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  •   濃州岩村城記   加藤次郎藤原景光者、其先出㆑自㆓大職官㆒、中以㆑武為㆑、而世領㆓伊勢国㆒、其後泊㆓于源頼義義㆒為㆓東海道之管領㆒、終属㆓幕下㆒、累世之臣也、既而方㆓保元平治之乱㆒、 凋弊、苟脱㆑死者降㆓平氏㆒、間取㆑義者避㆑害匿㆓於辺境畎畝之中㆒、而不㆓肯出㆒焉、景光…
    44バイト (1,918 語) - 2024年4月19日 (金) 07:02
  • 【 NDLJP:171】源頼国熊野詣事。 又被㆑談云、源頼国者、高名逸物也。而服中〔者イ〕仁天参㆓詣熊野三所㆒之処、還向之時、能々物凶也云々。 聖廟御忌日音楽可㆔停㆓止彼廟社㆒事。 経信卿、常被㆑示云、聖廟御忌日、音楽は彼廟社には可㆓停止㆒事也。菅家御作仲秋翫㆑月之遊避㆓
    171バイト (4,117 語) - 2024年2月10日 (土) 09:52
  • 扨其物語とは如何にといふに右古系図中に古き包紙におかあ殿事蹟と書きたる一巻あり、之を披き見るに坂本五代八郎兵衛を宛て元文中真島端斎名義の手紙一通あり、其文左の如し。 豊永左兵衛殿  九州豊前国宇佐郡蓮台寺の麓より来る おか阿どの 小笠原忠頼 大和国吉野之住須藤加賀守殿の娘なり、乱世の時土佐の国へ落給ふが道迄敵六人…
    14キロバイト (2,522 語) - 2018年12月16日 (日) 00:27
  • 朝臣宇合、宝亀十一年に藤原朝臣継綱。其後時代遥に隔て藤原朝臣小里丸、大伴宿禰持・紀朝臣古佐美・大伴宿禰乙丸・坂上宿禰田村丸・文屋宿禰綿丸・藤原朝臣忠文・右大将宗盛・新中納言知盛・右大将源頼朝・木曾左馬頭源義仲・左衛門督頼家・右大臣実朝に至まで其人十六人皆功の抽賞に依て、父子其先を追事ありといへども…
    43キロバイト (10,297 語) - 2022年12月1日 (木) 08:02
  • 方県郡岩利の城主は      大岡左馬助師 加茂郡御座野の要害は     稲葉元塵の砦なり 方県郡上中村の城主は     纐纈右京安秀【 NDLJP:179】 先祖は額纈吾といふ者、文治年中に、源頼朝より当城を賜はり、数代是迄此所に住す。尤旧家たり。右京の子額纈藤太…
    177バイト (7,687 語) - 2024年2月13日 (火) 16:24
  • る所の使と雖も、此所にて饗応し、城田村へ通ずる事なし。盛頼家督を受継ぎ、左衛門尉と号し、後に純と改む。当国の大守として、相続いて川手の城に在住しける所、逆臣斎藤道三、芸に謀叛を勧め、自ら勢を率して、大永七亥年八月十二日、当城を攻立つる。盛不意を打たれ、防戦難儀なりしに、俄の事なれば、遠方の幕下…
    177バイト (9,597 語) - 2024年2月13日 (火) 16:19
  • 城村に居り其の子圖書助久久兼伊集院に移り伊集院を以て氏とした。此れが即ち新伊集院氏の祖である。  此の新たな伊集院は久兼、久親、忠親、忠國、久氏、久、相繼いて伊集院を領してゐたが、久時代に勢威漸く加はり四方を侵略し遂に宗家島津氏に叛し煕久亦藩主忠國に叛したので、寶德二年二月忠國のため居城を攻略せられ肥後國に奔つた。…
    772バイト (10,437 語) - 2023年5月7日 (日) 01:48
  • 建久二年四月廿六日    宣旨 近江国住人定綱殺害日吉社宮主之由依有衆徒訴訟欲処遠流之間忽逐電之間仰前右大将朝臣并京畿諸国所郡官人宜令搦進其身                          蔵人頭大蔵卿兼中宮亮藤原宗奉 院宣云 被院宣称近江国住人定綱殺害日吉社宮主等之犯罪科不軽仍先勘罪名…
    47バイト (7,204 語) - 2024年4月5日 (金) 23:01
  • に復せられけり。扨国房の子出羽守光国・其子土佐判官光信・其子伊賀守光基・其子土岐左衛門蔵人信濃守光衡といふ。久安五己巳年五月四日降誕。母は国五代の孫、摂津守源頼盛の娘なり。光衡は、寿永三年に関東に参り、鎌倉右大将頼朝卿に随ひ、文治五酉年三月、当国守護職を賜はり、土岐郡に住し、氏を土岐と改む。後に郡戸に移りて住す。頼朝の御下文に曰く、…
    177バイト (10,115 語) - 2024年2月13日 (火) 16:16
  • 頼家より以来、池田郡に住する故、土岐西池田といふ。頼兼、始めて尾州萱津に住する故、萱津とも号す。左京大夫成と申すは、一色兵部少輔義範の​〔虫損〕​​□□​​ ​饗庭備中守義政が子にてありしなり。左京大夫頼兼の嫡子持兼、早世にて子なし。執事斎藤利永入道宗甫が計らひにて養ひ、持益の
    3キロバイト (22,427 語) - 2024年2月13日 (火) 15:59
  • 濃四郎義仲といふ者、始めて此地に、一城を築きて住しけると云々。此義仲といふは、加茂二郎の義綱の四男なり。義綱は、伊予守源頼義の次男にして、八幡太郎義の弟なり。長久二辛巳年八月朔日、河内の国香呂峯にて生る。童名次丸といふ。母は平直方の娘なり。父頼義の遺言に依て、永承四己丑年正月七日、加茂の社に参…
    177バイト (10,330 語) - 2024年2月13日 (火) 16:20
  • 四郎義時は、川中島大戦に討死仕候。嫡子志田修理亮、景勝、会津へ移られける時、出羽国大宝寺【 NDLJP:87】と申す城の城主。此修理亮も、度々手柄、場数の大将にて候。唯今志田助十郎と申す者の先祖にて御座候。 一、大国修理亮源頼久  廿五将 越後にて久しきなり。源三位頼政の弟源蔵人
    768バイト (20,470 語) - 2023年11月26日 (日) 18:25
  • ・義経等生残り、成長して後平家を亡し、又源氏一統の世となりぬ。頼朝・頼家・実朝三代、纔四十余年にして源氏の正統絶え畢。依之京都より摂家の公達を申下し関東の将軍とす。幼稚成る故に頼朝の後室二位の尼政事をきく。世の人是を尼将軍と申しけり。北条時政外戚の勢ひを得て恣に天下の成敗を司り、是より後猶親王
    3キロバイト (6,114 語) - 2024年4月11日 (木) 08:50
  • 頼家廿二歳ニシテ病ヲ受ケ已大事ニ及ヒケレハ嫡子市幡君ニ家督ヲ譲又頼家ノ舎弟実朝ニ坂ヨリ西卅八ケ国ヲ譲給フ然ルニ北条ノ時政ナトガハカライニテ頼家病気ノ中ニ謀略ヲ廻ラシ御所中ヘ乱入リ頼家ノ嫡子市幡君ヲ害シ奉リテ実朝ヲ天下将軍トソ定メケル頼家
    44バイト (42,738 語) - 2024年4月19日 (金) 06:46
  • 芸及び長井が、腹心肱股の者と相なりける。しかるに永正十六卯年六月、大守政房卒去ありて、嫡子盛頼家督を受継ぎ、当国の屋形となりて、相変らず川手の城に在往たり。爰に於て西村勘九郎、大望の企を窺ひけるが、折を見て、芸に種種謀叛を勧め、知弁を以て申して曰く、御兄君盛
    177バイト (10,482 語) - 2024年2月13日 (火) 16:17
  • 瓦林政記 編者:近藤瓶城 明治35年 1902年 『瓦林政記』(かわらばやしまさよりき) - “此書題目の傍らに松若物語かとありて、巻末に前田の古写本と対校のことを記し、其本には松若物語とある由塙忠韶云へり、此傍書は忠韶の書入れたるにや、巻中政に仕へし、松若か事を主として記載せり、政
    44バイト (6,951 語) - 2024年4月19日 (金) 06:26
  • (みち)の傍(かたはら)に立ちて夏は涼しき蔭を旅人に借(かせ)ど十余年の昔は沖より波寄せて節々(をり〳〵)根方(ねかた)を洗ひぬ。城下より来りて叔父の舟まんものは海に突出(つきいで)し巖(いは)に腰を掛けし事しば〳〵なり、今は火薬の力もて危(あやふ)き崖も裂かれたれど。 「否、渠(かれ)とてもいかで初より独(ひとり)暮さんや。…
    41キロバイト (9,016 語) - 2023年1月24日 (火) 19:25
  • 太宰権帥正三位藤原伊周〈元内大臣〉・出雲権守従三位同隆〈元右少弁〉・伊豆権守高階信順〈元中納言〉・淡路権守同道順〈元右兵衛佐木工権頭〉   被㆑削㆓殿上簡㆒人々 左近少将明・藤原親〈帥舎弟〉右近少将藤原周〈帥弟〉・方理   勘事 右馬頭藤原相尹・弾正大弼源頼定〈為平親王男〉…
    129バイト (10,264 語) - 2024年2月10日 (土) 09:31
  • 部少輔・舎弟左京権大夫・同左近将監・土岐大膳大夫頼康・同長山遠江守光明・今川駿河守貞・同兵部大輔助時・同左近蔵人・熊谷備中守直鎮・佐々木三郎左衛門秀綱・山内五郎左衛門信詮等以下なり。扨垂井の宿に着き給ひて、長者がを借りて皇居となし、官軍の面々は、四辺の在家に宿を取りて皇居を警固し奉りてありける…
    177バイト (7,605 語) - 2024年2月13日 (火) 16:22
  • ・橘の両姓なりと、世にいひ伝ふる事ありて、濃州の池田氏をも、是なりといふ説、甚だ不審なり。曽てさにあらじ。彼の楠の胤子を以て、池田のを継がしめたるといふは、摂州の伊丹・和田・池田の一類なるべし。摂州の池田氏は、楠正行の血脈の【 NDLJP:120】
    177バイト (12,011 語) - 2024年2月13日 (火) 16:22
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