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- 、我に太刀打んと思人は、恐くは不覚。」と申程の大力の剛の者なれ共、差たる事もせで力のある甲斐には、人より先に逃たりけり。 289 二度紀伊国軍事付住吉楠折事 紀伊国の軍に寄手若干討れて、今は和佐山の陣にも御方怺へ難しと云たりければ、津々山の勢も尼崎の大将も、興を醒し色を失ふ。され共仁木右京大夫義長…48キロバイト (11,581 語) - 2022年12月1日 (木) 07:59
- り。中にも石堂四郎入道は、近年高倉殿に属して、薩■山の合戦に打負て、無甲斐命計を被助、鎌倉に有けるが、大将に憑たる高倉禅門は毒害せられぬ。我とは事を不起得。哀謀反を起す人のあれかし、与力せんと思ひける処に、新田兵衛佐・同少将の許より内状を通じて、事の由を知せたりければ、流れに棹と悦て、軈て同心してけ…48キロバイト (11,304 語) - 2022年12月1日 (木) 07:59
- 山に響て聞へければ、志賀・唐崎の寄手十万余騎、東坂本の西穴生の前へ押寄て、時声をぞ揚たりける。爰にて敵の陣を見渡せば、無動寺の麓より、湖の波打際まで、から堀を二丈余に堀通して処々に橋を懸け、岸の上に屏を塗、関・逆木を密しくして、渡櫓・高櫓三百余箇所掻双べたり。屏の上より見越せば、是こそ大将の…87キロバイト (21,167 語) - 2022年12月1日 (木) 08:02
- の城を責落して同時に鎌倉へ寄んと、大手の相図をぞ待たりける。討手の大勢已に京を立ぬと鎌倉へ告ける人多ければ、左馬頭直義・仁木・細河・高・上杉の人々、将軍の御前へ参じて、「已に御一家傾申されん為に、義貞を大将にて、東海・東山の両道より攻下候なる。敵に難所を被超なば、防戦共甲斐有まじ。急矢矯・薩■山の…74キロバイト (17,423 語) - 2022年12月1日 (木) 08:02
- の大将足利殿は、桂河の西の端に下り居て、酒盛してぞおはしける。角て数刻を経て後、大手の合戦に寄手打負て、大将已に被討ぬと告たりければ、足利殿、「さらばいざや山を越ん。」とて、各馬に打乗て、山崎の方を遥の余所に見捨て、丹波路を西へ、篠村を指て馬を早められけり。爰に備前国の住人中吉十郎と、摂津国の…56キロバイト (13,597 語) - 2022年12月1日 (木) 08:00
- の侍大将ども弓矢功者の衆なれば、氏康が人数をつもり草臥たる所へかゝつて氏康をうたんとて合戦場をおしよすれども氏康は松山の城へ堅固にこもられたるときゝ流石の功者なる侍大将どもなりといへども上杉敗軍して大将なき故、僉義(せんぎ)区々なる所へ北条の上総守川越の城を払つて出て上杉家をお…297バイト (10,107 語) - 2024年2月2日 (金) 18:07
- お山堺と申所に、陣取後詰を待給ふなり、或る時城より追手池の壇へ備を出し足軽有、小笠原内渡辺金大夫、林平六、吉原又兵衛、伊達与兵衛、小池左近などゝ申者、心ばせを仕る内藤修理同心の内に、手柄の武士多く、駿河先方には、岡部治部是は岡部次郎右衛門弟なるが、信玄公味方が原合戦の…297バイト (6,181 語) - 2024年2月2日 (金) 18:16
- 昔日北花録 (カテゴリ 日本の近世文学)の人々は、蓮沼に寄合ひ、夫より倶利伽羅山へ押上る。射水郡の者共は、放生沢に勢揃して、各加賀へ打入らんと、五【 NDLJP:129】月廿八九日、牢人の頭阿曽孫八郎・小杉新八郎先陣として、森下竹橋辺まで打つて来る頃、河北の一揆蜂起し、英田光済寺大将として之を支へ、一戦して打勝ち、倶利伽羅山の…4キロバイト (33,938 語) - 2024年2月3日 (土) 11:09
- の大将として都合其勢九千三百余騎の着到にて十七日辰の一天に観音城を立て佐和山表へ進発すはや前勢は清水村平田辺まてみち〳〵たりそれより二手にわけ一手は上道佐和山海道へ打むかふ一手は海手へおしまはす上道の士大将には進藤山城守なり相つゝく人々には伊庭日賀多三上蒲生永原四千余騎にてかけむふ海手の大将…81バイト (6,777 語) - 2024年3月25日 (月) 14:08
- [詞書]内侍のかみの右大将ふちはらの朝臣の四十賀しける時に、四季のゑかけるうしろの屏風にかきたりけるうた そせい法し 山たかみくもゐに見ゆるさくら花心の行きてをらぬ日そなき やまたかみ-くもゐにみゆる-さくらはな-こころのゆきて-をらぬひそなき 00359 [詞書]内侍のかみの右大将ふちはらの朝臣の…8キロバイト (1,515 語) - 2019年3月25日 (月) 23:19
- の際を不知者は幾千万と云数を不知。血は草芥を染、尸は路径に横はれり。され共城の体少もよわらねば、寄手の兵多くは退屈してぞ見へたりける。爰に此山の案内者とて一方へ被向たりける吉野の執行岩菊丸、己が手の者を呼寄て申けるは、「東条の大将金沢右馬助殿は、既に赤坂の城を責落して金剛山へ被向たりと聞ゆ。当山の…42キロバイト (10,318 語) - 2022年12月1日 (木) 07:58
- 謙信家記 (カテゴリ 日本の近世文学)松山城攻附山根城攻の事 武田信玄公・北条氏康公、両旗合せて上下四万四千余にて、武州松山の城へ押寄せ、十重二十重に囲みて攻めらる。城主友定、城を明渡す。此城、越国の輝虎公の旗下の城なり。落城二日過ぎて、輝虎公、上州前橋の城に着き給ふに、早や松山落城なり。輝虎公、太田三楽といふ侍大将に向つて、事の…601バイト (17,701 語) - 2023年11月26日 (日) 18:32
- 大将として、代々の主君宰相中将殿を亡さんとし給ふ不叶。是只其理に不当大将を立て、或は父兄の道を違へ、或は主従の義を背く故に、天の譴あるに非ずや。されば古も世を取んとする人は、専ら大将を撰びけるにや。昔秦の始皇の世を奪んとて陣渉と云ける者、自ら大将の印を帯て大沢より出たりしが、無程秦の…45キロバイト (10,948 語) - 2022年12月1日 (木) 07:59
- のわけもなく、武士手がらのあさきふかきせんさくもなくよきひいきおほくもつ人を能と申、如㆑件よろづをさたして、ゑりもとにつき、足もとのよわきをはやく捨強き方へ付、軽薄なる故、大将の被㆑成し事をば何たる悪き儀をも、能事かなとほむるは、其家の大将…297バイト (4,915 語) - 2024年2月2日 (金) 18:17
- の手を防んと、住吉の浦の南に陣を取。土岐周済房・明智兵庫助・佐々木四郎左衛門、其勢三千余騎にて、安部野の東西両所に陣を張る。搦手の大将細川陸奥守は、手勢の外、四国の兵五千余騎を率して、態と本陣を不離、荒手に入替ん為に、天王寺に磬へたり。大手の大将…38キロバイト (9,440 語) - 2022年12月1日 (木) 08:00
- の軍に江南勢に味方破らるゝ事偏に江北の侍共皆老したると申もはてさるに赤尾美作守清綱進み出て申けるは兎角武者と鷹は使手によるものにて候武者のわさにて更になし大将により申候今も亮政公ほとの大将候はゝ我々もいにしへに気力少もおとり不㆑申候共唯大将武者の…81バイト (8,535 語) - 2024年3月25日 (月) 14:26
- 異本小田原記 (カテゴリ 日本の近世文学)の為に、他国の武田信玄を引出す。信玄大に悦び、うつぶさ通りに松野といふ処より、由井の宿へ出張す。氏真も清見寺へ出向ひ、庵原安房守・新野式部少輔、先手の大将として、薩埵山・倉沢の辺、千五百騎出張す。同十二月十二日、矢合あるべしと定めし所に、駿河の侍大将朝比奈兵衛太夫・葛山・今河の…3キロバイト (70,791 語) - 2024年2月3日 (土) 11:08
- の綾錦、目も輝くばかり立ち重ねたり。左右の大将 忠家実基 の番長、又心も詞も及ばず、いどみ尽したり。左大将のは馬にて前行、右大将のは張綱にて、移し馬をひかせけるとぞ。左大将は、紅梅の二重織物の半臂下がさね、萌黄の織物の上の袴、右大将は、うら山吹の半臂下がさね、左衛門の督は、梅がさねのうき織物の…424キロバイト (97,325 語) - 2022年10月1日 (土) 01:23
- 山の辺心元なしと火をかけ火矢を放ち焼はらふ猛火の中より白旗押立大将と思しきもの蘆毛の馬に金覆輪の鞍をゝき赤地の錦の直垂に緋威の鎧を着し鞦形打たる龍頭の甲金作の太刀滋籐の弓を携千変万化に乗廻せはさしもの猛将進みかね少し引色見得けるところに猛火の中より三村肥前光盛石桐を目【…44バイト (4,378 語) - 2024年4月19日 (金) 07:10
- 山へ向はる磯野山には此よしを見るよりも浅井勢当城へよすると見ゆるそ川を前に当て戦ふへしとて源三郎を大将として究竟の射手を三十人一文字に川より半町許手前にひかへ其の後には右衛門大夫千田伯耆守三百余騎にてひかへたり大森山の切通し口には布施横山森百五十騎にてひかへたりかくて備前守は磯野の郷の…81バイト (9,093 語) - 2024年3月25日 (月) 14:25