長與東大總長への進言書

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容共意志抗日権力を摧破して帝国の世界文化的使命を遂行すべき聖戦目的の達成は、対外「防共協定」に呼応して此の容共赤化意志を国内に於いても禊祓せざるべからず。尽忠報国決死聖戦に参加しつゝある忠勇将士に対し銃後の任務を遂行せむとする一念は、こゝに貴官に対しこの書簡を呈せしむるに至りたる動因なり。 抑も人類生活の現実的基礎は世界各民族国家の伝統組織にして人道文化の発達はこの人類自然の性情に基く歴史法則の下にのみ行はるゝものなり。我が大学令第一条に「大学ハ国家ニ須要ナル学術ノ理論及応用ヲ教授シ並ニ其ノ薀奥ヲ攻究ス」といふは、この国家と学術の必然的関聯を示すものに外ならず。国家とは日本国家にして、日本国家の根基は日本国体なり。故に大学に於ける学術研究の自由とは我が国家の存立を否定し国体を変革せんとする無政府共産主義社会民主主義の如きを信奉宣説する自由を許容するの謂に非ざるは言ふまでもなく、実に国立大学としての帝国大学こそ「教育ノ淵源亦実ニ此ニ存ス」と詔はせ給ひたる教育勅語の聖旨を奉体し国憲国法を遵奉する臣道規律を思想的に闡明し以て国民教育社会教化に師範せざる可らず。

「東京帝国大学五十年史」上巻明治十九年の条に「明治天皇の教学に関する宸慮を拝察し来るべき重要なる記事」として揚げられたる元田侍講謹記の「聖喩記」中に「抑々大学ハ日本教育高等ノ学校ニシテ高等ノ人材ヲ成就スヘキ所ナリ然ルニ今ノ学科ニシテ政治治要ノ道ヲ講習シ得ヘキ人材ヲ求メント欲スルモ決シテ得ヘキカラス仮令理化医科等ノ卒業ニテ其人物ヲ成シタリトモ入リテ相トナル可キ者ニ非ス」といふ恐懼に堪へざる大御言を拝し、また御晩年の御製の中にも

うとましと思ふ葎はひろごりて植ゑてし草の根はたえにけり
折にふれて
教草しげりゆく世にたれしかもあらぬ心の種をまきけむ

と述懐せさせ給ひし大御歌を拝するなり。

然るに其後帝国大学は其の規模次第に広大整備せられ京都以下全国各地にも増設せられたるも何等学風上の改革行はるゝことなく、自然科学方面は我が国の世界的躍進に著大なる貢献をなしたることは言ふまでもなけれども、精神科学殊に法学経済学方面は言論機関と相俟つて、大正、昭和時代に至り名状し難き思想的混乱亡状を大学の内外に現出して、延いて我が国史上全く未曾有なる重大不祥事を頻次累発したり。飜つて満州事変また現支那事変に鑑みる時、支那に於ける欧米依存排日侮日の赤化容共人民戦線思想は、我が帝国大学より発現したる民主共産主義の違憲反国体学風と分離して考察すべからざるは、現時変下に於てすらも大内事件の如きを暴露せるに徴して特に然り過去十数年間に赤化共産党事件により検挙せられたる者全国六万人に及び其の中、帝大教授助教授十七名、其他の教授十九名、大学生二千六百七十八名(昭和十三年三月現在)に及びたる歴史的事実を忘るべからず。 而して更に驚くべきは、斯くの如き重大不祥事実に対して過去現在を通じ未だ曾つて大学当局者にして一人も公にその責任を明かにしたるもの無き事実これなり。大学の自治といひ独立といふは恰も専恣横暴無責任と同意語たるの感なき能はず。是れ亦選挙制の弊害の及ぶ所に非ずして何ぞや。

元来治外法権的意義に解さらるゝ大学の独立なるものは、西洋に於ても近代国家未発達当時の中世的遺物に外ならず、現代にあつては我が国に於けるが如く自由に放任せられ其の学風が現実無視、自国遺忘の空想妄論に傾向したる事実は世界に其の類例を見出すに苦しむものなり。

殊に我が帝国大学の教授助教授また総長学部長はいふまでもなく、国家官吏なるを以て大学自体がそれら人事の決定権を有すといふに帰着する「大学の自治」なるものは、畏くも、天皇の任免大権を空無ならしむる民主主義「天皇機関説」の思想意志に出づるものにして、実際に於て形式的抽象的数量の多少を以て精神的価値または学術的能力を測度決定せむとする選挙制は今日少数精英の創意を機制排出し、こゝに党派主義は学閥より閨閥財閥等情実の纏綿錯雜を来し、「大学の自治」「研究の自由」を求めて却つて真実には之を失ふの自縄自縛に陥り、現在各地帝大各学部に於て教授助教授の推薦決定難の結果、一般的に已むを得ざるまたは技術的の事情によるとのみは解する可らざる講座の半数または過半数が未補充のままに放置せられ、選挙制が派閥私曲意志に利用せられたる実例を指摘し得る有様なり。

また思想的見地よりするも大学としては、民主共産主義の如き違憲反国体思想に対しては司法行政的処置を俟つことなくして、学術的批判により之を自発的に処置し排除すること能はざるは自治の無資格者なるを自白せるものにして、自身かくの如き反国体思想を信奉宣説しつゝその自治独立を強請するに至つては、違憲反国体思想宣説の自由を獲得せむとするもの、其の不逞凶逆断じて許すべからず。

現に東京帝国大学には我が国体の根源たり国民精神の基礎たる惟神道を冒涜し神社参拝を忌避する外来宗派を妄信し、各国憲法の上に自然法または国際法あり、国家は主権統治権を固有するものに非ずとする「天皇機関説」以上に凶悪なる、民族精神国家伝統を否定する国際主義世界主義を宣説しつゝある者あり(田中耕太郎氏、横田喜三郎氏)、人民に憲法を決定する権利ありとする徹底民主主義思想を固辞して数年来憲法第一条、第四条を講義せざりし者あり(宮澤俊義氏)、軍隊は「厄介物」なりと放言しまた正義観念を全く無視して法律と暴力とを同一視し、労働小作争議の暴動化を煽動したる者あり(末弘嚴太郎氏)、共産主義者と握手して共に人民戦線に立つて国家主義を爆破せざる可からずと公言し続けつゝつある社会民主主義者あり(河合榮治郎氏)──明かにその事実を文献的に立證し得る斯の如き思想的亡状を醞醸して依然之を助長しつゝある大学従来の陋習たる選挙制を「支障の最も少なかりしもの」といひ、選挙制の改廃に誇張も甚しき「変革」の語を用ひて「変革する要なし」と強弁する如きは、余りにも甚しき無反省不謹慎の態度と云はざる可らず。

畏くも事変一周年記念日に賜りたる勅語に

「今ニシテ積年ノ禍根ヲ断ツニ非スンハ」と詔はせ給ひたる聖旨をかしこみまつりて、近衛首相は「抗日容共政権の潰滅を図る」と内閣告諭に述べたり。然るに国内に於ける赤化容共の宣伝策源が帝国法経済学部に存する事実を見るに於ては、豈我等皇国臣民の黙視し得べき所ならんや。

下名等は貴官が此際承詔必謹速かに旧来の弊竇陋習を打破し皇国教学の中心たる大学本来の面目を発揮するに努むるに非らずんば、臣節を尽す道ならざるに想を致し勇断邁進せられんことを要望するものなり。

昭和十三年八月二十五日
  • 帝大粛正期成同盟
    • 三室戸敬光 菊池武夫 井田磐楠 井上清純 大山卯次郎
    • 小林純一郎 藤澤親雄 杉山謙治 三井甲之 建川美次
    • 江藤源九郎 大倉邦彦 葛生能久 松本徳明 綾川武治
    • 竹内賀久治 入江種矩 岩田愛之助 池田弘 蓑田胸喜
    • 中原謹司 香渡信 渡邊良三 有馬成甫 橋本徹馬
    • 小笠原長生 吉田益三 村井藤十郎 中山忠直 香椎浩平
    • 林銑十郎 栗原美能留 二子石官太郎 安部秋彦 宮下善告
    • 三橋濟 茂木謹之助 星野錫 頭山満 杉坂悌二郎
    • 今泉定助 猪野毛利榮 柳原義光 佐伯正悌 小原正忠
    • 末永一三 大島健一 井上龜六 赤池濃 一條実孝
    • 大竹貫一 佐藤忍 堀口九萬一 結城安次 山路一善
    • 堀内文次郎 南郷次郎 森孝三 北昑吉 大蔵公望
    • 天野徳也 副島義一 木村重治 谷十二 中山良長
    • 隈川基 松江豊樹 福島繁三 加藤精神 新井無二郎
    • 永井了吉 内田周平 杉山得一 筑紫熊七 九野勝喜
    • 高木武 中河與一 坂本俊篤 皆川治広 松田福松
    • 廣瀬哲二 石井作次郎 等々力森蔵 大井成元 松本勇平
    • 簡牛凡夫 岡野龍一 太田耕造 板橋菊松 加藤咄堂
    • 座間止水 武内紫明 黒田禮二 高窪喜八郎 滋賀多喜雄
    • 五来欣造 林逸郎 古屋美貞 高山公通 吉田茂

(以上は八月二十五日迄の加盟者にして、九月八日長與総長に後出の如き再会見要望書を呈したる際、左記十三名を加へたり)

    • 國分高胤 若生繁吉 建部逐吾 角岡知良 赤尾敏
    • 渡邊満太郎 松永材 増田一悦 森栄一 小川喜一
    • 大森一声 佐藤清勝 高山久蔵

(肩書略、順序不同)

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