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- 徳雲寺と四軒の寺々が門をならべて小高い丘の上にありましたが、その林泉寺の門の外に地蔵堂がある。それを茗荷谷の縛られ地蔵といって、江戸時代には随分信仰する者がありました。地蔵さまの尊像は高さ三尺ばかりで、三間四方ぐらいのお堂のなかに納まっていましたから、雨かぜに晒(さら)されるようなことは無かったので…65キロバイト (13,134 語) - 2019年9月12日 (木) 12:31
- ともなく、三の木戸の小家(こや)に帰る。臥所(ふしど)の上に倒れた二人は、しばらく死骸(しがい)のように動かずにいたが、たちまち厨子王が「姉えさん、早くお地蔵様を」と叫んだ。安寿はすぐに起き直って、肌(はだ)の守袋(まもりぶくろ)を取り出した。わななく手に紐(ひも)を解いて、袋から出した仏像を枕もと…74キロバイト (14,915 語) - 2021年5月20日 (木) 17:05
- ← 廻り燈籠 地蔵は踊る → 『半七捕物帳』(はんしちとりものちょう) 第七巻/夜叉神堂 作者:岡本綺堂 底本:2000年9月20日春陽堂書店発行『半七捕物帳第七巻』 これも例の半七老人の話である。但し自分はこの一件には直接の関係はなく、いわば請売りのお話であるから、多少の聞きまちがいがあるかも知れませんと、前提をして老人は語る。…37キロバイト (7,612 語) - 2019年2月27日 (水) 14:38
- 地蔵は踊る 二人女房 → 『半七捕物帳』(はんしちとりものちょう) 第七巻/薄雲の碁盤 作者:岡本綺堂 底本:2000年9月20日春陽堂書店発行『半七捕物帳第七巻』 ある日、例のごとく半七老人を赤坂の家(うち)にたずねると、老人はあたかも近所の碁会所から帰って来たところであった。 「あなたは碁がお好きですか」と、わたしは訊(き)いた。…61キロバイト (12,383 語) - 2019年2月27日 (水) 14:39
- 殺したと云う自覚が、忽然(こつぜん)として頭の中に起った。おれは人殺(ひとごろし)であったんだなと始めて気がついた途端(とたん)に、背中の子が急に石地蔵のように重くなった。 この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過している…6キロバイト (1,126 語) - 2023年8月23日 (水) 15:17
- ております水車橋(みずぐるまばし)の袂の飢人地蔵(うえにんじぞう)様という名高いお地蔵様の横にありますのが私の生家で御座いました。その家(うち)は只今でも昔の形のままの杉の垣根に囲まれて、十七銀行のテニスコートの横に地蔵様と並んでおりますから、どなたでもお出(い)でになればすぐにわかります。…184キロバイト (36,070 語) - 2023年10月17日 (火) 13:45
- 宇治拾遺物語 (尼地蔵見たてまつる事の節)おやあそびにいぬいまきなんといへば。 くはこゝなり地蔵のおはしますところはといへば。 あまうれしくてつむぎのきぬをぬぎてとらすれば。 ばくちうちはいそぎてとりていぬ。 あまはぢざうまいらせんとてゐたれば。 おやどもはこゝろえずなどこのわらはをみんとおもふらんとおもふほどに。 十計なるわらはのきたるを。 くはぢざうといへば。…49キロバイト (10,902 語) - 2020年12月30日 (水) 13:38
- 浅井も同姓玄蕃允木村日向守同喜内助を不破河内守に相添て差遣しける去程に義昭公越前国一乗の谷を御立被㆑遊同国今庄に一宿被㆑遊翌日江州木の本地蔵の寺に御着座被㆑成地蔵に御祈願や有けん参詣を被㆑為㆑成三条定近の太刀一振鳥目等を仏前に備へ給ふ浅井備前守も罷出御供申上救外寺へ御座をうつし奉り父子共に罷出御馳…81バイト (4,212 語) - 2024年3月25日 (月) 14:26
- 地蔵だって食意地(くいいじ)が張ってるから牡丹餅で釣れるだろうと思ったら、少しも動かないんだって。利口な男はこれではいけないと思ってね。今度は瓢箪(ひょうたん)へお酒を入れて、その瓢箪を片手へぶら下げて、片手へ猪口(ちょこ)を持ってまた地蔵さん…1.06メガバイト (208,385 語) - 2022年11月4日 (金) 04:57
- 浅井三代記 第二 軍評定の事 松原佐和山両城没落の事 江南江北和睦の事 上坂泰貞養子付入道の事 上坂入道泰貞斎病死の事 浅井備前守先祖の事 浅井新三郎木の本地蔵へ祈願を籠る事 浅井亮政隠謀の事 浅井三代記 第三 浅井新三郎智略を以て上坂の城乗取事 上坂合戦の事 今浜勢軍評定附上坂勢評議の事 京極殿へ上坂治部大輔御出馬をこはるゝ事…5キロバイト (1,574 語) - 2024年4月21日 (日) 13:27
- 浅井三代記 第二 軍評定の事 松原佐和山両城没落の事 江南江北和睦の事 上坂泰貞養子付入道の事 上坂入道泰貞斎病死の事 浅井備前守先祖の事 浅井新三郎木の本地蔵へ祈願を籠る事 浅井亮政隠謀の事 【 NDLJP:16】 浅井三代記 第二 軍評定の事 去ぬる三月十八日の軍畢て後は敵味方互に我…81バイト (10,891 語) - 2024年3月25日 (月) 14:24
- のが午前三時である。地方の軍隊は送迎がなかなか手厚いことを知っていたから、石田はその頃の通常礼装というのをして、勲章を佩(お)びていた。故参の大尉参謀が同僚を代表して桟橋(さんばし)まで来ていた。 雨がどっどと降っている。これから小倉までは汽車で一時間は掛からない。川卯(かわう)という家で飯を焚…61キロバイト (12,116 語) - 2020年6月18日 (木) 15:57
- おど)かせば云わせる術(すべ)もありますが、なにかの邪魔になるといけねえと思って、今度は猫をかぶつて帰って来ました。なに、近いところだから造作はねえ。用があったらまだ出掛けますよ」 「その女衒はなんという奴だ」 「戸沢長屋(とざわながや)のお葉(よう)です」 「女か」 「亭主は化地蔵…71キロバイト (14,226 語) - 2019年2月27日 (水) 14:47
- る本助(もとすけ)という奴が早稲田の下馬(げば)地蔵の前を通りかかると、摺れ違った男がある。むこうは顔をそむけて怱々に行き過ぎてしまったが、確かに金蔵に相違ねえと云う。なにぶん聞き捨てにもならねえので、きのうから手配りをしていると、その最中にお前さんが出て来たので、飛んでもねえ大しくじりをやったわ…67キロバイト (13,580 語) - 2019年2月27日 (水) 14:39
- 七月七日、梅雨あっがりの暑い宵であったと記憶している。その頃(ころ)わたしは銀座(ぎんざ)の新聞社に勤めていたので、社から帰る途中、銀座の地蔵の縁日をひやかして歩いた。電車のまだ開通しない時代であるから、尾張町(おわりちょう)の横町から三十間堀(ざんじっけんぼり)の河岸へかけて、いろいろの露店がならんでいた。河岸の方には観世物小屋と植木屋が多かった。…58キロバイト (11,752 語) - 2019年2月27日 (水) 14:47
- はよしや天地が逆さまにもなれ、一人子(ひとりご)の病人死にもせよ、待つてやる約束もなければ、負けてやる覚えもなし。それに何ぞや泣(なき)ごとの数々、地蔵の顔も方図(はうづ)のあるもの。利足(りそく)の形(かた)にも不足なれど、何(なに)一つでも取るが取り徳(どく)、この代物(しろもの)引取つて行かんといふは、余り無理でもなきつもり」…942バイト (16,772 語) - 2020年8月20日 (木) 14:11
- 久勝にのり城より出て追かけたりしも日もはや暮に及けれは引返し給ひけり 愛宕権現由来並頓化合戦之事 抑愛宕大権現ハ山州愛宕山に建せ給ふ本地将軍地蔵𦬇にて武門の輩軍之守護と尊敬し給ふ然に佐竹冠者昌義都より遷し久慈郡久米村に勧請有大山孫根の城にも南に当りて勧請す別当佐久山大興寺と号時に小場石塚之…44バイト (4,378 語) - 2024年4月19日 (金) 07:10
- 寄り、先づ心経七巻計読みて、以㆓火界咒㆒令㆓加持㆒。恵心又奉㆑念㆓地蔵菩薩㆒、傍に居て、火界咒及㆓百反計㆒之間、輿中に有㆑声。恵心忽寄見㆑之、尼公已蘇生云、我炎魔王宮に参りたりつるを、不動尊おはして、火の前に推立ておはしつれば、地蔵菩薩、亦我が手を引きて帰り給ひつると思ひ給ふの間令㆓蘇生㆒也云々。…129バイト (14,862 語) - 2024年2月10日 (土) 09:32
- 風味「何でもかをるや梅の木で「鶯ならねど云寄りて、床几で一服和中散、石部や水口おしやれ衆が、すつしりお客を止めやした。大野は焼鳥名物で。 「蓑と笠著て土山越えた「雲に鈴鹿や坂の下、てる〳〵まふととつばかは「足も心に関地蔵「をがみて通ればくづはらか、むく本越えたら銭掛の、松原くよくのなかなかと、さて…85バイト (16,791 語) - 2024年3月24日 (日) 09:05
- 手足にてどろをこねかへし、ひとり〳〵はひあがる姿を見れば、土にて作りし辻地蔵(つじぢざう)の雨にうたれて、あさましげに眼ばかりぞきらめきける。ちひさき子供は上よりおされどろを口よりのみ入れて、いきをえせねば皆死にたり。親兄弟(おやきやうだい)は是を取りあげなきかなしめる有様を見るに、かはゆく有り、を…438バイト (15,356 語) - 2024年2月1日 (木) 14:11