北条五代記巻第八 目次
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【 NDLJP:539】
北条五代記巻第八
聞しは昔。
或老士物語せられしは。われ小田原北条
家に有て。
数度の
軍にあひたり。然ば
敵味方対陣の時に至て。物見にさゝるゝ人は
先もつて。馬に
鍜練し。其所の
案内をしり。
功者を
専とす。物見の
武者。さかひ目へ
乗出し。其日の
気色を
見合。さかひをこへ。
高き所へ
乗上。
敵の
軍旗をはかり。
急ぎ
帰陣す。されば大
将軍出馬し。
対陣をはる時は。
敵もみかたも。
前手の
役として。夜に入ば。
足軽共。さかひ目へ
行。草に
臥て。
敵をうかゞひ。あかつきには帰る。是を草共
忍び共
名付たり。夜るの草
昼まで残る事有是を知ず。物見の
武者。さかひ目を過る時。かの草おこつて。
帰路を取きりうたんとす。其節に至ては。馬
達者を
力とし。
野へも山へも
乗上。はせ過る事。
兼て
案の
内になくては
叶ひがたし。
陣取の事たとひ
敵遠く。水づかひよく共。太山の
麓。くぼみの地。大
河のはた。
森の
陰うしろの。
節所をきらひ。
魚鱗鶴翼に陣をはる。かやうの義は。
武者奉行下知すといへ共。
猶も物見の
了簡による事也。一夜の
陣にも
壁塁をもつぱらとす。是すなはち
勝べきは。たゝかひ。勝まじきには。たゝかはざるのてだてなり。天
【 NDLJP:540】正十三年の秋。
佐竹義宣と。北条
氏直。
下野の国にをいて。対陣をはり。
東西に
旗をなびかす。氏直はたもとより。物見を五
騎さしつかはさる。さかひ目へ
乗出し。
敵の
軍旗をはかる所に。其内に山
上三右衛門尉。
波賀彦十郎二
騎は。其所の
案内をよく
存ずる故にや。さかひを一町ほど
乗過し。高き所へ
乗上る。
敵の
草是を見。はちのごとくおこつて。二
騎の
武者を取まきぬれば。
網にかゝる
魚のごとし。三右衛門尉
跡をば取
切れ。敵地たりといへ共。
北方をさしむちうて。
稀有に其
場をのがれ。
野原をはせすぐる所に。
草苅共にげゆくを。
追たをし。
飛でおり。
首一ツ取。敵あまたをひかくるといへ共。
馬達者なる故。大山へ
乗上。
嶺を下りみかたの地にはせ付たり。彦十郎は敵にかごまれ。
落べきかたなく。
敵陣まぢかく
乗入。
堤づたひに。
道有を兼てしり。それより
南をはるかに。
駒にむちうち。
落行を。
陣中より
騎馬おほく
乗出し。
前後左右を
取切。
或は
乗かけ
討んとすれば。むちに
鐙をもみそへ。二間三間馬をとばせ。或はよつてくまんとすれば。馬に
声をかけてはせすぎ。
数度あやうく見えしが。
終にうたれずして。大
河へ
乗入馬をおよがせ。こなたの
岸に付ぬ。氏
直両人のはたらきの次第をきこしめし。
御感なゝめならず。
諸侍かんたんせずと云事なし。やがて両人を御前にめされ。
仰出さるゝをもむき。山上三右衛門尉。
敵あまたにかごまれ。
戦場をはせ
過るのみならず。敵一人
討捕。
太山をこへ。
帰陣する事。心
剛にして馬も
達者たる故。
軍中のほまれ。
比類なき
高名なり。扨又
波賀彦十郎。敵に取こめられ。よん所なきが故。敵
陣へ馬を
乗入。
堤づたひの
順路を知て。南をさしてはせ
過。其上又
陣中より。あまたの
騎馬に出あひ。
数度難義にをよぶ
処に。
樊会をふるひ。かれらにも討れず。大河へ乗入。
敵みかたの目をおどろかし。こなたの峯に。
馳付事。
前代未聞の
剛者也。ていれば
首を取たる三右衛門が
武勇。いづれをとり。まさり有べからず。此度のけんしやうと有て。
高ゐ
黒といふ
名馬。是は
信州高井
郡より出たり。扨又
多胡河原毛と
号す。是は上州多胡郡より出たり。此二疋の
名馬に。
鞍をかせ引立。御前にをいて。
当時の御ほうびと有て。両人相
並で。一度に是を
拝領す。
諸侍是を
感じ。
前登にのぞむ者。
馬鍛練なくして
叶ふべからずと。いよ
〳〵弓馬のみちを。たしなみ給へり
聞しはむかし。北条氏康天正十四年。上
杉憲政を。
追討せられしよりこのかた。関八州に
威をふるひ給ひぬ。然に上杉は。ゑちごの
景虎をたのむによて。おなじき十五年の
夏。景虎上州
沼田へ
発向すといへ共。氏康
出馬ゆへ。其かひなくゑちごへ
帰陣す。その
時節の
落書に
景とらは越後かたびらながふきて。沼田に入て。足ぬきもせず
とよみたり。太田美濃守は岩付の城に有て。景虎を頼むといへども叶はずして城を開退の落書【 NDLJP:541】に
上杉を。切たをされてみのゝ守が。たのみし森の。景とらもなし
とぞよみたる。上杉追討以後。上野。下野。武蔵。信濃にをいて。一城を持。名ある武士みな降人と成て。氏康幕下に付しか共。上杉ゑちごへ落行給ひし故。関東侍共一度旧君。上州へ帰国を願ひ。其内に侫人ひとり有て。叛逆をくわだて。文をめぐらせば。皆それに付したがひて。或時は景虎に属し。或時は信玄にくみする故。其いきほひに。永禄三年の比ほひ景虎相州大磯まで押入。同十二年に。信支小田原の近所酒匂〈[#「酒匂」は底本では「酒勾」]〉までをしこむといへ共。一城せめ落す。てだてもなく。一時さゝゆる事もなし。たゞ一時雨の雲を。さはがして降となり。跡の晴たるがごとく。何の益もなふして。我国へ引かへす。かの両将小田原へはたらく事は。関東侍共一味し。氏康へ野心あるがゆへなり。され共かれらが名をば。一円さたせず。我一人手柄のやうにいひなせる故。聞人奇特におもへり。其比氏康。輝虎。信玄此三人の大将は。生れ性けなげに有て。猛強の大将たり然其弓矢の取様は各別也輝虎は合戦の度毎に。鑓をつ取て。真先にすゝみ。郎従等跡につゞけと下知し。物見をもわれとせられたり。これ小勇のふるまひ。大将には不覚のはたらきなり。信玄は強盛に着するがゆへ。戦場に向ては。みかたのつよみ計を。郎従等に下知し。敵のてだてをはからず。無理につよく。運に乗じて。片意地に弓矢を。取給ひぬ。此両将は。をごりをむねとし。武威を外にあらはし。前をおもひて。後のかへりみなく。血気の勇者のふるまひ専一也。氏康は智仁勇の徳有て。両将弓矢のかたぎを兼て斗知て。敵をごれ共さはがず武略を内におさめて。人の国を切てとらんと。智謀あるゆへ。はたして関八州を。永久に治め給ひたり。其上切に望んでは。自身鑓を取。太刀討し。故に身に数ケ所の太刀疵〈[#「疵」は底本では「底」]〉有て。猛大将の誉あり。此三将国をあらそひ。いどみたゝかふといへ共。信玄輝虎は強勢にまかせ。雅意に有て。政道みだりがわしき故民ふくせず。氏康は慈悲を専とし。民をなづる徳有て。諸人おもひよる。文武智謀兼て備はりし達人にて。敵をあなどる事なかれと。兼て士卒をいさめ。無事なる時。諸国さかひ目の城々に。人数をこめをき。敵俄にきをひ来るといへ共。あへてもておどろかず。はたして万人に勝事をはかる。大勇なり。上。武。信。の逆臣の侍共。一度は景虎信玄に属すといへ共。以後かれら悔悲しみ降参す。氏康先非をたゞさず。ゆるさるゝ。此恩を感じ。帰降の諸侍二心なく。ひとへに命をすて。忠をいたさんとす。むかし大国に大王有。武勇の臣下おほし。其中にちやうしと云臣下をめして。仰けるは。ちんか倉に。七珍万宝一ツとして不足なる事なし。然ばならびの国の市に。たからを売よし聞。汝ゆきてわが倉になからん宝を。買取て来るべしとて。おほくのたからを持せつかはさる。ちやうし彼市にゆきて見るに。一ツとしてもれたる物なし。され共王宮に善根なし。是を買とらんと。彼国の貧人を【 NDLJP:542】集て。たからをこと〴〵く。ほどこし手をむなしくして帰りぬ。大王買取所の珍宝を見んとのたまふ。ちやうし答て。御実蔵の外の珍宝一ツもなし。然共王宮に善根なかりしかば。彼国の貧人をあつめて。持所のたからをとらせ。番根を買取よしを申。大王不思儀におぼし召けれ共。賢人のはからひ。あしからじと。過し給ふ。其比国のえびすおこり。大王合戦討負。ならひの国ににげ行給ふ。其時千人の臣下。君恩を捨て皆にげ失ぬ。王一人に成て。すでに自害せんとし給ふ時。ちやうしが云。しばらく待給へ。此国の市にて。買置し善根此度尋て見むとて行。其実をえたりし貧人の中に。しばうといふ。武勇の者。善根の心ざしを感じて。おほくの兵をかたらひ。此王のために城郭をこしらへ。引こめ奉りぬ。はたして運をひらき。二度国へ帰り給ふ事。これ偏にちやうしが。買をきたる。善根の故なりと。国王かんじ給ふ。一人当千といふ事。此時よりはじまれり。其時もとにげ失し千人の臣下。又出てつかへんといふ。大王いはく。又事出来なばにげべし。別臣をつふべしとのたまふ。ちやうしが云。別臣は心しり難し。たゞもとの。にげ失し。旧臣を召仕給へ。二たびの恩を忘れんやと云。大王ことわりを聞召て。もとの臣下を尋出し。こと〴〵く召つかふ時に。又国大きに乱おこつて。王宮をかたぶく時。かの帰り来る所の臣下二度の恩をはぢて。身命を軽じ。ふせぎたゝかふ。されば。勝事を。千里の外にえ。位を永久に治め給ふ。氏康のはかりごとも。又是におなし。故に年をゝひ。他国をしたがへ。武蔵。下総。上総。下野。常陸。八ケ国を治め。信濃。するがの国のかたはしを切て取。近国の逆徒を討たいらげ。其うへ京都へせめ上り。天下に旗をあげんと。其いきほひのいかめしかりしが。氏康は。元亀元年庚午。十月三日。病死也。氏政氏直時代まで。東西南北に。敵有て。合戦すといへども。関八州静謐に治め。氏直時代に至て。安房の里見。義頼和睦し。小田原へ証人を渡し。幕下に付。甲州武田勝頼。常州佐竹義宣。敵たるにより。たゝかひやむ事なし然に勝頼は天正十年三月十一日。信長公のためにほろび。其いきほひに。滝川左近将監。西上州に打入。前橋の城に有て。近辺の城主共を。我幕下になし下知する所に。信長公同年六月二日。明智に討れ給ひぬ。是によて。氏直。上州へ発向し。同月十八日滝川と合戦し。氏直うち勝て。滝川を追討し。関八州静謐に治りしが。北条家武運末になり。天正年中秀吉公の武威。甚しきにより。関八州の軍兵。小田原に籠城す然といへ共。城中堅固に有て。落まじかりしに扱有て。武。相。豆の三ケ国にをいては。前々のごとく。氏直修領せらるべきよし。老将の謀計におとされ。氏直卒爾に。出城の事。天運の尽る故也といへば。かたへなる人のいはく。氏直関八州の軍兵を。小田原へ集るといへ共。一合戦もせず滅亡する事。後代の耻辱たりと云。老人聞て。愚なるいひ事哉。それ君子は武略をもつて。敵をほろぼし。国を治むといへども。天災は遁がたし。運に乗じてあだをくだくときんは。善悪ともに善なり。運【 NDLJP:543】尽る時に至ては。善悪共に悪也。むかし平氏の大将軍。小松少将惟盛朝臣。数万騎を率し。るがの国にはせ下。富士川を前にをき陣をはる。其沼にをりゐる所の鳥水。群りてたつ。其羽音ひとへに軍勢の。よそほひをなす。夜中の事なれば。平氏おどろき。さはぎ天の明ぼのをまたず。よろひをすて兵ぐをおとし。とる物も取あへず。敗北し迯のぼる運の末には。異国本朝ためしなきにあらず。相国清盛公。世を治め。廿余年。然に東国の源氏発向に至て。軍兵たて籠るべき。城郭なきがゆへ。平家の一門こと〴〵く都を去て。西海のみくづと成給ひぬ平泰衡は。出羽。陸奥の官領たり。頼朝公奥州出馬に至て。あつかし山に城壁をかまふといへ共。廿日の内に滅亡す。信長公天下に威をふるひしか共。関西にをいて。一城なきが故家人の日向守に。暫時の間に害せられぬ。然に氏直は。めぐり五里の大城を構じ関八州の。民百姓までも籠をき。天下を引請。百余ケ日せむるといへ共。終に落城せず然所にあつかひ有て。小田原没落す。翌年われ京都へのぼりしに。駿河の府中。町はづれに。大なる堀ふしんあり。是はいかなる事ぞと問ば。するがは中村式部少輔領国なり。其年小田原の城。総がまへ有によて落城せず。是目前の鏡なりとて。府中の城に総がまへの堀を。ほらしめ給ふと云。それより京まで。海道の城〳〵。みな総がまへの堀ぶしんありつるを見たり。今もつて猶しか也。一身一代の出世も。天のまもりなくしてはかたし。頼朝公三代も。四十年につくる。それ北条家は。早雲氏茂延徳年中。伊豆の国へ打入しよりこのかた。氏直まで五代。百余ケ年。関八州を静謐に治め。希代の武家なり。ていればよき事をば。末の世迄も学ぶならひ。馬の鞍の手がた有事。平治の合戦よりはじまる。悪源太鎌田に。をしへけるとかや。扨又小田原総がまへ。前代未聞後世の亀鑑たり。智慧才覚ありといへ共。運命つきければ。功をなさず。此理知ざる人他を難せり。たゞ人は。盛者必衰のことはりを。分明すべし。古今常の理也。其理方寸に有て。万物皆我にそなはれり。是真実の道理なり。扨又運命のがれがたき事。思ひあはせり。昔かまくらの将軍頼家公は。御舎弟実朝の為に。滅亡し給ひぬ。頼家に二人の若君あり。長君は害せられ。をと君をば。尼御台所出家になし。公胤僧正貞暁の御弟子となし。阿闍梨公暁と号す。成人し給ふの後。二位の禅尼。公暁をよび下し。鶴岡の別当職に。ほせらるゝの後始て神拝あり。阿闍梨云。宿願の儀によて。一千日参籠せしめ給ふべきと云々。然に将軍家。右大臣に任ぜらる。是に依て建保七年己卯正月廿七日。右大臣拝賀のため。鶴岡の八幡宮。御社参酉の刻御出有べしとの御もよほしによつて。御供群集す。此時に当て。怪異一ツならず。前大膳大夫入道覚阿。御前に何候す。申て云覚同成人の後いまだなんだの面にうかぶ事をしらず。然に今。昵近し奉る所に。落涙禁じがたし。是たゞ事にあらず。定て子細有べきか。先年東大寺御供養の日。右大将軍の御出の例にまかせ。御そくたいの下に。腹巻を着せしめ給ふべしと申。文章博士【 NDLJP:544】仲章朝臣が云。大臣大将に。のぼる人のいまだ其式。あらずと申に。依て此儀をやめらるゝ。次に宮内兵衛尉公氏御鬢に候するの所に。右大臣みづから御びんの髪。一筋をぬき。形見としやうじ給はる。次に庭の梅を御覧じて。和歌を詠じ給ふ
出ていなば。ぬしなき宿と成ぬとも。軒はの梅よ。春をわするな
次に南門を御出の時。霊鳩しきりに鳴さへずる。右大臣車より下給ふの刻雄釼つき折らるゝと云々。将軍宮寺の。楼門に入しめ給ふの時。右京兆義時。御釼を持御供す。俄に心神違例有て。御釼を仲章に。ゆづり渡し退出す。神宮寺にをいて。御神拝。事をはり。夜陰にをよび。退出せしめ給ふの所に。当宮の別当阿闍梨。石階のきはにうかゞひ来て。右大臣を。をかしたてまつる。其首をひつさげ。後の山に入給ふ。其後随兵共はせ参じ。阿闍梨を害す。次の日御しがいを。勝長寿院のかたはらにをいて。はうふりたてまつる。去夜の御首のあり所をしらず。五体不具なり。よて其はゞかり有べし。昨日公氏に給る御びんの髪一筋を。 御首に用て。くはんに入奉ると語る所に。皆人聞て右大臣ひとり御身の上に。様々の怪異有事。ふしぎ哉と沙汰して云々。大膳大夫覚阿が落涙。是いかなる悪妖ぞ。はかりがたし。それ二位尼は。頼朝の後室。北条時政がむすめ也。頼朝公卒去し給ひて後。頼経まで四代の間。いかばかり謀叛の侍有て。国をみだす事。あげてかぞふべからず。二位禅尼此乱逆を。こと〴〵くしづめ。承久三年。官軍をたいらげ。後鳥羽院。土御門。順徳院をはじめ奉り。島へながし。天下のみだれをしづめたるは此人なり。天地開闢このかた。女姓の中に。比類なき智女。日本図をたなごゝろに。にぎれる人なり。然に実朝は。阿闍梨の親のかたき。是を一所へまねかれたる。尼公一代是一ツのあやまちなりと云人あり。扨又阿闍梨。宿願といひて一千日の参籠。すこぶるかしこきはかりごとなりと云もあり。義時俄に違例し。仲章に。御釼をゆづりたるも。運命つよき幸なりと云もあり。右大臣門出にびんのかみ一すぢぬき。公氏にかたみに出し。後其毛一筋。首になりたるも希有なり。実朝は。歌の名人。二十一代集の内にをほくもつて。鎌倉右大臣とのせられたるは。実朝公の名也。梅の詠歌殊勝とやいはん。御気ちがひとや申さんなどゝ色々沙汰する所に。其中に老人有て云けるは。此儀批判すべからず。是天道のしめす所にて人。心のをよぶ所にあらず。運命の期に至ては。是非を論ずべからずといへり
見しは
昔。関東の
諸侍。
由来なくして
国郡を
持がたし。去程に
常の
広言にも。右大将
頼朝公このかた。
親おほぢまで。
譜代相伝の
分領。一
所懸命のわが
安堵を。誰人か望みを
懸ん。人の
所領もほしからず。
越境違乱未練の義なりと。たゞわが領知の。かまへ斗をせられしなり。さ
【 NDLJP:545】れ共少の
境をあらそひては。
敵味方とわかつて。わたくしの弓矢をとり。在々所々に
城郭をかまへ。たゝかひあり。然間武
功をはげまし。身をまつたうして。
先祖を
祭り。
子孫繁昌を
守り。
旧功の上下を。
撫育せんと。
文武を専とし給ふ。上に義あれば。下又不義ならず。いのちを
塵芥よりも
軽し。先によする時は。人をしやうし。
後によする時は。人にしやうせしなど云。
本文有にやといひて。
勇気をはげまし。義を
守り。
節をたもつ。
忠貞有難かりける人々也。
田畠をたがへすにも。くろあぜに。
鑓を
立置。やゝもすれば。
堺を
論じ出し。弓鑓長刀を。引さけ
〳〵はしり出れば。
侍たる人は。
頼朝公
以来家に
伝はる。
古はらまきの。
破れたるを。取てかたに打かけ。馬に
鞭うつて。ましぐらに。入
乱れ。
討つ。うたれつ。火花をちらしたゝかふ。
隣国隣単に有て。知しらるゝ中。たがひの
恥辱。のがれがたし。名のり合て。おもてもふらず。一
足もひかず。名をおしみ。
死をあらそひ。しのぎをけづり。つばをわり。つきふせ。切ふせ。
首を取つ。とられつ。
血けぶりを出してたゝかふ事。国々
東西南北にをいて。北条氏
康時代迄止事なしと
語れば。
若き人聞て。むかしのいくさは。さもこそあらめ。いかに
家につたはればとて。
古鎧を誰が今
着すべき。
当世新造の鎧こそ。びゝしけれといふ。
老人聞て。ふるよろひを着する事。わらひ給ひぞ。是に付ておもひ出せり。
鎌倉将軍の
時代。
承久元年八月八日。
放生会の
節。御出の時申さゝはる
輩あり。
相州武州広元朝臣等。
参会して其沙汰有所に。
或は
軽服。あるひは
病痾と云々。然に
随兵の中に。
吾妻四郎
助光。其故なくして参らず。
行家をもつて仰られていはく。助光はさせる大
名にあらずといへ共。
賞は
累家の
勇士のために是を
召加られ
畢ぬ事。
面目を
存ぜざるか。其
期に
望みて。参らざる事。所存いかんと。ていれば。
助光謝し申ていはくはれの義たるによて。
用意する所の
鎧。
鼠のために
損をいたすの間。
度を
失ひ申さゝはると云々。かさねて仰にいはく。
晴の義によて。用意
称ずる事は。
若新造の
鎧か。はなはだ然べからず。
随兵は。
行粧をかざるべからず。たゞ
警衛のためなり。是によて右大
将軍の御時より。
譜代の
武士は。
候してもて。
役すべき由。
定らるゝ所也。
武勇の
輩。
兼て鎧一
領帯せざらん。
世上の
狼唳は。
軽色の
新物を用ゆべけんや。かつは
累祖の鐙
等。
相伝せんなきに
似たり。中について。
恒例の
神事也。
毎度
新造せしむるにをいては。
倹約の義に
背く者か。
向後は
諸人此義を守べきと。ていれば。
助光は
出仕をやめらるる所なり。然に同年十二月三日
雪飛散す。今は御所の御
酒宴。
相州大
官令等こうぜらる。其間
青鷺一羽。しんでんの上に
良久。
将軍家つゝしみ思召によて。
件の
鳥を
射とゞむべきのよし。是を仰出さるゝ所に。祈節然るべき
射手。御所中に
候せず
相州申されて云。
吾妻四郎助光御
気色をかうふり。事を
愁へ申さんために。
当時御所の
近辺にあるが。是をめさるべしと云々。よて御
使をつかはさるゝの間。
助光衣を点じて参上す。
蟇目を
指はさみ。
階がくしの
陰より。うかゞひよて。
矢をはなつ。
彼【 NDLJP:546】矢鳥にあたらざるやうに。見ゆるといへ共。
鷺は
庭上におつ。助光是を
進覧す
左の
眼より。
血いさゝか出。
死すべきの
疵にあらず。此
矢は
鷹の
羽にて。
作だりと申
鳥の目をひきて。
通ると云々。
助光兼て相
計所に。たがひなし。
生ながら是を
射とゞむる事。御
感殊にはなはだし。
本のごとく。
昵近し奉るべきの由。仰出さるゝのみにあらず。
御釼を下し給はる所なり。此義をおもふに。ch
古鎧着するは。いよ
〳〵もて
武士の
名誉なり。扨又今は天下
泰平。
弓矢おさまつて。
永久誠に。けいへんがま朽てほたるむなしくさる。かんこ苔ふかふして。鳥おどろかぬ御
代ともいひつべし。かく天下
無異に
属す。
上詩歌は
朝廷公家のもてあそぶ処。
武道弓馬は。
武家のたしなむ道也。
旱には舟を
備へん事を思ふ。
熱にはかは衣を
具せん事をおもふ是
名言也。
史記に天下
泰平たりと云とも。たゝかひを
忘るゝときんば。あやうしといへり。故に
文武の
学びを。もつぱらとせり。
淮南子に一目のあみは
鳥を
得べからず。
餌なきの
釣は。
魚を得べからず。
士を
過るに礼なくんば。
賢を得べからずと云々。
賢に任せ。
治世久しからん事を
謀ときんば。
利を
求ずといへ共。
無量の
珍宝。其中にあり。利を
専とし。義を外にする時は。
無数の
残害。其中にあり。是によつて。
諸大
名。今
智仁勇の。三ツの徳を
兼て。
死を
善道に
守る
武士を。
尋給ふ古歌に
深山より。出てや君につかへまし。四ツの翁の。今もありせば
とよみしをも今おもひ出けり。然に三十年以前。関東兵乱の時節。義を金石よりもかたく。命を一塵よりも軽し。万死を出て。一生をのがれし。一人当千の。大剛の武士おほかりけり。年は六十七十にをよぶといへども。諸大名へ召出され知行を拝領し。老て今生の面目をはどこし。後代に名誉をとゞめ其功。子孫にをよぶとかや。誠に有難き武士の威徳。此人々に。あやからばやと。当代の若侍衆。朝暮ねがひ給ふと見えたり
見しは
昔。北条
氏政と。
里見義高たゝかひ有。
相摸。
武蔵。
下総は。氏
政の
領国。
安房。
上総は。
義高の
持国なり。此五ケ国の内に。
東西へ
長き入
海有て。
敵味方の。
船の
渡海近し。三
浦走水崎と。
上総の
富津の
洲崎の間。わづか一
里有。
塩の
満干はやき事。
矢を
射るがごとし。去程にのぼり下りの舟共。御所に来て。
塩ざかひを
待て。舟をのる。たがひに
軍船おほく有て。船いくさやむ事なし。氏政の
兵船は。三
浦三
崎に。こと
〴〵く舟をかけをく。
義高の
海賊。
或時は一
艘二艘にて。夜中に
渡海し。
浜辺の
在所を。さはがし或時は。
数船をもよほし。
俄に来て。
浦里をやく。此よし三
崎へつけ来る。舟を出すといへ共。わたり
近ければ。やがて帰海す。是によて。山々みね
〳〵に。
薪をつみをき。
貝鐘をつるし人
守り
居て。
敵の
舟来るを見付。
火を
【 NDLJP:547】たて
貝鐘をならせば山みねに
火を立つゞけ。
即時に三
崎へ聞へ。
舟を乗いだす。是を夜るは。かゞりと名付。
昼はのろしといふ。此三国にかぎらず。関東
諸国にもあり。
兼日燧所をさだめをき万の
約束にも。
相図に立る事あり。
狼の
毛糞を
求をき。是を日中には。少火中に入るとき。
煙空へ高くあがる。
褒姒が
狐狼野干と。なりたる
子細による
狼煙と
書て。のろしとよむなれば。
狼の
子細有べき事也。扨又
烽火と
書て。かゞりとも。とぶ火ともよめり。むかし大国に此義あり、
朝敵をほろぼさんと。
軍兵を
召時は。かならず
烽火を
上る大なる
明松に
火を付。
高き
嶺に。さゝげともせば。
烽火司の人是を見て。四方
嵩々嶺々に。ともしつゞけ。一月に
行着道も。一日の内に聞へ。
軍兵はせ来る是をすいていの。
烽火といへり又
我朝にも。
異国の
例を。
用ひ給ひけるにや。
奈良の
御門の御時。
東よりいくさおこらんとせしかば。
春日野に。とぶ
火を立はじめて。其火を
守る人を。をかれたり是によつて。春日野を。とぶ
火野と名付。
古今集に
春日野の。とぶひの野守出て見よ。いまいくかありて。若菜つみてん
と詠ぜり。老人聞て舟の上にもとぶ火あり。須摩と淡路の間を。かよふ小ふね飛火を立る。それを見て。たがひにとも舟かよはす是をしるしの煙といふ。われ聞て。今も此義あり。先年予乗たる舟。三浦崎より。伊豆の国へ渡海す此渡り十八里有て。大事のわたり也。順風に帆をあげ。友舟おほかりしに。海中にて。風吹すさび。又吹出るといへ共。既に夜に入。波風あらく。行先を見うしなひ。かなしむ所に。先舟一艘。飛火を立る。我乗たる舟も。夜舟の作法と。苫を続松とし。急ぎ火を立る。百艘斗の類船。ちり〳〵に成て。前後左右に火を立る。され共先船の火をしるしに。海路を一筋に。夜中に伊豆の国の湊にはせ着たり。とぶ火の事。軍法にかぎらず。舟の上にもありとしられたり。扨又前に注せる。三浦崎。走水に付て。おもひ出せり。彼在所は山あひに。入江ありて。海士の栖わづかに家四ツ五ツあり。釣をわざとして。身命を送る。されば古今の注に。大伴の黒主が歌は。そのさまいやし。いはゞ薪おへる山人の。花のかげに。やすめるがごとし。此人志賀にすみし時は。志賀の黒主といふ。此人の先祖あきらかならず。或物語には。景行天皇。阿波の国へ行幸有し時。逆風にあひ給ひて。三浦のはしり水と云所に着給ふ。海士のかすかなる庵に入奉りしに。蛤の鱠を供御に奉る。有難きあぢはひなり。御門叡感にたへさせ給ひて。彼主を玉体近く召て其時姓を大伴の黒主と給ふ。都へ御供申て上り。けるとなん
聞しはむかし。
老士物語せられしは。北条
早雲氏茂子息氏
綱。二代の
軍は聞
及びぬ。
以後三代に至て。
数度の合戦に。われあひたり。それ大
将軍。
戦場に出て。
或は
団扇を取て
士卒をいさ
【 NDLJP:548】め。或はざいをふつて
下知する事。かんか
本朝古今の
例たり。扨又小田原北条
家の
軍に。
貝太
皷を
専と用る事。
遠近共に
諸卒等。心
指を一
同し。いさみを
本意とするが故也合戦
算を
乱す
時節にも。のけ
貝をふき。同き
太鼓の
声を聞ては士卒等。善悪を捨て退き。懸る声を聞ては。
無二にすゝむ。ていれば。
軍はすゝむ計がよきにもあらず。
退くとても。あしきに
非ず。かつて
負る事あり。
負て
勝事あり。
懸引兵略は。大
将の心にあり。
陣取の事。
旗本を
中に。
諸勢前後左右に陣す。一
手を
備へる大
将の
陣場。
東西南北に。
兼て
定をかるゝ
故。
尋るに
隠なし。一
夜の
陣にも。
堀をほり。
土手芝手をつけ。
逆茂木をゆひ。
夜は
篝を
焼。
旗本の大手に
矢倉をあげ。
貝太鼓をつるしをき。
明日打立には。
夜る八ツ
太鼓を
持て。はた
本に一
番貝を
吹。是を聞て
惣陣貝吹〈[#「貝吹」は底本では「吹貝」]〉。おきて
支度す。七ツ
太鼓に二
番貝を
吹。
惣陣貝吹
食す。六ツ太鼓に。三
番貝
吹。
惣陣貝吹打立。すべて
軍中にをいて。
士卒等。
遠近共に。あまねく
下知にしたがふ事。
貝太皷の
声にしくはなし。
相摸大山に。
学善坊と名付。山
臥薩摩と
号す。
大貝一ツ持たり。此山臥より
別に
吹者なし。五十町へ聞ゆる。氏
直出陣には大
山寺より。此山臥来り。
旗本に有て
貝吹。今も其
子孫貝よく
吹といふ。然に大
将たる人は。
団扇を
肘にかけ。
貝にをゝ付。よろひの妻手の
脇に。
我と付給へり。
合戦興ずる時に至ては。をし
太鼓をうち。
貝をならし。
軍兵かゝるも。とゞまるも。
引も
声次第に有て。
軍を
乱さず。
敵味方対陣をはる時。
先手の
役として。
夜明ぬれば。さかひめへ
出向て
陣す。其間へ
足軽ども。五人十人たがひにはしり
出。
矢軍をなす。是は
下知を
請てするにもあらず。故に大
将もなし
或は
前登を心がくる
者。
或は
若手の
侍。
陣中を一人二人ぬきんで。
集て
合戦す。此時も
味かたの
旗本の。
貝太皷の
声を聞て。
懸引兵略をつくすを見れば。
俗にいふ。かゆき所へ手をあてるがごとくにて。いさぎよく
目をおどろかす。
駿河陣にてある
日。せりあひ
軍に。
敵も
味方も。二百程づゝ
出あひ。かけつ。返しつ、
首を取つ。とられつ。入
乱れたゝかふ。
敵がたに。
草臥たる故。わざとよはみを見せ
退く。みかたは
草あるをしらず。かつに
乗てすゝみ。五十間程
敵地へ。をしこむ時。すでに
草。はちのごとくおこつて。
跡を取切。
討んとす。
味方はむかふかたきに目をかけ。是をしらず。見かたのはたもと
遥にへだつといへども。是を見て。のけ
貝を
吹。
太鼓を
撞ければ。入
乱れたるいくさなれ共。
引声を聞て。
先を見
捨て
皆引返す
誠に
鰐の口をのがれたる心ちにて。
貝太皷の
威徳をかんじたり。ていれば。
常の
鑓は。二間一尺を
用ると云
伝たり。
但是は
敵一人に
対して
益あらんか。
早雲よりこのかた。五代の合戦。其数をしらず。
敵も
味方。鑓を持上。五月五日
印地をするにことならず。是によつて一
戦には三間鑓にしくはなしと。是を用ひ来れり。北条
家軍法。
諸侍へふれらるゝ
趣の次第。様々の儀あり。其上大将たる人は。八
陣の
図をかんがみ。
孤虚支干を
専と用ひ。
兵気を見て。
軍を
興ず。扨又大
合戦には。
常の
軍法にはかはり。
人数いか程有といふ
【 NDLJP:549】共。三
段にわかち。はた
本は二
陣に有て。
前後数十町に目を付。
下知したまふされ共
時刻により。事に
望んで
定まらざるが。
下総の国の。
高野台合戦には氏
康氏
政両
旗本。二手に
分て。両方より
懸り。いづれも
前陣なり。ていれば此合戦は。
永禄七
甲子年。正月八日
申の刻也。是をかんがふるに。
味方に一ツとして
吉事なし。
甲子は。
殷の
紂が
亡たり。是一ツ
他国へ打
越。
申の
刻に至て。
軍を
興ずる事。是二ツ。がらめきの大
河をこえ。うしろに
節所有事是三ツ。
辰の
刻のたゝかひに。
味方打
負。をくれをとり。
敵はいきほひをえたり是四ツ。
数度の
合戦に。
軍兵貝太皷の
声を聞て。いさみすゝみたり。其声なし是五ツ。
皆もてわざはひをまねくに
似たるか。然といへ共其
節につかはす所の。物見の
武者帰り来ていはく。
義弘かつて。
甲冑をぬくと云々。氏
康此よしを聞。
油断強敵とすと云
古老のいさめを。
肝心と
取さだめ。
霞たつを
幸とし。
貝太皷をもならさず。
敵陣間近くをしよせ。
鬨声をあげ。
無二に
責かゝり。
勝利をえられたり。然るときんば。
武略智謀は
常になし。すこぶる
敵によて。
転化すと。
知れたりと申されし
聞しはむかし。
関東官領上杉
憲政と。北条
平の氏
康と。
弓矢を取てやむ事なし。然に
公方春氏公。上杉と一
味し。天文十四年の
春。
武州河越。氏
康城を。大
軍をもて取まき
責る。
関東諸侍も。こと
〴〵く一
味す。
氏康無勢故。
合戦かなはずして。両年
通路をとめられ。
城中三千余人。
籠置者共。
兵粮つき。
既に
餓死に
望むに付て。氏
康城中の者。
身命ばかりを。たすけらるゝにをいては。
城をあけ
渡すべきむね。
和平をつくすといへ共。
皆打果すべき。いきどをりに
依て。
難義にをよぶ。氏
康此上は。一
合戦し。
運を天にまかせ。
宿意を
達せんと。おもひ
定めらるゝによつて。
伊豆。
箱根。両所
権現。三
島大
明神へ
御祈祷の義あり。
鎌倉八
幡宮にをいて。
如意輪の
秘法を
修せられ。
別して
当所。
松原大明神。
宮寺にて。
護摩を修し。
善行をつくし給ひぬ。然所におなじき年。三月廿日の
日中。大
亀一ツ。小田原浦。
真砂地へはひあがる。町人是をあやしみ。とらへ持来て。松原大明神の。
池の
辺にをく。八人が
力にてもちわづらふ程也。氏
康聞召。大亀
陸地へあがる事。目出度
端相なりとて。
即刻宮寺へ
出御有て。
亀を見給ひ
仰にいはく。天下
泰平なるべき
前表には。
鳥獣甲出現する。
往古の
吉例おほし。是ひとへに
当家平安の
奇瑞。かねて
神明の
示す所の
幸なりと。御
鏡を取よせ。
亀の
甲の上に。是をおかしめ給ひ。それ
亀鏡と云事は。さしあらはして。
隠れなき目出度いはれありと。御
感悦なゝめならず。
竹葉宴酔をすゝめ。一家一
門こと
〴〵く。
参集列候し。
盃酒数順に及ぶ。
万歳の
祝詞をのべ給ひてのち。
件の
亀を。大
海へはなつべしと有しかば。
海へぞはなちける。此
亀小田原の
浦をはなれず。うかびて見ゆる。廿二日は。
松原大
明神。御
前の庭にをいて。四
座の太夫。御ほうらく
【 NDLJP:550】の
能七番あり。おさめには。四
座の太夫。四人出て。
泰平楽をぞ
舞納ける。
爰に人有ていはく。是に目出度いはれあり。
伶人舞童と云は。
児四人してまふ也。是を
泰平楽といふ。むかし
漢の国に
王まします。
名をば
高祖と申奉る。ならびに。
楚といふ国あり。王の御名を。
項羽と申。ある時
高祖の。
項羽の
内裏へ
行幸ありしに。
彼泰平楽をまひ給ふ。
舞台をこしらへ。人をのけ。
門をとりて。
項羽とゝ
高祖と。又項羽の臣に。
項荘といふ者を。めしぐせられたり。かれと已上三人。三尺の
釼をぬき
持て。
悪魔がうふくの。へんばいと
号して。
楽をはやさせて
舞給ふ。是しかしながら。
項羽の
高祖を
討べきとの。はかりごとなり。
門をば
閉て。人を
通さず。門外に高祖の
兵。はんくはいと云者。御楽をちやうもんしけるが。
急の
楽に成て
死の
位のがくあり
樊会〈[#ルビ「うんくわい」はママ]〉扨は今わが。
帝王の御命。あやしとて。
鉄の門をおし
破て。内へ参り。我も
祖王の
方人の
楽とて。大
動練といふ
釼を。ぬき持て
舞ければ。
項羽のはかりごとも。
叶はず其時より。
泰平楽は。四人になりたり。今の世に。舞給ふも是なり。災難をはらふべくは。
泰平楽にしくはなし。四人にて舞は。四方のゑびすを切心なり。又
外聞といふ
言葉。此時よりおこれり。外に
聞といふは。我よりすぐれたる。
樊会といふしれもの。
門外に有に。何とて
勝負を
決せん。さしもなき事を
仕出し。
後人のあざけりとなれり。
深淵に
望んで。
薄氷をふむといふ事是なり。
文選の
表巻に。
具に見えたりと云々。同廿五日氏
康。
軍兵を
率し。
武州へ
出馬。
河越の地へをしよせ。天文十五年四月廿日。
午の
刻に至て。合戦し。氏康討勝て。
公方春氏公。上
杉憲政を
追討し。
猛威を
遠近にふるひしかば。関東
諸侍。此いきほひにをそれ。こと
〳〵くはせ来て。
幕下付ぬれば。此一
合戦に。
関八州をおさめられたり。
猶ふしぎあり。此
亀くがへあがりしは。三月廿日の
日中なり。此合戦も同四月廿日。
午の
刻なり。
日刻違ず。
奇端のしるしあらはれたると。皆人是を
感ぜりと語れば。
老人聞て。むかし
漢土に。
照旦鏡といふ
鏡あり。此鏡は
裏より。
表へ見えとをる。其
外人の
吉凶。
罪科の
軽重を。見鏡するなり。たてたこ一尺あり。ますかゞみと是をいふ。十
寸のかゞみなり。
件の鏡を。
亀負て
陸へ
上る。其程に鏡のうら
毎に。かめを鋳付るは。此いはれなり。故に
亀鑑と
書て。かめのかゞみとよめり。此儀にをもひ
当て。氏
康鏡を。
甲の上にをきて。
賀し給ひぬ。扨又いくさに付て。右にたがはぬいはれあり。むかし
源平戦て。
平家討負。
長門の国へ
落行。
文治元年に至て。
赤間関の
海上に。
軍船をうかめ
戦ひ有て。
数月を
送る
砌。大
亀一ツ
陸へ上る。
海人是をとらへて。
源氏の大
将軍。
参河守範頼へ奉る。参河守御
覧じて。是は
吉事也と
制禁を
加へ。ことに
札を付て。
蒼海にはなさるゝ。然に
赤間関の
海上〈[#「海上」は底本では「海下」]〉に。
源平たがひに。
兵船をうかべ。
勝負を
決すべき。
日刻をうかゞふ所に。同年の三月廿三日。
件の大
亀。
源氏の
船の
前へうかぶ。ふたをもつて是をしる。源氏の大
将是を見給ひ。今日
雌雄を
決すべき。
亀のつげよとて。いさみすゝんで
合戦す。
源氏討勝て。
平氏【 NDLJP:551】をこと
〴〵くほろぼし。
安徳天皇も。
海底に
没したまふ。それよりこのかた。天下太平。
海内しづかに。
民ゆたかなり。
亀は
万歳の
生類。是によて。
千秋の
鶴の
声は。五
岳の
嶺にひゞけば。
万歳の
亀。
海中より
涌出して。
蓬萊爰に
現ずといひて。
目出たかりける事共なり
北条五代記巻第八終