コンテンツにスキップ

検索結果

  • ○長亨元年九月十二日、義尚将軍至㆓江州㆒動座、廿五日東大寺火、 ○同二年 ○延徳元年三月二十一日北野廟火、同二十六日、若公薨㆓於江左陣中㆒、九月義材将軍〈後号義〉江州進発、 ○同二年正月七日、東山相公義政薨、 ○同三年正月七日、今出川殿薨、八月今出川嫡男作㆓将軍㆒、江州御動座、 ○明応元年十二月、相公自㆓江州㆒御帰陣、…
    44バイト (3,743 語) - 2024年4月19日 (金) 06:23
  • 信孝御劔ノ役細川中務大輔晴経大舘治部大輔晴御同朋春阿弥各上下小袴騎馬ニテ御供也御走衆十人其次ニカヘノ御輿ヲ通ス御台所姫君様其外御供女中皆御輿也已上十二丁トキコヘシ扨六角父子門外マテ祗候シ奉入同十九日御元服アリ戌刻ニ被定御名乗義藤後ニ被改義輝御加冠ハ弾正少定頼今度ノ御役勤仕ニヨリテ四品ニ被叙面目身…
    44バイト (53,932 語) - 2024年4月19日 (金) 06:28
  • 上は何の子細か可有とて、未だ宣旨をも不被下、押て足利征夷将軍とぞ申ける。東八箇国の官領の事は、勅許有し事なればとて、今度箱根・相摸河にて合戦の時、有輩に被行恩賞。先立新田の一族共拝領したる東国の所領共を、悉く闕所に成して、給人をぞ被付ける。義貞朝臣是を聞て安からぬ事に被思ければ、其替りに我分国、…
    74キロバイト (17,423 語) - 2022年12月1日 (木) 08:02
  • も可云様無れば、国人一人も順ひ不付云者なし。只陶山備前守許を、南海の端に添て僅なる城を拵て、将軍方とては残りける。備後へは、富田判官秀貞が子息弾正少直貞八百余騎、出雲より直に国中へ打出たるに、江田・広沢・三吉の一族馳著ける間、無程二千余騎に成にけり。富田其勢を合て、宮下野入道が城を攻んとする処に…
    53キロバイト (13,017 語) - 2022年12月1日 (木) 07:59
  •  ││││式部少輔義基(刑部イ)  │││││  ││││判官代義秀  │││││  ││││刑部少輔忠義(一本ナシ)  │││││  ││││刑部少輔義胤()  │││││  ││││左近将監義連〈奥州太守陸奥守〉山本先祖  │││││  ││││刑部少輔基義〈常州大将〉  │││││  ││││大炊助家兼〈常州大将〉仁田山先祖…
    44バイト (17,084 語) - 2024年4月19日 (金) 07:04
  • 月卅日佐竹依上六郎カ旧領奥州依上保ヲ以テ白河弾正少ニ賜フ時持氏朝臣判書ヲ与テ主トス是ニ依テ白河ヨリ憲実ニ馬一疋ヲ賜レリ憲実ノ謝書ニ依上御判御拝領目出候仍馬一疋(鹿毛糟色)給候令祝喜候他事期後信恐々謹言六月二日〈応永卅年ナリ〉藤原憲実謹上白河弾正少殿トアリ吾甞テ聞ク無官ノ書牘ハ姓名ヲ具記ス是当時ノ…
    47バイト (25,785 語) - 2024年4月5日 (金) 22:55
  • 泰季・御子左少将為次・頭大夫行房・子息少将行、武士には新田左中将義貞・子息越後守義顕・脇屋右衛門佐義助・子息式部大夫義治・堀口美濃守貞満・一井兵部大輔義時・額田左馬助為縄・里見大膳亮義益・大江田式部大夫義政・鳥山修理亮義俊・桃井駿河守義繁・山名兵庫助家・千葉介貞胤・宇都宮信濃将監泰藤・同狩野将…
    87キロバイト (21,167 語) - 2022年12月1日 (木) 08:02
  •   被㆑削㆓殿上簡㆒人々 左近少将源明・藤原頼親〈帥舎弟〉右近少将藤原周頼〈帥弟〉・源方理   勘事 右馬頭藤原相・弾正大源頼定〈為平親王男〉 権帥候㆓中宮㆒之間、不㆑従㆓使催㆒之由、元亮雖㆓再三奏聞㆒、被㆑仰㆘猶慥可㆓追下㆒之由㆖。二条大路見物車如㆑堵。中宮与㆓師…
    129バイト (10,264 語) - 2024年2月10日 (土) 09:31
  •   右信玄制法ケ条の内也、三郎殿是を見給ふて、御同心の体不㆑浅見えしとなり、 又斎藤山城守道三行ひは、斯有し、松永弾正少久秀は此行ひ也、毛利右馬頭元就は三百貫の分限たりしか、武勇智謀を以并㆓敵国㆒後は十二ケ国余領せしなりと語りしかは、常のさまには事替て、しめやかに聞給…
    75バイト (6,636 語) - 2024年3月25日 (月) 14:30
  • らしむ。屋形之を制して他国に出さゞるなり。 十三歳七月九日、京中洪水前代未聞。五月朔日、佐々木後見弾正定頼朝臣の若君誕生。後義頼と号す。義賢の弟、之を考ふべし。六月六日後見義賢の長男生る。後、義と号す。 十四歳応仁より後、度々兵乱に依つて、禁中以の外御不如意の事、神武天皇以来之れなき所なり。諸卿…
    3キロバイト (34,518 語) - 2024年2月3日 (土) 11:10
  • 公ノ御女当今ノ御母后ナリ院号蒙セ玉ヒ嘉吉門院ト申奉ルヨシ云々 同十二日和田和泉守越智三輪等以下官軍数百人赤坂ノ城ニ発向楠正儀ヲ攻ントス正儀和ヲ乞和田等イカリヲヽサエテ帰ルト云々 同廿四日新将軍義満公任中納言兼左衛門督ト云々 同廿八日叙従二位ト云々 去ヌル十月上旬鎌倉氏満ノ命ヲ受上杉弾正少
    47バイト (20,390 語) - 2024年4月5日 (金) 23:05
  • 草堂年七十三、康熙四十一年壬午に卒す、而して志中に余弘斎夫子〈邵睿明〉の門牆に在りし日、草堂已に十年以て長ずとあれば、是歳質人年六十三なるより逆算せるなり。四十二年癸未に作れる許重六十序に、今余と君と年皆六十を踰ゆとあるも、以て証に備ふべし。 清順治元年甲申 質人五歳。 順治十一年甲午 質人十五歳。李草堂幼にして弘斎邵夫子を…
    44バイト (11,980 語) - 2024年5月3日 (金) 15:04
  • 、正信思ひの外にて其旨言上せしに、清正がいひごとかとばかりにて、咲はせられしとなむ、〈駿河土産、〉 【浅野長政の加封】慶長十年、台徳殿より浅野弾正少長政に、常州真壁にて四万石、江州愛知川にて五千石下されけるを、長政あながちに辞し奉れば、長政を召して、此度の賜地を辞するは汝が一代の不思案なり、嫡子…
    91バイト (7,367 語) - 2024年5月10日 (金) 03:46
  • 寺村といふ〉の檀越にてありけるが、土岐伯耆守頼貞、始めて禅法に帰依して、土岐郡の内に、数ヶ所の禅刹を建立して、之を則ち氏寺とせり。然る所、其子弾正少頼遠、建武四年の春、厚見郡長森の城を構へて以来、甥の大膳大夫頼康代に至り、文和二癸巳年四月、厚見郡川手の城下に、三つの伽藍を建立して、則ち霊葉山正法…
    177バイト (8,166 語) - 2024年2月13日 (火) 16:24
  • ノ候殷ノ大甲ト云君ハ天下ノアルシ成リシカ賢君ニ非シテ遊宴ヲ好ミ玉ヘハ其臣下ニ伊ト云モノ大甲ヲ桐ト云フ処ヘヒツソクサセマイラセテ伊天下ノ政ヲシケリ大甲桐ニ有ル事三年ニシテ仁義ノ道ヲ修メ心ヲ正シ徳ヲ明カニシ玉フ故ニ又伊自ラ御迎ニ参リ天下ノ君ニ仰キ奉リ殷ノ【…
    44バイト (42,738 語) - 2024年4月19日 (金) 06:46
  • 忙古帶​​領之。七月、宋兵攻邊城。詔遺​タイチウ​​太丑​​〈[#「丑」は底本では「※[#「𠃍/七」]」。「元史(四庫全書本)卷4第13丁」では「」(yǐn)に似た字。s:zh:元史/卷004に倣い発音が底本のルビ「チウ」に近い「丑」(chǒu)とした。]〉・​ケレイ​​怯烈​​・​モングタイ…
    356バイト (42,765 語) - 2023年9月26日 (火) 00:07
  • の御下知をさみし給ふ体也けれは今川殿と鎌倉殿様は数代の御ちなみ有被仰合事懇なれとも此頃より内々御心よからす成行けると聞えし今川殿範政は上杉扇谷弾正少氏定の聟にてまし〳〵若子あまたおはしける故とりはけ鎌倉には親敷人々あまた有し   今川記巻第三   今川了俊同名仲秋へ制詞条々 一不知文道武道終に不得勝利事…
    44バイト (22,911 語) - 2024年4月19日 (金) 06:58
  • 朝臣數守爲宮内少輔、散位從五位下和氣朝臣彜範爲木工權助、大監物從五位下正峯王爲内膳正、土佐守從五位下橘朝臣峯雄爲彈正少、從四位下行丹波守髙階眞人岑緒爲伊勢權守、從五位上行彈正少滋野朝臣善蔭爲丹波守、從五位下行木工權助笠朝臣弘興爲土左守、從四位下行右中辨藤原朝臣冬緒爲大宰大貳、從五位下行内膳正連扶王爲右兵庫頭、…
    91キロバイト (19,828 語) - 2024年12月20日 (金) 12:51
  • 第二編中世二九六つたが、同答を要しないとの幕府の意見によつて、日良はその希望を達し得ず、空しく追返された。本海肥元この年十一月蒙古は國號を立てて元と稱し、翌九寇年再び良を來朝せしめた。良は年餘に亙つ要て滯在し、種々交渉を試みたが、前囘と同樣に效な圖く、元に歸つて我が國情民…
    681キロバイト (152,736 語) - 2024年1月27日 (土) 18:08