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ニネベのイサアク神秘論文集

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序文

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  • 序文. . . . . .  p.05
  • コンテンツ. . . . . .  p.07

導入

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目録

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ニネベのイサアク神秘論文集

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論文1-6: 6つの論文、道徳の行動について。

  • 魂にとって自然な状態はどのようであるか。自然に反する状態はどのようであるか。その自然を超えた状態とは何か。
  • 2番目の質問
  • 3番目の質問
  • 心の純粋さとは何か。
  • 知性の純粋さと心の純粋さの違いは何か。
  • 私たちが陥らないように祈らなければならない誘惑とは何か。
  • この件に関しては、人間の弱さに応じて御言葉を計られる主の憐れみに感謝する。

第7論文: 他の主題については章ごとに短い段落で。神への信頼の性質と、どのような人に神への信頼が生まれるかについて。さらに人は神を信頼するとき、自分の心の状態に応じて力を持つようになること。そして愚かにも識別力もなく信じる者について。. . . . . .  p.067

第8論文: 人が心から神に近づくのに役立つものは何であるか。助けが密かに近づくのはなぜであるか。人が謙虚さに近づくのは、どのような原因によって起こるか。. . . . . .  p.070

第9論文: 意図的かつ悪意を持って[犯された]罪と、偶然に[犯された]罪について。. . . . . .  p.074

第10論文: 人が生ける神を完全に放棄してしまわないように、病気の患者に対するように聖書の言葉がいわば節度をもって語られることについて。 しかし私たちが罪を犯すことにおいて、それが原因となってより自由になってはならないこと。. . . . . .  p.078

第11論文: 修道士の生活の美しさがどのように保たれるのか。そしてそれがどのように神に栄誉を帰する原因となり得るのか。. . . . . .  p.080

第12論文: この世を放棄し真理を探し求めに出た神の僕が、真理が見つからないのではないかという恐れから、あるいは欲望から生まれる熱のために真理を求めることをやめることは美しいことではないということ。神聖なものについて、あるいは神秘的に説明されるその奥義を探求することによって、心は邪悪な惑いや情念の想起から遠ざかることができること。. . . . . .  p.082

第13論文: この[霊的]方法に関して神が正当に命じられたように、黙想生活に生きる人々に訪れるさまざまな状態について。悲しみと精神的な息苦しさ、そして突然現れる喜びと楽しみ、熱意と並外れた強さについて。私たちの道を命じた神に讃美を、アミン。. . . . . .  p.084

第14論文: 孤独の中で修行する人たちが、黙想の生活という計り知れない海の中で自分たちがどのように奉仕して進歩してきたかを、わずかながらでも理解し始めるのはいつなのかということについて。そうすることで、彼らは自分たちの努力が実を結び始めることにある程度の自信を持つことができるということ。. . . . . .  p.085

第15論文: 黙想生活における進歩の過程について、簡潔かつわかりやすく。そしてその美徳がどのようにしていつ生まれるのかという問題について。. . . . . .  p.087

第16論文: 孤独の中で仕事から解放されることが魂にとってどれほど有益であるか、最近自分自身について洞察力を持ち始めたばかりの初心者の精神に他の人々との面会・交流がどれほど害を及ぼすか。そして肉体的な仕事が必然的に黙想者に神の業において欠乏をもたらすことがどのように明らかであるか。. . . . . .  p.089

第17論文: 徹夜の甘美な行いを通して啓示される神への短い祈りについて、そして徹夜の行いに身を捧げる者は生涯を通じて蜜によって支えられるということについて。. . . . . .  p.091

第18論文(a): 私が老人たちから聞いたこと。聖なる人々の話、彼らの敬虔な言葉と素晴らしい行動について。彼らの祈りによって神が私たちを守ってくだるように、アミン。. . . . . .  p.095

第18論文(b): もう一人の隠修者について。
第18論文(c): 他のもう一人の隠修者について。
第18論文(d): 正しい独居修行に関するある師父の忠告。

第19論文: 心象の中で聖人たちに起こる力の啓示について。. . . . . .  p.105

第20論文: 啓示や霊的ビジョンの作用に関連した、さまざまな理解可能な心の力について。. . . . . .  p.109

第21論文: 独居修行の中で[生きる人々に]祈りの間に起こることについて。. . . . . .  p.110

第22論文: 祈りの中でのさまざまな[経験]と精神の力の限界について。そして、祈りのさまざまな習慣によって、その恣意的な衝動をどこまで動かす力があるのか。そして、祈りの際に自然に規定された限界、つまり祈りが超えることが許されない限界とは何であるか。そして、それが過ぎてさらに進んだとき、起こっていることが祈りという名で呼ばれているとしても、それはもはや祈りではないということ。. . . . . .  p.111

第23論文: 真の知識についての談話。. . . . . .  p.118

第24論文: 兄弟が彼の居室で与えられるものについて。. . . . . .  p.120

第25論文 (a): 深い観想を求める魂がその観想に没頭し、想起された事柄から生じる身体的な観想から離れることの契機。. . . . . .  p.124

(b): 最高位の名称に関する別のより明確な[説明]。. . . . . .  p.127

第26論文: 「もし神が善であるのなら、なぜ神はこれらのことを起こすのですか」と言う人たちに対して。. . . . . .  p.128

第27論文: 無形の存在への視覚は、どのように様々な方法で人間の本性に受け止められているか。. . . . . .  p.132

第28論文: スボタ〈聖土曜日〉と日曜日の理論に関する象徴的な実証。. . . . . .  p.136

第29論文: 弟子を教育する際の賢明な摂理の様々な優れた方法について。. . . . . .  p.138

第30論文: 罪の力と邪悪な働きについて。そして罪が維持されている人々と罪が消滅させられている人々について。. . . . . .  p.141

第31論文: 賢明な働きが抱える苦難や堕落の危険について。. . . . . .  p.145

第32論文: 心を守る目的と、心中の棲家への精緻な観察について。. . . . . .  p.146

第33論文: 神の愛の働きについて。. . . . . .  p.148

第34論文: 徳の種類などについて。. . . . . .  p.149

第35論文: 絶え間ない行動とあらゆる種類の道徳を考慮した問答形式の論文。これらは、世間を脱ぎ捨てて荒野に住む人々、隠遁生活を送っている人々、そして常に自発的に屈辱を感じて義の栄冠を目指している人々にとって非常に有益である。. . . . . .  p.152

第36論文(a): 世上の狭き道を歩む者たちに対して悪魔が戦いを仕掛ける様々な方法について。. . . . . .  p.180

第36論文(b): 防御の装備を固めた者たちに対して悪魔が戦いを仕掛けるもう一つの方法。. . . . . .  p.184

第37論文: 私が識別の知識によって学んだ、その正確な使用法について。. . . . . .  p.188

第38論文: 心の衝動の区別に関する短い文章。. . . . . .  p.194

第39論文: 愛に基づいた有益な助言。. . . . . .  p.197

第40論文: 道の段階、すなわちそれぞれの務めの権限に関する解説。. . . . . .  p.202

第41論文: 彼が孤独を愛する兄弟の一人に宛てて書いた手紙には、親類や名誉ある人々への愛を口実として、悪魔がどのようにして熱心な人たちを絶え間ない孤独からそらそうと画策しているかについて書かれていた。そして、私たちの祖先の例に見られるように、孤独の中で見出される神の知識と比較して、[孤独な人々の]目にはすべてが軽んじて見られるべきであると考えられている。. . . . . .  p.205

第42論文: 彼は諭すために自然であり霊的な兄弟に手紙で回答を送った。彼はイサアクに会いたがったので彼の住む世界に行くべきだと説得しようとしたものであった。. . . . . .  p.209

第43論文: 霊的な知恵に満ちた有益な言葉。. . . . . .  p.210

第44論文: 知識の程度と信仰の程度について。. . . . . .  p.212

第45論文: 有益な助言。. . . . . .  p.215

第46論文: その他の考慮事項。. . . . . .  p.221

第47論文(a): 霊的な事柄における魂の教育のために神の摂理によって私たちの中に湧き上がる天使のような感情について。. . . . . .  p.225

(b): 人間への第二の働きについて。. . . . . .  p.226

第48論文: 魂が常にさらされる光と闇の様々な状態と、右手と左手の事柄において魂が獲得する訓練について。. . . . . .  p.227

第49論文: 知識の修練を歩む者に孤独の間に降りかかる暗い闇について。. . . . . .  p.228

第50論文: 神への畏れを口実にした愚かな熱意によって引き起こされる損害と、静寂から生じる利益を示す。様々な考察を含む短い教訓集。 他の主題を含む。. . . . . .  p.230

第51論文: 知識の3つの段階とその奉仕と衝動との区別、魂の信仰とその中に隠された神秘の宝について。そしてその手段における世俗の知識が信仰の単純さと比較して、どの程度反しているかについて。. . . . . .  p.242

第51論文(a): 知識の第一段階。
第51論文(b): 知識の第二段階。
第51論文(c): 知識の第三段階。つまり完全な段階。

第52論文: 知識の衝動の区別に関する別の主題に関する短いセクション。. . . . . .  p.253

第53論文: 祈りと、絶えず思い出すことが必然的に求められ、人が区別して唱え、保持することが非常に有益であるその他の事柄について。. . . . . .  p.254

第54論文: マゲナヌータ〈maggenanutha:助けと後見〉に関するその他の説明。. . . . . .  p.261

第55論文: 魂の中に隠された警戒心をどのように保てばよいのか。 眠気と冷たさがどのようにして心に侵入し、魂から聖なる熱意を追い出し、霊的で天的に望ましいものに向かう神聖な願望を減殺してしまうか。. . . . . .  p.263

第56論文: 人の生命に関する美しい考察。. . . . . .  p.265

第57論文: 神の愛のための忍耐がどのようにして神の助けを得るのか。. . . . . .  p.268

第58論文: 神の近くに住み、認識の生活の中で日々を過ごす人々について。. . . . . .  p.273

第59論文: 有益な談話。. . . . . .  p.278

第60論文: 必然性がなければ、何らかのしるしが私たちを通して、あるいは私たちに明らかに起こることを望んだり求めたりしてはならないこと。. . . . . .  p.281

第61論文: 神は何のために神を愛する人たちへの誘惑を許すのか。. . . . . .  p.278

第62論文: 人の中に湧き起こる思考によって、自分がどの段階に属し、どのような思考が続くかを知ることができるということ。. . . . . .  p.288

第63論文: 認識の心理状態にある人々は、なぜ肉体の粗雑さに応じて霊的なことを考えるのか。また精神がそれを超えて高揚する可能性はどのようにあるのか。また私たちがそこから解放されない原因は何であるか。祈りのときに心はいつどのようにしてイメージなしでいることができるのか。. . . . . .  p.293

第64論文: 心中に起こる、祈りによって浄化されるさまざまな状態について。. . . . . .  p.296

第65論文: 心の警戒に関する指示、および人が高位の状態を獲得するための修行の方法に関する指示を与える良い助言。. . . . . .  p.297

第66論文: 彼が友人に送った手紙での独居修行の神秘について。また多くの人がこの素晴らしい奉仕を知らないために、この奉仕を無視して彼らの主要な部分は居室に座ることに拘っているのはなぜか。これが現在の修道士の伝統である。独居修行を実践する人に役立つ短い名言集とともに。. . . . . .  p.312

第67論文: 理解可能なものの区別に関して例をあげ、それぞれの使い方を示しての説明。. . . . . .  p.316

第68論文: 短いセクション。. . . . . .  p.318

第69論文: 思慮ある者はどのように黙想を務めるべきか。. . . . . .  p.321

第70論文: 私たちは、自分の努力のさまざまな区別によって子供じみた判断をすることなく、精神のさまざまな状態によって自分の行動の程度を理解できるということ。ただ日々その中で密かに感じられる喜びによって自分の魂の程度を賢者として認識すべきであるということ。初期知識の微妙な順序。. . . . . .  p.324

第71論文: 恩寵から生じる影響について。. . . . . .  p.328

第72論文: 真の知識と誘惑について。弱くて取るに足らない、教育を受けていない人々だけでなく、一時的に無欲に値するとみなされ心の完成に達し、ここまで部分的純粋に近づいている人々においても死すべき運命と共存しており、愛情を超えた高揚感を獲得していること。この世界において感情的な肉体での生活と組み合わせることが神によって許されている限りにおいては、肉体のために苦しみ、愛情によって傷つけられなければならないのは、彼らにとっても同様である。ある程度の傲慢さの危険性と、何度も罪を犯し、再び受け入れてくれる悔い改めの恵みによって自分自身を癒すため、慈悲の中で[誘惑]を継続的に受けることが必要とされていること。. . . . . .  p.332

第73論文: [前述の] セクションの簡潔な意味と、これまでに述べられた内容の説明。. . . . . .  p.337

第74論文: 徳の識別、全過程の範囲、人類への愛の偉大さ、そして人類に注がれる豊かな愛によって聖人の中に神に似たものを創造している霊的目的について。. . . . . .  p.341

第75論文: 隠された状態と、そこに存在する力と影響力について。. . . . . .  p.348

第76論文: 短い言葉。. . . . . .  p.350

第77論文: この章は生命力に満ちている。. . . . . .  p.352

第78論文: 世界からの逃避によって得られる利益について。その方法は師父たちが慎重な検討を通じて考え出したものである。. . . . . .  p.360

第79論文: 隠れた衝動が外面的な行動の変化に応じてどのように変化するか。. . . . . .  p.361

第80論文: 徹夜祷とその間の様々な種類の労働について。そして私たちの労働の目的は、量を達成することではなく、父とともに働く神の子として自由に識別をもって愛の警戒心に働くことになりつつあるということ。徹夜の労働が他のすべての義務よりもどれほど貴重であるかということ。そしてこの労働がそれを選択する人々に課すもの、その中でどのように歩まなければならないかということ。神によって価値があるとみなされる賜物について。この世界の主要な部分との戦いについて。. . . . . .  p.366

第81論文: 私たちの主が慈悲を天の御父の偉大さに似たものと定義されたのに、なぜ独居修行者たちはそれ以上に孤独を重んじるのかと尋ねた兄弟への回答。そしてこの点と、苦しんでいる人や病人が近くにいるときに無視することはできないということの弁明。. . . . . .  p.379

第82論文: 謙虚さはどれほどの名誉を持ち、その地位はどれほど高尚であるかということ。. . . . . .  p.384

目録/終わり

出典

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参考文献

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原文:

この著作物は、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)50年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。


この著作物は、アメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。

 
翻訳文:

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