読史叢録
一、此書は主として「芸文」「史林」二雑誌に載せたる余が論文を蒐録したり。但し「明東北疆域弁誤」一篇は「地理と歴史」より取り、「隼人石と十二支神象とに就て」一篇は「歴史地理」より取りたり。
一、蒐録せる各篇の本文は、其の誤植に係る者等の外、成るべく原文のまゝとして改竄を加へず。其の記述論説の誤謬不当なる者、若くは増補を要する者は、附記、附註に於て之を指摘し訂正したり。且つ余が論文に関係ある並世学者の論文も成るべく其の標題を掲げて以て読者の検索に便したり。
一、秦辺紀略の著者に関しては、近年獲る所の資料少からざるを以て、新たに「三たび秦辺紀略に就て」一篇を草して之を補ひ、「焼失せる満蒙文二蔵経」に就ても、かねて「芸文」紙上に補述せんと約せる所を完成し高昌国紀年に関する資料も、其後目睹蒐集せる所を増補したり。「近獲の二三史料」一篇は起草当時より、逐次増補せんと欲せし所なれば、姑らく高句麗人の三墓志、高昌の一碑を補録した【NDLJP:5 】り。此篇の資料としては、猶現に筐底に存せる者、錫崙の鄭和碑、遼東金州の元張百戸碑等の類少からざるも、総て割愛して改版の日を俟つことゝしたり。
一、永寧寺二碑及び此書の印刷中、新たに注意を呼起したる資料に就ては、更に巻末に補録したり。
昭和四年六月
著者記
読史叢録目次卑弥呼考一、新羅真興王松岳巡境碑
二、新羅真興王黄艸嶺巡境碑
三、焼失せる蒙満文蔵経
四、高昌国氾崇慶墓表
五、楽浪出土の漢代漆器及び漢印
六、唐宋儼墓誌蓋
七、唐張希古墓誌
八、永楽大典本憲台通紀
九、戈登文牘中の李鴻章手批
十、百済王子扶余隆墓誌
十一、高句麗泉男生墓誌
十二、吐魯蕃出土高昌陰長史造寺碑
十三、奴児干永寧寺碑(表面)
十四、同上(背面及側面)
十五、重建永寧寺碑
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