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  • 里見代々記     安房里見家略系図   人皇五十六代清和天皇九代後胤新田大炊三男 里見太郎義俊 │ 義康〈足利判官〉 │ 義房〈足利判官〉 │ 於宇治討死 │ 義清〈足利矢田判官〉 │ 仁木細川之先祖 │ 義兼〈上総介〉 │ 義純 │ 岩松畠山先祖 │ ​兼イ​​義氏​​ ​〈左馬頭〉 │ 母ハ北条時政カ女…
    44バイト (17,322 語) - 2024年4月19日 (金) 07:03
  • 下総国住人相馬小次郎将門モ在京シタリ、此将門ハ桓武天皇三代高見ノ王一男、高望王ニ六人ノ子アリ、一男ハ平良望〈鎮守府将軍号㆓国香㆒〉是ハ平将軍貞盛カ父也、〈太政大臣清盛之先祖也〉、次男ハ平良〈鎮守府将軍〉是将門カ父也、将軍是故ニ貞盛ト将門トハ従弟子ナリ、三男ハ上総介
    47バイト (5,076 語) - 2024年4月5日 (金) 23:05
  •   上野義通公事   社家様ト共ニ下総武蔵常陸方々ノ軍ニ向此事義明公家書ニアリ御居城ハ稲村也宮本ノ城ニハ舎弟実尭公住給フ義通公ノ御前ハ上総介殿ノ娘(姪イ)ナリ家老ハ木曽堀内勝山宮本ナリ永正十七庚辰年二月朔日二十八才ニテ逝去天笑院殿高山正皓居士ト号ス滝田ニ葬ル   上総介実尭公事  …
    44バイト (17,084 語) - 2024年4月19日 (金) 07:04
  • NDLJP:454】斎藤カナテシコ鹿ハ富樫之助伊勢国司北畠殿ノワリヒシ大内カカラヒシ甲斐武田トワカサノ守護ハ武田ヒシ半月ニ丸ヒシハ興津左衛門越前ノ織田ト由佐ノ河内守カ瓜ノ紋秋元モ是ヲ打朝倉カ三ツモツカウ飛騨国司姉小路殿ハ日光月光月ニ九エウハ千葉之八エウハ上総介三引両ハ三浦之小山ハ左巴也朝比奈モ是同シ但遠江ノ朝比奈ハケン…
    44バイト (1,525 語) - 2024年4月19日 (金) 07:07
  • 思召せ。いかんとなれば家康もさして御敵とは思しめすまじ。上意なればもだし難く寄せ給ふ成るべし。其の上にも大事なれば、白川の城堅固に拵へ、安田下総介・嶋津下総介に定められば御心易く。又津川口の事は、道細く難所なれば敵は寄せがたし。侍大将一人に足軽十組計にて心易き所也。其の上津川口難義に候はゞ、山形の…
    177バイト (12,156 語) - 2024年2月3日 (土) 17:28
  • 一、安田上総介順易(としやす)〈安田上総介は、大江千里が末にて、毛利氏なり。安田城主たるにより、安田と号す〉は、謙信以来数十度の手柄、軍功の侍大将、人数を廻し、度々の誉あり。されども毎度手疵を負ひ候。鉄上野も、度々の武辺あれども、武勇にかさなく、将帥の量なし。杉原常陸
    577バイト (13,576 語) - 2023年11月26日 (日) 19:05
  • NDLJP:111】に補せらる。其御子十二人の内、良望を常陸大掾征夷大将軍と号す。国香は良望の弟、良将の子を相馬小次郎と号す。将門、伯父国香を殺し、下総国相馬郡に都を建て、自ら平親王と号す。国香の弟を、鎮守府将軍良文と号す。良文の子を陸奥守忠頼と号す。忠頼四人の子あり。 一、上総介忠常は、千葉の祖なり。…
    283バイト (23,605 語) - 2023年12月2日 (土) 18:38
  •  │└在藤〈細野采女後号儀右衛門母同前法名以隼仕富田信濃守後仕松平下総守清匡〉  │ │  │ ├三興〈細野与左衛門〉  │ │  │ └正氏〈木村藤左衛門〉  │  ├光嘉〈分部左京亮〉  │  ├某〈雅楽助天正五年丁丑二月二日於細野城為織田上野信包戦死〉  │  ├宝泉院〈禅僧同兄雅楽助戦死〉  │  └女子〈梯右近妻〉…
    44バイト (3,880 語) - 2024年4月19日 (金) 06:51
  • ・原式部大夫、其外安房里見の人衆、上総万木境と、滝・東金・小金・相馬の勢、一万三千騎にて固めたり。同湯本の口にて千葉、但国胤は逝去して、子息新幼少にて、原名代として八千余騎、竹の花向、北条陸奥守氏照・成田下総守氏長・皆川山城守・壬生上総介
    3キロバイト (70,791 語) - 2024年2月3日 (土) 11:08
  • 五百人   津田長門守 二百人   上田主水正 八百人   山崎左馬允 五百人   稲葉兵庫頭 二百人   間島彦太郎 二百人   市橋下総守 二百人   赤松上総介 三百人   羽柴下総守 東二之丸御後備衆 三百人   羽柴三吉侍従 五百人   長束大蔵大輔 百五十人  古田織部正 二百五十人 山崎右京進 二百人   蒔田権佐…
    75バイト (10,391 語) - 2024年3月25日 (月) 14:33
  • しひて申けるを信し給ひ、若君御下向止けれは、千葉諫言徒に成し程に、胤直大に忿りて、相州へ御動座の時、御供不㆑申罷留る、分陪河原に安駕可㆑参と、御使有けれは、畏て承候とは申けれとも不㆓参詰㆒、為㆓関戸山御越㆒の時、千葉手勢引具し、神田寺原へ打出、下総国市川へ張陣、是のみならす海道の討手大手搦手一に…
    47バイト (16,335 語) - 2024年4月5日 (金) 23:08
  • ひつ)さげ〳〵。氏綱の旗本(はたもと)へ来る。氏綱は高野(かうの)台にはたを立(だて)て。床机(しやうぎ)に腰(こし)をかけ給ひ。中山修理(しゆり)。御前(まへ)に候(かう)す。此者数度(すど)の合戦に武勇(ぶゆう)をもつて。敵(てき)を亡(ほろぼ)し。軍法(ぐんぱふ)兵義(ひやうぎ)をしる故実…
    198バイト (21,098 語) - 2023年11月20日 (月) 00:09
  • 高名第一なり。後年大坂御合戦の節、信貴野合戦の時、景勝の先手にて高名仕り、大将軍様より、御感状頂戴仕り、御小袖・御腰物下され候。只今の右近祖父にて御座候。 一、志田修理義方、清和源氏志田三郎義憲後胤なり。父源四郎、川中島合戦討死。只今の志田十郎祖父にて御座候。 一、安田上総介
    560バイト (17,663 語) - 2023年11月26日 (日) 18:31
  • 下総守を以て、関東へ奉公仕らば、大名になされ下さるべき内意ありけれども、景勝は恩の主なり。見捨て難く候間、御免あるべしと、上意に随はざる士なり。子息右衛門・二男帯刀牢人す。 一、志田修理亮、源為義三男志田三郎先生義則の末葉。川中島合戦の時、能き働あり。父源四郎義時、川中島にて討死。 一、安田上総介
    3キロバイト (18,944 語) - 2024年3月24日 (日) 14:42
  • 下総守片岡源大左衛門尉に預けをき、其身は卒㆓三千余騎㆒小田原へこもりにけり、彼城可㆓攻平㆒旨被㆓仰出㆒、打向ふ人々には、浅野弾正少弼木村常陸本田中務大輔都合其勢一万余騎、六月廿三日之朝噇とをしよせしかは、町を破られじと、媒尾下総
    75バイト (15,908 語) - 2024年3月25日 (月) 14:33
  • もたまり得す沼津真門に陣を取てしはらく息をそ休めける 然に今川上総介泰範京都の仰を蒙り関口四郎小笠原掃部助斎藤加賀守葛山を先かけの大将として足柄山を越て関本の宿に陣取る是を聞て持氏両上杉陸奥守大将として二階堂下総守宍戸備前守海老名上野以下三百余人発向す今川勢関本を立て相州早川尻成田と云所に押寄同七…
    44バイト (22,911 語) - 2024年4月19日 (金) 06:58
  • 美駿河守定行仔細ありて、定行を改め定満と号す、〉・其子民部少輔勝行三千を向けられ候処に、一戦、宇佐美父子勝利を得、北条方敗軍。四月、謙信、下総国へ攻入り、原上総介が籠り候臼井城を攻められ、北条方と合戦。五月に、越後へ馬入。八月中旬、謙信、一万五千にて越中へ発向、松倉城・小出城を攻取り、首数四千余。夫…
    567バイト (26,586 語) - 2023年12月8日 (金) 14:45
  • 安八郡曽根の城主西尾氏は、其先祖籾井兵庫頭光家というて、丹波国の大守波多野上総介藤原晴通の旗下なり。然る所、籾井兵庫頭光家義、仔細ありて、参河国播豆郡西尾といふ所に住す。是に依つて、郷名を取りて氏とせり。其子、出羽守信光といふ。天文の頃より濃州に来り、多芸郡野口に住し、氏家常陸友国入道卜全の組下なり。知行三千石といふ。其子、…
    177バイト (10,267 語) - 2024年2月13日 (火) 16:21
  • 仕度き旨申すに付、加地家は越後にて、久しき名家なれば、何卒子孫を尋返したくと、畠山下総守義真へ相談あり。義真色々才覚ありて、尋ねらるゝに、関ヶ原御陣の前、越後にて、一揆を起し、堀丹羽守直寄と合戦し、討たれたる加地右馬景綱が子、山伏になり候て、越後に居たるを、義真が跡〔〈脱字アルカ〉〕出し、吟味仕候…
    768バイト (20,470 語) - 2023年11月26日 (日) 18:25
  • もて、後の御宮は出来せしとか、是より廟貌儼然として、天下にその比類なきほどになりしなり、〈駿河土産、〉 薨御の前、三四日ばかりの事にや、大坂の役に上総介忠輝朝臣が事仰出されし次に、村瀬左馬助重治・城織部昌茂に、われむかし信長の変ありて信楽越せしに、大和口の様見置きたり、かしこに山あり、こゝには野陣と…
    91バイト (5,902 語) - 2024年5月10日 (金) 03:51
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