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- 一夜 (カテゴリ 日本の小説)「絹買えば白き絹、糸買えば銀の糸、金の糸、消えなんとする虹(にじ)の糸、夜と昼との界(さかい)なる夕暮の糸、恋の色、恨(うら)みの色は無論ありましょ」と女は眼をあげて床柱(とこばしら)の方を見る。愁(うれい)を溶(と)いて錬(ね)り上げし珠(たま)の、烈(はげ)しき火には堪(た)えぬほどに涼しい。愁の色は昔(むか)しから黒である。…24キロバイト (4,654 語) - 2022年3月30日 (水) 13:02
- 一行四人は中津川から馬籠峠(まごめとうげ)を越え、木曾(きそ)街道を江戸へと取り、ひとまず江戸両国の十一屋に落ち着き、あの旅籠屋(はたごや)を足だまりとして、それから横浜へ出ようとした。木曾出身で世話好きな十一屋の隠居は、郷里に縁故の深い美濃衆のためにも何かにつけて旅の便宜を計ろうとするような人だ。この隠居は以前に馬籠本陣の…704キロバイト (133,425 語) - 2019年9月29日 (日) 05:04
- の宗太(そうた)がいる。継母おまんは屏風の出来をほめながら、半蔵の書いたものにながめ入っている。そこいらには、いたずらざかりな三男の森夫(もりお)までが物めずらしそうにのぞきに来ている。 そこは馬籠(まごめ)の半蔵の家だ。ただの住宅としてはもはや彼の家も広過ぎて、いたずら…731キロバイト (142,362 語) - 2019年9月29日 (日) 05:05
- のために三十余人の客を万福寺にまで割り当てることを心配しなければならなかった。 六月の十日が来て、京都引き揚げの関東方を迎えるころには、この街道は一層混雑した。将軍家茂(いえもち)はすでに、生麦償金授与の情実を聞き糺(ただ)して攘夷の功を奏すべきよしの御沙汰(ごさた)を拝し、お暇乞(いとまご…648キロバイト (123,779 語) - 2019年9月29日 (日) 05:04
- 町を外(はず)れてまだ二里ほどの間は平坦(へいたん)な緑。I湾の濃い藍(あい)がそれの彼方(かなた)に拡(ひろ)がっている。裾(すそ)のぼやけた、そして全体もあまりかっきりしない入道雲が水平線の上に静かに蟠(わだかま)っている。―― 「ああ、そうですなあ」少しまごつきながらそう答えた時の自分の声の後味がまだ喉(のど)や耳の…58キロバイト (11,645 語) - 2021年8月31日 (火) 22:16
- の入り口で、断頭の上、梟首(さらしくび)ということになりました。そのほかには、片鬚(かたひげ)、片眉(かたまゆ)を剃(そ)り落とされた上で、放逐になったものが十三人ありました。われわれは君、一同連名で、相良惣三のために命乞(ご)いをして見ましたがね、官軍の…622キロバイト (119,815 語) - 2019年9月29日 (日) 05:04
- 草枕 (カテゴリ 日本の小説)のごとくに堆(うずた)かく、積み上げられた、貝殻は牡蠣(かき)か、馬鹿(ばか)か、馬刀貝(まてがい)か。崩(くず)れた、幾分は砂川(すながわ)の底に落ちて、浮世の表から、暗(く)らい国へ葬られる。葬られるあとから、すぐ新しい貝が、柳の下へたまる。爺さんは貝の…315キロバイト (58,693 語) - 2023年10月17日 (火) 13:49
- 「鶉(うずら)ですかえ」と、半七はまた訊いた。 この時代には鶉もいろいろの問題を起し易い生き物であった。善兵衛はやはり首をふって、焦(じ)らすように半七の顔を見た。 「判らねえか」 「わかりませんね」 「はは、貴様にも似合わねえ。生き物は鷹(たか)だ。お鷹だよ」 「へえ、お鷹でご…60キロバイト (12,073 語) - 2021年8月31日 (火) 23:12
- の話になった。老人お得意の芝居がかりで、定めて忠臣蔵のご講釈でも出ることと、私はひそかに覚悟していると、きょうの話はすこし案外の方角へそれた。 「どなたもご承知の通り、義士の持ち物は泉岳寺(せんがくじ)の宝物になって残っています。そのほかにも、大石をはじめ、他の人びとの手紙や短冊のた…72キロバイト (14,531 語) - 2019年2月27日 (水) 14:47
- ふるさと (島崎藤村) (カテゴリ 日本の小説)のお寺(てら)と同(おな)じ名(な)でした。あの御先祖(ごせんぞ)さまが馬籠(まごめ)の村(むら)も開(ひら)けば、お寺(てら)も建(た)てたといふことです。あれは父(とう)さんのお家(うち)の御先祖(ごせんぞ)さまといふばかりでなく、村(むら)の御先祖(ごせんぞ)さまでもあるといふことです。…284キロバイト (45,267 語) - 2019年9月29日 (日) 04:51
- の作だと覚えていますから、これからお話する人たちも『和合人』のズウフラを知っていて、それから思い付いた仕事か、それとも誰の考えも同じことで、自然に一致したのか、ともかくズウフラがお話の種になるわけで、ズウフラ怪談とでも申しましょうか」 安政(あんせい)四年九月のことである。駒込(こまご…53キロバイト (10,714 語) - 2019年2月27日 (水) 14:45
- の院は父の太上天皇世をしらせたまひしこと、いくばくもおはしまさず。さきの御なごりにて一の人のわがまゝに、行ひ給ふもおはせねば、若くより世をしらせ給ひて、院の後は、堀河の院鳥羽の院讃岐の院御子うまごひゝご、うちつゞき三代のみかどの御世、法皇の御まつりごとの…398バイト (106,040 語) - 2022年10月18日 (火) 09:02
- のゝちは、堀河院、鳥羽院、さぬきの院、御こうまごひひご、うちつゞき三代の* みかどのみよ、みな法皇の御まつりごとのまゝ也。かくひさしく世をしらせ給ふ事は、むかしもたぐひなき御ありさま也。後二条のおとゞこそ、おりゐのみかどのかどに、車たつるやうやはあるなどのたま…473キロバイト (109,801 語) - 2023年8月17日 (木) 14:23
- ← 菊人形の昔 青山の仇討 → 『半七捕物帳』(はんしちとりものちょう) 第六巻/蟹のお角 作者:岡本綺堂 底本:2000年7月10日春陽堂書店発行『半七捕物帳第六巻』 団子坂(だんござか)の菊人形の話につづいて、半七老人は更に『蟹のお角』について語り出した。団子坂で外国人らの…65キロバイト (13,081 語) - 2019年2月27日 (水) 14:48
- 嵐 (カテゴリ 日本の小説)の部屋を歩き回る音なぞが、毎日のように私の頭の上でした。私も階下の四畳半にいてその音を聞きながら、七年の古巣からこの子を送り出すまでは、心も落ちつかなかった。仕事の上手(じょうず)なお徳は次郎のために、郷里のほうへ行ってから着るものなぞを縫った。裁縫の…120キロバイト (23,060 語) - 2019年9月29日 (日) 05:09
- 「こちらは魚屋の徳蔵さんでございますか」 「はい」と、女は丁寧に答えた。 「御亭主はお内ですか」 「やどは唯今出ましてございます」 「左様でございますか」と、半七は躊躇しながら云い出した。「実はわたくしは外神田(そとかんだ)の山城屋さんの町内にいるものでございますが、うけたまわればこちらの…59キロバイト (11,816 語) - 2021年12月14日 (火) 10:52
- のたまはすれば「和歌の船にのり侍らむ」とのたまひてよみたまへるぞかし。 「をぐら山あらしの風のさむければもみぢのにしききぬ人ぞなき」。 申しうけ給へるかひありてあそばしたりな。御みづからものたまふなるは「作文の船にぞ乘るべかりける。さてかばかりの詩を作りたらましかば名の…520バイト (92,105 語) - 2023年8月18日 (金) 17:04
- の色いとこきが。枝ほそくて。かれはなに咲たる。ふぢのしなびながく色こく咲たる。いとおかしうめでたし。四月つごもり。五月ついたちごろのたち花の葉は。いとこくあをきに。花はいとしろくさきて。雨うちふりたる。つとめてはなべてならぬさまにおかし。花のなかより身のこがねのたま…431バイト (30,673 語) - 2022年6月8日 (水) 09:37
- の身にして大厦(たいか)高堂に居て何ひとつたらざることなけれど、むねに万巻のたくはへなく心は寒く貧くして曙覧におとる事更に言をまたねば、おのづからうしろめたくて顔あからむ心地せられぬ、今より曙覧の歌のみならで其(その)心のみやびをもしたひ学(まなば)ばや、さらば常の心の汚(よごれ)たるを洗ひ浮世の…342バイト (9,220 語) - 2021年9月26日 (日) 03:49
- の姿であったから、ただ折々襖越(ふすまご)しに、和尚の、そりゃ当人の望み通りにした方が好うがすななどと云う縁談に関する助言(じょごん)を耳に挟(さしは)さむくらいなもので、面と向き合っては互に何も語らずに久しく過ぎた。 ある時何かのついでに、話がつい人相とか方位とか云う和尚の…207キロバイト (40,023 語) - 2023年10月17日 (火) 13:43