『北条五代記』(ほうじょうごだいき)は、戦国大名・後北条氏に仕えた三浦茂正(三浦浄心)が江戸初期に著した後北条氏にまつわる仮名草子の読物全十巻である。ここでは明治期に博文館編輯局が仮名に漢字をあてた刊行物を底本とする。書中に種本の説明はないが、万治2年(1659年)版が種本と考えられる。
北条五代記巻第十 目次
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北条五代記巻第十
見しは今。
敷島国々の
名所旧跡おほしといへ共。
相模の国。三浦三崎にまさる名所有がたし。此名所
旧記にのせ。古歌にもおほくよめるといへども
末代に至て尋る人
稀なり。されば
他の名所
旧跡は。聞て
千金。見て一
毛。三
崎の名所聞しよりも見て日をおどろかし。心
言葉も
絶たり。山
海の
風致。大
湖の
万景にもこへぬべし。此
在所を三
崎と
号する事。いはれなきにしもあらず。さがみの国三
浦崎は。北より南の
海中へ。はるかにうかび出たり。又東より
安房の国。
須の崎
西の海中へ出る。此間の
舟の渡り八里。此内海に。
上総。
下総。
武蔵。五ケ国に
入海有扨又西より
伊豆国。
河奈崎。
東の
海三
浦崎へ出
向ふ。此渡り十八
里。
内海の
浦つゞき小田原かまくら有。此三つの
島崎大
海原にて出
向て。たとへば
鉄輪の三ツ
足に
似たり。然に三浦崎は。三国の中といひ。南
面へ
向ひたる故。中を
正とし。三浦崎を三崎と
号す。
愚老吾妻鏡見侍るに。三崎
宝蔵山の
地形世にこへたるにより。
右大
将頼朝公。御
山庄を立られんがため。吉日をえらび。
建久五年
甲寅。八月朔日二
品三
浦三崎へ。
渡御し給ふ。是三崎のつにをいて御
山庄を。立られん
故也。北条殿
父子。
上総介
義兼。
小山五郎
宗政。三浦兵衛尉
義村。
佐々木三郎
盛綱。
梶原三郎兵衛
景義。
工藤小次郎
行光。
小野寺太郎
道綱。
伊豆の
守義範。以下
供奉す。先小
笠懸あり。
射手。
下河辺庄司行平。小山七郎
朝光。
和田左衛門尉よしもり。八田左衛門尉ともしげ。
海野小太郎よしうち。ふち
沢次郎
清近。
梶原左衛門尉
景季。
愛甲三郎
季隆。
榛谷四郎
重朝。
橘次公成。
里見冠者よしなり。加々
美次郎
長清。以下也
宝蔵山に。御所を立られ。御
台所
若君を
伴なはしめ給ふ。三
浦介義澄。じゆんしゆを。
経営し
興をもよほし。
珍膳美をくはふる。此所の
眺望は。
浦の
白波青山によす。をよそ
地境にをいて。日本
無双と云々。又
翌年乙卯正月廿五日。
将軍三崎のつに
渡御し給ふ。
船中にて御
遊興あげてしるしがたし。三浦の一
族等。
課駄をまうくる。同廿七日
還御也。又将軍
歯の
御労。いさゝか御
平愈なし。八月廿六日。御舟にて
海浦をへ。三崎の
山庄に
渡御し給ふ。御
遊覧等あり。今度京
都より御
下向の
後。いまだ此義にあたはず。是
当所の
風景に。もよほされてと。御
感悦浅からずと云々。扨又三崎の
前海。
城ケ島に。春は桜花。
咲みだれ
面白き
磯山の
気色。たぐひなかりけり。是によて頼朝公
頼家公。花の
時分は三崎へ。
毎年着御。正
治元年も
御出し給ひぬ。
実朝将軍。三崎の桜花。御見物有べしとて。
建暦二年
壬申。三月九日
尼みだい所をともなはしめ。三崎へ
入御し給ふ
建保三年三月。同五年九月。
安貞三年二月廿一日。同四月十七日。
詩歌管絃の御
遊。さらに
尽しがたし。扨又
寛喜【 NDLJP:562】元年
己丑。三月十七日
辰刻。
頼経将軍。三崎の
磯山。御
遊覧のため。
出御し給ふ。
相州。
武州をはじめ御
供するがの
前司。御
船をもよほし。
海上にて管絃
詠歌あり。
佐原三郎左衛門尉。
遊女を相ともなひ。一
葉にさほさし。さんかうする事。しかも
興あらずと云事なし。をよそ
山陰のけいすう。海上の
眺望。
比類有べからずと。ほめさせ給ひ。同十九日に
還御也。同二年
庚寅三月十九日。将軍
家。三崎。
磯山の花ざかり。御遊覧のため。武州
六浦のつより。御
舟にめされ。
海上にて
管絃あり。
若宮の
児童等を
召れ。
船中にて
詩歌を
詠じ。
連歌をつらね給ふ。
相州。
武州以下参らる。よつて
領主駿河前司となると御まうけ。
善尽し
美つくさずと云事なし両
国司武蔵守泰時。
相模守時
房。
基綱。
親行。
胤行。をの
〳〵秀句を
献ぜらるゝと云々。
鎌倉数代の
将軍。三崎の御所に
着御有て。様々の御
遊興のべ
尽しがたし。右の
趣き
東かゞみの文言を
写し侍る者也。かく当地の
景すぐれたるによつて。
頼朝公をはじめ。
代々の将軍。
磯山花の
時節を待かねさせ給ひ。御
遊覧をもよほされ。
毎年三崎のつへ
渡御有て
詩歌管絃の。御
遊むかしを思ひ出て。今一入の
眺望ぞまさりける。
永禄八
暦弥生上
旬の比ほひ。北条氏
康三崎
島山桜花。御見物の御もよほし有によつて。
伊豆相模の舟共。こと
〳〵く小田原の
浦にかくる。氏康氏
政御舟にめされ。御供の人々は。
海陸なり。
海浦御
遊覧のため。
渚にそひて舟をうかべ。
浦々をこぎめぐり。
陸地を御供の人々は
浜づたひ舟と
陸と。
言葉をかはし。
珍興の御
遊也をよそ
浜の
浦々には。千
艘万艘の舟をつなぐといふ共。せはからず。
水底深ふして。たぐひなき
湊。から国までも聞へたり、天正四年の比ほひ。三
官と云
唐人。氏政の
虎の
印判をいただき。もろこしに
渡り。三年目の
戊寅七月二日に。
黒舟三崎の湊に
着岸す。
唐人此湊を見て。黒舟千
艘つなぐ共せばからず。をよそから国にも有べからずといふ。然に氏政の
検使として。
安藤豊前守といふ人。三崎へ来て。
唐と日本の
口通出合。
売買の
体。ゆゝしくぞ見へける。其所
在家。千
余宇有て。
鶏鳴狗吠あひ聞へて。四
境にたつすといへる。
孟子の
言葉をおもひ出せり。
先年三崎の
城は。北条
美濃守氏
親。
居城とす。
当浦関東無双の
湊たるによつて。氏
直舟大将。
梶原備前守頭とし。
数百
艘の舟をかけをく。
房州里見左馬頭義頼。
敵たるにこそ。舟にて
渡海し。
戦ひやむ事なし。氏
直没落より
以来。
家康公御舟大将。
小浜民部左衛門尉。
向井
兵庫助。
間宮虎之助。千
賀孫兵衛。此四
頭彼湊に
居住とす。
当地繁昌古今ことならず
聞しはむかし。天正十年
夏の比ほひ。
前摂政関白秀吉公。
明智日向守光秀を
討て後。
義兵をあげ。天下に威をふるひ給ひしかば。関東北条
氏直。京都へ
使者として。
板部岡江雪斎を。のぼせられ。又其後
名代と有て。北条みのゝ
守氏親上洛すといへ共。氏直上洛なきに付て
秀吉公【 NDLJP:563】いこんに思ひ給へり。是によつて京都より。
明王院あつかひとして下り。小田原へ来て云。氏直一
度上洛にをいては。秀吉公
年来の
積欝さんじて。
喜悦あるべし。
都鄙の
和平たるべき
旨申さるゝによて。氏直上洛有べきよし
返答に付て。明王院
帰洛す。然に氏直上洛の
届として。
石巻下野守を。のぼせらる。秀吉公下野守にむかひ。とひ給ひていはく。氏直上洛
日限いかん。下野守日限は。しかと承りとゞけず。先上洛の御請申御
礼として罷上り候。秀吉公
聞召。
日限聞とゞけず上る事
非事と有て。
下野守御
気色に
背く。然に秀吉公仰として。
富田左近将監。
津田隼人正うけ給り。小田原へ
使者を下していはく。氏直上洛にをいては。北条
陸奥守。
松田。
遠山。
大道寺。
羽賀。山
角。
家老の者ども。皆引つれらるべきよし申つかはさる。氏直聞給ひて家老の者どもに。秀吉なにの
子細あらん。抑我国にをいては。
秀吉より。
恩賞にもあづからず。
先祖尊霊早雲。いやしくも。
武勇の
家に
生れ。
弓箭を
帯する身とし。
武略をもて。
伊豆。
相模を切て取。其後
東八ケ国を。
静謐に
治る事。
氏直まで五
代なり。然といへ共
普天の
下。
王地にあらずといふ事なし。
勅命にをいては。
参内申べし扨又
氏直も。天下
望み
兼て有といへ共。
使札にては取がたし。
関東望みにましまさん人。
誰には
限るべからず。
武勇をもつて取給へ。たがひに
勝負を
決し。
運命をば天にまかすべし其上
明王院申さるゝ所。いきやくせり。此上は上洛するに。及ばずと
返答せり。秀吉公此よしを聞召。
欝憤をふく見
止事なくすでに。関東へはつかうの聞へ有。氏直
持国伊豆するがに。
数城有といへ共。何れも
大軍を引
請べき城にあらざる故。みなわりすて。
豆州。にら山一
城ばかりを残せり。
同国山中は先年
関所の跡にて。
地形広からずといへ共。
岱崎を取入。
堀をほり。
海道ふせぎのため。
新義に
興したる小
城也。松田兵衛大夫。
城代とす。扨又
加勢として。北条左衛門大夫。
間宮豊前守。
池田民部。山中
大炊助。
椎津隼人正をさし
遣さる。然に秀吉公氏直。たいぢとして。東国へはつかう有しは。天正十八
寅の年。三月十九日京都を打立。同廿七日するが
沼津に至り。其日
石巻下
野守をば。人をさしそへ。
伊豆の
境迄をくり返し。
明王院をも召ぐし。
益なきあつかひと有て。するがのさかひ
黄瀬川に。はた物にかけ給ひぬ。同廿九日
寅の刻。
沼津を
出勢当日
午の刻。山中の
城へをしよする。
岱崎へ
向て
前登にすゝむ衆。中村式部少輔。
堀尾帯刀。山内
対馬守。一
柳監物。
南方よりは。
長谷川藤五郎。木村
常陸守。
堀左衛門尉を先とし。大
軍にて。山も
谷も
平地にせめかゝる。
城には
岱崎に大
鉄炮をかけをき。放すといへ共。討るゝ者をふみこえ。のりこえ。
鬨声矢さけびの
音に。天地をひゞかしせめたゝかふ。敵方には一
柳伊豆守を
先とし。むねとの
侍あまた
討死す。然に
秀吉公伊豆の国へ
討てむかひ給ふよし。小田原へ
告来る事。
櫛のはをひくがごとし。
物見として
山上江右衛門尉をつかはさる。ものみ山中の城へはせ付所に。すでにはや
算を
乱しせめたゝかふ。城の左右うしろの
巓迄も。敵取のぼり。人数は
雲霞のごとし。江右衛門尉い
【 NDLJP:564】はく。我は是物見に来る。
跡を以きられ
叶ふべからずと。召ぐす所の
騎馬卅騎ほど。
旗馬じるしをさしつれ。からめでより引返す。敵是を見てすは城を
開のくは。かゝれ者どもと一度にどつと。
鯨波をあげ。
近江中納言秀次
〈[#ルビ「近江」は底本では「遠江」]〉。先
陣にて
渡辺勘兵衛尉。
鳥毛の
半月のさし物をさし。
万士に
抽で
光登にすゝむ。秀吉公は
岱崎より。
西の方に
陣し是を見。もだえかねさせ給ひ。御馬じるし
金のへうたんを。手づから取て。懸りすゝめ
〳〵と。ふりあげ
下知し給ひぬ。
諸軍是を見て。
命をば
塵埃よりかろく。
堀へ
飛入
〳〵土井へ
太刀を。つき立
〳〵。
鑓はたざほを。さし立
〳〵足代とし。人の
上に人かさなり。
責上る。らんぐみ。さかもぎを引やぶり。
塀をくづしてせめ入んとす。松田兵衛大夫
団を
取て
衆をいさめ。
討死して名を
後記にとゞめよと
下知すれば。
諸卒命を一
塵よりもかろんじ。
義を
千鈞をもんじ。
面もふらず。一
足もひかずたゝかふといへども。敵はたぜい。みかたは
無勢。松田兵衛大夫を
先とし。
間宮豊前守。
池田民部。
椎津隼人正。
佐藤左衛門尉。
栗本備前守。山下
兵庫助。同源三。山
岡左京助。
片山大
膳。
富田豊後守。皆こと
〳〵く
討死す。秀
吉公山中をせめ落。
勝に
乗て卯月一日はこねあしがら山をこえて。三日に小田原へ
押寄。
秀吉公は
西の高山に
陣城をかまへ。
小田原の
城を見おろし。はた本には。
九州嶋津同き。大
友中
国に。
毛利おなじき
吉川小早川を
始として。うしろは
峯をのぼり。
谷をくだりに。
陣取左陣にさしつゞき。
長岡越中守津の
侍従。
浮田宰相。
近江中納言并に
家中衆。中村
式部少輔。
堀尾帯刀。一
柳伊豆守。山内
対島守。次に大
柿少将。松ケ
崎侍従。
尾張内府おなじき家中衆。
沢井左衛門尉。
天野周防守。
土方勘兵衛尉。
羽柴下総守。次に
加藤左馬助。
長宗我部家康おなじき家中衆。
榊原式部大夫。大
久保七郎左衛門尉。
酒井左衛門尉。同き
宮内大夫。
伊井兵部少輔。松平
周防守。
牧野右馬丞〈[#「丞」は底本では「亟」]〉。
東南の
浜路につゞき
陣取。
右陣は
長谷川藤五郎。
羽柴左衛門尉。
池田三左衛門尉。
脇坂中
務。
安房の
里見左馬頭。
西南の
海ぎはまで
陣取。
諸勢は
堀ぎはまで
押よせ。
後陣は
山野寸土尺地のすきまなければ。天に
飛鳥もかける事をえず。
地をはしるけだものもかくれん所なし。
海上は四国。
九州西海の。
軍船数万
艘の
兵船。こぎうかべ。
浦の
波間も見へず。
懸をきぬれば。たゞ
陸地のごとし。
敵味方の
鉄炮の
鳴音。上はうちやう。下はならくの
底までも。ひゞくかと。おどろかる。扨又
伊豆の国。にら山の
城には。
北条美濃守氏親。たてこもる。よせ手の衆。
福島左衛門大夫。
戸田民部少輔。
蜂須賀阿波守。
生駒雅楽頭。
前野但馬守。
伊賀の
侍従を。先として
都合其勢。五万
騎にて。せめたゝかふ。
同国下田の
城には。
清水上野守。たて
籠る。
寄手には。
伊勢。
尾張。
参河。
遠江。
駿河の。
兵船渡海し。
伊豆津々浦々へ。
舟をつけ。
九鬼大
隅守大将として。せめらる。
上野松井田の
城には。
大道寺駿河守こもる。
羽柴築前守大将にて。
長尾喜平次。
蘆田。
真田。
都合其勢五万騎にてせむる。
武州鉢形の
城には。
北条安房守。
氏邦こもる。
寄手には。
浅野弾正大将として。
木村常陸守。
【 NDLJP:565】家康家中。本田
中務。
鳥井彦右衛門。
平岩七之助都
合三万
余騎にてせむる。扨
関八
州にたてこもる
城々には。
大胡。
小幡。
伊勢崎。
新田。
倉賀野。
那和。
前橋。
安中。
小泉。
箕輪。木
部白井。
免取。
飯野。
立林。
佐野。
足利。
壬生。
皆川。
藤岡。
加泥。
小山。
榎本。
深谷。
忍。
川越。
松山。
木栖。
菖蒲。
岩付。
羽丹生。
江戸。
津久居。八
王寺。
甘縄〈[#「甘縄」はママ]〉。
新井。
三崎。
高野台。
鳥手。
関宿。
小金。
布川。
幾本。
助崎。
孫子。
印西。
佐倉。
臼井。
椎津。
窪田。
万騎〈[#「万騎」は底本では「万崎」]〉。
長南。
池和田。
東金。大
須賀。八
幡山。
東野。山
室。
岩ケ崎。
守山。
古河。
土気。
成戸。
小久保。
土浦。
相馬。
木溜〈[#ルビ「きたまり」は底本では「またまり」。「木田余」の意か]〉。
江戸崎。
栗橋。
筧水。此外
城々其数をしらず
寄手には。
石田治部少輔。大
将として。
北国の
出勢。
出羽。
奥州伊達次郎
正宗。佐竹
太郎
義宣。
都合十万
余騎。
軍勢雲霞のごとく。はせ来て。
関八
州に入
乱。
民屋を
放火し。
城々にて
責たゝかひ。おめき
叫ぶ
声。
鉄炮の
鳴音。天地しんどうし。
城籠者共は。
焦熱大焦熱の。ほのほに。むせぶらんとぞ。
覚ける然に。
秀吉公京都
出勢。二十万
騎としるされしが。
西国。
北国の
諸士。
遅参の
輩もはせかさなり。
関八
州。
出羽奥州の
士卒。
幕下につきぬれば。
都合其勢五十万
騎とぞ。聞へける然に。
小田原の
城三四ケ月に至り。せめたゝかふ。
鉄の
楯をつゐて。取より
堀をうめ。
土穴へほり入て。
矢倉をうち返し。よるひる
鯨波。
矢さけびのをと
止事なく。せむるといへ共
城内にも。
東八ケ
国の
軍兵。たてこもる。
太田十郎。
北条七郎。同
新太郎。同
陸奥守。同
左衛門
佐。同
右衛門
佐。同
新三郎。同
彦太郎。
伊勢備中守。
大和兵部
少輔。
小笠原播摩守。松田
尾張守入道。同右馬助。同
肥後守。山
角上野守。同四郎左衛門
尉。同左近大夫。
多目権兵衛
尉。山中
主膳。
福島伊賀守。石
巻勘解由。同
下総守。
南条山
城守。同
右京亮〈[#ルビ「右京亮」は底本では「故京亮」]〉。同
左馬丞〈[#「丞」は底本では「亟」]〉。
小西隼人正。
富永内膳。
大藤左衛門尉。
依田大
膳。
荒川豊前守。
大森甲斐守。
清水太郎左衛門
尉。
遠山右衛門
尉。
大道寺孫九郎。
上田常陸守。
酒井左衛門尉。
羽賀伊予守。
朝倉右京進。
伊藤右馬丞〈[#「丞」は底本では「亟」]〉。
大藤式部少輔。
原豊前守。
荒木兵衛尉。
羽賀伯耆守。
安中左近将監。
由良信濃守。
長尾新六。
小幡孫市。
上田兵衛大夫。
成田下総守。
内藤大和守。
足利新六郎。
小泉兵大夫。
佐倉筑後守。
布川弥太郎。
長南八郎。
倉賀野淡路守。
皆川山
城守。
深谷才兵衛。大
須賀権大夫。
高井主水。
立林喜平次。此外あげて
記しがたし
見しはむかし。
小田原城には北条
氏直公。
諸老をあつめ
評定有ていはく。それ
将たるの
道。まさに。
先心を
治むべし。
太山前にくづるゝ共。いろへんぜず。ひろく
左におこれ共。目まじろかず。
照して後に。もつて
利害をせいす。もつて。
敵を
討べしとは。
老泉が
金言なり。其上
合戦の
勝負。
多勢小勢によらず。たゞ
軍士の心ざしを一にすると。せざるとの。二ツに有。
西国【 NDLJP:566】は大
軍なりといふ共。かれら
秀吉ぎやくいに。をそれぐんやくに。下る
寄合士卒なれば。心ざしはおなじからず。然に
氏直関八州の
武士は。五
代家につたはり。
恩を
感じ
徳をしたふ。
旧臣其上。
数度の
合戦に
強敵をなびかし。
武略を
以国を
治め。
命をかろんじ。
義をおもんじ。一度も
変ぜず。
君臣合体の
勇士なれば。たとひ
敵百万
騎。むかふといふ共。なじかは
雌雄を
決せざるべき。
数日をうつさず。
伊豆国。はつねが原。三
島へこと
〴〵く。
諸軍を打出し。一
戦をとげ。
当家の
運と。
秀吉の
運と。天の
照覧に
任〈[#「任」は底本では「住」]〉すべしと。
下知し給ふ所に。
家老松田尾張守入道。すゝみ出て申けるは。それ
名将といふは。
難義の所をよくこらへて。
始終の
勝を。心に
懸るをこそ。
文武の
達人とは申べき。此度
伊豆へ打出。
合戦にをよぶ事。
善悪の二ツに
極れり。扨又
敵を
引請。
籠城に至ては。
遠国勢の
長陣。かつて叶ふべからず。
百度たゝかつて。百度
勝はいくさの
善にあらず。たゝかはずして。
敵をくつするを。
善の善なりとす。是
孫子が心なり。其上
死を一
時に
定る事は。
安くはかりごとを。
万代に
残す事はかたし。ひとへに
籠城しかるべしと。しきりに
陳申に付て。
氏直出陣延引す。
尾張守反逆のむね有て。いさめけるを。氏直さとり給はず。
運の
末とは。後にぞ思ひしられたる。然共此
城堅固にかまへ。
広大成事。
西は
富士と
小嶺山つゞきたり。二ツの山の間に。三
重に
堀をほり。小嶺山を。
城中に入。
早川の河をかたどり。
南のはまべえをしまはし。
石垣をつき。
東北は
沼田。
堀をほり
築地をつき。
東西へ五十町。
南北へ七十町。
廻りは五
里四
方に。せいろう。
矢倉すきもなく立をき。
塀さかもぎを引せ
持口
〳〵に。大将家々のはたをなびかし。馬じるし差物色々様々に有て。風にひるがへすよそほひ。吉野立田の花紅葉にやたとへん。惣かまへ役所のめぐり。往還の道は。横三十間程有て。武者の立所せばからず。陣屋はぬりごめ小路をわり。人数しげき事。稲麻竹藺のごとし。夜は辻々にかゞりを焼。たゞ白日にことならず。諸侍干戈を枕とし。甲冑をしとねとし。役所の者共は。弓鉄炮を。すきもなくはなつによつて。敵近く取よりがたし。扨又夜警固として。旗本衆六百人甲冑を帯し。弓鉄炮鑓を。手々に持。歩行にて昼七ツ時分。城の大手四ツ門に集て。勢ぞろへし。三百人づゝ二手に。両方へ分て。夜もすがら惣かまへをめぐる。持口の大将は夜毎に警固の衆に。出向て対面し。礼義にをよぶ。扨又昼は百人づゝ。両方へ分て。夜るのごとく警固也。氏直公定をかるゝ軍法に。敵夜中に至て。いづれの持口をせむるといふとも。他の持口より。一人も加勢すべからず。若は夜警固の者ばかりは。はせくはゝるべし。いづれの持口も。人数おほし。あへてもて。城中散乱すべからず。昼は持口の役人斗。矢ざまに大鉄砲をかけをき。はなつべし。其外の者共は。籠城退屈なき様に。おもひ〳〵。心々のなぐさみ仕べしと云々。是によて昼は。碁将棊双六を打てあそぶ所もあり。酒宴遊舞をなすもあり。炉をかまへて朋友と数奇に気味をなぐさむもなり。詩歌を吟じ連歌をずじ。音しづかなる所もあり。笛鼓【 NDLJP:567】をうちならし。乱舞に興ずる陣所もあり。然ば一生涯を送るとも。かつて退屈の気有べからず。扨又松原大明神の宮のまへ。通町十町ほどは。毎日市立て。七座の棚をかまへ。与力する物手買ふりうりとて。百の売物に。千の買物有て。群集す。氏直公高札を立給ひぬ。万民年中斗の。粮米支度すべし。あまる所是有にをいては。市にて売べし。来春に至ては。民百姓に。ことゞゞく御ふち下さるべしと云々是によて二年三年の支度有者は。五穀を市へ取出してうりもたざるものは。珍財にかへて用意をなす。米穀積満たるゆへ。万民に至るまで。城中ともしき事なく何に付てもなげく。おもひなし。扨又かたへなる人云けるは。昨日城内へ。懸人者有。敵陣の様子を語りて云。相州甘縄〈[#「甘縄」はママ]〉の城主。北条左衛門大夫は。降人と成て卯月廿一日。秀吉公へ出仕をなす。武州岩付は。太田十郎氏房居城。家老太田備中守。伊達与兵衛尉。宮城美作守。こもる浅野弾正。木村常陸守。大将として五月廿二日に責落す。上州松井田の城は。大道寺駿河守籠る。羽柴筑前守。長尾喜平次。蘆田。真田。都合三万余騎にてせめる。大道寺降人と成て出城す。武州八王寺は。北条陸奥守氏照居城長臣狩野一庵。横地与三郎。近藤出羽守。こもる。浅野弾正。本田中務。鳥井彦右衛門尉等。大将として攻落す。同国鉢形の城は。北条安房守氏邦たてこもる。浅野弾正大将として。北国の軍兵せめる。あつかひ有て六月十四日。城をあけ渡す。上州忍は成田下総守氏長。居城。主は小田原に有て同名左衛門尉こもる。石田治部少輔大将とし。出羽奥州の士卒はせくはゝつて。五万余騎にて。昼夜すきもなく。せめたゝかふといへ共。堅固にして落べきてだてなし。然に水ぜめの支度を。なすとかや。豆州にら山の城には。北条美濃守氏親。たてこもる。数万騎にて。昼夜をわかず。せめるといへども堅固なり。其外関東諸城。大形落城と聞えたり。然ば小田原惣がまへせめよるの人数は。扨をき。後陣は。山野に寸土尺地のすきまなく。嶺を登り。谷を下りに。軍勢充満たる事。其かぎりしられず。往還の道は。馬の足音。ものゝぐの音。十二時中。なりやむ事なし。兵粮米運送する事。西海の大船小船幾千艘共数しらず。是故に陣中ゆたかなり。東西南北に小路をわり。大名衆陣がまへには。広大なる屋形作りし。書院数寄屋を立。庭に松竹草花を植。さて又陣屋毎の四壁には。野菜の為とて。瓜茄子大角豆など植をき町人は小屋をかけ。諸国の津々浦々の名物を持来て。売買市をなす。或は見世棚をかまへ。唐土高麗の珍物。京堺の絹布をうるもあり。或は五穀塩肴干物をつみかさね。生魚をつかねをき。何にても売買せずといふ事なし。京田舎の遊女は。小屋をかけをき。色めきあへり。其外海道のかたはらに。茶屋はたごや有て。陣中まづしき事なしといふ。然ば敵陣も城中も。かくのごときんば。数年をへるとも双方退屈の気あるべからず。たゞ〳〵両将の。武運の厚薄にこたへ。天命をまもる斗也と皆人いふ爰に。老士云けるは。関西の軍勢いましかく有といふ共千里の運粮。氏直公天【 NDLJP:568】下を引請。かくあるべき事を。かねておもんぱかり。前代未聞の大城を興じ。関八州の軍兵を籠をき。鉄砲玉くすり。兵粮米は。十年経ぬべき。兼ての用意。聞しにも越。思ひよりしよりも。おびたゞしく。城中くわくぐはい。堅固に有て。天下無双の。名城落べき。てだてなし。敵も孤虚支干をかんがへ。魚鱗鶴翼に陣をはり昼夜をわかずせめたゝかふ。
見しは
昔。
秀吉公小田原の
城を。大
軍にて
責るといへ共。
総構に大
鉄炮をかけ
置。
昼夜はなしければ。
鉄の
楯をつゐても。
取寄がたし。天下の
武士集り。われぬきんで。
近く
責よらんと。
智略をめぐらさるゝといへ共。
総構廻り五里が内に。一
所言葉をかはす程に。せめよる
敵なし。
小嶺山の
攻口は。
穴を
掘入て。
矢倉を打
返すといへ共。
土の
底に有て。是も
益なし。
愚老相州三
浦の
住人小田原に
籠城す。
東はう
蘆子川
浜手の。
角矢倉を
持口とす。是より一町ばかり
上。
総がまへの
外に。
福門寺と名
付。一町
四はう程すこし
高き
地形あり。是は
昔寺の
跡なるによつて。かく名付也。是に又
堀をほり。
土手芝手をつき。
塀をかけ。
城の内より
橋を一ツ渡し。是を
出曲輪と名付。山
角上野守の
嫡男。四郎左衛門尉。
次男左近大夫
父子三人の
持口の内にあり。然に
秀吉公小田原へをし
寄るの
時節。此出曲輪有て
益なしと。
塀を
破り。すてぐる輪と
号し。
橋をばかけをき。
昼は
城中より出て。
土井に
鉄炮をかけ
置はなつ。此
蘆子川おもては。
源の
家康公のせめ口なり。此
捨曲輪に
当て。
井伊兵部少輔直政せめよるなり。兵部少輔此すて曲輪をとらんとたくみ。
堀のうめ草を
用意し六月廿五日の
夜半頃より。すでに
堀をうめんとす。
城中より
鉄炮をはなちかけ。
矢さけびの
音に。天地しんとうし。
弓鉄炮に
当て
死するもの其
数を
知ず。一時が程に
堀口五六間うめ。すてぐるわへをし入たり。
深夜くらふして。
前後さうを
分ず。皆こと
〳〵く堀に入。よろひはをもし。
水底にしづむ者をほかりき。
敵すでに。はしを
渡り。らんぐゐ。
逆茂木を。
引破り。
築地へ取あがり。
塀一
重中にへだて。せめたゝかふ事。すこぶるあへてもて。
敵はつよかりけり。
城内には。
篝を
焼。たゞ
白昼におなじ。
他の
持口は。
兼て
法度の
義なれば。
加勢なし。夜けいごの衆ばかり。
馳くはゝつて。人
数は
雲霞のごとし。
半時ばかりたゝかひしが。敵こらへず
引退く。時に至て。山
角上野守。
父子三人。
門をひらき。切て出。敵を
追かけ。百余人
討捕たり。
闇の夜くらふして。つや
〳〵方角をうしなひ。
水堀〈[#「水堀」は底本では「水塀」]〉に入て
死する者千
余人。
漸夜も
明。
夢の
覚たる心ちせり。然ば小田原
籠城百
余ケ日。
弓鉄炮にてせめたゝかふといへ共。
終に
敵みかた。一人はだへをあはせず。然所に其
夜の
戦ひに。敵には
家康公
家中。
井伊兵部少輔。城中には。山
角上野守。
父子三人。
万士にぬきんで合戦し天下に
誉をえ。
後代に
名を
残せり。
【 NDLJP:569】
見しはむかし。北条氏直と。
武田勝頼弓矢の
時節勝頼の
城は。するがの国。
高国寺と。三
枚橋にあり。氏直の城は。するがの中。いづみ
頭。長
久保。
戸倉。
志師浜。四ケ所にあり。いづみ頭の城には。大
藤長門守。多目権兵衛尉。
荒川豊前守を
頭とし。
足軽大将には。
市南。
高橋など云
勇士をさしそへをかれたり。
長久保の城には。
清水太郎左衛門尉。
城代とす。
志師浜には大
石越後守
在城す。是は三
枚橋の
近所。
海浦をかたどり。
海賊をふせがむため也戸倉には
笠原新六郎居城す。此人は松田
尾張守入
道が長
兄也。
他家を次で。
笠原を
名乗る。然に三
枚橋と。戸
倉と。
戦ひやゝともすれば。三枚ばしの
人数。
戸倉へ
働き。
分捕高名する事。度々に及べり。氏直此由聞給ひ。大将一人
武弱なれば。
士卒つれて
臆病に有て。をくれを取と仰ければ。新六郎聞。
生がひ有べからずと。
謀叛を
企。天正八年の
冬。
勝頼に一
味し。氏直へ弓を
引所に。同十年三月。勝頼は
信長公のために。ほろび給ひぬ。然時に氏直
笠原新六郎が。
首をはねらるべき所に。
父尾張守入道。様々
佗申に付て。入道が
年来の
忠功に。
誅罰をゆるし給ふ。
老後の
眉目をぞ。ほどこしげる。其後
出家し年久しき
隠家にて有けるに。此新六郎を。世に立んがため。
父尾張守
謀叛をくはだて。
秀吉公へ申により。
関東へ御馬出され候へ。
尾張守うしろ
切仕べきよし。申によて。秀吉公小田原へ
発向の
砌尾張守。新六郎
父子二人
密談し
来六月十五日の夜。町中へ
火をかけ。松田
持口より。敵をこと
〴〵く。
城中へ引入べきよし。
兼約いたす所に
壁に
耳。
岩に口有ならひ尾張守が
次男。左馬助是を聞。
親兄五代
重恩の。
主君に
対し。
逆心あさましき次第哉と涙をながす左馬助は。
若年より氏直。そばをはなれずことに御
自愛の人也。左馬助がおもひけるは。それ
君恩より大きなるもなく。
父恩より
深きもなし。
父子一所に
成て。
君に弓を引ならば。八
虐の
咎。をもかるべし。扨又君と一所になり。
父に
敵対せば。五虚の
罪のがるべからず。すべてわれ
発心せんと思へ共。
隠所なし。
腹を切ても
益有まじ。
進退こゝにきわまりぬ。
史記に
忠臣は
二君につかへずと云り。
猶以其
家の
長臣たる者。身をばあきなはず。それ人たるの道は。
義をもつて
利とす。利を以て利とせず然に。
君親の
命其
軽重をくらぶれば。
君の
命いやまさりたり。其上
城中の
人民。
幾万人共しらず。いたづらに
命をほろばさん事。
仏神もあはれみ。あに
霊験のたすけなからんと。此
義を氏直へ
告しらしむる。氏直
聞召。左馬助が
忠功浅からずと。
信感あり
時日を
移さず。
尾張守。新六郎二人
討罰せらる。
敵は此
義をしらず。松田が
旗は
白地に
黒筋のだん
〳〵なり。
持口は
西早川おもて。敵此持口へ
諸勢三夜までをしよせ。
相待といへ共。城中より
通路なし。松田が
旗色もかはりて見えければ。扨は松田が
逆心あらはれけるよと。諸勢力をうしなひ。
長陣気もつかれたりと見えし
【 NDLJP:570】
見しはむかし。
前関白秀吉公はもとより。
勇気智謀相兼たる。
名将にて。ましませば。たゝかはずして。勝事をめぐらし給ふ。それ
節にあたり。
義に
望んで。
命を
惜むべきにあらず。然といへ共。事にのぞんでをそれ。はかりごとを。
好んでなすは。勇士のする所也。扨又上兵ははかりごとをうち。其次はまじはるを
伐て。其次は
兵を伐。其次は
城をせむると云々。すこぶる。
智略をめぐらさる。
氏直舎弟。
太田十郎
氏房。
持口は
城より
東。
井細田口なり。此
面せめよる
敵は。
羽柴下総守。此者
中使として。ひたすらあつかひとぞ聞えける。
氏房器用の人たりといへども。
若輩の
胸旨。
良将の
謀計に。をどされひとへに。あつかひの儀あり。
和順にをいては。
伊豆。
相摸。
武蔵三ケ国は
前々のごとく。
氏直収領せらるべき事。いさゝか
違乱あるべからず。猶
対面せしむるの上。
水魚の
契約を。
仰談ぜられ。
翌日京都へ馬を。おさめらるべきむね。
堅約の
証文に。
秀吉公直判をのせられをはんぬ。是によつて
氏直。
秀吉公へ
対面の。もよほしあり。
召つれらるゝ所の。
郎従多勢に。をいては
疑心をかまへ。
遺恨あるに
似たるが。
態々近臣の
輩ばかりを。めしつれ。
氏直七月六日
出城なり。扨又
薤山の
城には北条
美濃守氏親籠る。此せめ衆。
羽柴左衛門大夫。
戸田民部少輔。
蜂須賀阿波守。
生駒雅楽頭。
前野但馬守。
伊賀侍従を先とし。
都合其勢五万余騎。三月廿九日
午の
刻にをしよせ。七月まで五ケ月。
昼夜すきもなくせめたゝかふ。
鯨波鉄炮矢さけびの
音に。天地
震動し。鳴やむ事なし。
楯をつきよせ
堀をうめ。
塀を引くづし。せめ入らんとす。
氏親自身
鑓を取。
樊会をふるひ。むねとの
敵をおほくほろぼす
故。
力ぜめには成がたし。此氏親は一年。氏直
名代として上
落し。
秀吉公
対面あり。
家康公
懇志たるにより。にら山へ
使者をもて云。関八州の
諸城皆悉く
落城する所に。にら山一
城堅固たる事。
氏親武勇のほまれ。天下に
比類有べからず。然に小田原
和平の儀によて。
味方には。
羽柴下総守。
城中には。
太田十郎
中使として。あつかひ
半なり。にら山無事たりといふとも。小田原
落着の上は。
益有まじきか。おなじくは。氏親。にら山の
城をば。さしをき
急ぎ小田原に入て。
和順のあつかひ然るべき
旨。
家康公しきりに
異見に付て。氏親にら山を
出城し。
敵の
陣中に入て。小田原
和睦の
内談す。
伊豆。
相模。
武蔵三ケ
国にをいては。
前々のごとく。氏直
修領せらるべき事。いさゝか
相違有べからず。其上たがひに
証人を取かはし。
時日をうつさず。
帰洛有べき
旨。
秀吉公の
証文を
請取。氏
親七月六日
卯の
刻。
渋取口より。小田原の
城へ入給ふ所に。氏直は此義をしらず。かく同日
同刻両将出入。是天のなす所なり
氏直は
先中宿りと有て。
尾張内府公の
陣中へ入給ひぬ。
北条家運のすゑには。
智慧のかゞみも。
才覚の花も。いたづらに成事。天のなす所也。
敵も
味方も一
味のおもひをなし。
城中へ出入する
【 NDLJP:571】所に。
氏政切腹の
旨使者を立られをはんぬ力をよばず。
本城を下り。
医師安栖が。
室に
移り給ひぬ
検使として。
石川備前守。
佐々淡路守。
前田権之助。
榊原式部大夫。
参集す同き月十一日。
氏政切腹舎弟。
美濃守氏親かいしやくし其
劔光をすてず。
自害せんとする所に。
稽固の
武士。
血劔をうばひ取。
命を
助る。あはれなりける次第也。同日
陸奥守氏照も。
切腹し給ひぬ。
小田原城請取衆。
家康家中。
本田中務少輔。
榊原式部大夫。
井伊兵部少輔。入
替る
関東諸侍共に
運つき。かく有べしと
知ならば。
討死し
尸は
軍門にさらす共。名を
後代に
残さずして。
耻をさらす事。
千侮千悲其かひなし。然るに
秀吉公は。
奥州御
仕置と有て。
黒川迄。御下り
浅野弾正。
石田治部少輔。大
谷刑部少輔。此三人三
手に
分て。
奥州五十四
郡の。
検地をあらためさせ。
秀吉公は
黒川まで
着御。是より
引返し
帰洛し給ふ。然ば
小田原落城一
陣破れ。
残党まつたからず。
北条の一
族其
門葉。
国々の大
名倶に
運つきはて。
勇気をうしなひ。
城を出る
時節には。たゞ一
命の
助からん事ばかりねがひ。
親をすて。
子を
捨。
我先にて
落行有様。あさましかりける次第也。
諸大名の
北のかた。世にまします時は。
翠帳紅閨の
内にあり。
春は花
秋は月をめで。
九夏三
伏のあつき
夜は。あふぎの風を
招き。
玄冬そせつの
冬の
夜は。しとねをかさね。
庭の土をもふまざりし。上
臈達かちはだしにて。めのともつれず。
独々に
打成て。行さまよふ有様。
紅涙袖をしぼり。
爰かしこにたをれふし。なげきかなしひ給ひし事。たとへんやうぞなかりける。北条家の一門
家老こと
〳〵く一
同に同年の秋。
高野山に
登り。同冬山をさがり。
麓の
里。
天野といふ所に
居住す。
翌年の春。
秀吉公。氏直を大坂へ召寄られ
対面有て。
芳情をほどこし給ふ所に。
文録元年十一月四日。氏直卅一
歳にして。大坂にて
逝去也。
法名は
松巌院殿。
前左京兆。大
円徹公大
居士と
号し奉る。関東
諸侍。
秀吉公のために。皆ほろび
果たりと。
愚老かたりければ。かたへなる人聞て。氏直
滅亡まつたく。秀吉公のためにあらず。むかし
清盛公時代に。京
乱おこり。三条
高倉の宮
滅亡は。
伊豆守仲綱が馬一疋の故也。其身一門もこと
〳〵くほろび
果たり。扨又氏直
文武に
名をえし。大
将たりといへ共。
運の
末には。
言語のつゝしみなく。新六郎がために
荒言をはき
捨給ひしによつてなり。
恨に付て。
恩を
忘れ。
情によりて。命を
失ふ。是よのつねのならひなり。
爰をもつて
先哲も。君子は。
九思一
言といへり。氏直の
滅亡。
秀吉のためにはあらず。新六郎がためなりと云。老人聞ていや人の
滅尽に付て。是ゆへかれゆへと
沙汰する事。皆ひが事なり。古人の云。人のあたふる
報は。
天運にのがれ。天のあたふる
災は。人のなげきによる。たゞ
〳〵時刻到来と申されし
北条五代記巻第十終