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  • 山陰土産 作者:島崎藤村 1927年 書誌情報 書誌情報の詳細は議論ページをご覧ください。     一 大阪より城崎(きのさき)へ  朝曇りのした空もまだすゞしいうちに、大阪の宿を發(た)つたのは、七月の八日であつた。夏帽子一つ、洋傘一本、東京を出る前の日に「出來(でき)」で間に合はせて來た編あげの…
    158キロバイト (34,214 語) - 2019年9月29日 (日) 05:09
  • 46 赤松蜂起事 去程に楠が城強くして、京都は無勢也。と聞へしかば、赤松二郎入道円心、播磨国苔縄の城より打て出で、山陽・山陰の両道を差塞ぎ、山里・梨原の間に陣をとる。爰に備前・備中・備後・安芸・周防の勢共、六波羅の催促に依て上洛しけるが、三石の宿に打集て、山里の勢を追払て…
    42キロバイト (10,318 語) - 2022年12月1日 (木) 07:58
  • 山陰の東にぞ被催ける。路次の行装例に替りて、頭大夫行房・勘解由次官光守二人許こそ、衣冠にて被供奉けれ。其外の月卿雲客・衛府諸司の助は、皆戎衣にて前騎後乗す。六軍悉甲冑を着し、弓箭を帯して、前後三十余里に支へたり。塩冶判官高貞は、千余騎にて、一日先立て前陣を仕る。又朝山太郎
    39キロバイト (9,646 語) - 2022年12月1日 (木) 08:01
  • 懸け、三里が内にて追詰め、輝宗諸共に一人も不残打殺し、二本松右京が死骸を磔に懸けらる。是れ正宗十八歳の時也。片目なりけれ共弓矢取りての無双也。藤原の山陰中納言政朝に九代、伊達輝宗の子息也。是より剛の者の名を顕はせり。   能州石動山一揆の事   能登国には代々長谷部の長氏並に温井・三宅などゝて在住し…
    177バイト (5,325 語) - 2024年2月3日 (土) 17:26
  • 木座にある、ある人の邸宅(やしき)を借り入れたのである。移る前に千代子が暇乞(いとまごい)かたがた報知(しらせ)に来て、まだ行っては見ないけれども、山陰の涼しい崖(がけ)の上に、二段か三段に建てた割合手広な住居(すまい)だそうだから是非遊びに来いと母に勧めていたのを、僕は傍(そば)で聞いていた。それ…
    677キロバイト (132,287 語) - 2022年4月2日 (土) 11:15
  • 田・波多野・矢部・小幡に至まで皆同意しければ、出雲・伯耆・隠岐・因幡、四箇国即時に打順へてげり。さらば軈て南方へ牒送せよとて、吉野殿へ奏聞を経るに、山陰道より攻上らば、南方よりも官軍を出されて、同時に京都を可被攻と被仰出ければ、時氏大に悦て、五月七日伯耆国を立て、但馬・丹後の勢を引具して、三千余騎丹…
    60キロバイト (14,507 語) - 2022年12月1日 (木) 07:59
  • 也。さて官軍は五月七日京中に寄て、合戦可有と被定ければ、篠村・八幡・山崎の先陣の勢、宵より陣を取寄て、西は梅津・桂里、南は竹田・伏見に篝を焼、山陽・山陰の両道は已に如此。又若狭路を経て、高山寺の勢共鞍馬路・高雄より寄るとも聞也。今は僅に東山道許こそ開たれども、山門猶野心を含める最中なれば、勢多をも指…
    56キロバイト (13,597 語) - 2022年12月1日 (木) 08:00
  • 陰ヘ切脱テ鎌田ヲ附参ラセ残ル人々ハ群リ来ル敵ノ中ヘトツト喚テ突テ入四方ヘ発ト追靡ケ爰ヲセントヽ防戦フ鎌田ハ君ヲ肩ニ引懸ケ奉リ山陰ニテ御腹メサセ申シ静ニ御介錯シテ首ヲ深ク隠シ山陰ヨリ一サンニ走リ出修理三河等ニ申様君ニモ御生害マシ〳〵タリイサヤ暇乞ノ軍セントテ三人並テ切テ出思フ儘ニ戦テ数十人薙伏テ何モ深…
    44バイト (17,322 語) - 2024年4月19日 (金) 07:03
  • 六月十五日〉ヲ賜ル、多田満仲カ父ナリ、同時ニ藤原純友、海賊等ヲカタラヒ、伊予国ヨリ討出、備前介子高ヲ捕へ、播磨介島田惟幹ヲ生捕テ、南海ヲカスメ、山陽山陰西海ヲウハヽントス、始メ将門純友同時ニ在京シ、比叡山ニ登テ、互ニ逆心スヘキコトヲ約シ、承平年中ヨリ、将門ハ関東ヘヲモムキ、純友ハ伊予ニアリ、少々蜂起…
    47バイト (5,076 語) - 2024年4月5日 (金) 23:05
  • を切つて捨てければ、脇田立帰り利家公へ申上ぐる。急ぎ是へ参れとて御対面あり。早速の出張無比類仕合感入る由御意ありて、御供仕り、金沢へ引入り給ふ所に、山陰に人数一備扣へたり。利家公の侍共我も〳〵と進む処に、利家公御覧あり。あれは斎藤甚助・寺嶋牛之助兄弟也。彼等は討死を心懸け居る躰也。いまだ越中の侍も付…
    177バイト (5,938 語) - 2024年2月3日 (土) 17:26
  • 去程に此道より落人の通りけると聞て、赤松入道三百余騎を差遣して、名和辺にてぞ待せける。備後守僅に八十三騎にて、大道へと志て打ける処に、赤松が勢とある山陰に寄せ合て、「落人と見るは誰人ぞ。命惜くば弓をはづし物具脱で降人に参れ。」とぞかけたりける。備後守是を聞て、から/\と打笑ひ、「聞も習はぬ言ば哉、降…
    76キロバイト (18,469 語) - 2022年12月1日 (木) 08:02
  • 甲賀の人々に御留守居仰付らる。かゝる所に石田治部少輔は、家康公を道にて討留めんと人数を引率し、水口へかゝるべきや、すり針峠へかゝるべきや、兎角多賀の山陰可然とて、嶋左近・柏原平助・杉江喜内に申付け置く。家康公此の由聞き給ひて、四日市より御舟に召され、熱田へ入らせ給へば、石田はがみして、石部か関の地蔵…
    177バイト (12,156 語) - 2024年2月3日 (土) 17:28
  • 後を廻て搦手に向。東の手には、東海道十五箇国の内、伊賀・伊勢・尾張・三河・遠江の兵を被向。其勢二万五千余騎、伊賀路を経て金剛山越に向ふ。北の手には、山陰道八箇国の兵共一万二千余騎、梨間の宿のはづれより、市野辺山の麓を回て、追手へ向ふ。西の手には、山陽道八箇国の兵を被向。其勢三万二千余騎、木津河を上り…
    39キロバイト (9,304 語) - 2022年12月1日 (木) 07:59
  • ば、縦ひ急々に寄する共、明日か明後日かの間にぞ寄せんずらんと、京勢由断して或は物具を解て休息し、或は馬鞍をおろして休める処に、誉田の八幡宮の後ろなる山陰に、菊水の旗一流ほの見へて、ひた甲の兵七百余騎、閑々と馬を歩ませて打寄せたり。「すはや敵の寄たるは。馬に鞍をけ物具せよ。」とひしめき色めく処へ、正行…
    38キロバイト (9,440 語) - 2022年12月1日 (木) 08:00
  • 太郎、いく般若寺村橋本の家に徙(うつ)る。上旬中書籍を売りて、金を窮民に施す。十三日竹上署名す。吉見父子平八郎の陰謀を告発せんと謀(はか)る。十五日上田署名す。木村、横山も亦此頃署名す。十六日より与党日々平八郎の家に会す。十七日夜平山陰
    188キロバイト (35,969 語) - 2020年6月18日 (木) 15:53
  • 、色を変じて落支度の外は他事なし。同陣に有ける備中の守護飽庭許ぞ、余りに見兼て、己が手勢許を引分て、度々の合戦をばしたりける。され共大廈は非一本支、山陰道をば頼章の勢に塞がれ、山陽道は義詮朝臣に囲れ、東山・北陸の両道は将軍の大勢に塞がつて、僅に河内路より外はあきたる方無りければ、兵粮運送の道も絶ぬ。…
    58キロバイト (13,940 語) - 2022年12月1日 (木) 07:59
  • る。去程に倉懸の城には人多して兵粮少かりければ、戦ふ度に軍利有といへ共、後攻の憑もなく、食尽矢種尽ければ、無力十一月四日遂に城を落にけり。是より山名山陰道四箇国を合せて勢弥近国に振のみに非ず、諸国の聞へをびたゝしかりければ、世中如何あらんと危く思はぬ人も無りけり。又筑紫には去ぬる七月初に、征西将軍宮…
    44キロバイト (10,681 語) - 2022年12月1日 (木) 07:59
  • ひけるは。いかにや人々。兵野(ひやうの)にふせば。とふ鴈(かり)つらを見だすといへる。兵書(ひやうしよ)の言葉(ことば)をしり給はずや。爰(こゝ)の山陰(かげ)。かげかしこの野辺(のべ)に。鴈(かり)の飛(とび)みたるゝをば。見給はぬか。風摩(かざま)が忍(しの)び。乱波(らつは)が草に臥たるよと。…
    198バイト (10,786 語) - 2023年11月20日 (月) 01:53
  • く)あり。佐原(さはら)三郎左衛門尉。遊女(ゆうぢよ)を相ともなひ。一葉(えう)にさほさし。さんかうする事。しかも興(けう)あらずと云事なし。をよそ山陰(さんゐん)のけいすう。海上の眺望(てうばう)。比類(ひるい)有べからずと。ほめさせ給ひ。同十九日に還御(くわんぎよ)也。同二年庚寅(かのへとら)三…
    161バイト (13,821 語) - 2023年11月20日 (月) 01:56
  • の早旦に師直遂に都を立て、将軍を先立奉り、路次の軍勢駆具して、十一月十九日に備前の福岡に著給ふ。爰にて四国中国の勢を待けれ共、海上は波風荒て船も不通山陰道は雪降積て馬の蹄も立ざれば、馳参る勢不多。さては年明てこそ筑紫へは向はめとて、将軍備前の福岡にて徒に日をぞ送られける。 240 自持明院殿被成院宣事…
    43キロバイト (10,828 語) - 2022年12月1日 (木) 08:01
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