管窺武鑑
一、謙信公成立の事 二、村上義清頼み来るに因り、武田信玄と敵対の事 三、上杉憲政頼み来るに因り、北条氏康と敵対の事 四、関東の諸士、謙信公に属す事 五、氏康より和睦、謙信公北条三郎を以て養子に為し給ふ事 六、今川氏真より頼るゝと雖も、謙信公同心なきの事 七、謙信上洛参内并公方義輝公に謁せらるゝ事 八、謙信公近国を伐随へ天下を志し、織田信長公と敵対の事 九、謙信公逝去の事
一、長尾政景信州野尻湖水に於て溺死の事 二、景勝公十四歳の時深沢・九鬼両人成敗の事 三、謙信公逝去、北条三郎逐はるゝの事 四、北条氏政より三郎景虎へ加勢の事 五、越後植田三庄の内樺沢・志水坂・戸山三城主敵を防ぐ事 六、景虎加勢の為め北条丹後守来る、景勝公高見へ押寄せらる、丹後守御館へ退く時、荻田主馬を撃つ事附御館三郎景虎を攻破る、上杉憲政自害の事 七、戸中城本城清七開退く事附武田勝頼の妹、景勝公婚礼の事
一、藤田姓氏先祖の事 二、北条氏康の子新太郎、藤田右衛門佐の養子となる事 三、用土新左衛門〈藤田右衛門佐事〉用土弥八郎を尋ね相続の事 四、謙信公逝去以後、上州沼田城北条家の有となる事 五、藤田能登守、沼田城へ武田勝頼を引入る事 六、藤田能登守越後へ落行く事 七、滝川一益武蔵野合戦の事 八、藤田能登守関原御陣以後御当家へ召出され、水戸城在番の内車丹波守を捕ふる事 九、藤田能登守小田原在番、房州館山在番の事 十、大坂両度の御陣の様子有増之を記す
一、夏目姓氏代々の事 二、夏目豊後守定盛〈定吉祖夫〉武州八幡山より相州長尾城に移る事 三、長尾城に於て定盛北条氏綱を防ぐ其手柄の事 四、夏目左衛門尉定虎〈定吉父〉 上杉家を去り武者修行以後、越後に行き謙信公に仕へ上州沼田城代たる事 五、夏目舎人助定吉窂入以後、永井家へ罷出づる事 六、夏目舎人助子共并親類箇条の事
一、小笠原河中島へ動入る処清野追払ひの事附村上海津城代を除かれ畠山を置かるゝ事 二、尾味御成敗の事附須田誉に付きて様子を仰渡さるゝ事 三、須田野心に付きて御成敗の事附畠山海津城代を除かれ、隅田相模守を置かるゝ事并畠山出奔の事 四、藤田能登守佐渡渡海の事 五、藤田能登守二度河原田へ勤めの事 六、秀吉公より景勝公へ御便の事附景勝公越中へ動かれ、宮崎城攻落さるゝ事
一、秀吉公越中御発向佐々御退治の事附景勝公新潟御巡見并秀吉公と和議の事 二、景勝公柴田表へ出馬の事田勤めの事附真田安房守重ねて降参加勢を遣さるゝ事 三、杉原城攻落す事 四、新潟乗足両城落つる事 五、景勝公上洛の事附河田軍兵衛御成敗の事 六、景勝公赤谷砦を攻落さるゝ事附夏目舎人助、赤谷左衛門佐を討取る事 七、景勝公赤谷より帰洛柴田へ取寄する、藤田能登守武略を以て今泉砦を乗破る事附帰陣の時敵と攻合の事 八、景勝公柴田表へ出馬会津加勢を追払はるゝ事附今泉池端にて攻合の事 九、井地峯城陥る事 十、夏目舎人助心緒仕候夜話の事
一、柴田城并池端城陥る事 二、北佐渡主降参、南佐渡主逆心、景勝公渡海し屢平均の事 三、景勝公へ佐竹より頼み来り候に付きて、会津へ有手を遣し所々御手に入れらるゝ事 四、本城越前守重長羽州庄内を伐治る事 五、景勝公上洛の事 六、秀吉公北条氏と矛盾の事 七、秀吉公小田原御征伐の事 八、景勝卿・利家卿関東へ出軍の事附佐藤一甫斎成敗の事 九、甘数備後守真田安房守と出入の事 十、上州松枝城を囲む事附宮崎塞攻めの事 十一、永井右衛門三山本意の事 十二、松枝城主大道寺駿河守降を乞ひ開城の事
一、武州鉢形城降る事 二、武州八王子城攻落す事 三、秀吉公奥羽両国景勝・利家に検知を命ぜらる、蜂屋伯耆守諫めの事 四、景勝・利家、奥羽両国検知の事附増田表に於て一揆退治并所々の一揆退治の事 五、秀吉公奥羽御政治の事 六、奥羽重ねて一揆起る事 七、秀吉公高麗御陣景勝公出勢渡海の事 八、伏見木幡山御城御普請の事 九、夏目舎人助の事 十、景勝公国替の事 十一、太閤薨御以後、石田三成景勝公へ逆謀、藤田能登守諫言用ひられず、藤田会津を立退の事
一、直江山城守より豊光寺へ返状の事 二、伊達正宗白石城を取る事 三、瀬上合戦、正宗敗北の事 四、景勝と石田示合さる事 五、権現様会津へ御進発、関西凶徒蜂起と聞き江戸へ師を班し給ふ事 六、凶徒蜂起の事 七、凶徒退治の為諸将発向、其以後御出馬、関原御合戦御勝利、凶徒悉く滅亡の事 八、直江山城守最上表所々合戦、関原落居以後納兵の事 九、権現様召出され、藤田能登守と景勝御和睦の事 十、夏目舎人助浪人中の事
余生十一歳、自㆓寛永丁丑孟春㆒至㆓己卯仲夏㆒三年之間、在㆓雄徳山豊蔵坊㆒、受㆓孝仍法師之教㆒。辛巳之年十五歳、始仕㆓永井尚政君㆒、従㆑行武江淹留有㆑年焉。其家士松山五郎右衛門道貞之継嗣貞申、〈八郎兵衛門尉、〉嘗遊㆓小幡景憲翁之門㆒、能伝㆓武田兵法㆒。余師㆑之。且与㆓同友杉井氏㆒講㆓習之㆒。而後仰㆓望景憲翁㆒、屢詣是㆓正之㆒。正保丁亥季冬廿四日賜㆓許可之書㆒矣。余之父舎人助定吉、昔年仕㆓上杉景勝卿㆒尽㆓戦功㆒数回、且能知㆓彼之家軍事㆒。余得㆓耳提面命之訓㆒、記㆓其話㆒編集而為㆓九巻㆒。名曰㆓管窺武鑑舎諺集㆒。葢其軍理、与㆓武田之伝㆒同㆓一軌㆒者也乎云㆑爾。
夏目軍八定房
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この著作物は、アメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつ、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。