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- ← 巻第十 巻第十二 → 太平記 巻第十一 第十一 83 五大院右衛門宗繁賺相摸太郎事 義貞已に鎌倉を定て、其威遠近に振ひしかば、東八箇国の大名・高家、手を束ね膝を不屈と云者なし。多日属随て忠を憑む人だにも如此。況や只今まで平氏の恩顧に順て、敵陣に在つる者共、生甲斐なき命を続ん為に、所縁に属し降人に…39キロバイト (9,646 語) - 2022年12月1日 (木) 08:01
- ← 巻第十五 巻第十七 → 太平記 巻第十六 巻第十六 125 将軍筑紫御開事 建武三年二月八日、尊氏卿兵庫を落給ひし迄は、相順ふ兵僅七千余騎有しか共、備前の児嶋に著給ける時、京都より討手馳下らば、三石辺にて支よとて、尾張左衛門佐氏頼を、田井・飽浦・松田・内藤に付て留られ、細川卿律師定禅・同刑部大輔…76キロバイト (18,469 語) - 2022年12月1日 (木) 08:02
- 堀内文次郎 南郷次郎 森孝三 北昑吉 大蔵公望 天野徳也 副島義一 木村重治 谷十二 中山良長 隈川基 松江豊樹 福島繁三 加藤精神 新井無二郎 永井了吉 内田周平 杉山得一 筑紫熊七 九野勝喜 高木武 中河與一 坂本俊篤 皆川治広 松田福松 廣瀬哲二 石井作次郎 等々力森蔵 大井成元 松本勇平 簡牛凡夫 岡野龍一 太田耕造 板橋菊松 加藤咄堂…10キロバイト (2,259 語) - 2023年8月26日 (土) 14:06
- 目次 太閤記 巻十 ○筑紫陣之事 ○筑紫陣御触之事 ○九州御出勢に付御掟之条々 ○彦山之事 ○彦山誓紙前書之条々 ○数ケ所之城明退事 ○大隅日向表之事 ○島津修理大夫義久降参之事 ○大隅日向之内、人質を出さす、無㆓随順㆒城々へ勢を被㆓差向㆒、先陣は、筑紫衆申請向ふ事 ○大隅日向知行割之事…75バイト (12,942 語) - 2024年3月25日 (月) 14:32
- 安鎮国家法事付諸大将恩賞事 元弘三年春の比、筑紫には規矩掃部助高政・糸田左近大夫将監貞義と云平氏の一族出来て、前亡の余類を集め、所々の逆党を招て国を乱らんとす。又河内国の賊徒等、佐々目憲法僧正と云ける者を取立て、飯盛山に城郭をぞ構ける。是のみならず、伊与国には赤橋駿河守が子息、駿河太郎…57キロバイト (13,747 語) - 2022年12月1日 (木) 08:02
- 気色にて、取梶・面梶取合せて、片帆にかけてぞ馳たりける。今は海上二三十里も過ぬらんと思ふ処に、同じ追風に帆懸たる舟十艘計、出雲・伯耆を指て馳来れり。筑紫舟か商人舟かと見れば、さもあらで、隠岐判官清高、主上を追奉る舟にてぞ有ける。船頭是を見て、「角ては叶候まじ、是に御隠れ候へ。」と申て、主上と忠顕朝臣…42キロバイト (10,318 語) - 2022年12月1日 (木) 07:58
- 自分は岩代(いわしろ)のものである。夫が筑紫(つくし)へ往って帰らぬので、二人の子供を連れて尋ねに往く。姥竹は姉娘の生まれたときから守(も)りをしてくれた女中で、身寄りのないものゆえ、遠い、覚束ない旅の伴(とも)をすることになったと話したのである。 さてここまでは来たが、筑紫…74キロバイト (14,915 語) - 2021年5月20日 (木) 17:05
- 281 崇徳院御事 今年の春、筑紫の探題にて将軍より被置たりける一色左京大夫直氏・舎弟修理大夫範光は、菊池肥前守武光に打負て京都へ被上ければ、小弐・大友・島津・松浦・阿蘇・草野に至るまで、皆宮方に順ひ靡き、筑紫九国の内には、只畠山治部大輔が日向の六笠の城に篭たる許ぞ、将…58キロバイト (13,940 語) - 2022年12月1日 (木) 07:59
- 石田に組する人々には、毛利輝元子息安芸中納言・吉川侍従広家・吉川元安・立花左近将監・安国寺恵瓊・鍋嶋信濃守・相良宮内・高橋九郎・秋月三郎・久留米藤四郎・筑前中納言・筑紫上野介・有馬修理亮・後藤大和守・平戸法印・備前中納言・堅田兵部少輔、都合其の勢九万三千百余騎、大坂・伏見・淀・鳥羽辺に陣取り、七月十八日に伏見の城可…177バイト (12,156 語) - 2024年2月3日 (土) 17:28
- 【NDLJP:8 】 卑弥呼考 後漢書、三国志、晋書、北史等に出でたる倭国女王卑弥呼の事に関しては従来史家の考証甚だ繁く、或は之を以て我神功皇后とし或は以て筑紫の一女酋とし、紛々として帰する所なきが如くなるも、近時に於ては大抵後説を取る者多きに似たり。今余が考ふる所は此の二者に異なる者あれば試みに左の序次により其の所見を下に述べんとす。…44バイト (20,114 語) - 2024年5月3日 (金) 14:31
- を憤り、光郷・菅根などいふ人と心を合せ、種々讒奏せらる。当今醍醐天皇其の時十七歳にならせ給ふ故、是非の叡慮も廻らされず、終に菅丞相をば筑紫へ左遷せしめ給ふ。菅丞相筑紫にまします内、御出生の御子を原田氏の先祖といひ伝へたり。其の中より一人尾州へ来り代々前田の庄に住給ふ故、自然と前田を以て姓とせり。前田…3キロバイト (6,114 語) - 2024年4月11日 (木) 08:50
- テ十三ノ歳ヨリ鎮西ノ方ヘ追下スニ豊後ノ國ニ居住シ尾張権守家遂ヲ乳母トシ肥後ノ國阿曽平四郎忠景カ子三郎忠國カ聟ニ成テ君ヨリ給ラヌ九國ノ總追捕使ト號シテ筑紫ヲ隨ヘントシケレバ菊地原田ヲ始トシテ所〻二城ヲ構ヘテ楯籠レハ其儀ナラハ落テ見セントテ末タ勢モツカサルニ忠國計ヲ案内者トシテ十三ノ歳ノ三月ノ末ヨリ十五…24キロバイト (5,984 語) - 2023年9月4日 (月) 23:26
- 成御教書に非ずと、人皆推量を廻しければ、後の禍を顧て、奉討する人も無りけり。斯処に太宰少弐頼尚如何思けん、此兵衛佐殿を聟に取て、己が館に奉置ければ、筑紫九国の外も随其催促重彼命人多かりけり。是に依て宮方、将軍方、兵衛佐殿方とて国々三に分れしかば、世中の総劇弥無休時。只漢の代傾て後、呉魏蜀の三国鼎の如…43キロバイト (10,828 語) - 2022年12月1日 (木) 08:01
- 五百人 木下宮内少輔 千人 水野下野守 千人 青木紀伊守 五百人 宇都宮弥三郎 二百二十人 秋田太郎 百五十人 津軽右京助 二百人 南部大膳大夫 百人 本多伊勢守 二百五十人 那須太郎 七百人 真田源吾父子 【 NDLJP:372】三百人 朽木河内守 五百人 石川玄番允 三百人 日禰野織部正…75バイト (10,391 語) - 2024年3月25日 (月) 14:33
- はふ児にてわかれまつりし身のうさは面(おも)だに母を知らぬなりけり 古書を読みて 真男鹿(まおしか)の肩焼く占(うら)にうらとひて事あきらめし神代をぞ思ふ 筑紫人(つくしびと)のその国へかえるに 程すぎて帰らぬ君と夕占(ゆうけ)とひまつらむ妹にとく行(ゆき)て逢へ されど女を思うも子を思うも恋い思うとばか…342バイト (9,220 語) - 2021年9月26日 (日) 03:49
- 第一章 沿革 第一節 日向、薩摩、阿多 日向とは上古に於ける薩、隅、日三州の總稱であるが其の以前には、曾の國又は熊曾の國といふた。古事記の所謂筑紫島四ヶ國、筑紫國、豊國、肥國、熊曾國の夫である。熊曾國は又建日別ともいふのである。 日向から薩摩、大隅兩國が分れた時代は明らかではないが、國造を日向に於…772バイト (10,437 語) - 2023年5月7日 (日) 01:48
- 筑紫に落塩の鳴戸を差て行舟は、片帆は雲に泝り、烟水眼に范々たり。万里漂泊の愁、一葉扁舟の浮思ひ、浪馴衣袖朽て、涙忘るゝ許也。一年父尊氏卿、京都の軍に利無して九州へ落給たりしが、無幾程帰洛の喜に成給ひし事遠からぬ佳例也と、人々上には勇め共、行末も如何がしらぬひの、筑紫…46キロバイト (11,096 語) - 2022年12月1日 (木) 08:00
- 【厭欣の旗】御旗は、そのかみ右京亮親忠主、井田野合戦の時、大樹寺の開祖勢誉上人が作りて送らせし、厭離穢土、欣求浄土と書きし、白き四半五幅の旗を、むかしよりの御佳例にて用ゐらる、〈これは筑紫陣の時も用ゐ給ひ、また大坂夏の御陣にも、御吉例とて箱に納めて、御輿の傍に持たしめられしとぞ、〉その後七本の白旗・一幅に、長さ一丈八尺にして葵の丸を三…91バイト (7,173 語) - 2024年5月10日 (金) 03:55
- んぐはい)なるべけれ。右は海賊(かいぞく)の二字(じ)に付ての子細(しさい)なり。字面(じめん)にあふ事あり。ちがふ事あり一様に定(さだめ)がたし。筑紫宰府(つくしさいふ)の栗(くり)は名物(めいぶつ)なり。是を御門(みかど)へさゝげ奉る。一年(とせ)に二度(ぢ)なる柴栗(しばぐり)なり。され共さゝ…198バイト (10,786 語) - 2023年11月20日 (月) 01:53
- 。越前は尊氏御代の中頃に、朝倉孝景拝して百年近く持ちにけり。丹波に赤井惣右衛門、四国に長曽我部・来嶋、中国十三ケ国は安芸の毛利・吉川・小早川付随ふ。筑紫九ケ国には島津修理大夫頼朝公より拝領して、国侍に原田・松浦・大友等守護せしむ。都に大乱ありといへども不構して引籠り、栄華のみにて暮しけり。此の時一天下に主なく、我儘而已の世界也。…177バイト (10,108 語) - 2024年2月3日 (土) 17:25