湯が原より

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湯河原温泉にある独歩の湯

本文[編集]

内山君足下
なぜそう急に飛び出したかとの君の質問はごもっともである。僕は不幸にしてこれを君に白状してしまわなければならぬことに立ちいたった。しかしあるいはこれが僕の幸いであるかも知れない、ただ僕の今の心は確かに不幸と感じておるのである、これを幸いであったとることは今後のことであろう。しかしこの先これを幸いであったと知る時といえども、確かに不幸であると感ずるに違いない。僕は知らないでよい、ただ感じたくないものだ。
「ここに一人の少女あり。」小説はいつでもこんなふうに始まるもので、批評家は恋の小説にも飽き飽きしたとの御注文、しかし年若いお互いの身にとっては、事の実際がやはりこんなふうに始まるのだからいたしかたがない。僕は批評家の御注文に応ずべく神様が僕および人類を造ってくれなかったことを感謝する。
去る十三日の夜(よ)、僕はひとり机によりかかってぼんやり考えていた。十時を過ぎ、家の者は寝てしまい、外は雨がしとしと降っている。親も兄弟もない僕の身には、こんな晩はすこぶる感心しないので、おまけに下宿住まい、いわゆる半夜燈前十年事(はんやとうぜんじゅうねんのこと)、一時和雨到心頭(いちじあめにわしてしんとうにいたる)という一件だからたまったものでない、まず僕は泣きだしそうな顔をして、じっとランプのかさを見つめていたと想像したまえ。
小田原からの先は例の人車(じんしゃ)鉄道。僕は一時(いっとき)も早く湯が原へ着きたいので、好きな小田原に半日を送るほどの楽しみも捨てて、電車から降りて昼食(ちゅうじき)を終わるや、すぐ人車に乗った。人車へ乗ると、もはや半分湯が原に着いた気になった。この人車鉄道の目的が熱海(あたみ)、伊豆山(いずさん)、湯が原のごとき温泉地にあるので、これに乗ればもはや大丈夫という気になるのは、温泉行きの人々みな同感であろう。
人車は徐々として小田原の町を離れた。僕は窓から首を出して見ている。たちまちラッパを勇ましく吹き立てて、車は傾斜を飛ぶようにすべる。空はなごりなく晴れた。海風は横さまに窓を吹きつける。顧みると町の旅館の旗が竿頭(かんとう)に白く動いておる。
僕は頭(かしら)を転じて行く手を見た。するとレールに沿うて三人、いなか者が小田原の城下へ出るといういでたち、赤く見えるのは娘の、白く見えるのは老母の、からげた腰も頑丈(がんじょう)らしいのは老父(おやじ)さんで、人車の過ぎゆくのを避けるつもりで立ってこっちを向いている。「オヤお絹!」と思う間もなく車は飛ぶ、三人はたちまち窓の下に来た。
「お絹さん!」と僕は思わず手をあげた。お絹はにっこり笑って、さっと顔を赤めて、礼をした。人と車との間は見る見る遠ざかった。
もし同車の人がなかったら僕は地だんだを踏んだろう、帽子を投げつけただろう。僕と向き合って、まじめな顔をしている役人らしい先生がいるではないか、僕はただがっかりして手をこまねいてしまった。
言わでも知る、お絹はもはや中西屋にいないのである。父母の家に帰り、嫁入りのしたくに取りかかったのである。昨年の夏も、他の女中から小田原のお婿さんなどなぶられていたのを自分は知っている。ああいよいよそうだ!と思うと僕はいやになってしまった。一口に言えば、海も山もない、沖の大島、あればなんだろう。大波小波のけしき、なんだ。今の今まで僕をよろこばしていた自然は、たちまちのうちに、なんのおもしろみもなくなってしまった。僕とは他人になってしまった。
湯が原の温泉は僕になじみの深い所であるから、たといお絹がいないでも、僕にとって興味のないわけはない、しかしすでにお絹を知った後の僕には、お絹のいないことはむしろ不愉快の場所となってしまったのである。不愉快の人車に揺られてこのさびしい谷間に送り届けられることは、すこぶる苦痛であったが、今さら引き返す事もできず、その日の午後五時ごろ、この宿に着いた。突然のことであるから宿の主人(あるじ)を驚した。主人(あるじ)は忠実な人であるから、非常に歓迎してくれた。湯にはいっていると女中の一人が来て、
「小山さん、お気の毒ですね。」
「なぜ?」
「お絹さんはもういませんよ、」と言い捨ててばたばたと逃げて行った。哀れなるからん、これが僕の失恋の弔詞である!失恋?失恋が聞いてあきれる。僕は恋していたのだろうけれども、夢に、実に夢にもお絹をどうしようという事はなかった、お絹もまた、僕を憎からず思っていたろう、決してそれ以上のことは思わなかったに違いない。
ところがその夜、女中どもが僕の部屋(へや)に集まって、宿の娘も来た。お絹の話が出て、お絹はいよいよ小田原へ嫁にゆくことに決まった一条を聞かされた時の僕の心持ち、僕の運命が定まったようで、今さらなんとも言えぬ不快でならなかった。しからばやはり失恋であろう!僕はお絹を自分の物、自分のみを愛すべき人と、いつのまにか思いこんでいたのであろう。
みやげ物は女中や娘に分配してしまった。彼らは確かによろこんだ、しかし僕はうれしくもなんともない。
翌日は雨、朝からしょぼしょぼと降って陰鬱(いんうつ)きわまる天気。渓流(けいりゅう)の水増してザアザアとそうぞうしいこと非常。昼飯(ひるめし)に宿の娘が給仕に来て、僕の顔を見て笑うから、僕も笑わざるを得ない。
「あなたはお絹に会いたくって?」
「おかしい事を言いますね、昨年あんなに世話になった人に会いたいのはあたりまえだろうと思う。」
「会わしてあげましょうか?」
「ありがたいね、なにぶんよろしく。」
「あした、きっとお絹さん宅(うち)へ来ますよ。」
「来たらよろしくおっしゃってください、」と僕がほんとうにしないので、娘は黙ってただ笑っていた。お絹はこの娘と従姉妹(いとこ)どうしなのである。
午後は降りやんだが晴れそうにもせず、雲は地をはうようにして飛ぶ、狭い谷はますます狭くなって、僕は牢獄(ろうごく)にでもすわっている気。座敷にすわったままする事もなくぼんやりと外をながめていたが、ちらと僕の目をさえぎって、すぐまた隣家(もより)の軒先に隠れてしまった者がある。それがお絹らしい。僕はすぐ外に出た。
石ばかりごろごろした往来のさびしさ。わずかに十軒ばかりの温泉宿。そのほか百姓家とても数えるばかり、物を商う家も準じて幾軒もない寂寞(せきばく)たる谷間!この谷間が雨雲に閉ざされて見る物ことごとく光を失う時の光景を想像したまえ。僕は渓流(けいりゅう)に沿うてこのさびしい往来を当てもなく歩いた。流れを下って行くも二三丁、上れば一丁、その中にペンキで塗った橋がある、その間を、どんなここちで僕はぶらついたろう。温泉宿の欄干によって外をながめている人はみな泣き出しそうな顔つきをしている、軒先で子供をしょっている娘は病人のようで、背の子供はめそめそと泣いている。陰鬱(いんうつ)!屈託!寂寥(せきりょう)!そして僕の目にはどこかに悲惨の影さえも見えるのである。
お絹には出会わなかった。あたりまえである。僕はその翌日、降り出しそうな空をも恐れず十国峠(じっこくとうげ)へ単身宿を出た。宿の者は総がかりで止めたが聞かない、供を連れて行けと勧めても謝絶。山は雲の中、僕は雲に登るつもりでしゃむに登った。
僕はきょうまでこんな凄寥(せいりょう)たる光景に出会ったことはない。足の下から灰色の雲がたちまち現われ、たちまち消える。草原をわたる風は物すごく鳴って耳をかすめる、雲の絶え間絶え間から見えるものは山また山。天地間僕一人、鳥も鳴かず。僕はしばらく絶頂の石によっていた。この時、恋もなければ失恋もない、ただ悽愴(せいそう)の感に堪えず、わが生の孤独を泣かざるを得なかった。
帰りにまっ暗に茂った森の中を通る時、僕はこんな事を思いながら歩いた、もし僕が足を踏みすべらしてこの谷に落ちる、死んでしまう、中西屋では僕が帰らぬので大騒ぎを始める、樵夫(そま)をやとうて僕を捜す、この暗い谷底に僕の死体が横たわっている、東京へ電報を打つ、君か淡路(あわじ)君が飛んで来る、そして僕は焼かれてしまう。天地間はもはや小山某(なにがし)という絵かきの書生はいなくなる!と僕は思った時、思わず足をとどめた。頭の上にまっ黒に茂った枝から水がぼたぼた落ちる、墓穴(はかあな)のような谷底では水の激して流れる音がすごく響く。僕は身の毛のよだつを感じた。
死人のような顔をして僕の帰って来たのを見て、宿の者はどんなに驚いたろう。その驚きよりも僕の驚いたのは、この日お絹が来たが、午後また実家へ帰ったとの事である。
その夜から僕は熱が出て、今日で三日になるがまだはっきりしない。山に登って風邪(かぜ)を引いたのであろう。
君よ、君は今時文評論家でないから、この三日の間、床の中に呻吟(しんぎん)していた時、考えたことを聞いてくれるだろう。
恋は力である、人の抵抗することのできない力である。この力を認識せず、またこの力をおさえうると思う人は、まだこの力に触れなかった人である。その証拠には、かつて恋のために苦しみもだえた人も、時たって、普通の人となる時は、何ゆえあの時自分が恋のためにかくまで苦悶(くもん)したかを、自分で疑う者である。すなわち彼は恋の力に触れていないからである。同じ人ですらそのとおり、いわんやかつて恋の力に触れたことのない人が、どうして他人の恋の消息がわかろう、その楽しみがわかろう、その苦しみがわかろう?
恋に迷うを笑う人は、怪しげな伝説、学説に迷わぬがよい。恋は人の至情である。この至情をあざける人は、百万年も千万年も生きるがよい、お気の毒ながら、地球の皮はたちまち諸君を吸いこむべくまっている、泡(あわ)のかたまり先生諸君、僕は諸君がこの不可思議なる大宇宙をも統御しているような顔つきをしているのを見ると冷笑しいたくなる。僕は諸君が今少しくまじめに、謙遜(けんそん)に、厳粛に、この人生とこの天地の問題を見てもらいたいのである。
諸君が恋を笑うのは、畢竟(ひっきょう)、人を笑うのである、人は諸君が思ってるよりも神秘なる動物である。もし人の心に宿るところの恋をすら笑うべく信ずべからざるものならば、人生ついになんの価(あたい)ぞ、人の心ほど虚偽なものはないではないか。諸君にしてもし、月夜(げつや)笛を聞いて、諸君の心に少しにても「永遠(エターニテー)」のおもかげが映るならば、恋を信ぜよ。もし、諸君にして中江兆民(なかえちょうみん)先生と同一種であっても、十八里雰囲気(ふんいき)を振りまわして満足しているならば、諸君はなんの権威あって、「春短し何に不滅の命ぞと」うんぬんに歌う人の自由に干渉しうるぞ。「若い時は二度とない」と称してあらゆる肉欲をほしいままにせんとする青年男女の自由に干渉しうるぞ。
内山君足下、まずこのくらいにしておこう。さて、かくのごとく僕は恋そのものに随喜した。これは失恋の賜(たまもの)かも知れない。明後日僕は帰京する。
小田原を通る時、僕はどんな感があるだろう。                        小山生

この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。