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  • 異本小田原記 編者:黒川真道 大正三年 1914年 『異本小田原記』(いほんおだわらき)は戦国大名・後北条氏にまつわる軍記物である。作者は不明だが後北条氏の遺臣と考えられる。 底本: 国史研究会 編『国史叢書』室町殿物語 足利治亂記 異本小田原記,国史研究会,大正3.…
    3キロバイト (70,791 語) - 2024年2月3日 (土) 11:08
  • めの朝に品川(しながわ)をたって、その晩は程ケ谷(ほどがや)か戸塚(とつか)にとまって、次の日が小田原小田原)泊りというのですが、女や年寄りの足弱(あしよわ)連れだと小田原まで三日がかり。それから小田原を発(た)って箱根へのぼるというのですから、湯治もどうして楽じゃありませんでした。わたくしが二度…
    34キロバイト (6,872 語) - 2021年12月29日 (水) 13:36
  • 天正十八年庚寅三月十九日。秀吉公發向關東。北條氏政氏直自身ハ。小田原ニ居。北條左衞門大夫氏勝ヲ山中城ニ遣シテ待秀吉。關東ノ諸城主ハ大略我城ヲハ家臣ニ預。其身ハ小田原ニ籠。氏直。此時保田久右衞門。佐々源六ニ。八百餘人ノ兵士ヲ付テ遊軍トナス。于時秀吉公。同廿七日。到豆州三島。廿九日。秀次ヲ爲大將山中城ヲ攻落。小田原
    997バイト (158 語) - 2019年1月19日 (土) 01:39
  • 小田原間築堤腰󠄁土留石垣の如きは練積空󠄁積の別なく何れも崩󠄁壞又󠄂は埋沒せり。小田原早川間に於ける切取法石垣は練積には異狀なかりしも空󠄁積の上部崩󠄁壞又󠄂は孕出し,築堤腰󠄁石垣は空󠄁積のもの殆ど全󠄁部崩󠄁壞し,練積は傾斜󠄁及び龜裂等を生じたり。又󠄂小田原
    540バイト (2,735 語) - 2023年10月14日 (土) 13:34
  • 「己」と「巳」の誤りは底本のままとする。   【 NDLJP:135】甲陽軍鑑品第卅五 一信玄出馬駿河伊豆境焼き払ふ事付信玄八幡大菩薩の小旗を、波にとらるゝ事 一関東発向、小田原城迄御働之事付馬場美濃見物に参り候事 一相州みまぜ合戦之事 永禄十二年六月二日に信玄公甲府を御立あり内藤修理正、笛吹到下(とうけ)の方へは如何と申…
    297バイト (5,624 語) - 2024年2月2日 (金) 18:08
  • 江戸開府の頃の世事を編録しては、そゞろ物語、慶長見聞集等あり。共に史家の好資料たるが中に、世に小田原北条の事を記せし者は、浄心の此書を以て第一とすべし。小田原記、東乱記などの企て及ぶ所にあらず。本書小田原以前の事は、東鑑もしくは北条九代記等に拠りたらんも、其以後は悉く見聞の及ぶ所を以て記せり。…
    2キロバイト (1,571 語) - 2024年3月24日 (日) 14:02
  • 小田原ノ幕下ニ属シ長子左衛門治郎発生旧人質ニナシ氏康殿ノ御供シテ小田原ヘ被登ケル耆守ニ   野田合戦并竹内太郎左衛門手柄附民部卿忠文事   池野和田落城シテ後中務胤治殿背房州小田原ノ幕下ニ依属テ里見義弘殿子息義尭立腹有テ土気ハ代々当家ノ幕下也然ル処胤治先祖ノ好ヲ忘レ小田原
    44バイト (10,267 語) - 2024年4月19日 (金) 07:07
  • カ)上京。久右衞門源六ハ不從秀吉。奉從家康公。奥州ニ下ル時。公ノ仰ニハ我ハ從秀吉間。爰ニハ難叶。北條家ヘ可參ト。使榊原小平太相州小田原ヘ被遣。氏政愛之。旦暮相伴ス。時小田原住居ノ間。屢赴戰場。佐竹義宣與氏直合戰ノ時。於常州江戸崎兩人高名。又皆川山城守廣輝。背北條野州大平ニ籠城スル時。兄弟従氏直進先登ト云々。…
    1キロバイト (197 語) - 2019年1月19日 (土) 01:43
  • 目次   太閤記 巻十二 ○相模国小田原氏政家伝之事 ○来春関東陣御軍役之事 ○兵粮奉行之事 ○相州小田原御進発之事 ○従㆓小田原㆒頭分之士山中へ三人遣事 ○小田原韮山両城押之御人数賦之事 ○間宮豊前守松田兵衛大夫事 ○山中之城落去之事 ○敵方所々人数賦之事 ○小田原籠城之事 ○上州松枝之城主成降人事…
    75バイト (15,908 語) - 2024年3月25日 (月) 14:33
  • ○行列之次第   太閤記 巻十二 ○相模国小田原氏政家伝之事 ○来春関東陣御軍役之事 ○兵粮奉行之事 ○相州小田原御進発之事 ○従㆓小田原㆒頭分之士山中へ三人遣事 ○小田原韮山両城押之御人数賦之事 ○間宮豊前守松田兵衛大夫事 ○山中之城落去之事 ○敵方所々人数賦之事 ○小田原籠城之事 ○上州松枝之城主成降人事…
    73バイト (1,771 語) - 2024年3月25日 (月) 14:12
  • 巻第九。 巻第十。 北条五代記巻第十 目次   北条五代記巻第十 一 三浦三崎宝蔵山旧跡の事 二 秀吉公関東発向付豆州山中落城の事 三 小田原籠城の事 四 小田原籠城捨曲輪へ攻入事 五 笠原新六郎氏直へ逆心の事 六 氏直没落の事   挿絵  ※サーバーの状態により挿絵が表示されない場合があります。…
    161バイト (13,821 語) - 2023年11月20日 (月) 01:56
  • 後。備前モ陸奥守所ヘ呼レ行。又聟ニ成。陸奥秀吉ヘ降ル後。三河ヘ行。秀吉ヲ憚り。小田原ヘ被遣。小田原ニテ備前ハ山下左近トテ。上野ニテ一城持ノ聟ニ成。大膳ハ左(マヽ)野式部聟ニ成。小田原陣ニテ兄弟八百多目大膳三人武者奉行小田原ヘ行時。陸奥守娘兄弟ヲ。備前モ大膳モ兄弟共ニ佐々ヘ返ス。後備前内儀ハ鷹司殿ヘ嫁ス。大膳内儀ハ村井長門所ヘ嫁ス。…
    8キロバイト (1,648 語) - 2019年1月19日 (土) 01:40
  • 構造概要  (附圖第五十八參照) 本橋梁は鴨宮小田原間國府津起點2哩53鎖27節,酒勾川に架設せるものにして大正九年十月の竣工に係り國府津方に徑間60呎の單線用上路鈑桁8個を竝列して4徑間を塞ぎ,これに續て徑間150呎複線用ワーレン型構桁8連を架し又小田原方には徑間60呎の單線用上路鈑桁單列12連を架し全長2…
    657バイト (977 語) - 2024年9月12日 (木) 10:13
  • ったものでない、まず僕は泣きだしそうな顔をして、じっとランプのかさを見つめていたと想像したまえ。 小田原からの先は例の人車(じんしゃ)鉄道。僕は一時(いっとき)も早く湯が原へ着きたいので、好きな小田原に半日を送るほどの楽しみも捨てて、電車から降りて昼食(ちゅうじき)を終わるや、すぐ人車に乗った。人…
    14キロバイト (2,726 語) - 2021年8月31日 (火) 22:30
  • り候間此たひも定めてよきことにて有べく候と武田の諸人批判なり然れ共信玄公小田原氏康駿河氏真のしうとにてまします故小田原より、はたらき給ふべきとおぼしめし信玄公御人数を少しもちらし給はず候なり以上 永禄十二年巳己正月五日に小田原北条氏康より樽肴にて駿河へ御使を進ぜられ候て信玄公へ被㆑仰は今川氏真無分…
    297バイト (6,641 語) - 2024年2月2日 (金) 18:08
  • 儀多年隣邦無㆓其隠㆒因㆑是先年東八州士卒悉随㆓景虎鞭影㆒既襲㆓来小田原㆒之砌氏康又子籠城時節随分令㆓加勢㆒殊至㆓半途㆒信玄出馬此籌略故歟凶徒即退散翌年長尾馳㆓向上越之鳴溝㆒張㆓戦場㆒大雖㆑振㆓威雄㆒重而氏政合力廐橋相揺去年被㆑寄㆓小田原㆒時被㆑散㆓鬱懐㆒候加㆑之向武州松山之城甲信之猛勢覃㆓両年㆒張㆑…
    44バイト (1,253 語) - 2024年4月19日 (金) 06:59
  • 小田原への通路を絶つべし、殿下は総勢を率ゐて小田原へ押詰め給へと宣へば、秀吉、酒勾筋に敵城はなしやと問はる、君、鷹の巣・足柄・新庄の三城あり、秀吉、其城々をもいかゞし給ふといへば、この城々は必明退くべし、先年武田信玄、二万の兵もて小田原
    91バイト (9,785 語) - 2024年5月10日 (金) 03:36
  • 一 上杉輝虎武田信玄小田原へ働事 二 嫠男とやもめ女うつたへの事 三 百姓気なげをはたらく事 四 北条氏康和歌の事 五 欲心身をほろぼす事   挿絵  ※サーバーの状態により挿絵が表示されない場合があります。   【 NDLJP:515】   北条五代記巻第六     一 上杉輝虎武田信玄小田原へ働事  …
    199バイト (16,402 語) - 2023年11月20日 (月) 00:31
  • 椎津ノ城ヲ攻落シ両国ハ不及申下総三浦マテ御手ニツケ給フ然ル所ニ小田原ヨリ万喜ノ方ヘ内通ニハ此度国府台ノ合戦ニ小田原ヘ附キ給ハヽ打取ル所ノ国々ノ大将トナシ過半知行ニ可給ト度々使ヲ立テ万喜ハ名高キ武士ナレハ還テ里見ヲ攻ント催シケリ重テ小田原ヨリ内通ニ連々此方ヘ親ミ此度ノ合戦ニハ里見ヘハ加勢ノ分ニテ合戦…
    44バイト (17,084 語) - 2024年4月19日 (金) 07:04
  • 封仰出されしはじめには、こたびも北条がときの如く、小田原に住ませ給ふや、又は武家の先雖を追ひて、鎌倉に定居あらむかなど、とりどり議しけるうちに、江戸に定まりければ、いづれも驚歎せしとなり、その時秀吉大久保七郎右衛門忠世を召して、【秀吉大久保氏を小田原に居らしむ】汝は徳川家の股肱なれば、此城に箱根山を…
    91バイト (6,321 語) - 2024年5月10日 (金) 03:37
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