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  • として丸山明らるゝ事如何に候哉左あらは拙者一人残るへき儀にあらす同前に打明ケ相働へきやと申遣候処に志摩守儀は小西同前に最前より無事之扱を仕候間罷越候由申候然るに早此表へも敵之物見相見え殊に天籠城の上は御無事の儀候事成間敷候主計頭甲斐守明日は可罷越候間此上にも御無事相済に於ては日本の御外聞に候間其…
    44バイト (4,638 語) - 2024年4月19日 (金) 06:49
  • 。巻十一。巻十二。巻十三。巻十四。巻十五。巻十六。巻十七。巻十八。巻十九。巻二十。 目次   太閤記 巻十五 ○賀藤主計頭清正至㆓都表㆒入㆑勢事 ○小西於㆓平安道(ペアンタウ)​(ニ)㆒振㆓猛威㆒事 〇三奉行諸勢を引連都へ入事、 ○長谷川藤五郎秀一直言之事 ○大明より使者之事 ○就㆓大明国之両使帰朝㆒御返簡之事…
    75バイト (9,406 語) - 2024年3月25日 (月) 14:33
  • しく可㆑思之間、朝臣に被㆓召加㆒候様に、伺㆓天気㆒見可㆑申条、公家に成候て尤候、加藤肥後守預り置、扶持方五百分可㆓相渡㆒事、 一大友堪忍分之義、重て可㆑被㆓仰付㆒候事、 一今度平壌表にて小西摂津守数度之苦戦、其手柄莫太にして忠義不㆑浅事、 右条々其国在陣衆として、彼父子に可㆑被㆓申渡㆒候、若某癖事…
    75バイト (13,465 語) - 2024年3月25日 (月) 14:33
  • 東大門とて両筋あり。南大門は行程近く、東大門は遠し。鬮取に仕り、小西、東大門に取当る。行程遠き故に、南大門筋へを遣し、河船を押流させ候故、加藤遅々する内に、小西先立ちて都へ入る。朝鮮帝、忠州破るゝ由を聞きて、義州へ落ち給ふ。故に小西、何の造作もなく都を取敷く。加藤、本意なく思ひ、平安道筋より、朝…
    283バイト (25,327 語) - 2023年12月2日 (土) 18:50
  • 小西行長是等を先として宗徒之大名数拾其勢拾三万余騎文禄元年正月に筑紫迄進発す同三月秀吉公東国北国すへて日本一州之人数拾万騎を率して肥前国名護屋に著陣し給ふ高麗へ向ふ人数之大将は浮田秀家毛利輝元両将たり先陣は加藤主計頭清正小西
    44バイト (6,302 語) - 2024年4月19日 (金) 06:47
  • 倉橋屋弥兵衛・同淡路町津国屋重右衛門・亀山町米屋久兵衛・同町紅屋庄兵衛・同佐渡屋庄兵衛・同大和屋重兵衛・同揚屋喜兵衛・同木村南山・同小西屋八兵衛・同小西屋知勝・同小西屋与兵衛・天満壺屋町中島屋甚兵衛・同又治郎町日向屋仁兵衛・北浜二丁目大黒屋武助・道修町二丁目日野屋太郎兵衛・同一丁目鍵屋市兵衛・同五…
    85バイト (17,221 語) - 2024年3月24日 (日) 09:47
  • たけのうち)と改めた。竹内市兵衛の子吉兵衛は小西行長に仕えて、紀伊国(きいのくに)太田の城を水攻めにしたときの功で、豊臣太閤に白練(しろねり)に朱の日の丸の陣羽織をもらった。朝鮮征伐のときには小西家の人質として、李王宮に三年押し籠(こ)められていた。小西家が滅びてから、加藤清正に千石で召し出されて…
    94キロバイト (19,001 語) - 2021年5月20日 (木) 17:17
  • 松屋伊兵衛 一、同五貫文 柳屋清兵衛 一、同十五貫文 町の内五人 一、金二両一歩 右同断七人 一、銭二十貫文 天満屋善助 一、同百貫文 肥後屋丈右衛門 一、同百貫文 綿屋清八 一、同十貫文 紀国屋弥右衛門 一、同十貫文 丹波屋久兵衛 一、同百貫文 小西徳三郎 一、同五十貫文 淡路屋権四郎 一、同七十貫文…
    85バイト (13,271 語) - 2024年3月24日 (日) 09:48
  • ㆑理可㆑撫㆓万民㆒、もし此義をそむき正理を不㆑知者は、人質に付て西へ参候へ、更以恨なし、早いなやの返辞有べし、送届くへしと有しかは、皆直家に同しけり、さらは誓紙を調​(ヘ)よとて、熊野之牛王宝印を以、始終の固をこしらへ、秀吉卿へ小西
    75バイト (7,724 語) - 2024年3月25日 (月) 14:31
  • 鮮征伐は、明の軍が北の方から攻め来るを防禦して居りましたが、最後に一番西の方に居つた小西行長が天から出発して帰つて来る、東の方釜山附近に居つた清正などが帰つて来ると云ふので、兎に角日本の海軍の根拠地と云ふものは、天湾以西に全く及ばなかつた、是が詰り文禄の役の失敗の大なる理由になると思ひます。…
    74バイト (8,438 語) - 2024年6月10日 (月) 01:41
  • 屋敷を高くつきあげ家をあたらしく作りなほす。昔の境ぐひを尋ぬるに、ほそきくひを立置きつれば、皆くさりて其印一つもなし。然る間寸地分地(すんちぶんち)の境をあらそひ、毎に云事して近き隣も心遠くへだたりぬ。されば通町小西三右衛門、宮本市兵衛と云
    438バイト (14,434 語) - 2024年2月1日 (木) 14:11
  • らざれば藤十郎は父の所領三河刈屋へ下り、父子の間も和しけるとなり、この藤十郎勝成は、壮年のとき、あら〳〵しきふるまひ多く、父の教訓にももどりけるより、父子の間もこゝろよからずして、遂に刈屋を立退き都に上り、六左衛門と改め、肥後の佐々成政、また小西行長・加藤清正・黒田長政等の家々につかへしが、とかく…
    91バイト (10,216 語) - 2024年5月10日 (金) 03:52
  • う)山城(しろ)守。同右京亮(うきやうのすけ)〈[#ルビ「右京亮」は底本では「故京亮」]〉。同左馬丞(さまのぜう)〈[#「丞」は底本では「亟」]〉。小西隼人正(こにしはやとのかみ)。富永内膳(とみながないぜん)。大藤(だいとう)左衛門尉。依田(よだ)大膳(ぜん)。荒川(あらかは)豊前守(ぶぜんのかみ…
    161バイト (13,821 語) - 2023年11月20日 (月) 01:56
  •   ○彦山之事   夫彦山は、豊前豊後筑前三州に蟠根して有じ高山なり、衆徒多き寺と云節所と云、守護不之地にして、勅定と云事も武命と云事をも不㆑知所也、数年任㆓我意㆒、国守の不㆑㆓手下知㆒事は、往昔延暦寺の威勢甚つよき時にも越たり、因㆑之隣国之徒者あつまりつとふて、動もすれは一揆蜂起之棟…
    75バイト (12,942 語) - 2024年3月25日 (月) 14:32
  • ・薩摩侍従義弘・島津中務少輔昌久・同又七郎忠恒等・小西摂津守行長・熊谷内蔵允重陳・相良宮内少輔頼定・秋月三郎種宗・垣見和泉守家純・高橋主膳・水村左衛門・同息伝蔵、都合五万三千六百余、軍令を相定め、大垣の城へぞ移りける。近辺在々所々、透間もなく、小西行長・島津義弘・宇喜多秀家の軍兵数万人、大垣の城を…
    3キロバイト (116,548 語) - 2024年2月3日 (土) 18:43
  • ゆうべの杓を今朝さげて、何処(どこ)も群集で宿屋なや、泊ろとすれど困る大勢。   伊勢参宮の道五十里六十日之間凡銭高之附      浪華無量斎門人 小西駒蔵源義明戯著   伊勢参りの道五十里六十日之間凡銭高之附   但一町ハ六十間、一里ハ五十町、道幅一間、一坪ニ付人数廿四人並ぶ、                相庭金六十目、銭九匁、…
    85バイト (16,791 語) - 2024年3月24日 (日) 09:05
  • 「三十日。晴。朝飯より車三乗に而出立。亀の甲より歩行。又弓削(ゆげ)より車。福渡(ふくわたり)より駕一挺。夕七時前間(あひ)の宿(しゆく)久保に而藤原沢次郎へ著。」 「三十一日。晴。朝飯より駕一挺為舁(かゝせ)出立。高田より歩行。足守(あしもり)より中原迄車。又岡田より車に而夕八半時頃矢掛(やかけ)駅小西屋善三郎へ著。」…
    1.54メガバイト (342,889 語) - 2024年3月25日 (月) 01:52
  • リテ花ノ洛ニ入リ給フ其粧イコソ龍唱(ヲヒタヽ)シケレサテ治部少輔安国寺小西摂津守等天網ニカヽリ無程探カシ出サレ車ニ乗セ大路ヲ渡シ六条川原ニテ頸ヲ切ラレ三条河原ニ獄門ニソカケラレケル佞臣一人ノ心ヲ以テ秀頼公ノ御運ノ傾ク始メナリ 或ノ曰太閤秀吉公ハ智謀才覚勝レテ万事ハカ行事ハ日本無双ナリシカトモ聖人ノ…
    44バイト (42,738 語) - 2024年4月19日 (金) 06:46
  • 上野守・同紀伊守・同四郎左衛門・同左近大夫・多目彦八郎・山中主税之助・福島伊賀入道道晬・石巻勘解由左衛門・南条山城守・同左京大夫・同民部・同左馬助・小西隼人・富永内膳・大藤左衛門尉・依田大膳亮・荒河豊前守・大森甲斐守・清水太郎左衛門・遠山右衛門尉・大道寺孫九郎・安藤備前守・同兵部・同弥兵衛・梶原三河…
    3キロバイト (70,791 語) - 2024年2月3日 (土) 11:08