浮世の有様/6/分冊1
天保十一庚子年十一月十九日、仙洞様崩御遊ばされ、同十二辛丑年閏正月晦日、江府に於ても大御所家斉公薨去し給ひしにぞ、諒闇・御中陰・御葬等の事を書記しぬるに、寛延以来主上・仙洞・大樹・大御所・御台様等諒闇薨去等の事を、聊か書留め置きしにぞ、之も兼ねて心得べき事なれば、爰に書添へて置きぬ。然るに此度は、大御所薨去し給ひし後、不日にして之まで姦悪なしぬる奥女中・諸役人等を追ひ退け給ふにぞ、種々の風説あり。大御所の御骸上野へ入らせられしも、感応寺の一件も、川越の欲心よりして所替の騒動を引出せしも、皆悉く姦臣と奥女中と心を合せ、此者共の姦計なることは、口なけれども天人をして之を言はしめ、其外にも浮説酒落文等にても其事を知りぬべし。御政道も正しくして、斯様の騒動もなく、下の奢有らざれば、此度新に厳重なる改革の御沙汰も有るまじき事なれ共、之迄賄賂に依りて諸株を【 NDLJP:7】も許され、物を〆売りして其身を利し、奢を放にせられしも、皆夫より所あるが故なるべし。之に依りて実脱浮説酒落文等をも、予が聞きたる限りを書添へしかば、思はず紙数も増して、量らざるに大巻とはなりぬ。此巻九の下と記しぬれども、上巻より始めの事を書記せしこと多し。故に上巻天保十一庚子年已下と混じ見るべし。然らざれば、事の前後せしも多く有りと知るべし。故にその事をこゝに断り置きぬるものなり。
天保十一庚子年十一月十九日暁、仙洞様崩御。同十二月廿日夜御葬式、泉涌寺へ御行列之次第
【仙洞御所葬式の行列】〈町奉行〉本田筑前守与力・同心・下雑色・同・上雑色・御付紋付高張・箱灯灯・与力・同心・下雑色・同・上雑色・同 ・箱灯灯・同心・同心・同心・箱灯灯・同心・同・箱灯灯・同・箱灯灯・同心・同・同 ・同・ 小頭同・与力自分紋高張・箱灯灯・与力・御随身・小頭同・同 同 ・同 ・同 ・同 ・鈴木左近将曹・村雲右近将曹・田中左近番長・村田左近将曹・渡邉右近府生・三宅府生・下北面・山本右近将曹・鈴木右近府生・藤木番長・同 ・ 松波右衛門少府・姉小路右衛門少府・速水右衛門少府・山形左衛門少府・細川左衛門少府・三上右衛門大府・藤木右衛門少府・堀川右衛門大府 ・岡本右衛門大府・松波右衛門大府・岡本左衛門少府・岡本右衛門少府・ 藤木河内守御煎・正親町中将・焼香者・院蔵人・北小路勘解由次官・ 御煎・六条中将 ・同 ・同 ・松室右衛門権丞 ・上北面・松宮豊前守・藤木刑部大丞 ・庁官・同 ・松尾日向守・橋本民部権少輔・同 ・ 渡辺近江守 ・童子・同・初川宮内大丞・童子・同・牛・同・同・同・同・牛・御車・同持・榻持・同同持・榻持・同・御附小笠原安芸守 与力同心・御附大鳥丹波守与力・雨皮持取次・主典代・土島左近少府 ・院所衆・大石大監物 ・召次・同心・掛竿持取次・主典代・井上左衛門少府・院所衆・佐々木刑部大丞・召次・ 小山右近将曹 ・内藤隼人正 ・右番長一行石川右衛門大府・飯室左衛門大府・左番長 二条左大臣・近衛内大臣・大炊御門前内大臣・花山院右大将・日野前大納言・万里小路前大納言・鷹司左大将・一条大納言・冷泉民部卿・四辻前大納言・鷲尾前大納言・飛鳥井前大納言・葉室中納言・藤谷中納言・橋本中納言・九条中納言・高倉中納言・日野西前中納言・綾小路宰相・六条宰相中将・冷泉左衛門督・万里小路左大弁宰相・久世前宰相・高松前宰相・倉橋刑部卿・豊岡大蔵卿・武者小路三位・東久世三位・徳大寺三位中将・西洞院三位・風早三位・高野三位・大原三位・外山三位・錦織治部卿・町尻三位・高倉三位・広幡三位中将・殿上人日野西四位・清水谷少将・唐橋少納言 ・藤谷中将・同 三条西中将・橋本少将 ・西四辻右衛門佐・園少将 ・ 倉橋右馬頭 ・風早少将 ・平松安芸権守・高松備中権守 ・高野左衛門佐・千種大夫・花園丹波権介・萩原遠江権介・裏松弁 ・三室戸右衛門佐・長谷美作権介・梅渓大夫・細川新蔵人・非蔵人大西土佐・松室備前・同大賀尾張・松尾武蔵・ ・ 大西伊豆・ ・吉田安房同泉亭上野・松室越中・ 東辻信濃〈所司代〉牧野備前守・〈御目附〉佐々木三蔵・〈御目附〉 山口采女・〈町奉行〉芝田日向守、
押右各御供略㆑之。尤総人数凡壱万人、酉上刻御出門、同暁寅泉涌寺へ入御。御道筋は堺町御門出御にて、三条を寺町五条の橋を東へ、伏見街道を南へ、泉涌寺へ入御あ【 NDLJP:8】らせらると云ふ。
所司代には三条寺迄御供を致し、夫れより三条を東へ馳せ抜け、五条橋の東へ到り、此処にて御待受けをなし、是よりして御先をなして泉涌寺に到ると云ふ。
御送葬の日よりして三七日の間、天子囲盧に籠らせ給ひ、供御は白粥を召上られ、御菜には焼塩・梅干計りにて物忌をなし給ひ、紺紙に金泥を以て、光明真言数百枚を御宸筆にて書せられ、是を黄金の宝塔に納め給ひ、正月十二日には三七日に当らせ給ふにぞ、大仏妙法院宮を召させられ、是を供養し給ふ其式左の如し。〈此法式を沙法院宮至つて秘し給ひて、之を他に洩らし給はぎりしを、好事の人種々心を尽して其宮の臣下真所何かしより手に入れしを、予は密に借りて写し置きぬ。〉
天保十二年辛丑正月十二日、於㆓旧院弘御所㆒光明真言供養次第
先公卿着座、次御導師参堂、次衆僧参堂、次門前酒水、次御導師着㆓仮座㆒、次有職参進置㆓法具㆒、次御導師登㆓礼盤㆒、次前方使、次総礼、〈衆僧起居礼三反、〉次唄師発音、次殿上人賦華籠、次散華〈有㆓対揚㆒、〉次御宸筆光明真言〈供養、作法、〉次啓白、〈此間殿上人斂㆓華籠㆒、〉次供養文、次唱礼、次驚覚、次九方便、次発願、〈取次第〉次五大願、〈五大願畢助修念珠発音〉次入行法、次振鈴、次甲四智、次五悔、次仏名取㆓如意㆒、次教化取㆓如意㆒、次随方囘向、次御導師下㆓礼盤㆒、次賜㆓布施㆒、次撤㆓御導師之布施㆒、次衆僧出堂、次有職参進持㆓法具㆒出㆑堂、次御導師出㆑堂、次公卿退出。
右
御導師、妙法院宮二品教仁法親王 山門僧正・衆僧之徒
同閏正月廿七日山陵使発遣行列之書
【山陵使の行列】〈太上天皇、御諡号光格天皇と称奉る〉六門並雑色等前後警固、太政官直丁代・持楉・太政官直丁代・持楉・御幣櫃〈担夫二人荷之〉・雑給幤〈担夫一人肩之〉内舎人居飼神原中務少録・ 信董 ・騎馬難色白丁舎人・同 ・藤堂左馬大老・中原景恕騎馬・雑色白丁・同 ・内堅〈舎人渡辺主計助〉・珍賞朝臣騎馬・雑色白丁・同 ・誅策命使兼奉幣使・六口定番先払・素襖・走雑色・同同 ・素袍・同 ・同前駈傘・同同同同・〈居飼種田〉 和泉守貞行・雑色同・居飼信濃小路民部少輔季重騎馬雑色同・居飼牧式部少輔義備雑色同・居飼高橋兵庫頭俊璹朝臣騎馬・雑色同居飼高橋兵部大輔俊彦朝臣騎馬・雑色同・上田左番長源定衛騎馬舎人同長官鷹司左大将殿騎馬侍同・職部佐紀直温左兵衛大尉穂積重弘・居飼舎人長・近衛同同近衛同 ・傘雑色長・水口左近府生・身部清胤 上品雑色・同同同・下品雑色・同同同・待従者・郎等同 ・同同同・同 ・同同同・待従者・同 雑色・雑色長従者・郎等同・素襖同・同 ・番長従者 ・同 ・素襖同・扈従殿上人・舎人西四辻 右兵衛佐公路朝臣騎馬随身同・小舎人童・雑色同・白丁雑色同・白丁傘・舎人藤谷左近衛権中将為知朝臣騎馬【 NDLJP:9】・小舎人童・随身同・雑色白丁随身同・雑色白丁・傘・次官・正親町三条右近衛権中将実愛朝臣騎馬舎人・随身同・小舎人童随身同・小舎人童 雑色雑色・同同同同同同・傘・舎人・諸大夫・周防守藤原範胤騎馬・雑色同雑色同・傘・誅人兼諸陵使・走・雑色・走・雑色・舎人・弁侍・三崎大舎人大属源時習騎馬・雑色舎人・右客掌・峯式部少丞紀親成騎馬・雑色舎人同 同 ・東防城 右大弁・騎馬・雑色同同同雑色同同同・傘・走走舎人・久世右近衛権少将通熙朝臣騎馬舎人・随身同・小舎人童雑色同同同小舎人童雑色同同同 ・白丁白丁・同同・傘・舎人諸大夫騎馬・雑色雑色傘舎人・侍騎馬郎等走同・広橋侍従胤保騎馬内大臣殿御馬 ・内大臣殿御厩舎人同 居飼・小舎人童同・同同同同・下品雑色同下品雑色同・関白殿御随身水口右番長・身人部清広騎馬・仲間郎等・侍騎馬・仲間郎等・郡行
詔 諡者徳之表行之迹、周家之遺訓、我国之旧典也。仰以太上天皇、叡哲温恭、以御㆓万民㆒、清粛厳黙、以臨㆓四海㆒。不㆑治而人自化、無為而事寔成。履㆓唐尭之典㆒星辰軌㆑道行㆓虞舜之政㆒、風雨順㆑時上下平章、咸歌㆓臨雲之慶㆒、華夷協和、倶承㆓就日之輝㆒、於㆑是蔑㆔物不㆑得㆓其行㆒靡㆓人弗_㆑蒙㆓其恩㆒。蕩々仁化溢㆓於四表㆒、宣㆓上大号㆒以旌㆓盛徳㆒、雖㆓礼文之久闕㆒奈孝思之無㆑已〈[#直前の返り点「レ」は底本では返り点「一レ」]〉、爰上㆓尊諡㆒、恭称㆓光格天皇㆒。庶幾伝㆓大名於万代㆒、与㆓乾坤㆒以長施、揚㆓茂実於千秋㆒与日月而久照。普告㆓天下㆒陣㆑知㆓朕意㆒主者施行。
天保十二年閏正月廿七日
大宮御所称㆓奉新清和院㆒、女院・四条院以来奉㆑葬㆓泉涌寺㆒。山陵之事中絶、今度山陵使御再興。天皇号之事、年久御中絶、皆院号を授け奉らるゝの処、今度天皇号・御諡号、山陵使を立てさせらるゝ事、復古の御時節、山陵使の官も定めて此後は立てさせらるゝことなるべし。
【光格天皇と高松公祐】高松公祐卿には、分きて仙洞様の叡慮に叶はせられて、常に御側に侍従し給ひ和歌をよみ給へば、宸筆を染めて之をなほさせ給へる事など常の事にして、恩遇他に異なりしに、此度崩御あらせられし事なれば、哀傷に堪へ給はず、御所に於て御尊棺へ関白を始め、公卿・殿上人に至る迄御焼香あらせられし時、此卿ばかりは泣伏して居給ふにぞ、殿下より、「公祐は如何なれば御焼香を致されざるや、」と仰せられしにぞ、其答に、「常に御側に伺候して、恩遇を蒙れる事の有難かりしを思出しにぞ、悲しみに堪へずして、覚えずしてかくの仕合なりし」とて、直に焼香し給ひ、其座に於て歌九首をよみ給ひて、これ臣が今生に於て歌の詠み納めなり。歌を考ふるについて【 NDLJP:10】は君の恩遇の深かりし事の思出でられて、恋しき事絶ゆる事なく、涙に噎びて言葉も出で難しとて、涙を拭ひつゝ、
【公祐の詠歌】かしこくも心にうけしつかひまでいふべくもなく悲しかりけり
愚なるおいがことばも今よりはいかでか君にきこえあげまし
今よりはいかなるつてに聞えあげん残るもかなし老が一とこと
君がめぐみ七十年ちかし大かたの悲しき事の限りなりける
喜御が恵み七十年近しかり衣なみだに添へて末つきあまさん
万代もまつはと思ひしおこたりを思ふも今はくいのやちたび
いとけなきかむりをかけておほけなき恵みを今はいかゝ報はん
むくふべき道をも知らで愚なる身のおこたりをいかにとぞせん
いとまめてつひの御幸に顧みては仕へまほしやなむ阿弥陀仏
かやうに即座にしてこれを詠み終り、之ぞ臣が一生のよみ納めなりとて、伏沈み給ひしにぞ、殿下を始め公卿何れも感涙を催されしといく此歌叡聞に達せしかば之をあはれに思召され、上皇の御棺の内へ之を納められしと云ふ。有難たき事と云ふべし。〈右の外殿下を始め諸司・百官、御追悼の歌限りつなき事にして、悉く之を記すときは、数巻に及びぬることなれば、その紙数の多きを厭ひて之を略す。〉下に記せる三首の和歌は地下人の読みしなり。中にも及びなきの歌は、町家の女子十四五歳計りの者のよみたるなりと云ふ。
天か下しぼらぬ袖はなかりけり大内山の峯のしぐれに
秋春のいでましどころ道かへてこは何処へか御幸なるらん
及びなき雲の上なるなげきには天が下にし濡るゝそでかな
御中院中、洛中・洛外二町毎に自身番詰所を構へ、昼夜とも町人共之へ詰め、至つて厳重の事にして御停止を相守りしと云ふ。されども大御所の御停止に比すれば、至つて手軽きことなりしと云へり。〈大御所の御停止には、一町毎に自身番所を構へ、何事も之に準じ至つて厳重なることなりとて、種々の風説をなせしなり。〉 諸司代を始め御附町奉行、其外諸侯の蔵屋敷等、正月に門松・七五三飾をなし、伝奏より御察当を受けしと云ふ。斯様のことにても其緩かなるを知るべし。
大阪の御触
【 NDLJP:11】仙洞御所去る十九日崩御の旨申来り候間、今日ゟ重て差免候迄は、町中物静に仕り鳴物停止、道頓堀其外諸芝居并普請可㆓相止㆒候。弥〻以て火の元等念を入れ可㆑申候。公事訴訟聞候義も差延べ候。右の趣三郷町中可㆓触知㆒者也。
天保十一年子十一月廿二日 石見伊賀
右御触書の趣慥に奉承知候已上。 北組惣年寄
覚
一、普請の儀明廿六日より差免し候事。一、明後廿七日より公事訴訟可㆑令㆓載許㆒候事。
一、鳴物の儀は、追而可㆓差免㆒候事。
子十一月
右の通り被㆓仰出㆒候間、町々末々迄不㆑洩様入㆑念可㆓申付㆒候。
右御触書の趣奉㆓承知㆒候。 北組惣年寄
覚
一、鳴物停止の儀、明三日より差免し候事。
十二月二日
右の通り被㆓仰出㆒候間、町々入㆑念可㆓相触㆒候、已上。
子十二月
右御触書の趣慥に奉承知候。 北組惣年寄 【寛政の御触】
附
覚
仙洞御所、昨廿三日崩御の旨申来り候間、今日より重而差免候迄は、町中物静に仕り鳴物停止、道頓堀・安治川堀江・曽根崎新地・芝居、并普請可㆓相止㆒候。弥々以て火の元等念を入れ可㆑申候。公事訴訟聞候儀も相延候。
右の趣三郷町中可㆓相触㆒候。
寛延三年午四月廿四日
御口上にて御仰出の覚
此節は火の元の儀、別に入念用心等厳敷く仕り、盗賊の沙汰も無㆑之様に相心得、随【 NDLJP:12】分町物静に可㆑仕候。所々にて子供いかのぼりをのぼせ候儀、此節は堅く致させ間敷候。心得違有之候ても難儀可㆑致候間、借家末々迄も入念可㆓申聞㆒候事。右の趣銘々承知の上、借家へは家主より入㆑念、裏借家末々の者迄可㆓申聞㆒候。尤も此節常に心を付け可㆑申候。已上。
四月廿四日 年寄
覚
一、鳴物の儀、明八日より差免候事。
午五月七日
右の趣被㆓仰出㆒候間、町内可㆑被㆓相触㆒候。尤も御口上にて被㆓仰渡㆒候は、明朝より御差免す事に候間、今夜中は相慎み、心得違ひ無㆑之様可㆑仕旨、被㆓仰出㆒候。末々迄入念可㆑被㆓申付㆒候。已上。
五月七日 北組惣年寄
桜町院様、明十八日御葬送、来る廿一日より御法事始り候由にて候。右御法事中、弥弥以て火の元入念候様に、三郷町中可㆓相触㆒候事。
五月十七日
御中院尽七日。初七日〈五月廿一日〉 二七日〈同廿四日〉 三七日〈同廿七日〉 四七日〈同三十日〉 五七日〈六月一日〉 六七日〈同三日〉 尽七日〈同七日〉
午五月十七日
右御書付の上、御口上にて先達鳴物御停止中にも、町中にて手
午五月十七日 年寄
主上御不予の処、御養生不㆑被㆑為㆑叶、今二十一日寅の刻崩御の旨申来り候間、(以下一一頁の覚に同じ略す)
右の通り、被㆓仰出㆒候間、御承知の上家主より借家末々迄、不㆑洩様特と可㆑被㆓申渡㆒候
【 NDLJP:13】 寛延三午年七月 年寄
覚
一、普請鳴物共明日より差免候事。一、来る五日より公事訴訟令載許候事。以上。
午八月朔日
右の通り被㆓仰渡㆒候間、三郷町中可㆓相触知㆒者也。
北組総年寄中
右の通り被㆓仰渡㆒候間、銘々御承知の上、借家へは家主より早々可㆓申聞㆒候。
年寄
宝暦十二午年七月二十一日先帝崩御、宝算二十二。凶事伝奏、庭田大納言重凞。同奉行、中御門右中弁俊臣。凶事伝奏は御葬送以下、般舟泉涌の事を司るなり。諒闇伝奏、正親町院大納言実連。同奉行、櫛笥中将隆賢。「右の行章倚廬殿渡御、汚還御、親ら諒闇に入り給うて、一年御服中に入らせ給ふを御殿一まきを主るとなり。
泉涌寺伝奏、勧修寺侍従・甘露寺前大師見〈後見〉・般院伝奏、万里小路前大納言頼房、倚廬殿は新帝御予中の御殿なり。竹を以て作る。勿論木の類は、松木を渋墨に塗るなり。御学文所の床板をはづし、土間にして猫飼と申す物をして、藁にて編めるものなり。【諒闇御構】其上竹の御帳台を立つる。総体その内、近江表を以て囲ふ。御簾は葭にてあみ、鼠色の
諒闇御構 清凉殿に之を錺り、御帳台以下御座一式檜木の木地にして、鼠の御惟をかけ、几帳同事。御座も原畳鼠縁、葭簾鈍色なり。右倚廬殿を還御の後、十三月入らせ給ふなり。
【桃園院御棺】奉㆑称㆓桃園院㆒、御棺長さ九尺八寸、幅六尺三寸、高さ四尺八寸、六百五十貫目。御屋台二百三十貫目、御車長さ二丈六尺五寸、幅一丈四尺八寸、牛三疋。【葬儀の供奉】御屋形檜木、網代車渋黒塗なり。供奉、左大臣尚実公・前内大臣・葉室一位頼胤・広橋左大納言兼胤・清水谷大納言実栄・姉小路大納言公文・二条大納言重長・中山前大納言栄親・松木前大納言宗長・難波前大納言宗定・冷泉前大納言為時・庭田前大納言重凞・山科中納言頼長・平松【 NDLJP:14】大納言時行・四辻中納言公事・清閑寺中将益房・芝山中将重豊・高辻中将家長・石井宰相行忠・六条宰相有栄・伏原三位宣修・日野頭弁資枝・櫛笥頭中将隆資・岡崎国栄。
七月二十七日 宣下 近衛関白前左大臣内前公
寛延四未年、大御所吉宗公被㆑遊㆓薨去㆒候節の御触、
口上にて申渡覚
大御所様、当月二十日被㆑遊㆓薨御㆒候間、町中諸事穏便に可㆑仕候。普請・鳴物・諸芝居并傾城町商売をも追而差免候迄は相止候。【吉宗薨去に就ての御触】此節町中自身番・火の元別して入念可㆑申候公事訴訟も重ねて令㆓案内㆒候迄は不㆑承候間、右の趣三郷町中可㆓相触知㆒候。
寛延四未年六月二十三日
右の趣只今被㆓仰渡㆒候間、銘々承知の上、借家へは今晩早々可㆑被㆓申渡㆒候。已上。
年寄
殺生の儀相触可㆑申候。尤も京橋・玉造・雑喉場の辺、餌刺猟師へ可㆓申付㆒候。
右の通り御口上にて被㆓仰渡㆒候間、殺生の儀相慎み候様、可㆑被㆓申付㆒候。巳上。
六月二十四日 北組総年寄
右の趣奉㆓承知㆒候。町内末々迄為㆓申聞㆒、急度為㆓相守㆒可㆑申候。為㆑其町中年寄判形仍而如㆑件。右の趣只今申来り候間、銘々承知の上、借家へは家主より今晩早々可㆑被㆓申聞㆒候。已上
年寄
覚
一、此節穏便に仕り鳴物御停止、先達御書付を以て被㆓仰出㆒候。江戸表にては、斯様の節は見世をもしめ、物静に仕り居候事に候。大坂事は是迄左様に被㆓仰付㆒も無㆑之、所の風儀も有㆑之者故、俄に御直し被㆑成候儀にては無之候得共、総体見世先にて涼み候とても、【鳴物停止の布達】喧嘩口論は不㆑及㆑申、声高に噺などいたし、又は念仏の鉦音高く猥りに叩き、子供翫も喧しく立騒ぎ候体、甚だ不埒にて悪敷候。右体の儀物静に可㆑致筈、於㆓御奉行所㆒御沙汰有㆑之、此方共相心得、随分穏便に仕り候様に可㆓申渡㆒旨被㆓仰出㆒候。
一、神明・六斎の夜市并順慶町常夜店抔も差控へ可㆑申候。追而差免可㆑被㆓相成㆒候。御【 NDLJP:15】葬送も無㆑之内、別て右体の儀可㆓相慎㆒事に候。已上
六月二十五日 北組総年寄中
右の趣慥に奉㆓承知㆒候。町内末々の者迄不㆑洩様に申聞かせ、猥りの儀無㆑之様、急度為㆓相守㆒可㆑申候。為㆑其町々年寄判形仍而如㆑件。
右の趣銘々承知の上、借家へは家主ゟ入念可㆑被㆓申渡㆒候。跡ゟ印形取可㆑申候已上
覚
一、遊山船・網打船川々へ出で候趣相見え候。右体の儀は此節は可㆓相慎㆒事。
一、船作事致間敷候。両川口辺は勿論、川々の外にても作事致間敷候尤も船大工有之町々は、別て入念可㆓申聞㆒候事。
一、諸事参詣人の儀、平日と不㆑替相見え候。此節は格別に(可〈脱カ〉)の慎慎む事。
一、町方葬礼の儀随分穏密に取斗ひ可㆑申筈に候。仏事故と存じ心得違ひ、花麗かまく致間敷事。
一、川々に鱚商売船出し候由相見え候。此節相止め可㆑申事。
右の趣、町々末々迄相慎み候様入念可㆑被㆓申聞㆒候。
六月二十七日 北組総年寄
右被㆓仰出㆒候趣奉㆓承知㆒候。町内末々迄入念為㆓申聞㆒、急度為㆓相守㆒可㆑申候。為㆑其町町年寄判形仍而如㆑件。
同 日 年寄
右御触書の趣慥に承知仕候。仍而印形如㆑件。 町人中連印
覚
一、此節御停止に付、致㆓自身番㆒候様被㆓仰付㆒候処、町人心得違ひ、自身番所へ名代差出候者多く相見え候条、年寄相改め不念㆑無之様可㆑被㆓取計㆒候。尤も番人町中火の元度々相見廻り候様に可㆑被㆓申渡㆒候。已上。
閏六月七日 北組総年寄
覚
一、道具市商売の事、樽商売の事、吹屋商売の事、鋳物師商売の事、於㆓川口㆒船小繕の【 NDLJP:16】事、〈但嵩高成る普請繕同前の事に候同、迫々被㆑遊㆓御免㆒候迄相止可㆓居申候㆒。〉右は家業の儀に候間、嵩高に無㆑之様商売可㆑致候尤も右に準じ候商売体の者共も、同前に相心得可㆑申旨、被㆓仰渡㆒候。
右の趣町々年寄承知、間違無㆑之様可㆑被㆓申聞㆒候。巳上。
閏六月七日 北組総年寄
右両様御書付の趣、銘々慥に承知可㆑有㆑之候。尤も借家へは家主ゟ入念可㆑被㆓申渡㆒候。尤申談候通り、自身番出勤・名代被㆓差出㆒候儀、堅く無用に候。借家へも右の通り可㆑被㆓申渡㆒候。巳上。
閏六月七日 年寄
覚
普請の儀、今日ゟ差免し候事。
未閏六月十日
右の通り被仰出候間、町内早々可相触候。巳上。
六月十日 北組総年寄
公事訴訟の儀、来る廿七日ゟ令㆓載許㆒候間、三郷町中可㆓相触㆒候。已上。
覚
一、町中小借家并裏借家に罷在候木綿賃繰仕候者、繰綿にしめり不㆑仕様に、家主町人ゟ入念可㆓申付㆒候。若し相背き候者有㆑之候はゞ、家主迄可㆑為㆓越度㆒事
一、当月廿四日、町中小供集り地蔵祭致し候祭の分は、其辺には往来の女童に妨げ致すを難儀に及び、沙汰の限りに候。町々町代入念可㆓申付㆒候。若し不届の仕方有㆑之候はゞ、町代可㆑為㆓越度㆒事。 右の趣承知仕候。私共町内年寄へ申達し、町内へ入念可㆓申付㆒候。為㆑其町々町代判形仕差上候。已上。
七月
大御所有徳院様(吉宗公)御葬式【吉宗の葬式】
高張灯灯同同諏訪文九郎斎藤三右衛門・御馬高張高張・御挟箱・同同同・手灯灯同・御日傘・手挑灯同・御雨傘・ 手灯灯同・御床机・手灯灯同・御曲録・手打益・大御所様付御徒士一人同・御具足・手打灯同・御本丸付御小人目付二人同但供一人・御具足奉行一人同但供一人 ・大御所様付御目付一人・高張同・同同・大御所様付御本丸付・御長刀・手挑灯同・同同・大御所様付御徒士一人小十人頭二人・同同・【 NDLJP:17】高灯灯同御本丸付御同朋二人御香炉持同・手灯灯同・手挑灯同・同同御刀御脇持・大御所様付御小性二人替り〳〵持同 御小性一人・高挑灯同・ 付札落髪御老中右近将監・高挑灯同出家・手挑灯同・高家手挑灯同 同・付札小笠原石見守付札堀田加賀守・御棺・手挑灯同・出家同・御駕籠頭 組之者手挑灯若年寄戸田淡路守・若年寄〈付札板倉佐渡守〉・御小納御側衆・戸御小性御小性御槍・中奥御小性・中奥御番・手灯灯同・大御所様付御目付一人御本丸付 御目付一人・ 手挑灯同・大御前所様付小普請奉行一人同 御膳奉行一人・手挑灯同・御徒士目付一人同 徒目付一人・御本丸御小人目付二人同・手挑灯同・御槍同・ 同同・御中間頭一人御鉄砲 御具足大皷役御小人頭一人御草履取・高灯灯同・大御所様付御小性番頭一人御本丸付御書院番頭一人・大御所様付御目付一人・ 高挑灯同・両番御供押手灯灯同 同・御徒士押同・御小人押同此間一丁程引下ゲ・高張同・両番御供押同・手挑灯同・御徒士押同・ 御小人押同・御徒士同勢・高張同・同同・御徒士押同・手灯灯同・御小人押同・同勢馬槍・挟箱
宝暦十一辛巳年六月大御所様(〈家重公〉)薨御之節御触書之写【吉宗薨御の節の御触】
覚
大御所様当月十二日、被㆑遊㆓薨御㆒候間、………………(以下一一頁に同じ)
巳六月十七日
覚
餌刺漁師其外も殺生等、尤も可㆑慎事。総年寄中より口上を以て被㆓仰渡㆒候。
一、往来の人、端歌・浄瑠璃かたり通り候はゞ、於㆓其町㆒早速相止め可㆑申候。若し違背仕候者有㆑之候はゞ、其所にて早速捕へ、御番所へ御断り可㆓申上㆒事。
一、六斎の夜市并常夜店不㆑出候様に可㆑仕事。一、浜先にうなぎ船差置き申間敷事。
一、葬礼等仕候共、穏便に可㆑仕事。一、諸方神社参詣可㆓相慎㆒事。一、此節祭礼挑灯差出有㆑之町々、早速取入れ可㆑申事。一、町々店先にて大方に咄致間敷、尤夜分は店を締め諸事慎可㆑申事。一、自身番今晩ゟ可致候。一諸役人衆昼夜御見廻り被㆑遊候間、無作法無㆑之様可㆑致事。右の通り仰出され候間、家内は不㆑及㆑申、借家へは家主より不㆑洩様に早々可㆓申聞㆒候。已上。
六月十四日 年寄
覚
一、御穏便中に候間、総体見世先に涼み候とても、喧嘩日論は不㆑及㆑申、嵩高に噺し致し、くはへ煙管等・念仏の鉦音高く猥りに叩き、子供翫も、かしましく立騒ぎ候体、甚だ不敬にて悪しく候。右体の儀物静に致候筈に候間、随分物静に可㆑致事。
【 NDLJP:18】一、神明六斎の夜市、順慶町常夜市は勿論、其外の夜店の商ひ店、追つて御差免被㆑成候迄は、相止居可㆑申候。尤も都て人立多く無㆑之様に於㆓町々㆒心を附け可㆑申事。
一、遊山船・網船等、川に出し候儀急度相慎み可㆑申事。一、川口辺は勿論、川々にても此節船作事致間敷候。小繕等も相慎み可㆑申候。別けて船大工有㆑之町々は、入念可㆓申聞㆒事。一、諸方参詣人の儀、此節格別に相慎むべき事。一、町方葬礼の儀、随分穏密に取計ひ可㆑申候。仏事故と存じ、心得違ひ華麗が間敷致間敷事。一、川々に鱸商売船差置く間敷事。一、俵物水揚船積の儀は、穏便中は随分物静に可㆓取計㆒候。別て蔵屋敷の名代・蔵元の町人共へ入念可㆓申聞㆒事。一、道具市商売・樽商売・吹屋商売・鍛冶并鋳物師・絞り油屋商売、大道にて米搗の事、戸障子商売・吹子屋商売・さらさや・足袋屋并洗濯物の類打物の事。右は重〔嵩カ〕高なる商売に候間、此節随分相慎み可㆑申候。商売御差止被㆑成候にては無㆑之候得共、重高に無㆑之様質素に可㆑致候。尤も右に準じ候商売筋の者共、同前相心得可㆑申候事。
右の通り町々に於て、心得違ひ無㆑之様、末々迄特と可㆓申聞㆒候。以上。
六月廿日 北組総年寄中
右御書付の趣慥に奉承知候。町内家持・借家末々の者迄、不㆑洩様為㆓申聞㆒、急度相守らせ可㆑申候。為㆑其町々年寄判形仍而加㆑件。
右の通り被㆓仰渡㆒候間、家内は不㆑及㆑申、借家は家主ゟ不㆑洩様早々可㆓申聞㆒候。已上。
巳六月廿日 年寄
明四日於㆓江戸御表㆒大御所様御尊棺御葬送有㆑之間、弥々諸事相慎み、別て火の元入念候様被㆓仰出㆒候。右の通り可㆓相心得㆒候、已上。
巳七月三日 北組総年寄中
右の通り被㆓仰出㆒候間、御承知の上、家主ゟ借家末々迄、不㆑洩様可㆓申聞㆒候已上。
年寄
普請の儀は、追て差免し候迄、弥〻相慎むべき事。
右の趣被㆓仰渡㆒候間御承知の上、家主ゟ借家末々迄、不㆑洩様可㆓申聞㆒候。已上。
年寄
【 NDLJP:19】一、明十一日より普請差免し候事。一、平野町神明并順慶町夜市の儀、明十一日より差免候事。
巳七月十日
右の通り被㆓仰出㆒候。猶又夜市の儀、右場所の外にも有㆑之候はゞ、同事に相心得可㆑申旨、被㆓仰渡㆒候。此段心得違ひ無㆑之様可㆓相触㆒候。已上。
巳七月十日 北組総年寄中
右の通り被㆓仰渡㆒候間、――――(原本ノマヽ) 年寄
覚
一、於㆓町々㆒地蔵祭致候事、此節相止め可㆑申事。
一、聖霊祭送、水〔火カ〕灯の儀、差止め可㆑申事。
一、精霊迎火・送火軒下にて焚き候儀、重高に無㆑之様、常体ゟ穏密に可㆑致事。
一、町中にて高灯籠上げ候儀は遠慮有㆑之べくの事に候。
右の通り於㆓町々㆒心得違ひ無㆑之様可㆓申付㆒候。已上。
北組総年寄中
右の通り被㆓仰渡㆒候間御承知の上――――(原本ノマヽ) 年寄
鳴物の儀従江戸被㆓仰下㆒迄は、是迄の通り可㆓相心得㆒事。
町中自身番は、明三日より差免し候。右の趣御城代松平周防守殿へ伺の上、被㆓仰聞㆒候。
右の趣可㆑得㆓其意㆒候。
巳八月二日
右の通り被㆓仰出㆒候間、於㆓町々㆒末々迄心得違ひ無㆑之様、入念相触れ可㆑申候。已上。
同日 北組総年寄
右の趣被㆓仰渡㆒候間、御承知可㆓相成㆒候已上。 年寄
鳴物の儀は、先達被㆓仰出㆒候通り、重て御免被㆑成候迄は、弥〻可㆓相慎㆒候。右の外渡世に致し候放下師・謡・小歌浄瑠璃・物真似等にて、物貰ひ候者は、御免被㆑成候。尤も右体の者も鳴物は差加へ候儀は、決して不㆓相成㆒候間、此旨末々迄心得違ひ無㆑之様、【 NDLJP:20】特と可㆓申聞㆒候。已上。
八月四日 北組総年寄中
右御書付の趣、慥に奉㆓承知㆒候。町内家持・借家末々迄、不㆑洩様為㆓申聞㆒、急度為㆓相守㆒、可㆑申候。為㆑其町々年寄判形仍而如㆑件
鳴物の儀、所作仕候者計り、去る三日ゟ可㆓差免㆒旨、於㆓江戸表㆒被㆓仰渡㆒候間、此表も差免候。其段可㆓相心得㆒候。右の趣三郷町中可㆓相触知㆒者也。
八月
右の通り被㆓仰出㆒候間。於㆓町々㆒心得違ひ無㆑之様に、入念早々可㆓相触㆒候。已上。
八月六日 北組総年寄中
来る十八日より公事訴訟御聞き可㆑被㆑遊旨、被㆓仰渡㆒候間、此旨町々早々相触れ可㆑申候。巳上。
八月十一日
右の趣被㆓仰渡㆒候間、――――(原本ノマヽ) 年寄
只今於㆓総会所㆒総年寄中被㆓仰渡㆒候は、先達鳴物の儀、所作仕候者御免被㆑遊候処、町々にて心得違ひの趣及㆓御聞㆒被㆑遊、鳴物の儀は一体に御免被㆑遊候儀、猶又心得違ひ無㆑之様、可㆓申渡㆒旨被㆓仰渡㆒候。此段宗旨頭町被㆓仰聞㆒候。御承知可㆑被㆑成候。已上。
巳八月十一日 年寄
【家重の諡号】一、大御所様御儀、惇信院様と奉㆑称候御事。
遠島・追放・所払等の御仕置申付候者の内、当時存命にて罷在候者に候はゞ、其者の親類身寄の者か、又は其所の者ゟ赦免願度者共、御仕置に相成候者の名前并何年以前如何体の科にて、何の御仕置に相成候訳書記し、当月廿五日迄に月番方番所へ可㆓訴出㆒者也。
宝暦十一辛巳年十月
天明六午年公方様(〈家治公〉)御薨御之節、御触書の写公
【家治の薨御に就ての御触】公方様当月八日被㆑遊㆓薨御㆒候間、町中諸事穏便に可㆑致候。普請都て鳴物・諸芝居并傾城町商売をも追て御差免迄は令㆓停止㆒候。此節町中自身番、火の元別て入念可㆑申【 NDLJP:21】候、公事訴訟も、重て令沙汰迄は不㆑承候間、右の趣三郷町中可㆓触知㆒者也。
午九月十三日土佐�後 北組総年寄
御口逹にて被㆓仰渡㆒候
此節の儀に付、火の元以下厳重に致し、町中木戸暮六つ時限りに〆め、自身番等別て無㆑怠様、町々不㆓相洩㆒様急度可㆓申渡㆒候。
口上の覚(条文二三―二四頁に同じ略す)
右は御差止め被㆑成候には無㆑之候得共、
右の通り町々末々迄不㆑洩様可㆓申聞㆒候。
右の通り被㆓仰出㆒候間、此段承知可㆑有㆑之候。以上。
午九月十三日 北組総年寄
此節穏便に付、諸事相慎み可㆑申旨、尚更御口達を以て被㆓仰出㆒候一時にて相触れ候所、嵩高の商売にても此間相達し候箇条に無㆑之儀は、一向慎む体無㆑之事に候。御書付箇条に無㆑之とも、嵩高なる商売体は急度相慎み可㆑申候。町々触方不行届・不㆓取斗㆒の趣に及㆓御聞㆒、御沙汰有㆑之間、何商売に不㆑寄、店先嵩高の商売居細工水揚大道にて荷造り等迄も、銘々随分相慎み可㆑申事に候。此度格別重き御穏便中に候へば、猶以て町内末々迄厳重に申付け、急度相慎み可㆑申候。已上。
九月十五日 北組総会所印
御時節柄に付、一昨十三日商売向其外等の儀も差留め、又は慎み方の儀相触れ置き候処、桶類商売致候者抔、其外にも嵩高なる渡世の内、平日の通り心得、聊不遠慮・不慎の趣にも相聞え候。別て重き御時節柄の儀故、音高き商売筋に不㆑限、其外の諸商売人共迄も一統急度相慎み、町中物静に可㆑致勿論に候処、其弁へも無㆑之差留めの箇条に無㆑之分は、物音高き商売筋にても不㆑苦儀と、心得違ひ候哉にも相聞え候。如何の儀に候商売人に寄り、至つて身軽き者共多分有㆑之、心得違ひ可㆑有㆑之候に付、町々年寄は勿論、家主は尚更入念申付け、急度相慎み、職商売等可㆑致事に候条、少しも不敬無㆑之様可㆑致候。
【 NDLJP:22】一、夜分麺類其外にも荷ひ売致す者の内、火焚持歩行候類有之趣に付、御時節柄の儀差留め可㆑申候得共、別て身軽き者共、其日を送り候趣にも相聞え候間、商売は不㆓差留㆒、併し平日とても、往来火を焚き持歩行の儀は致間敷儀に付、此節尚更可㆓相慎㆒事に候条、火を焚き持歩行の儀、堅く致間敷候。此上不慎の者有㆑之者、急度可㆑令㆓沙汰㆒候。
午九月十五日
覚
一、米銀相場・川筋漁舟渡世の者・殺生渡世の者・鱈船渡世の者・絞り油屋渡世の者。右の類昨日ゟ御免被㆑成候。此段承知可㆑有㆑之候。已上。
九月十七日 北組総会所
一、傾城町商売の事、鳴物の外都て音高き職商売類の事、青物市・雑喉場魚市の備前島川魚市。右職商売等明十九日ゟ差免し候。尤も御穏便中故、銘々嵩高に無㆑之様物静に致し、火取扱の儀は尚更入念可㆑申候事。
宗旨頭町年寄総会所へ被㆓召呼㆒、左の通り被㆓仰渡㆒
一、重き御時節柄の儀に付、火の元入念厳重に致し、町中木戸暮六ツ時限り〆め、自身番無㆑怠様可㆑致候。等閑の町々も有㆑之故哉、捨子又は盗賊入候所等数口有㆑之、甚だ以て如何の事に候。暮時限り木戸を〆め、其所の番人往来有㆑之節は明け遣し、又は前々ゟ木戸無㆑之町境目等には、番人差置き、自身番増し番人等、町内度々相廻り候へば、自ら怪しき者難㆓立入㆒、盗賊并捨子等決して無㆑之所、全く番の仕方等閑故と相聞え、不埒の事に候。町々ゟ自身番申付け候儀は重き御時節柄故、都て非常の筋無㆑之為に候へば、町人共一同申合せ、諸事心を配り、格別の手当厳重に可㆑致事に候条、心得違ひ無㆑之様致し、暮時切町々木戸を〆め、会所へ番人を差置き、往来の人有㆑之節、早速に明渡し、木戸無㆑之町境は番人附置き、往来の仁人数に応じ、拍子木を以て次町へ通合せ可㆑申候。此上にも等閑の町々有㆑之者、番人は勿論、町人一同迄急度可㆑及㆓沙汰㆒候。御時節柄を篤と相弁へ、聊無㆓麁略㆒厳重に相守り可㆑申候。
午九月
【 NDLJP:23】一、神明六斎市・遊山網舟・舟大工作事・諸方参詣・馬場煮売・町方葬礼。右は御沙汰有之迄、相慎み可㆑申事。
一、俵物水揚・道具市・樽屋・吹子屋・吹屋・鍛冶并鋳物師・戸障子細工・大道にて米搗候事、茶屋掛行灯。右明十九日ゟ御免被㆑成候。
一、神明夜市・順慶町夜市・諸船造作、右口々の外、夜店商売の者共、明九日ゟ御免。同十月八日御触なり。
一、湯風呂渡世の者共、右同日御免。一、同十月十一日、普請御免被㆑成候事。
一、鳴物所作に仕候者計り、閏十月二十八日に御差免。
一、公事訴訟、閏十月二十一日ゟ御聞有㆑之事。右の通り被㆓仰出㆒候。
天保十一庚子年二月朔日御急触
御台様去月二十四日被㆑遊㆓薨去㆒候旨、被㆓仰下㆒候間、(以下一一頁に同じ)
石見伊賀 北組総年寄
右御触書の趣、慥に奉㆓承知㆒候。為㆑其銘々印形仍而如㆑件。
先達相触れ候普請の儀、明八日ゟ差免候。鳴物の儀は追て可㆓申渡㆒候。
右の趣三郷町中可㆓相触㆒者也
二月七日石見伊賀
右の通り被㆓仰出㆒候間、町々入念早々可㆑被㆓相触㆒候。以上。
北組総年寄
右御触書の趣慥に奉㆓承知㆒候。已上。
先達相触れ候鳴物の儀、所作に致し候者計り、明十六日ゟ差免候。其外は追つて可㆑令㆓沙汰㆒候。公事訴訟の儀も追而可㆓申渡㆒条。此旨三郷町中可㆓触知㆒者也。
子二月十五日石見伊賀 北組総年寄
右の通り被㆓仰出㆒候間、町々入念早々可㆑被㆓相触㆒候。巳上。
先達相触れ候鳴物停止の儀、致㆓所作㆒候者の外も今日ゟ一統差免候。
一、公事訴訟の儀は、来る二十五日被㆓載許㆒候。右の趣三郷町中可㆓相触㆒者也。
二月二十日石見伊賀 北組総年寄
【 NDLJP:24】天保十二辛丑年閏正月晦日、大御所家斉公被㆑遊㆓薨御㆒候に付、江戸表御触書の写
大御所様薨御被㆑遊候間、町中物静に仕り、火の元入念候様、借家・店借裏々迄急度可㆓相触㆒候。
閏正月晦日
【家斉薨御に付禁慎の御触】町中中番御定の通り、今晩ゟ差置き可㆑申候。尤も表の間数に応じ、手桶に水を入れ出置き可㆑申候。重て御赦免有㆑之候迄は、右の通り相守り可㆑申候。油断有間敷候
一、町中鳴物并作事等、此方ゟ致㆓左右㆒候迄は可㆓相止㆒事
一、自然悪事住候者於㆑有㆑之者、見出・聞出次第両番所へ可㆓申出㆒事。
一、喧嘩口論無㆑之様可㆑仕候。若し左様の儀出来候はゞ、名主・月行事・近所の者共、早々出合ひ取扱ひ可㆑致事。一、火の用心の儀、入念鹿末無㆑之様可㆑致事
一、家持同居仕并店借・裏家の者迄も、此節無㆓用事㆒して他所へ出間敷事。
右の通り堅く相守り、若し相背き候に於ては、曲事可㆓申付㆒者也。
閏正月
右の通り従㆓町奉行所㆒被㆓仰渡㆒候間、少しも違背有㆑之間敷候。
閏正月 町年寄役所
従㆓丑閏正月晦日㆒御殿御廻状到来、即刻三井組へ相廻し候写左の通り、
大御所様御不例、御養生不㆑被㆑為㆑叶、今辰下刻被㆑遊㆓薨御㆒候。此段今日出仕無㆑之面々へ可㆑被㆑達候。
閏正月晦日
大御所様薨御に付て、今日より普請・鳴物停止候間、被㆑得㆓其意㆒可㆑被㆓相触㆒候。
閏正月晦日
二月朔日・二日右両日共、公方様・右大将様為㆑伺㆓御機嫌㆒総総仕の事。三日、公方様為㆑伺㆓御機嫌㆒万石以上の面々可㆑有㆓登城㆒候。
右の通り可㆓相触㆒候。
一、松平加賀守溜詰、御普代大名・高家雁の間詰・御奏者番・菊の間縁頬詰・諸番頭・諸物【 NDLJP:25】頭・諸役人・御番衆迄不残、右三七日過、月代剃可㆑申候。
一、国持大名庶流・外様大名交代寄合表〔衆カ〕・高家寄合・小普請詰の面々、右二七日過、月代剃可㆑申候。
一、御目見以下の者共・坊主・同心以下軽き者共、右御一七日過月代剃可㆑申。〈但陪臣月代剃候儀、無構㆑候。〉
一、西の丸付の面々は、御目見以上は五十日過、御目見以下は三十日過月代剃可㆑申。 〈但一七日過西丸附御直参の面々髯剃陪臣は月代剃、〉右の通り可㆑被㆓相触㆒候。
【家斉公の棺上野入に付御触】来る二十日午下刻、大御所様御棺槨、上野へ被㆑為㆑入候間、町中の者共他出・火の用心の儀、取分入㆑念、名主共支配の場所切々見廻り、家主共自分屋敷裏々迄度々相廻り、無㆓油断㆒可㆓申付㆒候。御棺槨御通りの節奉拝候儀、男女共不㆓相成㆒候間、一切罷出で申間敷事。
一、喧嘩口論万事物騒敷無㆑之様、町々名主・月行事前後の木戸に附居り、弥々入念可㆓申付㆒事、御棺槨御通りの節、尼女奉拝候儀、如㆓先格㆒可㆑為㆓無用㆒旨、可㆓相触㆒候。
右の通り従㆓町御奉行所㆒被㆓仰渡㆒候間、町中不㆑残可㆓相触㆒候。
二月十三日
一、御出棺町々御道筋、町屋の分は二階の儀有来窓を前日ゟ戸を〆切り置き、懸錠をかけ、名主共封印致置き、御当日朝二階相改め、階子為㆑引一切差置き申間敷候事。
一、表の戸御当日の朝より建置き、尤も用事等は相達し、御出棺一番の御払にて〆切り、外よりかけ錠をかけ可㆑申候。尤も透間有㆑之分は、兼て目張り致置き可㆑申候家内の者共儀、極老人・小児等は前日より親類共方へ差遣し、其外の者共は表店には不㆓差置㆒、勝手の方に差置き可㆑申候。焚火の儀は、御当日朝五ツ時限り相止め、且又夜に入りても見世にては火を焚き申間敷事。
一、路次の儀は、御当日朝ゟ相立て、焚人附置き潜ゟ出入為㆑致、一番の御払にて〆切り、錠を卸し可㆑申候。透間有之処は、兼而板打置可㆑申候。裏店の戸は、路次を〆切候故、其儘差置可㆑申事。
一、御道筋町々并木戸〆切の儀、一番の御払有㆑之候迄、往来の者共相通し、御払後は【 NDLJP:26】木戸并新規〆切共建切り候間、往来差留め可㆑申候。併て固めの武家等御用に付、通路致候節、其処名主町役人共、固の御徒指図を受候て相通し可㆑申候。且又木戸〆切の内者、家主・名主相詰め罷在可㆑申候。尤も木戸〆切の内にても、御道ゟ見え候処は名主・家主罷有間敷候。但し新規〆切の儀。御出棺二三日前に補理置可㆑申候。木戸〆切の前、四ツ時ゟ立置き、当日一番の御払迄は通路為㆑致可㆑申候。
一、書面新規〆切の儀、来る十五日皆出来致し、翌十六日出来見分受け、更に心得に致置き可㆑申候。
一、挑灯の儀は、御道筋町家の分、凡五間に一ツ宛差出し、木戸〆切際へ高挑灯差出可㆑申事。但し右挑灯の儀は、新規白張挑灯に仕り、火の元の為め、挑灯の底へ土を入れ置き可㆑申候。
一、御道筋の町々の儀は、左右六十間を限り木戸〆切、有無に不㆓差構㆒、凡五間に挑灯一ツ宛差出可㆑申事。右挑灯の儀は、御道筋武家方にて灯し候体見受け候て、町方にても早速灯し可㆑申事。
右箇条の儀相心得、御道筋并御見通し町々名主・役人共一同申合せ、火の元諸事入念相守り可㆑申事。
二月十三日 南北小口年番名主世話掛
一、御出棺御当日、神田辺元飯田町・下谷・根津・谷中・金杉・浅草・両国橋・京橋辺は、朝より木戸立、
一、御当日朝ゟ諸商人暖簾・看板等かけ不㆑申、簾をかけ戸を立て、諸商売為㆑慎可㆑申候。一、御当日町々路次戸を立て、潜ゟ出入為㆑致可㆑申候。
一、湯風呂屋・温飩屋・蕎麦屋・菓子屋・鍛冶屋・豆腐屋、其外大火焚の類は御前夜ゟ御当日昼夜相止め可㆑申候。一、御当日朝ゟ屋根物干へ人一切差出申間敷事。
一、夜商人御前日・御当日共為㆓相止㆒可㆑申候。
一、御当日町々裏々迄、朝ゟ火焚の儀一切為㆑仕間敷候。
【 NDLJP:27】一、御前夜・御当日、別て裏々迄繁々相廻り、火の元入念可㆑申候。
一、御当日御道筋近辺并御曲輪近辺町々、火の見櫓に番人上げ置き不㆑申、出火有㆑之候はゞ登り見当て、半鐘を打ち不㆑申候て、其方角可㆓申通㆒様為㆑致可㆑申候。但し日本橋ゟ北三方は右の通り申合せ仕り、日本橋ゟ南三方は隔り候間、半鐘を為㆑打可㆑申候。一、船大工共船板ため致し候儀、為㆓差控㆒可㆑申候。
前書の通り、樽藤右衛門へ伺書差出置き候様、今日被㆓召呼㆒、伺の通り可㆓相心得㆒旨被㆓申渡㆒候間、此段御逹申候。以上。
二月十三日 南北小口年番場〈世話掛〉
【出棺道筋の固】大御所様御出棺の節、御道筋御固め、矢来御門より竹橋、本多越中守〈二万石〉、田安御門番牧野遠江守〈一万五千石〉、松平石見守〈一万六千石〉、竹橋御門より一ツ橋御門迄、松平市正、〈三万二千石〉和田倉御門番、酒井石見守〈三万五千石〉、一ツ橋御門より本庄伊勢守屋敷迄、松平下総守〈十万石〉、本庄伊勢守屋敷より稲葉丹波守屋敷脇まで有馬其太郎〈五万石〉、神田橋御門番、黒田甲斐守 〈五万石〉・鍋島摂津守〈五万二千六百石〉、稲葉丹波守屋敷脇より筋違橋御門際まで、松平隠岐守〈十五万石〉、筋違御門外より井上佐渡守屋敷際まで、松平肥後守〈二十三万石〉・藤堂和泉守〈三十二万石〉、井上筑後守屋敷際より上野黒門迄、松平越前守〈三十二万石〉、右の通り被㆓仰付㆒候。黒門内御固め、黒門、安藤対馬守〈五万石〉、文珠楼、久世大和守〈五万八千石〉、中堂、西尾隠岐守〈三万五千石〉、同裏の方、松平山城守〈三万石〉、清水御門、丹波若狭守〈一万石〉、新清水御門、堀出雲守〈一万石〉、屏風坂、内藤丹波守〈二万石〉、車坂、稲垣若狭守〈一万三千石〉、右口々勤番被㆓仰付㆒候。
六千石〈交代寄合〉、松平三郎太郎、寄合蒔田権右衛門・神保三千次郎・大久保采女。
右は東叡山御廟火の番被㆓仰付㆒候。
申渡
大御所様御棺槨上野へ被㆑為㆑入候間、御道筋御障にも相成る場所は、不陸等手入致し、取繕ひ候様可㆑致。
御道筋左の通り
【御棺の道筋】矢来御門より竹橋御門、一ツ橋御門外右へ、御堀端左へ本庄伊勢守屋敷前通、今川太助屋敷前脇右へ、稲葉丹波守屋敷前通り左へ、松平信濃守屋敷脇前戸田日向守屋【 NDLJP:28】敷前、筋違橋御門・外神田仲町・旅籠町通り、堀丹後守屋敷前・井上筑後守屋敷前、新黒門町左へ広小路。
一、御通棺御道筋神田仲町ゟ上野黒門迄、横小路の分御道固め大名にて、竹矢来〆切致す事。
来る廿日午下刻、大御所様御棺上野へ被㆑為㆑入候間、町中の者共不㆑致㆓他出㆒、火の用心の儀取分入念、名主・月行司裏々迄見廻り、無㆓油断㆒可㆓申付㆒。尤も御棺槨御通りの節奉拝候儀、男女共不㆓相成㆒候間、一切罷出申間敷事。
一、喧嘩口論・万事物騒敷事無㆑之様、町々名主・月行司前後の木戸に附居り、弥々入念可㆑申事。右の通り町中裏々迄厳重に相守り可㆑申者也。右の通り従㆓町御奉行所㆒被㆓仰出㆒候間、町中不㆑洩様早々可㆓相触㆒候。
一、御棺槨御通りの節、町々為㆓尼女共㆒奉拝の儀、如㆓先格㆒可㆑為㆓無用㆒旨可㆓相触㆒候。
右の通り従㆓町御奉行所㆒被㆓仰渡㆒候。不㆑残可㆓相触㆒候。
丑二月十三日 町年寄役所
御道固之次第。往来両側五間目毎に白張屋根付大挑灯、其間に麻上下侍一人・若党一人・槍持一人・草履取一人・挟箱持一人・六尺棒一人、以上。
増上寺より、御法号家斉公、大憲院殿仁蓮社寛誉治永大居士。
御行列左の通り
御出棺矢来御門より龕堂迄御行列、
御馬御馬方同・御馬乗・沓箱・御挟箱・同・同・同・御台傘・御曲碌御徒士同・御具足御徒士目附同・御具足奉行・御小人目附同・御目附・御徒士目附・小十人組同・御長刀・小十人頭同御香炉同・御同朋持㆑之、人代り〳〵にて同 同 ・御老中・出家・高家同・御棺・西丸御側衆同若年寄・御駕籠者頭・若年寄衆・御小性・御小納戸同・御槍・中奥御
一同御番・同同| 小性〈御三卿御家老御供被㆓仰付㆒候はゞ此処にて可㆑仕候。〉同御番・同同〈(御目附御普請方)近衛様御名代御供被㆑成候はゞ、此処にて御供可㆓相成㆒候。〉御目附・御供押同・ 御徒士押同・小十人押同・御徒士目附御小十人目附同・此処一丁程引下げ両御番御供押同・御徒士押同・御徒士日附同・ 御小人目附同・御槍御小人目附御表同御傘・御鉄炮御見太鼓・御中間頭御小人頭・御草履取・御小性組書記御書院番頭・御小人押同・侍同勢槍御徒士押同 ・同勢槍馬挟箱・是迄矢来。
御門より龕前堂迄の行列、是より龕前堂ゟ御洞穴迄の行列、
【 NDLJP:29】衣冠若年寄同 同 挑灯・挑灯同・伶人奏楽同・酒水衆徒同・御薫物衆徒同・挑灯同・御納物衆徒・布衣西丸|御目附・挑灯同・御馬 素袍御馬頭布衣御徒士頭・同同・御挟箱・同・同・同・布衣小十人頭・素袍小十人頭一組・挑灯同・御長刀・装束御同朋頭・衣冠 御老中・桃灯同・同同・右大将様御名代・衣冠御老中・桃灯同・御香炉〈御小納戸代々持㆑之〉・桃灯同・同同・御棺・高家同・ 衣冠御側衆同若年寄・御脇指・御刀〈御小性代々持㆑之〉・衣冠若年寄同・御小納戸小性同・衣冠御側衆・衣冠中奥御番同・挑灯・御法事勤番・挑灯同・御槍・布衣御徒士目附・布衣御目附同・御徒士押同・大御台様御用人姫君様御用人・衣冠大目附・御勘定奉行寺社奉行・奉供〈上下人数都合七八千七百人余。〉
上野御参詣被㆓仰出㆒候御書付之写
【上野参詣の写】二月二十三日、紀伊殿尾張殿右御参詣可㆑有㆑之候。右同日、松平三河守・同越前守・同淡路守・同大蔵大輔・同兵部大輔右御参詣可㆑有㆑之事。二月廿四日、清水殿・民部卿殿・右衛門督殿右御参詣可㆑有㆑之候。右同日、〈次に大名一万石以上高家衆詰衆・御奏者嫡子、〉参詣可㆑有㆑之事。同廿五日、〈菊之間椽側詰〉同。同廿六日、〈嫡子諸番頭物頭・芙蓉之間御役人・中奥衆〉右両日之内、一度参詣可㆑有事。同廿七日、〈布衣以上諸役人。〉同廿八日〈御医師〉右両日之内、一度可㆑為㆓参詣㆒事。同廿九日、寄合面々可㆑為㆓参詣㆒事。三月朔日・二日・三日御番衆御小役人右三日之内可㆑為㆓参詣㆒事。右朝四ツ時より九ツ時までの内、直垂・狩衣・大紋・布衣の面々并びに法印・法眼の人々其装束、無官は熨斗目長袴着㆑之可㆑為㆓参詣㆒候。牽馬并に同勢黒門前橋の外に残し置き可㆑申事。
覚
黒門・谷中・車坂・屏風坂・新清水口より内は、国持大名たりとも侍四人・挟箱持一人・草履取一人・陸尺四人の外可㆑為㆓無用㆒。若雨天の時は、簑箱・傘持可㆑被㆑連㆑之。此外又者一切停止之。宿坊有㆑之面々は可㆑為㆓所次第㆒者也。
覚
一、一万石以上の面々、御香典献上之使者、熨斗目長袴にて朝六ツ時より五ツ時迄之内、文珠楼通差越し中堂へ可㆑被㆑献之事。
一、一万石以下三千石以上の面々、使者熨斗目半袴にて四ツ時より九ツ時迄之内、文珠楼より東方凌雲院前通りに差越之本坊へ可㆑被㆑献之事。
一、此外之面々、使者にて熨斗目半袴にて、九ツ時より八ツ時迄之内、文珠楼より東の方凌雲院通りに差㆓越之㆒可㆑為㆑献之事。右之通り三月十一日可㆑被㆑献之事。
【香奠献上の覚】一、白銀三十枚〈六十万石以上〉 同廿枚 〈廿五万石ゟ五十九万九千石迄〉 同十枚〈十五万石ゟ廿四万九千石迄〉 同五枚〈十万石ゟ十四万九千石迄〉 同二枚〈一万石ゟ四万九千石迄〉 同三枚〈三十万石以上嫡子・隠居〉 同二枚〈十万石以上同断〉
御葬礼之節御用掛り 【御葬礼の節御用掛り】総奉行、〈御老中〉水野越前守、助御番〈西丸御老中〉土井大炊頭、御用掛〈御若年寄〉林肥後守・〈御奏者〉松平伊賀守・〈同〉阿部伊勢守・跡部信濃守・梶野土佐守。御使衆御用掛、野田伊勢守・〈御目附〉水野舎人・ 〈同〉鳥井輝蔵・〈御小十人頭〉佐々木三蔵。西丸御殿□〔中カ〕御用掛〈西丸御老中〉太田備後守・〈御若年寄〉増山弾正少輔・紀伊大納言様ゟ太田備後守〈道之通り〉堀田備中守〔〈脱アルカ〉〕〈〔頭書〕太田備後守は御葬礼御用掛りにして御老中なり紀州様ゟとは如何成る事にや不審〉
大御所様薨御に付、京都御触書
宝暦御触之通可㆑致事。
一、諸殺生此節令㆓停止㆒候。上下京の魚店売買可㆓差控㆒候。乍㆑併売不㆑申候ては不㆑叶儀有㆑之候はゞ、其段可㆓了簡売㆒候様可㆑仕事。一、神社・仏閣開帳不㆓申及㆒、人集め候儀は、此節柄〔可〈脱カ〉〕致㆓遠慮㆒候事。
【家斉薨去に付京都の触】一、市中は不㆓申及㆒、町々群集大勢寄合ひ、物騒敷く無㆑之様可㆑致事。一、他国ゟ旅人
右之通り急度可㆓相触㆒者也。
丑二月四日
大御所様薨御に付、大坂御触書。〈御停止の儀都て天明の通りに相心得候様被㆓仰出㆒候事。〉
大御所様去月晦日被遊薨御候間、――(以下一一頁に同じ)【大阪の布達】
天保十二年辛丑年二月五日
一、御穏便中町方一町限り、町人共自身番等無㆑怠様致し、別而火之元入㆑念候儀は勿論、物騒〔敷〈脱カ〉〕儀無㆑之様可㆑致候事。
一、御穏便中諸事相慎み、喧嘩口論は不㆑及㆑申、嵩高に咄致し、くはへ烟管致間敷事。
一、念仏の餌にても音高く猥に叩き、子供遊も
一、傾城町は勿論、其外町々暮六ツ限り、木戸を〆切りくゞり明置き、往来を通可㆑申事。
一、神明六斎の夜市、順慶町其外町々夜市、又は夜店商売の者、并に酒屋渡世の者等、追而差免候迄相止可㆑申候。人立多く無㆑之様町々に於て心を付け可㆑申事。但し夜中麺類其外□〔煮カ〕物の類荷ひ売致候者の内、火を焚き持歩行候類も不㆑少由相聞え候。本文同様差止可㆑申処、別而身薄之者にて、右商売にて其日を送り居候哉に相聞え候に付、商売差止ず候。乍㆑併平日迚も、往来にて火を取扱候儀は致間敷儀にて、此節柄別而相慎み、火を焚き持歩行候儀堅致間敷候。
一、遊山船・網船等川々へ出し候儀、尤相慎可㆑申事。一、川口辺其外川々にて、船作事致間敷候。小繕等も相慎可㆑申事。一、葬礼の儀尤も質素に取斗可㆑申候。仏事と心得違不慎の儀致間敷事。一、富札商売店に差出有㆑之候目印幟、其外右に類し候品柄取置可㆑申事。一、川魚煮船等〆切置可㆑申事。一、御城前芝場酒田楽、其外煮売商致候者共は、御場所柄にて火扱候儀等も有㆑之候に付、此節柄の儀尤相慎可㆑申事。
一、俵物水揚船積等之儀、随分物静に可㆑計候。
一、銅吹屋・解船屋・鍛冶并鋳物師・吹子屋・瓦焼・石工・陶物師・木挽・木綿打屋・銅細工・軍書講釈・絞油屋・紙漉屋・道具市・樽并桶師・戸障子屋、
右職商売等差止め候儀に無㆑之候得共、専ら火を取扱ひ又者嵩高成所業に付、此節柄の儀にも有㆑之、銘々可㆓相慎㆒事に候。尤も右の外にも音高き渡世筋、或は火を取扱ひ候者は勿論、其余の町人共も同様相心得、急度相慎み、町中物静に可㆑致事。
右の通町々末々迄も不㆑洩様、早々可㆓申聞㆒候。
丑二月
右之通り被㆓仰出㆒候間、末々迄不㆑洩様早々可㆑被㆓相触㆒候。已上。
二月五日亥刻 北組総年寄
右御触書の趣、慥に奉‐㆓承知㆒候。尚銘々は不㆑及㆑申、借屋末々迄篤と申聞、御触通急度為㆓相守㆒可㆑申候。為㆑其銘々連判印形仍而如㆑件。
一、餌指・漁師其外殺生等、尤可㆑慎事。一、自身番所只今より昼夜共令申付心を付可㆑被㆑申事。
丑二月五日
一、諸商売相休み候事。但、物静なる商売は不㆑苦候。諸屋敷・諸問屋水揚・蔵出等は、物静に致候はゞ不㆑苦候。一、御公儀役人衆・総年寄町々廻り通の事。
一、町々於㆓会所㆒幕を打ち、両人づつ一昼夜自身番廻り通し、毎家に用水桶出候事。
一、七日の御触に、御穏便中諸商売向き差止め、又は慎み方等の儀、去る五日申渡置候処、身薄者日数を経候ては可㆑致㆓難儀㆒哉に付、左之通り
一、銀相場・銭相場・米市場・青物市場・油相場・音高き職商売。但普請並鳴物は勿論、船作事等は別段に候。
一、漁猟いたし候者。但、商売は追而及㆓沙汰㆒候迄、可㆓相慎㆒候。尤漁船・遊山もの為㆑乗申間敷候。
一、総て火を取扱ふ諸商売。但火元別て可㆓念入㆒候。尤も湯屋共は、夕七ツ時限相仕舞、入湯人可㆑為㆑致㆓物静㆒候。
一、嵩高なる職商売。但随分可㆑致㆓物静㆒候。
一、煎売屋。但火之元別て入㆑念候。尤も御城前等商致候儀者可㆓相慎㆒候。
一、茶屋。但火之元別て入念、随分可㆑致㆓物静㆒候。
一、傾城町商売。但右同断。
右職商売之分、明八日より差止、慎み等差免候。尤も此節柄の儀には候得共、夫々渡世の儀に付、右の通り申渡候儀に候間、銘々相慎み、嵩高の儀無㆑之様諸事物静に致し、火を取扱ひ候類は、猶更火の元入㆑念可㆑申候。勿論右体商売差免候迚、若年又は身軽の者、最早平日通りに心得違不慎の儀無㆑之様可㆑致候。
右之通町々末々迄、不㆑洩様可㆓申聞㆒候。
丑二月七日
右之通被㆓仰出㆒候間、町々入念可㆑被㆓相触㆒候。已上。
【 NDLJP:33】 丑二月七日酉上刻 北組総年寄
覚
一、漁猟の儀、去る八日差免商売は可㆓相慎㆒旨申渡置候処、身薄之者日数を経候ては可㆑致㆓難儀㆒哉に付、左之通り
一、生魚市場・川魚市場・魚鳥商売。右の分明十五日ゟ慎御免候間、勝手次第可㆑致㆓商売㆒候。尤も此節柄の儀には候得共、夫々渡世の儀に付、右之通申渡候儀に候間、銘々相慎み、嵩高之儀無㆑之様、諸事可㆑致㆓物静㆒候。右の通り町々へ可㆓申聞㆒候。
丑二月十四日
右之通被㆓仰出㆒候間、町々入㆑念可㆑被㆓相触㆒候。以上。
丑二月十四未上刻 北組総年寄中
覚
一、御城前芝場に於て酒田楽等の類商致候儀、慎申付置候得共、別て身薄の者共にて、右商売の外身過も無㆑之趣に相聞え、可㆑致㆓難儀㆒哉に付、明十九日ゟ慎み差免候。且両御役所近辺明地にて、夫々店を出し小商等致し来り候者も、慎罷在候由に相聞候間、是又同様不㆑及㆑慎、銘々勝手次第可㆑致㆓商売㆒候。勿論此節柄の儀には候得其、渡世の儀に付、右之通申渡候儀に候間、随分相慎み、夕七ツ時限店を仕舞、火之元格別入㆑念、嵩高之儀無㆑之様諸事可㆑致㆓物静㆒候、右之通り其向々之者共へ可㆓申聞㆒候。
右之通被㆓仰出㆒候間、町々入㆑念可㆑被㆓相触㆒候。以上。
二月十八日未上刻 北組総年寄
一、先達て相触候普請之儀、今廿二日ゟ差免候。鳴物之儀追て可㆓申渡㆒候。右之趣三郷町中可㆓触知㆒者也。
二月廿二日石見伊賀 北組総年寄
覚
一、神明六斎夜市・順慶町其外町々夜市、都て夜店商売・船作事。
右之通り明廿三日より差免候間、勝手次第可㆑致㆓職商売㆒候。且湯屋渡世之者共、夕【 NDLJP:34】七ツ時限焚仕舞不㆑及、且又兼て仕来之通り焚可㆑申候。勿論此節柄之儀に候得共、夫々渡世の儀に付、右之通り申渡之儀に候間、若年又は身軽之者共心得違、嵩高之儀無㆑之様一同相慎み諸事物静に致し、別て火之元入㆑念可㆑申事。
右之通り町々へ可㆓申聞㆒候。
二月廿二日
右之通り被㆓仰出㆒候間、町々入㆑念可㆑被㆓相触㆒候。以上。
二月廿二日酉上刻 北組総年寄
大御所様薨御に付、来る十三日ゟ十九日迄、於㆓四天王寺㆒、御法事有㆑之候間、火之元は勿論、喧嘩口論等無㆑之様、別て入㆑念可㆑申旨被㆓仰出㆒候間、於㆓町々㆒不㆑洩様可㆑被㆓相触㆒候。以上。
三月十一日 北組総年寄
右被㆓仰渡㆒之趣、慥に承知仕候間、銘々印形仍て如㆑件。
口達
御中陰に付、三郷町中火之元以下厳重に申付け、町中木戸暮六ツ時限り〆、自身番等別て無㆑怠様申附置候処、最早御中陰も相満候儀に付、此上取締相弛不㆑申様心得可㆑申候。此度御中陰に付、格別に相勤候自身番は差免候得共、通例自身番之外に手当致し木戸〆切り、火之元等入㆑念、無㆑怠様相勤可㆑申候。
右之趣三郷町中へ不㆑洩様可㆓申聞㆒候。
丑三月廿六日
右之通り被㆓仰出㆒候間、町々入㆑念可㆑被㆓相触㆒候。以上。
三月廿六日午中刻 北組総年寄
鳴物之儀、所作仕候者共計り、去る廿一日ゟ可㆓差免㆒旨、於㆓江戸表㆒被㆓仰渡㆒候間、此表も差免候。右之趣三郷町中可㆓触知㆒者也。
丑三月廿六日石見伊賀
北組総年寄
口達【 NDLJP:35】御中陰も満ち候に付、格別に相勤候自身番の外に手当致し、無㆑怠様相勤可㆑申旨申渡置候処、所作に致し候鳴物御免の儀申渡候に付ては、猶更相弛み油断も出来可㆑致哉に付、諸手当等相止候時は、盗賊悪党者抔徘徊致し、自然火難・盗賊等有㆑之候ては、却て町人共難儀致し候儀に付、追而令㆓沙汰㆒候迄は、毎年十一月申渡候通り、町内取締ケ条之趣同様相心得、自身番等相勤、木戸を建て、往来人通候節等の儀、例年よりも格別取締、火之元等弥々入念候様、町々不洩様可申聞候。
丑三月廿六日
右之通り被㆓仰出㆒候間、町々入念可㆑被㆓相触㆒候。以上。
三月廿六日 酉中刻 北組総年寄
去る十二日家斉公御院号、文恭院殿正一位御贈位被㆑為㆑済候事。
右之趣従㆓江戸㆒被㆓仰出㆒候条、此旨三郷町中へ可㆓触知㆒者也。
丑三月廿七日
大御台様御事、広大院様。右之通り被㆑遊㆓御改㆒候。
右之趣従㆓江戸㆒被㆓仰下㆒候条、此旨三郷町中可㆓触知㆒者也。
丑三月石見伊賀 北組総年寄
公事訴訟、来月七日ゟ令㆓載許㆒候。右之趣三郷町中可㆓触知㆒候。
丑三月
右之通り被㆓仰出㆒候間、町々入念可㆑被㆓相触㆒候。
三月廿八日 北組総年寄
御書出之趣、慥に承知仕候間、銘々印形仍而如㆑件。
口達
去る廿六日所作之鳴物差免候段相触候処、町中心得方区々に相聞え候。鳴物師分之者共、銘々宅にて一分に致㆓稽古㆒候迄にては渡世に不㆓相成㆒候に付、外々へ被㆑雇参り、鳴物取扱候儀不㆑及㆓遠慮㆒候。尤町家之者共、芝居見物に相越候儀、又は茶屋等に於て鳴物致し候儀は、是亦其通之事に候。
一、所々煮売屋等にて、頼母師講致㆓集会㆒候儀、何となく遠慮致し候由相聞え候。元【 NDLJP:36】来頼母子講の儀は、金銀融通の一端にも相成候事に付、是迄仕来り候儀を差止候には不㆑及候間、仕法等筋立如何の催にても無㆑之候はゞ、講元入講人等申合せ、煮売屋其外等の場所にて致㆓集会㆒候儀、勝手次第之事に候。右之通り町中心得違無㆑之様篤と可㆓申諭㆒候事。
四月四日 北組総年寄
口達
一、御中陰中并に御日数相満候後、町中取締方之儀、追々申渡置き候処、火難・盗難等も無数一統物静にて、畢竟夫々申合行届き、自身番等無怠致たし、締り宜しき故之儀被㆓相聞㆒候条、最早格別に自身番相勤候には不㆑及候間、此上の処町々申合次第取締、別而火之元等入念可㆑申事。右之通り町中へ可㆓申聞㆒候。
右之通り被㆓仰出㆒候間、町々入念可㆑被㆓相触㆒候。以上。
四月十五日午上刻 北組総年寄
【文恭院百ヶ日法事】文恭院様御百ケ日に付、来る九日より同十一日迄、於㆓四天王寺㆒御法事有㆑之候間、右御法事中、喧嘩口論等無㆑之様、別而火之元油断不㆑致様被㆓仰出㆒候間、此段於㆓町々㆒不㆑洩様可㆑被㆓相触㆒候。以上。
五月七日 北組総年寄
先達て相触候鳴物停止の儀、所作致候者の外、今日より一統に差免候。
右之通り江戸ゟ被㆓仰下㆒候条、此旨三郷町中可㆓触知㆒者也。
五月廿八日石見伊賀 北組総年寄
大御所様薨御に付種々の酒落話
昔よりして大樹薨じ給ふ時は、御一代は上野御一代は芝へ、代る〴〵御尊骸の納まれる定例にして、此度は芝へ納まれる順番に当れる故、其積りにて、芝に於ては何かと心構せし処、思寄らず御老中水野越前守殿計ひとして、御尊骸上野へ入らせらるゝ様になりぬ。此事御先例に背ける事なる故、然るべからずとて、脇坂中務大輔殿之を拒み留められしが、越州之を聞入れずして、上野へ入らせらるゝ様になりしかば、脇坂には其言用ひられざる上に、不首尾なる様子なれば、之を憤り切腹せられ【 NDLJP:37】し抔と、種々様々の風説あるにぞ、夫につき下様の口さがなくて、落咄・落首・口合・悪口等数限りなく云ひ流行す。此事江戸よりして諸国へ書記して、事々しく送りぬる故、天下一統に之を云ひ触らす。【大御所薨御に就ての落咄】其中にて、予が耳に留まれるは、『ある夜芝の方丈夢に、猿五匹と狐二匹と舞をまふと見る。さめて後之を近習に聞き給ふに、五ざるまいこん〳〵でござらう。』、『大御所様薨御に付、芝の大鐘七部を唱へ替へ九部と唱へ候様、被㆓仰出㆒候処、鐘の音迄も是迄は、どんと唱へ候処、先日よりはこんと響き候由。』
落首附合
芝枯れて上野はほんに花盛り鶯谷にほふ法華経の声
春雨や下馬は日毎に総出仕上は中陰下は元日
芝居をば止めて花見の評定に五つの猿を方丈がゆめ
明らかな真如の月を御覧あれ何れも青い尼の愁寂
此度はまた儲かりの手向山おやぢの諸色金の数々 官家
あらざらん此世の外の思出に今一度の大御所もがな 上野
もろ共にあはれと思へ山法師水より外にうき人はなし 芝
国替にこりずに又も尊骸の水は上野へ逆さまに行く
水殿は絶えて仕まはにや中々に非常も世をも直らざらまし
判じ物発句 君上野 うかむ 〈君と云ふ字真上野と云ふ字、草うかむとかなに認めてありし故に〉
君死んで上野は僧のうかむかな
川柳伝に 気のきいたぢゝひ脇坂?親仁の供をする
天下一統大勢停止丸 大包江戸百銅半包大坂五十銅小包京三十銅
【法度の作替】功能 ◎第一普請繕ひ、芝居見物せんきによし。◎小児の遊大人のあばれ、音曲の稽古、辻々の出し店、夜中せりふの声を留むる事妙なり。◎自身番の大屈、見廻り立眩みには、時太鼓の数程用ひてよし。巡り出候方は、廻りの方にて目を明らかにする事神の如し。◎太夫の声を休め、旅役者の下りを留め、遊女の気かた或は忍びゞき、【 NDLJP:38】紋日のゑづき、ふかたの奸癪、仲居の煙草・しやくりに妙なり。◎日雇大工の肩を休め、左官の空手仕込、茶屋つかへ掛ケ行灯の指引、何れも日数にて用ゆるべし。◎芸子・舞子の包を留め、太鼓持の二日酔を醒し、茶屋駕の不喰、諸稽古屋慎みてよし。◎ 御薬用ひやう、随分物静にして、くはへ煙管堅く禁ずべし。立騒ぎては効能薄し。能々慎み給ふべし。
禁物 ◎鳴物・川狩・音高き職物七日の間遠慮すべしふれ出し 穏便湯 前書の口に有㆑之
本家調合所 慎肝要堂製
売弘所 借本屋繁昌
此度御薬弘めの為め、暮六つ時より木戸を締め、御立入に拍子木一つ宛相添へ申候。取次所は町々に有㆑之候間、御勤め可㆑被㆑下候。
日本親分両人連 先触権柄赴㆓黄泉㆒ 盛砂立派六道辻 掃除行届三途川
三途渡場止㆓乗合㆒ 今般新造空世船 亡者拝見争㆓我一㆒ 獄卒御供守㆓先後㆒
閻魔正㆑冠迎㆓路側㆒ 弥陁輝㆑箔拝㆓輿前㆒ 頻汲荷池替㆓泥水㆒ 急誂㆓蓮台㆒開㆓酒筵㆒
地蔵滑稽振㆓釈杖㆒ 天人饗応催㆓管絃㆒ 蓮葉膳部厨子所 苧殻爼箸料理鮮
地獄極楽大取込 看眼嚊鼻有頂天 仏酔悠々送㆓今日㆒ 鬼咲吟々憶㆓来年㆒
今年冥途成㆓陽気㆒ 渭叶滑合唱歌専
跡部信濃守様へ伺書〈但御新葬御用掛り大目附也。大坂町奉行を勤められし山城守と云ひし人にして、水野の弟也。〉
一、此節御中陰中に付、魚類相止め野菜等おもに給べ申候内、牛房・里芋相用候処、殊に寄せ放屁出申候事も可㆑有㆑之候。御停止中鳴物の儀、故不㆓相成㆒儀に御座候哉、此段奉㆑伺候。〈跡御付札に書面の趣すかし屁位は不㆑苦候。〉
一、丑三月跡屁信州へ問合、下ヶ札にて御通達有㆑之。
此度魚鳥留に付、牛房・芋等多分に食物に致候間、別而放屁相催候。出物・腫物所嫌ずと云ふ古語も有㆑之事故、勝手次第放屁仕候ても不㆑苦儀には存候得共、鳴物停止中の儀、臍の下腹に心得罷在度、此段及㆓御問合㆒候。
下ケ札 御書面 の通り鳴物停止中、放屁の儀難㆓相成㆒事に御座候。御中陰は都てへろ〳〵の神もつんむき不㆑申候由、御日柄相立ち普請不㆑苦旨被㆓仰出㆒有㆑之候はゞ、少々もす【 NDLJP:39】かし候位は、あながち御咎も有㆑之間敷候間、猶勘弁の上取放候様可㆑被㆑致候。
両国橋へ当月初旬、板札に相認め釘〆に致し、打付有㆑之書付の写
乍憚書付を以て申上候。
各〻様益〻御機嫌能く被㆑遊㆓御座㆒、恐悦至極の御儀に奉㆑存候。随而私儀御蔭を以て、日増に繁昌仕り冥加至極、難有仕合に奉㆑存候。尚又当二月上旬ゟ諸品相改め、下直に売出申候間、多少に不㆑限御用向被㆓仰越㆒、御賑々敷御入来被㆓下置㆒候様奉㆓願上㆒候。尤も御家柄に不㆑拘御用向被㆓仰付㆒候御方様へ、御外聞・御外見のみ宜しき様御為め第一に相考、御用向精々出精御内願成就仕候様奉㆓差上㆒候。御見競被㆑遊可㆑被㆑下候。依㆑之諸品直段書左の通り、
金紋御挟箱代金一万両ゟ、 虎皮鞍覆同五千両ゟ、 御持槍并御打物同八千両ゟ 宰相へ御昇進同一万両ゟ 中将へ同八千両ゟ 少将へ同六千両ゟ
右之通りに御座候。其外侍従以下御側衆の奉行は不㆑及㆑申、諸役人の役付御望の御方様は、代金思召次第可㆑被㆓成丁㆒候。出精相働き、御役付御座候様仕り差上可㆑申候。御大名御役にても、金銀にて可㆑被㆑蒙㆑仰程之事に御座候はゞ、如何様に六ケ敷御座候ても、骨折成就仕候様可㆑仕候。何卒多少に不㆑限御用向被㆓仰付㆒可㆑被㆑下候様仕度奉㆓願上㆒候。且又金銀吹替の儀は、元来私渡世に御座候間、兼々金銀座へ申談じ、度々吹替之儀相願はせ、古金は高値に頂戴仕り、新銀は下値に差上申候。何卒多少に不㆑限無㆓御滞㆒御引替被㆑遊可㆑被㆑下候。遠国より御差出遊され候御方様にても、御徳分に相成候様仕法仕度、別紙御触書の通に相違無㆓御座㆒候間、無㆓遅滞㆒御引替可㆑被㆓成下㆒候此段偏に奉㆓願上㆒候。以上。
本国遠州浜松より出張 江戸馬場先御門内西丸下 水野屋越前大掾
取次売弘所 向島三囲の土手下にて 中野屋隠居
追て不㆑遠奥州棚倉へ所替可㆑仕候間、無㆓御油断㆒被㆓仰付㆒可㆑被㆑下候。以上。
中野屋隠居といへるは、中野播磨守とて西の丸にて、御側御用取次をなし、大御所様の思召に叶ひ、至て御寵愛の人なり。五十位にて隠居剃髪し、向島に於て大諸候も及ばざる程なる屋敷を構へ、高台を作り、障子をばビードロにて張り、庭前【 NDLJP:40】に数百株の桜を植る、花の盛には門戸を開き置きて、諸人入込み次第に之を見物させ、花の本に床几を据ゑ毛せんを敷き、茶・煙草盆等を置きて、諸人を休息なさしめて之を慰とす。隠居の身分にて勝手次第に登城をなし、栄耀栄華にくらしぬる事故、何事に寄らず此人へさへ頼みぬれば叶ざる事なく、又此人の気に背きぬれば、忽ちに身の大事に及ぶと云ふ事なり。此の如くに飛鳥も落つる勢なれば、常に門前市をなし、身は御旗本にて有りながら、其暮し方大諸侯も及び難し。此人と水野侯にさへ取込みぬれば、何事も自由自在に叶ひぬる事なり、と云ふ噂なり。
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