浮世の有様/6/分冊7
印旛沼埋立作業因州侯の評判庄内持場の評林の評判御破損奉行の交替三代官所替となる御破損奉行栄達両替方に用金を命ず仏壇屋某の伜の建白島原雑記明礬売買の注意御免巡行と勧化巡行とに対する触書用金を仰付けらる冥加金上納を許可す御用金仰渡さる御用金の減額を請願す御用金出精を賞美す
江戸より参り候書状の写
【印旛沼埋立作業】一、下総印幡沼を同州船橋・大和田両駅の間へ新川掘割、海へ水を吐かせ、新田開発の目論見は、先年田沼氏の時代取懸り候事に御座候処、丁度其頃信州浅間山焼け候て、未曽有の天災有㆑之、此は印幡沼より浅間山へ地中の水脈相通じ有㆑之候故の事と専ら風説致し、其上掘割り成り兼ね候場所も多く有㆑之、成就不㆑仕、其儘捨置き有㆑之候を、此度は其頃の掘場所より少々違ひ候由。是迄其筋の御役人再三の御見分にて、井戸の様なる物を幾箇も御掘らせ、予め掘割出来可㆑申候御ためしも有㆑之候て、弥々の被㆓仰出㆒と相成り、諸家へ御手伝被㆓仰付㆒候事に御座候由。右沼より海辺迄凡そ四里半計りの処、幅十二三間有㆑之川の由に御座候。因州・庄内・沼津・【 NDLJP:172】黒田御分家・林右の五家へ御手伝被㆓仰付㆒、是迄何れの御手伝にても、多分御金納にて相済し候処、此度は右掘割場処へ御銘々御懸り、役人前に引かれ、御出役御高に応じ、町場を御割渡し相成り、御掘立有㆑之候事に御座候。下地田沼御時代、掘かけに形ち残り居り候を掘広げ候場所も御座候由。因州・庄内御両候御持場、至つて悪しき処有㆑之候趣に御座候。黒田と沼津の沙汰は一向無㆑之候へども因州と庄内・林御三家の御沙汰のみ色々に申触らし候。
【因州侯の評判】一、因州家には、御国も遠路の事故、御領地の人夫御呼下しにも成り兼ね候故哉、右掘立て候近郷の者の潤ひに成り候様にとの思召の由。明六つ時より八つ半時を限り、一人前五百銅もの御手当にて、持運びの土、一荷二人持の積に候由、至て軽く候故、老人・子供にも心やすく持運び出来候趣、御手当は何れも五百文も被㆑下候に付、其辺の者大に潤ひ、近郷の百姓大悦にて、流石御大家の事、外様と同日の論にあらず抔申触らし、其辺の評判至て宜しく、晴天三百箇日に成就致し候様にとの御沙汰に候由、三箇年も可㆓相懸㆒哉、併当夏の様ならば、十箇月にも成就可㆑致か難㆑計、御同家右御場所御出役十箇月目御交代の筈にて、御出張の趣に候。又或は山師申し候には、右掘割総て一式請負ひ五百両ならば、註文通り因州の持場だけ不㆑日成就可㆑仕段申出で候者有㆑之候へども、御取用ひ不㆓相成㆒由、前書の御仕法にて、此節専ち御出精御座候趣承り可㆑申候。
一、庄内御持場の儀は、平地より余程高き所の由、夫故人夫も一倍骨折れ候場処に候へ共、御領分の総百姓申合ひ、御所替の代りに被㆑蒙㆑仰候御事故、【庄内持場の評】一同身命を捨てても御領主へ御失費不㆓相懸㆒様百姓の手限にて、全く成就可㆑為㆑致との事にて、三百人・四百人程も要処に働さ馴れ候屈竟の百姓選立て、一組々々いろは印を以つて合印を分け、三十日目々々々々の交代にて、庄内より江戸迄の道中蟻の往来致し候如く引切りなした往返にて、当時場処へ出居り候者、千七百余人出精罷在り候由、猶秋作取入れ植済み候後は、成るべきたけの人数御領分中不㆑残申合はせ罷出で、相働き可㆑申候積の由、当御持場の儀は至てむづかしき掘場処に候処、何れも要処に馴れ候者計り故、何の苦しみもなく働き候由、御領主にても手厚く御世話有㆑之【 NDLJP:173】場処へ、至て手広なる長家御取立て、食事並に暑中凌ぐ湯水の手当、並に更代道中筋旅籠屋・中食場並に行水等も一日に両度とも這入り候様御手当有㆑之、合印付の木札、又は木綿手拭に印を染め、宿々立場等へ差出し有㆑之、三度々々の食魚類付にて被㆑下候由、其外とも手厚き御賄に有㆑之趣、斯く迄御領主に帰降致し居り候事、全く仁政故の事と被㆑存候。江戸の沙汰は庄内の方評判宜しく、乍㆑去右場処近郷の潤ひには一向不㆓相成㆒候故、其辺の評判は薩張無㆑之候趣可㆑申候。
【林の評判】一、林様は御少禄の御事故、人夫御雇入方も御存分には御届不㆑被㆑成、最初殊の外御手支の事も有㆑之候由、然る処中程よりは追々人夫も駈集め、掘立方捗取り候様には成り候へ共、総人夫へ弁当被㆑下候にも、結構なる煮染物等御添被㆑下候由、昼休みの節、水飲み候者へも葛・砂糖・干飯等被㆑下候故、人夫の評判宜しく相成り、且つ御持場平地にて働きの致しよき処の由、夫故捗取り候趣なれ共、大造なる御物入り、一日に百五十金も平均に御払出し有㆑之、何時を限りとも難㆓相知㆒御心配の趣、先づやれるだけをやつて見るより外無㆑之との思召の由及㆑承可㆑申候。御身上御震ひ上るの事と巷説仕り候。
右三家の評判のみ、外々御両家は一向善悪之沙汰無㆓御座㆒候。其外江戸御城近郷処処上地被㆓仰付㆒候場処、凡十里四方の間□上り申し候。右高五十余万石、其内七万余石は五百石以下の御知行の分に有㆑之、其分不㆑残御蔵米取に相成り可㆑申候。是にも色々風説の事有㆑之候へ共、取用に相成り兼ね候事故不㆓申上㆒候。猶此後承り候儀も有㆑之候はゞ、追て可㆓申上㆒候。以上。
八月十六日
尚々腫物かゆく又は痛く、執筆むづかしく候へ共、無理に認め候間、御分り被㆑成兼候処は、御判じ物に御座候。且つ此書附御覧後、引裂き捨て可㆑被㆑下候。別て 浮世の有さま抔へ、此文体のまゝに御写上などは、決して御免奉㆓願上㆒候。口から出任せ、滅汰弥八に認め候故、他見を相恥ぢ、右の通り御断り申上候。斎藤町先生様へ御見せも被㆑下候はゞ、くれ〴〵御断り可㆑被㆑下候。己上。
改革篇 七十二項
【 NDLJP:174】六十余州帰㆓仁政㆒ 二百年来奏㆓太平㆒ 安楽世界極人奢 衣裳新形着㆓流行㆒
脚燃㆓板絞紅鹿子㆒ 頭光㆓金銀珊瑚珠㆒ 或有㆓縮緬肌障㆒悪 羽二重任㆓起居㆒軽
弁当提重高蒔絵 華麗争開御室桜 嵯峨開帳稲荷祭 風流競立無㆑不㆑征
芝居役者登㆓江戸㆒ 贔屓多従初日疑 檀那残切没㆓茶屋㆒ 家内夜更至㆓生洲㆒
無㆓春夏㆒無無㆓秋冬㆒ 費多不㆑知㆓身代傾㆒ 依㆑去今度御改革 江戸已定及㆓直京㆒
一番諸株仲間潰 運上万金成㆓御免㆒ 厳重御触難㆓違背㆒ 洛中洛外謹奉㆑承
縮緬問屋鬢毛縮 青物初売顔色青 日傘入㆑蔵陽不㆑拝 塗履削㆑漆再作㆑晴
上田米沢収㆓箪笥㆒ 何年得㆑見㆓此世明㆒ 青楼残留服㆓他行㆒ 曠着纔見小紋𥿻
可㆑憐奥様御新造 於㆓三与㆒不㆑異㆓於清㆒ 却説河東芸子輩 急被㆓呼出㆒胸打驚
御居作並芝居裡 即今何故望看棚 我童芝翫見不㆑見 堂堂役人張㆓肩肱㆒
重忠豈用㆓琴攻粋㆒ 只如㆔岩永発㆓雷声㆒ 汝等近来好㆓雑臥㆒ 約束応対三倍情
不埒至極蒙㆓御叱㆒ 於許者共難㆑作㆑答 一生未㆑逢㆓箇様事㆒ 罪重似㆑出㆓閻魔庁㆒
且呼㆓亭主㆒厳穿鑿 逐一客方各記㆑帳 客方心配夜不㆑寝 偏恐銘々及㆓難渋㆒
又憐新地敗㆓風景㆒ 楼上無㆑客軒無㆑灯 三弦寂寂無㆓弾所㆒ 弥登㆓□敦㆒不㆑可㆑庁
妾宅張㆑札㆓表貸家㆒ 髪結切㆑髪為㆓尼僧㆒ 舞子為㆑齟羨㆓山猫㆒ 幇漢胃□非㆓猩猩㆒
其他世上無益輩 細有㆓詮議㆒為㆓改正㆒ 若猩々有㆓尚相喜㆒ 酒価下��一升
諸色万物総准㆑之 渡世安楽家又栄 実是広大御仁恵 日本国中弥安寧
雖㆑然今度御改革 雑言似㆓男女交合㆒ 其訳不㆑知試相問 上善下善中有鳴
【御破損奉行の交替】大坂御破損奉行榊原太郎左衛門・石渡彦太夫私欲甚しく、何か不埒の筋有㆑之、急に御召にて焚火間詰に被㆓仰付㆒、至て不首尾なり。之に代りて当地御金奉行金井伊太夫跡役となりて、組下の同心これ迄私欲せし者共、悉く夫々に咎申付け、中には暇を出されし者も有りと云ふ事なりし。
【三代官所替となる】大津御代官石原も、何か不埒の事有りて、神君より永々大津の御代官の蒙㆑仰、不易の身上にて由緒有㆑之事なれ其、此度越後へ所替被㆓仰付㆒。京都御代官小堀にも支配地の内を数万石御取上げと成り、江州信楽の御代官多羅尾にも不埒にて、所替被㆓仰付㆒しと云ふ。御代官の内にても、此三人は何れも急度せし由緒有る身分なれ共、数【 NDLJP:175】百年の土着にて敖に長ぜし故、御政道を正しうせざりし故なるべし。
【御破損奉行栄達】五月下旬、御破損奉行金井伊太夫急に御召にて出府、至つて上首尾にて大津御代官か御勘定奉行に転役ならんと云ふ取沙汰なり。五月下旬御徒士目附永田鑑八・森澄太郎作、御小人目附松永定作・武井左源太・春日井藤三郎・蘆谷啓蔵以上六人、御城内外両町奉行、天満其外何かの様子篤と見分致すべき由にて、武家総目附役被㆓仰付㆒、上町に役屋敷出来し、何時となく何処彼処の差別なく、づか〳〵と踏込まれ候由、何れも大に恐れをなす。中にも天満与力大に慄恐れ、暴に式台を取払ひ、塀の腰板・書院・床縁等を取払ひ、大狼狽にて混雑甚しき事なりと云ふ。元来天満与力・同心は、先繰りに御奉行へ附贈りにはなれる事なれども、一代切の雇はれ奉公人も同様の身分にして、至て軽く、御役を離れ隠居する時は、町人も同様の者なりといへり。斯る身分なれば、町御奉行の御代り毎に、彼等の身上引受けの印形せし証札を、総年寄共より差入れ、以て引受人となれる由。又同心共の受人は、高津に住居せる五右衛門といへる者之をなす事なりと云ふ。此事をば唐物町にて唐物の商ひせる山本屋より、委しく聞きし故へ筆の序に此処に記し置く者なり。与力・同心等世間へ恥づる事にして、深く隠せる事なりと云ふ。
【両替方に用金を命ず】先日鴻池・加島屋を始め十人、両替御融通方十六人又十九人被㆓召出㆒、御用金の儀を仰付けられしにぞ、加島屋久右衛門・鴻池善右衛門の両人は金五万両づつ、加島屋作兵衛金三万八千両、其余は分限に応じ、二万両・一万五千両・一万両・八千両など上納の儀申出で候処、右様成る事にては、決して御聞届なく、鴻池・加島久・加島作右三人は、金子十万両づつ、其余も是に准じ上納の儀被㆓仰付㆒、此度斯様に御用金被㆓仰付㆒しとて、是を申立になして、是迄仕送り致し来り候処の諸大名、仕送を相断り候ては、諸家の差支に相成り候事故、決して断り難㆓相成㆒候間、是迄の通り差支無㆑之様用事を承り勤むべし、又此事申立てに致し、倹約致し候ては、出入其外下々の者等の難渋と相成る事なる故、家々の暮し方は是迄の通りにて、別に倹約すべからず、芝居・角力・青楼等の、遊び・見物等勝手次第になすべしと云ふ申渡に、何れも大に胆を潰し、心中に於て感服せし者一人もなく、此度の御申渡の御改革にて、【 NDLJP:176】質素倹約被㆓仰出㆒し御趣意とは大に転変せし事なりと、密につぶやける事なりと云ふ、左も有るべき事なり。如何なれる事にや。
【仏壇屋某の伜の建白】京都西六条木津屋橋〈町名なり、今橋有るにはあらず〉仏壇屋何某〈予に語りし人も、其名を確かに聞きしかども、之を忘れしと云ふ事なりし。〉とやらんいへる者の忰、三十四五歳の者なりと云ふ。此者町奉行所へ至り、「此度諸人の驕を禁ぜられ、一統安穏に渡世仕り候様、諸人の難渋御救被㆓下置㆒候様にと難㆑有御趣意を以つて、質素倹約の儀仰出され、諸人御救の為め難㆑有御改革被㆓仰出㆒、御仁恵の御趣意一統に難㆑有仕合に感服仕り候。然る処近頃に至り、難渋迫り渡世も難㆓相成㆒、日々の暮し方等大に差支に及び、飢渇に苦しみ候者共数限なき事にて、何れも困窮至極に及び申候。諸人難渋せざる様にとの難㆑有御趣意に違ひ候様に、乍㆑恐奉㆑存候へば、迚もの事に御政道の御仁恵を蒙り、一統に安心仕り、斯る困窮不㆑仕候様なし下し置かれ候様偏に奉㆓願上㆒候。斯様の儀御願ひ申上ぐる事故、御聞届御座候上は、私儀に於ては如何様の御咎め被㆓仰付㆒、如何なる厳科に処せられ候ても苦しからず」とて、思ひ切つて願ひ立てしと云ふ。されども是を御取上なき故、「御聞届の仰を蒙らざれば、何迄も此処に有るべし」と腰を居ゑて動かざる故、乱心者となし縄付にして親・町内の役人等を呼出して、之を引渡され、町預け仰付けられ、町内より番人を附置きしに、三十日計りに及びぬ。然る処此者出奔して其行衛知れざる故、其由を届けしと云ふ。然るに程経て、江戸表より此者の親を〈六十四五才なりと云ふ〉召連れ候て、町役人附添ひ出府致すべき由の御差紙来りしにぞ、此者の江戸に出し事始めて相知れぬと云ふ。此男一命を投ち、江戸町奉行所に出てて、同様の事を申立て、諸書の引ことなどなして少しもひるめる事なく申募れるにぞ、当時にては三奉行の 〈御奉行・勘定奉行・寺社奉行〉掛りなりと云ふ。何にもせよ、諸人の困窮を救はんとて、一命を捨て此事を思ひ立てるは、一癖ある者ならんと思はる。
【島原雑記】京都島原は、所々の青楼悉く此処へ引移されし事故、近辺の地面を買取り家を建て、又因幡薬師の芝居をも、此廓中へ引移し、青楼々々も混雑せざる様に祇園町・宮川町・五条橋下、其外の青楼々々も一町々々に一群になりて、芝居見せつきなど之有る故、至て賑やかなる事なりと云ふ。されども古法なりとて、此度入口の番人【 NDLJP:177】に穢多を居置き、毎夜青楼毎に客の有無を糺し、其客の名前・町処迄悉く委しく帳面に書留むる様になりしと云ふ。又遊女の死せしをば、棺桶等に入れ、之迄平人の通りになせし事なれども、之も其事なり難く、菰包になして手足を一つに引くゝり、之に棒を通し、牛馬をかたげし如くにて、焼くとも埋むる共其儘にてなす事なりと云ふ。近頃至て全盛にて、諸人之が為に多くの黄金を費せしに、此者死して右の如くせられしと、穢多の番人に町処・名前等帳面に書記さるゝとに恥ぢて、身を持てる者は、自ら遠慮して行かざる様になりしとぞ。斯る事なれば、遊処〔女カ〕を受出し妾となして之を囲ひ、又甚しきに至りて、之を妻にし、又妻持てる身分にして、其色に迷ひ妻に易へて引入るゝなど、是迄不㆑珍事にて、又少しく垢抜けせし娘を持てる中人已下の親々は、其娘を総て右の如き風俗に仕立て、遊女に売らされば妾となし金儲せんと思へる者共、沢山なる事なりしに、此後に至ては、左様なる者共も自ら減ずる様になれる事なるべし。之等は至て宜しき事に思はる。
御触
【明礬売買の注意】唐和明礬の儀、江戸・京・大坂・堺四箇所の会所に於て、致㆓売買㆒候間、諸国出明礬の分、四箇処最寄の会所へ売渡し可㆑申旨、先達て相触れ候処、右会所の外薩摩並に唐明礬計り引受け、是又江戸・京・大坂・堺四箇所へ会所相建て売捌き候間、其旨相心得、右両会所の外山方より直売買一切致す間敷旨、天明二寅年相触れ、且つ伊予砥の儀も、大坂表江戸積問屋に於て、一手に引受け売買致し来り候処、右は今般明礬会所並に伊予砥江戸積問屋共差止め候間、向後銘々勝手次第可㆑致㆓売買㆒候。
七月十一日
右の通り其処の奉行、其外御料は御代官、私領は領主・地頭より可㆓相触㆒候。
御触
【御免巡行と勧化巡行とに対する触書】諸国寺社修覆為㆓助成㆒相対勧化巡行の節。自今は寺社奉行一判の印形持参、御料・私領・寺社領・在町可㆑致㆓巡行㆒候。公儀御免の勧化には無㆑之、相対次第の事に候間、御免勧化と不㆑紛様可㆑致旨、御料は御代官、私領は領主・地頭より、兼ねて可㆓申聞置㆒候右の通り明和三戌年相触れ置きし処、年暦相立ち御免勧化の者、其度々触有【 NDLJP:178】之、相対勧化は、寺社奉行一判の印状を持参候故、不審に存じ候向も相聞え候へ共紛らはしき者には無㆑之候間、其段相心得べく候。右の通り御料は御代官、私領は領主・地頭より不㆑洩様可㆓触知㆒者也。
卯月七月十四日
御触 口達
【用金を仰付けらる】一、此度大坂・兵庫・西宮・堺表等の身元宜しき者共へ、御用金被㆓仰付㆒候処、右人数の内には如何にも御趣意を重んじ、格別致㆓出精㆒、分限よりも相増し出金致度く存じ含み候者有㆑之候ても、以来諸家への用達金、又は商売筋取引、或は仕入金等の類、前々より凡そ割合申合せ置き候類の廉へ相響き、此後自余割合の出金高可㆓相増㆒哉と存じ量り、又は他の出金高の手本に相成り、外々の者より難渋可㆑被㆓申掛㆒抔と斟酌致し候者も有㆑之哉に相聞え、以つての外の事に候。此度御用金の儀は、左様の訳柄に拘はり候筋には毛頭無㆑之、最前も直に申諭し候通り、御新政の御徳意を奉㆑助事にて、二百余年昇平の御恩沢に浴し、安逸に暮し御国恩を難㆑有存じ、銘々力一杯御用金可㆓差出㆒筈にて、却て自余取引の見競に致し候者、甚だ以つて心得違の至に候間、右体の儀無㆑之様可㆑致候。
【冥加金上納を許可す】一、此度御用金申付け候人数の外にも、御国恩の有難を存じ候者同事の儀に付、如㆑此明時ならでは、冥加を弁へ候儀不㆓相顕申㆒事を残念に存じ候者も可㆑有㆑之哉に付、たとへ右人数に相洩れ居り候共、奇特の志有㆑之、上納金致し度く存じ候者は、聊か不㆑及㆓遠慮㆒銘々以来出可㆓申出㆒候。
一、右御用金の儀、前条にも申諭し候通り、銘々力を尽し納め候儀、正金に限らず、手形にて相納め候にても不㆑苦、尤も調達の仕儀に寄り、当年より三箇年に割合相納め候ても、是又不㆑苦事に候。然る上は銘々調達致し易く、差向き金銀融通等に差障り候筋、更に無㆑之処、何角と浮説申触れ、右に拘泥し、当然入用にも無㆑之、兼ねての預け金銀、或は両替屋等への入込金銀等過急に取立て、又は米切手入替へ参り、種類並合取組み、諸品仕入等差控ふる者有㆑之候はて、重々心得違に候条、一統此旨を存じ、金銀取引万事不㆓差支㆒様可㆑致候。自然一己の利慾に拘はり、如何の取引致【 NDLJP:179】し候者有㆑之由相聞き候はゞ早速召捕り、吟味の上厳重可㆓申付㆒候。来右の趣三郷町中端々迄も不㆑洩様可㆓申置㆒事。
卯七月二十一日
鴻池善右衛門 加島屋久右衛門五万両づつ 加島屋作兵衛三万八千両 米屋平太郎 炭屋安兵衛二万六千両 鴻池新十郎 近江屋休兵衛八千両づつ 辰巳屋弥吉三万両 三井八郎右衛門二万千両 平野屋五兵衛 米屋喜兵衛 千草屋宗十郎 近江屋半右衛門 鴻池庄兵衛 炭屋彦五郎二万両づつ 鴻池市兵衛 天王寺屋忠二郎 米屋長兵衛一万千両 づつ右の通り御受け申出で候へ共、無㆓御取上㆒、被㆓仰出㆒左の通り、
【御用金仰渡さる】天保十四年卯年七月六日五つ時、夫々町人共被㆓召出㆒、西御役所に於て、御掛り御役人中御立会の上、御用金被㆓仰渡㆒候左の通り。
一、金十万両〈今日二丁目〉鴻池屋善右衛門・〈玉水町〉加島屋久右衛門・〈大川町〉加島屋作兵衛。一、同六万両 〈吉野屋町〉辰巳屋弥吉・〈梶木町〉千草屋宗十郎。一、同五万両〈高麗橋一丁目〉三井八郎右衛門・〈今橋一丁目〉 平野屋五兵衛・〈安土町〉炭屋安兵衛。一、同四万両 〈内平野町〉米屋平右衛門・〈北久太郎町四丁目〉近江屋半左衛門・〈平野町二丁目〉米屋喜兵衛。一、同三万五千両 〈今橋二丁目〉鴻池屋庄兵衛・〈平野町一丁目〉炭屋彦五郎。一、同二万五千両 〈尼ヶ崎町〉鴻池屋市兵衛。一、同二万両 〈玉水町〉島屋市兵衛・〈今橘二丁目〉鴻池屋善五郎・〈過書町〉天王寺屋忠次郎・〈内平野町〉米屋長兵衛・〈玉水町〉加島屋重郎兵衛・〈平野町二丁目〉茨木屋安太郎・ 〈過書町〉塩屋市之助・〈船町〉加島屋作五郎・〈今橋三丁目〉加島屋作次郎・〈堂島〉播磨屋仁兵衛・〈長堀〉雑賀屋捨松。一、同一万五千両 〈中之島〉山家屋権兵衛・〈尼ヶ崎町〉鴻池屋伊兵衛・〈江戸堀四丁目〉平野屋四郎兵衛・ 〈北久太郎町四丁目〉松屋伊兵衛。一、同一万二千両 日野屋茂兵衛〈伏見両替町〉小橋屋伊右衛門。一、同一万両 〈江戸堀五丁目〉大庭屋次郎右衛門・南久太郎町三丁目舛屋伝兵衛・〈尼ヶ崎町一丁目〉米屋伊太郎・〈江戸堀三丁目〉伝法屋五左衛門・〈平野町二丁目〉泉屋六郎右衛門・〈今橋二丁目〉鴻池屋得兵衛・〈本町二丁目〉平野屋新兵衛・〈四軒町〉平野屋仁兵衛・〈今橋二丁目〉平野屋孫兵衛・〈薩摩堀納屋町〉錺屋六兵衛・〈立売堀四丁目〉近江屋権兵衛・〈長堀〉蒲島屋次郎吉・〈梶木町〉天王寺屋伊太郎・〈塩町〉小橋屋利右衛門・〈堂島〉難波屋太助・〈七郎右衛門町〉天王寺屋孫七・〈靱〉天満屋市兵衛・ 〈安堂寺町〉河内屋平右衛門。一、同八千両 〈本町二丁目〉伊丹屋四郎兵衛・〈安土町一丁目〉錺屋忠兵衛・〈淡路町一丁目〉小西佐兵衛・〈堂島〉笹屋勘左衛門。一、同七千五百両 〈長堀〉住友甚兵衛・〈大手〉泉屋甚次郎。一、同【 NDLJP:180】六千両 〈島之内〉吉野五運。一、同五千両 〈玉水町〉島屋市五郎・〈本町五丁目〉扇屋利助・〈木挽北之町〉松尾清兵衛・〈堂島〉大坂屋亮五郎・〈堂島〉桑名屋庄助・〈靱〉万屋伊太郎・〈北久右工門町一丁目〉銭屋長兵衛・〈堂島〉豊島屋安右衛門・〈北浜二丁目〉高池屋三郎兵衛・〈玉水町〉加島屋安兵衛・〈農人橋二丁目〉山本屋伊右衛門・〈平野町一丁目〉・銭屋儀兵衛・ 〈南竹屋町〉橘屋喜兵衛・〈北久太郎五丁目〉・〈天満老船町〉綿屋きく〈代判吉兵衛〉・〈京橋四丁目〉米屋三十郎・〈南久宝寺町四丁目〉 平野屋甚右衛門・〈北浜一丁目〉堺屋市右衛門。一、同四千両 〈金田町〉平野屋宗兵衛・〈南本町一丁目〉柳屋又八・ 〈茂佐衛門町〉亀尾伊太郎・〈同〉増屋利兵衛・〈茂左衛門町〉・左良屋小四郎・〈長堀十一丁目〉伊丹屋勝蔵・〈本町一丁目〉泉屋源兵衛・〈新靭〉万屋仁兵衛・〈南久太郎町三丁目〉布屋安兵衛・〈梶木町〉鍵屋善兵衛・〈新天満町〉神崎屋仁兵衛。一、同三千両 〈安土寺町五丁目〉浮田桂蔵・〈新天満町〉大津屋伊兵衛・鴻池屋千代〈代判〉・〈中之島〉辰巳屋省兵衛・〈上人町〉油屋善兵衛・〈一町堀京丁目〉備前屋得兵衛・〈内平野屋〉日野屋七郎兵衛・〈本靭町〉小西伊兵衛・〈内淡町路町〉大西宗七・〈道修町一丁目〉内田屋宗三郎・日野屋作五郎・〈本町〉布屋甚九郎・〈瓦町一丁目〉米屋分兵衛・〈天満〉吉野屋九右衛門・〈島之内〉銭屋佐兵衛・〈内平野町〉河内屋又兵衛・〈唐物町〉信濃屋勘兵衛・〈梶木町〉白木屋新之助・〈谷町一丁目〉平野屋市郎兵衛・ 〈瓦町浜〉昆布屋伊兵衛・〈南久宝寺町〉小山忠兵衛・大和屋又兵衛・〈道修町〉加賀屋四郎兵衛・長崎屋万次郎・〈内淡路町〉日野屋小兵衛・〈船越町〉米屋喜代松・〈天満樋之上町〉大根屋小十郎・小西甚兵衛・小西卯兵衛・ 〈豊後町〉米屋惣兵衛・〈瓦町二丁目〉米屋太兵衛・大和屋勘兵衛・大坂屋卯之助・〈道修町〉鍵屋利兵衛・伊丹屋十郎兵衛・〈堀ばし〉丹波屋平兵衛・〈玉造〉万屋小兵衛・〈西浜〉平野屋彦助・〈難波町〉松屋嘉兵衛・〈呉服町〉節屋庄右衛門・〈平野町二丁目〉油屋喜兵衛・〈淡路町二丁目〉米屋儀兵衛・〈淡路町一丁目〉米屋虎七・〈四軒町〉堺屋次郎兵衛・〈平野町一丁目〉池田屋卯兵衛・〈道修町二丁目〉鍵屋清右衛門・〈同〉近江屋次兵衛・〈同〉近江屋喜兵衛・〈道修町一丁目〉備前屋九郎兵衛・〈同〉小西屋喜兵衛・〈同〉小西屋喜助・〈同〉近江屋宗八・〈同〉大和屋十郎兵衛・〈南久太郎町三丁目〉泉屋嘉兵衛・〈塩町三丁目〉九屋吉兵衛・〈北久太郎町三丁目〉河内屋六兵衛・〈木挽登町〉平野屋善右衛門・〈北浜一丁目〉小池屋作兵衛・ 〈雛屋町〉天満屋六次郎・〈天満東樽屋町〉・木屋伊兵衛・〈天満八丁目〉桜井屋正兵衛・〈同宮之前町〉大和屋豊三郎・〈代判安次郎〉・ 〈油町二丁目〉田辺屋仁兵衛・〈淡路町切町〉越後屋久兵衛・〈伏見町〉道具屋勝兵衛・〈呉服町〉佐渡屋市兵衛・〈平野町一丁目〉海部屋新兵衛〈内平野町〉河内屋又右衛門・〈堂島〉鳥羽屋善兵衛・柏屋藤兵衛。一、同二千両 〈古手町〉加島屋三郎兵衛・〈上人町〉油屋治兵衛・〈四軒町〉加島屋次郎三郎・〈今橋一丁目〉山本三次郎・〈梶木町〉鍵屋龍三郎・播磨屋九郎兵衛・〈北浜〉肥前屋又兵衛・〈今橋一丁目〉 天王寺屋清右衛門・平野屋作兵衛・〈北浜一丁目〉平野屋九郎兵衛・〈玉水町〉加島屋七兵衛・〈天満〉鹿島屋清右衛門・〈堂島〉堺屋善之助・〈同〉枡屋源右衛門・〈北久太郎町三丁目〉 絵具屋吉兵衛・豊島屋与七郎・〈高麗橋一丁目〉升屋九右衛門出店〈支配人庄右衛門〉・〈同〉蛭子屋八郎右衛門出【 NDLJP:181】店〈支配人伝兵衛〉・〈京橋六丁目〉大鶴屋九蔵・〈同〉米屋三右衛門・〈長堀〉熊野屋三右衛門・〈道修町〉袴屋善兵衛・〈北浜一丁目〉 肥前屋得兵衛・田中屋清兵衛・〈堀江〉 加賀屋林兵衛・〈瓦町一丁目〉 八荷屋弥助・天王寺屋元次郎・ 〈海部堀〉 天満屋甚九郎・〈瓦町一丁目〉鉄屋庄右衛門・〈同二丁目〉川崎屋三右衛門・〈大豆葉町〉貝足屋七左衛門・ 〈北渡辺町〉西村弥右衛門・〈尼ヶ崎町〉井筒屋平次郎・〈京橋一丁目〉塩屋弥兵衛・〈淡路町切丁〉肥前屋丈右衛門・〈折屋町〉小川屋和助・〈中津町〉平野屋彦兵衛・〈鈴木町〉大和屋善兵衛・〈天満市之側〉舛屋利助・〈天満九丁目〉綿屋左兵衛・〈平野町三丁目〉炭屋万兵衛・〈金田家〉象牙屋次郎兵衛・〈呉服町〉節屋庄兵衛・〈堂島〉難波屋覚兵衛・〈堂島〉鶉屋善助・〈同新地三丁日〉大和屋清右衛門・〈茂佐衛門町〉河内屋勘兵衛・〈淡路町一丁目〉大津屋新助・〈南本町三丁目〉河内屋新兵衛・〈天満十一丁目〉福田屋太右衛門・〈立売堀〉泉屋市兵衛・〈安治川南二丁目〉泉屋次右衛門・〈塩町三丁目〉菱屋久兵衛・〈天満旅籠屋町〉伊賀屋半兵衛・〈同〉 伊賀屋宗七・〈吉野屋町〉阿波屋嘉右衛門・〈南堀江四丁目〉伊勢屋次兵衛・〈塩町四丁日〉菱屋藤五郎・〈堂島裏一丁目〉松屋三右衛門・〈南堀四一丁目〉播磨忠兵衛・〈丹波屋町〉梅屋忠兵衛・〈唐物町四丁目〉佃屋茂兵衛・〈菅原町〉長浜屋伊兵衛・〈呉服町〉 舛屋長蔵・〈材木町〉米屋武右衛門・〈桑名町〉小西屋得十郎・〈同〉淡路屋権四郎・〈備後町一丁目〉銭屋宗兵衛〈木挽北之町〉 河内屋次郎兵衛・〈内平野町〉日野屋甚右衛門・〈備後町四丁目〉三田屋得兵衛・〈南久宝寺町三丁目〉小山屋儀兵衛・〈安土町二丁目〉 泉屋庄兵衛・〈白髪町〉新宮屋長兵衛・〈立売堀四丁目〉近江屋熊蔵・〈岡崎町〉阿波屋善右衛門・〈北浜一丁目〉西岡屋五兵衛・〈京町堀一丁目〉阿波屋伊兵衛・〈椹木町〉今木安兵衛・〈薩摩堀〉大和屋権次郎・〈瀬戸物町〉解屋八兵衛・御門町・〈権右衛門町〉 〈町〉解屋安兵衛・〈京町堀四丁目〉宮原屋儀兵衛・〈津村南之町〉伊勢屋利兵衛・〈南浜町〉灰屋平右衛門・〈今橋二丁目〉高木屋五兵衛・〈三郎右衛門町〉具足屋太右衛門・〈樋之上町〉大根屋小兵衛。一、同八千両 〈備後町二丁目〉銭屋佐一郎。一、同四千両 〈尼ヶ崎町一丁目〉竹川彦太郎・〈代判孫兵衛〉・〈備後町四丁目〉丹波七兵衛。一、同三千両 〈塩町四丁目〉小橋屋彦九郎・〈安堂寺町五丁目〉大文字屋弥兵衛・〈島之内〉国分屋弥兵衛・〈北久宝寺町二丁目〉油屋彦兵衛・〈藤右衛門町〉天王屋寺屋利助・ 〈南久宝寺町二丁目〉丸屋伊兵衛・〈安土町二丁目〉銭屋清右衛門・〈堂島〉河内屋善助・〈南久宝寺町五丁目〉谷屋清兵衛・〈大宝寺町〉河内屋小兵衛・〈瓦町一丁目〉太刀屋庄兵衛・〈北勘四郎町〉河内屋拾松・〈上難波町〉山口屋次右兵衛・〈本町二丁目〉布屋市兵衛・一、同二千両 〈島之内錺屋町〉平野屋八郎兵衛・〈北久太郎町一丁目〉柴田徳翁・〈本町一丁目〉銭屋宗兵衛・〈茂右衛門町〉泉屋久兵衛・〈津村北之町〉毛馬屋茂三郎・〈北久太郎町三丁目〉菊屋長蔵・〈天満東樽屋町〉姫路屋吉兵衛・〈南久宝寺町〉糸屋忠次郎・〈立売堀四丁目〉 紙屋喜兵衛・〈内本町〉分銅屋新右衛門・〈備後町五丁目〉塚口屋喜右衛門・〈油掛町〉天野屋五郎左衛門・大川町淀屋清兵衛・〈伏見町〉佐渡屋伊兵衛・〈京町堀四丁目〉辻屋源兵衛・〈浜町〉明石屋九郎兵衛・〈京町堀一丁目〉泉屋三九郎・ 〈平野町三丁目〉川崎屋弥兵衛・〈雑喉場町〉柴屋孫兵衛・〈粉川町〉・播磨屋久兵衛・〈伝馬町〉木屋伊兵衛・〈天満〉檜皮屋平兵衛・〈安治川南一丁目〉播磨屋七郎兵衛・〈天満又治郎町〉小山屋孫右衛門・〈長堀富田屋町〉大津屋作次郎・〈小島町〉堺屋善蔵・【 NDLJP:182】〈北久宝寺町二丁目〉八幡屋市兵衛・〈江戸掘一丁目〉|竹原屋与兵衛・〈高麗橋三丁目〉苧屋吉右衛門・〈北久宝寺町一丁目〉布屋伊兵衛・〈白髪町〉 大津屋三右衛門・〈追手町〉堺屋清九郎・〈助右衛門町〉天満屋利兵衛・〈古川二丁目〉河内屋休兵衛・〈南本町五丁目〉笹島屋平兵衛・〈瓦町二丁目〉桜井屋八郎兵衛・〈納屋町〉大津屋吉兵衛・〈権右衛門町〉荒物屋忠兵衛・〈信濃町〉吹田屋善兵衛・〈幸町一丁目〉木屋利兵衛・〈幸町五丁目〉淡路屋重兵衛・〈雑喉場町〉尼崎屋伝兵衛・〈京町堀二丁目〉紀伊国屋又三郎・ 〈同一丁目〉炭屋大次郎・〈御幸町〉河内屋九右衛門・〈雑喉場町〉大和屋弥兵衛・〈同〉神崎屋平九郎・〈油町三丁目〉銭屋善助・〈四軒町〉紀国屋与兵衛・〈過書町〉尼崎屋勘兵衛・〈南葺屋町〉炭屋五郎兵衛・〈北久太郎町〉大和屋利兵衛・〈中津町〉苅屋清兵衛・〈江之子島東町〉天満屋清兵衛・〈新天満町〉〈新天満町〉古座屋武兵衛・〈伝馬町〉木屋九郎兵衛・〈浄国寺町〉川口屋新右衛門・〈亀山町〉佐渡屋市兵衛・〈石灰町〉銭屋市兵衛・〈同〉塩屋庄作・〈塩町三丁目〉丹波屋利兵衛・〈西高津〉和泉屋源兵衛・〈同〉仏具屋喜兵郎・〈金田町〉丹波屋与三兵衛・〈金田町〉丹波屋孫兵衛・〈安堂寺町三丁目〉同次兵衛・〈藤屋町〉神崎屋善兵衛・〈西信町〉赤穂屋喜兵衛〈斎藤町〉淀屋金兵衛・〈油町二丁目〉布屋市右衛門・〈湊橋町〉綿屋清八・〈内平野町〉河内屋与三郎・〈南久太郎町三丁目〉銭屋伝兵衛・〈同五丁日〉松葉屋喜兵衛・〈塩町一丁目〉伊賀屋利兵衛・〈同〉河内屋次兵衛・〈上難波町〉松屋善兵衛・〈新戎町〉田中屋重兵衛〈同〉油屋長兵衛・〈同〉同長右衛門・〈新大黒町〉大根屋儀兵衛・ 〈鱣谷二丁目〉大和屋又兵衛・松原町酢屋金三郎・〈南紺屋町〉奈良屋喜右衛門・〈阿波橋町〉三田屋宗兵衛・〈北久宝寺町三丁目〉銭屋安兵衛〈・奈良屋町〉松屋四郎兵衛・〈安土町一丁目〉広屋得兵衛・〈玉沢町〉明石屋庄右衛門・〈石津町〉阿波屋卯兵衛・ 〈高麗橋一丁目〉西村屋七郎兵衛・〈塩町三丁目〉中井屋岩之助・〈鰹座〉岩田屋喜兵衛・〈豊後町〉広屋又兵衛・〈高橋町〉平野屋市五郎・〈北堀江三丁目〉炭屋弥吉・〈伏見町〉加島屋喜助・〈備後町三丁目〉布屋利兵衛・〈安土町三丁目〉丸田屋専蔵・〈堂島舟大工町〉天満屋庄助・〈堂島裏町三丁目〉神崎屋源助・〈道修町三丁目〉備前屋弥兵衛・〈北久太郎町三丁目〉近江屋卯八・〈西高津町〉木綿屋五郎兵衛・〈西高津町〉同源左衛門・〈南久宝寺町三丁目〉平野屋五郎兵衛・〈平野町一丁目〉日野屋長左衛門・〈天満伊勢町〉茶屋吉右衛門・〈□屋町〉明石屋庄五郎・〈立売堀三丁目〉灰屋忠兵衛・〈南瓦屋町〉瓦屋九八郎・〈宇和島町〉米津屋正三郎・〈幸町四丁目〉島屋嘉兵衛。 〆軒数三百七十五軒、金高二百十二万六千両
〈今橋一丁目〉天王寺屋五兵衛・〈瓦町一丁目〉炭屋善五郎・〈高麗橋三丁目〉油屋竹之助・〈梶木町〉舛屋平右衛門・〈舟町〉助松屋忠兵衛・〈今橋〉松屋新次郎。〆
右金高被㆓仰付㆒無㆑之候へ共、御用相勤度候はゞ、成丈け出精上納可㆑致候。
〈泉町〉鴻池屋新十郎・〈立売堀〉遠江屋休兵衛。
右先達て御呼出しに相成り、御用金申付け候ても、他借致し相勤候ては、御趣意に振候に付、御用相勤度候はゞ、成丈け出精被㆓仰渡㆒候処、此度改め二千両被㆓仰付㆒候趣、【 NDLJP:183】〈高麗橋三丁目〉三井元之助代判義兵衛(〈以上七月廿二日・廿三日・八月六日其後追々六度に被仰付候軒数也〉)
右御用金と申不㆑被㆓仰付㆒候へ共、献金可㆑致旨被㆓仰渡㆒候事。
九月十一日追て被㆓仰付㆒候分
一、金二千両宛 〈南問屋町〉亀屋善兵衛・〈安堂寺町二丁目〉丹波屋忠兵衛・〈尼崎町二丁目〉米屋亮右衛門・〈舟町〉塩屋六右衛門・〈新天満町〉仁和寺屋宗兵衛・〈南勘四郎町〉河内屋佐兵衛・〈天満宮前町〉綿屋利八・〈綿屋町〉丹波屋仁兵衛・ 〈天満堀川町〉佐野屋喜右衛門・〈会根崎新地〉近江屋万助・〈天満堀川町〉木屋伊右衛門・〈本靭〉伊賀屋兵衛・〈高二〉越後屋藤兵衛・〈淡二〉越後屋重兵衛・〈津村東の町〉河内屋五兵衛・吉文字屋五兵衛・〈新靱〉神崎屋惣兵衛・北国屋八兵衛・南部屋清右衛門・〈新天満〉和泉屋勘兵衛・助松屋伊太郎・今増屋市兵衛・〈信濃町〉備前屋市兵衛・〈麹町〉天王寺屋安右衛門・〈玉沢町〉布屋七兵衛・〈淡二〉錫屋正兵衛・〈助右衛門町〉天満屋清右衛門・ 〈藤右衛門町〉浮田屋善兵衛・〈中筋町〉西村屋愛助・〈瓦町二丁目〉百足屋虎吉〈代判由兵衛〉・〈同一丁目〉近江屋八右衛門・〈平二〉内田屋半兵衛・〈南本町三丁目〉奈良屋善兵衛・大庭屋清兵衛・和泉屋善兵衛・〈南本町四丁目〉河内屋半兵衛・〈京町堀二丁目〉□ 屋清三郎・〈初瀬町〉蕗屋平兵衛・〈北勘四郎町〉松屋太兵衛・〈幸町四丁目〉石見屋吉兵衛・〈源左衛門町〉播磨屋仁兵衛・ 〈南堀江三丁目〉丸屋清蔵・〈同二丁目〉雑喉屋定次郎・〈北久太郎町二丁目〉利倉屋与兵衛・〈南久宝寺町四丁目〉河内屋利右衛門・〈阿波座堀町〉 讃岐屋八兵衛・〈南久宝寺町四丁目〉黒川屋三右衛門・〈同〉鍵屋半兵衛・〈北久太郎町〉紀伊国屋弥兵衛・〈長堀十一丁目〉江戸屋七兵衛。〈長堀平右衛門町〉土佐屋善七・〈安治川上一丁目〉木屋市三郎・〈安治川北一丁目〉小西屋新六・〈和泉町〉鴻池屋彦三郎・〈伏見町〉平野屋安兵衛・〈南問屋町〉綿屋重五郎・〈同〉吉田屋仙右衛門〈同〉河内屋半兵衛〈同〉京屋九兵衛・〈京橋六丁目〉米屋又兵衛・〈綿袋町〉山田屋武兵衛・〈桜町〉松屋儀左衛門・〈同〉豊田屋卯右衛門・〈宗右衛門町〉京屋源兵衛・〈天満地下町〉大和屋喜兵衛・〈同河内町〉元次屋仁兵衛・〈茂左衛門町〉和泉屋元之助〈代判喜蔵〉・〈新靱〉吹田屋六三郎・〈海部堀川町〉加賀屋惣右衛門・〈元伏見坂町〉伊勢屋平蔵・〈北久太郎町三丁目〉河内屋久右衛門・〈雛屋町〉鍵屋惣七・ 〈玉造菱屋町〉蛇草屋久兵衛・〈小西町〉田中屋新右衛門・〈ばくろ町〉河内屋善兵衛・本町鈴鹿屋九郎兵衛・〈天満小島町〉松原屋喜兵衛・〈同〉中島屋長兵衛・〈北久太郎町五丁目〉大和屋源右衛門・〈海部堀川町〉佃屋五兵衛・〈同〉近江長兵衛・ 〈阿波町〉金屋長次郎・〈淡路町一丁目〉近江屋平兵衛・〈本町二丁目〉小沢屋新六・〈同〉布屋新三郎・〈同〉大菱屋平右衛門・〈同〉金平野屋源兵衛・〈富田町〉伊丹屋代之助・〈白髪町〉佃屋楠太郎〈代判弁吉〉・〈立売堀西の町〉和泉屋かな 〈代判市兵衛〉・〈新難波東の町〉辰巳屋喜七・〈幸町二丁目〉大和屋勘兵衛・〈北堀江三丁目〉丸屋喜兵衛・〈同〉紙屋万兵衛・〈西高津町〉泉屋金兵衛・〈同〉銭屋林兵衛・〈南瓦町〉村来屋徳兵衛・〈長堀治郎兵衛町〉泉屋善衛兵・〈茂左衛門町〉小堀屋武兵衛・ 〈南久太郎町三丁目〉平屋屋兵衛〈宗右衛門町〉紙屋吉兵衛・〈南畳屋町〉山田屋八兵衛・〈同〉同国三郎・〈錺屋町〉近江屋嘉兵衛・【 NDLJP:184】〈九郎助町一丁目〉銭屋仙助・〈塩谷町二丁目〉奈良屋治兵衛・〈追手町〉山口屋吉兵衛・〈同〉苧屋利兵衛・〈西高津新地八丁目〉紀伊国屋又兵衛・〈九之助町二丁目〉大和屋吉兵衛・〈西高津新地九丁目〉大国屋新兵衛・〈相生東町〉荒物屋治右衛門・〈南ぬしや町〉竹葉屋安兵衛・〈安堂寺町四丁目〉仏具屋安兵衛・〈同〉紀伊国屋佐助・〈東町〉藤屋平兵衛・〈北堀江〉田中屋栄三・〈同〉阿波屋伝次郎〈代判清三郎〉・〈塩町二丁目〉綿屋小四郎・〈橘町〉亀屋善兵衛・出口町・河内屋七兵衛・〈浄国寺町〉河内屋茂兵衛・〈上難波町〉沼田屋仙助・〈南久太郎町二丁目〉・〈長堀四郎兵衛町〉灘屋安五郎・〈同〉備前屋嘉兵衛。
〆百二十六人 金数 二十五万二千両
右の外にも百二十人、九月二十六日に至り召出されて、二三千両づつの御用金を仰付けられしと云ふ事なり。御用金も大抵先達て迄にて相締りぬる様子なりしに、素生なき者共の幸を得て、近頃成り上りし町人共、御用金被㆓仰付㆒し町人共と面を連ね、身柄なる様に思はれんと名を貪り、身を高ぶらんと思へる心よりして、私も二千両・三千両の御用承りたしと申出ぬる者両三人、又百両・二百両・三百両・五十両三十両等の献金せんとて申出でし者も、十余人有りしと云ふ。之に依りて御奉行より総年寄共へ、斯様に御用金を差出せる者共の之有る事なるに、夫々へ申付けざる段不行届不取調故なり。篤と相調べ可㆓申付㆒由との沙汰なりしにぞ、早々総年寄共より、町毎に年寄共を呼出し、其方共一町限りに御用金差出せる程の身上の者、一々申出しぬる様にと厳しく申渡されしにぞ、身上不如意にして、内外に借財あれども、たゞ表を張りて外見を取繕ひ、不恙なる身上なる者共外見に依りて、其名前を書出され、或は平日町入用杯の事には、厳しく取締をなして、会所などの私なり難きによりて、其人を名指して申出で、大に迷惑なさしめし類などあつて、騒々しき事なりしが、御用金掛り羽倉外記、江戸表より急の御召にて出立せし故、夫れ切になりしにや、世間にて騒々しき取沙汰も少しは鎮まれる様になりしかども、何分にも陰気なる事のみにして、諸人薄氷を踏める如き様子なりし。
【御用金の減額を請願す】御用金仰付けられし者共、何れも大に困窮し仰付けられし高にては、一統に調達相成り難き事故、皆々減少の儀願ひ出でしと云ふ。先づ鴻池屋善右衛門は、大塩が為に焼払はれしを申立てにて、金四万両にて御聞済被㆑下候様申出で、加島屋久右衛門には、其難も無㆑之何等の申立ても無㆑之故、鴻池よりは五千両ふやして四万五【 NDLJP:185】四万五千両の調達にて御聞済の事を願ひ、加島屋作兵衛は二万両にて御用捨被㆑下候様と相歎き、島屋市兵衛は銀五百貫目にて御聞届被㆑下候様にと申出でしと云ふ。浪花に於て至て上分なる処の豪家すら如㆑此事にして、諸商人は不㆑及㆑申、出入の召遣ひ迄出入を差止め、大に其家々を取締ぬる程の事なる故、何れも其家々へ出入せる者共は、暴に家督を失ひし如くにて、何れも途方にくれて大に困窮せる様子なり。豪家すら斯る有様なれば、其余は押して知るべき事なり。中には二万両の御用金を被㆓仰付㆒、二千両も調ひ難く、困苦に迫れる者など少なからざる事なりといへる噂にて、市中一統至て物淋しく、田舎なる在町にも異ならず。然るに八月二十六日に至り、総年寄より市中一統へ口達書を以つて、申渡し左の通り、
御新政の難㆑有儀は、追々の被㆓仰出㆒にても相弁可㆓罷在㆒、殊に今度御用金被㆓仰付㆒候に付、御口達書の趣尚又右御用被㆓仰付㆒候者へ、御逹し次第も承り、弥々難㆑有可㆑奉㆑存。依㆑之被㆓召出㆒御用金被㆓仰付㆒者の外にも承り伝へ、恐多も奉㆑助御徳意を為㆓冥加㆒御用の端にも加り度く存居候者も可㆑有㆑之、最早御呼出被㆓仰付㆒候儀は無㆑之候間、右に相洩残念に存候者も難㆑計候間、右様の向は本人、又は年寄より、此方共手前に其旨可㆑被㆓申出㆒候。先月被㆓仰出㆒候御口達書の趣、再応致㆓熟読㆒候様於㆓町町㆒、見計を以、年寄より可㆑被㆓申聞㆒候事。
卯八月
右は卯八月二十六日、南組総会所にて、通達町々年寄へ総年寄中より被㆓仰渡㆒候旨、当番酒部町より通達付来候事。
此度御用金被㆓仰付㆒候処、御召出に相洩候向、可㆓申出㆒儀不案内にて差控居、存立の儀も空敷相過候は残念の事に候。土金等の儀聊不㆑及㆓遠慮㆒可㆓申出㆒候。此方共日々西寄合所へ罷出居候間申出候者は、同所へ罷出可㆑申旨被㆓申聞㆒、御国恩を奉㆑存候者、本意相達候様心得を以、取計遣可㆑被㆑申候事。但し此度御用金相勤、又は上金等仕候者は、五街道御救に付ての上金は相除可㆑申候。
卯八月二十九日 御用掛総年寄
此書付を見る者、毎に腹を抱へて笑はざる者なし。公儀へ対しては、恐入るべき事【 NDLJP:186】なれども、諸人真実に難㆑有とは思はざる様子なり。何分にも未だ難㆑有功能一つも身に覚え候事無き事故、愚なる者共の腹を抱へて難㆑有からざるも、一理なきにしもあらず。
御用金被㆓仰付㆒候者、先月二十五日限りにて新に御呼出は無㆑之旨御達置き候。然る処御呼出無㆑之以前に、御用金御差加の儀願出で、又は上金申出で候者、此節日々罷出て候処、右呼出洩れ又は身元左程にも無㆑之候へ共、御国恩を奉㆑存、御用金に加り度く申立て候儀及㆓遠慮㆒、御呼出に相成り候を相待ち居り候者も有㆑之由、右は前以つて御取調相済有㆑之者の外は、此節罷出で候様達は無㆑之候間、若し相洩れ候ては残念に存じ、且金高申出で候ても、其上増方等致し候儀と及㆓懸念㆒候向も有㆑之哉、銘々志の限り申立て候儀に候へば、右様の懸念に不㆑及、此方共へ向ひ、書面差出し候様可㆑致候。御呼出相成り候を見合せ、外聞等を憚り差控へ候は、本意に無㆑之、最早追々御調済に付、御用金差加り度く、又は上金等の申立の向は、来る十七日頃迄面寄会所へ書付を以て申出候様、各より可㆑被㆑達候。折角冥加を存じ、差出し度き志に候者、其儘差控へ候内には、跡越に相成り、申立て候期を過し候へば、存意も空しく相成り、残念の至りに候。斯様に申立て出来候事は、不㆓容易㆒儀に候条、不㆑懸㆓本意㆒者無㆑之様に、厚く取計らひ可㆑被㆑申事。
卯九月 御用掛り総年寄
【御用金出精を賞美す】一、此度厚き御趣意有㆑之、富商共へ御用金被㆓仰付㆒候処、銘々身上に応じ勤高格別出精御受致し、又は追々御用金へ御差加へ、或は・上金等願出で候者も不㆑少、夫是の励合ひを以て、莫大の御用途高速に相纒まり候段、全く御国恩の難㆑有儀は弁へ及㆓丹誠㆒候事と、別て奇特の至り、右体一廉の御用金相勤め候方、其身の規模は不㆑及㆑申、土地一体の美目にて、夫々所役人共に於ても、心添へ行届き候故の儀一同令㆓賞美㆒候。
一、右御用金の儀は、銘々手元蓄積の金子を以つて相勤め候御趣意にて、其上年割、上納等の儀も願の通り聞届け遣し候上は、何共差繰り致し易く、旁々平世の融通に響合ひ候儀更に無㆑之事に付、追々納め時節に至り、何かと浮説申出て、右に乗じ【 NDLJP:187】諸商売、又は金銀取引筋等手縮み候儀抔有㆑之候ては、不融通の基にて、御趣意にも相触れ、以ての外の事に候、右の儀無㆑之様厚く致㆓勘弁㆒、倹素其外心得方等の儀は、先達て以来追て相触れ候通りさへ相守り候へば、諸事分外に不㆑及、遠慮正路を以つて商売筋等弥増し、及㆓繁昌㆒候様可㆓心掛㆒、尤御用金取調も最早相済み候間、其旨可㆑存。右の通り三郷町中不洩様可㆓申通㆒候事。
閏九月十五日
天文台より御届に相成候大略
当月七日の初昏、西南の方に当り、其幅一度半〈一尺五寸〉、長さ四十度余の白気の如き物相見え申候。尤も四日・五日頃よりも少々雲間に見え申候へ共、聢と見極も仕兼ね候処、翌八日の夜長さ五十度に亘り相見え申候。連夜同様に相見え候上は、全く彗星の芒光にも可㆑有㆑之と奉㆑存候。併し地下何程有㆑之候哉難㆑測奉㆑存候へ共、先づは七十度余りも可㆑有㆑之と評議仕り候 一体彗星の儀は、近来西洋にて測験仕り候て、別に一種の行環有㆑之儀にて、其種類数多候へ共、先づ予め推測出来仕候星故、妖星と申す訳には無㆑之と奉㆑存候。既に去る明和六年七月相見え候彗星は、長さ八十度に亘り、芒光も両尖に相見え候。至て異様の形状に候得共、別段兆応も無㆑之儀に御座候。但し漢土には周・秦以来殊の外凶兆の者にも、亦は除田敷新式五色に付けて、兵乱・水火災・大臣の患・大臣専権、種々の古文有㆑之候。西洋にては往古は十二望の位次より、其意も品々有㆑之候由、古き暦書に相見え申候へ共、已に近来咬羅巴航海暦の冐蝕同様、彗星の元状を記し候上は、一種の寄星と申す迄に御座候
天保十四卯二月九日
歌仙こは昨年の事にて、専ら江戸にて言囃せし事の由なれども、之を見しは、此節の事なる故、此処に記し置きぬる故に、昨年の処へ記し置ける晒落文と交へ見るべし。
松青し告げごと栄ふあけの春 成島 四方の長閑は改鶴の声 御 千町田と終にや爰も
天軒慎 地名漬 潜世穏 前町下 真下札 家主窮 運上止 樽代歇
上懸触 株困痛 身平禁 地懶準 新借集 酌寺歓 役諸安 日通弁
貸金弱 胴取迯 唐人聘 賤用足 古強出 銀愁癈 町悦巌 諸好倹
儒粋卑 問酒多 結娘瓜 読定行 芸者追 茶屋没 女成男 戯書衰
役女尊 明現休 甲婦綿 経改盛
社新出 法越治
旧地寂 毎度慎
替喧聘 急無立
【 NDLJP:189】 浮世の有様巻之十終この著作物は、1925年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)70年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。
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