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  • 川中島五箇度合戦之次第     就㆓御尋㆒書上候信州川中島五箇度合戦の次第   一、信州五尋の領主村上左衛門尉義清は、清和の源氏にて、伊予守頼義の舎弟陸奥守頼清の子白河院蔵人顕清、初めて信州に住居。顕清四代の孫蔵人為国、其子村上判官代基国が後胤なり。高梨摂津守政頼も、伊予守頼義が舎弟井上掃部頭頼季三代の孫高梨七…
    809バイト (8,842 語) - 2023年11月26日 (日) 19:49
  • 姉妹プロジェクト:Wikipediaの記事, データ項目 封事三箇条(ふうじさんかじょう)とは、天徳元年12月27日(958年1月19日)に従五位上右少弁菅原文時が村上天皇に対して提出した封事。同年7月27日(957年8月25日)の天皇の意見封事を求める綸旨に対して出されたもの。全3条からなり、1.「請禁奢侈事」(贅沢の禁止)、2…
    1キロバイト (1,430 語) - 2022年4月7日 (木) 08:00
  • の御旗を、芋瀬庄司にぞ被下ける。角て宮は遥に行過させ給ぬ。暫有て村上彦四郎義光、遥の迹にさがり、宮に追着進せんと急けるに、芋瀬庄司無端道にて行合ぬ。芋瀬が下人に持せたる旗を見れば、宮の御旗也。村上怪て事の様を問に、尓々の由を語る。村上、「こはそも何事ぞや。忝も四海の主にて御坐す天子の御子の、朝敵御…
    32キロバイト (7,961 語) - 2022年12月1日 (木) 08:01
  • 一、後備  二千五百人  南部入道雲 和賀尾治部飯尾入道浄嘉 土屋伊勢守 都合人数二万五千人。 一、八月十八日寅中刻、村上義清の備より、草刈の者三十人出し、草を刈取り候。甲州勢是を見て、高坂弾正の備より、足軽二百人程走り出で、草刈を取巻き、兼ねて越後の村上
    560バイト (17,663 語) - 2023年11月26日 (日) 18:31
  • ・千坂実春〈対馬守〉等、沉毅有㆓文武之才㆒、宇佐美定行老㆓於武事㆒、忠勇而為㆓良輔㆒。撤㆓境内兇悍㆒、𧿥㆓四辺遺賊㆒、越山風治、北溟浪静。加旃憫㆓村上義清㆒、為㆑之攻㆓武田㆒。憤㆓憲政放蕩㆒、発㆓義兵㆒払㆓北条㆒。山東諸雄雖㆓擡㆑頭掉_㆑臂、謙信所㆑到莫㆑不㆓平夷㆒。八州之士、恐㆓謙信㆒如㆑虎、何…
    665バイト (13,082 語) - 2023年11月26日 (日) 20:18
  • 戦を遂ぐべしといへり。義清、此言を聞きて、喜悦の余り一言謝するに能はず、感の涙、襟を沾すといへり。 一、景虎、義清に向つて曰く、我れ多年、甲州に限らず、諸方に間者を遣し置き、国々の風俗・国政の善悪・軍事の勝劣を聞けり。村上殿は晴信と多年数度戦はれし事なれば、彼が戦術の法、其詳なる事を演説し給へ。…
    3キロバイト (30,964 語) - 2024年3月24日 (日) 13:39
  • 大きに相違仕候。川中島一戦の初め所は、別書に詳に申上げ候通に候。 一、信州五郡の領主村上左衛門尉義清は、清和源氏にて、伊予守頼義の舎弟陸奥守頼清の嫡子白河院蔵人顕清、始めて信州に住居。顕清四代の孫蔵人為国、其嫡子村上判官代基国の後胤なり。高梨摂津守政頼も、伊予守頼義の舎弟井上掃部頭頼季三代の孫、高梨…
    768バイト (20,470 語) - 2023年11月26日 (日) 18:25
  • と云ひ、怒と云ひ、哀と云ひ、樂と云ひ、愛と云ひ、惡と云ひ、慾と云ふ、是也、又形を用るに五の品あり、と云ひ、長と云ひ、◎老と云脱カ病と云ひ、死と云ふ、是也、合て十二あり、是則神代の數なり、心を用るに神に非ずと云事なく、形を養ふに、神を離るゝ事なし、故に心過る時は肝の神いたむ、
    13キロバイト (2,561 語) - 2023年8月19日 (土) 16:23
  •    五十五文德天皇    五十六淸和天皇    五十七陽成院    五十八光孝天皇    五十九宇多院    六十醍醐天皇    六十一朱雀院    六十二村上天皇    六十三冷泉院    六十四圓融院    六十五花山院    六十六一條院    六十七三條院    六十八後一條院…
    520バイト (92,105 語) - 2023年8月18日 (金) 17:04
  • て、かしら下して、三井寺に向ひにけり。中将は年廿二、少将は廿五なり。時の左右大臣の御子なり。父の大臣各驚きさわぎて、三井寺に馳向ひ給ひけり。権中将は村上の御子、入道兵部卿親王(〈致平〉)の御子なりけり。一条左大臣(〈雅信〉)の女の御腹なり。左大臣殿(〈道長〉)の上の姉妹なり。是によりて左大臣、年頃子…
    174バイト (4,280 語) - 2024年2月10日 (土) 09:44
  •  以上の結果に照らしてみても松木医師及び〔丙〕技官の証言は充分信用しうると言える。  二 ところで、前記「ト」の部分が血痕付着部分でないことが明らかとなったから、村上次男作成にかかる鑑定書中前記「ト」の部分に該る「h」及びその両脇汚斑「w」「k」に関する記載、例えば 「53 ……h 血液ならば、右稍上又は左稍下か…
    945バイト (2,823 語) - 2022年9月18日 (日) 10:25
  • 狂歌是れなり。扨景勝公は、海津城に御逗留、信州表仕置仰付けらる。 一、海津城に村上源五国清を差置かれ、更級郡を下され、高坂被官同心共に附けらるゝ事は、村上殿本意の儀を思召されてなり。筑摩川を限り、西は海津組とあつて、村上合備なり。 附高坂介副の小幡山城をば、下野守になされ、春日山へ召寄せられ、御旗本組に仰付けられ候。…
    283バイト (18,894 語) - 2023年12月2日 (土) 18:41
  • 思召なさるまじく候と、色々義清の心を慰め給ひて、又景虎宣ふやうは、武田晴信の弓矢取りやう如何と問ひ給ふ。村上の曰、十年以来、晴信、勝利を得申すの間、今は早や末を頼に、大事に致すやらん。総別其身付やらん、弓矢をしめて取り、率爾の働これなく、勝の後は、合戦猶ほ前方より用心の深く、或は十里働くべき所を…
    601バイト (17,701 語) - 2023年11月26日 (日) 18:32
  • 村上は宮崎南西を初【 NDLJP:256】め、其辺を悉く放火す。是組中を二手に分け、其一手を以て斯くの如し。残る一手をば纏めて、藤田が二の見を守る跡より、静に押す。此様子見事なり。謙信公の威風香し。其より後、何れも人数を繚め、宮崎焼跡にて凱歌を行ひ、備を納む。景勝公御悦
    283バイト (36,322 語) - 2023年12月2日 (土) 18:48
  • 岡田勝五郎 尾関介 津田新右衛門尉 清水弥左衛門尉 竹内虎介 高橋弥三郎 吉田次兵衛尉 吉田彦六郎 松井新介 柴田弥五左衛門尉 三村九郎左衛門尉 山口藤左衛門尉 村上兵部丞   二番   河井組 河井九兵衛尉 三好孫九郎 森宗兵衛尉 三好新右衛門尉 生駒若狭守 三好為三 石河忠左衛門尉 佐々藤次 生駒孫介…
    75バイト (10,391 語) - 2024年3月25日 (月) 14:33
  • 景虎逆臣退治の事 景虎逆臣を退治す   越後軍記 巻之三 景虎、頸実検の法式を問ふ事 頸実検の作法 村上義清、景虎を頼む事 村上義清景虎の幕下となる景虎の素志   越後軍記 巻之四 景虎、甲州発向軍令の事并海平(うんのたひら)対陣の事 景虎、海平に着陣信玄海平に着陣上杉、武田合戦景虎帰国…
    3キロバイト (55,944 語) - 2024年2月3日 (土) 11:09
  • 少弼​​     合十三人此外右四大将のしたに如㆑形武士あれ共日昼の日のことくにて主を持候へば大将といはず十三大将の中にも主持あれ共それは其君軽き故我まゝになりて如件 右四大将より大身衆日本国にも、中国にも、毛利殿つくしに大伴殿、関東に上杉殿と有つれ共、はや
    188バイト (19,430 語) - 2024年2月2日 (金) 18:11
  • 義興ハ政弘カ晩年ノ子〈大内家譜ニ政弘年天闌無㆓売子㆒于㆑時政弘之室懐妊㆓女子㆒予如㆓于政弘海㆑無㆑嗣之心㆒其頃名家之公家一人住㆓山口㆒有㆑妾三日以前㆓男子㆒密乞換㆓于其男子㆒〈[#底本では直前に返り点「一」なし]〉詐語令㆑㆓政弘之心㆒誠雖㆑為㆓他脈之人㆒為㆓大内適子㆒仰㆑之義興是也ト見ユ年闌…
    47バイト (25,785 語) - 2024年4月5日 (金) 22:55
  • 考太平記等唐土故事を削るの例に依て之を除く又按するに道が日吉金を攘む事を記してより後人其事に疑ひを容るゝ者なし而して朝日物語に信長嘗て清洲門楼に坐し小竹の過るを視て其頭に溺す小竹大に怒る信長曰く我汝を試る耳是に於て信長に仕へりとあり又太閤素記に日吉初め松下氏の奴と為る其愛重せらるゝに及ひ之を嫉…
    75バイト (3,977 語) - 2024年3月25日 (月) 14:34
  • 近国の事は申に及ばず其身家中よりかろしめ江州をもたせぬと申伝たり信玄望ありといへども、若盛に信州強敵の我より老功なるに取あひ、村上へかゝれば小笠原長時いで諏訪へかゝれば村上出る伊奈の侍衆もみな剛の武士、故手間を取候、信長が大敵強敵は、今川義元、扨は美濃衆家康が強敵は同国三河侍、かやうの強敵斗りに信…
    297バイト (10,409 語) - 2024年2月2日 (金) 18:09
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