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  • 、又余儀もなく申されければ、桃井播磨守、「某も如此存候。面々はいかに。」と申されければ、諸大将皆理に服して、悉此儀にぞ同じける。去程に奥勢の先陣、既垂井・赤坂辺に著たりけるが、跡より上る後攻の勢近づきぬと聞へければ、先其敵を退治せよとて、又三里引返して、美濃・尾張両国の間に陣を取らずと云処なし。後攻…
    43キロバイト (10,297 語) - 2022年12月1日 (木) 08:02
  • 時・同左近蔵人・熊谷備中守直鎮・佐々木三郎左衛門秀綱・山内五郎左衛門信詮等以下なり。扨垂井の宿に着き給ひて、長者が家を借りて皇居となし、官軍の面々は、四辺の在家に宿を取りて皇居を警固し奉りてありけるが、其後、又垂井を立ちて、池田郡に来り、瑞岩寺を皇居となしておはしましける。其翌年の春、尊氏将軍の上洛…
    177バイト (7,611 語) - 2024年2月13日 (火) 16:22
  • 野丹波守二番に三田村左衛門大夫野村肥後守同兵庫頭三番は堀遠江守四番は大野木土佐守五番は長政御旗本跡勢の大将には阿閉淡路守西野壱岐守なりかくて先勢はや垂井赤坂に着陣し近き在々所々を放火す稲葉山には此注進を聞よりも物頭共集りとやせんかくや有んと評議す中にも永井隼人進出申けるはとにもかくにも此国の滅亡今此…
    81バイト (6,275 語) - 2024年3月25日 (月) 14:26
  • 丸毛主殿助永井隼人に被㆓仰付㆒軍勢一万二千余騎の着到にて大永​本マヽ​​□​​ ​年九月十八日に居城岐阜を立て其日は同国大垣に旗本をすゑたまへは先陣垂井の宿に着陣すかくて亮政此旨を聞給ひ敵近江路へ越なは小勢を以て大軍防かたしいさ打立んと催し給へと味方の軍兵山城守一万二千の着到にて押寄ると聞進みかねて…
    81バイト (7,100 語) - 2024年3月25日 (月) 14:25
  • る災害で、福島県双葉郡川内村及び奈良県吉野郡川上村の区域に係るもの 平成二十年九月二日及び同月三日の豪雨による災害で、岐阜県本巣市、不破郡垂井町及び揖斐郡揖斐川、三重県いなべ市並びに滋賀県東近江市の区域に係るもの 平成二十年九月三日から十月三十日までの間の地滑りによる災害で、北海道中川郡中川町の区域に係るもの…
    10キロバイト (622 語) - 2018年6月3日 (日) 19:30
  • 縁光寺村 野戸村 大石村長谷川半四郎知行所 笠毛村 梅谷村〈神万吉知行所〉 市丸村 荒井村別所孫右衛門知行所 府中村 栗原村 島村 表佐村 宮代村 垂井宿 綾戸村 荒川村 久法村 塩田村 綾野村 室原村 今須宿 小笠木村 檜木村 坂井村 福田村 熊野村 吉良村 香座村 中原村 色原村 高田村 養老村…
    177バイト (6,038 語) - 2024年2月13日 (火) 16:25
  • て河田の渡口まで来る所、藤堂佐渡守、何れも先立ちて、一戦を初むる内に、後勢追々に続くを見、爰にて岐阜落城を聞いて、敵、大垣へ引入る。味方勝に乗じて、垂井・関ケ原・山中辺まで所所放火し、赤坂に至りて陣取り、翌日虚空蔵山に附城を構へて、人数を籠むる。爰にて小攻合多し。…
    248バイト (17,424 語) - 2023年12月2日 (土) 18:51
  • 騎、九月十一日前陣已に能登国へ発向す。吉良三郎・石堂も、四月二十七日に駿河国を立て、路次の軍勢を駈催し、六千余騎を卒して、五月十一日に先陣已に美濃の垂井・赤坂に著しかば、八幡に力を勠せんと遠篝をぞ焼たりける。是のみならず信濃の下の宮も、神家・滋野・友野・上杉・仁科・禰津以下の軍勢を召具して、同日に信…
    48キロバイト (11,304 語) - 2022年12月1日 (木) 07:59
  • 要害にてありける所、関ヶ原の合戦の節には、筑前中納言秀秋の居城なりしと申伝へたり。野上川の西、土手の下り江の左の方に、弘法大師の腰掛石といふあり。扨垂井宿より東青野が原に出でて、左の方にある松の古木を、熊坂が物見の松といふなり。尤古の長範が登りたる物見の松にあらじ。二代目の松なりとぞ。里人の申しける…
    177バイト (8,169 語) - 2024年2月13日 (火) 16:24
  •      江戶を出るとて     旅人と我名呼ばれん初時雨     石に置て香爐をぬらす時雨哉      自畫讃     寺開く坊主の形や初時雨      美濃垂井矩外が許にて     作り木の庭をいさめる時雨哉     蔦の葉の時雨に時雨降る夜哉     一尾根はしぐるゝ雲か不二の雪     上野から時雨れて來るや車坂…
    391バイト (18,319 語) - 2019年9月28日 (土) 21:54
  •   羽柴筑前守秀吉、尾州表出勢之起は、津川玄番允、岡田長門守、浅井田宮丸、為㆓秀吉㆒誅せられし事を不便に思ひ、其鬱憤を散せんが故とかや、先勢、濃州垂井赤坂巣俣辺に着陣しけれは、後陣は未醍醐山科宇治勢多辺に充満して、大坂の御一左右を待居たり、前後其勢十二万五千の着到とそ聞えし、秀吉卿三月廿一日大坂を…
    75バイト (10,906 語) - 2024年3月25日 (月) 14:32
  • さし給へば、「巴猿一叫停舟於明月峡之辺、胡馬忽嘶失路於黄沙磧之裏。」と古人の書し征路の篇も、今こそ被思知たれ。是より東は路次の煩も無りしかば、美濃の垂井の宿の長者が家を皇居にして、義詮朝臣以下の官軍皆四辺の在家に宿を取て、皇居を警固し奉りけり。 270 山名伊豆守時氏京落事…
    60キロバイト (14,507 語) - 2022年12月1日 (木) 07:59
  • 誅伐の為めに、真田表へ御出陣ありける。美濃国大垣の城には西国方の福原右馬助大将として、しか〴〵の侍(さふらひ)楯籠(たてこも)る所を、中村一学、家康垂井(たるゐ)に著き給ふを見て、九月十四日の晩(ばん)、大垣の城を攻めけるに、城の内にも、さすが待ち設けたる事なれば、城の外へ打つて出で、火花を散らし戦…
    5キロバイト (22,927 語) - 2024年2月5日 (月) 07:57
  • 是に載せて、病人の体に見せ掛け、其年の十月廿九日、白【 NDLJP:148】樫村を夜深に昇き出でて粕川を渡り、赤坂の宿に出で、上方指して上りけるに、垂井と関ヶ原には、新関を構へて、厳しく守り居けるを、五右衛門、病人なりとかこつけて、数ヶ所の関を通り抜け、其夜は江州鳥居本に泊り、其翌日十一月朔日には、…
    177バイト (10,377 語) - 2024年2月13日 (火) 16:23
  • 森法印・同出雲守・田中兵部、中筋は黒田甲斐守・加藤左馬介・羽柴越中守、又南宮山に居陣する中国・四国の勢共の押へには、池田三左衛門・浅野左京両手の備を垂井近辺に残し給ふ也。又押勢と御旗本の間に雪吹河原には、本多中務同勢一手を残し給ふ也。九月十五日朝霧深く小雨ふり、合戦辰の刻に初る。其の節霧も晴れ退く。…
    177バイト (14,494 語) - 2024年2月3日 (土) 17:28
  • 森山に打出でしが、江州より注進しければ、六角右京大夫満高、八千余騎の討手を堺より差下すと聞きて、土岐宮内少輔と一つにならんとて、美濃国に越ゆる所に、垂井にて一揆に討たれて、主従二騎になりて、行方知れず落失せぬ。十二月廿二日卯刻に、誠の矢合なり。寄手の方より、大なる三毬杖を作り、之に火を付けて、城の櫓…
    4キロバイト (28,541 語) - 2024年2月3日 (土) 11:08
  • を継ぎ、廃れたるを興して、世々美名を施す。其子常緑、又下野守と号す。能く歌道を伝へたり。春王・安王は虜(いけど)られ、長尾因幡守、京都へ送つて、濃州垂井の道場金蓮寺にて之を戮せらる。結城氏朝が季子成朝、常陸へ出奔して隠れ、後に結城の家を継ぐ。持氏公の四男永寿王、〈後に佐兵衛佐成氏と号す、〉右の節七歳…
    248バイト (20,106 語) - 2023年12月2日 (土) 18:35
  • にて嘉吉(かきつ)元年辛酉(かのとのとり)。四月十六日結城の城をせめ落(おち)し両若君(わかぎみ)を。生捕(いけどり)奉り終には。濃州(じやうしう)垂井(たるゐ)の道場(だうじやう)にて。同き年の秋。勅使(ちよくし)下り。春王殿。康王殿自害(じがい)し給ふ事 一文安(ぶんあん)の比まで。関東(くわん…
    198バイト (21,098 語) - 2023年11月20日 (月) 00:09
  • 聞いて、某病身なれども、遥々、奥州へ下らんと思ふも、天下無為の為めなれば、暴虎馮河の族に言を尽さんにはと、佐和山を出で、濃州垂井迄赴きしが、流石年月交りし情も、今更捨難く、垂井に三日逗留して、平塚因幡守と相談して、種々に諫言し、関東へ下向あつて然るべしと、再三強ひて申せども、三成終に承引せず。吉隆は…
    3キロバイト (116,549 語) - 2024年2月3日 (土) 18:43
  • 302 岐南 24,625 303 笠松 22,754 340 養老郡 29,036 341 養老 29,036 360 不破郡 34,985 361 垂井町 27,564 362 関ケ原 7,421 380 安八郡 44,017 381 神戸 19,286 382 輪之内 9,976…
    66キロバイト (389 語) - 2018年3月30日 (金) 14:48
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