報恩記
の話
わたしは
と云うものです。 は――さあ、世間ではずっと前から、 と云っているようです。阿媽港甚内、――あなたもこの名は知っていますか? いや、驚くには及びません。わたしはあなたの知っている通り、評判の高い です。しかし今夜参ったのは、盗みにはいったのではありません。どうかそれだけは安心して下さい。あなたは
にいる の中でも、道徳の高い人だと聞いています。して見れば盗人と名のついたものと、しばらくでも一しょにいると云う事は、愉快ではないかも知れません。が、わたしも思いのほか、盗みばかりしてもいないのです。いつぞや の へ召された の の一人も、確か甚内と名乗っていました。また の していた「赤がしら」と称える水さしも、それを贈った の は、 とか云ったと聞いています。そう云えばつい二三年以前、 と云う本を書いた、 あたりの の名前も、甚内と云うのではなかったでしょうか? そのほか の喧嘩に、 「まるどなど」を救った 、 の 門前に、 の薬を売っていた商人、……そう云うものも名前を明かせば、何がし甚内だったのに違いありません。いや、それよりも大事なのは、去年この「さん・ふらんしすこ」の へ、おん母「まりや」の爪を収めた、 の を献じているのも、やはり甚内と云う信徒だった筈です。しかし今夜は残念ながら、一々そう云う行状を話している暇はありません。ただどうか
は、世間一般の人間と余り変りのない事を信じて下さい。そうですか? では出来るだけ手短かに、わたしの用向きを述べる事にしましょう。わたしはある男の魂のために、「みさ」の御祈りを願いに来たのです。いや、わたしの血縁のものではありません。と云ってもまたわたしの に、血を塗ったものでもないのです。名前ですか? 名前は、――さあ、それは明かして いかどうか、わたしにも判断はつきません。ある男の魂のために、――あるいは「ぽうろ」と云う日本人のために、 を祈ってやりたいのです。いけませんか?――なるほど阿媽港甚内に、こう云う事を頼まれたのでは、手軽に受合う気にもなれますまい。ではとにかく一通り、事情だけは話して見る事にしましょう。しかしそれには生死を問わず、 しない約束が必要です。あなたはその胸の に懸けても、きっと約束を守りますか? いや、――失礼は して下さい。(微笑) のあなたを疑うのは、 のわたしには でしょう。しかしこの約束を守らなければ、(突然 に)「いんへるの」の猛火に焼かれずとも、 に が る筈です。もう二年あまり以前の話ですが、ちょうどある
の真夜中です。わたしは に姿を変えながら、京の をうろついていました。京の町中をうろついたのは、その に始まったのではありません。もうかれこれ五日ばかり、いつも を過ぎさえすれば、必ず人目に立たないように、そっと家々を ったのです。勿論何のためだったかは、註を入れるにも及びますまい。殊にその頃は へでも、一時渡っているつもりでしたから、余計に の入用もあったのです。町は勿論とうの昔に人通りを絶っていましたが、星ばかりきらめいた空中には、
やみもない風の音がどよめいています。わたしは暗い いに、 りを って来ると、ふと辻を一つ った所に、大きい のあるのを見つけました。これは京でも名を知られた、 の本宅です。同じ を渡世にしていても、北条屋は などと肩を並べる事は出来ますまい。しかしとにかく や へ、船の一二 も出しているのですから、一かどの には違いありません。わたしは何もこの を目当に、うろついていたのではないのですが、ちょうどそこへ来合わせたのを幸い、 ぎする気を起しました。その上前にも云った通り、 は深いし風も出ている、――わたしの商売にとりかかるのには、万事持って来いの です。わたしは路ばたの の に、 の笠や杖を隠した上、たちまち高塀を乗り越えました。世間の
を聞いて御覧なさい。 は、忍術を使う、――誰でも皆そう云っています。しかしあなたは俗人のように、そんな事は本当と思いますまい。わたしは忍術も使わなければ、悪魔も味方にはしていないのです。ただ にいた時分、 の船の医者に、究理の学問を教わりました。それを実地に役立てさえすれば、大きい錠前を じ切ったり、重い を外したりするのは、格別むずかしい事ではありません。(微笑)今までにない盗みの仕方、――それも と云う未開の土地は、十字架や鉄砲の渡来と同様、やはり西洋に教わったのです。わたしは一ときとたたない内に、北条屋の
の中にはいっていました。が、暗い をつき当ると、驚いた事にはこの けにも、まだ のさしているばかりか、話し声のする小座敷があります。それがあたりの では、どうしても茶室に違いありません。「 の茶か」――わたしはそう しながら、そっとそこへ忍び寄りました。実際その時は人声のするのに、仕事の を思うよりも、 を凝らした囲いの中に、この の主人や客に来た仲間が、どんな風流を楽しんでいるか?――そんな事に心が かれたのです。の外に身を寄せるが早いか、わたしの耳には思った通り、 のたぎりがはいりました。が、その音がすると同時に、意外にも誰か話をしては、泣いている声が聞えるのです。誰か、――と云うよりもそれは二度と聞かずに、女だと云う事さえわかりました。こう云う の茶座敷に、真夜中女の泣いていると云うのは、どうせただ事ではありません。わたしは息をひそめたまま、幸い明いていた の から、茶室の中を きこみました。
の光に照された、 らしい の懸け物、懸け の の花。―― いの中には御約束通り、物寂びた趣が漂っていました。その床の前、――ちょうどわたしの に坐った老人は、主人の でしょう、何か かい の羽織に、じっと両腕を組んだまま、ほとんどよそ眼に見たのでは、釜の え音でも聞いているようです。弥三右衛門の には、 の い の老女が一人、これは横顔を見せたまま、時々涙を拭っていました。
「いくら不自由がないようでも、やはり苦労だけはあると見える。」――わたしはそう思いながら、自然と微笑を
らしたものです。微笑を、――こう云ってもそれは 夫婦に、悪意があったのではありません。わたしのように四十年間、 ばかり負っているものには、他人の、――殊に幸福らしい他人の不幸は、自然と微笑を浮ばせるのです。(残酷な表情)その時もわたしは夫婦の歎きが、 を見るように愉快だったのです。(皮肉な微笑)しかしこれはわたし一人に、限った事ではありますまい。誰にも好まれる と云えば、悲しい話にきまっているようです。弥三右衛門はしばらくの
、 をするようにこう云いました。「もうこの
になった上は、泣いても いても取返しはつかない。わたしは にも店のものに、 をやる事に決心をした。」その時また烈しい風が、どっと茶室を
すぶりました。それに声が れたのでしょう。弥三右衛門の の言葉は、何と云ったのだかわかりません。が、主人は きながら、両手を膝の上に組み合せると、 の天井へ眼を上げました。太い 、尖った 、殊に切れの長い目尻、――これは確かに見れば見るほど、いつか一度は会っている顔です。「おん
、『えす・きりすと』様。何とぞ我々夫婦の心に、あなた様の御力を御恵み下さい。……」弥三右衛門は眼を閉じたまま、御祈りの言葉を
き始めました。老女もやはり夫のように天帝の加護を乞うているようです。わたしはその 瞬きもせず、弥三右衛門の顔を見続けました。するとまた の渡った時、わたしの心に いたのは、二十年以前の記憶です。わたしはこの記憶の中に、はっきり弥三右衛門の姿を えました。その二十年以前の記憶と云うのは、――いや、それは話すには及びますまい。ただ手短に事実だけ云えば、わたしは
に渡っていた時、ある の船頭に い命を助けて貰いました。その時は互に名乗りもせず、それなり別れてしまいましたが、今わたしの見た弥三右衛門は、当年の船頭に違いないのです。わたしは に驚きながら、やはりこの老人の顔を見守っていました。そう云えば かつい肩のあたりや、 の太い手の には、 に の けむりや、 の匂いがしみているようです。弥三右衛門は長い御祈りを終ると、静かに老女へこう云いました。
「跡はただ何事も、
の 次第と思うたが い。――では釜のたぎっているのを幸い、茶でも一つ立てて貰おうか?」しかし老女は今更のように、こみ上げる涙を
えるように、消え入りそうな返事をしました。「はい。――それでもまだ
やしいのは、――」「さあ、それが
と云うものじゃ。 の沈んだのも、 げ の皆倒れたのも、――」「いえ、そんな事ではございません。せめては
の でも、いてくれればと思うのでございますが、……」わたしはこの話を聞いている内に、もう一度微笑が浮んで来ました。が、今度は
の不運に、愉快を感じたのではありません。「昔の恩を返す時が来た」――そう思う事が嬉しかったのです。わたしにも、御尋ね者の にも、 に恩返しが出来る愉快さは、――いや、この愉快さを知るものは、わたしのほかにはありますまい。(皮肉に)世間の善人は可哀そうです。何一つ悪事を働かない代りに、どのくらい善行を した時には、嬉しい心もちになるものか、――そんな事も には知らないのですから。「何、ああ云う人でなしは、居らぬだけにまだしも仕合せなぐらいじゃ。……」
弥三右衛門は
しそうに、 へ眼を らせました。「あいつが使いおった金でもあれば、今度も急場だけは
げたかも知れぬ。それを思えば したのは、………」弥三右衛門はこう云ったなり、驚いたようにわたしを眺めました。これは驚いたのも無理はありません。わたしはその時声もかけずに、
の を明けたのですから。――しかもわたしの身なりと云えば、 に姿をやつした上、 の笠を脱いだ代りに、 をかぶっていたのですから。「誰だ、おぬしは?」
弥三右衛門は年はとっていても、
に膝を起しました。「いや、御驚きになるには及びません。わたしは阿媽港甚内と云うものです。――まあ、御静かになすって下さい。阿媽港甚内は
ですが、今夜突然参上したのは、少しほかにも があるのです。――」わたしは
を脱ぎながら、弥三右衛門の前に坐りました。その
の事は話さずとも、あなたには推察出来るでしょう。わたしは の を救うために、三日と云う を一日も違えず、六千貫の を調達する、恩返しの約束を結んだのです。――おや、誰か戸の外に、足音が聞えるではありませんか? では今夜は御免下さい。いずれ か の 、もう一度ここへ んで来ます。あの の星の光は の空には輝いていても、 の空には見られません。わたしもちょうどああ云うように日本では姿を ませていないと、今夜「みさ」を願いに来た、「ぽうろ」の魂のためにもすまないのです。何、わたしの逃げ
ですか? そんな事は心配に及びません。この高い からでも、あの大きい からでも、自由自在に出て行かれます。ついてはどうか も、恩人「ぽうろ」の魂のために、一切 は んで下さい。
北条屋弥三右衛門の話
様。どうかわたしの を御聞き下さい。御承知でも御座いましょうが、この頃世上に噂の高い、 と云う がございます。 の塔に住んでいたのも、 の を盗んだのも、また遠い海の では、 の太守を襲ったのも、皆あの男だとか聞き及びました。それがとうとう めとられた上、今度一条 り のほとりに、 し になったと云う事も、あるいは御耳にはいって居りましょう。わたしはあの阿媽港甚内に ならぬ大恩を りました。が、また大恩を蒙っただけに、ただ今では何とも申しようのない、悲しい目にも ったのでございます。どうかその を御聞きの上、罪びと にも、天帝の御愛憐を御祈り下さい。
ちょうど今から二年ばかり以前の、冬の事でございます。ずっとしけばかり続いたために、持ち船の
は沈みますし、 げ銀は皆倒れますし、――それやこれやの重なった 、北条屋一家は分散のほかに、仕方のない になってしまいました。御承知の通り町人には取引き先はございましても、友だちと申すものはございません。こうなればもう我々の家業は、うず潮に吸われた も同様、まっ さまに の底へ、落ちこむばかりなのでございます。するとある夜、――今でもこの の事は忘れません。ある の烈しい でございましたが、わたし共夫婦は御存知の いに、夜の けるのも知らず話して居りました。そこへ突然はいって参ったのは、 の姿に をかぶった、あの でございます。わたしは勿論驚きもすれば、また りも致しました。が、甚内の話を聞いて見ますと、あの男はやはり盗みを働きに、わたしの宅へ忍びこみましたが、茶室には に ばかりか、人の話し声が聞えている、そこで しに、 いて見ると、この北条屋弥三右衛門は、甚内の命を助けた事のある、二十年以前の恩人だったと、こう云う次第ではございませんか?なるほどそう云われて見れば、かれこれ二十年にもなりましょうか、まだわたしが
通いの「ふすた」船の船頭を致していた頃、あそこへ船がかりをしている内に、 さえ にない日本人を一人、助けてやった事がございます。何でもその時の話では、ふとした酒の上の から、 を一人殺したために、 がかかったとか申して居りました。して見ればそれが では、あの阿媽港甚内と云う、 の になったのでございましょう。わたしはとにかく甚内の言葉も嘘ではない事がわかりましたから、一家のものの寝ているのを幸い、まずその用向きを尋ねて見ました。すると甚内の申しますには、あの男の力に及ぶ事なら、二十年以前の恩返しに、北条屋の危急を救ってやりたい、
り の の高は、どのくらいだと尋ねるのでございます。わたしは思わず 致しました。盗人に金を調達して貰う、――それが しいばかりではございません。いかに阿媽港甚内でも、そう云う金があるくらいならば、何もわざわざわたしの宅へ、盗みにはいるにも当りますまい。しかしその を申しますと、甚内は を傾けながら、今夜の内にはむずかしいが、三日も待てば調達しようと、 に引き受けたのでございます。が、何しろ入用なのは、六千貫と云う大金でございますから、きっと調達出来るかどうか、 てになるものではございません。いや、わたしの では、まず の目をたのむよりも、 ないと覚悟をきめていました。甚内はその
わたしの家内に、悠々と茶なぞ立てさせた上、 の中を帰って行きました。が、その翌日になって見ても、約束の金は届きません。二日目も同様でございました。三日目は、――この日は雪になりましたが、やはり に入ってしまった も、何一つ便りはありません。わたしは前に甚内の約束は、当にして居らぬと申し上げました。が、店のものにも を出さず、成行きに せていた所を見ると、それでも幾分か心待ちには、待っていたのでございましょう。また実際三日目の には、囲いの に向っていても、雪折れの音のする度毎に、聞き耳ばかり立てて居りました。所が
も過ぎた時分、突然茶室の の庭に、何か人の組み合うらしい物音が聞えるではございませんか? わたしの心に いたのは、 甚内の身の上でございます。もしや り でもかかったのではないか?――わたしは にこう思いましたから、庭に向いた を明けるが早いか、 の火を げて見ました。雪の深い茶室の前には、 の垂れ伏したあたりに、誰か二人 み合っている――と思うとその一人は、飛びかかる相手を突き放したなり、庭木の をくぐるように、たちまち塀の方へ逃げ出しました。雪のはだれる音、塀に じ登る音、――それぎりひっそりしてしまったのは、もうどこか の外へ、無事に落ち延びたのでございましょう。が、突き放された相手の一人は、格別跡を追おうともせず、体の雪を払いながら、静かにわたしの前へ歩み寄りました。「わたしです。
ですよ。」わたしは
にとられたまま、甚内の姿を見守りました。甚内は今夜も に、 を着ているのでございます。「いや、とんだ
ぎをしました。誰もあの組打ちの音に、眼を覚さねば仕合せですが。」甚内は
いへはいると同時に、ちらりと を らしました。「何、わたしが
んで来ると、ちょうど誰かこの の下へ、 いこもうとするものがあるのです。そこで一つ りにした上、顔を見てやろうと思ったのですが、とうとう逃げられてしまいました。」わたしはまださっきの通り、捕り手の心配がございましたから、役人ではないかと
ねて見ました。が、甚内は役人どころか、盗人だと申すのでございます。盗人が盗人を えようとした、――このくらい珍しい事はございますまい。今度は甚内よりもわたしの顔に、自然と苦笑が浮びました。しかしそれはともかくも、調達の を聞かない内は、わたしの心も安まりません。すると甚内は云わない先に、わたしの心を読んだのでございましょう、悠々と をほどきながら、 の前へ みを並べました。「御安心なさい、六千貫の
はつきましたから。――実はもう の内に、 調達したのですが、まだ二百貫ほど不足でしたから、今夜はそれを持って来ました。どうかこの包みを受け取って下さい。また までに集めた金は、あなた方御夫婦も知らない内に、この茶室の へ隠して置きました。 今夜の盗人のやつも、その金を ぎつけて来たのでしょう。」わたしは夢でも見ているように、そう云う言葉を聞いていました。盗人に金を
して貰う、――それはあなたに伺わないでも、確かに善い事ではございますまい。しかし調達が出来るかどうか、半信半疑の にいた時は、善悪も考えずに居りましたし、また今となって見れば、むげに受け取らぬとも申されません。しかもその金を受け取らないとなれば、わたしばかりか一家のものも、 に迷うのでございます。どうかこの心もちに、せめては を御加え下さい。わたしはいつか甚内の前に、 しく両手をついたまま、何も申さずに泣いて居りました。……その
わたしは二年の 、甚内の を聞かずに居りました。が、とうとう分散もせずに ないその日を送られるのは、皆甚内の御蔭でございますから、いつでもあの男の仕合せのために、人知れずおん母「まりや」様へも、 をこめていたのでございます。ところがどうでございましょう、この頃 の話を聞けば、 は りの上、 り に首を していると、こう申すではございませんか? わたくしは驚きも致しました。人知れず涙も落しました。しかし積悪の と思えば、これも致し方はございますまい。いや、むしろこの永年、天罰も受けずに居りましたのは、不思議だったくらいでございます。が、せめてもの恩返しに、 ながら をしてやりたい。――こう思ったものでございますから、わたしは もつれずに、早速一条戻り橋へ、その曝し首を見に参りました。戻り橋のほとりへ参りますと、もうその首を曝した前には、
人がたかって居ります。罪状を した の 、首の番をする ――それはいつもと変りません。が、三本組み合せた、青竹の上に載せてある首は、――ああ、そのむごたらしい血まみれの首は、どうしたと云うのでございましょう? わたしは しい人だかりの中に、 ざめた首を見るが早いか、思わず立ちすくんでしまいました。この首はあの男ではございません。阿媽港甚内の首ではございません。この太い 、この突き出た 、この の 、――何一つ甚内には似て居りません。しかし、――わたしは突然日の光も、わたしのまわりの人だかりも、竹の上に載せた し首も、皆どこか遠い世界へ、流れてしまったかと思うくらい、烈しい驚きに襲われました。この首は甚内ではございません。わたしの首でございます。二十年以前のわたし、――ちょうど甚内の命を助けた、その頃のわたしでございます。「 !」――わたしは舌さえ動かせたなら、こう叫んでいたかも知れません。が、声を揚げるどころかわたしの体は を病んだように、 えているばかりでございました。弥三郎! わたしはただ幻のように、
の曝し首を眺めました。首はやや いたまま半ば いた の下から、じっとわたしを見守って居ります。これはどうした でございましょう? 倅は何かの間違いから、甚内と思われたのでございましょうか? しかし も受けたとすれば、そう云う間違いは起りますまい。それとも阿媽港甚内というのは、倅だったのでございましょうか? わたしの宅へ来た は、誰か甚内の名前を仮りた、別人だったのでございましょうか? いや、そんな筈はございません。三日と云う を一日も えず、六千貫の金を するものは、この広い日本の国にも、甚内のほかに誰が居りましょう? して見ると、――その時わたしの心の中には、二年以前雪の降った 、甚内と庭に争っていた、誰とも知らぬ男の姿が、急にはっきり浮んで参りました。あの男は誰だったのでございましょう? もしや倅ではございますまいか? そう云えばあの男の姿かたちは、ちらりと一目見ただけでも、どうやら倅の弥三郎に、似ていたようでもございます。しかしこれはわたし一人の、心の迷いでございましょうか? もし倅だったとすれば、――わたしは夢の覚めたように、しけじけ首を眺めました。するとその紫ばんだ、妙に りのない には、何か に近い物が、ほんのり残っているのでございます。し首に微笑が残っている、――あなたはそんな事を御聞きになると、 いになるかも知れません。わたしさえそれに気のついた時には、眼のせいかとも思いました。が、何度見直しても、その からびた唇には、確かに微笑らしい みが、 っているのでございます。わたしはこの不思議な微笑に、永い 見入って居りました。と、いつかわたしの顔にも、やはり微笑が浮んで参りました。しかし微笑が浮ぶと同時に、眼には自然と熱い涙も、にじみ出して来たのでございます。
「お
さん、 して下さい。――」その微笑は無言の内に、こう申していたのでございます。
「お父さん。不孝の罪は勘忍して下さい。わたしは二年以前の雪の
、 の びがしたいばかりに、そっと へ んで行きました。昼間は店のものに見られるのさえ、 しいなりをしていましたから、わざわざ の けるのを待った上、お父さんの の戸を いても、御眼にかかるつもりでいたのです。ところがふと いの障子に、 のさしているのを幸い、そこへ ず ず行きかけると、いきなり誰か から、言葉もかけずに組つきました。「お父さん。それから先はどうなったか、あなたの知っている通りです。わたしは余り不意だったため、お父さんの姿を見るが早いか、相手の
を突き放したなり、 の外へ逃げてしまいました。が、 りに見た相手の姿は、不思議にも のようでしたから、誰も追う者のないのを確かめた 、もう一度あの茶室の外へ、 にも忍んで行ったのです。わたしは囲いの障子越しに、 の話を立ち聞きました。「お父さん。
を救った は、わたしたち一家の恩人です。わたしは甚内の身に があれば、たとえ命は っても、恩に報いたいと決心しました。またこの恩を返す事は、勘当を受けた のわたしでなければ出来ますまい。わたしはこの二年間、そう云う機会を待っていました。そうして、――その機会が来たのです。どうか不孝の罪は勘忍して下さい。わたしは に生れましたが、一家の大恩だけは返しました。それがせめてもの心やりです。……」わたしは宅へ帰る途中も、同時に泣いたり笑ったりしながら、
のけなげさを めてやりました。あなたは御存知になりますまいが、倅の もわたしと同様、 に して居りましたから、もとは「ぽうろ」と云う名前さえも、頂いて居ったものでございます。しかし、――しかし倅も不運なやつでございました。いや、倅ばかりではございません。わたしもあの に一家の没落さえ救われなければ、こんな嘆きは致しますまいに。いくら だと思いましても、こればかりは のうございます。分散せずにいた方が いか、倅を殺さずに置いた方が好いか、――(突然苦しそうに)どうかわたしを御救い下さい。わたしはこのまま生きていれば、大恩人の甚内を憎むようになるかも知れません。………(永い の )
「ぽうろ」弥三郎の話
ああ、おん母「まりや」様! わたしは
が明け次第、首を打たれる事になっています。わたしの首は地に落ちても、わたしの は小鳥のように、あなたの御側へ飛んで行くでしょう。いや、悪事ばかり働いたわたしは、「はらいそ」(天国)の を拝する代りに、恐しい「いんへるの」(地獄)の猛火の底へ、 しになるかも知れません。しかしわたしは満足です。わたしの心には二十年来、このくらい嬉しい心もちは、宿った事がないのです。わたしは
です。が、わたしの し は、 と呼ばれるでしょう。わたしがあの阿媽港甚内、――これほど な事があるでしょうか? 阿媽港甚内、――どうです? い名前ではありませんか? わたしはその名前を口にするだけでも、この暗い の中さえ、天上の や の花に、満ち渡るような心もちがします。忘れもしない二年
の冬、ちょうどある大雪の です。わたしは の が欲しさに、父の本宅へ忍びこみました。ところがまだ囲いの に、 がさしていましたから、そっとそこを おうとすると、いきなり誰か言葉もかけず、わたしの を えたものがあります。振り払う、また みかかる、――相手は誰だか知らないのですが、その力の しい事は、到底ただものとは思われません。のみならず二三度 み合う内に、茶室の障子が いたと思うと、庭へ をさし出したのは、 れもない父の です。わたしは一生懸命に、 まれた を振り切りながら、高塀の外へ逃げ出しました。しかし
ほど逃げ延びると、わたしはある に隠れながら、往来の前後を見廻しました。往来には夜目にも と、時々雪煙りが るほかには、どこにも動いているものは見えません。相手は めてしまったのか、もう追いかけても来ないようです。が、あの男は何ものでしょう? の に見た所では、確かに をしていました。が、さっきの腕の強さを見れば、――殊に兵法にも しいのを見れば、世の常の坊主ではありますまい。第一こう云う大雪の に、庭先へ誰か が来ている、――それが不思議ではありませんか? わたしはしばらく思案した 、たとい い芸当にしても、とにかくもう一度茶室の外へ、忍び寄る事に決心しました。それから
ばかりたった です。あの怪しい の は、ちょうど雪の止んだのを幸い、 りを って行きました。これが なのです。 、 、町人、 、――何にでも姿を変えると云う、 に名高い なのです。わたしは から見え隠れに甚内の跡をつけて行きました。その時ほど妙に嬉しかった事は、一度もなかったのに違いありません。阿媽港甚内! 阿媽港甚内! わたしはどのくらい夢の にも、あの男の姿を慕っていたでしょう。 の を盗んだのも甚内です。 の を ったのも甚内です。 の を切ったのも、 「ぺれいら」の時計を奪ったのも、 に五つの土蔵を破ったのも、八人の を斬り倒したのも、――そのほか末代にも伝わるような、 の悪事を働いたのは、いつでも です。その甚内は今わたしの前に、 の笠を傾けながら、薄明るい雪路を歩いている。――こう云う姿を眺められるのは、それだけでも仕合せではありませんか? が、わたしはこの上にも、もっと仕合せになりたかったのです。わたしは
の裏へ来ると、 に甚内へ追いつきました。ここはずっと のない 続きになっていますから、たとい昼でも人目を避けるには、一番 えの場所なのですが、甚内はわたしを見ても、格別驚いた は見せず、静かにそこへ足を止めました。しかも をついたなり、わたしの言葉を待つように、 も口を かないのです。わたしは実際恐る恐る、甚内の前に手をつきました。しかしその落着いた顔を見ると、思うように声さえ出て来ません。「どうか失礼は御免下さい。わたしは
の と申すものです。――」わたしは顔を
らせながら、やっとこう口を切りました。「実は少し御願いがあって、あなたの跡を
って来たのですが、……」甚内はただ
きました。それだけでも気の小さいわたしには、どのくらい い気がしたでしょう。わたしは勇気も出て来ましたから、やはり雪の中に手をついたなり、父の を受けている事、今はあぶれものの仲間にはいっている事、今夜父の へ盗みにはいった所が、 らず甚内にめぐり合った事、なおまた父と甚内との密談も一つ残らず聞いた事、――そんな事を に話しました。が、甚内は 、 と口を んだまま、冷やかにわたしを見ているのです。わたしはその話をしてしまうと、一層膝を進ませながら、甚内の顔を きこみました。「
の った恩は、わたしにもまたかかっています。わたしはその恩を忘れないしるしに、あなたの になる決心をしました。どうかわたしを使って下さい。わたしは盗みも知っています。火をつける も知っています。そのほか一通りの悪事だけは、人に らず知っています。――」しかし甚内は黙っています。わたしは胸を躍らせながら、いよいよ熱心に説き立てました。
「どうかわたしを使って下さい。わたしは必ず働きます。京、
、 、大阪、――わたしの知らない土地はありません。わたしは一日に十五里歩きます。力も は片手に ります。人も二三人は殺して見ました。どうかわたしを使って下さい。わたしはあなたのためならば、どんな仕事でもして見せます。伏見の城の も、盗めと云えば、盗んで来ます。『さん・ふらんしすこ』の寺の も、焼けと云えば焼いて来ます。 の姫君も、 せと云えば拐して来ます。奉行の首も取れと云えば、――」わたしはこう云いかけた時、いきなり雪の中へ
されました。「
め!」は一声叱ったまま、元の通り歩いて行きそうにします。わたしはほとんど気違いのように の へ りつきました。
「どうかわたしを使って下さい。わたしはどんな場合にも、きっとあなたを離れません。あなたのためには水火にも入ります。あの『えそぽ』の話の
さえ、 に救われるではありませんか? わたしはその鼠になります。わたしは、――」「黙れ。甚内は貴様なぞの恩は受けぬ。」
甚内はわたしを振り放すと、もう一度そこへ蹴倒しました。
「
めが! 親孝行でもしろ!」わたしは二度目に蹴倒された時、急に
しさがこみ上げて来ました。「よし! きっと恩になるな!」
しかし甚内は見返りもせず、さっさと
を急いで行きます。いつかさし始めた月の光に の を めかせながら、……それぎりわたしは二年の 、ずっと甚内を見ずにいるのです。(突然笑う)「甚内は貴様なぞの恩は受けぬ」……あの男はこう云いました。しかしわたしは の明け次第、甚内の代りに殺されるのです。ああ、おん母「まりや様!」わたしはこの二年間、甚内の恩を返したさに、どのくらい苦しんだか知れません。恩を返したさに?――いや、恩と云うよりも、むしろ
を返したさにです。しかし甚内はどこにいるか? 甚内は何をしているか?――誰にそれがわかりましょう? 第一甚内はどんな男か?――それさえ知っているものはありません。わたしが った は四十前後の小男です。が、 の にいたのは、まだ三十を越えていない、 ら顔に の生えた、浪人だと云うではありませんか? の小屋を がしたと云う、腰の曲った 、 の を めたと云う、前髪の垂れた若侍、――そう云うのを皆甚内とすれば、あの男の を見分ける事さえ、 人力には及ばない筈です。そこへわたしは去年の末から、 の病に ってしまいました。どうか
みを返してやりたい、――わたしは日毎に せ細りながら、その事ばかりを考えていました。するとある夜わたしの心に、突然 いた一策があります。「まりや」様! 「まりや」様! この一策を御教え下すったのは、あなたの御恵みに違いありません。ただわたしの体を捨てる、 の病に衰え果てた、骨と皮ばかりの体を捨てる、――それだけの覚悟をしさえすれば、わたしの本望は遂げられるのです。わたしはその 嬉しさの余り、いつまでも独り笑いながら、同じ言葉を繰返していました。――「甚内の りに首を打たれる。甚内の身代りに首を打たれる。………」甚内の身代りに首を打たれる――何とすばらしい事ではありませんか? そうすれば勿論わたしと一しょに、甚内の罪も
んでしまう。――甚内は広い 国中、どこでも に歩けるのです。その代り(再び笑う)――その代りわたしは一夜の内に、 の になれるのです。 の だったのも、 の を切ったのも、 の友だちになったのも、 の を ったのも、伏見の城の を破ったのも、八人の を斬り倒したのも、――ありとあらゆる甚内の名誉は、ことごとくわたしに奪われるのです。( 笑う)云わば甚内を助けると同時に、甚内の名前を殺してしまう、一家の恩を返すと同時に、わたしの みも返してしまう、――このくらい愉快な はありません。わたしがその 嬉しさの余り、笑い続けたのも当然です。今でも、――この の中でも、これが笑わずにいられるでしょうか?わたしはこの策を思いついた後、
へ盗みにはいりました。 の の浅い内ですから、 越しに がちらついたり、松の中に花だけ めいたり、――そんな事も見たように覚えています。が、長い の屋根から、 のない庭へ飛び下りると、たちまち四五人の の侍に、望みの通り められました。その時です。わたしを組み伏せた は、一生懸命に をかけながら、「今度こそは甚内を手捕りにしたぞ」と、 いていたではありませんか? そうです。 のほかに、誰が なぞへ忍びこみましょう? わたしはこの言葉を聞くと、必死にもがいている でも、思わず を洩らしたものです。「甚内は貴様なぞの恩にはならぬ。」――あの男はこう云いました。しかしわたしは
の明け次第、甚内の代りに殺されるのです。何と云う の い てでしょう。わたしは首を されたまま、あの男の来るのを待ってやります。甚内はきっとわたしの首に、声のない を感ずるでしょう。「どうだ、 の恩返しは?」――その哄笑はこう云うのです。「お前はもう甚内では無い。阿媽港甚内はこの首なのだ、あの天下に噂の高い、 第一の は!」(笑う)ああ、わたしは愉快です。このくらい愉快に思った事は、一生にただ一度です。が、もし父の に、わたしの し首を見られた時には、――(苦しそうに)勘忍して下さい。お父さん! 吐血の病に ったわたしは、たとい首を打たれずとも、三年とは命は続かないのです。どうか不孝は勘忍して下さい、わたしは に生まれましたが、とにかく一家の恩だけは返す事が出来たのですから、………
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