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  • 所である。たゞ神代の御事ども、縡太古に屬して、神典に據つて窺ひ奉るの外更に詳にすること能はず、今猥りに説を樹つべきものでない。然れども天孫天津火瓊瓊杵より御三代を經て、神武天皇の御東遷ありて後、帝都を去ること遥かに遠く、西海に在りて數百年、神代の霊蹤も漸く土豪跳梁の巷となつた事も巳むを得ざるものと謂ふべきである。…
    885バイト (1,486 語) - 2018年4月12日 (木) 14:02
  • 太閤記 巻十 ○筑紫陣之事 ○筑紫陣御触之事 ○九州御出勢に付御掟之条々 ○彦山之事 ○彦山誓紙前書之条々 ○数ケ所之城明退事 ○大隅日向表之事 ○島津修理大夫義久降参之事 ○大隅日向之内、人質を出さす、無㆓随順㆒城々へ勢を被㆓差向㆒、先陣は、筑紫衆申請向ふ事 ○大隅日向知行割之事 ○幽斎道之記  …
    75バイト (12,942 語) - 2024年3月25日 (月) 14:32
  • あるは、甚た非なり、國分氏所藏の 鎌倉右大將公御教書、國字を以てかごしまとあり、此かごしまの名は、本火火出見の駕し玉へる、無目籠の義に出といふ、一説にはの山幸に因れる名とす、國分鹿兒島神社は、を祭り、即ち其聖蹤なるがゆゑ、かごしまの名義は、彼條に細論す、夫郡は何れの世分置ありしや審ならず、 …
    957バイト (10,545 語) - 2018年4月17日 (火) 15:51
  • 石田、諸将と兼ねて示合せ置き、権現様関東御発向以後、島津兵庫頭、七月十五日、大坂を立つて伏見へ寄する。金吾中納言も、廿五日押寄する。伏見城中伊賀衆、松の丸廓より敵を引入るゝ故、同月晦日、総攻の時、金吾先手より火箭を射て、御殿を焼き崩し、其競を以て、八月朔日、終に城を乗取る。城兵残らず討死、或は焼死す。城将鳥井
    248バイト (17,421 語) - 2023年12月2日 (土) 18:51
  • 千余騎を差副て、糾河原へ被向。去月十二日の合戦も、其方より勝たりしかば吉例也。とて、河野と陶山とに五千騎を相副て法性寺大路へ被差向。富樫・林が一族・島津・小早河が両勢に、国々の兵六千余騎を相副て、八条東寺辺へ被指向。厚東加賀守・加治源太左衛門尉・隅田・高橋・糟谷・土屋・小笠原に七千余騎を相副て、西七…
    53キロバイト (12,774 語) - 2024年4月7日 (日) 20:28
  • 島津に対して、いかにも、牧は悪逆の徒じゃ。これを誅するのは、善にして、勇なるものであろう。然しながら、天下の形勢は、島津をして、薩南偏僻(へんぺき)の、田舎者のみにしておかなくなったぞ。徳川に代って天下をとるか? 取らぬか? よし、取るにしても、取らぬにしても、島津は、今や、天下の島津
    1.47メガバイト (284,070 語) - 2023年11月2日 (木) 05:59
  • 美作権守・町野加賀守・佐々木豊前次郎左衛門尉・結城三郎・梶原河内守・大内民部大夫・佐々木能登前司・太平六郎左衛門尉・狩野下野三郎左衛門尉・里見蔵人・島津下野守・武田兵庫助・同八郎・安保肥前守・土屋三河守・小幡右衛門尉・疋田三郎左衛門尉・寺岡九郎左衛門尉・田中下総三郎・須賀左衛門尉・赤松美作権守・同次…
    55キロバイト (12,804 語) - 2022年12月1日 (木) 08:01
  • 御所も、御了簡ありて、御譜代の諸大将を召し、御密談ありける処へ、伏見の御城代鳥居右衛門元忠・松平主殿助家忠・内藤弥次右衛門家長連判にて、飛札到来し、石田治部少輔三成・増田右衛門尉長盛・大谷刑部少輔吉隆・安国寺恵瓊長老申合せ、西国にては、毛利輝元・島津義弘・宇喜多秀家を始め、大小名残らず一味仕り候。十五日に大坂にて…
    3キロバイト (116,548 語) - 2024年2月3日 (土) 18:43
  • り、信玄も床櫓に登り、諸軍残らず出でて、両方より見物なり。安馬六と長谷川与五左衛門、馬上にて乗違ひ、むずと組みて落つ。初は六上になり、与五左衛門を組伏せ候時、甲州方は声を揚げ勇み悦ぶ所に、組みほぐれ与五左衛門上になり、安馬を組敷き六が首を取り立上りて、首を差上げ、是御覧候へ。上杉殿の御方長谷…
    567バイト (26,586 語) - 2023年12月8日 (金) 14:45
  • 信申され候は、互の運の様(ためし)なり。安間六を召し出し、組討をさせて、互の勝負を見て、其勝利次第に、川中島を、何方へも納むべしとて、安馬六を使として、此旨を輝虎の陣所へ申遣さる。六は、上杉陣所一の木戸口に行く所に、輝虎陣より、直江大和守出向ひ、六は馬より下り、晴信、申され候は、天文廿三年…
    665バイト (13,082 語) - 2023年11月26日 (日) 20:18
  • 乱紋打たる下濃の袴に下結して拍子を打、あやい笠を傾け、西の楽屋よりきらめき渡て出たるは、誠に由々敷ぞ見へたりける。一の簓は本座の阿古、乱拍子は新座の夜叉、刀玉は道一、各神変の堪能なれば見物耳目を驚す。角て立合終りしかば、日吉山王の示現利生の新たなる猿楽を、肝に染てぞし出したる。斯る処に新座の楽屋…
    46キロバイト (11,096 語) - 2022年12月1日 (木) 08:00
  • ごとにおいそしみになりました。かうして、豐葦原の瑞穗の國は、御惠みの光ゆたかに、日向の國から開けて行くのであります。瓊瓊杵火火出見(ひこほほでみのみこと)・鵜草葺不合(うがやふきあへずのみこと)の御三方(おんさんかた)を、世に日向御(ご)三代と申しあげます。さうして、可愛山陵(えのみささ…
    735バイト (29,398 語) - 2020年1月5日 (日) 16:29
  • も、妻子従類百五十人にて、会津を立除く処を、南山口城主大国但馬守〈大国参河守養子なり。直江山城守弟なり。二万四千石〉 と、白川城主五百川修理石〈二石万〉と長沼城主島津月下斎〈一万二百石〉出合ひつゝ、栗田を境目にて押止め、景勝へ申上げ、腹を切らする。其年、関ヶ原陣なり。 一、荻田主馬は、童名孫十郎といふ。謙信小姓な…
    577バイト (13,576 語) - 2023年11月26日 (日) 19:05
  • 旁が「廣」のまだれを除いた部分となる字形 繁 → 繁 (U+FA59) ; 「毋」の部分が「母」となる字形 内 → 內 (U+5167) ; 「人」の部分が「入」となる字形 → 彥 (U+5F65) ; 「偐」の旁部分となる字形 晴 → 晴 (U+FA12) ; 旁が「倩」の旁部分となる字形 晩 → 晚 (U+665A) ;…
    237キロバイト (1,954 語) - 2023年8月26日 (土) 20:25
  • り、木の山白旗の城に籠れり。さるほどに寄手は、大手搦手一になりて攻戦ふ。赤松一家敗北して、伊予守と五郎とは降参す。二郎は、父入道の教訓に依つて、伊勢の国司を頼み、落行きしかども、国司心替に依つて、二郎自害す。【赤松満祐自害】今年十九歳なり。赤松入道、年六十一歳にて自害す。此時一家の人々六十九人…
    4キロバイト (28,537 語) - 2024年2月3日 (土) 11:08
  • 產火火出見蟲爲軍資不合の御三代はひたすら正を養ひ、慶を積み、暉を重ね給うてこの間に多くの歲月を經させられた。第一章肇國第一節肇國の宏遠二五 第一編上世二六第二節神武天皇の天業恢弘御東征鸕鵝草葺不合の御子神日本磐余
    681キロバイト (152,736 語) - 2024年1月27日 (土) 18:08
  • の職まで辞した越前藩主はこの形勢を黙ってみてはいなかった。同じ公武合体の熱心な主唱者の一人(ひとり)で、しばらく沈黙を守っていた人に薩摩(さつま)の島津久光もある。この人も本国の方でのイギリス艦隊との激戦に面目をほどこし、たとい敵の退却が風雨のためであるとしても勝敗はまず五分五分で、薩摩方でも船を沈…
    648キロバイト (123,779 語) - 2019年9月29日 (日) 05:04
  • 五代過テ後神武天皇ト申スコソ人皇ノ始メニシテ日本ヲ治メ給フ始マリナレ此神武天皇ト申ハ鸕鷀草葺不合ノノ御子也十五ニテ立テ太子トナラセ給ヒ五十二歳ニシテ御即位アリテ日向ノ国(脱カ)東征シテ大和国ニ長髄ト云モノヲ御退治アリテ橿(カシ)原ト云処ニ宮作リシ給ヘリ此時ヨリ武道ト云事モ始テ我朝ニ知リ官位ノ次…
    44バイト (42,738 語) - 2024年4月19日 (金) 06:46
  • 島津、あんこく寺、小西摂津守 増田右衛門督、長束大蔵、大谷ぎやうぶのせう、にわの五郎左衛門、たち花左近、金吾中納言、ぎふ中納言、うき田中納言、長宗我部(てうすがめ)、小田の常真、其外大名共が跡にて敵になり、伏見の城を責取て松平主殿助、松平五郎左衛門、鳥居
    3キロバイト (99,010 語) - 2024年1月30日 (火) 14:25
  • 不㆑残本船へ逃帰り、直に午未之方へ乗行、同十一日迄は、遠沖へ帆影も見え候得共、其後は何方へ乗行候哉不㆓相分㆒、自然乗戻候儀も難㆑計候に付、手当いたし島津権五郎と申者へ、一組之人数相添、右之島へ差越、其外浦々・島々へも、取締厳重に申付、依㆑之長崎御奉行所へ追々相届申出置候段、国元ゟ被㆓申越㆒候候付、於㆓江戸表㆒御月番御老中様へ御届申上候。…
    85バイト (22,742 語) - 2024年3月24日 (日) 09:07
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