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  • に四ケの律寺を創め、國泰民安の禱をつとめ、佛の威儀をあらはし、衆生を利益し玉ふ、我禪法流布の時やいたりけん、後鳥羽院の建久(ィ)二年に、明榮西禪師大宋より歸り土御門の建にハ洛陽河東に禪寺を立、顯密を兼をかる、順德院の建保三年に、鎌倉の實朝のとき壽福寺を立らる、是五山の其一也、惣して上をうやま…
    824バイト (9,334 語) - 2022年11月22日 (火) 00:14
  • 仁。是當時有二此一説一。然以二蓋主一而侯二外人一。豈得レ爲レ仁。子路親二愛其姊一。偶愆二於禮一。夫子裁レ之。即時改正。且以レ此爲二觀レ過知一レ。儗非二其一矣。呉祐所レ稱。孫性之事。尤足二長レ詐而敝一レ俗。遂因有二安丘男子因レ母殺レ人之事一矣。孔子之訓精善。呉祐之見。乖二乎聖人一。 案…
    49キロバイト (7,486 語) - 2023年9月5日 (火) 01:14
  • 如レ是也。蓋學莫レ先二於立一レ志。志レ道則心在二於正一而不レ他。據レ德則道得二於心一而不レ失。依レ則性常用而物欲不レ行。游レ藝則小物不レ遺。而動息有レ養。學者於レ此有二以不一レ失二其先後之序。輕重之一焉。則本末兼該。内外交養。日用之間。無二少間隙一。而涵泳從容。忽不四自知三其入二於聖賢之域一矣。…
    136キロバイト (20,159 語) - 2023年9月5日 (火) 01:15
  • 九歳㆒也。未㆘曽有㆗従㆓戦役㆒之齢㆖、未㆑弁㆓孰若㆒。蓋嚮所謂入談㆓勝興㆒【 NDLJP:253】之語曰、川中島夜戦之時、入年十六云々。然則天文廿三年川中島戦、則固当㆓入十四歳㆒也。果爾入者、天文十年辛丑之産、而卒歳当㆓百三歳㆒。畠山家説、入
    665バイト (13,082 語) - 2023年11月26日 (日) 20:18
  •  此年に蘭軒の友小島春尚質(なほかた)の父春根一(もとかず)が歿した。尚質は蘭軒と古書を愛する嗜好を同じうした小島宝素である。広島の頼山陽は此年十二月六日に囲から出されて、家にあつて謹慎することを命ぜられた。  此年享和三年に蘭軒の父信階(のぶしな)の仕へてゐる阿部家に代替があつた。伊勢守正
    1.54メガバイト (342,889 語) - 2024年3月25日 (月) 01:52
  • わざと便利な市内を避けて、人迹稀(じんせきまれ)な寒村の百姓家にしばらく蝸牛(かぎゅう)の(いおり)を結んでいたのです……」 「人迹の稀なはあんまり大袈裟(おおげさ)だね」と主人が抗議を申し込むと「蝸牛のも仰山(ぎょうさん)だよ。床の間なしの四畳半くらいにしておく方が写生的で面白い」と迷亭君も…
    1.06メガバイト (208,385 語) - 2022年11月4日 (金) 04:57
  • きこえさせき。一天下をあるまゝにしておはしましゝ。この父おとゞの太郞の君、女院の御ひとつ腹の道隆のおとゞ、內大臣にて關白せさせ給ひき。次郞君は陸奧守寧ぬしの女の腹におはせし君なり。道綱ときこえさせて大納言までなりて右大將かけ給へりき。この母君極めたる和歌の上手におはしければ、この東三條殿の我が方…
    520バイト (92,105 語) - 2023年8月18日 (金) 17:04
  • ← 巻十七 巻十九 → 太閤記 作者:小瀬甫 編者:近藤瓶城 明治33年 1900年 『太閤記』(たいこうき)は、小瀬甫が著した太閤豊臣秀吉の伝記である。 底本: 近藤瓶城 編『史籍集覧』第6冊,近藤出版部,大正8. Webブラウザ上でキーワード検索しやすくするために、「龍」を除く旧字を新字に変…
    75バイト (8,414 語) - 2024年3月25日 (月) 14:34
  • ← 巻十二 巻十四 → 太閤記 作者:小瀬甫 編者:近藤瓶城 明治33年 1900年 『太閤記』(たいこうき)は、小瀬甫が著した太閤豊臣秀吉の伝記である。 底本: 近藤瓶城 編『史籍集覧』第6冊,近藤出版部,大正8. Webブラウザ上でキーワード検索しやすくするために、「龍」を除く旧字を新字に変…
    75バイト (10,391 語) - 2024年3月25日 (月) 14:33
  • ← 巻二 巻四 → 太閤記 作者:小瀬甫 編者:近藤瓶城 明治33年 1900年 『太閤記』(たいこうき)は、小瀬甫が著した太閤豊臣秀吉の伝記である。 底本: 近藤瓶城 編『史籍集覧』第6冊,近藤出版部,大正8. Webブラウザ上でキーワード検索しやすくするために、「龍」を除く旧字を新字に変換し…
    75バイト (11,562 語) - 2024年3月25日 (月) 14:30
  • ← 巻十五 巻十七 → 太閤記 作者:小瀬甫 編者:近藤瓶城 明治33年 1900年 『太閤記』(たいこうき)は、小瀬甫が著した太閤豊臣秀吉の伝記である。 底本: 近藤瓶城 編『史籍集覧』第6冊,近藤出版部,大正8. Webブラウザ上でキーワード検索しやすくするために、「龍」を除く旧字を新字に変…
    75バイト (10,950 語) - 2024年3月25日 (月) 14:33
  • 細川武蔵守頼之ヲ執事トシテ遠ク異域ニ喩レハ霍光カ故事ニ相似タリ遂ニ始テ執事ヲ改テ管領トセラレタリ是時憲顕カ任頼之ト等クシテ氏満ノ号頼之ト同シケレハ等ナラサルヲ以テ鎌倉ニテモ執事ヲ改メ号セシト推量シタリカクテ主君壮年ニ及フニ至リ政道ヲ返スト云トモ猶管領ノ威勢ハ東西共ニ盛ナリケリ鎌倉殿ハ基氏氏満満兼…
    47バイト (25,785 語) - 2024年4月5日 (金) 22:55
  • 女なり。三の左には大納言の君、室町の宰相の中将公重の女、右に新大納言、同じき三位兼行とかやの女。四の左には宰相の君、坊門の三位基輔の女、右は治部卿兼の三位の女也。それより下は例のむつかしくてなん。多くは本所の家司、何くれが娘共なるべし。童・下仕へ・雑仕・はした物に至るまで、髪かたち目安く親うち具し、少しもかたほなる無く整へられたり。…
    424キロバイト (97,325 語) - 2022年10月1日 (土) 01:23
  • して、右の通なり。落城の翌日、謙信公廏橋城に著き給ふ。三楽も江戸城には、太田氏広〔武イ〕を残し、留守丈夫に申付け廏橋へ出向ふ。 附三楽は、道灌より四代の後胤。武は、道灌弟より四代の苗裔にて、三楽妹壻たりし由、武総領娘おかね〔ちイ〕殿と申して、権現様御側奉公、頃日の永松院殿と申すは是なり。水戸頼…
    283バイト (23,605 語) - 2023年12月2日 (土) 18:38
  • るゝ水のけしきこそ、時をもわかずめでたけれ。「沅湘(げんしゃう)日夜東(ひンがし)に流れ去る、愁人の爲にとゞまること少時(しばらく)もせず。」〔戴叔の詩「沅湘日夜東流去、不下爲㆓愁人㆒住中少時上」〕といへる詩を見侍りしこそあはれなりしか。嵆康(けいかう)〔竹林七賢の一人、彼の文に「遊㆓山澤㆒觀㆓…
    253キロバイト (51,502 語) - 2024年2月25日 (日) 09:53
  • テ柴ヲ売買シテ世ヲ渡ル男アリ。ソレヲ頼テ社ヲ守ラシメ。其子跡ヲ継テ。社人トナル。後ニ禅門トナリテ。道宿ト号ス。則御堂ノ光秀寺門徒ナリケルカ。其子ヲ泰ト申テ。此時ニ至テ。末社ヲ建立シ。祭事ヲ始メ。唯一ノ神道ヲ立ルナト号シ。家門ヲ改メ。社内ニアリシ弥陀ノ形像ヲオロシ。偏ニ神職ヲ高フリ。李梅渓ヲ頼ミ。…
    147キロバイト (24,775 語) - 2024年4月5日 (金) 18:19
  • ただ、鋭い眼だけは、頭の隅に、閃いていた。  侍女が、つつましく、襖を開けるのさえ、もどかしかった。顔が見えると、すぐ 「方を――」  侍女は、立って入ろうとした。 「方を、早く――」  侍女は、七瀬の声と、顔が、ただでないのを見て、襖を閉め残したまま、小走りに行った。…
    1.47メガバイト (284,070 語) - 2023年11月2日 (木) 05:59
  • 譬へば、漏船に乗つて風波を凌ぐが如し。戒慎んで卒爾に以て、戦を欲せずといふ。景虎、之を聞いて曰く、晴信は正兵なり。吾、是に向はんに、必ず奇兵を以て、強にして進み駆て【 NDLJP:22】之を討つに如くはなしといへり。 【武田晴信不義信州四将の不義と越後老臣批判の事】…
    3キロバイト (30,964 語) - 2024年3月24日 (日) 13:39