<< イイスス ハリストス十字架に釘せられし事。 >>
凡てハリストスのなしたまへる行實は宇宙教会の頌讃にあらざるはなし、然れども頌讃の頌讃は十字架なり。ゆえにパウェルは此を知りて言へり『我に誇るべき者は他にあらず、ただハリストスの十字架なり』〔ガラティヤ六の十四〕。生れながら瞽なる者がシロアムに於て見ることを得たるは奇蹟なり、然れどもこれ宇宙の間盲目となれる悉くの人類の見ることを得たるに比すればいづれぞや。ラザリが第四日目の復活は大なる超自然的の事なり、然れども此の恩寵はただ一人に及びしのみ、宇宙の間罪によりて死せる悉くの人類の復活に比すればいづれぞや。五餅五千人に飽かしめたるは奇蹟なり、然れどもこれ宇宙の間無知によりてうえつかれたる者を飽かしめたるに比すればいづれぞや。十八年の間サタナにとらへられたる婦の解かれたるは奇蹟なり、然れどもこれ罪の縄目にかかりをる[1]我ら衆人の解かれたるに比すればいづれぞや。十字架の光栄は無知によりて盲目となれる所のものを照らし、罪に打ち負かされたるものを解き、全世界にある人々を贖へり。
全世界のあがなはれたるを怪しむなかれ、けだしこれが為に死せしは尋常の人にあらずして神の独生子なればなり。アダム一人の罪は世に死を入るる程勢力を有てり。さりながら『一人の罪を犯ししによりて死は世に王たらんには况や一人の義によりて生は王たらざらんや』〔ローマ五の十四〕。当時彼らは試みに果を食したる樹の為に楽園より逐はれしならば、今日信者がイイススの樹によりて楽園に入るは更に便利なるにあらずや。もし地より初めて造られし者が全世界の死をもたらししならば、人を地より造りし者は永遠の生命をもたらさざらんや、けだし彼は自ら生命なればなり。もしフィネスは醜行者を憤り、これを殺して、神の怒りを息めしならば、イイススは他を死に付せしにはあらず、己を贖罪の価にささげて、人間に及びし怒りを鎮めざらんや。
故に我らは釘せられし者を信認するを耻ざらん、健気にして信印を指にて画すべし、即十字架の形を額及び凡ての部分に画し、食ふ所の麺包と、杯と飲と、出ると入ると、睡眠の前と、臥す時と起きる時と、途にある時、又は休息する時に画すべし。これ不幸者には惠にてあたへられ、劣弱者には労なくして容易に與へらるる大なる預防方法なり、いかんとなれば此の恩寵は神より賜はる信者の號標にして魔鬼の戦慄する所なればなり。十字架によりて彼らを征服し『権威をもて之を辱しめたり』〔コロス二の十五〕。彼らは十字架の形を見るや直ちに釘せられし者を連想すべく、蛇の首を砕きし者を恐れん。此の信印をかろんずるなかれ、いかんとなればこれ惠にて與へらるるによる、かへつて此が為に恩恵者を愈尊奉すべし。
- ↑ 原文注1:罪の人を縛ること鏈鎖を以てするが如く、善を為すの力を人よりうばふをいふ。