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- よ我(われ)ならぬ人(ひと)見(み)るとても誰(たれ)かは腸(はらわた)断(た)えざらん限(か)ぎりなき心(こゝろ)のみだれ忍艸(しのぶぐさ)小紋(こもん)のなへたる衣(きぬ)きて薄(うす)くれなゐのしごき帯(おび)前に結びたる姿((すが)た)今(いま)幾日(いくひ)見(み)らるべきものぞ年頃(とし…29キロバイト (5,017 語) - 2019年9月29日 (日) 05:32
- に飛びかかって主人を救った。犬がその敵に嚙みつくのは、いつも喉笛の急所であるべく教えられていた。第二の生贄(いけにえ)となった小間物屋の女房も、やはり同じ運命であった。しかも第三のお作の場合は、見咎められたままにお紺がおとなしく立ち去ってしまえ…47キロバイト (9,713 語) - 2019年2月27日 (水) 14:44
- 某(それがし)は文禄(ぶんろく)四(三)年景一が二男に生れ、幼名才助と申候。七歳の時父につきて豊前国小倉へ参り、慶長十七年十九歳にて三斎公に召しいだされ候。元和七年三斎公致仕遊ばされ候時、父も剃髪いたし候(そうら)えば、某二十八歳にて弥五右衛門景吉(やごえもんかげよし)と名告り、三斎公の御供いたし候て、豊前国興津に参り候。…32キロバイト (6,145 語) - 2020年6月18日 (木) 15:55
- に小鳥を売っている野島屋(のじまや)の店さきに、草履取りをつれた一人の侍が立った。あしたの晩は十五夜だというので、芒売(すすきう)りを呼び込んで値をつけていた亭主の喜右衛門(きえもん)は、相手が武家とみて丁寧に会釈(え…25キロバイト (5,026 語) - 2024年2月4日 (日) 09:53
- には、吉田忠左衛門(よしだちゅうざえもん)、原惣右衛門(はらそうえもん)、間瀬久太夫(ませきゅうだゆう)、小野寺十内(おのでらじゅうない)、堀部弥兵衛(ほりべやへえ)、間喜兵衛(はざまきへえ)の六人が、障子にさしている日影も忘れたように、あるいは書見に…32キロバイト (6,049 語) - 2019年9月29日 (日) 05:12
- になるから」 「どうも相済みません」 「済むも済まねえもあるもんか。そりゃあそっち同士の芝居だ」と、半七は相変わらず笑っていた。「そこで、その千次郎という男は、無論師匠ひとりを大切に守っているんだろうね。無闇に食い散らしをするような浮気者じゃあるめえね」…49キロバイト (9,969 語) - 2021年12月24日 (金) 08:42
- 作者:高井運吉 1918年 國字(こくじ)は、漢字(かんじ)に倣(なら)つて、我(わ)が國(く)で製作(せいさく)したもので、二三を除(のぞ)く外(ほか)は、大抵(たいてい)、訓(くん)のみ有(あ)つて、音(おん)がない。 匁 もんめ。(文(もん)とメの合字(がふじ)。) 凧 たこ。いかのぼり。(風(かぜ)で上(あが)る巾(きれ)。)…255バイト (1,434 語) - 2024年1月23日 (火) 05:16
- 「梅雨(つゆ)前ですからね」と、半七老人は鬱陶(うっとう)しそうに空を見あげた。「今年は本祭りだというのに、困ったもんです。だがまあ、大したことはありますまいよ」 約束の通りに強飯やお煮染(にし)めの御馳走が出た。酒も出た。わたしは遠慮なしに飲んで食って、踊りの家台(やたい)の噂(うわさ)などをしてい…52キロバイト (10,620 語) - 2021年8月31日 (火) 23:09
- もんですから、前後の考えもなしに飛び出して、いやどうもあぶない目に逢いましてございます」 「だが、いいことをした」と、半七は褒めるように云った。「お前だからまあそのくらいのことで済んだが、あんな孱細(かぼそ)い娘っ子が荒熊に取っ捉まって見ねえ。どんな大怪我をするか判ったもん…50キロバイト (10,175 語) - 2019年2月27日 (水) 14:50
- むかしの正本(しょうほん)風に書くと、本舞台一面の平ぶたい、正面に朱塗りの仁王門(におうもん)、門のなかに観音境内(かんのんけいだい)の遠見(とおみ)、よきところに銀杏(いちょう)の立木、すべて浅草公園(あさくさこうえん)仲見世(なかみせ)の体(てい)よろしく、六区の観世物の鳴物に…57キロバイト (11,488 語) - 2021年8月31日 (火) 23:10
- 肥後(ひご)の細川家(ほそかわけ)の家中(かちゅう)に、田岡甚太夫(たおかじんだゆう)と云う侍(さむらい)がいた。これは以前日向(ひゅうが)の伊藤家の浪人であったが、当時細川家の番頭(ばんがしら)に陞(のぼ)っていた内藤三左衛門(ないとうさんざえもん)の推薦で、新知(しんち)百五十石(こく)に召し出されたのであった。…37キロバイト (7,233 語) - 2019年9月29日 (日) 05:12
- に酔っている亭主はそれを信じなかった。 「べらぼうめ、そんなことがあるもんか」 女房の制(と)めるのもきかず、彼はおまきの台所へ忍んで行って、内の様子を窺っていると、やがておまきの嬉しそうな声がきこえた。 「おお、今夜帰って来たのかい、遅かったねえ」 これに答えるような猫の啼き声がつづいて聞え…49キロバイト (10,076 語) - 2019年2月27日 (水) 14:44
- 「おれもそうだろうと思った。おめえもここで夕飯のご馳走になれ。仕事はこれからだ」 裏の田圃に秋の蛙(かわず)が啼き出して、夜風が冷えびえと身にしみて来た頃に、半七と松吉は身支度をして緑屋を出た。 「松、しっかりしろよ。さっきも云う通り、今夜の怪物は化け猫に古狐だ。引っ掻かれねえように用心しろ」と、半七は笑いながら先に立った。…66キロバイト (13,394 語) - 2019年2月27日 (水) 14:49
- にお頼み申して、足止めのおまじないをして貰うよりほかはねえ。え、良さん。おめえ、どうしても忌(いや)か。毒くわば皿で、おめえも一度こういうことを引受けた以上は、一寸(いつすん)斬られるのも二寸斬られるのも血の出ることは同じことだ。え、おい、器用(きよう)に…39キロバイト (8,057 語) - 2019年2月27日 (水) 14:49
- に生れましたが、一家の大恩だけは返しました。それがせめてもの心やりです。……」 わたしは宅へ帰る途中も、同時に泣いたり笑ったりしながら、倅(せがれ)のけなげさを褒(ほ)めてやりました。あなたは御存知になりますまいが、倅の弥三郎(やさぶろう)もわたしと同様、御宗門(ごしゅうもん)に帰依(きえ…56キロバイト (10,211 語) - 2023年10月17日 (火) 13:42
- 「それを話す約束じゃねえか」と、半七はほほえみながら云った。「おめえもまた、それを話す積りでわざわざ来たんだろうじゃあねえか。今さら啞(おし)になってしまわれちゃあ困る。え、その仇というのは若いおかみさんの仇かえ」 「左様でございます」と、お鉄は洟(はな)をつまらせながら答えた。「いろい…55キロバイト (11,345 語) - 2019年9月3日 (火) 12:02
- 彼女がそれほど高名になったのは、あたかも一場(いちじょう)の芝居のような事件が原因をなしているのであった。万延(まんえん)元年の十月、きょうは池上(いけがみ)の会式(えしき)というので、八丁堀(はっちょうぼり)同心室積藤四郎(むろづみふじしろう)がふたりの手先を連れて、早朝から本門寺(ほんもん…50キロバイト (10,346 語) - 2019年2月27日 (水) 14:50
- 「へえ、どうもあの楽屋は風儀が悪うござんして、御法度(ごはっと)の慰み事が流行(はや)るもんですから……」 「爺さんもあんまり嫌いな方じゃあるめえ。時に、家(うち)の幸次郎は見えなかったかね」 「幸さんはお見えになりました。いや、それで楽屋の者も心配して居りますよ」 「河童を連れて行ったのか」 「へえ…50キロバイト (10,195 語) - 2019年2月27日 (水) 14:48
- えもん)は五、六年前に世を去って、母のお国(くに)が残っている。伊太郎にはおそよという嫁があったが、ことしの三月に離縁になって実家へ帰った。岡崎屋は小石川の白山前町(はくさんまえちょう)にある。嫁のおそよの実家もやはり酒屋で、小石川指ヶ谷町(さすがやちょう)に…53キロバイト (10,714 語) - 2019年2月27日 (水) 14:45
- え)の店へ、本郷森川宿(ほんごうもりかわじゅく)の旗本稲川伯耆(いながわほうき)の屋敷から使が来た。稲川は千五百石の大身で、その用人の石田源右衛門(いしだげんえもん)が自身に出向いて来たのであるから、河内屋でも疎略には扱わず、すぐ奥の座敷へ通させて、主人の重兵衛が挨拶に出ると、源右衛門は声を低めて話した。…52キロバイト (10,489 語) - 2021年12月13日 (月) 14:27