今井軍記
俊綱自泉始今井住
今井九郎進士入道但円
承久の戦場において俊綱勢多をかたむ熊谷小次郎橋のゆきけたを渡り川中にて行合くんて水に入水底にて頸を取て上る院方うちまけたるの間高名すといへ共勲功の賞に不及結句そとの浜へ遠流せらる
資綱
今井六郎入道法名参阿
宗俊〈藤六左衛門法名浄雲〉
遠俊〈六郎左衛門法名西阿雲西〉
たひ〳〵御方において忠節をいたし観応常喜本庄の地頭職勲功の賞に下され此時一家繁昌興行堂興家
資俊〈任遠江守法名浄西六郎左衛門〉
将軍家に属しやい山蒲生野合戦に忠節をいたし散在得益名地頭職御新恩に御判を下さる其外度々の御感御教書の御判を戴く
高俊〈任遠江守法円常六郎左衛門大夫〉
秀遠〈六郎左衛門尉美濃守法名彦西〉
将軍家に属し土岐康幸を御退治のとき濃州御発向秀遠廿九歳にして軍奉行を承はり翌年山名氏清謀反之時嘉例にまかせて軍奉行いたし度々忠節常喜新庄の下司職を勲功の賞に下され御判を戴く三十六歳にして上意に依て応永四年六月七日於御前入道せしめ了
詮遠〈権六任美濃守法名雲定〉 光遠〈越中守法名専西〉
高遠〈美濃守法名円西〉
当国諸侍に赤松常陸彦五郎謀反に同心せしめ国一揆と号し上意を違背せしむといへとも高遠一人同心せしめす為上意宝生寺殿生観御下向を相待申私宅に五十ヶ日御座あり月瀬御退治を加へられし時七百三十余人御被官に参り其時十三条郷地頭職仰付られ出雲国佐田庄朝山分本領たるの間返下され又当国守護職御拝領時六角殿御取合御合戦一族家子郎等討死仕所々におゐて合戦御敵あまた頸を取子其をはしめて同名親類郎等疵をかうむる忠節によつて佐々木本郷□□仰つけられ其外所々拝領仕一族近付御給恩申沙汰し了
文明元年七月廿八日押立城切入目賀田藤左衛門頸取又次年黒橋におゐて合戦島郷望月村島服部五郎左衛門大原捶井頸取何も御感状有之
又応仁元年中務少輔殿正覚院殿六角殿御取合十月十八日御下向十二月十三日まて私宅にまし〳〵御供仕下ノ手仰付られ北郡磯野寄族衆同道仕下安食に陣取高瀬城攻落御敵数十人の頸取次の年甲賀御出陣仰付られ大佐治南山に固む
【 NDLJP:63】秀遠〈備中守法名成井〉
応仁元年山名殿御退治のとき五月廿六日大宮合戦におゐて御方こと〳〵く退散せしむといへとも秀遠一人懸合一条もとり橋におゐて合戦仕御敵あまた打とり追返す家子郎等五十余人疵をかうむる同六月二日芝薬師堂におゐて合戦いたし秀遠疵をかうむる一族郎等七十余人手を負同七月廿三日獄門におゐて合戦いたし武内没す当方出雲勢を城内より切出御方退散のとき秀遠横合に懸合御敵あまた討取城内追返し郎等河尻七郎左衛門討死秀遠弟八郎五郎疵をかうむる惣大将右京大夫殿御一覧状御誇判頂戴仕
同十月四日相国寺合戦北小路におゐて合戦いたし秀遠疵をかうむる八郎五郎一族家子郎等百余人疵をかうむる数度御感状有之又御当方取合文明三年二月廿八日米原山におゐて合戦岩脇駿河入道討死同日家子郎等数多討死
文明四年八月十一日堀次郎左衛門城合戦に多賀蓮台坊赤尾左京亮伊藤民部丞其外数十人頸を取兄弟同名一族郎等疵をかうむる忠節をいたし何茂御感御書多賀豊後守高忠証判等有之忠賞として法勝寺十三条郷の地頭職同十五条郷領家方忍海庄本所方神郷開発して下さる八郎五郎箕浦庄地頭職朝妻庄家方法勝寺十三条郷家方下さる其外同名一族衆何茂御給恩申沙汰せしめ畢ぬ
明応五年六月廿七日宮部合戦におゐて次男藤七討死
文明十八年多賀宗直御退治加へらるゝとき御方いたし牢籠仕三雲より御出陣以前九月廿八日数輩の近付相催磯野より在所にうち入堀次郎取合御着陣待たてまつり十二月二日堀の城に切入八郎五郎太刀打し数ヶ所疵をかうむり鹿目平左衛門尉上津次郎以下御敵数多頸取忠賞に依て富永庄十七八条領家方預所共に被下之八郎五郎忠賞として朝妻庄本所方宇賀野弥次郎跡被下之長亨元年五月国友河原合戦赤尾新左衛門三木九郎左衛門箱根弥八富永掃部助古沢次郎右衛門以下頸を取其外両度御動座御出陣御供仕忠節いたし了
清遠〈左衛門尉法名長西〉
明応五年六月治部少輔殿御出陣とき中務少輔殿弥高寺にまします御とき多賀新左衛門尉経忠に一陣仕桃原に在陣すといへとも経忠治部少輔殿へ参らるゝ間清遠一身引切弥高寺の御陣へ馳参り同七月十一日伊底出羽守大清水山に陣取清遠人衆在所返遺南道路を取切毎日数多敵を討取出羽守退散のとき清遠追懸醒井の長場磨針におゐて合戦いたし随分の頸四十余討取一身高名由御感状在之
清遠妹〈ハ新庄与三母〉
右今井軍記入葉以新庄内匠所蔵本写之
元禄八年乙亥三月 佐々宗淳伝借
右壱巻以水戸彰考館本謄写之
明治十七年七月 近藤瓶城
明治三十五年二月再校 近藤圭造
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