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  •  慶長三年戊戌正月廿日      徳善院玄以僧正       浅野弾正少弼殿 増田右衛門尉殿 石田治部少輔殿 長束大蔵大輔殿   ○醍醐惣構近辺之御奉行衆    大津宰相        福島左衛門大夫        増田右衛門尉  右三人として、供之上下みだりかはしき事なきやうに可㆓相計㆒之、 【…
    75バイト (10,950 語) - 2024年3月25日 (月) 14:33
  • NDLJP:2-125】向背とを見定めしうへ、鷹の気合を考へて放てば、一据にても鶴を捉る事うたがひなし、何ばかり俊鷹なりとも、が力のみにては、鶴のごとき大鳥をとる事は叶はず、唐船は鶴のごとく、日本の船は鷹のごとし、日本の人何ほどなりとも計策なくては唐人を制する事を得むやと仰せらる、こは鷹の使ひやうもて、軍機にたとへ給ひし御…
    91バイト (5,825 語) - 2024年5月10日 (金) 03:56
  • 一、武州鉢形城降る事 二、武州八王子城攻落す事 三、秀吉公奥羽両国景勝・利家に検知を命ぜらる、蜂屋伯耆守諫めの事 四、景勝・利家、奥羽両国検知の事附増田表に於て一揆退治并所々の一揆退治の事 五、秀吉公奥羽御政治の事 六、奥羽重ねて一揆起る事 七、秀吉公高麗御陣景勝公出勢渡海の事 八、伏見木幡山御城御…
    283バイト (25,327 語) - 2023年12月2日 (土) 18:50
  • (モノコト)の裁判やはらき滞事なき者なり、増田石田は江州北郡入部之時より、吾に労を尽せしなり、殊増田は万事損益に暁ふして、其性なり、石田は諫に付ては、吾気色を取す、諸事有姿(スカタ)を好みし者なりとて、五奉行に定め給ふ、前田徳善院玄以、浅野弾正少弼、増田右衛門尉、石田治部少輔、長束大蔵大輔とそ申…
    75バイト (7,975 語) - 2024年3月25日 (月) 14:31
  • 、五人之宿老、〈家康卿、輝元、秀家、利家、景勝、〉三人之小宿老、〈生駒雅楽頭、中村式部少輔 堀尾帯刀先生〉 五人之奉行、〈浅野弾正少弼、徳善院玄以、増田右衛門尉、石田治部少輔長束大蔵大輔、〉等に相議し、其上を以可㆓相定㆒となり、去年夏東征のゝち、中々権威之懃りもて行​(ク)体、飛龍天に在が如し、旧功…
    75バイト (10,391 語) - 2024年3月25日 (月) 14:33
  • 談㆒候へ共、諸事為㆓御意得㆒先以㆓飛札㆒申達候、恐々謹言   六月朔日                  浅野弾正少弼 黒田如水軒         増田右衛門尉殿 石田治部少輔殿 大谷刑部少輔殿 各御中 此飛脚事外達者に有し故、十日路之所を三日に参着せしかは、各及披見、即其晩中納言殿へ参り、此旨かく…
    75バイト (13,465 語) - 2024年3月25日 (月) 14:33
  • 増田・長束が偽【 NDLJP:100】りて、拵へし事なれば、別条なし。浅野弾正は、奉行職を止められ、甲州へ引込み、土方勘兵衛は、常州へ流罪し、佐竹義宣に預けられ、大野修理亮は、野州結城へ配流せられ、少将秀康卿預り給ふ。扨秀頼公並に淀殿より、増田
    3キロバイト (116,548 語) - 2024年2月3日 (土) 18:43
  • 寺千五百人上坂順慶寺五百余人ゆすきむらの清動寺木之本新敬坊いまた又右衛門の時此人々都合八千七百余人後備へにひかへたり尊照寺の称名寺二千余人唐川長照寺増田真宗寺此三人は三番にひかへたり長沢の福田寺四千五百余人坤(イヌヒ)村の福照寺三千二百余人は同勢なり其日の軍奉行は浅井七郎野村兵庫頭中島日向守に仰付ら…
    81バイト (7,037 語) - 2024年3月25日 (月) 14:27
  • 国に残り留まりたる衆の方へ、廻文(くわいぶん)を廻し、島津又八郎、同又七、安芸の毛利、菊川金吾中納言、小西(こにし)摂津守(つのかみ)、浮田の宰相、増田右衛門皆々の衆へ、安国寺(あんこくじ)を使として、我に一味同心(みどうしん)に只管(ひたすら)に頼まれける。刑部少輔(ぎやうぶのせう)は、内府公と一…
    5キロバイト (22,925 語) - 2024年2月5日 (月) 07:57
  • 入を帰し給ふ、角て三好孫七郎殿、其勢一万、堀久太郎五千、明日六日池田勝入三州に至て発向せしむるの条、両人も令㆓出勢㆒、勝入指図次第進退可㆑有㆑之旨、増田仁右衛門尉を以被㆓仰出㆒けり、其旨勝入同息池田紀伊守、森武蔵守方へも、両人助成として、被㆓差遣㆒之条、宜㆑有㆓相議㆒となり、因㆑然秀吉卿も犬山より出…
    75バイト (10,906 語) - 2024年3月25日 (月) 14:32
  • 永井家譜 大江之後 赳々武夫 在㆓君左右㆒ 弱冠撃㆑敵 于㆓長久手㆒ 短兵急接 勝入授㆑首 富父摏㆑狄 関羽斬㆑良 昔人称㆑美 今復見㆑ 関原之役 大坂戦場 有㆑隊有㆑旅 之紀之綱 笠閒・古河 食禄数万 鎮㆓于一方㆒ 賜以㆓鉄券㆒ 偉哉将種 天使㆓滋蔓㆒ 亀趺戴㆑名 百世伝㆑遠…
    283バイト (23,605 語) - 2023年12月2日 (土) 18:38
  • べき事こそ口惜(くちを)しけれ。思ふ仔細(しさい)のある間、先づ藤の森まで御輿(おんこし)を急(いそ)げとて、さらぬ体(てい)にて過ぎさせ給ふ所へ、増田右衛門尉(ますだうゑもんのじよう)参り迎へ、馬より飛んで下(お)り、御輿の前にかしこまり、以の外の御機嫌(ごきげん)にて御座候。一先づ高野山(かうや…
    6キロバイト (31,392 語) - 2024年1月29日 (月) 16:47
  • 日に能を仕る。〈附加仙山にては、城主中川武蔵守設饗。〉 二、加賀迄、石田治部少輔御使に来る。〈附尾山にては、城主に前田又左衛門饗応〉 三、越前迄は、増田右衛門尉御使に来る。 附北庄にては、堀久太郎饗応、府中は木村常陸介、〈弥一右衛門兄、〉敦賀は大谷刑部少輔饗応。 四、近江も、大谷諸事御馳走。就中大溝は、其城主響応なり。…
    283バイト (21,574 語) - 2023年12月2日 (土) 18:45
  • 候。来春は父子罷上申すべく候の間、御前然るべき様に仰上げられ候はば、本望たるべく候。恐惶謹言。   十一月二日 氏政 【 NDLJP:83】    増田右衛門尉殿     長束大蔵大輔殿 其後氏政家老を以て、徳川殿へ申されけるは、氏直年内に上洛の事、遅参に付きて、殿下様御機嫌悪しく、重ねて御書を下さ…
    3キロバイト (60,610 語) - 2024年2月3日 (土) 11:07
  • つて、彼には「又善也」と釈してある。小久原(をくはら)の何人なるかは未だ考へない。此年瑞英四十二歳であつた。  十二年には八男(かう)十郎(らう)が生れた。家譜に「文政丑十一月七日生、幼名浅岡益寿贈ところ」と云つてある。浅岡の何人なるかも亦未だ考へない。此年瑞英四十四歳であつた。…
    1.54メガバイト (342,889 語) - 2024年3月25日 (月) 01:52
  • NDLJP:54】申候は此方にて御座候上様御舎弟弟大和大納言殿御病死被成候其の跡へは関白殿御舎弟拝領但是は午の年戸津川の湯にて御疱瘡被成御果候其後関白殿御切腹後増田右衛門允廿万石にて郡山を拝領候其外は小身衆なり 一仙石越前御召出候時の意には越前事は先手被仰付者にては無之者なり其故は兎角は有無の見合不仕法度を破る…
    296キロバイト (74,642 語) - 2024年5月11日 (土) 11:51
  • に陣の取、古河には家康の御旗が立、宇都宮には将軍様の御旗(はた)が立。然処に、石田治部少輔謀叛をおこして、安芸の毛利、島津、あんこく寺、小西摂津守 増田右衛門督、長束大蔵、大谷ぎやうぶのせう、にわの五郎左衛門、たち花左近、金吾中納言、ぎふ中納言、うき田中納言、長宗我部(てうすがめ)、小田の常真、其外…
    3キロバイト (99,010 語) - 2024年1月30日 (火) 14:25