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  • 尾張守をば、範家が只一矢に射殺したるぞ、続けや人々。」と呼りければ、引色に成つる官軍共、是に機を直し、三方より勝時を作て攻合す。尾張守の郎従七千余騎、しどろに成て引けるが、或は大将を打せて何くへか可帰とて、引返て討死するもあり。或は深田に馬を馳こうで、叶はで自害するもあり。されば狐
    56キロバイト (13,597 語) - 2022年12月1日 (木) 08:00
  • 尾張守高経差塞で人を不通。近江の国も、小笠原信濃、野路・篠原に陣を取て、湖上往返の舟を留めける間、只官軍朝暮の飢を嗜むのみに非ず、三千の聖供の運送の道塞て、谷々の講演も絶はてゝ、社々の祭礼も無りけり。山門角ては叶まじとて、先江州の敵を退治して、美濃・尾張
    87キロバイト (21,167 語) - 2022年12月1日 (木) 08:02
  • 尾張は千騎斗持たる故、聟にても長野信濃手に廻(まはら)ざると心得、今一人の聟図書は尾張よりは、少身者成故、信濃被官に候間、図書と信濃談合して小幡尾張を押出すを以て如㆑此庚申九月中に、信州上州の境なんもくと云ふ所に、要害を拵へ右尾張守を指おかる尾張守
    297バイト (10,107 語) - 2024年2月2日 (金) 18:07
  • ・子息三河三郎・石堂入道・其子中務大輔・同右馬頭・桃井修理亮、上杉伊豆・同民部大輔・細陸奥顕氏・同形部大輔頼春・同式部大夫繁氏・畠山左京大夫国清・同宮内少輔・足利尾張右馬頭高経・舎弟式部大夫時家・仁木太郎頼章・舎弟二郎義長・今修理亮・岩松禅師頼有・高武蔵師直・越後師泰・同豊前
    74キロバイト (17,423 語) - 2022年12月1日 (木) 08:02
  • になりぬ。此時山門の大衆、皆旧好を以て内々心を通せしかば、先彼比叡山に取上て、南方の官軍に力を合せ、京都を責られん事は無下に輒かるべかりしを、足利尾張守高経、猶越前の黒丸城に落残てをはしけるを、攻落さで上洛せん事は無念なるべしと、詮なき小事に目を懸て、大儀を次に成れけるこそうたてけれ。五月二日義貞…
    52キロバイト (12,816 語) - 2022年12月1日 (木) 08:00
  • 筑後には宮方蜂起すといへ共、東国は無程静りぬ。去年より畠山入道々誓・舎弟尾張守義深、伊豆の修禅寺に楯篭て東八箇国の勢と戦けるが、兵粮尽て落方も無りければ、皆城中にて討死せんとす。左馬頭殿より使者を以て、先非を悔て子孫を思はゞ、首を延て可降参由被仰けるを、誠ぞと信じて道誓は禅僧になり、舎弟尾張守
    53キロバイト (13,017 語) - 2022年12月1日 (木) 07:59
  • 尾張守昔のごとくくにみねの城へ帰参して前代の所領本地被㆑下候故上野に小幡尾張守、信州に真田弾正入道一徳斎、是両人は信玄公の御譜代同意に御為を存奉る就㆑其信玄公右両侍大将を御心やすく思召なり、小幡尾張守やうすありて、上総になされ小幡上総と名乗事永禄十一戊辰年より如㆑此候以上…
    297バイト (10,916 語) - 2024年2月2日 (金) 18:08
  • を右にみて、湯本の内かざまつりに陣取なさるゝ、去程に、小田原町屋の事は不㆑及㆑申、侍衆の家、皆焼つるに、松田尾張守屋布はかり残りたるを、信玄公きこしめし、我が屋敷ばかり、やかせざると、松田尾張ゐんげん申べきこと必定なり、是をやき残したるを機にかけて、信玄公被㆑仰、そこにて馬場申は、此度某は、信州御留…
    297バイト (5,624 語) - 2024年2月2日 (金) 18:08
  • 尾張守に力を付よとて、同四月十一日、畠山式部大夫・今伊予・細左近将監・土岐宮内少輔・小原備中・佐々木山内判官・芳賀伊賀・土岐桔梗一揆・佐々木黄一揆、都合其勢七千余騎、重て紀伊路へぞ向られける。中にも芳賀兵衛入道禅可は我身は天王寺に止られて、嫡子伊賀
    48キロバイト (11,581 語) - 2022年12月1日 (木) 07:59
  • 長朝・毛利上総介広俊・大関阿波親益四頭なり。浮武者は、本庄美作慶秀・斎藤下野朝信・松川大隅元長・中越前藤資・黒川備前為盛・新発田尾張守長敦・杉原壱岐憲家・下薩摩守・加地但馬・新津丹波・須賀但馬・鬼小島弥太郎・鬼山吉孫次郎・黒金治部・直江入道・山岸宮内・柏崎日向
    809バイト (8,842 語) - 2023年11月26日 (日) 19:49
  • 自尽信盛自尽小山田大学助自尽城兵悉く戦死す 勝頼新府中落の事 勝頼新府落去新府城を焼く勝頼夫妻栢尾に到着   甲乱記下 小山田出羽守心替并勝頼最後の事 勝頼、駒飼に籠る小山田叛逆甘利・大熊・秋月等逆心信茂の平生秋山の凶悪最後まで随従の忠臣勝頼と麟岳跡部尾張守
    102キロバイト (20,622 語) - 2024年5月6日 (月) 02:14
  • ならねば、東西南北に入乱て、同士打をする事数刻也。大敵を謀るに勢ひ久からざれば、郎等四騎皆所々にて被討ぬ。筑前は被押隔ぬ。則祐は只一騎に成て、七条を西へ大宮を下りに落行ける所に、印具尾張守が郎従八騎追懸て、「敵ながらも優く覚へ候者哉。誰人にてをはするぞ。御名乗候へ。」と云ければ、則祐馬を閑に打て、…
    53キロバイト (12,774 語) - 2024年4月7日 (日) 20:28
  • 、九寸五分の刀を抜、左の脇より右の乳の下迄引廻す所を、豊前後より主の首を打落す、其太刀を取直し、己か心もとへ、鍔本迄指貫てそ失にける、誉ぬ人こそなかりけれ、其外三戸治部少輔をは永安寺の内、平雲庵と云寺にて、長尾出雲討てけり、海老名尾張守人道は、六浦引越の道場にて自害しぬ、其弟上野介をは、上杉大…
    47バイト (16,335 語) - 2024年4月5日 (金) 23:08
  • 清氏と内々怨を含事有しに依て、遂に君臣豺狼の心を結ぶとぞ聞へし。先加賀国の守護職は、富樫介、建武の始より今に至るまで一度も変ずる事無して、而も忠戦異他成敗依不暗、恩補列祖に復せしを、富樫介死去せし刻其子未幼稚也とて、道誉、尾張左衛門佐を聟に取て、当国の守護職を申与んとす。細河相摸
    44キロバイト (10,681 語) - 2022年12月1日 (木) 07:59
  • 尾張守・同肥後守・同右兵衛太夫・北条新三郎・狩野入道・北条常陸・同治部少輔・五島伊賀・大道寺駿河・多目周防守・荒豊後・橋本次郎右衛門尉・下田下総・千葉介国胤・原式部大輔・高木越前・笠原能登・大石信濃・内藤大和
    3キロバイト (70,791 語) - 2024年2月3日 (土) 11:08
  • 四月上旬紀州龍門山ニ於テ合戦官軍ハ四条中納言隆俊卿ノ従兵ナリ畠山入道カ弟尾張守義深以下東国ノ軍勢数万人発向暫時合戦武家方敗北死人生捕数ヲシラスト云々 同八日関白殿教基公俄ニ観心寺ノ皇居エ伺候午ノ刻南都ヲ御出急ニ被召ニヨツテト云々 同十一日東国ノ軍勢数万人重テ紀州へ発向畠山尾張守敗北ニヨツテ援ケノ勢ヲ乞ニヨツテナリト云々十三…
    47バイト (20,390 語) - 2024年4月5日 (金) 23:05
  • 尾張左衛門佐、五百余騎にて東寺を打出、一条・二条の間を二手に成て打廻る。是を見て細川相摸清氏・佐々木黒田判官、七百余騎にて東山よりをり下る。尾張左衛門佐が後陣に朝倉下野が五十騎許にて通りけるを、追切て討んと、六条河
    58キロバイト (13,940 語) - 2022年12月1日 (木) 07:59
  • 中国毛利家の事 三八 惟任日向謀叛の事 三八 安土の沙汰の事 四〇 家康公の事 四〇 滝川左近将監一益の事 四〇 尻肥前が事 四〇 同妻子の事 四一 秀吉公中国御引取の事 四一 光秀滅亡の事 四二 信長公御跡式並領地割符の事 四三 御葬送御法事の次第 四三 長岡越中忠興の事 四四 奥州伊達家の事 四四…
    177バイト (5,325 語) - 2024年2月3日 (土) 17:26
  • 盗人ノタハカリニテアラントテ只打コロセト扣殺シタルト申ケル丹羽五郎左其首ニクヒツキ歯キシミヲシテ汝ヨ活シテナフリ殺サンモノヲト申サレケリ死骸ヲ取寄セ首ヲツギ車ニノセ洛中ヲ引廻シ三条河原ニ逆ハリツケニ掛タリケル斎藤内蔵介モ車ニノセ洛中ヲ引マハシ三条河
    44バイト (6,397 語) - 2024年4月19日 (金) 06:37
  • 長朝・毛利上総介広俊・大関阿波親益四頭なり。浮武者は、本庄美作守重清・斎藤下野守利実・松川大隅元長・中越前勝政・黒川備前為盛・新発田尾張守治時・杉原壱岐憲家・下薩摩守・加地但馬・新津丹波・須加但馬・鬼小島弥太郎・山吉小次郎・黒金治部・直江入道・山岸宮内・柏崎日向・大崎銃前
    665バイト (13,082 語) - 2023年11月26日 (日) 20:18
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