通俗正教教話/聖傳と聖書の事

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(三)せいでんと聖書の事[編集]

問 かみさまのおしめしひとびとひろしらせ、してそのしめしながかはらないやうに教会によよつたへてきますにはいかがいたしますのでございますか。

答 それにはふたつはうはふるのでございます、ひとつせいでんひとつせいしょございます。

問 せいでんもうしますのはなんことございますか。

答 せいでんとは教会のうちせいじんたふとまれ、じんあがめらるるひとがたが、かみさまいましめおしへや、教会のしきことなどにいていろいろはれましたことやみづかおこなはれましたことくちづたへまたそれかきつけたものでございまして、かみさまのおしめしそれものうちずいぶんるのでございます。

問 ではそのせいでんとかもうものどこか教会のくらにでもおさめてるのでございますか。

答 べつそんくらなどともうしますものございませんが、そのせいでんは教会の会員のこころからこころつたはるもので、ちようももらうのおはなしべつほんまなくってもおやからに、からまごつたはるやうに、教会のせいでんも、しんじゃからしんじゃつたはってくのでございます。

問 せいしょとはなんことございますか。

答 せいしょとはせいじんとかじんとかまたげんしゃとかハリストスのおでしとかがかみさまのおげをけていたしょもつございます。

問 れでは教会には『せいでん』と『せいしょ』とふたつおしへみなもとるとおっしゃいますが、いったいどちらさきものございますか。

答 それせいでんさきございます、なぜかともうしますればおほむかしにはふものがございませんのですべてのことみんくちづたへにしたものでございます、せいしょはじめできたのはモイセイときことで、それまでの教会はせいでんばかりにたよってましたのでせいしょもうすものはかったのでります。
わたくしどもしゅなるイイスス ハリストスそのでしをおをしへになったのもことばおこなひけっしてしょもつうへからではかったので、こんにちせいしょもうしまするものはおでしらあとになってしゅのおことつづったものでございます、いったいせいしょらなければすこしもわかりませんが、せいでんくちづたへでございますかららぬひとでもけばわかるのでございます。

問 それではせいでんさへればせいしょらないではりませんか。

答 いいえりますのでございますせいでんくちづたへですからときにはちがひおこらんともかぎりませぬ、それですからせいしょなんびゃくねんたつてもかわらぬろくってこそ教会のおしへいつまでただしくあやまりなくひとつたへてくことができるのでございます。

問 それならばせいしょさへればせいでんらないではりませんか。

答 いいえせいしょせいでんちようくるまりやうりんのやうなものでりやうはうあいってはじめておしへくわんぜんになるのでございます、せいしょわかにくところただしくあやまりのないやうあかしまするにはせいでんらなければなりませぬので、そのもんせいでんらずにかいしゃくしませうものならばひとごとべつかいしゃくをしてせいしょほんといみまったこはしてまうのでございます、でございますからせいしとパエルせいでんたふといことをヘサロニカひとおくったがみうちべてはれましたには『きやうだいなんぢかたちて、われことばあるひしょもつおしへられしところでんまもれ』(ヘサロニカ後書二の十五)。

問 それではせいしょかいしゃくしますぐわいにはせいでんふものは教会にあまひつえうなものではいのでございませうね。

答 いいえさうではりません、ほかたくさんひつえうなことがるのでございます、たとへますれば、正教会でたうときじうえがきますことや、ひがしかたむかってたういたしますことや、せんれいときさんみづからだしづめますことなど、すべこれしきおよび教会のそくみなせいでんってこんにち教会につたはってますことでりまして、けっしてせいしょうちいてわけではございません、れでございまするからし教会からせいでんってしまいましたならば、たうみつなどはまったくなってまうのでございます、これりてましてもせいでんとふとむべきことはあきらかにわかるのでございます。

問 せいしょいつときできたものでございますか。

答 いろいろときできたものでございますがこれたいべつしますればハリストスのおうまれまへできたものと、そのうまれのちできたものとのふたつります。そして、ハリストスのおうまれまへできせいしょきうやくせいしょひ、おうまれのちできせいしょしんやくせいしょもうしてりまするのでございます。 

問 なぜそのしょもつを『きうやく』とか『しんやく』とかもうすのでございますか。

答 なぜもうしまして、旧約聖書のうちにはかみさまむかしひとびとにおさづけになったいろいろのおやくそくいてありますし、新約聖書のうちにはかみさまむかしのおやくそくをおあらためになってあたらしくひとにおさづけになったしんなおやくそくしるしてるからでございます。

問 旧約聖書のうちしるしてございまするふるかみさまのおやくそくとはどんなことなのでございますか。

答 それひとびとためすくひぬしくだすとのおやくそくで、つまり旧約聖書はひとそのすくひぬしけるにはうしたならばいかとこといたものでございます。

問 それでは新約聖書のうちべてございまするあたらしいかみのおやくそくとはどんなことでございますか。

答 それかみひとりなるイイスス ハリストスが、ひとびとにおさづけになったおやくそくで、たとへもうしますれば、いかなるだいざいにんでも、こころからそのつみゆるならばかみさまそのつみをおゆるしになるとか、ごじぶんおはりまでつねえなくても教会のしんじゃこころうちともるとか、すえふたたこのあらはれてきたるとかもうすおやくそくございます。

問 いったい旧約聖書ともうしまするしょせきいくくわんばかりるものでございますか。

答 ただいまではいっさつまとまつてりますが、このしょいろいろしょあつめたものそのくわんすうにじうにくわんかぞへるのでございます、このかぞかたエルサリムせいキリルだいアハナシイみんなつたかぞかたございまして、もとエウレイ人(ヘブライ人)がぶんくにの『いろは』じゅんしたがつて旧約聖書にべつしてましたそのはうはふそのままってましたので、一番べんりかぞかたございます。

問 れではそのかぞかたうけたまはりたいものでございます。

答 よろしうございます、
第一 『さうせい』 第二は『エギペトをいづ』 第三は『レビト
第四は『みんすうりゃく』 第五は『しんめい』 第六は『ヨオシア
ヨオシアまた『イイスス ナビンの記』とももうします
第七は『ししきおよび『ルフ』 第八は『サムイルぜんしょおよび『かうしょ
▲『サムイルぜんかうしょ』はまた『列王記第一、第二書』とももうします
第九は『れつわうじやう
▲『れつわうじやう』はまた『列王記第三、第四書』とももうします
第十は『れきだいりゃくだいいち』、『だいしょ』 第十一は『エズドラしょおよび『ネミヤ
▲『ネミヤ』はまたエズドラかうしょ』とももうします
第十二は『エスヒルしょ』 第十三は『イオフ』 第十四は『へん』(せいえい
第十五は『しんげん』 第十六は『でんだうしょ』 第十七は『がか
第十八は『イサイヤしょ』 第十九は『イエレミヤ』 第二十は『イエゼキイルしょ
第廿一は『ダニイルしょ』 第廿二はのこりの十二げんしょすなはち『オシヤ』、『イオイリ』、『アモス』、『アブデヤ』、『ヨオナ』、『ミヘイ』、『ナウム』、『アワクム』、『ソホニヤ』、『アゲイ』、『ザハリヤ』、『マラキ』)

問 旧約聖書のうちにはだ『イエレミヤあい』とか『シラフのちえしょ』とか『マカエイのしょ』とかもうすものがりますが、それなにゆえいまかぞへましたくわんすううちれないのでございますか。

答 これにふてんしょもうしまして教会でせいしょうちくはえないのでございます。

問 れではそのほんんではわるいのでございますか。

答 いいえんだってすこしもさしつかへございませんばかりでなくおほいためになるしょございます、そのかきかたすこかたよってますのであまおしへわからぬかたがおみになるといろいろまどひおこやうなことになりますので、正教会ではそのしょもつせいしょうちくはへないのでございます、けれどもけっしてんでわるほんではいのでございます。

問 『旧約聖書』はなんございますか、るいによってべつするとふやうなことできないものでございますか。

答 できますとも、つうれいはふりつしょれきしのしょをしへのしょげんしょの四つにぶんいたすのでございます。

問 はふりつしょもうしまするとしょもつございますか。

答 それモイセイあらはしましたいつつしょで、『さうせい』と『エギペトをいづ』と『レビト』と『みんすう』と『しんめい』がそれございます。

問 さうせいもうしまするしょもついったいなんこといてるのでございますか。

答 さうせいうちにはこのわたくしどもすまっているかいあんばいできたものでりますか、ひといったいだれつくったものりますか。いちばんはじめひとどこて、ことをしましたか、ことくはしくかれてりますしょもつそのしょもつみますれば、ひとさるなにかのへんくわしたものでなく、かみさまのおになったりっぱものるとことはっきりわかるのでございます。

問 それではそのほかよつしょもつにはなにいてりますのでございますか。

答 よつしょもつうちにはモイセイだいいろいろりっぱためになるやうなおはなしと、かみさまモイセイにおさづけになったとふとはふりついてるのでございます。

問 旧約聖書のうちれきしのしょとはどれどれなのでございますか。

答 『ヨオシア』と『ししき』と『ルフ』と『れつわう』と『れきだいりゃく』と『エズドラしょ』と『ネミヤ』と『エスヒルしょ』でございます。

問 それではをしへのしょもうしますると。

答 『イオフ』と『へん』と『しんげん』と『でんだうしょ』と『がか』とでございます。

問 へんへんみなさまおっしゃいますがへんもうしまするしょもつそんないうめいしょもつございますか。

答 やうございます、へんまたせいえいとももうしましてダビト王がかみさまげ、ぶんつみかみまへうったへてかみさまのおゆるしるがためつくったうたございますので、そのうちにはげんございますれば、あるれきふくんでります。かくこんにちも教会でたううたそれもちいてほどたいせつしょもつございます。

問 げんしょもうしまするとなになにございます。

答 それは『イサイヤしょ』に『イエレミヤしょ』に『イエゼキイルしょ』に『ダニイルしょ』にのこりの十二げんしゃしょございます。

問 新約聖書はいくくわんりますのでございますか。

答 みんなにじふしちくわんございます。

問 そのにじふしちくわんうちなんしょおもだつたものでございますか。

答 それマトヘイマルコルカイオアンよつしょこのよつのしょふくいんしょもうしてるのでございます。

問 なぜそれふくいんしょもうすのでございますか、いったいふくいんとはなんことございます。

答 ふくいんとは『よろこばしいたより』ともうしまするいみで、つまりわたくしどもにんげんもっとよろこぶべきかみイイスス ハリストスじやうにおくだりになったことから、そのじやうのおすまひのありさまそのおんをしへじふじかうへのおくるしみのこと、よみがへりおよてんにおのぼりになったまでのことしるしてりまするので、これふくいんしょもうすのでございます。

問 新約聖書のうちれきいたしょございますか。

答 ございますとも、『せいしとぎやうじつ』がそれございます。

問 そのしょうちにはいったいなにいてるのでございますか。

答 ハリストスのおでしのなされたこといたもので、せいしんのおめぐみが、おでしらくだったことからハリストスおしへあんばいにしてかいひろがったか、そのことがらいてるのでございます。

問 新約聖書のうちをしへのしょもうやうなものはございますか。

ございますとも、ななつおほやけのしょすなはヤコフしょ一冊、ペトルしょ二冊、イオアンしょ三冊、イウダしょ一冊、使徒パエルしょ十四さつれでございます。

問 それではげんしょございますでせうか。

りますとも、イオアンの『もくろく』とふのがそれございます。

問 『もくろく』とは『かみさまのおつげ』をつづったほんいみで、教会のらいかいすえうなるものでるかとことあるたとへつていたしょございます。

問 せいしょみまするときこころかねばならぬこころがけもうやうなものはべつございませんか。

答 いいえございます、づ第一番にはせいしょもうすものはかみさまのおこといたものでございまするからそれみまするときには、つつしみのこころもつまねばなりませぬ、第二番にはせいしょひとむがむちうなかしようせつぼんでもむやうなそのしょんではなりませぬ、かならせいしょみまするときにはせいしょうちからぶんためになるやうなこといだしてぶんとくたかめやうとこころもつまねばなりませぬ、第三番目にはせいしょもんかいしゃくしまするこころございまするは、せいしょもんかいしゃくしまするにはかならず、正教会においとふとところせいじんまたじんかいしゃくしたるところいまの正教会がおしふるところかいしゃくしたがってせいしょもんいみあかさねばなりませぬ、なぜかともうしますれば、せいしょかいしゃくしまするにそんひとがたおしへしたがはずじぶんかってそのもんあかしまするなれば、そのときあかしはまったひとごとことなって、じぶんかってかいしゃくになってまこといみうしなってまうのでございます。

問 せいしょかみさまのおしめしによってかれたものであり、正教会のおしへかみのおしめしによりてできたものであるとおっしゃいますが、それではそのおしへたしかかみのおしめしにさうないとなにしやうでもるのでございますか。

答 りますともその第一のしやうは教会のおしへひとかんがへることのとてできないもっとだかおしへりますることです。第二はそのおしへうちげんることでございます。第三は教会にせきることでございます。第四は教会のおしへじやうひとこころかんどうあたへますることでりましてかくごとかんどうとてひとつくったおしへにはいことなのでございます。

問 なぜげんが教会のおしへたしかにかみさまのおしめしによってできたとしやうになるのでございますか。

答 それにはれいげてもうしますればわかりますが、げんしゃひとりりまするイサイヤハリストスこのにおうまれになるほとんど千年まへハリストスおっとなきをとめよりうまるるとふことをせいしょうちあきらかにげんしてります、やうなことはとてひといくかんがへたってわかるものではりません、これたしかにかみさまのおつげで、そのげんしゃことまたまったじつになったのもかみさまこころります、このひとつことでもわたくしどもせいしょおよおしへまことかみさまのおつげるとふことはあきらかでございます。

問 せきもうしまするのはいったいなんことございますか。

答 せきもうしますることはひといかやうとおもってもできないことで、ただかみさまのおちからばかりでできこともうすのでございます、たとへてもうしますれば、んだひとよみがへらすることとかびやうにんすぐたっしゃひとになるとかやうなことでございます。

問 せきなぜ教会のおしへたしかなものであるとしやうになるのでございますか。

答 まへにももうしましたとほり、せきもうしまするものはかみさまちからばかりでできますもので、ひとちからではできないものでございまするからここせきおこなひとったとしまするならばそのひとかならかみさまのおちからりておこなったにちがひないのでございます、そのひとかみさまのおちからりてせきおこなふなればそのひとかならかみさまよろこばれてひとでなければなりませぬし、そのひとかみさまよろこばれてひとならば、そのひとただしいひとで、そのひとったことただしいのはあたまへことございます。われしゅなるイイスス ハリストスも、ぶんおこなはれしせきもつおのれおしへただしいしやうるとはれましたことございます『ちちわれあたへてさしむることせき)は………ちちわれつかはししことしやうす』(イオアン五の三十六)と、このことによりましてもせきが教会のおしへただしいしやうとなりますることはあきらかでございます。

問 正教会のおしへただしいものおっしゃいましたが、それではくらいひとちからもつおしへございませうか。

答 そのちかられきますればあきらかわかります、はじめて教会のおしへハリストスからいてそれひとつたへたものガレリヤみづうみのほとりれうございました、しかるにこのれうのやうないやしいひとくちによってつたへられたこのおしへが、たちまちのうちかいひろがこんにちではかいだいがくしゃも、かいだいがうも、くわうていまたくだってはひやくせうしやうにんみなそのおしへまじめしんじてところますれば、このおしへくらいひとちからもつるとふことはおのづかあきらかではございませんか。

通俗正教教話上巻(入門)終