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- 下男(げなん)か何かと思われますもの。 王子 下男!(落胆したように坐ってしまう)やはりこの長靴と同じ事だ。 王女 その長靴もどうかしましたの? 王子 これも千里飛ぶ長靴なのです。 王女 黒ん坊の王の長靴のように? 王子 ええ、――ところがこの間(あいだ)飛んで見たら、たった二三間も飛べないの…35キロバイト (4,337 語) - 2019年9月29日 (日) 04:54
- 定西法師伝 (カテゴリ 日本の近世文学)の父公也父の曰譬后の御悩大事に及ふ共日本人に見せて薬を付さする事は有ましき由を堅くのたまへは王子もしゐてのたまふへき様もなくさらは先帰れとて帰さるゝ漸道二三里も帰る程に又使追駆て先帰るへしとて呼帰さる王子の曰男の薬事既に叡聞に達し何かは苦しからん后の御命にかゆへき儀にあらす急き薬を付させよとの…47バイト (8,468 語) - 2024年4月5日 (金) 22:58
- 日輪 (横光利一) (カテゴリ 日本の小説)「不弥の女を我は見た、不弥の女は邪馬台の宮の王妃になつた。」 長羅は激怒に圧伏されたかのやうに、ただ黙つて慄へながら床の上の剣を指差した。 「王子よ、邪馬台の王は戦ひの準備をなした。」 「剣を拾へ。」 若者は剣を長羅に与へると再び云つた。 「王子よ、邪馬台(やまと)の王は、奴国(なこく)の宮を攻めるであらう。」 「邪馬台を攻めよ。兵を集めよ。我は爾を宿禰(すくね)にする。」…163キロバイト (35,872 語) - 2021年8月31日 (火) 22:24
- の王子を殺して、おほみの王子位に即き給ひて天武天皇と申し給ひき。世をしらせ給ふこと十五年。神武天皇より四十一代に當らせ給ふ持統天皇、又太政大臣にたけちの王子をなし給へり。天武天皇の王子なり。この二人の太政大臣はやがてみかどゝなり給へり。たけち王子…520バイト (92,105 語) - 2023年8月18日 (金) 17:04
- 王子を返し被遺候如此に偽申上上様御外聞あしく仕或剰右王子返候儀主計も人数に仕候て唐人之方え申合証文唐人之方之書物有之事に候然は重て御無事之儀被仰出に王子を日本に差渡候事第一に被仰下候由小摂被書上候由左様に候へはさほと王子一人さへ日本え渡度被思召候に王子兄弟并王子兄弟介抱女房王の…44バイト (4,638 語) - 2024年4月19日 (金) 06:49
- のふねにのりて、生死の苦海をわたりて、菩提の岸になとかつかさらん、事理の懺悔に五体を地になけて、一心に念仏をとなふれは、草木のたきゝを百万里につむといへとも、芥子はかりの火をつくれは、ときのほとにやけうせぬ、在俗のときつくりし、百万里のうちにつみしたきゝのつみなりとも、出家懺悔の芥子はかりの火をつけぬれは、たのもしくこそおほゆる、…47バイト (17,806 語) - 2024年4月5日 (金) 22:54
- の事あらは、五三人は入べしと云しかは、立帰てかく告ぬ、賀藤打聞て、いきまきて腹を立、いや〳〵都に入なはあしかりなん、大王は退給ふ由なれは、せめて此行衛を追みんと、洛外に在て、其さまをだやかなり、 ○王子を追掛奉る主計頭働之事 主計頭は、洛中評議の員(数イ)にも洩、王子…75バイト (10,391 語) - 2024年3月25日 (月) 14:33
- 屈原 名は平、字は原。また、名を正則、字を霊均ともいう楚の王族に生まれ、王の側近として活躍したが妬まれて失脚、湘江の辺をさまよい、ついに汨羅に投身。憂国の情をもって歌う自伝的叙事詩「離騒」を始め、楚の歌謡をもととした楚辞文学を集大成した。(前343ごろ~前277ごろ) とある。…117キロバイト (26,088 語) - 2023年9月3日 (日) 09:02
- の王に成し奉る。蛮夷率服し、諸侯の来朝する事、只秦の始皇の六国を合、漢の文慧の九夷を順へしに不異。王子已に三歳に成給ける時、洞庭の波上に三千余艘の舟を双べ、数百万人の好客を集て、三年三月の遊をし給ふ。紫髯の老将は解錦纜、青蛾の御女は唱棹歌。彼をさへや大梵高台の花喜見城宮の…38キロバイト (9,440 語) - 2022年12月1日 (木) 08:00
- 近江と美濃の國境には寢物語の里の名が殘つてゐる。兩國の村里が相接して、國と國との寢ものがたりする趣のあるといふところから、その名がある。めづらしく思つて、以前にもわたしはさういふ村里のあることを物のはしに書きつけて見たこともある。木曾路名所圖會をあけて見ると、あの邊が東山道の…282キロバイト (57,833 語) - 2021年5月19日 (水) 16:37
- の上下も寛徳に化せられ、ゆるやかに物し、浮世を忘れはてにけり、二人の勅使并 蘇西堂船中にて御約束し給ひ翌日六月十日之朝、山里におゐて御茶給りぬ、露地には色々の菜園なともあり、麓の里をのつから物ふりて、諸木枝を連ね、岩つたふ流もいとすゝしく、山里の名に応し其さま尽ぬ、 一四畳半之御数寄屋飾の次第…75バイト (9,406 語) - 2024年3月25日 (月) 14:33
- 私は『釈迦譜(しゃかふ)』を選んだ。あの本の中には、王子の一生が一篇の戯曲(ドラマ)を読むように写出(うつしだ)してある。あの中から私は釈迦の父王の話、王子の若い友達の話なぞを借りて来て話した。青年の王子が憂愁に沈みながら、東西南北の四つの城門から樹園の方へ出て見るという一節は、私の生徒の心をも引いたらしい。一つの…282キロバイト (56,209 語) - 2021年5月19日 (水) 16:05
- の権化、妙法蓮華の正体也。一乗読誦の窓の前には、影向を垂て哀愍を納受し給ふ。既是慚愧懺悔の教主たり。六根罪障の我等何不奉仰之哉。次に中七社、牛の御子は大威徳、大行事は毘沙門、早尾は不動、気比は聖観音、下八王子は虚空蔵、王子の宮は文殊、聖女は如意輪、次に下七社の小禅師は弥勒竜樹、悪王子…75キロバイト (18,383 語) - 2022年12月1日 (木) 08:02
- の北条征伐に用ゐた時の儀容(ぎよう)を其儘(そのまま)に緋縅(ひおど)しの鎧(よろい)に錦の直垂(ひたたれ)を着け、床几(しょうぎ)に靠(よ)つて城外の形勢(ありさま)を瞰下(みくだ)してゐた、城外の味方は雀躍(こおどり)して喜んだ、秀頼公は城方(しろかた)尊敬(そんけい)の中心である、中心動いて士気振(ふる)ふ。…42キロバイト (8,714 語) - 2023年3月18日 (土) 03:47
- 安井夫人 (カテゴリ 日本の小説)の家を買って移った。策士雲井龍雄(くもいたつお)と月見をした海嶽楼(かいがくろう)は、この家の二階である。 幕府滅亡の余波で、江戸の騒がしかった年に、仲平は七十で表向き隠居した。まもなく海嶽楼は類焼したので、しばらく藩の上邸や下邸に入っていて、市中の騒がしい最中に、王子在領家村(りょうけむら)の…38キロバイト (7,673 語) - 2020年6月18日 (木) 15:54
- だったそうです。その女房が娘と小僧を連れて、王子稲荷(おうじいなり)の初午(はつうま)へ参詣に行くと、王子道のさびしい処で、伝蔵に出逢ったそうです。これも同じような文句をならべて、お尋ね者で食うに困るから幾らか恵んでくれと云う。こっちは女子供だから、怖いのが先に立って、巾着銭(きんちゃくぜに)をはた…72キロバイト (14,531 語) - 2019年2月27日 (水) 14:47
- 里にて生れたり。親をば弥五郎といひて、其里の桶のたがを懸て身命(しんめい)を送る。其たがしの子なるが故に、たがし入道と云ひたり。扨妻ぐし入道の仔細聞べしといふ。清林答へて、尤道理なり。さればこそ其方がてゝは妻(め)をぐして汝生れたり。其めぐしの子成るが故めぐし入道と云。其時上人をはじめ五百人の…438バイト (15,292 語) - 2024年2月1日 (木) 14:10
- 神皇正統記 (カテゴリ 日本の歴史書)の]御子隼総別(はやぶさわけ)の皇子、其子大迹(おほと)の王、其子私斐(しい)の王、其子彦主人(ひこぬし)の王、其子男大迹(をほと)の王と申(まをす)は此天皇にまします。御母振姫(ふるひめ)、垂仁(すゐにん)七世の御孫也。越前(ゑちぜんの…373キロバイト (76,412 語) - 2023年8月17日 (木) 14:28
- いでやこの世に生れては、ねがはしかるべきことこそ多かめれ。みかどの御位はいともかしこし。竹の園生のすゑばまで、人間の種ならぬぞやんごとなき。一の人の御ありさまはさらなり、たゞ人も舍人などたまはるきははゆゝしと見ゆ。そのこうまごまでははふれにたれど、なほなまめかし。それより下つ方は、ほどにつけつゝ時にあひ、したり顏なるも、みづからは…457バイト (41,862 語) - 2020年7月26日 (日) 02:55
- 分冊6 → 浮世の有様/6 編者:矢野太郎 大正九年 1920年 『浮世の有様』(うきよのありさま)は、文化3年(1806)から弘化3年(1846)までの見聞録、全13巻17冊である。ただし、ここで底本とした国史研究会版『浮世の有様』は文化3年(1806)から天保14年(1843)6月の…85バイト (17,504 語) - 2024年3月24日 (日) 11:52