コンテンツにスキップ

鐵道震害調査書/第一編/第二章/第九節

提供:Wikisource


第九節 熱海線(國府津眞鶴間11.2哩)

本線は震源地に最も接近󠄁せるのみならず,地質の大部分󠄁は粗密互層の集塊岩にして所󠄁々に節󠄂理多き安山岩を夾雜し,上部は土砂又󠄂崩󠄁土を以て蔽はれ,比較󠄁崩󠄁壞し易き急󠄁峻なる山腹を削󠄁りて僅に線路を設けたるところ多きを以て,その被害󠄂の劇甚なること各線中第一位にして,根府川附近󠄁より海方に向ふ約4哩間は到底復舊の途󠄁なきを以て線路の變更を斷行すべしとの議一時優勢なりしに徵󠄁するもその程󠄁度を窺ひ知るを得べし。(附圖󠄃第十四參照)

切取 本線の地質上記󠄂の如くなるを以て切取の被害󠄂頗る大なるものあり。根府川停車場附近󠄁の地滑りはその崩󠄁壞數萬立坪󠄁達󠄁し線路開通󠄁のため取除を要󠄁せし坪󠄁數約5,000立坪󠄁に及び,停車場諸施設並に將に同驛に到着せんとせし下り第百九列車は共に海中に隧落して,乘客及び乘務員合計111名の死者を生じ,驛前󠄁の山腹は赭色の斷崖と變じ,停車場敷地には巨大なる岩石及び土塊相重疊し,起󠄁伏凸凹甚しくして殆ど步行し能はざるの慘狀を呈󠄁せり。(寫眞第百十二乃至第百十四參照)。然れども同驛の基面以下の地層は堅固なる集塊岩なりしため,その後堆積せる岩石土砂を除去して再び停車場を復舊することを得たり。

又󠄂同驛南端の白糸川は大泥流奔下し來りて同橋梁を押流し,北岸に在りし十數の民家を埋沒し,且溪谷の屈曲部に於ける凹側の山腹に奔騰󠄁して河底より200餘呎の高所󠄁まで泥土を堆積し當時の悽然たる激勢を印せり。(寫眞第百十五乃至第百十八參照)

この外早川眞鶴間に於て著しき被害󠄂ありたるもの10箇所󠄁,その總坪󠄁29,000立坪󠄁に及び國府津起󠄁點9哩25鎖󠄁近󠄁(以下哩程󠄁は國府津を起󠄁點とす)の如きは崩󠄁壞土砂7,600立坪󠄁達󠄁したり。(寫眞第百九乃至第百十一參照)

築堤 築堤の被害󠄂は國府津小田原間最も甚しく,0哩15鎖󠄁より同70鎖󠄁に至る區間の如きは沈下のため原形を留めず,その最も大なる箇所󠄁は深約33呎,崩󠄁壞土砂12,000立坪󠄁に及び(寫眞第百十九及び第百二十參照),これに次󠄁ぐものは3哩30鎖󠄁より同65鎖󠄁に至る區間(小田原驛を含む)にして,崩󠄁壞土砂3,500立坪󠄁達󠄁せり。(寫眞第百二十一乃至第百二十三參照)

根府川眞鶴間10哩20鎖󠄁近󠄁の山腹に築ける片築堤は約25呎の溪底に滑落せしが,軌道󠄁は上方に殘りて空󠄁中に懸り,道󠄁床は整然と枕木の跡を印したる儘溪底に存在するの奇觀を呈󠄁したり。(寫眞第百二十六參照)

又󠄂米神澤は高築堤にて渡れる處なりしが,泥流のため上部の澤は築堤と平󠄁に埋沒せられ,尙泥流は築堤を越えて溢流したるため附近󠄁一帶の地形を一變せり。(寫眞第百二十四及び第百二十五參照)

土留壁 切取築堤の被害󠄂伴󠄁ひ土留石垣の被害󠄂も亦大にして,その崩󠄁壞せるもの數箇所󠄁あり,殊に國府津小田原間築堤腰󠄁土留石垣の如きは練積空󠄁積の別なく何れも崩󠄁又󠄂は埋沒せり。小田原早川間に於ける切取法石垣は練積には異狀なかりしも空󠄁積の上部崩󠄁又󠄂は孕出し,築堤腰󠄁石垣は空󠄁積のもの殆ど全󠄁崩󠄁壞し,練積は傾斜󠄁及び龜裂等を生じたり。又󠄂小田原架道󠄁橋附近󠄁には築堤法土留として混凝土壁を設置しありしが,これ亦大傾斜󠄁切斷等を生じて大破せり。次󠄁に早川眞鶴間切取法面崩󠄁壞箇所󠄁又󠄂は山崩󠄁れの箇所󠄁に於ける切取法石垣は練積空󠄁積ともに上部の崩󠄁壞せるもの多く,然らざる箇所󠄁に於ても空󠄁積は上部孕出し,練積は罅裂を生じたるものありたり。

橋梁 本線に於ける橋梁は被害󠄂著しく,その最も大なるものは白糸川橋梁(徑間150呎構桁3連,徑間40呎鈑桁4連)にして上流溪谷より流下し來りたる泥流のため小田原方橋臺第一號󠄂,第二號󠄂橋脚,及び第一,第二徑間40呎鈑桁3連,徑間150呎構桁1連を殘す外,他の橋臺橋脚及び鈑桁全󠄁部埋沒又󠄂は行方不明となれり。

玉川橋梁(徑間40呎鈑桁1連,60呎鈑桁8連2列)は兩橋臺傾斜󠄁し,各橋脚は1條又󠄂は2條の水平󠄁切斷を生じ,切斷上部は下部に對して囘轉し,鈑桁上下兩線總計18連の內上り線7連,下り線1連は墜󠄁落の厄に遇󠄁へり。

龍󠄂瀧橋梁(徑間40呎鈑桁3連)は國府津方橋臺バラス止破壞して軀體僅に傾斜󠄁し,第一號󠄂,第二號󠄂橋脚とも2箇所󠄁に於て水平󠄁に切斷せられ上部囘轉せり。又󠄂海方橋臺は水平󠄁に切斷せられて上部前󠄁進󠄁斜󠄁し,且中央部より垂直に切斷されて鈑桁の架設せられざりし部分󠄁前󠄁方に倒潰せり。尙鈑桁は2連墜󠄁落し,1連は小田原方に約5呎6吋移動せり。(寫眞第百四十乃至第百四十五參照)

酒勾川橋梁(徑間60呎16連,150呎8連)は橋臺橋脚には殆ど被害󠄂なかりしも,150呎構桁1連桁座より川下に脫出して頭部を川上に向け橫轉墜󠄁落し,他の構桁も摺動せり。

井細田街道󠄁道󠄁橋(徑間39呎6吋鈑桁1連,19呎6吋鈑桁1連,斜󠄁角左40度)は國府津方橋臺下部前󠄁方に押出されて上部は甚しく後方に仰傾し,海方橋臺は前󠄁方に傾斜󠄁して翼󠄂崩󠄁壞せり。尙橋脚は上部は鐵柱,下部は石張混凝土構造󠄁なりしが,鐵柱は傾倒し,鈑桁2連は墜󠄁落破損せり。(寫眞第百二十九及び第百三十參照)

小田原驛構內の海方に在る荻窪街道󠄁跨線道󠄁路橋(徑間48呎鈑桁1連)は橋臺基礎は粘土盤に混凝土工を施し,根入り5呎餘,軀體は石張混凝土にして高20呎餘なりしが,左側橋臺は移動し,右側橋臺は土壓のため前󠄁方線路上に倒壞し,桁は該倒壞橋臺の上面にその右端を接して左方橋臺上に高く押上げられたり。(寫眞第百三十一及び第百三十二參照)

その他江戶尻川橋梁(徑間70呎鈑桁1連)(寫眞第百二十七參照),堀切澤橋梁(徑間60呎鈑桁1連)は橋臺崩󠄁壞,鈑桁墜󠄁落し,上新田橋梁(徑間30呎單線鈑桁1連)(寫眞第百二十八參照),小田原架道󠄁橋(徑間55呎鈑桁1連,斜󠄁角右50度)(寫眞第三十三參照),中澤橋梁(徑間15呎鈑桁1連)(寫眞第百三十四參照)等は橋臺切斷又󠄂は龜裂傾斜󠄁せしもの多かりしが,唯早川橋梁(徑間40呎14連,70呎4連)は小田原方橋臺バラス止罅裂し,鈑桁僅に摺動して袖石垣崩󠄁壞せしのみにて他の橋梁に比し被害󠄂極めて小なり。(寫眞第百三十五參照)

又󠄂溝橋及び拱橋の被害󠄂も極めて大にして,前󠄁者に在りては橋臺の罅裂,傾斜󠄁,切斷等を生じ,後者にありては穹拱側壁及び前󠄁面壁に大なる罅裂及び傾斜󠄁を生じ何れも大破したるもの多し。(寫眞第百三十六乃至第百三十九參照)

建󠄁設線に屬する鍛冶屋陸橋の橋臺(寫眞第百四十七參照),並に千歲川橋梁の橋臺及び橋脚(寫眞第百四十八及び第百四十九參照)等何れも被害󠄂ありたり。

道󠄁 道󠄁の被害󠄂も亦甚しく,根ノ上山,下牧屋山,八本松󠄁及び寒󠄁ノ目山の4隧道󠄁は穹拱崩󠄁壞土砂內部に充塡して不通󠄁となり(この內根ノ上山隧道󠄁全󠄁部及び八本松󠄁道󠄁の一部は復舊に際し切取となせり),又󠄂寒󠄁ノ目山隧道󠄁は國府津方坑門崩󠄁壞して旅客列車の一部埋沒し,又󠄂小峯隧道󠄁は坑門口より約280呎間は側壁押出されて傾斜󠄁大破せり。その他坑門口附近󠄁崩󠄁壞せしものは殆ど隧道󠄁全󠄁部に亘り穹拱及び側壁とも剝落し或は罅裂切斷等の被害󠄂ありたるもの亦尠からず 尙伸縮接合部の被害󠄂較󠄁的多く,その大なるものは接合部の開き5吋,喰違󠄄4乃至5吋に達󠄁せり。(寫眞第百五十乃至第百五十七參照)

停車場 停車場本屋の倒潰せしものは山崩󠄁れのため海中に一掃󠄁されたる根府川驛及び鴨宮,早川の2驛にして,小田原眞鶴兩驛は傾斜󠄁大破したり。(寫眞第百五十八及び第百五十九參照)

乘降場上家は何れも倒潰し,積卸場上家の內小田原驛のものは倒潰し,眞鶴驛のものは傾斜󠄁したり(寫眞第百六十乃至第百六十四參照)。尙當時開業準備中なりし湯ヶ原驛の旅客乘降場上家倒壞せり。(寫眞第百六十五參照)

乘降場擁壁は何れも笠石の墜󠄁落,擁壁の沈下崩󠄁壞等の被害󠄂多く,鴨宮驛のみは木造󠄁假擁壁なりしを以て他に比し損害󠄂少し,積卸場擁壁は小田原眞鶴の2驛のみなりしが,何れも沈下,龜裂,崩󠄁壞等の被害󠄂ありたり。

跨線橋 鴨宮驛に於ける跨線橋は被害󠄂少かりしも,根府川驛のものは山崩󠄁れのため本屋その他の設備と共に海中に押出されて形跡を留めず。

地下道󠄁 切取內に設けられたる地下道󠄁は小田原眞鶴兩驛にして小田原のものは伸縮接合部に於て僅に離隔し,且喰違󠄄ひ罅裂を生じたるのみなれども,眞鶴驛のものは兩壁とも龜裂傾斜󠄁を生じ大破せり(寫眞第百六十八參照)。又󠄂築堤內に設けられたる早川驛の地下道󠄁は兩側壁傾斜󠄁して混凝土の一部剝落し(寫眞第百六十七參照),尙開業準備中なりし湯ヶ原停車場地下道󠄁も亦破壞せり。(寫眞第百六十九及び第百七十參照)

給水器 小田原及び眞鶴兩驛の給水槽は大なる被害󠄂なかりしも,根府川驛に於けるものは山崩󠄁れのため海中にー掃󠄁されたり。

信號機 號󠄂機は全󠄁線に於ける31基の內傾斜󠄁折損等の被害󠄂ありたるもの24基にして通󠄁信用電柱は大部分󠄁轉倒し從て電線も亦切斷したり。

道󠄁 道󠄁の被害󠄂は築堤崩󠄁壞のため沈下破壞せると,切取法面の崩󠄁壞及び山崩󠄁れのため埋沒破壞せるとの2種最も多し。前󠄁者に在りては國府津鴨宮間及び小田原驛構內の被害󠄂最も大にして,後者に在りては根府川驛前󠄁後最も甚しく,軌道󠄁は約120餘呎下方なる海中に轉落して殆どその形跡を留めず(寫眞第百七十一乃至第百七十四參照),僅に驛の海方に於ける軌條が斷崖に沿ひて懸垂せるを見るのみ。又󠄂米神澤に於ては泥流のため軌道󠄁埋沒せられ,10哩30ママ近󠄁の築堤約6鎖󠄁(高約25呎)は道󠄁床少しも散亂せずその儘滑落して軌條及び枕木のみ原位置に懸架殘存せり。

列車 事故を生じたる列車は2個あり,一は寒󠄁ノ目山隧道󠄁進󠄁行中の上り旅客列車にして,隧道󠄁の國府津方坑門口に於て機關車脫線して死傷者9名を出し,他は根府川驛に入らんとせし下り旅客列車にして,山崩󠄁れのため停車場諸施設と共に海中に墜󠄁落し,崩󠄁壞土砂に埋沒せられて死者111名,傷者13名を出したり。(第十七表,附圖󠄃第三及び寫眞第百七十五參照)