イェルサリム大主教聖キリール教訓/第五講話

提供:Wikisource

正教のおもなる定理[編集]

<< イイスス ハリストス光栄こうえいにして地上ちじょう再臨さいりんこと。 >>

ひとりハリストスの第一の臨格りんかくほうずるのみならず、前者ぜんしゃよりはおほい卓越たくえつなる再臨さいりんをもほうぜん。かれ容忍ようにんじつひょうするものなれども、これかみくに栄冠えいかんみづかこうむらん[1]。けだしわれしゅイイスス ハリストスありてはすべて大概たいがい二倍にばいするなり、まづふたつ生誕せいたんなり、一は世々よよさきちちよりうまれ、二は季世きせいおい処女しょじょよりうまれたるこれなり、またふたつ降臨こうりんなり、顕然けんぜんならざること、羊毛ひつじのけうえあめごとく〔聖詠七十一の六(詩篇七十二の六)〕、二は顕然けんぜんにして将来にぞくするものなり。第一だいいち臨格りんかくおいかれぬのつつまれ、芻槽かいばおけうちにあり、しかれども第二だいに臨格りんかくおいてはひかりころもごと〔聖詠百三の二(詩篇百四の二)〕。第一だいいちおいてははぢいとはずして十字架じゅうじかしのエウレイ十二の二第二だいにおいては神使しんしぐんようされ、光栄こうえいにしてきたらん。ゆえわれはひとり第一だいいち臨格りんかくにとどまらず、第二だいに臨格りんかくをもたん。そも第一だいいちおいよばはりて『しゅによりてきたものしゅせられたまへ』〔マトフェイ二十一の九〕といひしごとく、第二においてもまたしからん、何故なにゆえなれば神使しんしらとともでて主宰しゅさいむかへて、かれ叩拝こうはいし、よばはりて『しゅによりてきたものしゅくせられたまへ』といへばなり。救世主きゅうせいしゅきたるはふたたばっせられんがためにあらず、ばつしたるもの審判しんぱんせんがためなり。きに裁判さいばんときもくしたりしもの〔マトフェイ二十六の六十三〕は十字架じゅうじかかたわらにありてあえ不法ふほうをおこなひしものらに起想そうきせしめていはん、いはく『なんぢすでこれおこなひしにもくせり』と〔聖詠四十九の二十一(詩篇五十の二十一)〕。とうかれきたりて、摂理せつりにより人々ひとびとせつ開導かいどうしたりしが、第二だいに臨格りんかくおいては、たとへねがはざらんも、かれくにかならしたがはざるべからざるなり。

それの二つの臨格りんかくこと預言者よげんしゃマラヒヤもいへり、いはく『なんぢもとむるところしゅたちまちにその殿でんきたらん』〔マラヒヤ三の一〕と。これ第一だいいち臨格りんかくなり。さて第二だいに臨格りんかくこと彼更かれさらげんつづけていへり、いはく『なんぢねがふところの契約けいやく使つかいよ彼きたらんと萬軍ばんぐんしゅいひたまふ。されどもかれきたにはたれへんや。その顕著あらわるるときにはたれたんや。かれきんをふきわくるもののごとく、布晒ぬのさらし灰汁あくごとくならん。かれはぎんをふきわけてこれをきよむるものごとせん』[2]〔一、三〕のちただちに救世主きゅうせいしゅみづか預言者よげんしゃにつぐ、いはく『なんぢきたりて審判しんぱんをなし、巫術ぶじゅつしゃにむかひ、姦淫かんいんおこなものにむかひ、いつわりちかいをなせしものにむかひ云々うんぬんすみやかあかしをなさん』〔五〕。ゆえ使徒しとパウェルわれ預戒よかいし、げていはく『もしひとこの基礎きそうえに金、銀、宝石、木草きくさ禾稿わらもつてなば、各人かくじんわざあきらかならん、かのこれをあらはすべければなり、これにてあらはれん』〔コリンフ前三の十二、十三〕。ついパウェルも二の臨格りんかくしめティトしょして、いはく『れすべてのひとすくいたまかみ〔救世主〕のおんあらはれ、われいましめ、われをしてかみうやまはざることと世の中のよくてて、みづかせいし、ただしくかつつつしみて今世いまのよながらへ、のぞむところのさいわいおほいなるかみ、すなはちわれ救主きゅうしゅイイスス ハリストスさかえあらはれんことのぞみたしむ』〔ティト二の十一、十三〕。るべしかれ第一だいいち臨格りんかくしょうしてわれにこれを感謝かんしゃせしめ、しこうして第二だいに臨格りんかくたしむるを。ゆえ今日こんにちわれしょうする信経しんきょうおいてもごとしんずべきをおしへらるるなり、いはてんのぼりてちちみぎし、生死者せいししゃ審判しんぱんするがため光栄こうえいにしてまたきたり、くにおわりなからんを。

ゆえわれしゅイイスス ハリストスてんよりきたらん。しかれどもおわり末日まつじつおいては光栄こうえいにしていたらん、なんとなれば世界せかいおわりあるべくして、つくられたる世界せかいさらあらたにせらるべければなり。けだし敗壊はいかい偸盗とうとう姦淫かんいんおよびもろもろのつみあふれてこんじたるにより、〔オシヤ十一の二これらの奇怪きかいなる住者じゅうしゃのみちみてる不法ふほうともそんせざらんがために、りて、さらきものとならん。されどももしこれが実証じっしょうんとほっせばイサイヤところをきくべし、いはく『てん書巻しょかんごとくにまかれん、その万象ばんしょうのおつるは葡萄ぶどうのおつるがごとく、無花果いちじくれたるのおつるがごとくならん』〔イサイヤ三十四の四〕。また福音経ふくいんきょうにもいへり、『くらく、つきひかりうしなひ、ほしてんよりおちん』〔マトフェイ二十四の二十九〕。われひとせんと、そをかなしむなかれ。もろもろのほしちん、しかれどもあらたてられん。しゅてんく、しかれどもこれをほろぼさんがためにあらず、あらたたかこして、もっと形状けいじょうとなさんがためなり。預言者よげんしゃダウィドふところをきくべし、いはく『しゅなんぢはじめもとづけ、てんなんぢつくりしところなり、かれほろびん、ただなんぢながそんせん』〔聖詠百一の二十六(詩篇百二の二十六)〕。あるいものあらん『てんほろびんとあきらかふにあらずや』と。しかれども預言者よげんしゃほろびんといひしはいかなる意味にていひしや、よく注意してきくべし。こはつぎにいふところによりてあきらかゆるなり、いふ『かれみなころもごとふるび、なんぢ衣服いふくごとこれふればかれかわらんとす』〔二十七〕と。またいふ『義者ぎしゃほろぶれどもたれこころにとむるものなし』〔イサイヤ五十七の一〕と、これによればひとほろびはす、しかれども復活ふくかつつなり、かくのごとてん復活ふくかつごときものをたんとす。いはく『くらつきかはらん』云々うんぬん約耳イオイリ二の三十一〕。しかれどもてんよりくもりてきたらんとするしゅちてかれむかふる準備じゅんびをなさん。その時神使しんしらっぱわたらん。ハリストスためせしものらは復活ふくかつすべく、生者せいしゃうちもっと敬虔けいけんなるものくもたずさへられ、ろうのためのむくいとして人間にんげんよりうえなるさかえをうけん、なんとなればかれ人力じんりょくよりうえなるはたらきをなしたればなり、使徒パウェル書札しょさつおいていふところごとし、いはく『それしゅ号令ごうれいと、神使長しんしちょうこえと、かみらっぱとをもつみづかてんよりくだらん、そのときハリストスあつせしものよみがえり、次に生きてのこわれかれともくもたずさへられ、空中くうちゅうおいしゅむかふべし。かくてわれはいつまでもしゅともらん』〔ソルン(フェサロニカ前書)四の十六、十七〕。

神使長しんしちょう大声たいせいはつし、万民ばんみんにつげて……『ちてしゅむかふべし』といはん。そも主宰しゅさい臨格りんかくおそるべきなり。ダウィドはいへり『我がかみきたる、かれもくせず、そのまえやきつくくすあり、その四周まわりはげしきかぜあり』云々うんぬん〔聖詠四十九の三(詩編五十の三)〕。聖書せいしょるにひとごときものくもりてダニイル七の十三ちちいたり、人々ひとびとこころみんがためかわながる。もしたれにかきんごとおこないあれば、そはいよいよひかるものとならん。されどもしたれにかあしごと堅固けんごならざるおこないあれば、そはにてかれん。ちちめて『そのころもゆきごとしろく、その頭髪とうはつさらしきよめたる羊毛ひつじのけごとし』〔九節〕。これひと形状かたちかたどりていへるなり。これなに意味いみするか。これかれつみによりてけがされざるものらのおうなりとのしめすなり。けだしふあり『なんぢしろくすることゆきごとくし、また羊毛ひつじのけごとくせん』〔イサイヤ一の十八〕と。つみをゆるすのしめし、また無罪むざいなることのをあらはすなり。さてしゅてんよりくもりてきたるは、くもりてのぼりしがごとくならん。けだししゅみづからいへり、いはく『ひとおほいなる権能けんのう威光いこうとをもて天空てんくうくもりてきたるをん』〔マトフェイ二十四の三十〕。

さりながらかれ臨格りんかくには反対はんたいちからあえならふことをなさざるいかなる徴候ちょうこうありや。ふありいはく、『ときひと號標しるし天空そらあらはれん』〔同三十〕。ハリストス真実しんじつ特別とくべつなる號標しるし十字架じゅうじかなり。ひかりたる十字架じゅうじか號標しるしのあらはれて、さきくぎせられたるおうきたるにさきだつは、これかならずさき害心がいしんいだきてかれしたる猶太イウデヤじんらのこれを諸族しょぞく相傳あいつたへてごとくいはんがためなることろんたざるなり、いはく『よや、ほおたれたるものを、かれわれそのかおつばきしたるものかれわれくさりにてばくしたるものかれわれきになにへても十字架じゅうじかくぎしたるものなり。われいま何処いづこなんぢいかりのおもてのがれんや』と、かれはかくのごとくいはんとするなり。しかれども天使てんしぐんかこまれたるかれ何処いづこにものがるることあたはざらん。十字架じゅうじか號標しるしてきためおそれなり、されどもハリストスしんじたる諸友しょゆうまた伝教者でんきゅしゃまたかれためくるしみをうけたるものらにとりてはよろこびなり。されば当時とうじハリストスともとなるほど幸福こうふくなるものあらんや。天使てんしらにめぐりかこまれちちおなじく宝座ほうざする光栄こうえいなるおうはそのぼくをかろんじたまはざらん、そのえらびしものらをてきこんぜしめざらんがためおほいなる喇叭らっぱをもて『その使つかいたちをつかはし、四方しほうよりそのえらばれたるものらを蒐集かりあつめしめん』〔同三十一〕。かれは一のロトをさへかろんじたまはざりき、いはんやおほくのえらばれたるものをかろんぜんや。『ちちしゅくするところものきたれ』〔マトフェイ二十五の三十四〕とはこれ当時とうじ雲車うんしゃし、諸天使しょてんしあつむるところものらにつぐることばなり。

さりながら聴衆ちょうしゅううちたれかいふものあらん、われまづし、おそらくはそのとき病者びょうしゃとなりて牀上とこのうえにあらんか、あるいわれおんな磨石ひきうすよりとりられんか、〔ルカ十七の三十四、五われあにかろんぜられざらんやといふものあらん。人々ひとびとはげめよ、審判者しんぱんしゃ偏視へんしせざるなり、『ふところによりて審判さばきをなさず、かたるところによりてめざるなり』〔イサイヤ十一の三〕。ただ地頭ぢとうのみをりてなんぢ農夫のうふのこすとおもふなかれ。なんぢぼくなりとも、なんぢ貧者ひんしゃなりとも、すこしもかなしむことなかれ。みづかぼくかたちフィリップ二の七〕をうけたまひしものぼくをかろんぜざるべし。たとへなんぢんで牀上とこのうえにあらんも、聖書せいしょごとしるされたり、とう二人ふたりとこにあり一はられ一はのこさると〔ルカ十七の三十四〕。もしなんぢおとこあるいおんな必要ひつようによりうすひきをらんも、もしおのれに子女しじょゆうして、磨石ひきうすよりはなれざらんも、なんぢかろんぜざるべし。ふあり『囚者めしうどくさりく』〔聖詠六十七の七(詩篇六十八の七)〕、約瑟イオシフ奴隷どれい地位ちいより、また獄舎ごくやより引出ひきいだして、国家こっかちょうとならしめたるものは、なんぢをも患難かんなんよりすくひて天国てんごくらしめん。ただのぞみかとうせよ、ただせよ、ただ熱心ねっしんつとおこなへよ。一もほろぶるものあらざらん。なんぢがすべての祈祷きとうとすべての唱詩しょうしとはしるされん、すべての施済ほどこししるされん、すべての禁食きんしょくしるされん、もし婚姻こんいんただしくまもらるるならばそれもしるされん、かみためまもところ節制せっせいしるされん、されどものしるさるる記中きちゅうおいて、第一の栄冠えいかん童貞どうてい潔浄けつじょうとにゆるさるるなり、さらばなんぢ天使てんしごとくにひかかがやかん。さりながらなんぢぜんなることたのしんでききしごとく、これと反対はんたいなるものをも忍耐にんたいして聴聞ちょうもんせよ。なんぢのすべての貪欲どんよくしるされん、なんぢのすべての淫行いんこうしるされん、なんぢのすべての背誓はいせい、すべての悪言あくげん、すべての蠱惑こわく妖術ようじゅつ殺人さつじんしるされん。もし今日こんにち領洗りょうせんのちおなじくこれをすときはそもみなついしるされん、なんとなれば以前いぜんおこない取消とりけさるべければなり。聖書せいしょに『ひとおのれ威光いこうもつもろもろ聖使せいしともきたとき』〔マトフェイ二十五の三十一〕といへり。よ、人々ひとびとや、なんぢ幾多いくた證者しょうしゃまえおい審判所しんぱんしょらんとするか。ときぜん人間にんげんはあらはれん。さればかぞへよ、ローマたみはいかほどすうなるか、かぞへよ、今日なおそんする野蛮やばんたみ幾許いくばくあるか、かれは百年以前にいくばくせしや、アダムより今日こんにちいたまでことごとくのものかぞへよ。かずおほいなり、しかりながらこれなおしょうなり。なんとなれば天使てんしかずさらいよいよおほければなり。かれは九十九のひつじにして、人間にんげん百羊ひゃくようの一なり。住者じゅうしゃ夥多たくさんなることは場所ばしょひろさによりてけっせらるべし。るところのあたか一天いってんうちにある小点しょうてんごとし。さればかこむところのてんはその広大こうだいなるにしたがつて住者じゅうしゃゆうすべし。されば諸天しょてんてん比類ひるいなくおほいなるかずにて居住きょじゅうせらるるなり。しかれどもしるして『かれつかふるもの千々せんせんかれまえもの万々ばんばん』〔ダニイル七の十〕といへるは、これそのかずのこれだけとどまるをいふにあらず、預言者よげんしゃさらだいなるかずあたはざるによりかくいへるなり。ゆえときはあらゆるものちちたるかみ同座どうざするイイスス ハリストスおよ同存どうそんなる聖神せいしんとも審判しんぱんのぞむべし。天使てんしらっぱわれ衆人しゅうじんにずかおのれおこないふものをばん。されば一事いちじ最早もはやわれ戦慄せんりつせしむべきにあらずや。人々ひとびとよ、くるしみのしょうならざるのほかばつおほいにして、かやうなる證者しょうしゃまえおいつみさだめらるるをおもふべし。さらば朋友ほうゆうつみさだめらるるをるよりも幾回いくたびせんはわれなおあまんずべきにあらずや。

審判しんぱんじつおそるべし、告知こくちをうくるものらは戦慄せんりつへざらん。天国てんごくまえにありて永遠えいえんそなえらる。ゆえものふていはん、いかんしてわれのがれんや、いかんして天国てんごくるべきやといはんか。ふあり、いはく『えしになんぢわれくわせり』〔マトフェイ二十五の三十五〕と。なんぢ一道いちどう記憶きおくしてわするるなかれ。いま喩言ゆげんるのようはあらじ、ただふところのものへん、いはく『えしになんぢわれくわせ、われかわきしになんぢわれませ、たびせしになんぢわれ宿やどらせ、われはだかなりしになんぢわれせ、われみしになんぢわれひ、われごくにありしになんぢわれきたれり』〔マトフェイ二十五の三十六〕。もしこれすときはハリストスともおうたらん。さりながらもしこれをなさざるときはつみさだめられん。ゆえこれおこなひて信仰しんこうとどまるべし、おろかなる童女どうじょごとあぶらはんとて、ざされたるそとすてられざらんがためなり。なんぢともしびあり、とこれのみをたのみとするなかれ、これをまもりて煌々こうこうかがやかすべし。『なんぢひかりを――善行ぜんこうひかり人々ひとびとまえにかがやかすべし、』〔マトフェイ五の十六〕さらばハリストスなんぢためにそしられざらん。善行ぜんこうにてかざりて、不朽ふきゅうなるころもるべし。それかみ照覧しょうらんり、なんぢけておのれ管理かんりぞくするところのことはこれを整理せいりして利益りえきむかはしめよ。なんぢ財産ざいさんをまかされたるか。よろしくこれを整理せいりすべし。なんぢ教師きょうしたることばをまかされたるか。当然とうぜんこれさづけよ。なんぢ聴衆ちょうしゅうこころ一致いっちせしむべき地位ちいるか。勉励べんれいしてこれすべし。整理せいりさんがためもんおほし。ただ吾人中ごじんちゅう何人なんびとつみさだめられざるべく、またしりぞけられざるべし、ただわれ健気けなげにして世々よよおうたる永遠えいえんおうハリストスむかへん。けだし生者せいしゃためまた死者ししゃためみづかして生死者せいししゃ審判しんぱんするもの世々よよおうたらん。パウェルふがごとし、いはく『ハリストスしてよみがえりしは生者せいしゃ死者ししゃとにおうたらんがためなり』〔ローマ十四の九〕。

脚注[編集]

  1. 原文注1:しゅ地上ちじょう再臨さいりんするにより、人間にんげん元始はじめよりのてきなる魔鬼まきつい征服せいふくせられ、とさるべく、地上ちじょうおい魔鬼まきたたかひしものてんしょうこうむらん、これ将来しょうらい光栄こうえいくに栄冠えいかんなり。
  2. 原文注2:ふくフェオドリトの説明によるに預言者のいふ所は聖神せいしんをもてきよむるのしめす。けだししゅきたる所のもの奥蜜おうみつ聖神せいしんをもて霊火れいかをもてあらたにするなり。けだし大イオアンもいへり『かれ聖神せいしんもつなんぢせんせん』〔マトフェイ三の十一〕また彼はかみなる恩寵おんちょうをもてつみけがれをきよむること灰汁あくもつてするがごとくならん。