三たび秦辺紀略に就て補録
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送梁質人帰南豊
終年頗覚傷哀楽。得汝知逢糸竹音。夕柝月明青壁路。晨門風入白頭吟。孤生自分惟親剣。老子何期遂断金。記得陂辺梅樹発。停杯相望共苦岑。〈知字は如の訛りならん〉
この外に冠石簡熊養及在赤石と題せる五律、除夕同熊養及石閣梅下和躬菴韻と題せる七律などがあつて、質人が養及との交りも、林確斎との関係から来て居るのではないかと思はれる。要するにこの集には質人集中に見える人々の名が多く見え、易堂、程山、髻山諸子等明末遺老の消息を研究するに於て有益なる資料であることは勿論である。
(昭和四年六月記)
この著作物は、1934年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)50年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。
この著作物は、アメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつ、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。