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北条五代記/巻第五

北条五代記巻第五 目次

 
 
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北条五代記巻第五
 
 
 
聞しはむかし。尾州びしう織田をだ三郎信長のぶなが永禄ゑいろく年中京都へせめ上り。三好みよし修理亮しゆりのすけ追討ついたうし。義兵ぎへいをあげ。天下にをふるひ。其上二納言なごんけん大将。平朝臣たいらのあそん信長公ににん関西くわんさいをなびかし給ひ。天下たなごゝろなれ共甲州かうしう武田たけだ四郎かつ頼敵たるによて。信長公天正十年のはる甲州へ発向はつかうし給ひ。同三月十一日。勝頼かつより。太郎信勝のぶかつ父子をほろぼし。猛威まうい遠近えんきんにふるひ給ひぬ。相州さうしう北条氏直うぢなをは。信長公とかねて一味。勝頼かつよりとは敵対てきたいなれば。是によて信長のぶなが公手合として。駿州しゆんしう出馬しゆつばの所に勝頼方かつよりがたしろ高国寺かうこくじ。三牧橋まいばしじやうはあけ退のきぬ。氏直は浮島原うきしまがはら吉原よしはらにはたを立。富士ふじのすそ野。近里遠村ゑんそん放火はうくあし。帰陣きぢんせり扨又勝頼かつよりに一する。西上州のさふらひ共。此いきほひにをそれ。皆落髪らくはつ入道にふだうし。すみそめの衣をき。甲州かうしうへ参じ。かう人となつて。信長公へ出仕しゆつしす。然ば氏直名代みやうだいとして。北条陸奥守むつのかみ氏照うぢてる。甲州へ参着さんちやくす。大たか三十もと。馬五十ぴきを進上す。信長公陸奥守に対面たいめん有て。陸奥守やがて帰国せり。信長公は甲州より引退し。近江あふみ安土あづち居城ゐじやうへ。馬をおさめ給ひぬ西にし上州仕置しおきとして。滝川たきかは左近将監さこんしやうげんますをさしつかはさる。其上関東官領くわんれいしよくにふせられ。奥州おうしうまでも手柄てがらしだひ。切取べき命旨めいしを請。滝川しん小室をむろつき。それより上州箕輪みのわへうつり。其後同国前橋まへばししろに有て。近隣きんりんさふらひ共を。わが旗下になす。倉賀野淡路守くらがのあはぢのかみ。内藤大和やまと守。小幡上野をばたかうづけ守。由良信濃守ゆらしなのゝかみ安中左近あんなかさこん大夫。深谷ふかや左兵衛尉。成田下野なりたしもつけ守。うへ田安徳斎あんとくさいたか遠江守とをたうみ木辺宮内きべくない太輔。長尾ながを新五郎。皆もつて滝川たきかは下知げちにしたがふ。此等の者の人じちを取て。箕輪みのわしろに入をく。其いきほひのいかめしさ。きつねとらをかるがごとし。然所に信長のぶなが公。信たゞきやう父子ふし京都にをいて。同年六月二日。明智日向守あけちひうがのかみ光秀みつひでがために。ころされ給ひぬ。此よし上州へつげ来る滝川たきかは聞て。おどろきしが。智謀ちぼう武略ぶりやくの者にて。上州のさふらひ共は。いまだ此義をしらざれば。近辺きんぺんの諸さふらひを。いそまねきよせ。滝川たきかは云けるは。当月二日信長のぶなが父子ふし。京都にをいて。明智あけち日向守がためにうたれ給ひぬ。滝川京都へせめ上り。主君しゆくんをとふらひ合戦かつせんし。日向守をうちほろぼさん望み有と云うも。西国には羽柴筑前はしばちくでん〈[#ルビ「ちくでん」はママ]〉秀吉ひでよしあり。柴田修理しばたしゆりすけ勝家かついへ加賀かゞゑちせんに有て。隣国りんごくなればうつて上るべし。其上中将ちうじやう殿。三七殿ましませば。いづれかはせ参じ。かれをうたん事やすかるべし。然ば北条氏なを。此義を聞。上州へ出馬しゆつばすべし。ねがはくはわれ氏直と合戦かつせんすべし。上州諸侍一有べきか。きかんいなやと云。上州しゆ此よしを聞。滝川此一大を聞あへず。しらする事。義をまもせつををもくする大将なりと。をの感じたり。此ぎ異儀におよばゝ渡しをく所の。人じち滝川がために。がいせらるべし。以後はかくもあれ。一味せずんばかなふべからずと。をのオープンアクセス NDLJP:500どうす。たき川此よしを聞。のぞみたんぬと喜悦きゑつの思ひをなしていはく。氏直大ぐんにて。よせ来るといへ共。合戦かつせんのならひ。多勢たせいせう勢によらず。勝負せうぶけつする事は士卒しそつの心ざしを。一つにするにあり。其上一方にたゝかひけつし。万方ばんはうかつ事をうるは。武略ぶりやくのなす所。ひとへに天うんを守り。名をおもくし。死をかろくするをもて。とせり。此度まちいくさに至ては。てきに気をのまれ。みかたをくするにたるか。滝川小田原へ使者ししやをたて。申されけるは。当月二日。信長のぶなが公京都にをいて。明智日向あけちひうがためうたれ給ひぬ。是によて。滝川京都へ上り。惟任これたううたんのぞみあり。前橋の居城ゐじやうを。あけ渡すべし。いそぎ来てうけ取らるべしと。武州ぶしう鉢形はちかた城主しろぬし。北条安房守あはのかみ氏邦うぢくに所へ。使者しゝやつかはすあはのかみ此よしを聞。扨はたき川上がたへ。にげゆくと覚へたり。西なし上州をばわれ一人してきつてとらんと。たなごゝろににぎり。氏直出馬しゆつばをもまたず。前ぢんにすゝみ。上武かうぶのさかひ。かんな川をこしかなくぼまでをしよする。氏直此よし聞あへず。小田原を打立。先陣せんぢんは。富田とみ石神辺いしがみへんぢんし氏直は。安房あは陣場ぢんばこなた。本庄ほんじやうはたを立。後陣ごぢんは。深谷ふかや熊谷くまがへつきぬ。然に滝川左近将監たきかはさこんのしやうげんは。くらか野の方に有て。後陣ごぢん也西上州衆は。前陣ぜんぢんにことくそなへり。安房守あはのかみ無勢ぶぜいを見て。氏直はいまだ出馬なし。あはのかみが一手ばかりは。物のかずならず。いざ打ちらさんと。一どうしおなじき六月十八日の巳の刻に至て。合戦す。すでに上州衆切勝。あはのかみ敗北はいぼくし。二百人程うたれ。みかたのぢんみだれ入。上州衆初合戦はつかつせんにうちかち。いきをひける所に。氏直是を見給ひ。一戦をもよほし。かなくぼへをしよする。軍勢ぐんぜいじうまんする事雲霞うんかのごとし。上州しゆ大軍を見て。きもをけしかさねてたゝかふべき事。蟷螂たうらうをの。かなふべからず。皆々みな居城ゐじやう引退ひきしりぞくべきていあらはせり。滝川たきかは是を見るといへ共。さあらぬ体にて云けるは。前陣せんぢん合戦かつせんに。上州衆切勝きりかつ事。其ほまれ天下に比類ひるい有べからず。此度の合戦にをいては。滝川前陣せんぢん仕べし。上州衆は後陣につゞくべしと云すて。くらか野のかたより打立。其勢津田せいつだ次右衛門尉。舎弟しやてい五郎。同理助。滝川義太夫。富田とみた喜太郎。槙野まきの伝蔵。谷崎たにさき忠右衛門尉。栗田くりた金右衛門尉。壁野へきの文左衛門。岩田市右衛門尉。同平三。太田五右衛門尉。稲田いなだ九蔵。津田小平次。手勢てぜい三千余騎にはすぎず。玉村たまむらかなくぼの方へはせむかふ。滝川馬じるしは。金の三ツだんご也。是を正先まつさきに立。大てきをあざむきしは。光武くわうぶが心をうつしえたる。猛強まうきやうの大将也。滝川鴇毛つきげの馬にのり。ざいをはひちにかけ。やりをつ取てさきにすゝみ。かゝれと士卒をいさめて下知げちをなす。滝川か家老からう篠岡さゝをか平右衛門尉。前登ぜんとうにすゝむ。かれかさし物はさゝ也。其家中かちうの者共皆さゝをしるしにさす。滝川が人数たゞ一まとゐに成て。馬のくつばみをならべ。氏直数万騎すまんぎはせむかふ所へ。ましぐらに。面もふらず切てかゝる。氏直先手には松田尾張守入道をはりのかみにうだう。大道寺だうじするがの守。とを山ぶぜんの守。はがいよの守。山かどかうづけのかみ。同紀伊きい守。ふくしまいがの守。依田よだぜん南条なんでうしろ守。清水しみづ太郎左衛門尉。いせびつ中守。松田肥後ひご切てかゝる。おつつ。まくつつ。くびを取つとられつ。オープンアクセス NDLJP:501たゝかひしが。滝川すでに討負うちまけはいぐんす。かつのつて。いきほひ。追かけ切ふせ。つき臥。二千余人討取うつとりたり。上州衆は滝川にもかまはず。をのれ居城ゐじやうひいて入。滝川其夜は。箕輪にとゞまり。残党ざんたうをあつめ。酒宴しゆゑんし。つゞみをならし。滝川たきかはあふぎを取てまひたるとかや。暁天けうてんいまだあけざるより。箕輪みのわ打立うちたち。人じち共をさきに立。小むり臼井うすゐより皆返し。きそこえて。いせの国いにしへの領知りやうち。かろとじまとかやにつきぬ。多せい勢。かなひがたき所に。義ををもんじ。いのちをかろんじ。一合戦かつせんし。始終しゞうをよくおさめたると。皆人かんぜり
 
 
見しはむかし。さがみ小田原北条諸侍しよさふらひ仁義礼智信じんぎれいちしんもつぱらとし。形義作法ぎやうぎさはふたゞしく。源平藤橋げんぺいとうきつの。四しやうを。かしらとし。八十氏やそうぢ旧流きうりうをくんで。天下にをいていやしからず。然に宿因しゆくゐんをかんじて。くわをなす所。高下かうげことなりといへ共。我々の分限ぶんげんしつて。上をうやまひ下をあはれみ。仁義じんぎを本とせり。ことにもて弓馬きうばまなび。をこたる事なし。立春りつしゆんには氏直公。正月七日御弓場ゆばにをいて。御ゆみはじめあり。鈴木すゞき学頭がくのかみさきとし。射手いてしう参候さんかうす。八日に鉄砲てつぱうはじめ。両日御まへにて。をの武芸ふげいをあらはす。扨又御いぬ馬場ばゞがうし。長さ五十けん。よこ三十間程。犬追いぬをふ物の馬場ばゞあり。射手いてはゑぼし直垂ひたゝれちやくし。馬にのり。犬は二十ぴき三十疋をはなす。射手いては爰をはれと。矢数やかずをあらそふ。小笠原をがさはらはりまのかみ。是を執行しゆぎやうす。大がくに一家仁かじんなるときんば。一国仁をおこすといへるがごとく。氏直仁をもつはらとし給へば。諸侍しよさふらひ仁をおこなふ。仁者は山をたのしむといひて。山ははたらかずじねんに。しづかに有て。草木万物さうもくばんもつしやうずるがごとし。かるがゆへに。じんは五じやうのはじめにして。義礼智信ぎれいちしんの四ツは。仁の内にあり。然に関東諸侍しよさふらひつね礼義れいぎをみださず。てきみかたによらず。大みやうたる人をば。常の物語にも。口きたなくはいはず。未聞みもん不見ぶけんの人にあふといふ共。道路だうろつじ山野花月さんやくわげつ遊興ゆうけう。あるひは有智うち高僧かうそう。あるひは上らう少人せうじん神社じんじや仏寺ぶつじとうまへにては。かならず下馬げばをなし。其くらゐにしたがつて。礼義其様厳重げんぢうに有て。跼蹐きよくせきの礼。終日ひめもすをこたらず。君臣くんしんの礼いよをもんし給へりしよ侍の形義異様ぎやうぎいやうに候ひし。上下かみしもの。ひだのためよう。衣紋ゑもんのりきやうに至迄いたるまでも。小田原やうとて。皆人まなべり。つね放言はうげんにも。賢臣けんじんくんつかへず。黒色こくしきへんぜざるをもて。鉄漿かねとすといひて。侍たる人は。老若らうんやく共に。歯黒はぐろをし給ひぬ。歯海経はかいきやうに云。東海とうかい黒歯国こくしこく有。其俗婦人。歯ことくくろくそむ。今あんずるに。日本東海中とうかいちう国ゆへ。是ををしゆと云々。むかし関東くわんとうてきみかた合戦かつせんし。くびじつけんの時。はぐろのくびをば。侍の首とて。先上まづかみかけたり。ゆへ戦場せんぢやうへ出るには。討死うちじにを心がけ。揚枝やうじをつかひ。はぐろをもつぱらとせり。いにしへの実盛さねもりは。びんひげすみにそめ。小田原北条さふらひは。はぐろをす。古今ここんことなれ共。其心ざしはおなしきものなり。扨又げつじきと名付て。木をもて。オープンアクセス NDLJP:502大きに木ばさみを作り。其げつじきにて。かしらをぬき。又びんのあひだをぬきすかし。皮肉ひにくの見ゆる程にして。かみをばびなんせきにて。びんを高く。つけあげ給へり。若殿原達わかとのばらたちは。髪さきをもみふさのごとくにゆひ。又つけがみとて。べつにかみさきをこしらへ。うらをもみ。ちゞみをよせて。花ふさなどのごとくに作り。付髪つけがみしてゆひ。衣裳いしやうをきるには。のけゑもんと名付て。けたかくひきつくろひ。ゑりをせなかの中ぼね。四のゆまでのけて。膏盲かうくわうやいよの見ゆる程にちやくし。はかまの前を。むなだかに。うしろごしをあげてき給ふ。其程にうしろのゑもんつきと。はかまごしの間。五寸六寸程有し也。廿四五年以前いぜんまでは。関東くわんとう諸侍しよさふらひ形体ぎやうてい風俗ふうぞく叮寧ていねいに。かくこそ有つれと。今のわかしゆに。物語なせば。若き衆聞て。礼義れいぎの事はさもこそあらめ。むかし関東侍の形義ぎやうぎ。聞さへおかしきに。今見るならば。いかにと云てわらふ。実見なれし愚老ぐらうも。今見るならば。さもやあらん。何事も其時の。風俗ふうぞくをまなびてよかるべし
 
 
聞しはむかし。さがみ北条氏やすと。安房あは里見さとみよしひろたゝかひあり。然に太田おほたみのゝかみ武州ぶしう岩付いはつきに有て。謀叛むほんをくはだて。義弘よしひろと一するによつて。義弘義高よしたか父子ふし下総しもふさの国へ発向はつかうし。高野台かうのだい近辺きんぺんぢんをはる。この高野台。ふるきふみには国府台こくふのだい国府代こくぶのだい鴻岱こうのだいかきたり。今所の者にとへば。高野台と書といふ。見れば字面じめんにあふたる。たかきだい也。武州ぶしう江戸より北条がた。とを丹波守たんばのかみ富永とみなが三郎左衛門尉。はせ参じ。からめきの川をまへにへだてゝ。そなへたり下総しもふさ小金こがねより。高木治部少輔たかぎじぶのせうゆう出向いでむかつてぞさゝへける。此よし小田原へつげ来るによつて。小田原のしろ留主居るすゐとして。北条幻庵げんあん松田まつだおわりのかみ石巻下野いしまきしもつけ守をかしらとし。残し置。時日じゞつをうつさず氏やす。氏まさ父子出馬しゆつばし。高野台かうのだいを。中にへだて。相むかつ陣取ぢんどり。かゝりし所に。義弘よしひろ夜中に。ことひきしりぞく由。つげ来るによつて。氏康先手さきての衆。がらめきのを取こし。てき高野台かうのだいを。二ほど引て。そなへたり。味方みかたは是をしらず。とを山。富永とみなが人数にんじゆだいへ取あがる。すでに敵。待うけたるいくさなれば。きほひかゝつて。たがひにをあらそひ。たゝかふてきがたに。正木まさきぜんざいをふつて。正先まつさきにすゝみ惣手そうてをみだし。切てかゝる。みかたくづれざか中にて。とを丹波守たんばのかみ。ふし富永とみなが三郎左衛門尉。山かど四郎左衛門尉。太田おほたゑちぜんのかみ。中でう出羽では守。河村かはむら修理亮しゆりのすけをはじめ百余騎よきうたれ。はいぐんす。氏まさ旗本はたもと二陣に有て。下知げちして云。敵かつにのつて。長途ちやうとをすぐ。是をうつべしと。囲扇うちはをあげ給へば。めいによつてかろし。おもてをふらず。一あしもひかず。まつしぐらにせめかゝる。すでにきりくづし。てき追返をひかえし。くび四五十討捕うちとり本陣ほんぢんはたを立られたり。大ぐん威敵いてきを。氏政はたもとばかりにて。切かち給ふ事。前代未聞ぜんだいみもんまう大将と。諸卒しよそつかんじたり。氏やす後陣ごぢんにて。此義を知給はず。氏康諸老しよらうめしあつめていはく。とを山。富永とみながをうたせ。無念むねんオープンアクセス NDLJP:503やむ事なし。日をうつさず。一せんをとぐべしと。評諚へうぢやうとり也。氏政仰けるは。先場せんぢやうのたかひに。みかた敵をきりくづし。敗北はいぼくする時に至て。我郎従らうじう二人。敵にまぎれ入。ぢん中を見て来れと。つかはす所に二人見とゞけかへりて申は。てきぢんのたゝかひにとを山。富永とみなが討取うちとる。其いきほひに。高野台かうのだいへことく取あがり。諸勢しよぜいみだれ酒宴しゆゑんし。千秋万歳せんしうばんぜいをうたひ。一づゝに引分ひきわけて。そなへべき。覚悟かくごもなく。かたきよせ来らん事をもわきまへず。しうじうたづね従者じうしやしゆ人の有所ありかをもしらず。軍法ぐんはふのてだては。かつてなく。さんをみだしたるていたらく。是義弘よしひろうんすゑ。わざはひをまねくにあらずや。みかたきうによせかくるに至ては。てき前勢ぜんせいは。だいをおりてむかふべし。つぎせいなかばに立。あと勢は台に残り。三所に有て。前士ぜんしのたゝかひを。跡の士卒しそつら。見物するよりほかの事有べからず。さき蟷螂たうらうをの。かれをきつくづすに至ては。跡はなをしかならん。今度の合戦かつせんにをいても。氏まさ前陣ぜんぢんといへり。氏康かさねていはく。今朝けさたつこくのたゝかひをかんがふるに。てき東方ほうはうぢんし。いづる日のひかりをかゞやかす所に。みかた西にしよりむかつて。釼光けんくわうをあらそふ事。是孤虚こきよのわきまへあらざるがゆへ。とを富永とみなが勝利せうりをうしなひたるなり。然に今はやひつじこくすぎ東敵とうてきは入日にして。みかたの後陣ごぢんかげきへぬ。時のうらなひ吉事きちじをえたり。其上たう年は甲子きのえねなり。甲子はいんちうが。ほろぼされ。武王ぶわうかてる年也。義弘よしひろちう同意どういし。氏やすは武わうに比して。かれをうたん。しかのみならず。先祖せんぞ吉例きちれいおほ早雲さううんしげゑい正元年甲子きのえね。九月武州ぶしう河原かはらにをいて。上杉民部太輔みんぶのたゆう顕定あきさだと合戦し。討勝うちかちて顕定はいぼくす。したがつちゝ氏綱うぢつな〈[#「氏綱」は底本では「氏網」]〉。大永四年甲申きのえさる。正月十三日武州江戸にをいて。上杉修理しゆり大夫朝興ともおきと合戦し討勝うちかちて。ともおきを追討ついたうす。就中なかんづく今年こねん今月は。甲子きのえね。正月八日にあたる。吉例きちれいなり。扨又氏つな〈[#「綱」は底本では「網」]〉天文七つちのえいぬ十月七日。この高野台かうのだいに至て。小弓をゆみ御所ごしよ義明よしあきらと。一せん討勝うちかちて。よしあきらをほろぼす。はなはだもて。たゝかひの所かはらず。いかでか先例を。たのまざらん。あまつさへ孤虚支干こきよしかん相応さうおうする事。われに天のくみする所なり。時刻じこくうつすべからず。二に一せん治定ぢぢやうす。然にだいより。東北とうほく節所せつしよにて。よりあしし。諸勢しよせいを二手にわけ。両旗本はたもと前陣せんぢんなり。氏まさ軍兵ぐんびやうそつし。台より南三里したへ打まはり。台を取まき。てきをもらさず。討捕うちとるべきてだてなり。折節露立かすみ。台へ近く取よるといへ共。敵は是をしらず。義弘よしひろ下知げちしていはく。今朝けさたつの刻の合戦かつせん。思ふまゝに勝利せうりをえたり、富永とみながとを山は。安房あは上総かづさのかつせんに。何時も先陣せんぢんにさゝれたる両大将を。うつ取ければ。敵はをくれを取。前陣のそなへは。さぞ引しりぞきぬらん。暁天けうてんに。からめきのを取こし。此いきほひに。あす又一合戦かつせんし。ことく討ほろぼさん事手のうちにありと。ふれらるゝ。日もくれかゝり。小雨こさめそゝぎければ。すこしつかれをやすめん為。よろひをぬぎ馬に水草かひ。明日の合戦かつせんを心がけ。今を油断ゆだんするこそ。運命うんめいつくる。時刻じこく到来とうらいなれ。比は永禄えいろく七年。甲子きのえね正月八日。さるこくに至て。氏政うぢまさ軍兵ぐんびやう近々とをしよせ。鯨波ときのこえをどつとあぐる。氏やすぢきにせめかゝり。又鬨音ときのこゑを二所にあげ。オープンアクセス NDLJP:504おめきさけんで。せめかゝる。義弘よしひろ案外あんぐあい仕合しあはせとおどろき。だい折下おりくだつ鬨音ときのこゑをあわせ。両方へわけて。せめたゝかふ。鉄砲てつぱうさけびのをと。天地をひゞかし。首をとつつ。とられつ。けぶりを出し。半時はんぢ勝負せうぶも見えざりしが。つゐには義弘よしひろうちまけ。ことくはいぼくす。つき臥切ふせきり臥。追討ついたうする事。将棊しやうぎだをしにことならず。敵方てきがた討死うちゞにの衆。正木弾正まさきだんじやう左衛門尉父子ふしかち豊前守ぶぜんのかみ父子。秋末あきずゑしやうげん。里見民部少輔さとみゝんぶせうゆう。同兵衛尉。正木左近まさきさこん大夫。次男平六。平七。菅野神すがのやじん五郎。加藤左馬丞かとうさまのせう〈[#「丞」は底本では「亟」]〉父子ふし。長なん七郎。鳥井信濃守とりゐしなのゝかみ父子。佐貫さぬきいがのかみ多賀たが越後ゑちごをはじめ。五千余騎よきうつ取たり。上総かづさの国しゐつ。ゑのもと。とねり。わだ。此外城々しろ。此いきほひに。みなことく。城をひらきおち行ぬ。此度の合戦かつせんは。氏康氏まさ両はたもとにて切勝きりかちたり。北条新三郎。河越かはごえよりはせ来り。粉骨ふんこつつくす。同源三同上総守かづさのかみ父子氏やす末子ばつし助五郎。新太郎若輩じやくはいたりといへ共。比類ひるいなきはしりめぐり。諸侍の忠せつあげてしるしがたし。右のおもむき氏康うぢやすより合戦かつせん翌日よくじつ。小田原城代じやうだい伯父はくふ幻庵げんあんへ。一戦始中終せんしちうじうをかきのせつかはさる状の。文言をうつし侍る者也。太田みのゝかみは。二百斗にて。はせ参じ舎人とねり村上むらかみをはじめ。一人も残らずうた太美おほみは二ケ所。手負ておひひがしをさして。にげ行ぬ。其せつ落書らくしよ

よしひろく。たのむ弓矢ゆみやいはつきて。からきうきめに。太田おほた美濃みのはて

とぞよみたる。氏康うぢやすいはく此度の合戦に累年るいねん宿望しゆくもうを達す。然に謀叛むほん張本ちやうぼん人。太田美濃守を。うちもらす事。無念むねん千万義弘よしひろは。討死うちじにのさた有といへ共。くびいまだ来らずとくだんの状に記せり。然処に義弘よしひろ。馬はなれ給ひけるに。安西伊予守あんざいゝよのかみ。馬よりとんでおり。義弘をのせ。主従しう二人。かづさ山へぞわけ入たる。はなれ馬をば。おち人見付乗て行たり。義弘の乗馬を見て。やかた討死うちじに必定ひつぢやうのさた有ければ。房州ばうしう討もらされのさふらひ共。主君しゆくんうたせ。いきがひ有べからずと。にげ行道すがらの寺々へたづよつて。皆出家しゆつけし。一人も入道にうだうせぬはなかりけり。義弘よしひろ三日すぎ。かづさ山を分出。房州へ帰城きじやうし給ひぬ。氏康うぢやす高野台かうのだいにはたをたて

てきをうつ。心まゝなる高野台。夕詠ゆふながめしてかつうらの里

とよめり。合戦かつせんことに狂歌きやうかしるはんべみな是氏康氏政興して。よみ給へるによて。皆人覚へたりこゝさと見ゑちぜんの守忠弘たゞひろそくに。長九郎弘次ひろつぐとて。生年十五さいういぢんなりしが。鴇毛つきげこまのり。ほろをかけ。弓持ゆみもちてたゞ一騎。はるかに落行おちゆきをさがみの国の住人。松田左京すけ康吉やすよし。是を見て。あつぱれ大将たり。うどんげと。馬にむちうて。をつかけをしならべて。むずとくんでおちたり。康吉剛者がうのもの成ければ。物のかず共せず。くみふせくびをとらんとせしが。ようがんびれいにして。花のごときのせう人なり。いかでかたなをたてん。たすけばやと思ひけるにみかた雲霞うんかにはせ来て。くびをうばひとらんとす。ちからをよばず。首討くびうちおとし。さすがにたけき康吉やすよしも。なみだにくれて。前後ぜんごまよふ。つら思ひけるは。われかゝるうき目にあふ事。弓箭きせんたづさはるが故也。百年の栄耀ゑいようも。風前ふうぜんオープンアクセス NDLJP:505ちり。一ねん発心ほつしん命後めいごのともしびとす。をよそ三かい輪廻りんゑ。四しやうみな無明むみやうねぶりの中の。妄想まうそうゆめぞかし。此度の仕合こそ。ほつ心のたね〈[#「種」は底本では「程」]〉ならめと。帰国きこくに及ばず。山寺へ入。出家しゆつけし。浮世ふせい改名かいみやうし。すみぞめころもに身をまとひ。一すじ里見さとみ長九郎弘次ひろつぐあとをとふ。皆人是を見て。それ道心だうしんおこすといふは。世の中のつねなきことわりをしつて。名利みやうりすつる心よりおこる。あしたには。くれないのかほばせ有といへ共。ゆふべには白骨はつこつとなる。よろづ心にまかせぬ。あだなる世をくわんずるが故也古今集ここんしう

世のうきめ。見へぬ山にいらんには。思ふ人こそほだしなりけれ

とよみしに。いへをすて。妻子さいしをすて世をのがれ。山に入康吉やすよしが心ざしかんぜり。むかしくまがへの次郎直実なをざね。あつもりをうつて。穢土ゑどのならひかなしび。世をのがればやと思ひ。西国さいこくのいくさしづまり。黒谷くろたに法然はふねん上人の御弟子でしとなり。入だう連生坊れんしやうばうと名付たり。今又康吉やすよし弘次ひろつぐを討て。出家しゆつけ遁世とんせいする事。時かはり人ことなれども。其心ざしはをなじ。やさしかりけりと人皆いへり

 
 
聞しは今。愚老ぐらう伊豆いづの国。下田と云在所ざいしよゆきたりけるにさとかたりしは是より南海なんかいはるかにへだて。八丈島あり此島は日本のよりも唐国からこくへ近くおぼへたり。それいかにと云に。雲しづかなる時分。此島より見れば。から国にあたさだまつて雲たなびく山あり。是から国よりへちに有べからず。然共此島をもろこしにては。いまだしらず。北条早雲の時代。関東より此島を見出し。伊豆の国の内に入たり。北条氏直公時代じだいまでは。三年に一。伊豆の国下田より。渡海とかいあるに。大せん水手かこを。すぐり取のせて。秋北風ほくふうに此島へわたる年貢ねんぐには。上々のきぬおさむると。くわしくかたる所に。村田むらた久兵衛と云ものいひけるは。我先年八丈島へわたりしが。今にをいて此鳥なつかしく。ゆめまぼろしに立そひ。忘れがたし。存命ぞんめいの中に今一此島へ。わたらばやと。仏神ぶつしんへいのれ共かひなしといふ。我聞てむかし治承ちせうの比。俊寛僧都しゆんくわんそうづ康頼やすよりだう丹波少たんばのしやう将三人。鬼海きかいが島へながされし事。ふるふみにみえたり。此嶋の男女の有様。かみをけづらずゆひもせず。つくものごとく。かしらにつかね。いたゞき。色くろまなこひかり。山田に立るかゞしに似たり。はたをうたざれば。米穀べいこくのたぐひもなし。その桑葉くわばをとらざれば絹布けんふ衣服いふくもあらばこそ。木のかはをはぎて身にまとひ。こゑはらいのごとく。すさまじくして。いふとはりも聞しらず。むかしおにがすみければ。鬼海きかいが島と名付。さて又硫黄ゐわう有ゆへに。ゐわうが島共いへりされ共日本ちかきにや。つりふねも行。ゐわうもとめに商人あきびとの舟も行と聞。此八丈は卅の渡海とかい。まれなるしまなれば。いかなるゑびす畜生ちくしやうすみかといひしに。此島なつかしくこひしきとは。いふぞと云てわらひければ。久兵衛聞て。我主わがしう板部岡いたべをか江雪入道がうせつにふだうば。元来ぐわんらいいづの下田しもたがう真言しんごん坊主ばうず也。能筆のふひつゆへ。氏直公へめし出され。右筆ゆうひつオープンアクセス NDLJP:506に召つかはれたり。是により伊豆いづ島々の事を。よくしられたり。故に伊豆七島のさし引を仰付られ。一年江雪斎がうせつさい。八丈島じやうじま仕置として。渡海とかい時節じせつ供して渡りたり。此島の事あらかじめ物語をば聞しかど。人のかたやうにはよもあらじと思ひしに。女房にばう色白く。髪ながふしてくろし。かたちたぐひなふ。手足瓜てあしつまはづれ。いとやさしくかほばせ口つきあひしく。上々のきぬをかさねて。立居ふるまひ尋常じんじやう愛敬あいきやう有てむつまじさを。一同見しより扨も我此島に来り。かゝる美女びぢよにあふ事。いかるな神仏かみほとけの御引あわせぞやと我身をかへり見るに。いろくろく有てすがたいやしく。衣るいまでも見ぐるしければ。ならびてるもはづかしさに。昔男むかしをとこのなりひら。かほる中将の身ともむまれかはり。此女房とちぎりをむすび。天にあらば。比翼ひよくの鳥。にあらば。連理の枝とならばやと思ふに付ても。此鳥は天笠てんぢく唐土たうど日本をはなれ。南海なんかいはるかにうかびたる島なけば。昔時そのかみ天人あまくだり。此島をすみかとなし。其ゆかりの女房にておはしけるぞや。さなくばいかでか程まで。容色ようしよくたぐひなふ。心ざまゆふにやさしく。花のかほばせ。もゝのこびゆきのはだへ。一つとしてかく事なきのふしぎさよと。心そらにあくがれ。浮立雲うきたつくものごとく也。史記しきはをのれをしる者のために。もちひられ。女はをのれをよろこぶ者のために。かたちを作るといへるがごとく。我国の女は。かほに白粉はくふんをぬり。かたちを色々にかざる。此島の女房は。むまれつきのすがた其まゝに有て。うつくしさ。たとへていはんやうもなし。物をかきうたさうしを明暮あけくれもてあそび。やさしき道のみともとなせり。去程に日本の土産みあげ物とて。まづらしきさうしをとらすれば。何か是にはしかじとよろこぶ。扨又おとこは女にかはり。色くろくすがたいやしき。やせ人形にんぎやうに小袖をきせたるがごとくなれば。日本人も。是にすこし心をなぐさみぬ。女房きぬをり。北条貢絹くけんとて。おさむる故にや。むかしより家主いへぬしは女にて。男は入むこなり。ほとけは五しやうじうとき給ひて。女に三つの家なし。此しまは世かいにかはり。男に三つの家なし。去程に女子をもちぬればよろこび。おや家財かざい跡職あとしきをわたし。男子なんしを持ぬれば。すてものに思ひ。入むこになす。万事みな女房のさし引也。此島へ日本の舟つきぬれば。島のおさきもいり先立さきだち国衆くにしうをともなひ。其このみの家に入。其家の女房を其つまとさだむるゆへに。女房共天たういのりをかけ。我いへへ国衆をいらしめ給へとねがふ。国衆とは日本人をいふ。国衆の入ざる家のをんなは。天道をうらみ。身をかこちあへるばかり也。国衆入ぬる家。よろこぶ事たとへば。から天竺てんぢくすみ付てゐたる子やおやが。不慮ふりよの仕合有て。帰朝きてうし。二たびあへる心ち。扨又及びなき人を。とし恋託こひわびしが。まれにあふがごとし。我乗たる舟。此島へ付たりしに。島の肝煎きもいりいそぎ来て。はや島へあがらせ給へ。御国衆を聟入むこいりさせ申べし。御舟よりすぐに。御目ずきの女房のいへへ。入せ給ふべしと。国衆をともなひ。のぞみの家に。一人づゝ入をく。其家の亭主ていしゆ出合。御むこ入かたじけなや。所にをいての面目めんぼくたり。帰国まではゆる〻〻とおはしませと。心よくいとまごひして。よの在所さいしよへ行て。年月ををくる。女房しゆと親類しんるい人まオープンアクセス NDLJP:507でも。御むこ入めでたきとよろこびあへる事。たゞ手の上に。おさあひ子をおきて。あひするがごとく。みなあつまりてもてはやしければ。国衆は思ひのほかのたのしみ。たまうてなに有て。女御更衣にようごかうい。あたりにみちて。栄花ゑいぐわなはざかり。喜見城きけんじやうのたのしび。是たゞ邯鄲かんたんの夢の心地。もしさめなば。いかゞせんと思ひぬるのみ。ふでにもつくしがたしとかたる
 
 
聞しは今。村田むらた久兵衛八丈島の物語。右にくわしくしるし侍る。扨又江雪入道は。のうずきにて有けるが。島の者共に能をして見せんと。笛尺ふえしやくつゝみをならし。定家ていかまひ給へり。はひまとはるゝや。定家かつらと云所にて。座中ざちうをはひまわり。はかなくもかたちうづもれて失にけりまで。はひまくの内へ入ければ。島の者ども是を見て。扨もめづらしやはひまもり給ふすがたの面白おもしろや。御国衆ののふを。はじめて見たり。何事か是にまさらんと云。江雪こうせつ入道島の方角はうがくたづねらるゝ所に。船頭せんどうこたへて。此島は日本よりはみなみ未申ひつぢさるにあたりたれば。伊豆の国より紀州きしう熊野くまのへちかくおほへ候。郷雪ごうせつ新勅撰しんちよくせん

和田わだはら。なみもひとつに三熊野くまのの。はまみなみは山のはもなし

とこそよみたれ。されば此島の女は。かたちいつくしくゆうなるよそほひ。人間にあらず。天人かとあやまたる。むかし天智てんちわう御宇ぎよう大和やまとの国よし野の山へ。天人五人あまくだり。すみかをもとめんとせしか共人倫じんりんかよふ山なれば。むなしく天上へ帰りさる。大裏だいりに五せつまひと云事あり。其五人の天乙女あまをとめをまなび給へり。新拾遺しんしうい

そでかへす。天津乙女あまつをとめもおもひ出よ。よし野のみやのむかし語りを

とよめり。あへてもて。天乙女此島へくだすみかとなせるにや。爰は人間にんげんに有べからず。それ仙翁せんおうは一ツのつぼの中に。世かい有て。たのしび。商山しやうざんの四こうは。たちばなの木の中に。すみか有てたのしむ。かくのごときんば八ぢやう女橋中皓によきつちうこう中仙ちうせん。是みな乾坤けんこんほかにて。別世界べつせかい也。ていればをとこ我朝わがてうの。人形にんぎやうにひとしくして。梵語ぼんご漢語かんごをもとなへず。和語わごさへづる事ふしぎなり。むかし清盛公きよもりこう朝頼よりとも公の時代じだいに至て。非常ひじやう流人るにんおほく遠島ゑんとうす。西は鎮西ちんぜい鬼海きかいが島。北は佐渡さどが島。東はゑぞが島みなみは伊豆の大島ならで。遠島ゑんとうのさたなし。それより以来このかた延徳ゑんとく年中。早雲宗瑞そうずい。伊豆の国をおさめ給ひしまでも。八じやう島の名を聞ず。其比豆州とうしう賀茂かもの住人。朝比奈あさひなの六郎知明ともあきらと云さふらひあり。是より南海なんかいあたつて島有よし聞及び。大せんそうに人おほく取のり。伊豆下田の津より渡海とかいし。かの島につき。民家みんかをなびかし。末代まつだい伊豆の国の内たるべきむね中さだの。帰海きかいし早雲へ此よし告しらしむ。早雲喜悦きゑつなゝめならず。八丈島見出したるけんしやうに。伊豆の国下田のごう朝比奈あさひな六郎知明ともあきら子々孫々しゝそん永代ゑいたいさまたげ有べからずと云々。故に今知明がそん。あさひな兵庫助ひやうごのすけ下田を知行す。此オープンアクセス NDLJP:508島より北条五代。まい年の貢絹ぐけんをおさむる事。千秋万歳しうばんぜいなるべし。つら島の男に付て。むかしをかんが見るに。頼朝よりとも下野しもつけ国。なす野の御かりの時。大鹿じか一かしら。せこの内よりかけ下る。幕下はつかことなる射手いてをゑらび。下河辺しもかはべ六郎行秀ゆきひでをめし。是をべきよし仰らる。厳命げんめいなりといへ共。其矢鹿しかにあたらず。此鹿せこのそとにはしり出る。然所に山左衛門尉朝政ともまさとゞめをはんぬ。よて行秀ゆきひでは。世に有て生がひなしと。狩場かりばより出家しゆつけをとげ。逐電ちくてんし。ゆきがたしらず。其のち紀州きしうくまのに有て。智定房ちぢやうばうがうし。日夜法花経ほけきやうをどくじゆしつるがくま野なちのうらより。補陀楽山ふだらくせんに渡る時に。一ほうの状をしたゝめ。智定房同朋どうぼうたくして。北条武蔵むさし守殿へ。をくりしんずべきのむね申置により。紀州きしう糸我いとがしやうより。是を持参ぢさんす。天福てんふく元年五月廿七日に。鎌倉かまくら到来とうらいす。武州ぶしう御所へ。此状を持参ぢさんし。御まへにをいて。すはうの前司ぜんぢちかざね披見ひけんす。さんぬる三月七日。智定房ちぢやうばうくま野なちのうらより。ふだらくせんに渡る。在俗ざいぞくの時より。出家しゆつけとんせい以後いごの事をしるす。将ぐんもふびんにおぼしめし。武州いにしへ弓馬きうばともたるよし。あはれみ給ふ。御所にかうする人々。感涙かんかい〈[#ルビ「かんるい」は底本では「かんかい」]〉 をくだすと云々。弓矢ゆみや取身はやすからず。ていれば。かのちぢやうばうが乗舟のりふねは。ふなやかたをこしらへ。其中へ入ののちそとよりくぎをもて。みなうち付。一ツのとぼそもなくして。日月のひかりを見る事あたはず。たゞともしびによるべし。卅ケ日程の食物しよくもつ。ならびに油等あらぶとう。わづかに用意よういすと云々。此ふだらくせんと云は。南方なんばううみのはてに。たのしむ世界せかい有とかや。あたか是八丈島の事なるべし。智定房ちぢやうばう此島へわたり。天乙女あまをとめと契りをなしそれより。をとこもあまたになり。日本の風俗ふうぞくを。まなびぬるか。是ははや三百八十以前いぜんの事也。おぼつかなし。然ば此島にて。父母女子ぶもによしをまふくる事をねがふより。むかしもためしあり。から玄宗げんそうざい位の時。天下の父母ふもたる者。むすめをうまん事を。仏神ぶつじんへいのりてねがふ。長恨歌ちやうこんかに。つゐに天下の父母ふぼの心をして。男をうむ事ををもんぜず女をうむ事を。をもんぜしむと云々。我朝わかてうにも有べき事なりと申されし。扨又女共いふ様来の年むこ殿。御帰国きこくのみあげ物を。はやいまより用意よういせんと。いとをくり返し。きぬおり出し。たくさんに聟へ取せけるを。女房の手がら。末代まつだいいへ系図けいづなりと。所の者ほめければ。いづれの女房も。我をとらじと。夜を日についで。きぬををり。わざをなす事いとまあらず。扨中一年滞留たいりうし。三年目のなつ南風なんふうを待えて。舟を出さんと。皆人はし舟に取のれば。まくらならべし女房はいふにをよばず。下人までも名残なごりをおしみ。はまへはしり出。もすそをなみに打ひたし。舟に取付。たもとにすがり。我をばすてゝ。ゆき給ふべしやと。あらつれなの日本人の心や。今生こんじやう名残なごり是までなり。のちにあひ見ん事もさだめなしと。あしずりし。舟ばたをたゝき。こゑをばかりにさけぶ有様。たとへんやうぞなかりける。これ恋路こひぢと云事は。しのぶをもて本意ほんいとせり。後撰集ごせんしう

忍ぶれど。色にいでけり我こひは。物や思ふと人のとふまで

平兼盛たいらのかねもりはよめり。扨又定家卿ていかのきやううたオープンアクセス NDLJP:509

うら山し。こゑもおしまずのらねこの心のまゝにつまこふる哉

ゑいぜしは。八丈島の恋路こひぢにことならず。国衆もさすが岩木いはきにあらねば。心よはくも舟を出しかねそれ一じゆのもとにやすみ。一のながれを渡るれ共。過別すぎわかるれば。名残なごりをおしむならひぞかし。褒姒ほうじ一たびゑみて。幽王ゆうわう国をかたふけ。玉妃ぎよくひかたはらにこびて。玄宗げんそう世をうしなひたまひぬ。ましてや此女房たちは。人間のかたちにあらず。たゞ是天人あまくだり。うどんげなる。三年の契り。今わかれとなれば五すいくるしみも。是にはいかでまさるべき。恩愛をんあいの道は。つなげるくさりのごとし。釈迦しやか善提ぼだいの道にいらんとて。十九にして都を出給ひしに。やしゆたらによに。名残なごりをおしみ出かね給ひけり。ほとけなをかくのごとし。いはんや凡夫ぼんぷをやと。たがひにかこち。かこたれ。なきかなしめる有様は。目もあてられぬ風情ふうぜいなり。江雪こうせつ入道是を見て。なにとて舟には。をそなはるぞ。にくい奴原やつばらが有様哉。皆一々に海へ切ながさんと。かたなぬいて。艫舳ともへをはしりまわり給ひければ。ちからをよぱず舟を出す。くがにてよびさけぶ其こゑ。はる波路なみぢを。わけて聞ゆれば。舟人も思ひやられて。なみだくれて。前後ぜんごも分ず。舟も行々ゆく声もきこへねば。女ども高き所にのぼり。竿さほ〈[#「竿」は底本では「笠」]〉の先に白ききぬを。むすびつけ。々にもちて。おどりあがり。さほをふりける有様は。欽明きんめい天皇の御時。大とも佐提比古さたいひこ遣唐使けんたうしにて。もろこしへはたりし時つまのさよひめ名残なごりをおしみ。松浦まつら山へのぼり。きぬのひれをふり。其舟をまねきしも。是にはいかでまさるべき。女のむつごとに。御国衆はかたちより。心なんまさりたると云しこそ。わす〈[#「忘」は底本では「怠」]〉れがたけれ。島の事人に語るもうらめしさに。ふつと思ひ切て有しに。せんなき事を語り出し。二度物を思ふといひすて。うつぶきにふしてなみだにむせぶ。愚老ぐらう聞て。島の物語われ聞さへ心そゞろにうかれぬ。其女房をせめて一目見ばやと床しきに。其方三とせあひなれ。あさからぬちぎり。思ひやられてあはれなりことはりなりと共になみだをながし。袖をしばりたり。然に江雪こうせつ入道の事。我小田原に有てよく存たり。げに今思ひ合する事あり。江雪さい島にて。定家ていかの能を仕たる由申ければ。氏直聞召きこしめし御しゆゑんの時節じせつ。江雪島にての定家と仰有しに。けうある人にて。度々どゞまはれたり。宏才弁舌こうさいべんぜつ人にすぐれ。其上仁義じんぎの道有て。文に達せし人也。弓箭ゆみや評定へうぢやうの時も。氏直公一門家老からう衆の中に。くはゝり給ひき。一年秀吉ひでよし在世ざいせの時。氏直使者ししやとして。江雪入道上らくせられしに。秀吉公対面たいめん有て。ゐ中者といへ共礼義れいぎの次第厳重げんぢう也と。御感ぎよかん有しと也。氏直没落ぼつらく以後いご秀吉公へめし出され。板部をか江雪ごうぜつ。山岡道阿弥だうあみ此両人は。つねにはなしの御あひてに参られたり。然に八丈島の女房。ふしぎ有事ふるき文にも見えず。され共見聞集けんもんしう題号だいがうおうじ。久兵衛物語をしるし侍る也

 
 
見しはむかし伊豆いづの国のぢう人。清水上野守かうづけのかみは。小田原北条譜代ふだいさふらひ。関八州に其をえたるオープンアクセス NDLJP:510武士ものゝふなり。されば上野守が妻女さいぢよ。山上のやしろ氏神うぢかみへ。宿願しゆくくわん有て。参詣さんけいする途中とちうさかに。うし穀物こくもつを二へうつけながらふして有。見ればあとあし二つを。がけへふみおとし。岩角いはかどたはらかゝつてとまる。荷縄になはをきるならば牛谷うしたにへおちてすべし。ひき上べき様なく。ふびんなる有様なり。女房是を見て。あたりの者をのけ。一人そばへより。牛とたはらをいだひて。ちう持上道もちあげみち中に牛をたてたり。此女の力。人間のわざにあらずと。人さたをせり。其はら〈[#「腹」は底本では「服」]〉男子なんし一人有。水太郎左衛門尉是なり。はゝちから請次うけづぎ。大力のをえたり。ある時太郎左衛門甲くろといふ馬を一ぴきもつ。一日に大豆まめを一斗くらふ悪馬あくばなるゆへのるものなし。馬屋の内を出すには。中間ちうげん六七人有て。つなを付てひき出す。くらをく事ならず。太郎左衛門此馬に飛乗とびのりむちを打てはしる時またにてしむれば。立所にをはきてす扨又奥州おうしうより出たる。岩手鴇毛つきげがうす。駿馬しゆんめを持たりかみあくまでちゞみ九寸あまりにて強馬つよむまなり。長久保より鷲巣わしずの嶺へは。のぼり道五程あり。此馬の心見んため。甲冑かつちうたいし。はたをさしこくに。長久を乗出し。鷲巣を目がけむち打て。野原のはら真直まつすぐ馳行はせゆく有様たゞ逸物いちもつたか。八重羽えばきじを見て。ますかきの羽をとぶがごとし。鷲巣の嶺へのりあげ。いきもつかせずひつ返し。即刻そくこく長久保へ帰馬きばするに。あせをくださゞる名馬めいば也。太郎左衛門。じやなり共綱を付てのるべしと。荒言くわんげんをはく。一とせ佐竹義重さたけよししげと。北条氏まさ常陸ひたちの国にをいて。合戦かつせんみぎり。太郎左衛門尉。岩手いはて鴇毛つきげこまし。黒糸くろいとおどしのよろひの四方のはたをさし。かしぼうを一丈あまりにつゝ切。六かくにけづり。此棒をもつて。はんくわいをふるひ。敵軍勢ぐんぜいなかへ。のり入て。棒のいしづきをつ取のべ。片手に持て。弓手ゆんで手のかたきを。一はらひに五人十人うちひしぐ。ばうにあたつてする者。其数をしらず数度すどの合戦に先をかけ。しはきをくだき。敵をなびかし。みかたをたすけ。剛者がうのものの名をえたりき。するがのこく長久保ながくぼ城主しろぬしなり甲州かうしう信玄しんげん勝頼かつより父子ふしとたゝかひ。つゐに一も。をくれをとらざる武略ぶりやく智謀ちぼうの人世にまれなり然に一とせ信玄しんげんと。参州さんしうみなもと家康いえやす公との。たゝかひの時節。信玄しんげんより氏政うぢまさへ。加勢かせいをたのみけるに付て。大とう式部しきぶ少輔。清水しみづ太郎左衛門尉。両大将として。三千軍兵ぐんびやうそつし。信玄にはせくはゝる。ころ元亀げんき三年みづのへさる十二月廿三日申のこくいたつて。家康いえやす公と遠州ゑんしうみかたが原の合戦かつせんに。信玄勝利せうりをえられたり。此節大とう式部少輔は討死うちじにす。太郎左衛門尉上にやりをつとつて。真先まつさきにすゝみ。猛威まうひをふるひ。こゝにてもかしこにても太郎左衛門と。名乗なのりて。千万騎が中へ切て入といへども。名にをそれてこと敗北はいぼくし。おもてをあはする人もなし。てきはいぐんする。其中にきんの馬よろひかけ。くれなゐおどしのよろひたる武者むしや。大じんとおぼしくて。郎従らうじうあまたかこみ落行おちゆきを。太郎左衛門尉是を見て。こまむちうて。のがすまじと大こゑをあげてよびかくるは。鳴神なるかみのごとし。郎従らうじうこのいきほひにをそれ。左右へわけ迯退にげしりぞく。追付おひつけかぶとのしころをつかんで引返しくら前輪まへわにをし付。ねぢくびにぞしてけり。故にねぢくび太郎左衛門と云て。大りきの名をゑたり氏直此ものゝ。力の程オープンアクセス NDLJP:511をかんがみ給はんがため。あるけうじて。太郎左衛門こうするまへへ八寸まはりの鹿しゝの角を。二ツなげ出されければ。二ツの角を一手ににぎつて。引さきたり。氏直もかんしよ人も奇持きとくにおもひたり。着量骨柄きりやうこつから人にすぐれくわん八州にならびなる大ちから〈[#「力」は底本では「刀」]〉だいまではまれある人なり
 
 
見しは昔。関東くわんとう諸国に。弓矢ゆみやをとる。東西南北とうざいなんぼくにをいて。たゝかひやむごとなし。去程にさふらひたる人は。鉄砲てつぱうをみがき。くすりをあはせ。弓のつかをさし。はぎ。うつあを木などにて。木ほうをけずるにいとまあらず。扨又てつを木鋒のごとくうちのべ。さきをのみのごとくつくり。とす。是をすやきと名付。毎年七月には。七夕しつせきの矢とがうし。大みやう小名知行役ちぎやうやくに。主人しゆじんへ上る。十筋の内。五ツはすやき。五ツは木ほう。いづれも是を。数矢かずやと名付たり。其時節じせつ鉄炮てつぱうはすくなく。弓はおほし。日々のたゝかひに。矢だねつきぬれば。主人より矢はこを。諸侍しよさふらひへくばりわたす。てきちかくそなへたる時は。矢束やつか強弓つよゆみをゑらび。矢印やじるしを書付。右のかず矢をもて。てきのそなへをくづす是をのぶしいくさといふ。天正七年の秋。武田勝頼たけだかつより伊豆の国にむかつて。進発しんぱつし。うき島がはら。三まいばしぢんす。北条氏直も出馬しゆつばし。伊豆の国。はつねが原。三しまにはたを立。対陣たいぢんはつて。さかひをへだて。いどみたゝかふ。日もくるれば。さき手のもの敵陣てきぢん夜討ようちをもよほす。其比は其国々の案内あんないをよくしり。心横道わうだうなるくせ者おほかりし。此名を乱波らんばと名付。国大名衆ふちし給へり。夜討の時は。かれらを先立さきだつれば。しらぬ所へ行にともしみを取て夜る行がごとく。道にまよはず。足軽あしがる共五十も百も。二百も三百もともなひ。敵国てきこくしのび入て。ある時は夜討ようち分捕ぶんどり高名かうみやうし。或時はさかひ目へゆき藪原草村やぶはらくさむらの中にかくれゐて。毎夜まいよてきをうかゞひ。何事にもあはざれば。あかつきがた敵にしらず帰りぬ。是をかまり共。しのび共。くさとも名付たり。すぎし夜はしのびに行。今朝けさはくさより帰りたるなどゝいひし。其くさ。しのびと云正をしらず。或文あるふみ窃盗せつとうは夜るのぬす人。忍びが上しるせり。又盗窃の二字を。しのびとよむ故の名なるか扨又くさと云字をさつするに。此等の士卒しそつ中に境目さかいめゆきひるも草にふして。てきをはかる。是をくさふすともいひつれば。下略げりやくして。草と名付たるにや。然ば草と云かくべき歟。今の時代じだいつたなき言葉ことばなれば。しるし侍る。陣中ぢんちう終夜よもすがらかゞりをたき。夜あけぬれば。先手さきて兵士ひやうし等。さかひ目へ日々出むかつて。陣する所に。若手わかてさふらひ。ほまれを心がくるともがら陣中ぢんちうをぬきんで。両陣の間へ。たがひにすゝんで出あひ。いくさをなす。見物けんぶつしてをもしろきは。此せりあひいくさなり。是は先手さきてやくとして。日々のたゝかひある仕場居しばゐ近隣きんりんに。あるはくぼみのあり。或はもりはやしやぶせこ有て。かくしをく所の人数にんじゆ斗がたきが故てき少勢せうぜいなりといふ共。さかひをふみこす事成がたし。然間双方さうはう心を一つにして。みかた無勢ぶせいなれば。士卒しそつをくはへ。をなし程かち立の者ども出あふ。馬上はじやうも二十三十騎。はせくははつて下知げぢオープンアクセス NDLJP:512す。をつつ。まくつゝ。さんを乱す其間に。前登ぜんとうしんむ者は。くびをとつゝとられつ。武勇ぶゆう達者たつしや。兵りやくつくす。懸引かけひきに目をおどろかす。北条美濃みの守。氏ちか家中に。すゞ木左京すけは。すぐれたる強弓つよゆみなり。前登ぜんとうにすゝみ。かれがはなつや。はぶくらを。のまずといふ事なく。たちまち射殺いころす所の者おほし。是を見ててきかたより。武者むしやはせ来り。あを木角蔵と名乗なのつて。左京すけすで弓手ゆんでに相あふ。たがひに矢をさしはさむ。左京亮てきの弓を引ざるさきに。ひやうとる。此矢あやまたず。弓手のわき。よろひをとをし。のぶかに立。角蔵弓をひかんとすれ共。痛手いたでなりければ。かなはずして。ひらき退しりぞく。左京すけ又二ツの矢をつがつてる。馬のふとはらに。はぶくらせめてたつ。馬はしきりにはねければ。角蔵馬上よりおちたり。みかた是を見て。かちどきをどつと作り。此仕合を其日の。矢軍の勝負せうぶしるしとして。双方さうはう士卒しそつ。相引し本陣にはたを立たり。かゝりし所にてきかたより。たゞ一人弓にを取そへ。みかたのぢんまぢかくかちむかつていはく。是へ罷出たる者は。先場せんぢやうのたゝかひにをいて。馬上ばじやうより射おとされし。青木角蔵が使者ししや也。矢印やじるしにさがみの国。三うらの住人。鈴木すゞき左京すけとあり。勢兵せいびやう射手いててきみかたのほまれかくれなし。それ戦場せんぢやうに出てうつもうたるゝも。武士ぶし名誉めいよのぞむ所の本懐ほんくわい也。扨又いくさはかならず一方かち一方まく。すべて其日の運命うんめい厚薄こうばくにこたへければ。まけたりとても。耻辱ちじよくに有べからず。然り今日角蔵に。あたる所の矢は。すやきの数矢かずや也。すでに目がけて。名乗なのりがたきをかろしめ。あざむく仕合。すこぶる遺恨いこんやることなし。たゞし終日しうじつの軍に。矢種やだねつきたるにや。あへてもて。角蔵今日鈴木すゞき左京すけ殿と参会さんくわいのしるしに。送りしんずと云て。名字みやうじ書付かきつけたる。鋒矢とがりや二iすぢてをくる。左京すけ請取うけとり使者ししやに向て云。先陣せんぢんのかけに。数矢かずやをもて奉る事。いさゝか軽賤けうせんの儀にあらず。我遠敵とをてきを心がけ。矢を打つがひたる時刻じこくに。青木角蔵あをきかくざう殿案外あんぐわいに。はせ来てたがひに弓手に相むかひ。すでに火急くわきうの仕合也。ほとんど遺恨いこんに思ひ給ふべからず。折節。持合せたるとてうつぼ〈[#「靭」は底本では「剏」]〉よりふしかげ取。矢印やじるし有つる大鴈股かりまたを二すじぬき出して返す。諸人是を見て。まもり。節ををもくする。武士ものゝふ振舞ふるまひ。かくこそ有べけれと。敵もみかたも感歎かんたんせり
 
 
聞しはむかし老士らうし語りけるは。我数度すどの軍にあひたり。大合戦かつせんにをいては。たゞ一勝負せうぶ也。有無うむの二ツにきはまる故。先陣せんぢんの者は。万死ばんし一生にさだめ心たけく樊噲はんくわいをもあざむく。討負うちまけはいぼくに至ては。心をくれ餓鬼がきにもをとれり。大合戦にくづれかゝつて。返す事かなはず。然に小田原北条。五代の内数度すどの大合戦に。討勝うちかちたり扨又みかたまくる事有といへ共。つゐに一も。大まけなし。是さだめをかるゝ所の法度はつとを。用るが故也。それいかにとなれば。かねての軍法ぐんぱうにそなへを一手づゝ。段々だんに立る。其間一町へだつ。一そなへの内。前後ぜんご武者むしや奉行ぶぎやう有て。をくるゝ者をオープンアクセス NDLJP:513ば。しんがりの奉行。そなへの内へをひ入。さし出る者あれば。つぎの奉行。をさへ下知げちす。其上はたもとより。検使けんしとして。騎馬きば武者むしや惣陣そうぢん馳廻はせまはつて。両ぢん一町へだたる間に。まぎるゝ者あれば。是非ぜひろんぜず。切捨きりすつる。然にみかたの先陣せんぢんいくさに。討負うちまけ敗北はいぼくに至ては。二陣の武者むしや奉行ぶぎやう先立て。そなへをとがりがたに立。やりつくつて。てきまち。みかたくづれかゝるといへ共。まつ所のみかたの。鑓さきにをそれ。左右へ分て。はいそうす。もしそなへつゝにげ入らんとする者あれば。切てすつる故に一人も入ず。てきかちいくさとなれば。かならず鋒矢形とがりやがたをひ来る。然にみかた待請まちうけたる。いきほひを見て。かなはじと。前登ぜんとうにすゝむ者。引返しぬれば。残党ざんたうまつたからずとて。こと敗軍はいぐんせずしてかなはざる也。北条いくさぢんにて切返す事度々にをよぶ。なかんずく享禄こうろく三年庚寅かのえとら。六月十二日武州ぶしう小沢原をさはゞらにて。官領くわんれい上杉朝興ともおきと。北条氏つなかつせんに。みかたの前陣せんぢんうちまくるといへ共。二ぢんにて引返し。千うち取。扨又氏やすと。里見義弘さとみよしひろ下総しもふさの国。高野台かうのだい合戦に。先陣せんぢん討負うちまくるといへども。二陣にて引返し。大がちあり。くだん軍法ぐんほうは。氏つな時代じだいこのかた。北条家にもつぱら。是を用る。いくさに大まけあるは。そなへみだすが故也。一合戦打かつといふ共。新手あらての敵に。二度打かつ事叶ふべからず。人馬じんばともに。筋力きんりよくつかれ。いきほひをうしなふによて也。ほとんどかちいくさに。長途ちやうどすぐるは。不可ふか也。士卒しそつ等。かつにのつて。くびをとらんと。身のつかれをもわきまへず。ながをひする時に。てきかたはらの。やぶせこより。五人三人はしり出て。矢石しせきをはなつに至ては。すは敵むかうと見て。さきがけの者。一人引返ひつかへす。あとの者。聞おぢして。なをはいぼくす。其時せつにをいては。山人さんじん百姓等。こゝかしこより出はしつて。鹿弓しゝゆみかけなどして。大くづれする事ひつせり。され共兵法ひやうほうやうにはさだめがたし。時にのぞんで。せりあひいくさには。かつてまくる事有。まけてかつ事有。其に至ては。君命くんめいをもをそれず。師伝しでんをももちひず。てきによつて。転化てんくわするは。勇士ゆうしのをのれと心にうるみち也。軍陣ぐんぢんをよび。公私こうしの儀に付て。かなはぬ所にては討死うちじにし。のがるべき所をしつては。いのちをまつたふし。後日ごにち本望ほんもうを達する。是を仁義の勇士ゆうしといふ。すゝむまじき所をかけ。退しりぞくべき所を。のがれず討死するはそむけり。是を血気けつきゆうと云。一身の武勇ぶゆうのぞむには。場所ばところしる肝要かんよう也。人も見ぬ所にて。けなげをはたらき。討死うちじにするは犬死いぬじになり古歌こか

見る人も。なくてちりぬるおく山の。紅葉もみぢはよるのにしきなりけり

とよみしも是にたくへておもひいだせり。ほまれ有人の見る所ならば。ばん人にゐきんで。武勇ぶゆうを。はげますべし。討死する共。武名ぶめい子孫しそんにつたふべし。ほまれ有人の一ごんは。俗士ぞくしの千ごんにもすぐれたり。先年秀吉ひでよし時代じだい濃州のうしう柳瀬表やながせをもての合戦に。七本やりといはれしは。加藤肥後かとうひご守。同左馬助さまのすけ福島ふくしま左衛門すけ脇坂中務わきさかなかつかさ糟屋内膳正かすやないぜんのかみ平野遠江守ひらのとをたうみ片桐市正かたぎりいちのかみくだんの七人也。この人々大みやうなりての改名まいみやう也。是よき戦場せんぢやうにて。前登せんたうにすゝむが故也。其上ほまれをうるに。大ゆうと小ゆうオープンアクセス NDLJP:514との二みやうあり。ぶんまなび。をたしなんで。智謀ちぼう兵術ひやうじゆつを。もつぱらとし。たゝかはずして。人にかつ事をはかるを。大ゆうといひ。独けなげをむねとし。人のならぬ所を。をしやぶつて。われと手をくだひて。討勝うちかつを小ゆうと名付。いにしへをつたへ聞しに源九郎義経よしつね。ひとりけなげを。もつぱらとせり。平家へいけ一谷にじやうをかまふる所に。ひよどりごへといふ。人力のをよばぬ高山かうざんより。義経よしつねひとり。さきだつて。つゞけつはものどもと。下知げぢせられたり。其後半家。さぬきの国にじやうこう源氏げんじ軍兵ぐんひやうそう兵船ひやうせん用意よういし。渡海とかいせんとする所に。なみ風あれて。乗船じやうせんかなはず。義経よしつね公平家。追討使ついたうし宣旨せんしをうけたまはり。悪風あくふうなり共。延引えんいんすべからず。うんは天にありと。ぬしひとり。元暦げんりやく三年二月十六日。ともづなといてのり出す。彼下知かのげぢしたがつて。以上五そう彼国かのくに着岸ちやくがんし。平家けいけを追討すといへ共。是は血気けつき小勇せうゆうのふるまひにて。大将のはたらきには不可ふか也。去程に義経よしつね人のいさめをも用ひず。無理むりにつよみをこゝろにかく。故に義経独歩どくほむねをさしはさみ。万事不義ふぎ有て。頼朝よりとも公と不快ふくわいにして。はたしてがいせられ給ひぬ。扨又頼朝公。佐竹さたけ冠者くわんじや義秀よしひてじやうせめらるゝ。直実なをざねは万人にぬきんで。かけやぶり。おほくくび討取うちとる摂州せつしうたにじやうをせむる時。直実夜中に前路せんろをまはり。刻門外こくもんぐあいにすゝみ。源氏げんじさふらひくまがへの次郎直実なをさね前陣せんぢん高声かうしやう名乗なのる城中じやうちうに此由を聞。飛弾ひだ三郎左衛門尉盛次もりつぐあく七兵衛景清かげきよ。木戸をひらき打て出たゝかふ。直実は万士ばんしにこへたる故。天下無双ぶさう剛者がうのものと。頼朝よりともほうび有事。度々どゞにをよぶ。され共物がしらのやくは。つゐに仰付られず。加藤かとう次郎景廉かげかど土肥どひ次郎実平さねひらは。一身の手がらをあらはさずといへども。軍兵ぐんびやう統領とうりやうを。承り下知する事。数度すどにをよぶ。此等これらの人は。智略ちりやく兵術ひやうじゆつむねとするが故也。それ大将は。先もつて文をまなび。黄石公くわうせきこうがつたふる所を。かねて心にかけ。呉子ごし孫子そんしする所を旨とし。軍兵ぐんびやうを下知す。論語ろんごに三ぐんをば。うばふべし疋夫ひつぷの心ざしをば。うばふべからずと云々。ほとんど。ほまれをのぞむ人は。ぶんをまなび。功者こうしやにしたしんで。武略ぶりやくきかずんば有べからず。馬ものゝぐ。さし物なども。我力に過たるは。かならずわざはひをまねくべし。みる所はいかめしけれ共。功者のあざけりたり。なかんづく。歩立かちだちの軍。山さかにては。かろくみじかきを用ひる。是故実こじつなりと物語せり

 
北条五代記巻第五