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  • 武蔵国へ打越る。依之武蔵・上野より早馬を打て鎌倉へ急を告る事、櫛の歯を引が如し。「さて敵の勢は何程有ぞ。」と問へば、使者ども皆、「二十万騎には劣候はじ。」とぞ答ける。仁木・細川の人々是を聞て、「さてはゆゝしき大事ごさんなれ。鎌倉中の勢、千騎にまさらじと覚也。
    48キロバイト (11,304 語) - 2022年12月1日 (木) 07:59
  • て手柄は今迄四年の間に八百貫の知行拝領申とて五日逗留いたしやがて甲府へ帰の駿府にて諸人始め誉ざる勘助を後はほむるなり以上 天文十五年丙午九月中旬武蔵国上野にて、上杉家の侍大将衆打より評儀しける、甲州武田晴信当年三月信州戸石にて村上義清と合戦ありけるに世間には武田方勝様に申といへどもよく内々のさたを…
    297バイト (3,098 語) - 2024年2月2日 (金) 18:05
  • 波羅より早馬を立て関東へ被注進。相摸入道大に驚て、さらば討手を指遣せとて、相摸守の一族、其外東八箇の中に、可然大名共を催し立て被差上。先一族には、阿曾弾正少弼・名越遠江入道・大仏前陸奥守貞直・同武蔵左近将監・伊具右近大夫将監・陸奥右馬助、外様の人々には、千葉大介・宇都宮三河守・小山判官・武田伊豆…
    39キロバイト (9,333 語) - 2022年12月1日 (木) 08:01
  • ニモ先伯耆守カ一族義兵ヲ起シ合戦アリト云々 同比東国ニハ新田義貞ノ二男義興三男義宗義助ノ男義治等義兵ヲ揚テ上野ヨリ武蔵国ニ入妙法院宮今ハ還俗シテ宗良親王ト申奉ルヲ大将軍トナシ数万人ヲ率シ鎌倉ヲ攻ントスト云々其後武蔵上野所々ニ合戦アリト云々…
    47バイト (20,390 語) - 2024年4月5日 (金) 23:05
  • 川も浅く渡る物也と被仰ければ、御尤の由諸人感じ奉る。斯くて八月初に聚楽の御所へ御帰陣ありて、々の大名皆々居城へ帰り暫く休息にて、追付き聚楽へ被召寄御目見被仰付けり。     諸国御割符の事 伊豆・相模・武蔵・上野・下野・上総・下総七ケ国                     松平家康公…
    177バイト (10,392 語) - 2024年2月3日 (土) 17:26
  • 馳付ける。此時に先亡の余類相摸次郎時行も、已に吉野殿より勅免を蒙てければ、伊豆より起て、五千余騎足柄・箱根に陣を取て、相共に鎌倉を責べき由を国司の方へ牒せらる。又新田左中将義貞の次男徳寿丸、上野より起て、二万余騎武蔵国へ打越て、入間河にて著到を付け、国司の合戦若延引せば、自余の勢を待ずして鎌倉を…
    43キロバイト (10,297 語) - 2022年12月1日 (木) 08:02
  • あり。斯くて二月中旬の事なるに、伏見に於て安芸の毛利殿屋形へ大名衆寄合内談ありけるは、家康公の振舞天下を我が物と思はる躰也。第一政所様の御屋形へ被移事、大坂西の丸に天守の如くなる大矢倉を被上事、内縁を以て八幡の検地を赦免せらるゝ事、国大名の北の方を国々へ可被相返との事、数ケ条の不審共ありて、太閤の…
    177バイト (7,628 語) - 2024年2月3日 (土) 17:27
  • 愚なる子供のうはさの事 愚息教歌百首 巻之九 江戸町衆はさみ箱かつがする事 老楽斎身持を沙汰する事 鰒の肉に毒ある事 兼然法師元日をよろこばざる事 武蔵と下総さかひの事 半蔵筆を捨つる事 年物語にけんくわの事 江戸町衆花をあいする事 新福寺諸国くわんじんの事 声仏事をなす事 唐船造らしめ給ふ事 柿に異名ある事…
    6キロバイト (1,736 語) - 2024年2月1日 (木) 14:09
  • 謀叛を起て鎌倉殿方を仕る由聞へしかば、父民部大輔是を為誅伐下向の由を称して、上野に下著、則左衛門蔵人と同心して、武蔵国へ打越へ、坂東の八平氏武蔵の七党を付順ふ。播州師冬是を被聞候て、八箇の勢を被催に、更に一騎も不馳寄。角ては叶まじ。さらば左馬頭殿を先立進せて上杉を退治せんとて、僅に五百騎を卒して、…
    56キロバイト (13,675 語) - 2022年12月1日 (木) 08:00
  • 224 直冬西国下向事 先西国静謐の為とて、将軍の嫡男宮内大輔直冬を、備前へ下さる。抑此直冬と申は、古へ将軍の忍て一夜通ひ給たりし越前の局と申女房の腹に出来たりし人とて、始めは武蔵国東勝寺の喝食なりしを、男に成て京へ上せ奉し人也。此由内々申入るゝ人有しか共、将軍曾許容し給はざ…
    65キロバイト (15,999 語) - 2022年12月1日 (木) 08:01
  • 大名にはあらず伴(とも)する者もなし、誰にてましますらんと能く見れば、江戸本町のなまりや六郎左衛門なり。我も人も是を見て、扨々(さて〳〵)きやつは出過者、ぜんたい国大名のまねをして、はさみ箱をかつがせとほるぞや町人のぶんとして似合はぬ振舞かな、よもおのれがにてはあらじ、大名
    438バイト (13,986 語) - 2024年2月1日 (木) 14:12
  • 、其時の讚談に、利家公御腹立ち、喰付いても果し相なる御人なるが、此度の御分別は、名大将と申し候、 一、伏見にて、国大名衆の臣下共、世上を致し候事、大納言様聞召され、御笑なされ候、戸田武蔵殿・富田左近殿などへ利家様御咄に、内々の者は我等に随ひ、能く成ると仰せられ候へば、御尤と御感なされ候、…
    2キロバイト (34,181 語) - 2024年4月9日 (火) 20:46
  • 、丹波、播磨因幡、伯耆、但馬、若狭、丹後、越前、加賀、越中、能登、伊賀、其年せめ取伊勢、志摩、近江、美濃、尾張、信長也、当三月高天神家康にとられ候へば家康も三河遠州二ケ国也両大将の持合せ二十四ケ国の大敵に関東小田原北条氏政伊豆、相摸、武蔵
    297バイト (5,404 語) - 2024年2月2日 (金) 18:18
  • 鎌倉贈左大臣尊氏公薨じ給し刻、世の危事、深淵に臨で薄氷を蹈が如にして、天下今に反覆しぬと見へける処に、是ぞ誠に武家の棟梁共成ぬべき器用と見へし新田兵衛佐義興は、武蔵国にて討れぬ。去年まで筑紫九を打順へたりし菊池肥後守武光も、小弐・大伴が翻て敵に成し後は勢ひ少く成ぬと聞へしかば、宮方の人々は月を望むには暁の雲に逢へるが如く、…
    48キロバイト (11,581 語) - 2022年12月1日 (木) 07:59
  • 同宮内少輔・足利尾張右馬頭高経・舎弟式部大夫時家・仁木太郎頼章・舎弟二郎義長・今河修理亮・岩松禅師頼有・高武蔵守師直・越後守師泰・同豊前守・南部遠江守・同備前守・同駿河守・大高伊予守、外様の大名には、小山判官・佐々木佐渡判官入道々誉・舎弟五郎左衛門尉・三浦因幡守・土岐弾正少弼頼遠・舎弟道謙・宇都宮遠…
    74キロバイト (17,423 語) - 2022年12月1日 (木) 08:02
  • 、戦場二三里が間は草腥して血原野に淋き、地嵬くして尸路径に横れり。是のみならず、吉江中務が武蔵国の守護代にて勢を集て居たりけるも、那和の合戦と同日に、津山弾正左衛門並野与の一党に被寄、忽に討れければ、今は武蔵・上野両国の間に敵と云者一人もなく成て、宇都宮に付勢三万余騎に成にけり。宇都宮已に所々の合…
    42キロバイト (10,129 語) - 2022年12月1日 (木) 07:59
  • 弾正・猪子内匠など是を見て、是はいかなる有様ぞ。長髪にて御目見は叶ふまじとありける時、畏るといふ儘、其附髪・懸髭おつ取り給へば、剃立てたる頭也。々の大名中、是を見て興をさまして居られける。又京室町通【 NDLJP:15】を、古紙衣にしなの皮にてあみたる鳥巾を着、脇指一腰にて通り、或店を見給へば呉…
    3キロバイト (6,114 語) - 2024年4月11日 (木) 08:50
  • 同八年五月上旬の頃家康公御上洛ありければ、々の大名何れも上洛夥敷、洛中に満ち〳〵たり。追付き征夷大将軍の院宣を蒙らせ給ひ、天下の諸侯も任官の衆多かりける。中一年ありて慶長十年三月、秀忠公御参内ありて征夷大将軍にならせ給へば、家康公は駿河の府中へ御隠居被成、大御所様と仰ぎ奉り、秀忠将軍は江戸の城にまし〳〵て武蔵
    177バイト (14,492 語) - 2024年2月3日 (土) 17:28
  • 月十九日、鎌倉を立、在々所々を催促して、軍勢を集らる、東海道は不㆑及㆑申、武蔵上野の一揆の輩、越後信濃之軍勢数万騎馳集事、不㆑遑㆑註㆑之、亦安房入道長棟禅門も、伊豆に御座けるを、京都より頻に被㆑仰ける程に同四月六日、伊豆を立、山田庄へ帰参り、長尾郷に令㆓滞留㆒、同五月十一日、神奈川へ出勢ある、…
    47バイト (16,335 語) - 2024年4月5日 (金) 23:08
  • 況んや若き人たちに彼遊女を見することは、猫のつなをはなちて生魚(なまうを)を見するにことならずや。   近年国大名数多滅亡の事   聞しは昔、関東北条左京大夫平朝臣氏康公は、伊豆、相模、武蔵、上総、下総、上野を治め、常陸下野へ手をかけ、関八州に威をふるひ、文武至剛(ぶんぶしがう)の名将たり。其比氏…
    438バイト (15,356 語) - 2024年2月1日 (木) 14:11
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