浮世の有様/3/分冊2
酒代の触造酒に関する触堀伊賀守大坂町奉行仰付けらる浪人取締借家の際の掟旅宿の注意酒定価表取除の触江戸へ米穀物持込を許す施行銭持寄高都鄙銭相場を一定しべき触を出す江戸より雲州屋敷へ来たる書付の写感応寺改築の御寄附鍋島一件中島吉太郎の判決文松平肥前守叱責せらる朝鮮渡海者の処罰竹島江戸より雲州へ来れる書付の写若松城にて釜発見江戸より狐の変化の事を注進す右評江戸町奉行に訴出でたる仇討の一件江州草津にて仇討の一件江戸より大風雨の由来状凶事諷刺の狂作江戸大嵐の一斑家慶任将軍に就き予め諸士の役禄を定む甲州騒動一件甲府へ乱入安藤太郎の尺牘甲州一揆の暴状甲州一揆鎮定の状況一揆召捕の人名諏訪伊勢守届け諏訪伊勢守出勢の届内藤隼人書に差出せる人数書内藤隼人正より水野出羽守の家来への達水野出羽守出兵帰参の届甲州一揆を報ぜる書簡岩本宗悦書状の写
口達
【酒代の触】酒造の儀追て及㆓沙汰㆒候迄は、造高の三分二相減じ、三分一造酒可㆑致旨相触候処、此頃酒直段格別高直に売出候趣相聞、俄に直段高直可㆓相成㆒謂無㆑之、不埒の至に候間、右体の儀無㆑之正道の直段を以て売買可㆑致、若不㆓相用㆒者有㆑之は、急度可㆑令㆓沙汰㆒候。右の通当九月口達を以為㆓相触置㆒候処、追々酒直段高直に売買致候由にて、別に小売渡世の者高直に売付、身軽の者共令㆓難渋㆒候趣、尤も酒造屋共儀昨年造の残酒を売捌候事故、右減石は勿論米価高直の時節にも、俄に可㆓引上㆒謂無㆑之処、全く利潤に関り占売致候か、又は酒中次の者共、他所売等致候事に可㆑有㆑之、右体にては自然と土地直段関、以の外の事に候、占売等致候者有㆑之ば、急度可㆑令㆓沙汰㆒候条、江戸積分量の外は新酒売出候迄、他所へ酒売捌候儀致間敷候。
右之通三郷町中不㆑洩様可㆓申聞置㆒候事 申十一月
内府様御痲疹被㆑遊、御快候。然当月三日御酒湯被㆑為㆑召候段、従㆓江戸㆒被㆓仰下㆒候段、恐悦可㆑奉㆑存候。此旨三郷町中可㆓触知㆒候者也。
申十一月 山城
諸国酒造の儀先達て相触候通、【造酒に関する触】三分一造弥〻以厳重に相改過造無㆑之様精々可㆑被㆓申付㆒候。勿論当申年の儀は、場所に寄三分一造之内、減候て申付、又は酒造皆差止申候共可㆑為㆓勝手次第㆒事。諸国より江戸表其外諸方へ積廻し候酒の儀、是迄樽数凡三分一の積相心得、領分の荷物積送り申間敷旨、酒造人共へ急度可㆑被㆓申渡㆒、且去年も【 NDLJP:35】相触置候通、不時改の者差遣儀も可㆑有㆑之、若其節過造・隠造等有㆑之者、当人は被㆑所㆓厳科㆒、其所の役人迄急度可㆓申付㆒事。右の趣御料は、其所の奉行所御代官御預所、私領は領主・地頭并寺社領共得其意、其向々にて厳重可㆓申付㆒候。若等閑の取計も於㆑有㆑之は、可㆑為越度候。右の趣従㆓江戸㆒被㆑下条、此旨三郷町中可㆓触知㆒者也。
申十一月十三日 山城 北組 総年寄
堀伊賀守大坂町奉行被㆓仰付㆒候旨、従㆓江戸㆒仰付候条、此旨三郷町中可㆓触知㆒者也。【堀伊賀守大坂町奉行仰付けらる】
申十一月十四日 山城
口達
一、町中に於て武士并浪人に宿かし候掟の儀、【浪人取締】先年より度々相触候の処、近年猥に成㆓浪人体㆒の者、又は町人にて帯刀徘徊致者有㆑之様に相聞、不届の事に候。前々より触置候通可㆓相守㆒候。若違背の族有㆑之者、家主・年寄・町人迄急度咎可㆑申事。
一、御城方并地役人等の家来、【借家の際の掟】町宅借り候儀は、其主人より番所へ断有㆑之事候間、譬町奉行家来たり共、店かり度と申者有㆑之ば、断済候哉之訳相尋、其上にて慥なる取 候て、其趣書加へ、番所へ宿手形可㆓差出㆒事。
一、武家・寺社家帯刀の家来、【旅宿の注意】町方に旅宿致候節は、是迄の通り蔵屋敷留守居役人・用聞町人の内、請負証文取候て宿貸し、其訳書付、宿手形可㆓差出㆒事。
但是迄用聞蔵元の町人方にて、其家中侍旅宿の分は、受合無㆑之候ても、宿致させ候得共、向後は受合取候て、其訳書きかへ宿手形可㆓差出㆒候。
一、留守居役人・用聞町人無之は、其主人より町奉行所へ届の書状不㆑来に於ては、其向後不㆓聞届㆒候間、其訳相尋其上慥成受人・証文取㆑之、右の趣書替へ宿手形可㆓差出㆒事。
但主人よりの書状、町奉行所へ断出、指図を受候様相達、其上にて此方より申付次第宿かし可申候。
一、帯刀の者旅宿屋に一宿の儀は、是迄の通相心得、不念無㆑之様可㆑致事。
右之通弥〻堅可㆓相守㆒候。若違背の族有㆑之に於ては、後日相聞候共、家主・年寄・町人迄急度可㆑令㆓沙汰㆒候。右之通元文三午年九月相触置候処、年月相立ち不心得の者【 NDLJP:36】も有之哉、近年堂上方家来共宿借候はゞ、慥成受人取、宿主并受人所之者等、連印書付を以奉行所へ相断聞済の上、宿貸可㆑申候。此旨三郷町中不㆑洩様可㆓申聞㆒候
申十一月十六日
【酒定価表取除の触】酒小売の者一様の直段相記候紙札、売場へ張置候由、右は直段高直に不㆓売出㆒為の儀とは不㆓相聞㆒。此節尚又張札相改、是迄左程高直に不㆓売出㆒者へ、張札直段に売出候様申合候由、さ候へば張札にて直段引上げ候道理に相当り、以の外の事に候。酒直段の儀は再応被㆓仰出㆒候事に付、銘々正路に致、売方候儀勿論の事に候間、右張札早々相止心得違無之様、於㆓町々㆒右商売人共へ篤と可㆑被㆓申聞㆒候以上
十一月十九日期申中刻 北組 総年寄
米穀融通の為に候て、【江戸へ米穀物持込を許す】在々にて所持の米穀江戸表へ売払候者共は、追及㆓沙汰㆒候迄米穀は勿論雑穀等迄、江戸内へ積送、問屋・仲買に不㆑限、素人へも勝手次第売捌可㆑申事。
右の通御料・私領・寺社領共不㆑洩様可㆑被㆓相触㆒候 十一月
右之趣可㆑被㆓相触㆒候。右の通従㆓江戸㆒被㆓仰下㆒候条、此旨可㆑被㆓承知㆒候。尤右は在々にて自分の作徳米又は手作の雑穀等所持の者共、
申十一月 山城
堀伊賀守殿大坂町奉行被㆓仰付㆒候事
一、米融通合不㆑宜趣にて、此上直段可㆓引上㆒見込を以、其筋に不㆑携外商人共一分の利潤を考、米穀買占或は密に註文を受、他所へ積送候儀致間敷旨、最前口達を以相触候に付、右体の族無㆑之儀に候得共、今般江戸表より仙波太郎兵衛・内藤佐助・永岡伊三郎手先の者売米有㆑之、国々見計買占候趣に付、自然当表へ罷越候節、其筋の者は勿論外商人共へ手寄候共、米買占方一切頓著致間敷候。若心得違売渡候者於㆑有㆑之は、所の者共迄急度可㆑令㆓沙汰㆒候。此旨三郷町中不㆑洩様可㆓申聞入置㆒候事。【 NDLJP:37】申十二月七日
大坂三郷の内にて米買ひ、正路にて直段下直に売候者共九十一人御召出にて、御褒の上鳥目五百文下し置かれし由、十二月十八日御触あり。
覚一、銭三百貫文 梶木町 千草屋収五郎 一、同百貫文 新靱町 天満屋市郎衛門 一、同百貫文 道修町二丁目 町人中之内 一、同五十貫文 船町 加島屋作五郎 一、同三百貫文 尼崎町一丁目 加島屋作之助 一、同百五十貫文 玉水町 加島屋重五郎 一、同百七貫八百文淡路町一丁目 町中 一、同二百貫文 薩摩堀忠助町 飾屋六兵衛 一、同百貫文 宇和島町 雑喉屋三郎兵衛 一、同百貫文 本町三丁目 町中 一、同百五十貫文 長堀十丁目 伊丹屋勝蔵 一、同十貫文 同町 伊丹屋庄蔵 一、同十貫文 同町 伊丹屋弥兵衛 一、同五十貫文 上魚屋町 町中 一、同七十貫文 太郎衛門町一丁目 天王寺屋弥七 一、同五十貫文 北浜二丁目 町中 一、同三十三貫文 北江戸堀一丁目より五丁目迄橋通二丁目より同七丁目迄 一、同百五十貫文 肥後島町 山家屋権兵衛 一、同二十貫文 京町堀一丁目 備前屋徳兵衛 一、同百貫文 北浜二丁目 塩屋経三郎 一、同百五十貫文 江戸堀五丁目 大庭屋次郎衛門 一、同二百貫文 唐和砂糖荒物屋 一番組仲買仲間 一、同百貫文 松前産物問屋十四軒 一、同五十貫文 本町三丁目 借家中 一、同五十貫文 今橋二丁目 平野屋孫兵衛 一、同五百貫文 質屋仲間 問屋 一、同十五貫文 与左衛門町南米屋丁 豊田屋宇衛門 一、同百五十貫文 唐物町二丁目下半 信濃屋勘四郎 一、同百五十貫文 瓦町二丁目 年寄町人中 一、同百貫文 天満十丁目 吉野屋九右衛門 一、同五百貫文 表借屋の内十四人 唐薬問屋仲間 一、同四百五貫文 梶木町町中 一、同百貫文 新靱町 町中 一、同卅五貫文金一両日本橋三丁目 木屋徳兵衛同人内ひそ 一、金一両 長堀十丁目伊丹屋庄二郎借家 北村屋庄兵衛 一、同一両 同借屋 伊丹屋新助 一、銭十五貫文立慶町万屋元二郎支配借家 伊丹屋勝三郎 一、金一両・銭二十貫文炭屋町 北村屋勘兵衛 一、南堀江四丁目田中屋代判伝七川兵衛借家同十貫文 伊丹屋利兵衛 一、同廿七貫文 源左衛門町 橘屋仁兵衛 一、同廿七貫文 同町 播磨屋弥兵衛 一、同十貫文 同町 近江屋源兵衛 一、同九貫文 同町 帯屋卯兵衛 一、同八貫文 同町 帯屋竹松 【 NDLJP:38】一、同八貫文 同町 大和屋喜八 一、同八貫文 同町 綿屋甚兵衛 一、同三貫文 同町 播磨屋忠兵衛 一、同五貫文 橘町 亀屋善兵衛借家丹波屋平兵衛 一、同五十貫文 橘町 亀屋善兵衛山田屋小八節屋源兵衛 一、同五貫文 同町 大和屋七兵衛 一、同四十貫文 西高津新地八丁目 熊野屋五右衛門淡路屋とみ 一、同二十貫文 北久宝寺町三丁目 銭屋安兵衛 一、同十貫文 同町 吉野屋善兵衛 一、同十貫文 河内屋休兵衛 一、同十貫文 同町 吉野屋茂兵衛 一、同五十貫文 吉野屋町 阿波屋右衛門 一、同六十貫文 追手町 町人の内五人 一、同五十貫文 太郎学門一町三丁目 町中 一、同三十貫文 備後町一丁目 船屋佶右衛門 一、同百貫文 過書町 町中 一、同三十貫文同町河内屋勝蔵支配借家 佐渡屋嘉兵衛 一、同三十貫文 淡路町二丁目 年寄町人中 一、同十一貫文 津村南町 町中 一、同十貫文 壺屋利兵衛 一、同十貫文 伊勢屋利兵衛 一、同五貫文 中村屋序助 一、同三貫文 富田屋藤八 一、同三貫文 伊丹屋治兵衛 一、同三貫文 大和屋利助 一、同三貫文 丸屋寅之助代判長兵衛 一、同二貫文 揚屋庄兵衛 一、同二百貫文 天満質屋仲間筆頭年行事 油屋平右衛門船屋久兵衛 一、同五十貫文 堂島船大工町 町人中 一、同二十貫文 同町 町人の内 一、同百貫文 堂島上難波町 松屋嘉兵衛 一、同三十貫文 同町 升屋市左衛門 一、同三十貫文 同町 綿屋作治郎 一、同十貫文 鍛冶屋二丁目明石屋仁兵衛支配同町定久寺借家・同町丹後屋喜平衛借屋・借家平野屋弥兵衛・銭屋信次郎・島屋幸之助・上難波町山口屋治衛門 一、同五貫文 紀国屋喜兵衛・平野屋重蔵・唐屋弥兵衛 一、同四十貫文 鍛冶屋町二丁目 河内屋善左衛門・万屋安兵衛 一、同二百五十貫文尼崎町二丁目 町中 一、同百貫文 呉服町 町中 一、同三十貫文 同町 佐渡屋市太郎 一、同五十貫文 節屋庄兵衛 一、同十貫文 和泉屋伊兵衛 一、同三貫文 平野屋九兵衛借家 布屋茂衛門 一、同百貫文 北浜一丁目 町人借家人中 一、同十貫文 油町三丁目町人之内 大和屋五兵衛 一、同五十貫文 銭屋喜兵衛 一、同二十貫文 布屋弥兵衛 一、同十五貫文 山城屋六左衛門 一、同十五貫文 銭屋四郎兵衛 一、同二十貫文 布屋四郎兵衛代判由兵衛 一、同三十貫文 布屋市左衛門 【 NDLJP:39】一、同十貫文 布屋治兵衛 一、同五百疋 布屋卯之助 一、同七貫文 越後屋左衛門支配借屋 銭屋幸助 一、同五貫文 山城屋六左衛門借屋 山城屋喜知兵衛 一、同十貫文 布屋四郎兵衛代判由兵衛借家 布屋清兵衛 一、同六十七貫文 町人之内十人 一、同十一貫文 同町 借家之内八人 一、同七貫文 同町年寄 三木屋庄兵衛 一、同二十貫文 西浜町 河内屋藤兵衛 一、同百貫文 北久太郎町一丁目 銭屋長左衛門 一、同五十貫文 同町 柴屋徳翁 一、同五十貫文 本町二丁目 平野屋新兵衛代判卯兵衛 一、同十五貫文 上本町三丁目 山崎屋覚兵衛 一、同二百貫文 石灰町 銭屋佐兵衛 一、同百六十貫文 三番組砂糖荒物株改役 菊屋重兵衛・山口屋佶兵衛・井仲間之者 一、同十五貫三百文同地下町 町人の内 一、同二十貫文 天満九丁目 鍋屋多兵衛 一、同百三十貫文 安堂寺町五丁目 河内屋平三郎代判次左衛門 一、同五十貫文 南本町三丁目 一、同二枚 同町 河内屋直助 一、銀十枚 南久宝寺町五丁目 飾屋嘉兵衛 一、金五両 高津新地九丁目 大国屋九兵衛 一、銭十貫文 上難波町 升屋嘉助 一、銀四百五十匁銭六十七貫文 天満組 酒造屋 一、銭十五貫文・金百四十七両二分長堀十丁目 竹屋久兵衛 一、同二十七両 北組 酒造屋 一、金八十三両二歩南組 酒造屋 一、銀十枚 南本町五丁目川崎屋弥兵衛・本町四丁目吉文字屋五兵衛・三郷古手株の内質物流買廿 七人・天満旅籠町布屋五衛門・伊賀屋半兵衛・伊賀屋弥七・加賀屋儀兵衛・播磨屋平兵衛・憲法屋嘉衛門・和泉屋豊三郎・中野屋平右衛門・豊島屋長兵衛・加島屋伊兵衛・揚屋卯兵衛・揚屋儀兵衛 一、銭三百貫文 道具方 松屋嘉兵衛玉屋五兵衛 一、同百貫文 堂島五丁目 藤田屋源七 一、同五貫文佐渡町五丁目小橋屋伊兵衛家守 松屋利兵衛 一、同五十貫文 一心寺山内 名連社別時講中 一、金一両 南堀江四丁目 阿波屋季兵衛 一、銭十貫文 同町 阿波屋佶兵衛 一、同十貫文 阿波屋和兵衛 一、同百貫文 同町 伊勢屋治兵衛 一、金一両 同町伊勢屋幸二郎借家 伊勢屋由兵衛 一、同一両 同町同借家 伊勢屋甚兵衛 一、銭十貫文 阿波屋弥兵衛借家 阿波屋栄蔵 一、同十貫文 同一丁目 揚屋平兵衛 一、同百貫文 南久宝寺町二丁目 居町人中 一、同百貫文 同町 小山忠兵衛 一、同五十貫文 北久太郎町二丁目 河内屋六兵衛 一、同二十貫文 同町 日和左屋卯兵衛 一、同百貫文 北堀江四丁目 加賀屋休兵衛 一、同金一両 同町同借家 加賀屋甚兵衛 一、銭三百八十貫文大川町 町人之内六人 一、同卅六貫文 同町 借家人之内廿六人 一、同七十貫文 大豆京町 町中 一、同四百貫文 薬種仲買仲間 【 NDLJP:40】一、同百廿五貫文 今橋一丁目 町人借家中 一、同百貫文 同町二丁目 町人借家中 一、同二百貫文 三郷材木仲買仲間 一、同五十貫文 道修町一丁目 平野屋彦兵衛 一、同三十貫文 常安裏町 中屋三郎兵衛 一、同百貫文 和泉町 鴻池栄二郎代判岩助 一、金十両 元伏見坂町 伊丹屋伊兵衛 同居かう 一、銭五十貫文 富田屋町 伊丹屋佐助 一、同百貫文 同町 町人之内二人 一、三百貫文 木挽町北三丁目 松屋清兵衛 一、同三十貫文 安治川南二丁目 和泉屋治右衛門 一、同三十貫文 南本町四丁目 町中 一、銀一枚 同町川崎屋弥兵衛家守 堺屋七郎兵衛 一、銭百貫文 白鬚町大津屋三右衛門代判久兵衛 一、同三十貫文 南本町一丁目下半 町人中 一、金三両 長堀橋本町 和泉屋伴兵衛 一、銭三十貫文 同町 大和屋庄兵衛 一、同三十貫文 同町 金屋権兵衛 一、同二十貫文 同町 大和屋嘉兵衛 一、同二十貫文 同町 中島屋六十郎代判七之助 一、同三十三貫文 同町 町人之内四人 一、同五十貫文 三郷納屋物雑穀問屋 年行司升屋猶輔菊屋利助 一、同五十貫文 南種物定問屋年行司 島屋佐右衛門讚岐屋安右衛門 一、同二十貫文 堂島裏一丁目 町人中 一、同三十貫文 常安表町富屋善七支配借家 原田真郷 一、同百五十貫文 上人町 町人之内二人 一、同百貫文 鰹座仲買仲間総代 節屋孫兵衛岩田屋木兵衛 一、同十貫文 南堀江町三丁目 木本屋源右衛門 一、同十貫文 同町 田中屋善右衛門 一、同十貫文 同町 揚屋弥兵衛 一、同五十貫文 同町 丸屋治兵衛 一、同七十貫文 堂島新地北町 町中 一、同五十貫文 高津五右衛門町 天満屋新蔵 一、同十貫文 西高津町小西屋孫兵衛支配借家 奈良屋安兵衛 一、西高津新地九丁目天満屋新蔵借家同二十貫文 天満屋定治郎 一、同百五十五貫文尼崎町一丁目 町中 一、同十貫文 右町中の内残り町人 鴻池屋市兵衛 一、同十貫文 加島屋作二郎代判孫市 一、同七貫文 鴻池屋伊兵衛代判重次郎 一、同百三十貫文 北久太郎町三丁目 町中 一、同三百貫文 米仲買之内十六人 一、同八十五貫 文浪花組卅一人 一、同百一貫文
施行銭持寄高
【施行銭持寄高】天満十丁目升屋吉五郎・同妙株・同町福田屋太右衛門・天満窪前町伯屋嘉七・同地下町々人之内一人・同天神筋町和泉屋庄五郎・同町米屋忠右衛門・天満五丁目中島屋卯兵衛・安土町一丁目丸屋喜兵衛・長堀十丁目伊丹屋庄助・南本町三丁目丹波屋儀市・唐【 NDLJP:41】物町二丁目下半布屋又右衛門・本町一丁目大和屋利兵衛・安土町二丁目綿屋彦兵衛・順慶町和泉屋藤吉・道修町三丁目小西市蔵・同町小西与兵衛・同五丁目近江屋甚兵衛・同町大堀屋丈助・上難波町松屋嘉兵衛・長堀宇和島町堺屋義兵衛・堂島新地二丁目浜田屋清右衛門・同町島屋喜六・農人橋詰町河内屋忠兵衛・殿法坂町扇屋仙助・豊島町日野屋清助・谷町二丁目河内屋孫四郎・揚屋治兵衛・同両替町池田屋二作・弥兵衛町茨屋伊兵衛・島町二丁目井筒屋与三郎・同町船橋屋喜兵衛・同淡路町二丁目船橋屋徳兵衛・大佐町倉橋屋弥兵衛・同淡路町津国屋重右衛門・亀山町米屋久兵衛・同町紅屋庄兵衛・同佐渡屋庄兵衛・同大和屋重兵衛・同揚屋喜兵衛・同木村南山・同小西屋八兵衛・同小西屋知勝・同小西屋与兵衛・天満壺屋町中島屋甚兵衛・同又治郎町日向屋仁兵衛・北浜二丁目大黒屋武助・道修町二丁目日野屋太郎兵衛・同一丁目鍵屋市兵衛・同五丁目近江屋松兵衛・初瀬町高津屋伊助・亀山町口屋栄太郎・日高屋徳右衛門・大沢町島屋佐兵衛。
米価高直に付、頭書の銭高致㆓施行㆒仕旨申立差出候に付、当十月施行銭打合割渡候。右に付此度被㆑下候御救米一同割銭可㆑被㆑下候。割渡方の儀極難渋人へ三百文、家内人別に応じ百文宛、難渋人には二百文、人数に不㆑関二人以上は百文増、右の通割渡候。先達ても相達候通、疎畧不㆑及様篤と申付可㆑被㆓相渡㆒候。米価高直に付難渋人歳暮にも相成り、殊更可㆑及㆓難儀㆒に付、此節御救米被㆑下并施銭割渡候様被㆓仰出㆒候間、難㆑有存越年の便、精々可㆑被㆓申達㆒候事、右割渡方伺の上取計候。已上
十二月十八日 北組 総年寄へ
当夏以来別て米価高直に付、【都鄙銭相場を一定しべき触を出す】軽き者共御救の為、此度江戸表多分の銭御買上に相成、相場格別に引上げ候。右は厚き御趣意を以被㆓仰出㆒候儀に候間、在方銭両替相場の儀、江戸表町相場同様取引可㆑致候。触の趣不㆓相守㆒紛敷儀有㆑之節は、早速相顕候事候条、追て及㆓沙汰㆒候迄は前条の趣相守、心得違無㆑之様可㆑致候。右之趣関八州御料は御代官、私領は領主・地頭より不洩様早々可㆑被㆓相触㆒候。
右之通可㆑被㆓相触㆒右之趣関八州へ御触有㆑之候旨、従㆓江戸㆒被㆓仰下㆒候条、為㆓心得㆒当地に於でも相触候間、此旨三郷町中可㆓触知㆒者也。
銀札遣の儀前々より札遣到来候場所、并に享保十五年以後新規相願済候分は格別、右之外向後新規の場所、札遣候儀は、前々通用到来候分も、向後願難㆓相成㆒旨、宝暦九年相触れ、猶又前々仕来にて伺有㆑之、引続年季等を以て相済居候分は格別、譬古来右の例有㆑之候共、中絶の分は札遣候儀難㆓相成㆒旨、寛政十年相触候処、近年猥に相成り願済の外領主・地頭限り銀銭・札等差出、又は米札・酒札抔と紛しき名目を以て、致㆑遣候場所も有㆑之趣相聞き、如何の事に候。前々相触れ候通り金銀・札遣難㆑成儀は勿論、銀札・米札共願済の分は格別、其余札遣候儀は難㆓相成㆒事に候間、心得違無㆑之様可㆑致候。若此上不束の儀相聞候はゞ、急度御沙汰可㆑有㆑之条、兼て其旨可㆑存候。右之通可㆑被㆓相触㆒候。
十二月 右之趣従㆓江戸㆒被㆓仰下㆒候条此旨三郷町中可㆓触知㆒者也。
申七月江戸より雲州屋敷へ来候書付の写
【江戸より雲州屋敷へ来たる書付の写】一、江戸板橋領中仙道谷中感応寺及㆓廃壊㆒有㆑之候儀、此度雑司ケ谷へ引移し、元の如く法華宗門の寺に御再建。寺地六万九千三百八十四坪被㆓下置㆒、新建に付公儀御本丸様并西丸様其外御三家様及諸大名方より御寄附左の通に候。尤も下地の檀家千三百七十二軒有㆑之候。夫々御調にて不㆑残法華宗門に相成り、町奉行所にて檀方中へ御若年寄迄以㆓田沼㆒被㆓仰聞㆒。
諸堂御寄附【感応寺改築の御寄附】一、本堂七尺一間にて卅八間四面太政大臣様 一、祖師堂廿四間四面 内大臣様 一、黒書院徳川兵部卿同 式部卿 一、仁王門 水戸様 一、山門 尾張様 一、鐘楼堂 紀伊様 一、五重塔 仙台 一、番神堂 加賀 一、本院方丈 越前加賀 一、諸々門 薩州 一、太鼓堂 芸州 御普請奉行 脇坂中務大輔
此儀御取立有㆑之候寺格の儀、大坊并に触頭同様可㆓相心得㆒。年頭の御礼は大広間独礼之事。右は松平周防守様より御逹有㆑之。右去る二月九日於㆓御城㆒被㆓仰渡㆒、兼て御取立再㆓興之㆒候、長輝山感応寺と格等の儀御調達、松平周防殿依㆓御指図㆒、脇坂殿よ【 NDLJP:43】り被㆓申渡㆒。
鍋島一件【鍋島一件】
肥前守儀、此節為㆓帰国㆒去る十三日御当地発足、川崎駅止宿仕候に付、本陣関札建置候処、同日民部卿殿川崎大師へ御参詣掛御通り跡、右関札御目障に相成候間、早々取込候様、御同勢の内御小人目附当麻平兵衛組下田中熊八郎、六七人ゟ宿役人を以、本陣へ申聞候得共、関札の儀は本陣限り取込難㆓相成㆒、肥前守掛り役人へ其段届候上、御挨拶可㆑仕旨相答候処、熊八外六七人にて右関札へ本陣より附置候番の者、且つ手代等を傘にて打擲き、刀に手を懸候人々有㆑之、其上囲を破り関札打倒候に付、番の者脇に建置き候を土足に懸け、且つ家来宿札も引放被㆑申候段、肥前守途中迄本陣より申越候。家来の者右駅到著不㆑仕以前の事にて、言語道断無㆓是非㆒次第に御座候。御称号をも不㆑憚、法外至極の致方に付、右人々此方へ可㆓申受㆒旨、肥前守より彼御方へ申入候。尤も肥前守御返答相待ち、川崎宿に滞留可㆑仕の処、長崎表御役向の儀に付、無㆓其儀㆒旅行仕候。右の始末一橋に於て御取調候の処、名面殊の外相違に付吟味の儀、公辺へ御達出に相成候由に付、其段御取調の上、不調法の仕方此方より申上候処に相違無㆓御座㆒候はゞ、此度の儀肥前守は勿論家来一同恥辱の限、何分堪忍難㆓相成㆒に付、趣意相立候様幾重にも奉㆑願候。右之段肥前守旅中より申越候に付、此段申上候以上。
三月十七日 松平肥前守内 羽室六左衛門
右之段御用番水野越前守様へ御届けに相成候由。
同廿三日右吟味上左之通
尋之上揚り屋入 一橋様御家来山田八郎組徒士 戸村幸五郎廿八・諏訪熊次郎廿六・中島吉太郎廿二
上原忠兵衛組徒士 大井源八郎加廿九・平井東吉廿八・
尋之上入牢 物頭隠岐五郎太夫組同心 九里亀太郎卅九・
事方御勘定奉行。右内藤隼人正宅に於て同人申渡候。
右落著御裁許の次第如㆑左。
一橋殿徒士頭山田八郎組徒士 中島吉太郎廿二歳
【 NDLJP:44】右之者儀主人六郷筋延気に付、【中島吉太郎の判決文】供致し罷越、膳所休中昼飯に罷出で、東海道川崎宿半七方へ立寄、供先をも不㆑顧酒に泥酔、其以前松平肥前守帰国に付、右宿泊に相成、右半七向に肥前守泊之関札建有㆑之候を見受、目障にも可㆓相成㆒と心得、同役大井源四〔八カ〕郎に二人共に取除罷越候之処、戸村源治郎外三人差留候を、酒狂の上不㆓相用㆒、関札取除の儀、同宿本陣兵庫へ可㆑致㆓直談㆒と源治郎外に一人一同に罷越、途中兵庫下男伊之助に行逢ひ、右関札は肥前守家来へ申聞候上に無㆑之候ては、難㆓相除㆒旨申聞候を致㆓立腹㆒、九里亀次〔太カ〕郎組に伊之助左右に手を捕、関札建置候場所迄、無体に引連参り、亀次〔太カ〕郎外に一人共々右関札を理不尽に引下し、猶囲の竹を抜取り及㆓乱妨㆒、其上伊之助より姓名を相尋候節、後難を恐れ人の名前を申偽り相答へ、剰へ右引下し候関札を伊之助持参膝の上に載置候を見受、此者等へ対し態と手重に取扱候儀と心憎く存じ、関札の儀は御称号も認有㆑之候を、土足に懸候段、不㆑恐㆓公儀㆒法外の次第不届至極に付、於㆓品川㆒獄門被㆓仰付㆒候。
田中熊八と申偽候者死罪之上獄門、〈民部卿徒士頭山田八郡組徒士〉中島吉三郎〈卅二〉。牢死存命に候へば同罪〈三原忠兵衛組徒士〉大井源二郎〈廿九〉。熊谷五郎八と申偽候者遠島〈同人組〉平井東吉〈廿八〉。同断 〈物頭隠破五郎太夫組同心〉九里亀次郎。押込、戸村幸五郎・諏訪熊次郎・金子鉄之助。急度呵り〈小人目附当麻平兵衛名代〉岡田伊之助。無㆑構〈徒目附助方見習〉田中熊八・〈同断〉無田口藤右衛門・〈同断〉小川平五右衛門・ 〈同断〉羽室平左衛門。東海道川崎宿、本陣兵庫・〈同人下男〉断代丈九兵衛・〈同断〉伊之助・〈百姓代〉善蔵・〈定小丈〉久右衛門・〈百姓〉半七・〈旅宿屋〉忠右衛衛・〈同断〉源太郎・〈旅役人〉庄左衛門・〈同断〉五郎作。立合〈民部卿家来徒目附〉山本与五郎・〈同断松平肥前守家来〉中島弥十郎。
右於㆓内藤隼人正宅に㆒、大目附始㆓鹿野河内守㆒御目附立合、隼人正申渡。〈但し寄合日に付、御勘定吟味役中野又兵衛立合。〉
松平肥前守
当三月於㆓東海道川崎宿に㆒、【松平肥前守叱責せらる】民部卿殿徒士中島吉太郎外三人、其方関礼を抜取及㆓乱妨㆒候一件、吟味之上夫々御仕置申付候。然る処右体不法の儀有㆑之候はゞ、他所へ引合候儀にて自分仕置難㆓申付㆒筋に候。早速民部卿殿家老へ懸合の上、奉行所吟味の儀可㆑被㆓申置㆒候処に、無㆓其儀㆒及㆓乱妨㆒候者共、其方へ申受度旨及㆓懸合㆒候段不届【 NDLJP:45】の事に候。
【朝鮮渡海者の処罰】朝鮮国持地竹島へ渡海致し候一件、携り候不前如
入牢 松平周防守領分、石州那賀郡浜田松原浦、会津屋岸方に無人別にて罷在候、当時無宿、金兵衛事、八右衛門〈卅九歳〉松平隠岐守御預所、讚州薬〔草カ〕賀郡小豆島寺木村、船乗平右衛門・重助〈四十九歳〉 松平安芸守領分、芸州豊田郡諸江島瀬戸田町船乗新兵衛〈卅四歳〉 大坂安治川南二丁目播磨屋甚右衛門借地淡路屋善兵衛〈七十歳〉
馴合候迄にて渡海不㆑致者。
大坂江の子島東町長門屋幸蔵借地播磨屋藤三郎・外に四人。松平周防守家来、岡田頼母・松井図書・島崎梅五郎・猶崎百八郎。
揚り屋入 大谷作兵衛・村井萩右衛門・三沢五郎右衛門。岡田頼母召仕、橋本三郎兵衛・林品右衛門
【竹島】竹島、浜田より四十余里。七箇年以前八左衛門儀ふと右島へ上り候処、右島にて交易等度々致候由。人家無㆑之白木造宮一社有㆑之、近辺至て猟有㆑之由。耕作等致候はば、三万石位可㆓相成㆒由、廻二十里余有㆑之由。当時は人家も二軒も有㆑之由。浜田領に無㆑之、石見国を離候由、対州様へ先年懸合有㆑之、又々取調相成・朝鮮国附属にも可㆑有㆑之由。右島に竹有㆑之、右竹臥し海へ入有㆑之、右竹を引上げ候へば、葉の様に鮑付上り候由、凡淡路島程有㆑之由。
松平周防守元領分浜方船頭八左衛門
右不届有㆑之領分払申付候処、大坂町奉行にて被㆓召捕㆒相成、御吟味の上江戸表御差出。六月十日著寺社奉行井上河内守様御払御吟味入牢。
但播州小豆島・芸州并大坂廻船問屋且材木屋等被㆓召捕㆒、江戸表へ差出都合十人。右御呼出の儀御達。家老当時隠居岡田頼母、年寄松井図書、勘定奉行大谷作兵衛、偽役三沢五郎左衛門、六月十四日揚り屋入。元吟味役当時松平伊織附人、村井萩右衛門。
右六月十三日御呼出し、御吟味御留置に相成り、翌日十四日七つ時於㆓評定所㆒被㆔仰㆓【 NDLJP:46】渡河内守様㆒也。六月十六日より御評定所一座掛りに相成る。
一、申六月十四日御用番水野越前守様へ差出。
昨十三日私家来大谷作兵衛・三沢五郎左衛門・村井萩右衛門と申者、井上河内守尋の儀有㆑之候間、同道人差添差出可㆑申旨に付、則差出候処、尋の上吟味中揚屋入申付候段、家来の者へ申渡有㆑之候。此段御届申上候。以上。
申六月十四日 松平周防守
私家来八十郎父隠居岡田秋斎、一門家老旧家松井図書・林品右衛門・島崎梅五郎・猶崎百八郎、八十郎召仕橋本三郎兵衛。
右早々呼出、著次第可㆓申聞㆒旨、去月九日井上河内守より家来の者共へ相達候に付、急飛脚を以申遣候処、同廿一日浜田表へ相達。則夫々出府の儀申付、同廿七日出立の様に御座候処、秋斎儀廿五日夜中より中暑、図書儀は廿六日夜より腹痛熱気強、両人共出立難㆓相成㆒其内少々快候に付、押而当月朔日両人共出立の様に夫々用意仕候処、去月廿八日夜半頃秋斎儀自殺仕相果候。図書儀は廿九日暁是又自殺仕相果候旨申出候に付、早速役人共差遣相改候処、相違無㆓御座㆒候旨、浜田表役人共より急飛脚を以て申越、昨午刻相達候間、秋斎・図書疵所相改書付、岡田八十郎図書実父隠居・松井遊山口置医師共差出候書付相添、河内守方へ相届申候。依㆑之御届申上候以上。
七月十九日
御用番松平伯耆守様へ
御懸り大久保加賀守様へ 御届
同八月江戸より雲州へ申来書付の写
天保二卯年町方同心【江戸より雲州へ来れる書付の写】、合〔今カ〕泉覚左衛門儀、越州道中筋へ出奔致候罪人有㆑之、可㆓召捕㆒旨被㆓仰渡㆒、八月十二日御当地出立、越後国新潟港へ罷越し、右罪人捕の上帰路。同月廿五日奥州会津郡若松城下へ相懸罷越候節、【若松城にて釜発見】同所仕置場に穢多村の間にて此釜有㆑之〔〈原本図あり〉〕、小屋相懸け雨戸は無㆑之、其内に有㆑之候を見受候に付、右品には由来可㆑有㆑之儀と宿役人共へ相尋候処、右は先年太閤時代の節、石川五右衛門儀釜ゆで刑に可㆑被㆓仰付㆒旨にて、会津郡若松城主蒲生飛騨守氏郷に被㆓仰付㆒候間、釜為㆑鋳候て差上候節、右釜の控に取置候趣に有㆑之由申聞候。尤此節は小さき方の釜底損所有㆑之所見受候【 NDLJP:47】員、覚右衛門儀同九月八日に御当地へ帰著致候後、右新釜の図写し見せ候間、其趣記置候。○頭書に石川五右衛門を刑に行ひし釜は南都町奉行所にあり之と同じ
同上
松平右近将監領分、石州浜田松原浦、会津屋菊兵衛方無人別に罷在候。当時無㆑宿㆓朝鮮人㆒。
金清事八右衛門
摂州兵庫島文蔵
一、米十九億八千石但天保四巳年八月五日より唐船にて積送候由 一、有金八百廿七万八千両余 一、土蔵三百七十箇所内二十箇所唐物入 一、海船四百四十艘船頭船乗九百八十人 一、家造間口九十間奥行二百七十間程 一、有米三百九十一万石余
以上〔○頭書に日本国中数十年の年を積まざれば、如此の米数に至り難し。こは去る巳年に兵庫なる高田屋と云ふ船頭、闕所の節と同様にて、当年も飢饉の由にて、世間騒々しき事なれば、驟に闕所米三百九十一万石も湧出でし様に思はせて、人気の騒々しきを鎮めんと思へるなるべし。〕
一、松平周防守家来八十郎隠居岡田秋斎・松井図書儀、去月九日井上河内守様より御呼出に付、早速浜田表へ申遣候処、同廿八日夜秋斎儀自殺。図書儀は同廿九日暁自殺の儀申出候に付、役人共遣し相改候処、自殺に相違無㆑之旨、浜田表役人共より申越候。御呼出の身分右様の始末に至候に付、周防守より差控の儀、御用番松平伯耆守様へ相伺候処、差控に不㆑及段今日御附札を以て、被㆓仰渡㆒候。
私共是は御家へも為㆓御知㆒来候儀、此通周防守様は御当主御改名にて御隠居には無㆓御座㆒候。 松平周防守家来 斎藤隼太
右当人塩詰と申儀は不㆓相成㆒候得共、塩にて手当致し候様被㆓仰渡㆒、江戸表へ精々差置候由の事。
一、備前岡山大守松平伊予守殿へ、周防守御預に相成候間、致㆓用意㆒候様に御内意の処、大名御預の儀は不㆓容易㆒儀に付、国持大名評議の上、追々御答可㆓申上㆒旨伊予守殿被㆓仰立㆒候由之事。
私の聞書に云、右一件は異国交易一件、先代周防守様御役人中より相顕候哉の由に候処、仙石家の事は近く相手も有㆑之儀、異国交易の事は相手遠きにも有㆑之、御大国禁筋に付、一回相顕候ては、仙石一件
天保七申八月廿六日出を以つて、江戸表より定詰の者申遣しくれ候由にて、外より相廻り候分、尚又同年十一月写取るなり。
天保七申十月江戸より或屋敷へ申来
【江戸より狐の変化の事を注進す】豊後国佐伯の城主毛利伊勢守領分、河辺郡上村百姓由平〈五十一歳〉・妻いと〈四十七歳〉・忰勝蔵〈十九歳〉・同乗松〈六歳〉
右由平儀高十二三石致㆓所持㆒、至つて実体なる者に有㆑之候処、去十一月中旬頃より同人住居昼夜の無㆓差別㆒、かけやを以て打候様なる物音致候に付、家内の者共一同に驚立ち出見候得共、一向に何共見分不㆑申、物音のみ響き候て怪しき儀、色々祈祷致し候得共相止不㆑申。依㆑之由平妻いと儀、同村鎮守八幡宮へ致㆓参詣㆒家。内怪しき儀無㆑之様念候処、其後五六日の間右物音無㆑之。或夜いと儀夢に、十七八歳位なる女一人枕元に彳み申聞け候は、「私儀当村より三里程南へ寄、同郡なんごと申す山中に有㆑之稲荷の使狐にて、物音等も私の致儀にて、外に仔細も無㆑之候得共、何卒御子息勝蔵殿懇望に付被㆑呉候様、左候へば、御家内安全は不㆑及㆑申、何事も不自由なる儀は、決して為㆑致申間敷旨達て相願候由」聢と夢に見候間、翌日目覚不思議の事と存じ、夫由平へ右の趣相話、夫より両三夜、右同様に夢引続見候に付、実以忰を右狐致㆓執心㆒候間、物音等も右様の儀にて致し候儀にも可㆑有㆑之や、殊に右の稲荷は七日程致㆓信心㆒候に付、悪しき儀も有㆑之まじく候間、右狐へ忰可㆑遣旨夫婦相談の上忰へも申聞け候処、承知に付、由平儀前書稲荷へ参、「忰勝蔵儀差上候間家内安全を御守被㆑下候様に」と、一心に念立帰候処、二三日相立、右狐美女と変り、由平宅へ参候へ共、同人并妻の目には更に不㆓相見㆒、勝蔵并弟兼吉へは相見候由、然る処勝蔵儀致㆓如何㆒候や、俄に腰抜けに相成立居も不㆓相成㆒候に付、驚き医師に相懸候得共、一向快気不㆑致候由。右【 NDLJP:49】狐は勝蔵妻に相成、朝夕雨戸明立て、其外飯拵等致し候得共、姿は決して見せ不㆑申、道具類は自然と動き候由に御座候。且亦夜分に相成候へば、右狐糸を取り機を織り候様子にて、梭の音のみ致し、織上げ候へば衣類に仕立、勝蔵に著せ候由。右風聞に付、近村の者共追々参致㆓見物㆒候処、全く心立宜敷者参候節は、菓子・酒等当人の前に差置候由、其外飯米等差支候節は、何方より持参候や、不㆑絶有㆑之旨、尤金銀・銭等は一向不㆑致㆓持参㆒由に御座候。同人所持の田畠農業の節抔は、右狐手伝候や殊の外果取り候由。其外種々奇妙なる事共有㆑之旨風聞候由にて、領主より見分人々差遣候処、全く相違無㆑之趣に付、祈祷がましき儀は被㆓差留㆒。乍㆑去村中難儀なる事も無㆑之、其上由平家内一統睦じく相見え候に付、其儘に被㆓差置㆒候由に御座候事。
右は好事の曲者狂言・戯語より思付て、【右評】世人を誰す妖言にして、之見て信じぬる者は、悉く其曲者に化かさるヽ馬鹿者といふべし。種々の浮説等ありて、世間にてかゝる妖言を信じ、実らしく触廻る馬鹿者共、多くありぬる事の、余りに可笑しきと、世間の騒々しき有様を知らしめんと力めて記し置く者なり。
此外にも丹後の国にて牛が件を生み、其件が云へるには「来る酉年は豊年なれば、諸人安心せよ」と云ひし抔、其外にも種々に取り処なき浮説を言触らし、騒々しき中にて喧ましき事なりし。
天保七申七月十七日夕七つ時於㆓江戸表㆒町奉行所へ訴出候趣如㆑左。
【江戸町奉行に訴出でたる仇討の一件】神田山本町代地月行司茂兵衛申上候。町内弥七店大工職庄兵衛忰庄之助と申候者、廿九歳に罷成候処、庄兵衛家前に彳み居候処、今昼九つ時頃、浪人体の者参り刀を抜き、庄之助右の肩二太刀斬付け、同方手首斬落し、脇腹へ斬付候に付致㆓即死㆒候。然る処右浪人自身番屋へ参申聞候は、「元服部一郎右衛門殿組御徒士森定十郎養子にて、当時浪人同苗金十郎と申者にて、麻布本村町八蔵店に致㆓同居㆒罷在候。親の仇討留候由」申聞候に付、留置検使願出候由。右昨年中土野三枚橋辺にて、前書庄之助儀御徒士森定十郎を殺害に及候処、表向にては其家に拘り候訳故、其節同分にて為㆓相済㆒候処、其後右の風聞強く相成候故哉御暇に相成り忰金十郎儀浪人に罷成る。仍て此度の儀にも及候由。右定十郎事は元来善からぬ人物にて、普請場を通懸り態と材木【 NDLJP:50】に行当りて大工を咎め、刀を抜いて斬らんとせし故、種々詞を尽して詫びぬれ共、愈〻云募りて斬らんとせし故、拠なく其刀を奪取りて斬殺せし共、又三枚橋辺の料理にて、双方共酒を飲みしが、不法の言を云懸け、刀を抜いて斬らんとせしが、其刀を奪取られて、斬殺されしともいへり。
同六月江州草津辺野呂新町といへる所にて、【江州草津にて仇討の一件】備中玉島の角力取、玉手山利喜右衛門といへる者を殺害せし、岩吉と申者を、右玉手山弟今井筒光蔵弟子時津浪清兵衛・稲積長吉・滝渡仲蔵・甥常盤山彦蔵といへる者、五人にて討取りしといふ。仰山に取沙汰をせし事なりしが、一つは懐手にて無力の者の不意を討ち、一つは草津にて人足を働居る無力の岩吉を欺きて、途中へ釣出し、力者五人掛りにて之を斬殺す。何れも寝鳥をさすよりも容易き事なれば、事々しく噂せし程の事にてはなかりし。
天保七申七月廿四日出にて江戸より来状の写。
当地も四月半ばより只今に至り雨天計り、【江戸より大風雨の由来状】其内天気も少々は御座候得共、終日快晴と申す事無㆑之、諸人大難儀の処、当月十七日夜より雨風烈しく、十八日朝四つ頃より以の外の風雨に相成り、始は異風にて大嵐、後に南に風り変大風なる事難㆓申尽㆒、近辺焼失後漸〻普請出来の所多く吹倒し、拙宅の向通り借家廿一間程一棟一町へ連り候所抔、不㆑残吹倒し、其外火の見飛行候処数軒、築地辺の屋敷抔は格別当り強く、長屋潰れ候処数多、其外町方屋根を捲り、家曲り逃出候者有㆑之。乍㆑去逃出候ても風雨強く息を詰め吹倒され、歩行難㆑成恐しき気色仕合に、拙宅抔は所々痛候得共、先先宅に居付、相凌ぎ大に仕合仕候事に御座候。品川辺より鮫洲・大森辺は皆海辺石垣打崩れ、津浪打来り、海側の家は皆打砕け、乗船にて山川の田甫へ老人は皆逃出候事恐しき事共にて、いさゝ風雨昼七つ時前に鎮り、先々一統に致㆓安心㆒候事に御座候。弥〻当地も米高直、玄米にて下物小判一両に三斗二升位と申事に御座候。小売米百銅に四合五才、極下五合の由。大抵は搗米屋商売相休居候事に御座候。扨々穏ならぬ事共に御座候。 植田源八
同九月江戸より申来候趣如左。【凶事諷刺の狂作】
物騒俄始 自身番 夜攻往来撃柝喧 町内半鐘寝耳響 夢中頭結犢鼻禅。
【 NDLJP:51】偸人騒動風聞高 厳重夜廻為㆑是労 若使㆔家主逢㆓盗賊㆒ 仰天狼狽捲㆑尻逃。
霖雨如㆑糸数月長 蔵前頻上米相場 困窮裏店置㆑離夥 家主迷惑失㆓途方㆒。
嵯峨釈迦回向院にて開帳。前々と違ひ雨繁げければ
開帳はいつも人気といふなれど今は浮世が兎角釈迦さま
京童の口ずさみ
周防門の前には日月なし 世にいらぬ花橋が二本はへ伊井感応寺
大嵐荒増心覚
一、七月十七日夜九つ時雨降出し、十八日曙より大嵐となる。【江戸大嵐の一斑】昼八つ時過迄風雨不㆑止。七つ時前より雨止み嵐追々納り、夜に入り月光出づ。日頃よりは晴朗の青天となり、今朝登城の輩は駕籠は南に向ふ。されば増人にても難㆑進、御老若御上は何よりも御延引、下乗より御合羽・御陣笠・御冠笠被㆑召、跣なり。尤加賀殿・伯耆殿は簑御著用。
一、御玄関前塀重り御門内五抱程の大なる樅の木折れ、樅尤内は
愚按に御本丸は寛永・明暦両度炎上有㆑之に付て、御入国頃の大木は有㆑之筈には無㆑之。殊に御本丸の方御入国以後御取立に相成候儀、旁〻肥後殿御物語不審の事に候。
大嵐に付二の丸角矢倉、其外諸々壁落ち、御普請所葭張・足場悉く落損じ、本所・深川筋材木屋の分悉く流失損毛、筏組にて拾出ると雖、十が一の由。諸船の家根取れ、又【 NDLJP:52】又船々流失数百艘。諸所へ引上げ後金にて申受候処、家根一艘金三両二歩宛の由。羽左衛門芝居十八日家根会所葺立て、十九日より芝居道具不揃に候得共、興行始候由。中村は「十九日より相始む」と書出し有㆑之候処、十八日大嵐にて諸道具・家根迄吹失候故、月末迄は延引の由。嵯峨釈迦開帳、仏十八日本堂へ御立退、家根其外共風雨損に付、十九日・廿日は霊室断不㆑出、廿一日より霊室出づ。然れ共参詣は同様群参実に霊仏なり。地内見せ物類十九日休み、二十日より長崎踊と女の足芸・猿芝居・力持は有㆑之。伊賀越大仕掛も舞台廻りは月末迄休み、諸大名火の見の屋根、上杉弾正大弼を始め七箇所、町の火の見喚鐘迄折失ひし処三箇所・五箇所、火の見計り五箇所、二階・物干所又は家根吹折りし分、其数を不㆑知。両山・紅葉山大木折れ、今日隠居家督大勢被㆓仰付㆒候処、大風雨に付、廻勤の儀は今明日の中に可㆓罷越㆒旨御用捨にて、何れも難㆑有、翌日廻勤有㆑之由。
将軍御宣下に付御役禄【家慶任将軍に就き予め諸士の役禄を定む】
一、先達て及㆑達候面々総出仕、左の通り登城。内府様御歳も被㆑為㆑重候に付、御政務被㆑遊㆓御譲㆒、御本丸へ来る西年四月可㆑被㆑為㆑移候。公方様被㆑為㆓御隠居㆒、西の丸へ可㆑被㆑成㆓御移㆒候。右の趣京都へ被㆓御遣㆒、将軍宣下の儀も御願被㆓仰遣㆒候。不㆓相変㆒内府様へ御奉公可㆑仕候。此段申聞べき旨御意候。
年来出精相勤候に付、虎皮鞍覆・御鐙鞍拝領、以来打上腰綱代乗物御免、但折傘大久保加賀守 大御所様附御老中松平伯耆守 御本丸・御老中太田備中守 加判列被㆓仰付㆒大納言様附脇坂中務大夫 大御所様附永井肥前守 御本丸森川内膳正 大納言様附本多豊後守 若年寄被㆓仰付㆒大御所様附大岡主膳正同断 大納言様附堀田摂津守 三千石御加増土岐豊後守 二千石高に御加増御用取次被㆓仰付㆒大納言様附新見伊賀守 二千石御加増大御所様附水野美濃守 御本丸松平筑後守 御本丸勤本郷丹後守 大納言様御側衆帝鑑間席交代寄合組松平左兵衛督 大御所様御側衆西丸御書院番頭より岡部因幡守 大納言機附御書院番頭御本丸御小性組番頭より本多対馬守 西御丸同浅野壱岐守 同附御小性組番頭御本丸新番頭より蜷川越中守 【 NDLJP:53】中奥御小性酒井隠岐守 同附御本丸御使番より御目附加藤靱負 御徒士頭より牧野靭負・鳥居輝蔵 同附中奥御番より御徒頭岩瀬内記 大納言様附御本丸御書院番頭曽我伊予守 御書院番頭遠山半左衛門・久貝又三郎岡田伊予守組 同御徒頭安藤左兵衛 同附御本丸御小性番頭永田孫四郎高力丹後守 諏訪庄左衛門・田辺十左衛門大久保紀伊守組・三好悌三郎曽我伊予守組より
小十人頭 西尾藤四郎 右御所様附御台様御用人より長谷川能登守・三好所左衛門 御本丸御簾中様御用人より 守山主水正・毛受勝助
天保七申八月廿一日甲州騒動米高に付打こかし一件。【甲州騒動一件】笹が峠より起立つ人数凡七八千余、持道具竹槍・鉄炮其外飛道具品々。
廿一日手初。
一、駒替宿、桜屋六兵衛・柏屋与兵衛・組屋小右衛門。一、上栗原宿、福家伝兵衛・井筒屋三右衛門・中屋三郎右衛門・同人隠宅。一、平町田中、小野七兵衛・大黒屋伊兵衛・同人隠居此所にて死人数多有㆑之一、上原田村、大金持奥右衛門右同人所持米凡五万俵有㆑之由 一、松本村、金持亀屋金助。
一、河内村、駿河屋何某。一、石田村、槌屋何某 此所御代官陣屋有
廿二日暁七つ時より甲府へ乱入。【甲府へ乱入】
一、一番渡辺屋善助、一条町。一、二番、金沢屋佐吉、山田三丁日。一、三番、河内屋平吉。筧町一丁目、此間に八日町と申す所にて二文家屋酒店・若松屋足袋店此二軒酒飯并足袋等を出し無難に相済む。一、四番、和泉屋作右衛門、山田町一丁目
廿三日明六時一、五番、十一屋酒店、柳町 。此所にて酒飯出し無難。一、六番、河内屋徳兵衛、三日市一丁目。一、七番、同卯兵衛、柳町三丁目。一、八番、大黒屋善兵衛、右同断。
一、九番、河内屋忠助、同四丁目、此所中飯少間取候由。一、十番、柴田藤兵衛、緑町、右の人持米其外蔵に入有㆑之諸道具・証文等迄、火懸焼払候由。其節悪風にて其近所家数十一軒焼亡候由。是より新町へ入る。一、十一番、鍛冶屋政右衛門、新町。一、十二番、麻屋、同町。此外駒替宿より此所迄、宿々打こかし候。十二三里の間と申す事。
張本人森武七五十歳、〔〈原本上に「丸に二」の印下に森と書ける小旗あり〉〕同人名前不㆑知廿四五歳位〔原本上に瓢簞形の印ある小族あり〕小荷駄【 NDLJP:54】馬六匹右は当廿三日出しにて飛脚を以て御老中様へ御届書しなり
【安藤太郎の尺牘】秋冷の節弥〻御多祥奉㆓恭喜㆒候。然ば小生儀道中無㆓故障㆒、本月四日東府仕候。乍㆑憚御放慮可㆑被㆑下候。誠に出立前は彼此御面倒の儀相願ひ、殊更預㆓御儀別㆒千万難㆑有奉㆑存候。道中米価高直、旅籠賃三百以上にて困入候。八月十三日の風亀山以東甚しく、荒井前後尤も甚しく、並木の大木大半倒御座候。浜松は格別大荒と申すにても無㆑之候得共、一里の内にて並木六百八十本倒候由申候。竹藪は悉く枯御座候。余程の大風と被㆑察候。甲州郡内と申所に一揆発り、一万余の徒党にて毀廻り候。沼津水野出羽様・小田原大久保加賀様ゟ防の人数四百余人参候由承り候。沼津の小荷駄十五六駄に逢申候。吉原と申す宿にて、沼津勢の握飯拵候に米五俵費候由申候。途中の風説は一揆五万余人と申候。何れも飛道具にて荒廻り申候故、手に合兼候由也。江戸米直段四合五勺・五合と申事に御座候。先日頃迄は三合五勺位に候得共、御借米下候由少々安く相成候由なり。聖堂人数塞り御座候に付、古賀様塾へ入寮仕候。
九月六日 安藤太郎
甲州村々徒党の者共追々及㆓狼藉㆒候趣申上候。
当八月廿四日御届申上候。【甲州一揆の暴状】西村貞太郎御代官所甲州都留郡郡内領上下谷村騒立、去る十四日人家打毀、引続き同郡村々騒立ち徒党の者共、同十五日貞太郎御代官所小梨郡駒飼宿へ押懸け上火致し、右合図を以て所々り人数寄集り、同宿打毀勝沼宿へ寄集り、夜に入候節は山梨・八代両郡村々の者共追々加り、都合二千五百人も可㆑有㆑之と相聞、夫より村々へ徒党の者共押懸け、一味不㆑致者共は打殺し、又は可㆓焼払㆒旨申威候に付、無㆑拠村々人数差出候得共、頭取体の者帳面記し、右人数を先立村々米商・質屋渡世の者居宅打毀、右の者共食事手当の儀は、村々の内身許宜しき者共選申談候儀に有㆑之、廿二日朝に懸け田安殿領地栗原村・歌田村打毀、右陣屋元一丁田中村打毀、同居桑戸村打毀、貞太郎手附手代頼に付、勤番支配永見伊予守・戸田下総守へ懸合、私手附手代の者加勢として多人数差出し置候内、私御代官所山梨郡村々へ移、甲府御城下へ押懸候由に付、人数過半繰上げ候の処、同夜西村貞太郎御代官所川田村打毀、夫より石和陣屋許を始め、八代郡の内村々打毀、廿三日朝私御代官所【 NDLJP:55】山梨郡坂打村・坂垣村より甲府町方へ懸り候に付、私手附手代・足軽共多人数差出、穢多非人并村の人等も大勢寄集り候得共難取鎮、坂打村・坂垣村無難に通り、甲府町方へ押入、町々数軒打毀ち質品・家財等市中へ持出し、火をかけ焼上り候に付、早鐘撞立候次第に有㆑之、或は御城内御蔵をも拝見仕度風聞無㆓此上㆒始末に付、兼て被㆓仰渡㆒の趣を以、最寄大名無㆑之、私陣屋許ゟ十八里程も可㆑有㆑之候へ共、外に手当無㆑之に付、信州諏訪伊勢守へも申談候処、可㆑然取計候様申聞候儀に御座候。此上甲府町方は勿論、在方私御代官所村々へも立入、可㆑及㆑乱妨儀と奉存候間、村々へ申渡、猟師鉄炮を以打殺し、手附手代・足軽共の儀も銘々罷出で、徒党の者共斬捨候様申渡置候間、此段兼て御聞置可㆑被㆑下候。最初違作に付米穀買占の者有㆑之、村々百姓共難儀致し候由の趣意に候処、此節は無類の悪徒共大勢打加り総人数六七百人、夜に入り二三千人程にも相成の由、手分に白旗・赤旗并目印様の物打立て、先手・続手等を分け、太鼓・鐘を打ち、竹貝等を吹立、重立候者共は帯刀・抜身等を取携狼藉に及び、中々以手余候体に有㆑之候。捨置候へば猶々人数加り、何様の大事可㆓差起㆒も難㆑計被㆑存候間、勤番支配へも被㆓仰渡㆒、此上御城外并在方は非常御備、徒党の者取鎮め、捕方手配り等被㆓仰渡㆒御座候様仕度奉㆑存候。猶追々可㆓申上㆒候得共、此段申上候 以上
申八月 井上十左衛門
下げ札 本文風聞御座候に付、早速私儀手附手代并門蔵方手代下役、其外人数召連れ、勿論戸田下総守并御蔵立合両人共、一同相詰候処、御城内向御蔵方共御別条無㆓御座㆒候。此段下げ札を以て申上候。以上
追々申上候。西村貞太郎御代官所甲府都留郡郡内領村々徒党の者共、小梨・八代郡村々へ押入、両郡村々相加り、貞太郎并山口鉄太郎私支配所田安殿・宮内卿殿領知、甲府大家打毀又は土蔵へ火を懸け、及狼藉乱妨候者共手附手代差出、追々多人数召捕打殺候処、当八月廿三日夜甲府近辺在方共へ廻㆓相鎮㆒候間、諏訪伊勢守方へ人数差向方及㆑断、其段御届け申上候処、同夜中又々散乱致し、所々へ寄集り、翌廿四日暁巨摩郡大家打毀及㆓張藉㆒、其上甲府境町牢屋敷并私陣屋をも打毀火を放し、同人可㆓【 NDLJP:56】盗去㆒と申合候趣風聞有㆑之候に付、猶又人数差向方伊勢守へ懸合、早速手附手代共村々へ多人数差出、私陣屋図の儀も夫々備置候処、私御代官所巨摩郡台ヶ原宿辺へ向押懸け頭取共、馬又は駕籠に乗り指図致し、村々及㆓狼藉強盗に㆒候を、私手附手代儀共可㆓召捕㆒と追詰罷越候。伊勢守人数は廿四日酉の中刻諏訪表出立、翌廿五日未の上刻台ヶ原宿迄到著致候に付、狼藉の者共難㆑進、猶私手附手代共追々多人数差加り、殊に御岳山神主共由緒の趣を申立、私陣屋へ相詰候に付、右の者共召され召捕方差加有㆑之内、先立候手附手代共へ、私御代官所同郡大八田村に於て、徒党の者共抜身を持ち手向ひ、鉄炮を打懸候に付け、猟師共に申付鉄炮為㆑打、竹槍・棒を以て追詰め、其場に頭取周吉捕へ、差続き候者共同村并台ヶ原宿に於て三人即死致し、其余疵負候者四五人有㆑之、并近き村々に於て多人数召捕候に付、其余の者共逃去行衛相知れ不㆑申候。先手狼藉の者共相鎮り候得共、猶又寄集り候儀も難㆑計候に付、伊勢守人数は、同廿六日私御代官所同郡龍王村に繰上げ止宿。同廿七日逗留仕り、弥〻穂鋒〔本ノマヽ〕と相聞候に付、同夕引払の儀申談じ、翌廿八日龍王村出立為㆑仕申候、彼の伊勢守人数姓名書并召捕に召連れ候御岳山神主共姓名書、相添御届申上候。
本文打毀候家の儀、未だ姓名も不㆓相分㆒候得共、甲府勤番支配甲府山田町上一条町・三日町・柳町・縁町・西青銀町・魚町町人共居宅・土蔵等毀ち、土蔵の品引出し切散し打砕き、又は火を懸候分十三軒有㆑之、夫より私御代官所小梨郡飯田新町を始、外凡十八箇村程打毀ち、金銀・衣類・脇指等威取候分の儀に有㆑之候。追て見分吟味の上委細の儀は可㆓申上㆒候。其外貞太郎・鉄五郎支配所御両并御領地村数不㆓相知㆒、私手附手代共召捕候者共百七十余人、右の内には頭取并差続又は与党共に被㆑成、無㆑拠附添骨折候者共有㆑之。勿論御両郷領地の者共他支配私領の者共有㆑之候得共、村名・名前等巨細に取調行届不㆑申候。即死深手の者共は、何方の者共不㆓相知㆒、死骸は仮埋申付候。且徒党の者共持居候刀・脇指・抜身六十余振、鉄炮一挺、斧五十、鎧二、太鼓一、妙ばち三、其外十手様の物等夫々取上置申候。以上
申八月 井上十左衛門
諏訪伊勢守人数【一揆召捕の人名】 一番手 〈物頭〉有野源兵衛・〈郡奉行〉高山作右衛門・〈大目附〉中島刑部左衛【 NDLJP:57】門・〈給人〉大熊善兵衛・〈同〉高山甚之丞・〈医師〉若月友仙・〈同〉飯田儀兵衛・〈目附役〉石橋甫左衛門・〈兵具方〉岩波三郎右衛門・〈徒〉三村又八郎・〈同〉平原勇・〈小頭〉笠原友之丞・〈同〉中山五郎兵衛・〈同〉小原繁助。武器兵具持参の品々略㆑之。〈同心〉七十人・〈中間〉二十人・〈小荷駄方〉十一人。後詰。〈物頭〉久保□平右衛門・〈給人〉千村源五郎・〈同〉三沼九左衛門・〈徒〉保延丹次・〈小頭〉岩波臾右衛門・〈同〉松見彦左衛門・〈同心〉五十人・〈中間〉五人・〈歩者〉二百人。二番手。 〈物頭〉市左衛門・〈郡奉行〉両角市郎右衛門・〈大目附〉赤沼鑑蔵・〈給人〉山田又吉・〈同〉工藤孫太・〈医師〉永田春端・〈目附役〉牛山吉左衛門・〈同〉林悪十郎・〈同〉藤村雄次・ 〈矢具方〉村井鯛蔵・〈徒〉高木政之丞・〈同〉延内彦之丞・〈同〉牛山善五右衛門・〈小頭〉石瀬順之丞・〈同〉大橋善助・〈同〉何屋作之助・〈同心〉六十人・〈中間〉十五人・〈小荷駄方〉十一人・〈寄者〉百三十人。武器・兵具持参の品略す。外御岳山神主社家〈姓名略す〉神主十四人・社番十一人。
右之者共、廿六日私御代官所同郡上円井村迄相詰め、引取申候。右の通り御座候以上。天保七甲九月 井上十左衛門
一、天保七申年八月廿八日、【諏訪伊勢守届け】御用番松平和泉守様御勝手に入、御内覧御表へ差出す。御差手
昨日御届申上候、甲州辺百姓共騒立候由に付、領分兼て見廻りとして差出候者、領分境諏訪郡葛木村にて、当月廿四日甲州辺百姓共凡千人余も通り候に付、「何方へ罷通候や」と相尋候処、同州大武川村迄罷越度き旨、一向申に付、利害申聞候へ共不㆓聞入㆒罷通り候旨、尤私領分は手差等仕候儀無㆓御座㆒候段、在所家来共より申越候に付、此段御届申上候。以上
八月廿八日 諏訪伊勢守
【諏訪伊勢守出勢の届】一、同九月二日朝、和泉守様御勝手にて公用人出会入㆓御内覧㆒、直に御表へ差出候差手
去月廿七日御届申上候、甲州御代官井上十左衛門より在所家来共へ申越候は、「都留郡・八代郡・山梨郡の百姓共致㆓徒党㆒及㆓狼藉㆒候に付、早速人数差出候」様申達候に付、去月廿四日人数差出候処、翌廿五日十左衛門より多人数召捕候に付、徒党の者共相慎申候段人数差出に不㆑及旨申越候に付、領分境へ引取囲罷在候処、間もなく同人より徒党の者相集り、甲府御城下最寄御代官支配所村々乱妨致し候に付、早速人数差【 NDLJP:58】出候様申遣候に付、早刻韮崎宿迄相詰申候段、在所家来共より申越候に付、此段御届申上候。以上
九月三日 諏訪伊勢守
一、同九月三日、和泉守様御退出被㆓差出㆒候処、御差手済。但御勝手にて入㆓御内覧㆒、御表へ差上す
昨日御届申上候、甲州辺百姓共騒立候に付、御代官井上十左衛門より人数差出候様在所家来共へ申越候に付、甲州韮崎宿へ人数相詰候処、十左衛門より同州龍王村へ相詰候様申付候間、同所へ相詰め、去月廿八日朝長善寺前御代官所へ物頭の者召呼び、及㆓静謐㆒候間、人数引取候様申候。扨又二番手人数は、同月廿六日同州上円井村迄人数共罷越候処、十左衛門より二番手人数は最早相詰候に不㆑及段申聞候間、即刻引取申候段、在所家来共より申越候に付、此段御届申上候。以上
九月三日 諏訪伊勢守【内藤隼人書に差出せる人数書】
人数書は御月番様へは不㆓差出㆒、道中奉行内藤隼人正様に御預に付、差出候。
甲州韮崎宿迄差出候人数一番手
物頭一人・郡奉行一人・大目附一人・給人二人・医師一人・自附役三人・総頭一人・給人一人・目附役一人・徒士一人・兵具方一人・徒士二人・小頭三人・足軽七十人・中間二十人・小荷駄方十六人・小頭一人・足軽五十人・中間五人・外に歩之者二百人。鉄炮三十挺・弓十張・玉薬箱・幕千封・幕申・陣小屋道具・百目旅筒一挺・薬長押一掉・〈目方廿二貫匁〉玉入四夕〈目方三十五貫匁〉・玉箱〈目方二十貫匁〉右附罷立候鉄炮方諸士十四人。
甲州円井宿迄差出人数二番手
物頭一人・郡奉行一人・大目附一人・給人二人・医師一人・目附役一人・兵具方二人・徒士二人・小頭三人・足軽六十人・中間十五人・小荷駄方十一人・外に歩立者百三十人・鉄炮三十挺・玉薬箱・幕五対・陣小屋道具・弓十張・矢箱・慕串。
八月廿七日御逹
水野出羽守殿 留守居 内藤隼人正
一、同九月二日、御用番和泉守様御勝手へ入、御内覧直に御表へ差出候
一昨廿七日夜、御勘定奉行内藤隼人正より家来の者へ相達候、甲州都留・山梨・八代三郡村々百姓共騒立ち、同国上谷村米穀商人共宅、其外所々打毀ち、或は火を懸け焼払乱入致及㆓狼藉㆒候由、甲州最寄の儀に付、早々人数差出取鎮め、若し手に余り候はゞ打払斬捨候ても不㆑苦候旨相心得、尤彼地御代官井上十左衛門よりも取鎮人数の儀可㆑及㆓懸合㆒候条達趣、家来共より申越承知仕り、今廿九日申の上刻人数差出申委細の儀は、追々可㆓申上㆒候得共、先此段御届申上候。以上
八月廿九日 水野出羽守
在所目附
一、申八月廿九日内藤隼人正様より御所望に候て差出候人数書
覚
物頭二人・郡奉行一人・目附一人・給人六人・医師一人・武器掛二人・小荷駄掛二人・徒士目附四人・作事方一人・足軽小頭四人・同同心二人・足軽四十人・大工二人。以上
一、申九月八日御用番和泉守様へ差出候
去月廿九日御届申上候、【水野出羽守出兵帰参の届】甲州都留・山梨・八代三郡、村々百姓共騒立及㆓狼藉㆒候に付、為㆓取鎮㆒彼地へ差向候人数、去三日巳の中刻右私宿手前四日市場へ参著仕り、御代官西村貞太郎役所へ申達候処、手代共相越村々騒立候者共、去月廿五日迄に相鎮候間、最早人数差出候に不㆑及旨申聞、勝手次第引取候様貞太郎より以㆓紙面㆒申聞候。依㆑之人数引取今六日申の上刻在所へ帰著仕候、此段御届申上候。以上
在所目附
一、御逹元に付、内藤隼人正様へも右の段御意勤候但手控も不差出候
一、諏訪伊勢守様、甲州一揆に付、御人数被㆓差出㆒候処、御代官井上十左衛門様より御人数へ被㆑下候由、諏訪様衆松村氏より直に聞候由。
八月廿五日昼頃より韮崎宿。右は上下共一汁・二菜、総弁当。
同廿六日より廿八日朝迄龍王村右同断被㆑下。右の内廿六日夕御料理、一汁・二菜、御重詰。御肴二種飯御酒二樽上分計へ被㆑下。廿八日朝四重但御肴。
同廿八日、韮崎宿、右一汁・二菜被㆑下。右被㆑下に付ては、此度小荷駄も引添ひ、出張致候へば、聊食事等差出候儀無㆓御座㆒候旨、再三御手代中被㆓相断㆒候得共、十左衛門様仰の趣にて、何分承引不㆑致候に付、任㆓其意㆒候。
一、申八月廿六日甲州住居の者より御当地さる方へ文通候由【甲州一揆を報ぜる書簡】
百姓騒動の事甲斐上□四郡、南北二日路余、中国なり。田数一万四千三町、知行高廿四万
一、正徳四年松平甲斐守様御領分に相成候節、検地入三十万石余に相成り、当八月米直段高直京升三升を甲州升一升、右一升にて五百三十二文と相成り、凶年に御座候。甲州には米多分御座候得共、町家・在々・大町人共買占候旨、郡内一万八千石の所にて米出し、甲州より遺候処に御座候、凶年にて遣不㆑申候間、郡内百姓共段々申合候は、谷村の御陣屋下町家を七八軒も打毀し、夫より勝沼宿鍵屋と申酒屋を目差参候処、酒十石計も表へ出し、呑次第米三十俵宛に切召致し、戸板二十枚計積重ね、香の物等数限なく、栗原村・下栗原村にて三軒打潰し、一町田中田安様御陣屋下市左衛門と申す酒屋・質屋、酒桶五六十本計切海の如くに御座候。□原細々に切、金子七千両計に候。其外道は衣類不㆓数知㆒毀し、家・長屋・蔵七箇所小微塵に打毀し、又々七郎左衛門と申す酒屋・質屋右同断。外に二軒、同夫より熊野、同村奥左衛門と申者、長家二十軒計・家・蔵十箇所小微塵に打毀し、□原道具・帳面・箱類・著類・夜具引出し、七箇所へ積み火を懸け焼払、一万両計と相見候。此者米買占悪ずれ候間、第一目も当てられぬ次第なり。百姓凡三万人三手に分れ、在々・所々を打砕き、在々・村々三四軒宛又【 NDLJP:61】又郡内土郡より美坂懸越へ、千人程入込み、夜昼の訳なく村々目印の一丈計の旗を立て、高く張り、甲府城下町々大町共三十軒計毀し、中に竹藤と申質屋蔵三箇所中へ火を懸け、三箇所蔵金に積り二分両計金喜伊豆作と、両家金・銀・銭撤散し、二三万両計り通道銭金二三寸溜り、金・銀・銭も斯程に見る事無㆑之、前代未聞の事に候を、両御頭様御旗本二百人、与力同心・小人・三百人も見附々々を固め、御城は勿論の事御召捕二三百人計歩き候由、廿一日より廿六日迄を記し候御存じ可㆑被㆑□候。
八月廿六日
一、八月廿七日付書状の写
以㆓手紙㆒申上候。【岩本宗悦書状の写】秋冷相催候処 〔本ノマヽ〕然ば此度当国百姓一揆蜂起仕り、国中大騒動に及び候、右始末申上候。抑〻当国の三月下旬より当八月に当る六箇月の間、始終雨天勝にて快晴は漸〻廿日位も有㆑之候様老人抔も覚不㆑申由に御座候。又六月土用中に白毛降り申候見受候処、四五寸又は三尺も有㆑之、何共雑具無㆑之て御座候。右雨天故米穀殊の外高直に相成、其外諸色直段引上、諸民難儀仕候。乍㆑然当年の作物は随分宜き由に御座候。
八月廿七日 岩本宗悦
大殿様御弟子中様 右大殿様と有㆑之候は、右坂宗哲老の事に候。宗悦は宗哲老門人にて、甲府肝羽町住居なり
浮世の有様巻之五 終
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