊豆いづの国へ渡海とかいす此わたり十八里有て。大のわたり也。順風じゆんふうをあげ。友舟ともふねおほかりしに。海中かいちうにて。風吹かぜふきすさび。又ふき出るといへ共。すでに入。なみ風あらく。行先ゆくさきを見うしなひ。かなしむ所に。先舟さきふねそう飛火とびひを立る。我乗わがのりたる舟も。夜舟よぶね作法さほうと。とま続松たいまつとし。いそを立る。百艘斗そうばかり類船るいせん。ちりなつて。前後左右ぜんごさうを立る。され共先船さきせんの火をしるしに。海路かいろを一すぢに。夜中やちう伊豆いづの国のみなとにはせつきたり。とぶ火の事。軍法ぐんほうにかぎらず。舟の上にもありとしられたり。扨又まへしるせる。三浦崎うらさき走水はしりみづに付て。おもひ出せり。かの在所ざいしよは山あひに。入江いりえありて。海士あますみかわづかにいへ四ツ五ツあり。つりをわざとして。身命しんみやうをくる。されば古今こきんちうに。大とも黒主くろぬしうたは。そのさまいやし。いはゞたきゞおへる山人の。花のかげに。やすめるがごとし。此人志賀しがにすみし時は。志賀の黒主といふ。此人の先祖せんぞあきらかならず。ある物語には。景行天皇けいかうてんわう阿波あはの国へ行幸ぎようがう有し時。逆風げきふうにあひ給ひて。三うらのはしり水と云所につき給ふ。海士あまのかすかなるいほりに入奉りしに。はまぐりなます供御ぐごに奉る。有難ありがたきあぢはひなり。御門みかど叡感ゑいかんにたへさせ給ひて。彼主かのあるじ玉体ぎよくたいちかめして其時うぢを大伴の黒主くろぬしと給ふ。都へ御とも申て上り。けるとなん

 
 
聞しはむかし。老士らうし物語せられしは。北条早雲さううん氏茂うぢしげ子息しそくつな。二代のいくさは聞をよびぬ。以後いご三代に至て。数度すどの合戦に。われあひたり。それ大将軍しやうぐん戦場せんぢやうに出て。あるひ団扇うちわを取て士卒じそつをいさオープンアクセス NDLJP:548め。或はざいをふつて下知げぢする事。かんか本朝古今ほんちようここんれいたり。扨又小田原北条いくさに。かいもつぱらと用る事。遠近ゑんきん共に諸卒しよそつ。心ざしを一どうし。いさみを本意ほんいとするが故也合戦さんみだ時節じせつにも。のけかいをふき。同き太鼓たいここゑを聞ては士卒等。善悪を捨て退き。懸る声を聞ては。無二むににすゝむ。ていれば。いくさはすゝむ計がよきにもあらず。退しりぞくとても。あしきにあらず。かつてまくる事あり。まけかつ事あり。懸引かけひき兵略ひやうりやくは。大しやうの心にあり。陣取ぢんどりの事。旗本はたもとうちに。諸勢しよせい前後左右ぜんごさうに陣す。一そなへる大しやう陣場ぢんば東西南北とうざいなんぼくに。かねさだめをかるゝゆへたづねるにかくれなし。一ぢんにも。ほりをほり。土手どて芝手しばてをつけ。逆茂木さかもぎをゆひ。よるかゞりたき旗本はたもとの大手に矢倉やぐらをあげ。貝太鼓かいたいこをつるしをき。明日あす打立うちたつには。る八ツ太鼓だいこもつて。はたもとに一番貝ばんがいふく。是を聞て惣陣そうぢん貝吹かいふき〈[#「貝吹」は底本では「吹貝」]〉。おきて支度したくす。七ツ太鼓だいこに二番貝ばんがいふく惣陣そうぢん貝吹しよくす。六ツ太鼓に。三ばんふく惣陣そうぢん貝吹打立。すべて軍中ぐんちうにをいて。士卒しそつ遠近ゑんきん共に。あまねく下知げぢにしたがふ事。貝太皷かいたいここゑにしくはなし。相摸さがみ大山おほやまに。学善坊がくぜんばうと名付。山ふし薩摩さつまがうす。大貝おほかい一ツ持たり。此山臥よりべち吹者ふくものなし。五十町へ聞ゆる。氏なを出陣しゆつぢんには大山寺せんじより。此山臥来り。旗本はたもとに有て貝吹かいふく。今も其子孫しそんかいよくふくといふ。然に大しやうたる人は。団扇うちわひしにかけ。かいにをゝ付。よろひの妻手のわきに。わがと付給へり。合戦かつせんこうずる時に至ては。をし太鼓だいこをうち。からをならし。軍兵ぐんびやうかゝるも。とゞまるも。ひくこゑ次第に有て。いくさみださず。てき味方みかた対陣たいぢんをはる時。先手さきてやくとして。夜明よあけぬれば。さかひめへ出向いでむかつぢんす。其間へ足軽あしがるども。五人十人たがひにはしりいで矢軍やいくさをなす。是は下知げぢうけてするにもあらず。故に大しやうもなしあるひ前登ぜんとうを心がくるものあるひ若手わかてさふらひ陣中ぢんちうを一人二人ぬきんで。あつまり合戦かつせんす。此時もかたの旗本はたもとの。貝太皷かいたいここゑを聞て。懸引かけひき兵略ひやうりやくをつくすを見れば。ぞくにいふ。かゆき所へ手をあてるがごとくにて。いさぎよくをおどろかす。駿河するがぢんにてあるじつ。せりあひいくさに。てき味方みかたも。二百程づゝいであひ。かけつ。返しつ、くびを取つ。とられつ。入みだれたゝかふ。てきがたに。くさふしたる故。わざとよはみを見せ退しりぞく。みかたはくさあるをしらず。かつにのつてすゝみ。五十間程敵地てきぢへ。をしこむ時。すでにくさ。はちのごとくおこつて。あとを取切。うたんとす。味方みかたはむかふかたきに目をかけ。是をしらず。見かたのはたもとはるかにへだつといへども。是を見て。のけかいふき太鼓たいこうちければ。入みだれたるいくさなれ共。ひきこゑを聞て。さきを見すてみな引返すまことわにの口をのがれたる心ちにて。貝太皷かいたいこ威徳いとくをかんじたり。ていれば。つねやりは。二間一尺をもちると云つたへたり。たゞし是はてき一人にたいしてゑきあらんか。早雲さううんよりこのかた。五代の合戦。其数をしらず。てき味方みかた。鑓を持上。五月五日印地ゐんぢをするにことならず。是によつて一せんには三間鑓にしくはなしと。是を用ひ来れり。北条軍法ぐんほう諸侍しよさふらひへふれらるゝおもむきの次第。様々の儀あり。其上大将たる人は。八ぢんをかんがみ。孤虚支干こきよしかんもつぱらと用ひ。兵気へいきを見て。いくさこうず。扨又大合戦かつせんには。つね軍法ぐんほうにはかはり。人数にんじゆいか程有といふオープンアクセス NDLJP:549共。三だんにわかち。はたもとは二ぢんに有て。前後ぜんご十町に目を付。下知げぢしたまふされ共時刻じごくにより。事にのぞんでさだまらざるが。下総しもおさの国の。高野台かうのだい合戦かつせんには氏やすまさ旗本はたもと。二手にわけて。両方よりかゝり。いづれも前陣せんぢんなり。ていれば此合戦は。永禄ゑいろく甲子きのへね年。正月八日さるの刻也。是をかんがふるに。味方みかたに一ツとして吉事きちじなし。甲子きのへねは。いんちうほろびたり。是一ツ他国たこくへ打こへさるこくに至て。いくさこうずる事。是二ツ。がらめきの大をこえ。うしろに節所せつしよ有事是三ツ。たつこくのたゝかひに。味方みかたまけ。をくれをとり。てきはいきほひをえたり是四ツ。数度すど合戦かつせんに。軍兵ぐんびやう貝太皷かいたいここゑを聞て。いさみすゝみたり。其声なし是五ツ。みなもてわざはひをまねくにたるか。然といへ共其せつにつかはす所の。物見の武者むしやかへり来ていはく。義弘よしひろかつて。甲冑かつちうをぬくと云々。氏やす此よしを聞。油断ゆだん強敵がうてきとすと云古老こらうのいさめを。肝心かんしんとりさだめ。かすみたつをさいはひとし。貝太皷かいたいこをもならさず。敵陣てきぢん間近まぢかくをしよせ。鬨声ときのこゑをあげ。無二むにせめかゝり。勝利しようりをえられたり。然るときんば。武略ぶりやく智謀ちぼうつねになし。すこぶるてきによて。転化てんくはすと。しられたりと申されし
 
 
聞しはむかし。関東くわんとう官領くわんれい上杉憲政のりまさと。北条たひらの氏やすと。弓矢ゆみやを取てやむ事なし。然に公方くばう春氏はるうぢ公。上杉と一し。天文十四年のはる武州ぶしう河越かはこへ。氏やすしろを。大ぐんをもて取まきせめる。関東くわんとう諸侍しよさふらひも。ことく一す。氏康うぢやす無勢ぶぜいゆへ合戦かつせんかなはずして。両年通路つうろをとめられ。城中じやうちう三千余人。籠置とめをく者共。兵粮ひやうらうつき。すで餓死がしのぞむに付て。氏やす城中の者。身命しんみやうばかりを。たすけらるゝにをいては。しろをあけはたすべきむね。和平わへいをつくすといへ共。みな打果すべき。いきどをりによつて。難義なんぎにをよぶ。氏やす此上は。一合戦かつせんし。うんを天にまかせ。宿意しゆくいたつせんと。おもひさだめらるゝによつて。伊豆いづ箱根はこね。両所権現ごんげん。三しま明神みやうじん御祈祷ごきたうの義あり。鎌倉かまくら幡宮まんぐうにをいて。如意輪よいりん秘法ひほうしゆせられ。べつして当所たうしよ松原せうげん大明神。宮寺ぐうじにて。護摩ごまを修し。善行ぜんぎやうをつくし給ひぬ。然所におなじき年。三月廿日の日中につちう。大かめ一ツ。小田原浦。真砂地まさごちへはひあがる。町人是をあやしみ。とらへ持来て。松原大明神の。いけほとりにをく。八人がちからにてもちわづらふ程也。氏やす聞召。大亀陸地りくちへあがる事。目出度端相ずいさうなりとて。即刻そくこく宮寺ぐうじ出御しゆつぎよ有て。かめを見給ひおほせにいはく。天下泰平たいへいなるべき前表ぜんぺうには。鳥獣甲てうじうかう出現しゆつげんする。往古わうご吉例きちれいおほし。是ひとへに当家たうけ平安へいあん奇瑞きずい。かねて神明しんめいしめす所のさいはひなりと。御かゞみを取よせ。かめかうの上に。是をおかしめ給ひ。それ亀鏡きけいと云事は。さしあらはして。かくれなき目出度いはれありと。御感悦かんゑつなゝめならず。竹葉ちく江う宴酔えんすいをすゝめ。一家一もんことく。参集列候さんしうれつかうし。盃酒数順はいしゆすじゆんに及ぶ。万歳ばんぜい祝詞しうしをのべ給ひてのち。くだんかめを。大かいへはなつべしと有しかば。うみへぞはなちける。此かめ小田原のうらをはなれず。うかびて見ゆる。廿二日は。松原せうげん明神みやうじん。御まへの庭にをいて。四の太夫。御ほうらくオープンアクセス NDLJP:550のふ七番あり。おさめには。四の太夫。四人出て。泰平楽たいへいらくをぞ舞納まひおさめける。こゝに人有ていはく。是に目出度いはれあり。伶人れいじん舞童ぶどうと云は。ちご四人してまふ也。是を泰平楽たいへいらくといふ。むかしかんの国にわうまします。をば高祖かうそと申奉る。ならびに。といふ国あり。王の御名を。項羽かううと申。ある時高祖かうその。項羽かうう内裏だいり行幸ぎやうくがうありしに。かの泰平楽たいへいらくをまひ給ふ。舞台ぶたいをこしらへ。人をのけ。もんをとりて。項羽かううとゝ高祖かうそと。又項羽の臣に。項荘かうしやうといふ者を。めしぐせられたり。かれと已上三人。三尺のけんをぬきもつて。悪魔あくまがうふくの。へんばいとがうして。がくをはやさせてまひ給ふ。是しかしながら。項羽かううかう祖をうつべきとの。はかりごとなり。もんをばとぢて。人をとをさず。門外に高祖のつはもの。はんくはいと云者。御楽をちやうもんしけるが。きうがくに成てくらゐのがくあり樊会うんくわい〈[#ルビ「うんくわい」はママ]〉扨は今わが。てい王の御命。あやしとて。くろがねの門をおしやぶつて。内へ参り。我も祖王そわう方人かたふどらくとて。大動練どうれんといふけんを。ぬき持てまひければ。かう羽のはかりごとも。かなはず其時より。泰平楽たいへいらくは。四人になりたり。今の世に。舞給ふも是なり。災難をはらふべくは。泰平楽たいへいらくにしくはなし。四人にて舞は。四方のゑびすを切心なり。又外聞ぐわんぶんといふ言葉ことば。此時よりおこれり。外にきくといふは。我よりすぐれたる。樊会はんくわいといふしれもの。門外もんぐわいに有に。何とて勝負しようぶけつせん。さしもなき事を出し。後人こうじんのあざけりとなれり。深淵しんえんのぞんで。薄氷はくひようをふむといふ事是なり。文選もんせん表巻へうくわんに。つぶさに見えたりと云々。同廿五日氏やすぐん兵をそつし。州へ出馬しゆつば河越かはごゑの地へをしよせ。天文十五年四月廿日。むまこくに至て。合戦し。氏康討勝て。公方くばう春氏公はるうぢこう。上すぎ憲政のりまさ追討ついたうし。猛威まうひ遠近ゑんきんにふるひしかば。関東諸侍しよさふらひ。此いきほひにをそれ。ことくはせ来て。幕下ばつか付ぬれば。此一合戦かつせんに。くわん八州をおさめられたり。なをふしぎあり。此かめくがへあがりしは。三月廿日の日中につちうなり。此合戦も同四月廿日。むまこくなり。日刻ひこくたがはず。奇端きずいのしるしあらはれたると。皆人是をかんぜりと語れば。老人らうじん聞て。むかし漢土かんどに。照旦鏡せうたんけいといふかゞみあり。此鏡はうらより。おもてへ見えとをる。其ほか人の吉凶きつけう罪科ざいくわ軽重けうぢうを。見鏡するなり。たてたこ一尺あり。ますかゞみと是をいふ。十すんのかゞみなり。くだんの鏡を。かめをひくがあがる。其程に鏡のうらごとに。かめを鋳付るは。此いはれなり。故に亀鑑きかんかきて。かめのかゞみとよめり。此儀にをもひあたつて。氏やすかゞみを。かうの上にをきて。し給ひぬ。扨又いくさに付て。右にたがはぬいはれあり。むかし源平げんぺいたゝかて。平家討負へいけうちまけ長門ながとの国へ落行おちゆき文治ぶんぢ元年に至て。赤間関あかまがせき海上かいじやうに。軍船ぐんせんをうかめたゝかひ有て。数月すげつをくみぎり。大がめ一ツくがへ上る。海人あま是をとらへて。源氏げんじの大将軍しやうぐん参河守みかはのかみ範頼のりよりへ奉る。参河守御らんじて。是は吉事きちじ也と制禁せいきんくはへ。ことにふだを付て。蒼海そうかいにはなさるゝ。然に赤間関あかまがせき海上かいじやう〈[#「海上」は底本では「海下」]〉に。源平ぐねぺいたがひに。兵船ひやうせんをうかべ。勝負しようぶけつすべき。日刻ひこくをうかゞふ所に。同年の三月廿三日。くだんの大かめ源氏げんじふねまへへうかぶ。ふたをもつて是をしる。源氏の大しやう是を見給ひ。今日雌雄しゆうけつすべき。かめのつげよとて。いさみすゝんで合戦かつせんす。源氏げんじ討勝うちかちて。平氏へいぢオープンアクセス NDLJP:551をことくほろぼし。安徳天皇あんとくてんわうも。海底かいていぼつしたまふ。それよりこのかた。天下太平。海内かいないしづかに。たみゆたかなり。かめ万歳ばんぜい生類しようるい。是によて。千秋せんしうつるこゑは。五がくみねにひゞけば。万歳ばんせいかめ海中かいちうより涌出ゆじゆつして。蓬萊ほうらいこゝげんずといひて。目出めでたかりける事共なり
 
北条五代記巻第八