浮世の有様/6/分冊6
日光社参に付ての諸注意総年寄の諸法意銭相場の注意両替する者にさとす駕籠にて歩行するを禁ず河船に対する注意酒造者への注意諸問屋組合への御達中国筋廻漕船への注意三月五月の節句の飾りに制限す浄光寺の怪奇僧侶の淫事浄光寺の銀杏樹和光寺の失態家作を規定す衣服の禁を厳にす裾を捲るを禁ず喪服の制問屋組合に覚す祭礼の注意神輿の注意住吉祭の注意歌舞伎役者を取締る久須美佐渡守人口を調査す江戸出稼ぎの者に規定して国に帰らしむ順礼等の取締順礼取締節倹の法に触るゝ者罪せらる刑を恐れて警戒す金銀貸借取締貸借関係の期限を限定す姦通せる者を処分す家作の心得五海道助済金を上納す人形商冥加金を否む右冥加金を町人に課す久須美佐渡守の人物江戸近在を天領とす新田開拓を設計す大阪近在も天領となる金井伊太夫伏見奉行改易水戸侯高齢者 縮緬を給ふ秋元但馬守領地を替へらる大小名貸附の布令印旛沼工事任命の面々東海道筋用命の面々法度の条々水戸侯拝領品目海道用金を課すべきを申出づ水戸領仏鐘を鋳潰す矢部駿河守家名相続大阪城修築金峯山採鉱紫苑山に採鉱を告ぐる文
覚
【日光社参に付ての諸注意】一、日光御社参に付、明後十三日より還御の御左右有㆑之迄、町中火用心弥々無㆓油断㆒、自身番可㆑仕候。総て物騒がしき事無㆑之様に諸事相慎み可㆑申候。
一、夜中四ツ打門を建通り候者吟味致し、不㆑叶用事有㆑之て断り申す者は、自身番の者罷出で承届け、其上町送り可㆑仕事。
一、若し怪しき者有㆑之候はゞ、早速召捕り奉行所へ召連れ可㆓能出㆒候。縦ひ致㆓捕違㆒候ても、其段は不㆑苦候事。
一、明後十三日より還御の御沙汰有㆑之迄、人集並に諸開帳・処々芝居辻打令㆓停止㆒候。且又遊山所等穏便に可㆑仕事。
右の通り三郷町中へ為㆓触知㆒、急度可㆓相守㆒者也。
卯四月十一日 北組 総年寄
総年寄心得を以て口達の覚
【総年寄の諸法意】一、明後十三日より自身番町人自分罷出で可㆑申候。老人或は長病名代の者差遣し候はゞ、慥かなる者出し可㆑申、夜に入り候はゞ立番相増し可㆑申候。一、町々寄木戸無㆑之処は、町境に立番相務め可㆑申候。火を取扱ひ候職人、急度火の元入念勿論風吹き候日は相止め可㆑申候。一、傾城町商売は御差留め無㆑之候間、火の元の儀は不㆑及㆑申、喧嘩・口論無㆑之様諸事致㆓穏便㆒相慎可㆑申候。
【銭相場の注意】一、近来上方筋銭相場下直にて、専ら諸色小売直段にも拘り身軽の者致㆓難渋㆒に付、以来銭一貫文に付銀十匁内の相場を以て売買致間敷候。尤十匁以上の相場相立候【 NDLJP:148】儀は不㆑苦候間、其旨相心得一統可㆑致㆓通用㆒候。右の趣三郷町中不㆑洩様可㆓触知㆒者也。
卯四月若狭佐渡
口達
御役者当表へ罷越し、勧進能興行の儀は、寛政の度より五年目毎興行致し来り候処、文政十亥年御役者共依㆑願、前々町割金の内六十五両余相減じ、増□並に諸祝儀等も相止め、隔年興行致し候様被㆓仰渡㆒候処、隔年興行に付ては、右の通り金高相減じ候とは乍㆑申、五年目毎興行の割に引当て候はゞ、町々出金格別相増し町人共致㆓難渋㆒候趣にも相聞き候に付、向後寛政度の振合の通り、五年目毎興行の積、於㆓江戸表㆒御役者共へ被㆓仰渡㆒候間、町割金の儀も寛政度振合の通り出金可㆑致積相心得可㆑申候。此段令㆓承知㆒町々へ可㆓申達㆒候事。
卯四月
【両替する者にさとす】当表富有の町人共は、多分両替致㆓渡世㆒金銀を貸出し、又は右を口入致し候より、外身過無㆑之者も以来相応の商売相営み、其余暇を以て金銀貨付又は口入等可㆑致旨、去る寅六月相触れ候に付、追々商売相始め候儀に可㆑有㆑之候へ共、右富有の者共は両替計りに無㆑之、何なり共有用の品一と廉の商ひ相始め、諸国荷元より便利宜き品勝手次第に引受け、其余無商売の者共は猶更身分相応の商売相始め、可㆑成丈手広に渡世可㆑致候。尤此後新規に商売相始め候者は、此段一郷限り総会所へ可㆓申出㆒候。
【駕籠にて歩行するを禁ず】一、町人共の内山駕籠と唱へ、乗駕籠仕立ての引戸駕籠乗歩行くの趣相聞え候。右は町人の身分にては不相当の筋に付、向後病人或は足痛等にて無㆑拠駕籠相用ひ候共、通例乗駕籠に乗り候儀は格別、引戸に紛らはしき駕籠に乗歩行くの儀は、堅く不㆓相成㆒候。
【河船に対する注意】当表市中川々相働き候諸船の内、家形船並にかふだい・茶船入家形抔と唱へ候船は、全く川涼遊興之品に候へ共、元来枝川多き土地柄に付、病人又は足痛の者往来の助にも可㆓相成㆒儀に付、右かふだい茶船入家形の類は、先づ其儘差免し。家形の儀は向後町人共乗組み、川筋に横行致し候儀堅く不㆓相成㆒候。
右三箇条の趣無㆓違失㆒可㆓相守㆒、若相背き候者有㆑之候はゞ、急度可㆓沙汰㆒候。右の趣三【 NDLJP:149】郷町中末々迄不㆑洩様可㆓触知㆒者也。
卯四月十六日若狭佐渡 北組 総年寄
【酒造者への注意】諸国酒造御取締被㆓仰出㆒候に付、上方筋より江戸表へ積下しの酒荷物の儀、送り高相極め、其場所限り酒造人共並に江戸表酒屋共方にても大行司相立て、銘々送り状の外に一船積〔衍カ〕一船積高何程銘々送り状何通と認候一紙送り状、其場所に大行司より江戸大行司宛にて差添へ候。右送り状へ浦賀御番所にて改印請け通船致し候仕法相立ち候処、此度問屋組合等御差止め被㆓仰出㆒候に付ては、大行司難㆓相立㆒候間、以来江戸表酒屋共へ差遣し候一紙送り状は、其時に積送り候酒造人其総体の名前にて、誰外何人と認め、宛名の儀は江戸酒屋共方にて年々六人宛申付け、其者共より酒造人へ及㆓掛合㆒候筈に付、右の者共宛名にて一紙送り状差遣し、浦賀御番所改印受け可㆑申候。右の通り三郷町中不㆑洩様可㆓触知㆒者也。
卯四月十七日若狭佐渡
口達
【諸問屋組合への御達】去る寅三月問屋名目相唱へ候儀堅く停止、其外品々御触面の内、品物手前に買込み置き、追々売出し候儀は勝手次第に候得共、他国へ前金遣し買留め積送り為㆓見合㆒、其前へ囲置き候は、〆売に相当り不筋之筋に候間、以後右様の儀は致すまじき旨御触渡有㆑之候処、当表商人国々取引先へ貸出し候金銀は、夫々産物類稼出候仕入れにて品物買留め候筋には無㆑之、国々の者も右金銀を以て稼方取続け候訳柄に付、前書前金の廉へは不㆓引当勿論㆒、当表より仕入れの厚薄に寄り、国々稼元盛衰にも拘り候趣に、口上は旁々右仕入先貸金銀は唯今の通り相心得、銘々手厚に致し取組み、何れにも諸色及㆓潤沢㆒候様掛引可㆑致候。右の通り三郷町中不㆑洩様可㆓申通㆒候事。
卯四月
【中国筋廻漕船への注意】中国筋海岸の儀は、四国・西国・北国等より、上方筋へ荷物積廻り候船路にて、殊に長州赤間ヶ関は船附便利の所柄にて、風雨等に拘らず輻輳致し候に付ては、所々奸商共一己の利潤に拘はり、近来諸色不融通の地合に乗じ、右赤間ヶ関へ出張、国々より上方筋を目当に積登せ候品を引留め、其外の者馴合高直に糶売糴買致し、其外瀬【 NDLJP:150】戸内と唱へ、右赤間ヶ関より大坂迄の浦々迄も国積致し、糶売又は上方筋へ荷物刎越し候ても、其所の相場に拘はらず瀬戸内糴買直段を、荷主船頭共見競ひ売放さず候に付、自ら相場引上り候由相聞ゆ。元来途中売買之儀は、其所限りの融通にて、世上の為には相成らず、却て糶売・糴買の直段大坂等へ相響き夫々相場引上げ、右場猶又所々へ相移り、先繰に直段羅上げ候仕儀に至り候に付、諸色融通の道を塞ぎ如何の事に候。向後上方筋へ積登し候荷物の分、赤間ヶ関其外瀬戸内浦々等にて、横取り同然と糴買致間敷、仮令夫々浦方へ着致し候筈の処にても、兼ねての取引相当の見積を以つて引受け候儀は格別、利欲に耽り多分の荷物買締持園等致し候儀は勿論、或他所より出買に相廻り候胡乱の商人・船頭等へ、決して取引致間敷候。夫々所役人共も兼ねて厚く心を付け取締り正路の売買可㆑致候。若此後にも如何の儀相聞え候はゞ、無㆓用拾㆒及㆓吟味㆒、所役人共迄も急度可㆑令㆓沙汰㆒候。右之通り三郷町中可㆓触知㆒者也。
四月十七日
今日通達年番・町々町代被㆓召呼㆒書取を以つて左に被㆓申渡㆒候。
【三月五月の節句の飾りに制限す】三月節句錺物 御殿〈三尺以下直段百目以下〉・内裏雛〈八寸以下一ツニ付卅目以下〉・組二つ〈一餝ニ付六官女十目以下〉・官女〈八寸以下同十一匁五分以下〉|・但三つ錺に付〈三十四匁五分〉・但五つ一錺に付〈五十一匁五分〉随身〈八寸以下十六匁以下〉但二つ一餝に付〈三十二匁以下〉・仕丁八寸以下〈五匁以下〉但三つ一餝に付〈十五匁以下〉・立雛八寸以下一対〈三十目以下〉
五月節句餝物 人形〈八寸以下一ツニ付三十目以下〉・但二つ一餝に付〈六十目以下〉・但三つ一餝に付〈九十目以下〉・餝具足〈百目以下〉・木綿門立幟立〈百目以下〉・角火打一つに付〈十二匁以下〉・猿〈十五匁・以下〉
〆右之通りに御座候
卯四月十二日 通達年寄 江戸堀一丁目
今日通達年番・町々町代被㆓�呼㆒書取を以つて左に被㆓申渡㆒候。
菖蒲太鼓〈十六匁以下〉・ 軍配団〈十三匁以下〉・ 鉄砲〈十六匁以下〉・ 陣笠鞭台共一組〈二十五匁以下〉・ 台提灯〈二十匁以下〉
〆右之通りに御座候以上
卯四月十七日 通達年寄 江戸堀一丁目
御触
【 NDLJP:151】金銀具所持致間敷旨、前々より度々御触有㆑之、其上去る寅六月中引替の儀申渡し置き候処、今以つて内々所持致し候者有㆑之哉に相聞え、右は畢竟奢侈の風儀に候。自今以後若聊の品たりとも取隠し所持致し居り候を、内密相探り相顕れ候か、又は被㆓盗取㆒吟味相成候節は、厳重の咎可㆓申付㆒候間、此上心得違不㆑致、所持罷在り候者共は、当五月限り為㆓差出㆒可㆑申候。此段令㆓承知㆒町々へ可㆓申達㆒事。右之通り被㆓仰出㆒候間、町々入念可㆑被㆓相触㆒候。以上。
五月七日 北組 総年寄
【浄光寺の怪奇】五月上旬の頃より、北江戸堀二丁目浄光寺といへる門徒寺の庭に有る処の銀杏樹に新芽出し、さま婦人の西方に向ひて、手を合せぬるさまによく似たりとて、人の噂する様になりしが、之を聞伝へ、初旬の頃よりして見物群集りしが、追々仰山になりて、昼夜の分ちなく大勢群集して、往来するにも差支へぬる程の事に及び、商人共は種々様々の物共を出し並べ、之を商へるに、銀杏の簪・銀杏の菓子等其形を写せしありて、多くの利を得るに至る。辺鄙の山林等には如㆑此に枝振のをかしく生ひ繁り、人と見れば人の形、犬・猫・鹿・猿の類の如くにも思ひ見らるゝ、沢山に有れる樹木の事なれども、市中には之を珍しがり、別に大坂といへる所は、三都の内にても尤も大湊にて大都会の事なる故、自然と大狼狽に狼狽へぬる飛上りの大馬鹿者沢山の事なる故、一犬虚に吠え万犬実を伝ふるが如し。騒々しき事なり。大川町淀屋橋にて、肥前屋八兵衛といへる者の母、甚しき悪徒の為に謀られ、素より淫婦の事なる故之に陥り、公辺に召捕られ、世間にて大評判の事なり。【僧侶の淫事】又京都に於て、或る法華寺の住職、其檀家なる八百屋何某の妻を犯さんとて、面を墨にて真黒に塗り、頬被にて長剣を横へ、八百屋が門口を打破り、白刄を振つて盗賊の状をなし、主を柱に縛付け置き、其目前にて其妻を犯す。かくなして其儘に帰りなば、不審に思はれん事を思へるにや、帰りがけに手元に有る処の聊の品を取り帰りしと云ふ。僧徒の奸悪なる俗盗も及び難し、憎むべき事なり。其事忽ちに露顕し、明る日直に召捕られ入牢せしと、心地よき事なり。【浄光寺の銀杏樹】銀杏樹と斯様の噂のみにて、世間騒々しき事なりし。浄光寺は親鸞末派の本堂の側らに生ひし銀杏樹に、新に芽【 NDLJP:152】を出し繁りぬる形、娘の西に向ひて手を合せ、仏を拝みぬる様に能く似たりしとて、老も若きも群れ集ひて、不可思議なり、奇妙なり抔口々に言囃し、面白がり嬉しがり、気も徐ろにて浮かれぬる様の可笑しきに、其辺りには多くの商人、何れも店を出し連ね、種々の物など商へる様言葉にも尽し難く、浮れ人の気に乗りて、頻りに利を貪らんとせる等をかしき事になんぞありぬ。斯る有様なれば、叶はざる事の有りて、其辺りを往来せんと思ひぬるも、其浮れぬる人々に障へられて、其所をば通りぬくる事の難き程の事なるにぞ、余りにをかしかりしと思ひ侍りしにぞ、
木を人と見る諸人も木か石かいてふもさぞやをかしかるらん
皆髪をかく結へかしと心なき木さへもひとをあはれむと知れ
髪結はぬひとはしらべと銀杏樹の心有りてや芽出しぬるらん
髪結はぬひとに見せばや砂場なる法の庭木のしげるすがたを
木を人と見れは銀杏も人をまたさるによく似た人と云ふらん〔頭書〕
木を人と見て浮かれぬる諸人を猿かひとかと木もまどふらん〔頭書〕
銀杏樹の女の姿せる事の珍らかなりとて、狂歌・落首等其辺りに数限りなく張付けて有りぬるを見るに、頻りに木娘といへる事を書記しぬるにぞ
木娘といへる言の葉ふるめかしわれなくなれる枝のすがたを
銀杏より見る諸人のかみかたち木も心あらばをかしかるらん
取りみだすすがたに同じ心かなまさなく見ゆる世の浮かれ人
【和光寺の失態】浄光寺の銀杏を見物せんとて、大に群集するに、之を美しがり、堀江和光寺〈阿弥陀称す〉 の姦僧人寄せをなして賽銭を貪らんと思ひて、此寺内に有る所の銀杏樹を密に遊女の姿に造り為して置きぬるにぞ、愚人等又之を不思議がり、珍らしがりて大に群集せしが、素より自然の物に非ずして、姦僧の工みなせし事なれば、公辺より厳しき御咎被㆓仰付㆒、見物の人をも禁ぜられしと云ふ。之に限らず坊主等の姦悪をなせる事、世間に於て沢山の事なり、悪むべし、〳〵
御触〈五月十九日〉
【 NDLJP:153】【家作を規定す】町中は勿論、国々在町共家作の儀に付ては、先年より度々相触れ置き候処、追々相緩み、長押・杉戸・附書院・入側附等に珍らしき家作致し、櫛形彫物・縁・桟・框を塗り、金銀の唐紙等相用ひ、門・玄関様の物取建て、或は外見質素にても、□て工手間取懸け候茶席同様好事の普請も有㆑之候趣相聞え、奢侈僭上の儀不埒の至に候。仮令先代に取建て候家作に候共、此節早々造作相改め、其外別荘を補理ひ、格別手広不相応の家作も有㆑之候由相聞え候間、当六月を限り、質素の家作に相改め可㆑申候。町人共の家作にて手広に候共、華麗・奢侈又は身分不相応には無之候共、物好の家作は自然耕作等怠慢の萌を生じ、風俗頽敗の基にも相成り候間、農家並の通りに家作相改め可㆑申候。農家の家作にて手広に候共、華麗にも無㆑之物好み儀も無㆑之分は、取毀ち申付け候に不㆑及候。尤農家の家作に聊か引違有㆑之分は、追て普請修復等の節に古代之家作に引直し可㆑申候。且又百姓家不相応の家作にて引直し可㆓申付㆒分、江戸町中共国々在町に准じ、急速引直し可㆑申は勿論に候得共、専ら耕作の時節に差向ひ、難儀も可㆑致候間、農事の隙明を考へ、当十二月中迄に引直し可㆑申候右限り月を越え等閑に相心得候者も有㆑之候はゞ、吟味の上厳重の咎可㆓申付㆒候。右の趣町々は町奉行、御領は其所の奉行・御代官、御預り処・私領は、領主・地頭并に寺社領共得㆓其意㆒、其向々にて厳重に可㆑被㆓申付㆒候。若等閑の取計らひも於㆑有㆑之は可㆑為㆓越度㆒候。
右之通可被相触候。
四月
右之趣従㆓江戸㆒被㆓仰下㆒候条、此旨三郷町中不㆑洩様可㆓触知㆒者也。
若狭遠江 北組 総年寄
口達〈五月十九日〉
【衣服の禁を厳にす】町人男女衣服其外身の廻りの儀、先達てより追々相触れ候に付、町役人共よりも精々申しさとし、一同質素に相守り候趣には候得共、処々往来致し候女の内には、有合せ候古物故苦しからずと心得違ひ候哉、天鵞絨・縮緬・編子等の襟・裾除、又は履物は鼻緒などにも天鵞絨を用ひ候儘、相改めず者も有㆑之由相聞え、触渡を不㆓相用㆒【 NDLJP:154】段不埓の至に候。右は畢竟親夫の教示不行届故の儀とは乍㆑申、素々町役人共御趣意等閑に相心得、取締方疎に致し置き候故の儀と相聞え候。右の趣にては、御趣意相弁へ早速相改め候者は、却て心得違の様に相成り、以の外に候。町人男女、絹・紬以上は不㆓相成㆒との御触規則も有㆑之上は、分限に寄り差別迷はしき廉も有㆑之間敷儀に付、町役人共此上精々不㆓相許㆒様、厳密に世話致し、永久御趣意相貫き候様可㆑致候。一、所々往来致し候女共の内、近来裾除に種々物好を致し、衣服の裾を捲上げ歩き候者一般に相成候。【裾を捲るを禁ず】右は都会の風儀には有之間敷事に付、向後女共裾を捲上げ、往来致し候儀は相謹しみ可㆑申候。
一、男女喪服絹は不㆓相成㆒、布に限り可㆑申旨、明暦三酉年伺の上達置き候箇条に有㆑之候処、年古き儀にて心得候者無㆑之。【喪服の制】依㆑之猶又右の趣相心得、夏冬に不㆑限色は布相用ひ候様可㆑被㆓申聞㆒候。貸色渡世の者へは、猶更為㆓心得㆒可㆑被㆑申候。
一、葬送りに出で候者方へ挨拶罷越し候節、色着用致し候儀に付ては、最前御触達の趣無㆓違失㆒相守り、横行無㆑之様相嗜み可㆑申旨可㆑被㆓申聞㆒候。
一、辻占と唱へ商ひ候煎餅・比布に包み候文句、風儀不㆑宜分は無用に可㆑致事。
〔御触脱カ〕
【問屋組合に覚す】去る寅三月問屋唱へ方等の儀に付、御触渡し有㆑之節、売買筋の儀、先づ唯今迄の通り可㆓相心得㆒旨申渡し置き候口々の内、大坂表両替屋の儀は、本両替屋・南両替屋。銭屋は三組に相分ち商売仕来り候処、以来右仲間組合は弥々以つて差止め、総体両替屋と相唱へ可㆑申候。尤も銀銭相場の儀は、融通第一の品にて、殊に上方の儀は、専ら銀通用之場処に付、右相場異同有㆑之、自儘の取引に相成り候ては、万価に拘はり不㆓軽易㆒儀に付、取計らひ方の儀は唯今迄通り居続ぎ候間、一統此旨を存じ、此後新規に両替屋相始め候者は、奉行所へ可㆓申出㆒候。勿論右相場処の儀は、是迄の通り十人両替屋共差配致し、不正の取計らひ無之様取締り可㆑申候。右の趣三郷町中不㆑洩様可㆓触知㆒者也。
五月廿二日
神道・軍書講釈・昔咄し・小見せ物等、夜に入り致す間敷旨被㆓仰出㆒候間、暮六つ時前【 NDLJP:155】迄に相仕舞ひ候様、右等に携り候者へ不㆑洩様可㆑被㆓申聞置㆒候事。
卯五月
六月朔日定例御触
【祭礼の注意】一、祭礼の時分、弥々諸事軽く仕り、笠鉾に掛け候小袖並に帯・小袋、又は吹貫・小旗・送り物・人形の装束等に至る迄、絹・麻布・木綿の外可㆑為㆓無用㆒。衣類・道具等に金銀の箔押間敷、祭に出候町人、衣類、麻布・木綿の外着用仕間敷事。
【神輿の注意】一、天満天神宮祭礼の節、神輿舁き候者立願などと名付け、大勢立会ひ騒動仕り候由相聞え、不作法に付、兼ねて神輿舁き、員数並に装束相定め置き候。随分物静に可㆑仕、定の者の外一人にても罷出で、神興にさはり候者於㆑有㆑之は、急度可㆓申付㆒候。総て外々祭礼にも無用の者神輿にさはり騒動為㆑致候はゞ、詮議の上急度可㆑致㆓沙汰㆒事。
【住吉祭の注意】一、住吉祭礼の節、大坂町中より持参候提灯棹、一本に人数多く附き候故、火の元無用心に候間、棹一本に提灯一つ宛可㆑附候。且又祭礼仕舞ひ、提灯持帰り候刻、今宮の内にて火を可㆑消候。若大坂町内迄火をともし帰り候者有㆑之ば、其町の者出会ひ可㆑為㆑消候。令㆓違背㆒ば番所へ可㆓召連㆒候。並に外の祭礼にも夜中提灯・松明を放埓に致し候はゞ可㆑為㆓越度㆒事。
一、祭礼見物に出で候者、銘々留守の火を用心堅く可㆓申付㆒候。不沙汰致し手過ち有㆑之ば可㆑為㆓曲事㆒。総て町々に残置き候者町中を見廻り、別て可㆑致㆓用心㆒事。
一、祭礼の節暴者有㆑之候はゞ、其処の町人早速出会ひ、前後の門を打ち可㆓捕来㆒。若見逃し候に於ては越度可㆓申付㆒事。右之通り三郷町中可㆓触知㆒者也。
口達
神事を簡約にすべきをさとす毎年六月は諸社神事に付、ねり物・地車・太鼓等差出し候儀に付、前々口達を以つて為㆓触知㆒置候通り相心得、神事の節は随分相賑ひ候ても不㆑苦候事に候。無㆑程神事月に至り候に付、申付け置き候。乍㆑去御時節柄追々触渡し置き候趣も相心得、地車・太鼓又はぬり物等の餝り、芸者の衣裳・木綿晒を相用ひ、華美の儀致す間敷候。尤右の外新規に相工み候品、決して差出し申間敷候。且地車・太鼓・ねり物等奉行所へ【 NDLJP:156】不㆑及㆓持参㆒候。衣裳等は郷々総会所へ被㆓書出㆒、此方より役人を差出し為㆓引合㆒、見分可㆑及候。氏地の外夜に入り地車曳歩行き申間敷候。若違背候者有㆑之ば、急度可㆑令㆓沙汰㆒候。右之通り三郷町中末々迄不㆑洩様可㆓申聞㆒候事。
六月朔日御触
去る寅三月問屋唱へ方等の儀に付、御触有㆑之候節、売買筋の儀先づ只今迄の通り相心得旨申渡し置き候口々の内、当表旅籠屋之儀天満橋外十橋掛直御修復等の為㆓手当㆒、常盤町三丁目塚口屋重三郎へ旅籠屋支配差免し、右助成を以つて橋受負ひ申付け来り候処、以後右十一橋掛直し御修復等の儀は、公儀御入用にて致し候間、重三郎橋受負ひ、旅籠屋支配共差止め候。
一、大坂町々より相納め候川浚冥加金の儀は、株仲間等より上金致し候旨は訳も違ひ候に付、右の廉は居置き候間、此後も唯今迄の通無㆑滞上納可㆑致候。
【歌舞伎役者を取締る】一、当表歌舞伎役者の儀、去る寅五月以来追々身分取締方並に住所の儀は、古来より道頓堀に限り有㆑之候に付、以来も唯今迄の通り相心得、市中所々に立別れ住居致す間敷旨をも申渡し候上は、歌舞伎役者・振付師共一同道頓堀へ一纒に住居可㆑致儀に有㆑之候処、右住居外にて微若の男子を抱へ、振付師の唱へを以つて、右男子を弟子・召仕抔に致し、旅籠屋並に料理屋、又は自宅にても客有㆑之候節、酒の相手に差出し、就中出家に為㆓買揚㆒、猥りなる儀も有㆑之由相聞ゆ。右は前書申渡しにも触れ、旁々難㆓捨置㆒次第に付、今般厳敷可㆑及㆓吟味㆒処、御改革後男子共髪の形・衣服等をも替へ、質素の風俗に相改め候趣に相聞え、如何敷しき儀に候へ共、年久敷右渡世致し来り候儀も有㆑之候間、格別の宥如を以つて吟味の不㆑及㆓沙汰㆒候。尤以来右渡世致し候儀、決して不㆓相成㆒候間、早々渡世替可㆑致。若渡世替差支候男子共は、道頓堀へ引移り、歌舞伎役者共弟子に相成り可㆑申、主人共も同所にて振付渡世致し候儀は格別、都て前書申渡しの通可㆓相心得㆒候。右の趣其筋渡世の者共へ申達し、以後の儀急度取締可㆑申事。
六月
【久須美佐渡守】一、久須美佐渡守様、今日御到着被㆑成候間、此段可㆑被㆑致㆓承知㆒候。以上。
【 NDLJP:157】 六月二日 北組 総年寄
久須美氏は七十余の老人なる由、昨年の事かと覚ゆ。佐渡に百姓の一揆起り、奉行其外諸役人何れも散々の仕合にて、大変に及びしにぞ、此人台命を蒙り彼地へ到り、之れを取鎮めしと云ひて、大に評判せし事有り。斯る人物なる故、当時御改革の折柄なれば、選出されて大坂町奉行を命ぜられしと云ふ噂なりし。
在領の御触
【人口を調査す】一、諸国人別改め方の儀、此度被㆓仰出㆒候に付ては、自今以後在方の者身上相仕舞ひ、江戸人別に入り候儀、決して不㆓相成㆒候間、領分知行所役場等に罷り在り候家来、精々勧農の儀申諭し、成る丈人別不㆓相減㆒様取計らひ、且つ職分に付当分出稼の者並に奉公稼に出府致し候者共は、村役人共連印の願書為㆓差出㆒、右願の趣承届け候旨右役場へ相詰め候家来奥書・印形致し相渡し、小高の分知行所家来不㆓差置㆒、遠国にて当地へ願等手重の向は、割元役の者奥書・印形致し候積り、其外出家致し候者の儀は、由緒なき者弟子の望有りと雖も、猥りに不㆑可㆑令㆓出家㆒。若無㆑拠仔細於有㆑之は、其所の領主・代官へ相断り可㆑任㆓其意㆒旨、寛文五年諸宗へ御条目を以つて被㆓仰渡㆒候処、近年糺方等閑の向も有㆑之哉に相聞え候間、以来は出家相願ひ候者は、人柄並に仔細等、領主・地頭にて篤と吟味の上、寺社奉行へ申断り聞き置き、挨拶有㆑之上にて可㆓差免㆒、並に廻国修行・六十六部順礼等に罷出で候者も、前書出稼の者同様に取計らひ、尤も出家願等仕来にて添翰等致し候向は、其通りに可㆑致。諸藩中無㆑拠仔細にて出家致し候分は、是又寺社奉行へ可㆓相断㆒、且つ吉田・白川陰陽師、神事・舞太夫等許状申受け候者共も、其度々添輸又は前同様願書へ奥書致し可㆑被㆓相渡㆒事。
一、近年御府内入込み、妻子等も無㆑之裏店借受の者の内には、一期住同様の者も可㆑有㆑之、左様の者は呼戻し、在方人別不㆓相減㆒様取計らひ可㆑申事、右の趣在所に罷在り候家来へ精々可㆑被㆓申付㆒候。
【江戸出稼ぎの者に規定して国に帰らしむ】 三月
在方の者当地へ出居、馴れ候に随ひ、故郷へ立戻り候念慮を絶し、其儘人別に加は【 NDLJP:158】り候者追年相増し、在方の人別相減じ候趣相聞え、不㆑可㆑然儀に付、今般悉く相改め不㆑残帰郷可㆑被㆓仰付㆒候処、商売等相始め、妻子等持ち候者も一般に差戻し被㆓相成㆒候ては可㆑致㆓難渋㆒筋に付、格別の御仁恵を以つて、是迄年来人別に加はり居り候分は、帰郷の御沙汰は不㆑被㆑及、以後取締方左の通り被㆓仰出㆒候。
在方の者身上相仕舞ひ、江戸人別に入り候儀、自今以後決して不㆓相成㆒。大工・左官・木挽・柚其外職分に付、当分出稼ぎの為め出府致し、同居又は店持或は奉公稼に出で候者は、月限り年限を以つて村役人へ申立て、御代官・領主・地頭へ願出で候へば、村役人連印、御代官所は手代、私領は家来に奥書・印形免状相渡し遣し候間、出府之上家来或は主人へ差出し、且つ何方に同居並に奉公住致し候旨、村方へ及㆓通達㆒、期月・年限等に至り候はと、一旦村方へ立帰り、何箇度出府致し候共、右同様の手続に相心得可㆑申事。但し在方より出入別入手重に相成り候由を申唱へ、職人は賃銀を増し、奉公人は給金せり上げ候儀、決して致す間敷候。以来男奉公人の分は、武家方中間・町方下男迄も、金二両二分より三両迄、女は一両二分より二両を限り、年若幼弱の者共は、其限に無㆑之候間、何程も給金引下げ、奉公住可㆑致候。若相背き主人方相対の上、給金増しの取極致すに於ては、吟味の上急度咎可㆓申付㆒事。
【順礼等の取締】一、廻国修行・六部順礼等罷出で候者、是迄は村役人共或は菩提所寺院、相対の上往来手形受取る由の処、以来は村役人共より御代官・領主・地頭へ願出で、前書の振合を以つて許状相渡し可㆑申事。出家致し候者共の儀、以来無㆓違失㆒所役人より御代官・領主・地頭へ相願ひ、聞済みの上添輸又は奥書可㆓申受㆒。且つ吉田・白川家陰陽師・神事・舞太夫等より新規門下に相成り、又は百姓・町人にて、身分相応の許状受け候者勿論、縦令前々より配下にて、神道葬祭或は継目許状受け候節も、其度に支配領主へ相願ひ添輪又は奥書を以つて、其筋より許状可㆓申受㆒事。
一、在方人別改方等閑の趣相聞え候。向後死亡・出生・嫁要・出稼奉公稼の者共、巨細に相改め、当人印判取の印判改め候はゞ、其段断り書き致し置き、職分に付出稼奉公稼の者、期月・期年に不㆓相戻㆒候はゞ、其段御代官・領主・地頭へ訴出で可㆑申事。【 NDLJP:159】一、近年御府内へ入込み、裏店借受居り候者の内には、妻子等も無㆑之、一期住同様の者も可㆑有㆑之、左様の類は早々村方へ呼戻し可㆑申事。右の趣村役人共厚く相心得、勤農の趣意深切に申諭し、村方人別相減じ不㆑申様精々心付可㆑申候。若人別改め方等閑之取計らひ致すに於ては、村役人共役儀取放しの上、急度曲事可㆓申付㆒者也。右之通り可㆑被㆓相触㆒候。
三月
【順礼取締】廻国修行・六十六部順礼等に罷出て候者、是迄村役人・菩提所寺院より、勝手に往来手形差出し候へ共、以来村役人より御代官・領主・地頭へ相願ひ、期月をもつて承届け許状相渡す筈に候間、右許状無㆑之者は関所相通し申間敷旨、関所有㆑之向々へ可㆑被㆓相達㆒候。右摂津守殿御渡し候御書付写し差遣し候間、御関所有㆑之御代官へ御逹可㆑有㆑之候。已上。
三月廿八日 御目附役 桜井庄兵衛
右の通り従㆓江戸表㆒被㆓仰渡㆒候間、御趣意の趣厚く相守り可㆑申候。右は畢竟其所の人別相改め方に猥りに相成り、勝手次第出歩行き、終に故郷へも不㆓立帰㆒、先々に於て人別等致し、故郷出生之国所人別を減じ、土地の衰微を招き、又は物貰等致し歩行き、終には遠国他所にて行倒れ等に相成り、不取締は勿論、先々に於て無㆑謂世話相掛け、其身銘々等も本業を失ひ候に付、種々御世話も被㆓成下㆒候儀に候へば、厚く御仁政の御沙汰を弁へ可㆑申儀、尤以来支配所の者共儀、他所へ出稼ぎ、其外神社・仏閣順拝等に罷出で、或は諸用有㆑之他国出等致し候類、右御触面の通り聊の儀も役所に申立て、手付手代の奥印形申受け候様可㆑致候。別て市中続支配所村々、池田村等借家人又は店借等多き場処は、尚更村役人共厚く心掛け可㆑申候。若不沙汰に他国出等致し、一旦欠落届等に相成り、立帰り帰住等願ひ候共、其節に及び吟味若しくは前書御触面の趣相背き、不沙汰に他国等致し候段申立て候共、其始末に応じ、急度御咎等可㆓申渡㆒候間、其旨兼て可㆓相心得㆒候。此触書小前並に借家人へも逸々為㆓読聞㆒可㆑申候。
卯四月廿九日 築山茂左衛門 御役所
【 NDLJP:160】右御触書の趣、遂一承知奉㆑畏。向後急度相守り心得違の儀仕間敷候。為㆑其御受印形如㆑件
天保十四年卯年五月
【節倹の法に触るゝ者罪せらる】六月中旬、島の内心斎橋南詰の人形屋、金二百疋の馬を売りて御預けと成る。〈昨年来二文・三文の絵、三十文の猪口などを売りて、御預けの上、十貫文の過料取上げられし者共沢山に有りて、世間にてもよく之れを知れる事なるに、此節に至り斯様の事に及べるは、慾深きたはけ者と云ふべし。〉 島の内八幡筋にて、天鵞絨鼻〔緒脱カ〕の下駄を履きし者有りしを、役人衆に見付けられ、【刑を恐れて警戒す】当人は召捕られ、其町之年寄町預けと成りしにぞ、其噂大に響き渡り、毎町にぬり下駄・天鵞絨鼻緒の下駄・草履等を会所へ取上ぐるあり。又家毎に町役人出来り、下駄・草履の緒を鋏にて切り廻るありて、厳重の事共なり。
六月十九日御堂筋辺の人形屋何れも申合せ、八寸以上の人形五月・三月等に用ふる諸道具除置きしとて、之を商ふ事ならざる故、悉く引さらへて御奉行所へ差上げし由、大層の事なりしと云ふ噂なりし。
島の内八幡筋の蒲鉾屋、是迄諸人に金銀を借り、身代限をなし、外方にて名前を換へ店出し致し、盛んに商売をなせる悪漢あり。又此度も諸人より数口の金銀を借入れ、之を取込む手段 工み、借財数口の内にて金高僅かなる貸人に相計り、此者より顧付けさせ、之に身代限を渡し、多くの貸人共を悉く倒して、此度は道頓堀二つ井戸の辺に立派なる店出せしが、忽ち露顕にて召捕られ、日本橋に於て晒の上御払となる。相対にて此度身代限を取りし者は、晒者の縄取を被仰付しと云ふ、心地よき事なり。
六月十六日御触
【金銀貸借取締】世上金銀貨借利息の儀、金二十両に付一分の割合を以つて取引可㆑致旨、去る寅九月中相触れ候に付ては、双方とも不実の儀無之様可致は勿論に候処、借方の者ども兎角等閑に相心得、済方不‐㆓揃取㆒、金主共も利益薄きを厭ひ、融通不㆑宜趣相聞え候。依㆑之奉行所に於て吟味の上、裁許申付け候分、向後切金には不㆓申付㆒、直に日限を以つて済方申付け、埓不㆑明に於ては、身代限り金主へ為㆓相渡㆒候間、金主共弥々無㆓懸念㆒十分に取引可㆑致候。勿論借方に於ても、其旨相心得等閑の儀無㆑之様、実【 NDLJP:161】意に済方可㆑致候。
【貸借関係の期限を限定す】一、寛政九巳年以来の借金銀は、是迄の通り取上げ、栽許可㆓申付㆒候へ共、古貸借にて追々に元金に詰め、新規借用又は願金等の証文に直し候類吟味之於㆑無㆑紛は、素より不実の取引に付、向後相対済申付、奉行所にては取扱致間敷候事。
一、売掛十箇年以上の滞は、向後相対済申付、是又奉行所にては致間敷候事。但十箇年以上の滞りにても、引続取引致し候分は、吟味の上取上げ裁許可㆓申付㆒候。
一、遊女町・傾城町等より願出で候遊女揚代金滞の儀、向後相対に可㆑済は格別、奉行所にては取上げ申間敷候事。
右の通り相心得、弥々此上金銀融通〔不脱カ〕可㆓差支㆒様取計らひ、借方の者共も勿論、貸方に於ても相互実意専らに心掛け取引可㆑致候。且つ以来身代限り為㆓相渡㆒候に付ては、先訴の分取上げ日限済方申付置き候内、同様の後訴有㆑之候とも、金銀出入に限り先訴相済し候上に無㆑之候ては、取上げ裁許は申付間敷候条、其旨可㆓相心得㆒候。尤右に付身代を隠し、或は如何はしき所業に及び候者、其外利慾に拘はり不埓なる心訴の類於㆑有㆑之は、当人は不㆑及㆑申、其処々町役人・村役人等迄、吟味の上厳重に咎可㆓申付㆒候。且又武家・寺社等は是迄の裁許可㆓申付㆒候へ共、兎角済方等閑勝或は申渡の金高不足に差出し候輩も有㆑之由相聞え、尤不埒の事に候。向後右体の類有㆑之に於ては、糺の上急度可㆑及㆓沙汰㆒候。右の通り可㆑被㆓相触㆒候。
五月
右の趣従㆓江戸㆒被㆓仰下㆒候条、此旨三郷町中可㆓触知㆒者也。
卯六月若狭佐渡 北組 総年寄
【姦通せる者を処分す】昨年鴻池屋治兵衛といへる者の妻、伊勢参宮をなし、道中に於て土佐堀常安橋辺の仲衆と不義をなし、宿に帰りし後も数々金を此者に揺取にせられしが、此事相顕れ、仲衆は召捕られて入牢す。治兵衛妻も召出され、厳しき御吟味に遇ひて、明らかに白状す。治兵衛をも召出され御しらべ有りしに、此者甚だ面目を失ひ、外聞悪き故此沙汰有ると直に、妻を離縁をなし、前以つて暇を遣せし由に申上げしにぞ、密夫せしには相ならざれども、不義の始末不㆑宜故、男は鳥目五貫文の過【 NDLJP:162】料にて相済み、女は奉行所に於て髪を剃らせ、尼となして親元へ引渡しとなる。 〈炭屋治兵衛といへる青楼の娘にして、之迄素人は云ふに及ばず、芝居役者なども相手となり、乱行甚だしと云ふ。鴻池治兵衛此女にほれ込み、高金を出して妻に迎へ取りしと云ふ事なり。〉此者吟味掛りは、田中左馬五郎といへる与力なりしが、吟味中より此女に惚込み、己が手にて之を裁許し落着に至ると直に手を廻し、権威を以て此女は勿論、親迄をも大に威し、直に此女を妾となし囲ひ置きしが、此事相顕れ、六月中阿房払に被㆓仰付㆒しと云ふ、心地よき事なりし。
今日通達年番・町々年寄当郷総会所へ被㆓召呼㆒、永瀬幾代助様より被㆓仰渡㆒候は、先達て被㆓仰出㆒候家作の儀、伺済みの上左の通りに候事、尤も口達・触抔と申し候には無㆑之、町々年寄心得迄に候間、組合町にても可㆑被㆓申達置㆒候。
家作の儀是迄被伺出候向々心得相達し候覚【家作の心得】一、長押 去年御触の節取払ひ候へ共、猶不㆑残様可㆑申候。
一、杉戸 通り杉の戸は不㆑苦、椽は桟等真塗の分は御改可㆑申候。
一、附書院 取払ひ候事勿論、荷ひ書院と唱へ、床の横へ掛け候分も、都て縁へ張出し候分は、御改可㆑申候。
一、入側 外立の雨戸有㆑之候ても、板縁に候へば入側に無㆑之、畳を入れ候を入側と申し候。其心得を以つて相改め可㆑申候。
一、櫛形附書院に有㆑之物にて、一通りの書院等には見当り不㆑申、此分並に瓦灯口等は相改め可㆑申候。
一、彫物 右若し有㆑之候はゞ、夫々取払ひ可㆑申、欄間等有㆑之候も、たとへば草木・花鳥杯隧に彫り透し候は、彫物とも違ひ候間、年寄先計ひ透し候迄に彫抜き候内にも、目立結構相見え候分は、為㆓取除㆒、尤塗候椽は取替へさせ可㆑申候。
一、床縁・桟框 襖の縁の外は、都て建具類、桟框等真塗は取除け可㆑申候。
一、金銀の唐紙 唐紙に金銀の箔等相交へ候には無㆑之、唐紙と申すは襖を唱へ候事にて、金銀の襖は取除け、金銀箔に似寄り候砂子少々相用ひ候類は、其儘に差置き不㆑苦候。
一、玄関 本玄関に無㆑之、只式台は一同為㆓取除け揚㆒候。踏石或は踏台に為㆓仕替㆒【 NDLJP:163】可㆑申候。
一、茶席 家続補理ひ候分は、其儘数寄屋と唱へ、別に取補理ひ候分茶道指南の者は、稽古場の儀に付不㆑及㆓取払㆒、其外の分は取払ひ可㆑申、乍㆑併実に手軽の普譜も有㆑之、又は手軽に相見え手籠り候も有㆑之候間、不分明の分は相伺可㆑申候。
一、町々会所式台の儀御用宿も相勤め候分其儘、尤も両開戸も同様心学講舎に有㆑之候処、台形の物不㆑苦候。
一、三箇所旅籠屋は勿論、傾城町家作の儀も、御触面の通り可㆓相心得㆒候。右の通り伺済みに候間、相心得可㆑被㆑申候。御用掛り町人・医師・儒者家作の儀は、追て御沙汰可㆑有㆑之候に付、其節可㆓相達㆒候。
卯六月廿九日 取締掛り 総年寄
【五海道助済金を上納す】昨年春の頃より御国恩を難㆑有思ひ候て、五海道助済金を随分出精致し候様被㆓仰出㆒、五畿内は昨秋の頃専らにして、昔より之無き事なるに、京都市中小なる裏借家に至る迄之を上納す。大坂近在も去冬仰付けられし故、市中も同様ならんと専ら噂有りしかども、余りに御触の口数も多く、売物御取調べ二割下げ、青楼其外種々様様の事にて転々反覆せる事多く、余り混雑せる故か其御沙汰なかりしが、当六月二十九日に至り、三郷の年寄共を不残総年寄の宅へ召出し、左の通り申渡しある。
覚
一、此度東海道・甲州道中・日光道中・中山道、其外宿々及㆓困窮㆒候に付、江戸表より右宿々へ御成助として御手伝被㆑為㆑在候に付、当表於㆓町々㆒も国恩を難㆑有存じ、御冥加差出し度き者有㆑之候はゞ、聊にても可㆑被㆓差出㆒候事。
卯六月二十九日
【人形商冥加金を否む】右の通り口上にて言渡し有りしにぞ、其趣を以つて年寄共何れも其町々へ申渡せしに、御堂筋は人形屋の多き処なるにぞ、之迄仕入れ置きし人形類の高金なるは一つも商ふ事なり難く、已に当十九日に何れも高金の人形雛の道具類悉く御取上げに成りて、船・車等に之を持運び、手元に残れる商ひ物の類は、下直なる品計りなるにぞ、何れも大に困窮に及びしと云ふ。斯る者共へも御国恩金の事申付けぬ【 NDLJP:164】る故、何れも申合ひ年寄宅へ罷出で、「御国恩の難㆑有事は誰しも能く相弁へぬる事にして、御改革の結構なる事も難㆑有承知仕る、何れ近年の内には一統に安堵するに至るべし。去りながら此節差当り一統に日々の暮し方に当惑し、大に困苦せる故、如何程に御国恩を難㆑有思へばとて、冥加金上納の事は力に及び難き事なれば、宜しく御断被㆓仰上㆒下さるべし」と申しぬるにぞ、年寄のいへるには、「尤なる申立にはあれども、三郷市中一統の事なれば、多少には拘らず、之を御断り申上ぐる事は相成り難く、是非に勘弁せらるべし」と云ひしかば、「御前より御断下さるゝ事難㆓相成㆒候はゞ、御勝手になさるべし。此上は其旨総年寄へ一統に罷出で相断り申すべし。之も亦取上なくば、御奉行所へ出て御断申上ぐべし」といへる故、年寄も大に困りぬる事なりと云ふ噂なりし。又外々の町とても、此度の御趣意に依りて差支へぬる商売多く、世間一統に大に響渡り、大に金銀不融通にて、至つて困窮せる者少なからざる事故、御堂筋の如き事を申出づる者はなしと雖も、一統に難㆑有がりて承伏せし様には非ず、種々様々の風説なりし。然る上に又々七月六日に至り、【右冥加金を町人に課す】西御役所に於て御奉行久須美佐渡守・水野若狭守御勘定吟味役羽倉外記、御両人立会にて鴻池善右衛門・加島屋久右衛門を始めとして、大家の町人共大勢召出され、御用金被㆓仰付㆒被㆓仰渡㆒左の通り、
去る丑年以来幕政一新、格別御倹素に被㆑遊、追々被㆓仰出㆒候御仁徳の程は、銘々難㆑有相心得候儀に可㆑有㆑之、猶此上も上下安穏に太平を楽み候様被㆑遊度くとの台意に有㆑之、因て此度諸家御救助窮民御賑恤の為め多分の府財棄捐被㆓仰出㆒、諸家之面々へも分限を守り、節倹行届き候様御沙汰有㆑之、然る上は追年勝手向も立直り可㆑申、左候はゞ町人共融通の甘きにも相成り、自ら御余沢を蒙り候様可㆓成行㆒候。当地の儀は天下の中央、其上海運の利宜しき要地故、数百里外より諸品輻輳し、自ら商買の取引手広く、巨万之富を保ち候事にて、是迄御用金相勤め、近くは文化年中両度に七十余万両差出し、一廉の御奉公致し候事に付、御思意も渥く、容易に御用金をも不㆑被㆓仰付㆒、既に先年西城御普請の節を首として、御用金可㆑被㆓仰付㆒候を、諸家並に余国の献金等も有㆑之、旁々以て御除に相成る【 NDLJP:165】は、全く臨時窮民御賑恤、其外普く御仁政を被㆑為㆑播度く、右御手当御府財を以つて可㆑被㆑弁処、是迄打続き莫大の御用途も有㆑之上の儀、万一非常御備に響合ひ候ては、不㆓容易㆒の儀に付、其方共一同へ御用金被㆓仰付㆒候事に候。勿論御用金の儀に付、明年暮より夫々二十箇年に割合せ、一箇年に二銖の被㆑下金御差加へ、御下げ戻可㆑有㆑之候。畢竟巨万の富を握り、又は一時に数千金の貨殖を致し候儀、皆銘々差働にて外々の助に依り候には無㆑之候得共、諸家の先祖矢石を冐し、鋒・鏑に触れ候功労を以つて爵禄を保ち候子孫にても、参勤等にて安居の暇無㆑之、其上御軍役の外臨時御手伝等相勤め、大金献納致し候儀有㆑之、商賈に至りては、平生の勤筋と申すも無㆑之、二百余年昇平の御徳沢に浴し、安逸に暮候難㆑有儀は、何れも弁へ居り候儀に有㆑之、此度の御用金は新政の御徳意を奉㆑助事にて、如㆑斯明時に逢ひ、一際の御奉公致し、永世御記録に家名を署し候と、子孫迄も聞伝へ、自ら淳実を尚び、驕惰の所行相慎み、家業弥々盛に可㆓相成㆒問、右申渡しの趣意篤と相弁へ、無㆓異議㆒御受可㆑致候。
右の通り被㆓仰渡㆒、明る日は七夕にて節句の事なる故、休日なりしが、八日よりして追々に町人共被㆓召出㆒、右の趣仰付らるゝ事なりとぞ。
【久須美佐渡守の人物】久須美佐渡守には、小身より御小納戸に出て、先年佐渡大に騒動せしを、此人に命ぜらしに、程能く取鎮められし人なりと云ふ。当時御改革にて肝要の折節なれば、西御町奉行堀遠江守殿に代りて、此人に命ぜらる。当年七十六歳なりと云ふ。此事大坂へ聞えしかば、此度遠州に代り来らる御奉行は極老なれども、至つて厳格なる人故、此人を御選にて奉行職を命ぜられし人なる故、至つて堅くろしき人なるべし。此上如何なる事申出さるゝ事共計り難し。此上に若し左様に有りては、此人の苗字の如く大坂も弥々大くすみとなるべし。困り果てたる事なりとて、大につぶやける人など少なからざりしに、大坂へ着せらるゝと間もなく、国恩冥加金の事を申出され、引続き御用金仰出さる。下地より大に陰気なりし処へ、国恩金の仰出されにて一際立て陰気を増し、御用金の仰出されにて益々物淋しく、片田舎も同様なる有様なり。当年は処々の神事も大方は日の暮れ限りに相済し、天神祭にも遊【 NDLJP:166】出船は云ふに及ばず、花火等上ぐる事なく、だんじりも漸く三つ計り有りしと云ふ。之迄の神事に比れば、三つ割にして其一つにも当り難く、物静かなる事なりし。江戸十里四方悉く公料計りに此度新になし給へるにぞ、武蔵・上総の間にて、【江戸近在を天領とす】之迄入組みし諸侯の飛地、御家人の知行等悉く被㆓召上㆒、代りの地追て下し置かるゝと云へる事にて、未だ何れにて代地下し置かるゝとも其御沙汰なき事故、十三人の諸侯其数限りなき御家人衆、何れ途方にくれらるゝ事なりと云ふ。尤も諸侯と雖も、忍・川越の如き堀持は其儘にて、飛地にて陣屋の向は悉く召上げられしなり。御家人衆には何れも悪しき代地を給はるか、又は御蔵米にて御渡になれる事もありもやせんと、一統に大に心労せる事なりと云ふ。
上織国に印幡が沼とて、至て大なる沼あり。此沼の水を利根川へ切落しぬれば、【新田開拓を設計す】方八里余の新田となれる見積りにて、此度之を催さる。右御手伝として、松平因幡守・酒井左衛門尉・水野出羽守・林刪後守黒田筑前守等へ被㆓仰付㆒しと云ふ。中にも林肥後守は、一万石の身上にて、金二万両計りの物入なりと云ふ事なり。親肥後守一昨年八千石を被㆓召上㆒、大仕くじりなりしに、又過当なる御手伝被㆓仰付㆒しには、定めて故有る事なるべし。
大坂も五里四方悉く公料に改まりぬるにぞ、摂・河・泉の間に有る処の諸侯の領地、悉く召上げられ、【大阪近在も天領となる】陣屋引払ひ等にて騒々しく、百姓・町人の類是迄聊の出銀等にて、領主の用を承り、又庄屋等何れも金銀にて苗字・帯刀せし者共、暴に其事なり難く、何れも平百姓となりぬる故、之迄の如く威勢振る事なり難く、之迄之等に這ひつくばひし者共も、心地よき事に思ひぬるにぞ、騒々しき中にも可笑しき事多し云ふ。又上町は谷町筋より東は悉く町家をば取払ひとなり、江戸表より御旗本与力・同心の類引越し来れる由。又天満川崎町奉行附与力・同心、是も御役所近くへ替地と成り、引越し来れる由。与力・同心は云ふに不㆑及、上町辺に住める町人共、戦々兢々として安き心なる者なしと云ふ。又難波御蔵番にも、江戸より代り来りて、何れも江戸へ引越しとなれる等いへる風説にて、之れも安き心なしと云ふ。
【金井伊太夫】御破損奉行金井伊太夫、昨年来組下の同心共私曲有りし由にて、数多の人々を罪し、【 NDLJP:167】大に評判高かりしが、暴の御召にて出府をなす。御勘定奉行となるか、大津御代官なるべしなどいへる噂なりしが、以の外不首尾にて、薪問へ追込まる。近来仕くじり者を追込ぬるために薪間といへる場所出来す。こは小普請へ追込む迄には至らざる者を、此処へ追ひやられぬと云ふ事なり。
伏見なる木村宗右衛門、年来淀川筋にて大に私慾筋有りし由相顕れ、【伏見奉行改易】此度改易になりて、川筋の事は角倉為二郎一人の支配となると云ふ噂なり。京都御代官小堀は前にもいへる如く、支配地六七万石被㆓召放㆒、宇治神林も甚驕り強く、不法事之有る故、御咎蒙りしと云ふ。
水戸侯江戸と本国にて、侯の目通りする処の百姓・町人共にて、六十以上の者を選ばれしに、【水戸侯高齢者 縮緬を給ふ】都合六十二人之有りしにぞ、何れも目通りへ召出し、縮緬の小袖一のづつ下し置かれ、「何れも勝手次第に沢山に着用すべし」と仰付けられしにぞ、本国の者共は、領主の賜なれば仔細なしと雖も、江戸の町人共は当時厳しき御制禁の事なる故、水戸様よりして御法度の縮緬の小袖頂戴被㆓仰付㆒候へ共、御法度の事に候へば、如何可㆑仕哉と伺出でしと云ふ。町奉行より、御大名より、被㆓下置㆒候品故、随分大切に致し箱に入れ置き、着るべき時には勝手次第に着用致すべしとの事なりしとぞ。当時至て厳しき処の縮緬を、斯様に町人・百姓共へ下されしには、定めて水戸侯の深き思慮有る事なるべし。
大井川は名におふ大河にして、少し雨降れば忽ち川支に及び、諸侯の参観交代は云ふに及ばず、旅人の大に困りて大造なる物入をなし、其費莫大の事なる故、此度船橋掛る様になるといへる噂なり。
或人の方へ江戸より申来りし書付の写
羽州山形秋元但馬守殿、御領地の内南河内に御座候処、去る十五日於㆓江戸表㆒左の通り被㆓仰渡㆒。
【秋元但馬守領地を替へらる】一、今度為㆓御取締㆒、大坂御城最寄一円御料所に可㆑被㆓成置㆒旨被㆓仰出㆒候。依㆑之但馬守領分河内国丹北郡・丹南郡の内、二万七千百廿一石余上知被㆓仰付㆒、代知は追て可㆑被下旨被㆑蒙仰候段、為㆓知参㆒候事。
【 NDLJP:168】一、此度武家方御勝手向相直り候様被㆓仰出㆒、兼ねて追々拝借有㆑之馬喰町御貸付方、年来の御借財是迄毎年利分御上納相成り居り候処、【大小名貸附の布令】格別の思召を以つて、御借財高の内半分棄捐、半分無利益年賦済旨被㆓仰出㆒候。依㆑之大小名共先づ安心の形に御座候。尚其上にも御勝手向不如意の大小名は、願の通り御貸付有㆑之候に付、期月の通り無㆓相違㆒上納可㆑任被㆓仰渡㆒候。大小名共此上堅く節倹御用ひ、勝手向相直り候様可㆓心掛㆒旨厚被㆓仰渡㆒。右の外差て相変りし儀無㆓御座㆒候。右卯月六日出に申来る。
利根川筋分水路印幡招御用御手伝被㆓仰付㆒候
【印旛沼工事任命の面々】〈因州鳥取三十二万五千石〉松平因幡守・〈羽州庄内十四万石〉酒井左衛門尉・〈駿州沼津五万石〉水野出羽守・〈筑前秋月五万石〉黒田甲斐守・〈上総貝淵一万石〉林播磨守・
右同処御用掛
〈江戸御町奉行高三千石〉鳥居甲斐守・〈御勘定奉行高二千五百石〉堀野士佐等・ 〈御吟味役百俵五人扶持〉篠田藤四郎・ 〈御目附組御代官より〉戸田寛十郎。
右の通り被㆓仰渡㆒候趣、為㆓御知㆒奉㆓申上㆒候。
東海道筋御用に付御暇
【東海道筋用命の面々】〈御勘定御道中奉行兼〉跡部能登守・ 〈大坂南組総会所へ着〉 〈御勘定吟味役〉羽倉外記・ 〈同和泉一人着〉 〈同上〉福田所左衛門・ 〈南農人町一丁目へ着〉 〈支配定役〉逸見市太郎・ 〈材木町へ着〉 〈御勘定吟味下役〉 榎本定右衛門・ 〈同本町上三丁へ着〉 〈御普請方〉北村亮三郎・ 〈太郎左衛門町へ着〉 〈同〉桜井三郎
御法度の御申渡
【法度の条々】一、髪の餝は金銀類は不㆓成相㆒候。鼈甲・蒔絵物共、前々に御触の通り通り急度相守り、都て高直の品々相用ひ申間敷事。一、女帯は天鵞絨・繻子・小柳・博多不㆓相成㆒候。紬・太織八丈迄の内を相用ひ可㆑申事。一、縮緬・紹不㆓御成㆒候。尤も紛らはしき織方の品々、縦令古く共相用ひ申間敷事。一、男羽織は絽、其外薄羽織共不㆓相成㆒候。絹布・麻を相用ひ可㆑申事。一、袴は仙台・川越平にても何程古く有来り候共不㆓相成㆒候。葛布・木綿計り相用可㆑申事。右の通り此度被㆓仰渡㆒候儀御守り不㆑申候者は御召捕に相成り候間、心得違無㆑之様為㆑念相達置き候。
卯五月十五日 一人別承知印形仕候
【 NDLJP:169】右は江戸表触書の写にて御座候。奉㆑入㆓御覧㆒候。
【水戸侯拝領品目】一、水府公御拝領 包清毛貫形御太刀〈代金五枚〉・御鞍鐙一餝〈代にて七十枚〉・黄金〈百枚〉
右包清の御太刀拵へ、柄・鞘共金板がねにて、包縁頭の処、御目貫の品、毛彫有㆑之、誠に無類結構なる物にて、代金の位何千両共難㆑申由拝見仕り候。御城坊主より富永某へ咄の段承り候儘、認め差上候事。右御使者は水野越前守なり。〈上意の趣、此処へ書記有㆑之候へ共、此儀は前に書記し置き候故、此処には之を略して記す事なし。〉
【海道用金を課すべきを申出づ】一、五海道へ勤め候助郷村々の儀は、近年及㆓困窮㆒候に付、自ら宿々も窮迫致し、難渋の旅人も難儀相嵩み、今度格別の御救御慈憐の御沙汰より、五海道御取締被㆓仰出㆒、御救御取締も相成候に付、多分の御救御入用可㆓相掛㆒候儀、右付元々御慈憐御救の廉には、諸家へ御手伝、或は身元相応の者へ御用金等不㆑被㆑仰候に付、此旨難㆑有奉㆑存候て、御国恩の冥加を弁へ候へば、御国用弁理融通第一の海道筋、宿々助郷困窮を御救候儀、数千箇村の人馬を助け、又難渋の旅人を厭ひ遣し候儀故、銘々会得致し、身柄に応じ出金致し候へば、仮令一人の上は僅かの高も、諸人の上に及びなし、不㆓客易㆒陰徳も有㆑之間、相応に営み暮し候者は、御救金に差加へ候儀申立て、陰徳の志相立て候様可㆑致候。右の趣は身元宜しき者へ御用金被㆓仰付㆒、迷惑に存じ候者有㆑之共、諸方万人御救の処には難㆑為㆑換儀に候へ共、元来御救筋の御慈の方に付、都て御威光を以つて被‐㆓仰出㆒者被㆑為㆑加㆓御趣意に付㆒、全く其身より筋道を弁へ、出銀致し〔候脱カ〕者御取調べに相成候段は、偏に難㆑有可㆓御心付㆒、且つ寄持筋相弁へ、励し方致し候者は、自然先祖へ孝道等存じ合せ、兼々内願等在㆑之者も難㆑計、左にては何様なる願ひ筋なり共、存込みは可㆓申立㆒候。右の次第に付猥に御用金等被㆓仰出㆒候儀は心得違致す間敷候。尤も納方火急にては無㆑之、委細の儀は御役所に心得方等都て認め在㆑之候間、勝手次第に罷出で、一覧可㆑致候事。
寅十一月
乍㆑恐奉㆓願上㆒候書付
一、何程但御下知次第早速上納可㆑仕候。
右は五海道筋並に助郷村々困窮に付、此度御救方御取調被㆑為㆓仰出㆒、右に付身元相【 NDLJP:170】応に相暮し候者御国恩の冥加を相弁へ、陰徳の志有㆑之者は、右御救金へ御差加への儀相願ひ候者、御取調の趣奉㆓承知㆒。然る処私儀御国恩を以つてかなりに取続き罷在候者、何共恐多く候儀に御座候へ共、右御救の廉々へ、乍㆑聊書面の通り御差加へ相成候へば、冥加至極難㆑有仕合に奉㆑存候。尤右御差加へ奉㆓願上㆒候とて、内願等無㆓御座㆒候。右の趣御聞届被㆓成下㆒候はゞ、難㆑有仕合に奉㆑存候。
別紙の通り口達にて御申付、銘々志の者外に見競ひ不㆑申、思はく丈け書付を以つて可㆓申出㆒様被㆓仰付㆒候に付、外々の出銀高一向承知不㆑仕候へ共、大に不同在㆑之、則ち承知仕居り候口々、五百両蛭子屋・百両岩城・五十両槌屋四郎右衛門・百両池田屋右衛門・五十両大黒屋喜介・百両づつ万治・万忠・万甚・銀五十枚づつ伊弥太・竹原。
右の通り三井始め大丸何程一向承り不㆑申候。身分大に不同在㆑之様子に御座候。表借家近辺にては、金二朱より二百疋位に御座候。右の分承り候丈け申上候。
【水戸領仏鐘を鋳潰す】水戸侯御在国の節、御領分中寺々の本尊の金仏並に釣鐘・半鐘の類、悉く御取上にて、之を以つて石炮を鋳させられ、代りの本尊並に鐘の類は、勝手に致し候様に仰付けられしと云ふ。又元禄已前より有㆑之宮・寺の類は、其儘になし置かれ、元禄已後に建立せし宮・寺をば悉く取払ひ被㆓申付㆒、社人・坊主共何れも百姓となし給ひしと云ふ。至つて快き事と云へ、とてもの事に天下一統如㆑此に至らば、大に田畠もふえ、奸悪を事とする処の遊民も減じて、御国益も多くなるに至るべし。
矢部駿河守家名相続被㆓仰付㆒左の通り【矢部駿河守家名相続】
元寄合 矢部鶴松
其方儀寅年就㆓父科㆒、改易申付け候処、此度日光御参詣相済み候に付、為㆓御祝儀㆒御赦免被㆓仰付㆒候。(〈右鶴松・同道人・清水殿用人泉本正助〉)右は水野越野守殿依㆓御指図㆒申渡す。其旨可㆑被㆑存。
卯六月十八日
【大阪城修築】当春よりして大坂御城内大普請あり。来る午年には将軍御上洛あると云ふ噂有り。又朝鮮人来朝を先年対州にて御受なりしが、此度は当所にて御受に成り、御老中一人登坂有る由。是も両三年の内なりと云ふ。右に付中の島対州の屋敷も広く成りて、当時の処より難波橋筋迄一構に成れる由、夫に付是迄有り来れる処の尼ケ【 NDLJP:171】崎・津軽・佐伯等の三屋敷、其外町家等薬鑵屋町へ代地仰付けられしとなり。何れも混雑の様子なり。琉球人も之迄出府せしかども、日数多く掛り候故、何時にても二三人程づつ死せる者之あり、道筋の諸侯何れも物入り多く、道中宿々も難渋なる故、之も当所にて引受けぬる様になりしと云ふ事なり。
【金峯山採鉱】大和国金峯山には金気充々て、沢山に黄金有之事をば、昔より云ひ伝ふる事なり。されども蔵王権現之を惜しみ給ふにぞ、之を掘る時は大なる崇りをなすと云ひ伝へて、之を恐れて昔よりして掘る事のなかりしに、此度台命を受け奉りて、羽倉外記といへる勘定吟味役、黄金を掘出す事になりぬるにぞ、山神へ告ぐる碑を立て其銘を作り、篠崎長左衛門をして之を書かしむ。山神の黄金を惜しみ、之を掘りぬる時は忽ち其罪を蒙りぬるとて、此節に至る迄之を掘る事のなかりしは、至て趣の深き事ならんと思はる。此節に至りて之を掘れる時至りしと思はる。
告㆓紫苑山㆒神文 羽倉用九撰 篠崎弼書【紫苑山に採鉱を告ぐる文】
維天保十四年、歳次癸卯八月初吉、征夷府内署司兼審決官羽倉用九祇承㆓官旨㆒、敢昭告㆓干大和州紫苑山神㆒。夫金之於㆑民利用無㆑窮、然其在㆑山鉱気時発、或作㆓災害㆒氓㆑之蚩蚩至曰。山神惜㆑金採㆑之致㆑祟、何其誣妄之甚也、蓋金之多出雖㆓世瑞㆒、然其非㆑時而出反為㆓不瑞㆒者有焉。嗚呼神之呵護盪□以至㆓今日㆒、豈有㆑待而然歟。今奉㆑旨入㆑山、神其導㆑之敢披㆓丹衷㆒以告。
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