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神道大意


夫れ神と者天地に先て而も天地を定め、陰陽に超て而も陰陽を成す、天地に在ては之を神と云ひ、萬物に在ては之を靈と云ひ、人倫に在ては之を心と云ふ、心と者神なり、故に神は天地の根源也、萬物の靈性也、人倫の運命也、無形にして而も能く有形を養ふ者は神なり、人の五臓に託して而も五神となる、各其臓を守る者なり、故に神の字をたましゐと讀是也、眼に色を見て眼是をみず、其見る所の者を神と云、耳に聲を聞て耳是をきかず、其聞く所の者を神と云、鼻の香に於ける、口の味にをける、身の寒暑にをけるも亦如此、當知心は則神明の舎、形は天地と同根たることを、天神七代、地神五代を合て十二の神とす、彼神力を以て天地を建立し、萬類を養育す、故に日に十二時あり、歳に十二月あり、人に十二の経絡あり、又は十二因縁ともなる、然れば則天道も地道も、千變萬化も神明の所爲に非と云事なし、况や天地の靈氣を受て、色心二體の運命の保者なり、其證明に云、頭に七穴あるは則ち天の七星なり、腹に五臓あるは則ち地の五行なり、上下を合て十二あり、又是天神地祇の變作なり、日月は天地の魂魄なり、人の魂魄は則日月二神の靈性なり、故に神道と者心を守る道なり、心動くときは魂魄みだれ、心静る時は魂魄穏なり、是を守る時は則ち鬼神鎮なり、是を不守時は則ち鬼神亂て災難をこる、之を守るの要は、唯己の心の神を祭に過たるはなし、是を内淸淨と云ひ、又外淸淨と云ふ、心を使に七品あり、喜と云ひ、怒と云ひ、哀と云ひ、樂と云ひ、愛と云ひ、惡と云ひ、慾と云ふ、是也、又形を用るに五の品あり、生と云ひ、長と云ひ、◎老と云脱カ病と云ひ、死と云ふ、是也、合て十二あり、是則神代の數なり、心を用るに神に非ずと云事なく、形を養ふに、神を離るゝ事なし、故に喜心過る時は肝の神いたむ、喜心過る時は肝の神いたむ、怒心過る時は心の臓の神いたむ、哀心過る時は肺の神いたむ、樂心過る時は腎の神いたむ、愛する心過る時は膽の腑の神いたむ、惡心過る時は大腸の腑の神いたむ、慾の心過る時は脾の神いたむ、故に神道は再見する時は汚と云は、執着の心を忌む義也、忌の字を己が心と作れり、以之可知、然も如此なりと云えども、肉身を受る者、不喜ば有べからず、不怒ば有べからず、不哀ば有べからず、不樂ば有べからず、不愛ば有べからず、不惡ば有べからず、不慾ば有べからず、畢竟過と不及とは則災難となり、諸病となる、是を去る者は中なり、中と者神なり、神を知を悟と云、神を不知を迷と云、迷者は迷を不知、故に鬼神亂て道を失ふ、悟者は迷を知、迷を知者は鬼神を祭る、鬼神を祭時は道治る、道治る時は他從ふ、他從ふ時は功成る、功成る時は名を遂る者なり、本文に云く、神を祭者は安く、神を不祭者は危と云えり、神に三種の位あり、一には元神、二には託神、三には鬼神なり、初の元神とは、日月星辰等の神なり、其光り天に現じて、其徳三界に至れり、然れども直ちに其妙體を見ることあたはず、故に淨妙不測の元神と號す、二に託神と者、非情の精神なり、非情とは草木等の類なり、地に着て氣をはこび、空に出て形をあらはし、四季に應じて生老病死の色あり、然れども全く無心無念なり、故に之を託神と號す、三に鬼神と者、人心の動作に随を云ふ、纔に一念動けば是心他境に移る、故に心に天地を感ずれば、則ち天地の靈我心に歸す、心に草木を感ずれば則ち草木の靈我心に歸す、心に畜類を感ずれば則ち畜類の靈我心に歸す、心に他人を感ずれば則ち他人の靈我心に歸す、字書に云く、鬼とは歸なりと、然ば則鬼神は心の賓客なり、他より来て他に歸り、猶ほ家を出て家に歸るが如し、夫れ鬼神は萬物の主にして、而も人心の宗とする所なり、故に鬼神鎮る時は則ち國家安く、鬼神亂る時は國家破ると見えたり、依之伏羲は八卦を畫して八神を祭り、釈尊は天地の爲に十二神を祭り、佛法の爲に八十神を祭り、伽藍の爲に十八神を祭り、靈山の鎮守の爲に金毘羅神を祭る、則ち十二神の内也、此金毘羅は日本三輪大明神也と、傳敎大師歸朝の記文に被載たり、他國猶ほ如此、何に况や吾が神國に於てを哉、
  天神七代
外宮是也
第一   國常立尊陽神
      年數百千億萬歳、無始無終、
第二   國狭槌尊陽神
      年數八百億萬歳
第三   豊斟渟尊陽神
      年數八百億萬歳
第四   泥土煑尊陽神沙土煑尊陰神
      二神年數八億萬歳
第五   大戸之道尊陽神大笘邊尊陰神
      二神年數八億萬歳
第六   面足尊陽神惶根尊陰神
      二神年數八億萬歳、此神晩年自過去毘
      娑戸佛抅那含佛五佛出、
第七   伊弉諾尊男神伊弉冉尊女神
      二神治暦二萬三千四十歳

  地神五代
内宮是也
第一   天照太神
      治天三十萬歳
第二   正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊
      治天二十五萬歳、至此神末年、過去
      迦葉佛出、
第三   天津彦々火瓊々杵尊
      治世三十一萬八千五百三十三年、此神
      初而降化于下界
第四   彦火々出見尊
      治世六十三萬七千八百九十二年、此神
      至治世中間、震旦盤古王生、
第五   彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊
      治世八十三萬六千四十二年
  此神治世晩年、伏羲生、至最季暦天竺釋迦大師
  出化、日神和光同塵、以降經二百三十四萬二千
  二百餘歳
 定日本國中大小神社鎮座
延喜五年十二月廿六日宣下、於山城國愛宕郡如意峰神祇齋場所、奉鎮三千一百三十二座之神體大神四百九十二神、小神二千六百四十神、
同月廿八日奉神體於六十餘州矣、天下諸神奉神號之時、於齋場所、以神代正印神宣事、延喜以來之聖斷也、
 定二十二社次第
村上天皇御宇康保三年閏八月廿一日、霖雨經月、九天覆雲、依之被官幣於十六社
 伊勢  岩淸水  賀茂上下   松尾  平野
 稲荷  大原野  大神  石上  大和
 廣瀬  龍田  住吉  丹生  貴布禰等是也、
一條院御宇正暦二年六月廿四年、炎天送日、萬物變色、依之加吉田廣田北野以上三社、被官幣於十九社
 吉田 廣田 北野次第事、可住吉之次、丹生之
 上由宣下、
同五年二月十七日、祈年穀之日、加梅宮官幣於二十社
 梅宮事、可住吉之次、吉田之上之由宣下、
長徳二年二月廿五日、被臨時之官幣之日、加祇園社二十一社
 祇園社事、可廣田之次、北野之上之由宣下、
後朱雀院御宇、長暦三年八月十八日、被官幣之日、加日吉社二十二社
 日吉社事、可住吉之次、梅宮之上之由宣下、
  上七社
 伊勢  岩淸水  賀茂  松尾  平野  稲荷  春日
  中七社
 大原野  大神  石上  大和  廣瀬  龍田  住吉
  下八社
 日吉  梅宮  吉田  廣田  祇園  北野  丹生
 貴布禰
  已上二十二社
  日本國中三千餘座、預年中四度官幣、並臨時祭
  祀者也、其中於廿二社者、以勅使
  幣帛者也、
 三十番神由來事
一日 二日 三日 四日 五日 六日 七日
 熱田 諏訪 廣田 氣比 氣多 鹿島 北野
八日 九日  十日   十一日 十二日 十三日
 江文 貴布禰 天照大神 八幡  賀茂  松尾
十四日 十五日 十六日 十七日 十八日 十九日
 大原野 春日  平野  大比叡 小比叡 聖眞子
廿日 廿一日廿一日 廿二日 廿三日 廿四日 廿五日
 客人 八王子吉備イ 稲荷  住吉  祇園  赤山
廿六月 廿七日 廿八日 廿九日 卅日
 建部  三上  兵主  苗鹿  吉備
右正義不詳、傳聞、叡山慈覺大師如法經始行之時、於稜嚴峰之杉洞、毎日有化現之瑞、因茲以其神光、其日爲卅神之配一月三十日、守護禁闕之故、號番神云々、此段曾無蹤跡、抑慈覺大師者、貞觀六年正月十四日入滅矣、是後經數年垂跡神多、如此番神、於中祇園社者、貞觀十八年始而勸請之、北野天満宮者延喜三年二月廿五日、於太宰府斃、覺大師入滅後經四十年、然天暦元年六月九日、影向於右近馬場、是故始而建祠堂於彼地、奉神號、謂北野天満天神、貞觀六年以降經八十餘星霜者也、就中去文永十年八月十八日、毘沙門堂碩祖僧正經海問吾曩祖兼益曰、内裏三十番神、自何代置之哉、兼益答云、於神道曾有之矣、世之所傳亦無規範之分明者、予竊案之、天照太神之御孫、初而降臨于此國之時、供奉神有三十二、則被請内侍所之神是也、若謂之乎、番字者數也、並也、對也、二與番其意同乎、傳敎弘法兩大師、以彼三十二神、配三十二菩薩、然不之番神、復經海雖顯密碩學、以元由、而問於吾祖、則豈非後世會釋也耶、且俟博雅君子質焉、
右所言之神道、名曰宗源何也、神書曰、掌神事之宗源也、宗者萬法歸一謂之宗、源者諸縁所起謂之源、是故上宮太子曰、神道者儒佛之宗、萬法之源也、宗源之旨、於是可視焉、盖神者天地也、無天地則四時不行、百物不生、無神則無人生、無人生則無萬法、亦無一法、畢竟爲諸法之源也明矣、
   天兒屋根尊四十五世孫

神祇長上從二位行侍從卜部朝臣兼倶撰

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