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- もののふのやはきの里の跡とへは昔に成てしるよしもなし 今橋といへる所にとまりて。うき世の事どもおもひつらねて。 人なみにたゆたふことはいにしへも浮世渡りのかゝるいま橋 遠江の國濱名の橋のあたりになりて。 行末はさそな心もつくはねのみねとはまなの橋にかけはや 引間にといへる所にとまりて。…410バイト (2,459 語) - 2023年6月24日 (土) 06:51
- 長倉追罰記 編者:近藤瓶城 明治35年 1902年 『長倉追罰記』(ながくらついばつき) - “永享年中、足利持氏、常陸の長倉遠江守を退治するの記なり” -『改定史籍集覧総目解題』より 底本: 近藤瓶城 編『史籍集覧』第13冊,近藤出版部,明治39. 国立国会図書館デジタルコレクション:info:ndljp/pid/1920348…44バイト (1,525 語) - 2024年4月19日 (金) 07:07
- 天津人君にみよとてそめ色の山をわけてや富士となしけん 返々かたはらいたき事也。遠江國埴谷備前入道常純と云人。昔老僧に逢て歌など稽古せし人の遠江より武藏國へ越侍るが。我藤枝にありと聞て。旅なる所へたちより。むかしのことなど語てかへられしが。うつの山より人をかへして。彼蔦の葉を送られしに。…406バイト (2,703 語) - 2023年4月29日 (土) 01:06
- 天正三年亥八月廿日 平沢丹後判 大縄信濃判 高久播磨大山大膳田代遠江小林豊後阿久津信濃桜井専太郎小野崎小三郎富田大極院富田兵庫之介同修理之介清水大内蔵小堀五三郎関主計南条岩戸衛門平賀新五郎飯村出雲同左馬之介大座畑六郎…44バイト (4,378 語) - 2024年4月19日 (金) 07:10
- 忠兵衛、前日手に合はざるを無念に存じ、心を励まし討死仕る。我々も粉骨を竭し働き、藤田下知を強ひて用ひず候故、遠江備宜く相達し、御感に預り候。扨遠江守に、子は御座なく候と申上ぐる。 附榊原遠江守は、加藤清正の壻なり。此腹に子なく、外戚の腹に男子一人あり。密(かく)して知る人なければ押隠し、若江の働、…283バイト (27,286 語) - 2023年12月2日 (土) 18:35
- 軍に属して、英時を討。「行路難、不在山兮、不在水、唯在人情反覆之間」と、白居易が書たりし筆の跡、今こそ被思知たれ。 88 長門探題降参事 長門の探題遠江守時直、京都の合戦難儀の由を聞て、六波羅に力を勠せんと、大船百余艘に取乗て、海上を上けるが、周防の鳴渡にて、京も鎌倉も早皆源氏の為に被滅て、天下悉王…39キロバイト (9,646 語) - 2022年12月1日 (木) 08:01
- たひ〳〵御方において忠節をいたし観応常喜本庄の地頭職勲功の賞に下され此時一家繁昌興行堂興家 資俊〈任遠江守法名浄西六郎左衛門〉 将軍家に属しやい山蒲生野合戦に忠節をいたし散在得益名地頭職御新恩に御判を下さる其外度々の御感御教書の御判を戴く 高俊〈任遠江守法円常六郎左衛門大夫〉 秀遠〈六郎左衛門尉美濃守法名彦西〉…44バイト (1,633 語) - 2024年4月19日 (金) 06:25
- を立てて行きかつましも寝(い)を先立たね 3354 伎倍人の斑衾(まだらぶすま)に綿さはだ入りなましもの妹が小床(をどこ)に 右の二首は、遠江(とほつあふみ)の国の歌。 3355 天の原富士の柴山木(こ)の暗(くれ)の時ゆつりなば逢はずかもあらむ 3356 富士の嶺(ね)のいや遠長き山道を…37キロバイト (6,977 語) - 2019年4月2日 (火) 14:41
- 俣小輔二郎と一手に成て、二百余騎喚ひて懸られけるに、南遠江守被懸立て、旗を巻て引退くを見て、谷谷に戦ける兵共、十方へ落散ける間、一所に打寄事不叶して、百騎二百騎思々に落て行。され共三浦・石堂が兵共、余に戦くたびれて、さして敵を不追ければ、南遠江守は、今日の合戦に被打洩、左馬頭を具足し奉て、石浜を差…48キロバイト (11,304 語) - 2022年12月1日 (木) 07:59
- 浮世の有様 巻之十 天保十四年雑記 元日の天候米穀初相場今宮の蛭子祭盛場移転を命ぜらる盗賊減ず火消年番年寄に覚す衣服の驕奢を戒む女髪結厳禁阿部遠江守出府久須美佐渡守大阪町奉行となる女医の禁止独活筍の売買高島四郎太夫等江戸に召さる江戸出火井上河内守退役能役者に注意す僧侶を取締衣類に対する触書菓子…6キロバイト (1,675 語) - 2024年4月21日 (日) 13:57
- 兵衛佐殿の隠れ居られて候所をば委細に存知仕て候へ共、小勢にては打漏しぬと覚へ候。急一族にて候江戸遠江守と下野守とを被下候へ。彼等に能々評定して討奉候はん。」とぞ申ける。畠山大夫入道大に悦て、軈て江戸遠江守と其甥下野守を被下けるが、討手を下す由兵衛佐伝聞かば、在所を替て隔る事も有とて、江戸伯父甥が所…58キロバイト (13,940 語) - 2022年12月1日 (木) 07:59
- 遠江兄弟を討つて参るべきの旨、申付けられければ、越前、其座より、直に遠江宅へ参り、兄弟早速対面する。時に本庄越前家来屋羽木新助と申す者、越前用事申す体に御座敷へ出づる時に、越前抜打に遠江を切伏せける。遠江弟右衛門景治、心得たりとて、遠江□□刀抜いて、本庄に飛懸る。越前も立向ふ処に、遠江…560バイト (17,663 語) - 2023年11月26日 (日) 18:31
- 長・今河修理亮・岩松禅師頼有・高武蔵守師直・越後守師泰・同豊前守・南部遠江守・同備前守・同駿河守・大高伊予守、外様の大名には、小山判官・佐々木佐渡判官入道々誉・舎弟五郎左衛門尉・三浦因幡守・土岐弾正少弼頼遠・舎弟道謙・宇都宮遠江守・佐竹左馬頭義敦・舎弟常陸守義春・小田中務大輔・武田甲斐守・河超三河…74キロバイト (17,423 語) - 2022年12月1日 (木) 08:02
- れてかけらす斥候のせり合計也最初の先手は加藤遠江守前野但馬守たり両人相計て物見を出し敵のやうを見たるに日本の軍勢は多き時十万にこす事希なり近年秀吉の御人数こそ上古にも例なき大軍といへとも夫には猶増る四拾万に余る大軍なれは目もおよひかたき程也それによつて遠江守も但馬守も大に気をのまれて見えし所に敵勢の…44バイト (6,302 語) - 2024年4月19日 (金) 06:47
- つきたる里人の、今更ゐうかれむこそかの伏見の里ならねども、あれまく惜しくおぼゆれ。 「覺束ないざ豐河のかはるせをいかなる人の渡りそめけむ」。 參河遠江のさかひに、高師の山と聞ゆるあり。山中に越えかゝる程に、谷川の流れ落ちて、岩瀨の波ことごとしくきこゆ。境川とぞいふ。 「岩づたひ駒うちわたす谷川の音もたかしの山に來にけり」。…711バイト (8,238 語) - 2023年8月17日 (木) 13:59
- 相止㆒候事。一、来る晦日は殺生の儀停止申付け候事。右の通り三郷町中可㆓触知㆒者也。 卯正月廿六日〈若狭遠江〉 北組 総年寄 【阿部遠江守出府】西町奉行阿部遠江守殿、御改革の儀に付、剪紙を以て被㆑為㆑召、当月晦日立にて出府ある。与力内山彦三郎供にて罷下りしと云ふ事な…85バイト (17,504 語) - 2024年3月24日 (日) 11:52
- 日さかりはかたはたぬきて旅人の汗水になるかたひらの里 平塚にて。 あはれてふたか世のしるし朽はてゝ形見もみえぬ平塚の里 このかたびら(ひらつかイ)のかたへにて。そのかみ三浦遠江入道定可世を遁れて身まかりしといひつたふばかりにて。しれるものなかりけり。大磯にいたりて。 草枕をき行露も大磯の浪かけ衣ほしそわひぬる こゆるぎの磯にて。…462バイト (1,751 語) - 2021年8月12日 (木) 04:03
- 時ありてみはやす君か御代なれやふしの高根も猶重ねつゝ 御返し 熈貴 今ははや君そみはやす時しらぬ山とはふしの昔なりけり みてたにも心およはぬ不二のねを都のつとにいかゝ語らむ 還御。遠江鹽見坂にて御詠。 いまそはや願みちぬるしほみさか心ひかれしふしを眺めて 嬉しさも身にあまるかなふしのねを雲の衣の外になかめて 御かへし 範政…406バイト (1,689 語) - 2022年3月28日 (月) 12:17
- 一、信長代になり、三十年奉公を遂ぐるの内に、佐久間右衛門、比類なき働きと申し鳴らし候儀、一度もこれあるまじき事。 一、一世の内、勝利を失はざるの処、先年、遠江へ人数遣し候刻、互に勝負ありつる習、紛れなく候。然りといふとも、家康使をもこれある条、をくれの上にも、兄弟を討死させ、又は、然るべき内の者打死させ候…6キロバイト (1,307 語) - 2023年6月24日 (土) 06:58
- 織田氏代々の根城は尾張の淸洲で、信長も、初めはここにゐました。永祿三年、駿河の今川義元が、大群を率ゐて、尾張に攻め入りました。義元は、遠江・三河を從へた勢に乘じ、更に織田氏を破つて、一氣に京都へのぼらうとしたのです。信長は、淸洲の城で、家來たちと夜話に興じてゐましたが、このしらせを受け…719バイト (3,754 語) - 2015年12月20日 (日) 01:41