通俗正教教話/信経と信経の出来たる事

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通俗正教教話中巻(信の巻) 加島あきら編

(天)信経しんけい信経しんけい出来できたる事[編集]

問 正教会ではふ方法をもつわたくしども信仰しんこうみちみちびきますので御座ございますか。

答 それには『信経しんけい』ともうしまするものが御座ございましてわたくしどもしんみちびくので御座ございます。


問 信経しんけいもうしまするとなんこと御座ございますか。

答 信経しんけいもうしまするのは信仰しんこうかかはる教会のおしへを十二か條にちぢめてだれにもおぼやすく、だれにでもわかやすくしたじょうがき御座ございます。


問 ではそのじょうがきうけたまは御座ございます。

答 それしものやうなじょうがき御座ございます。
第一條 我信われしんひとつかみちち全能者ぜんのうしゃ(何事でも出来る者)・てんゆるとえざるよろづのものつくりししゅ
第二條 またしんず、ひとつの主イイスス ハリストスかみ独生ひとりよろづさきちちよりうまれ、ひかりよりのひかりまことかみよりのまことかみうまれしものにてつくられしものにあらず、ちち一体いったいにして萬物よろづのものかれつくられ。
第三條 われ人々ひとびとまたわれすくひためてんよりくだり、聖神せいしん童貞女しょぢょマリヤよりり、ひととなり、
第四條 われためポンテイ ピラトときじゅう字架じかくぎうたれくるしみほうむられ。
第五條 第三日だいさんじつ聖書せいしょかなふてふくかつし。
第六條 てんのぼ神父かみちちみぎし。
第七條 光栄さかえあらはして、けるものせしもの審判さばきをするためまたきたり、其国そのくにおわからんことを。
第八條 またしんず、聖神せいしん生命いのちあたふるのしゅちちよりで、ちちともおがまれほめめられ、げんしゃもつかつひしものを。
第九條 またしんず、ひとつせいなるおほやけなる使徒しと教會きょうかいを。
第十條 われみとむ、ひとつ洗礼せんれいもつつみゆるしることを。
第十一條 われのぞむ、しゃふくかつを。
第十二條 ならび来世つぎのよ生命いのちを「アミン」


問 かみよう信経しんけいじょうつくつたものだれ御座ございますか。

答 信経しんけいじょうつくったものは第一回と第二回のぜん公会こうかいときあつまつた教会きょうかい師父等しふら御座ございます。


問 一体いったいぜん公会こうかいとはなんこと御座ございますか。

答 ぜん公会こうかいもうしまするのは、信者しんじゃあいだおこりました種々さまざまな教会のおしへかかわりまするあらそひしづめて、まことおしへひかり益々ますますあきらかにするがため世界せかいあらゆる国々くにぐにからあつまつてましたきょうかいきょうひらきました会議で御座ございます。


問 其様そんな会議はみないくばかりりましたので御座ございますか。

答 みんなしち御座ございました、第一回はニケヤひらかれましたし、第二回はコンスタンチノポルで、第三回はエヘス、第四回はハルキドン、第五回はコンスタンチノポル、第六回はおなじコンスタンチノポル、第七回はニケヤひらかれたので御座ございます。


問 其様そん公会こうかいだれ時々ときどきひらけともうしたので御座ございますか。

答 べつひらけともうしたもの御座ございませんが、しゅのお弟子等でしら或事あること相談そうだんするためエルサルムに会議をおひらきになつたれいりますし〔使徒行実十五参照〕かつしゅイイスス、ハリストスも『かれかずば教会にげよ、し教会にかずば、なんぢためには邦人ほうじんぜいごとくなるべし』〔馬太 福音十八の十七〕とつておほせられましてひそかいさめてもこころあらためぬひとは、人々ひとびとあつまって会議をして其人そのひといさめよとおめいじになったそのことばしたがつて、教会のきょう師等しらが公会をひらいたわけ御座ございます。


問 信経しんけいこしらへたと仰有おっしゃいまする第一回と第二回のこうかいなに相談そうだんするためひらかれたので御座ございます。

答 第一回のぜん公会こうかいは神様のだい二位にいでありまするかみことついはなはけしからぬおしへアリイ(アリウス)とものとなしましたので、そのおしへうそであるとふことをみんならせてまことおしへかたくするがためひらかれましたので、
第二回のぜんこうかいは、神様の第三だいさんでありまするかみ聖神せいしんことついて、つまらぬことマケドニイもうものしましたので、矢張やっぱりそのおしへまがってところあきらかにして、本当ほんとうおしへみなしらせるがためひらいただい御座ございます。


問 それではそのこうかい何時いつごろひらかれたので御座ございますか。

答 第一回のこうかいハリストスのおうまれになってから三百二十五ねんことで第二回は三百八十一ねんのことで御座ございました。